野北の

 

道 ケージ

 

「黒々とした杙が何本も立ち
それが死を実感させた」
海辺の光景、安岡章太郎だな

「海辺の墓地」
鳩はいない、
ゼノンも亀もいない、アシルなんてさ
貝殻は骨のように白く

社は放火で焼けた
母の骨を、一応、食べてみる

浜では九大生が何人も泳ぎに来て
生を煌めかせていた
この四十九日

一週前の台風で浜は汚れ
やることもなく
ゴミを拾い出だす
キリがない
空き缶、ビニール、ロープ

小さな巻貝が幾つも打ち上げられ
腐臭は潮の香りに紛れ
不快ではない
小蠅とトンボが盛んにたかる

母はこの海辺に生まれたが
海も魚も好まなかった
死ぬ間際に「お母さん…」と
この野北の夢でも見てたんだろう

その母、つまりキヌ婆とそっくりの顔をして
薨った母、テル
私も父そっくりの顔になり
鏡を見るごとに
「少年」にもなるのだった

砂を玄関のかまちで落とす
黒い犬が吠える
叔母さんがよう来たと迎えてくれた
局長は鳥締めの血を洗う

ノキタかノギタかよくわからない
風なくて
いきたくない

 

 

 

11 NOV 2025

 
 

さとう三千魚

 

工藤冬里の

ライブ
“過去過去の幸福”が終わった

先週の
月曜日

祝日だった
文化の日だった

街は大道芸人で溢れていた

一週間が過ぎた
一週間ぼんやりしてた

満観峰に登った
里山で珈琲を飲んだ

昨日

近所の
小川の傍を歩いた

白鷺が佇っていた
白い鯉が泳いでいた

風が草の葉裏を白くしていた

詩野さんが
ゲラを送ってくれた

女が電動自転車で
街に出かけていった

友だちと夕方まで話していたと言った

それから
エアロビに行ったのだと言った

地震の後で

 ドスンと一回だけ

 ありがとう
 それより熊が怖くて

 夜は
 開けられない

秋田の姉からラインで返信があった

これって
夢じゃないのか

過去過去の幸福じゃないのか

リュビモフのピアノで
サティのソクラテスを聴いている

リュビモフの顔は死んだ
義兄に似てる

いつまでも
聴いている

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

ミスター・カルダモン

 

工藤冬里

 
 

あ、クマが食う、
あくまでも悪魔、
クマが食う原理、
平和に生きる権利、
信頼できるリーダー、
無理だ、高知県の統治権、
正当な政党、
マブダニはマブダチ、
マブチモーター、水中で子にキッス、
ドン横キッズ、
万博にわんぱくフリッパー、
第七ラッパーが真っ先に尋ねる安否、
カルダモンの賛否、
米なくて苦しむくまモン、
四つある部屋には名前があって、
guiltの哲学からanxietyの哲学へ、
anxiety の哲学からinsecurityの哲学へ、
insecurityの哲学からshameの哲学へ、
shameの哲学からguiltの哲学へ、
出来るのは部屋から部屋への移動
埋め込まれた良心が作動
カルダモンからクロモジ、
クロモジからヤマボウシ、
出来るのは部屋から部屋への移動
家を出ることは出来ない

 

 

 

#poetry #rock musician

丘を下る **

 

さとう三千魚

 
 

向こうの
池の

ほうから
ヴァイオリンの

音の
する

まるい池の
蓮の葉の浮いている

丘を下る
丘を下ってゆく

子どもたちの声が聴こえる

遠い声
遠い声が

ママ
ママ

と言っている

 

・・・

 

** この詩は、
2025年11月1日 土曜日に、長泉町 クレマチスの丘にて開催された「やさしい詩のつどい」出張版で、参加された皆さんと一緒にさとうが即興で書いた詩です。

 

 

 

#poetry #no poetry,no life