工藤冬里
絶唱になり得ぬフォーマットで
縦走する
Google earthの戸渡り
蜂の巣から犬を護るゲームで
転げ落ちる
たおやかな峰
「まっさかさまに落ちて、その身は真ん中から音を立てて張り裂け、その腸はみな注ぎ出されたのである。」
あしびきの
山廻りするぞ苦しき
Google earthの山姥は
ドーパミン中毒の損失を被る
元気になりたい
#poetry #rock musician
春の
庭に
いた
母も
父も
いた
ならんで
写真を
撮ってもらった
春の庭にいた
水仙の花
黄色い花
咲いていた
笑っていた
***memo.
2025年12月13日(土)、
静岡市健康文化交流館「来・て・こ」の「き・て・こ祭」で実施した、
“無一物野郎の詩、乃至 無詩!” 第45回、第2期 22個めの即詩です.
タイトル ” 今の自分 ”
好きな花 ” 水仙 ”
#poetry #no poetry,no life;
その日は、あまりにも悲しく辛いことが多過ぎた。
真っ暗な部屋でうずくまり、
細い身体を捩らせて声を上げて泣く花の姿を見て、
かける言葉も見つからずうなだれる、
機能不全の母親。私。
「パパは怒鳴るし、物に当たるし、
猫の首をへし折りそうって言うし、
ママは一緒に死のうって言う」
「何で私を産んだの」
「お願いだから私を殺してよ!!」
暗闇の中、花の大粒の涙が銀色に鈍く光るのを見た。
およそひと月前、私たちは幸せだった。
花と私、二人で新宿のジョナサンで
バナナパフェをシェアして食べたのだった。
花は細長いフォークで、私は細長いスプーンで。
一番最初に、さしてあるプリッツを1本ずつ食べた。
「プリッツおいしいね」
「うん」
「コーヒーゼリー、ちょっと苦いけどねぇ」
そう言いながら、笑っていた私たち。
ジョナサンを出て、
駅までブラブラ歩いた。
よく晴れた日だった。たくさんの若い人たちが行き交っていた。
私が「ママこの前、イキって
スタバでマンゴーのフラペチーノ頼んじゃったよ」
と言うと、花は笑って
「ママ抹茶苦手なんだっけ?スタバでは
『抹茶クリームフラペチーノのホワイトモカシロップ変更』
がおすすめだよ」
と言うので、私は笑って言った。
「それ、詩に書きたいから送ってよ」
すぐに花がLINEで送ってくれた。
『抹茶クリームフラペチーノのホワイトモカシロップ変更』
家では、残っている時間を惜しむように寄り添いあって、
何本も映画を観た。
ハッピーエンドの映画を観て、
花は、目を拭っていた。
「ハッピーエンドの映画だけ、観ていたいよね」
そう私が言うと、
花は小さく「うん」と頷いた。
それからおよそひと月ほど経って、
花がひとり、死のうとした。
身に覚えのある痛みだった。苦しみだった。
でも私は、もはや10代の少女ではないのだ。
母親なのだ。
怒ればいいのか。泣けばいいのか。
わからなかった。
わからなかったけれど、
ただ花を失うのがとてつもなく怖かった。
眠、私、野々歩さん
私たちが1階にいれば、花は2階へ行く。
私たちが2階へ行けば、花は1階へ行く。
それなのに花は、
帰宅時、家の鍵がかかっていると
ものすごく怒る。
まるで『家』が自分を拒絶していると感じるのか、
ものすごく怒る。
もうそろそろ『鍵』を渡す時なのか。
互いの不在を確かめ合う鍵を。
互いを『信じる』証として、銀色に鈍く光る鍵を。
『また一緒にパフェ食べようね』
そうメッセージを送ろうとして、
送れない私がいる。この期に及んで
傷つけたくないのか
傷つきたくないのか
野々歩さん「もうそろそろ自由にしてやれよ」
私「誰か私たちを優しく軌道修正して下さい」
花「勝手にセックスして、勝手に産んでんじゃねぇよ」
あの日、暗闇の中、花の大粒の涙が銀色に鈍く光るのを見た。
私、偽善者。
(2025年10月 花17歳、私43歳)
2025年11月 花18歳、私44歳。
花がインフルエンザにかかって、今日までが外出自粛期間だった。
一昨日は、大きなイワシ団子と豆腐揚げ、生姜入りのさつま揚げと大根のおでんを作ったらおかわりをしてくれた。昨日は、眠と花と私で、アサイーボールをUberした。私は初めてのアサイーボール。花が「はちみつをいっぱいかけるとおいしいよ」と言うのでそうしてみたら、とてもおいしかった。高いから滅多に食べられないけれど、次はナッツ類を多めにしてみようと思う。明けて今日、花は「友達の家でクッキー作るんだ」と言って出かけて行った。帰ってきて、「ママこれ見て」と耳たぶを見せてくれた。先月の誕生日に、野々歩さんと私と眠からプレゼントしたピアスをしていた。ピアスの銀色の鈍い光が涙でぼやけた。
