michio sato について

つり人です。 休みの日にはひとりで海にボートで浮かんでいます。 魚はたまに釣れますが、 糸を垂らしているのはもっとわけのわからないものを探しているのです。 ほぼ毎日、さとう三千魚の詩と毎月15日にゲストの作品を掲載します。

3月10日

 

鈴木志郎康

 
 

この日付は
忘れないというより、
身体にはりついている。
昭和20年3月10日
アメリカ空軍による
東京大空襲。
その夜、燃えさかる
火の粉の降る工場の間の道を、
わたしは 母と祖母と、
父の指示に従って、
下町の亀戸から荒川へ
逃げていた。
北十間川の土手を、
中川の土手を、
平井橋まで逃げた。
その先へは、
工場が燃えていて
行けなかった。
朝までそこにいて助かった。
朝になって、対岸の親戚の家で、
ほっとひと息ついて、
焼け尽くされた焼け跡を、
とぼとぼ歩いて、
小松川橋を渡って、
新小岩の駅から、
省線電車に乗って、
千葉県の本八幡にあった
叔父の家に落ちついた。
わたしは焼き殺されなかったのだ。
わたしは生きのびた。

 

 

 

赤ちゃん

 

鈴木志郎康

 
 

すやすやと眠る赤ちゃん、
かわいいねえ。
母親の乳房にしがみついた赤ちゃん、
かわいいねえ。
何かに驚いて泣いてる赤ちゃん、
かわいいねえ。
赤ちゃんがかわいいのは、
生まれたときに、
親の思いが込められてるからだ。
思いとは策で、
愛にしろ家系にしろ、
その策をケトバス力で、
赤ちゃんはかわいいのだ。
そして赤ちゃんは生きのびる。
そしてわたしも生きのびて来た。

実は私が生まれたとき、
2人の兄が二年続けて、
赤ん坊のまま死んでいたという。
夫婦の寝屋に窓がなく、
暗闇の中で死んでいたという。
それから窓が作られて、
その光の中で私は、
生きのびることが、
生きのびることが、
できたのだという。
私は光の中で生きのびた。
光の中で生きのびた。
そして、今や
85歳だ。

 

 

 

85

 

鈴木志郎康

 
 

始まりの数字なのだ。
それから1年が過ぎるとしだ、
85は1年から85年が過ぎた数字だ。
85を過ぎ、86、87、88へ進む。
85は現在の私の年齢だ。
それが86、87、88へ、
進んで行くのか、
進んで行くって、比喩だ。
この比喩は闇だ。
その闇に光を当てると、
命が現れる。
そして、85歳のわたし。
何か、ほっとした心が浮かぶ。

 

 

 

また旅だより 17

 

尾仲浩二

 
 

昨年末より始まった写真展で話をするために再び釜山へ。
打ち上げで古くから詩人が集まるという古くちいさな酒場へ。
オンドルの小上がりで、自家製マッコリと肉や牡蠣のチヂミ。
これがめっぽう旨く、ついつい杯がすすんでしまう。
他の席から独特の節回しの唄が聴こえてきた。
訊けばその人は歌い手だそうで、道理で上手なはずだ。
その人たちが帰った後でこちらの席でも唄が始まった。
したたか酔った僕も「釜山港へ帰れ」をいいかげんな歌詞で。
気分がよかったのだから仕方ない。

2020年1月11日 韓国釜山にて

 

*****
 
写真展情報
1月18日より4月5日まで
奈良市写真美術館にて個展「Faraway Boat」
http://www.irietaikichi.jp/

 

 

 

 

川床の工事 *

 

その女が
忘れられない

だけど

はは

それが誰だか
忘れた

それゆけ、ポエム。 **
それゆけ、ポエム。 **

遠い
遠い

俤の

裸足の

白い
ほそい中指が

綺麗

川床に
ゆらゆら

揺れてた

ゆらゆら
揺れていたな

コントラプンクトゥス

コントラ
プンクトゥス

コントラ
プン

死後 ***
未完のまま ***

出版された ***

川床をユンボで掘る
川床をユンボで掘る
川床をユンボで掘る

石は川岸に積む

その女は原発にやられた
その女は原発にやられた

 
 

* 工藤冬里の詩「森で眠るようになる」からの引用
** 鈴木志郎康の詩「詩」からの引用
***ウィキペディア「フーガの技法」からの引用

 

 

 

 

鈴木志郎康

 
 

詩って書いちゃって、
どうなるんだい。

詩を書いてなくて、
もう何年にも、
なるぜ!

ノートを買って来てくれた
ゆりにはげまされて、
なんとかなるかって、
始めたってわけ。

それゆけ、ポエム。
それゆけ、ポエム。

 
 

空白空2020年1月3日

 

 

 

森で眠るようになる

 

工藤冬里

 
 