「うれしい」
「ありがとう」
私たちの空白にある厄介なドア
を隔てて交わされる、
ぎこちない言葉たち。
一人一人、鍵を手にして、
外界へ飛び立っていく。いつか
いつでも帰ってきていいんだよ、と
互いを信じて
「ハッピーエンドの映画だけ、観ていたいよね」
そう、自由に。
ただ、自由に。
「わたし」はうりふたつになり
はらわたが
みな出てしまいました
空襲の夢です
「その住まいは荒れ果てよ
そこに住むものはいなくなれ」
炎のようなべろが分かれ
ひとりひとりの
逃げていく「わたし」の上にとどまり
どうして「わたし」たちは
めいめいのふるさとのことばを
ゆがんで聞くのでしょう
「あのひとたちは
新しいぶどう酒に酔っている」
隣人たちは
うりふたつで
出生をねじってつなげていくのです
どうして
口論は
こんなにもねむたいのでしょう
題名の「錨氷」という言葉を知らなかったので、ネットの『ブリタニカ事典』で検索すると「びょうひょう」と読み、固着している氷のこと。「底氷」ともいうらしい。
しかし本書の終りの方に、作者自身による丁寧な説明があった。
「極寒に流れる川底の石に、氷の始まりである直経一ミリにも満たない円形の晶水が張り付き、錨氷となる。錨氷は朝日で剥がれて川の流れに乗り、やがて川は一面、厚い氷で覆われる」。(P137)
さて徐に本書をひも解いてみよう。
するといきなり「旅に出ろ。旅に出ろ。旅に。出ろ。」と“耳の奥から届いた声”に動かされ、作者は先住民アイヌの住む北の大地へと向かうのである。
唐突ながら、ここで私は、かの俳人、松尾芭蕉を思い出した。
生涯を旅に明け暮れる中で俳諧の道を究めようとした芭蕉が、道祖神に突き動かされるようにして『奥の細道』の旅に出たように、作者もまた地道に勤め上げた小学校の教師を突然辞め、50代半ばにしてNYで2年間の学校生活を体験し、帰国後暫くしてから、今度は大学の博士課程で新たな学びが始まる、というような生き方をする。*
それゆえ、ここだけの話だが、私は長田典子という詩人は、現代の松尾芭蕉ではないか、とひそかに思っているのである。
それはともかく、今回の旅で、作者は北の大地を目指す。
そしてその先住民であるアイヌと真正面から出会うのだ。
―アイヌは和人の言葉で「にんんげん」という意味で
「にんげん」はアイヌの言葉では「アイヌ」で
アイヌは「アイヌ」だ。(p39)
未知の旅に限りなく高揚する作者は、土の下から聞こえてくるアイヌの女性の語りに耳を傾けているうちに、いつしかアイヌの女性が自分の身体に入ってきたような感覚に襲われ、ヤマブドウ、エゾイチゴ、ハルニレ、オヒョウ、マリモ、ヒメマス、イトウ、カワシンジュ、それらすべての物語とひとつになる。
作者は、「広い大地を自由に移動し自然とともに生きた人々の物語」を口ずさみ(P89)、樺太アイヌの弦楽器トンコリを弾いたりもする。
そうして北海道の網走に生まれ育った『無知の涙』の著者にして元死刑囚の永山則夫、そして日本国籍がないのに日本兵として徴集され、シベリアで10年近く重労働を強いられた樺太生まれの北方少数ウィルタ民族の北川源太郎ことダーヒンニェニ・ゲンダーヌも俄かに呼び出され、作者の熱い、熱い抱擁に包まれる。
―「この血よ騒げ!
もっともっと騒げよ!
忘れるな
おれたちはウィルタだ!」(P126)
やがて熱量に満ちた極寒の地から地元に戻った作者は、故郷にそっくりの佇まいの福島県大沼郡昭和村を経て、ダムの底に深く沈んだ今は亡き懐かしい不津倉(ふづくら)集落へと舞い戻り、ル・クレジオのように「きっとわたしも先祖の顔や仕草を引き継いでいるに違いない」と呟いて、長い長い螺旋状の旅の終わりを静かに告げるのである。**
これは、詩とエッセイが渾然一体となって、新しい旅と、新しい自分、新しい世界との出会いをうながしてくれるような、そんな奇跡的な1冊である。
*長田典子著『ニューヨーク・ディグ・ダグ』(2019年、思潮社刊)第53回小熊秀雄賞受賞
**長田典子著『ふづくら幻影』(2021年、思潮社刊)