森で眠るようになる
栞紐が二つも付いている
小さな手帳なのに
足の裏が蛇の頭に触れる
ゴモラに行って確かめます
山はよく見た
いや見てない
見足りない?
いや見た
目出度い額
産まれた時兄たちは
死にたい
うつな描画のように
億年は矛盾しないもんだいだということですね
ハコフグ森進一
動物の世話に何故失敗するか
きみの生態を解明できない
動物を見せた理由は
欠落を知るためだったが
知りすぎた挙句に
この欠落だ
少年は髪型を少年にして
声を少年にした
空間の上の水を飲んだら
それが喫茶だった
種があるから果物なので
肉だからではない
小さい方には夜を見守らせた
それは良かった
万事快調
I saw that it was good.
belly vest of navel
アダムの臍
信頼できるのは病気だけだ
乾いた石が転がされ
persist 根深いものがある
participants were persistent
転がされていく謙遜さ
上ってゆく岩
きみは動物で
きみの動物は
語尾がにぃである
母音省略の動物性
空白空白空白0という訳ではない
私の前に連れて来られる
森の中で眠れるように
虹の怪獣が潜む区域
緑や臙脂の

胎芽から
胎児
タイガからタイジへの
財産の移行
道を歩くときも
寝るときも
十字に裂けて固まった表面
幼い時からドブ浚い
とげをおしこむ
どんなことでも乗り越えられる
風に
運ばれて
追い風
風のかわりに耳鳴りが来た
紅海のドルドラムを行く
額は広い
青と緑
いい風

切る
頭を切る
首から上を切る
舟はどこに向かっているか
森で眠るようになる
新しい世界
黄土色と黄緑
川床の工事
森で眠るようになる

 

 

 

ヒソク ヒショク(秘色 翡色)

 

道 ケージ

 
 

空0大阪で開催された李秉昌博士記念公開講座「高麗『翡色』の秘密を探る」に出掛けた。
空0京畿陶磁博物館館長崔健氏がまず壇上に登る。演題は「狻貎出香と高麗翡色」。以下はその記録である。
空0『袖中錦』の作者太平老人は、「高麗秘色青磁を第一」と記し、その色を賞嘆している。水の滴るようなその青緑、オリーブのごときその異色、見た者はその肌に触れようとし、或る者はその所持に身を窶す。ところで、高麗に派遣された宋の使臣である徐兢は『宣和奉使 高麗図経』において、高麗人は青磁の第一級品の色を「翡色」と表すと記している。それゆえ、最上の高麗青磁を中国では「秘色」、高麗では「翡色」と形容したと考えられる。では、「翡」とは玉たる翡翠を指しているのか、それとも雄翡翠の意義なのか。驚くことに、高麗の文献に「翡色」が用いられた例はない。中国人の徐兢が「高麗人は翡色と呼ぶ」とはっきり書き留めているにもかかわらず、当の高麗人の著作には「翡色」という表現がないのである。崔健氏はいささか顔を紅くし、水差しの水を飲む。
空0『高麗図経』の時代、およびそれ以前には確かにあった翡色青磁がそれ以降に途絶したということなのか。かの高名な李奎報は一貫して青磁を緑色と形容している。それは青磁が翡色ではなく緑色であったからなのか。「翡色」の青磁とはそもそもどのような色なのか。先生、唾を呑みこむ。

空0「翡色」の「翡」がカワセミから来たのかヒスイに由来するのかは諸説ある。あの青はカワセミか、ヒスイか、はたまたラピスラズリか。遥か昔、カワセミは幼鳥時、翡翠の玉を飲み続け、遂に発色した。自らの種の醜さに親鳥は苦悩煩悶したあげく、雛に玉を与え続けたのである。いかなる進化の偶然かカワセミの羽根は青の構造色を獲得した。それゆえあの青は色素によるものではない。玉虫、アワビの貝殻と同じく、表面構造の反射で発色している。カワセミが今でも噴出型の激烈な排糞をするのは幼少期に飲み込んだ玉を排出することの名残である。
逆に、ヒスイがカワセミを羨み、カワセミの構造色を奪取したという説を唱える者もいる。石にすぎぬヒスイがカワセミに恋をしたわけである。しかも、それは見るも惨たらしいやり方でカワセミを取り込んだ。その残虐ぶりがヒスイを硬玉と軟玉に分かった。極上の勾玉に耳をあてると今でもカワセミの鳴き声が聞こえるらしい。私が糸魚川でヒスイを盗掘をしていた時、その声を連れの女が聞き滝壺に飛び込んだ。 「青八坂丹の玉」の話をしてくれた女だった。「糸魚川と宗像は結びついとるとよ。八尺瓊勾玉も青やしね」。それが最後だった。

翡翠の鳴き声が聞こえる
押しとどめてくれる青だった

空0カワセミに瞬膜がついていることも元はヒスイと関係が深い。瞬膜とは、目蓋とは別に水平方向に動いて眼球を保護する透明の膜である。白熊が雪眼、アシカが陸上の埃、キツツキが木っ端から身を守るために目を瞬時に膜で覆うことがよく知られている。人の半月襞は瞬膜の痕跡器官であるが、半月の時、涙もろくなるのはこの器官のゆえである。カワセミが餌を捕食するために水に突入するとき、この瞬膜が水中眼鏡の役割をする。元々は水中のヒスイ玉を咥えるための眼力が膜を作りだしたわけだが、ヒスイはことほど左様に自然石と見分けにくく拡大鏡の役割もあったという研究者もいる。

 
 

もともとは以下のページを参照にしている。だが、作品はこの内容とはほとんど関わりないものとなっている。お礼とお詫びを記しておきたい。
wikipedia等にはいつもながら、お世話になっている。だから、これは、wiki詩の試みと言っていいのかもしれない。
http://chinaalacarte.web.fc2.com/kanshou-135-hishoku.html#jump