さとう三千魚
夕方に
コーヒーをポットに入れて
クルマで
海に出かけた
モコはいない
海がいた
空がいた
雲もいた
カモメがたくさん飛んでいたよ
風が吹いていたよ
クルマのバックドアを押し上げて
その下に
椅子を置いた
コーヒーを飲んだ
それから
0.35mmのシャープペンで
海と空と
雲を
スケッチする
#poetry #no poetry,no life
夕方に
コーヒーをポットに入れて
クルマで
海に出かけた
モコはいない
海がいた
空がいた
雲もいた
カモメがたくさん飛んでいたよ
風が吹いていたよ
クルマのバックドアを押し上げて
その下に
椅子を置いた
コーヒーを飲んだ
それから
0.35mmのシャープペンで
海と空と
雲を
スケッチする
#poetry #no poetry,no life
寂雨が路を潤す
身がもたないと
命の葉っぱが
揺れながら
落ちようとする
葉っぱには名前が有る
路には名前が無い
有るから無いへの
引っ越しは辛い
せめて下からの
風など吹いてもらって
浮遊してみたい
などなど願望するが
吹上の風は
婦人のスカート
めくりあげて
ふふふと笑って去る
路だけうねり続いて
時折穴ぼこがある
どうしても雨止まぬ
何となく寂しくて
鼻水上下してる
誰かの意見に対抗出来るような意見も人格も
持ち合わせていない僕は
ただうなずく事しか出来なかった
時には誰かの意見を借用して
さも自分自身の考えであるかの様に
振る舞っていた
自分の価値観を持たず
いつも
他人の視点と尺度を借りて来なければ
何ひとつとして判断出来ない人間だった
他人の目に良く映る僕の形を
自分の中に創り出していた
人畜無害を装い 心の中の悪魔に蓋をした
歪な世界の枠組みの外
もうひとりの僕が立ち尽くしている
不確かではあるが感じる事が出来る
その単純な思考の一面性の裏にある
もうひとつの現実から乖離した思考が
終わりに向かう歩みを止める
本来 保持するべき核は表には無く
表面に有るものは凡庸な思考の維持に過ぎない
読解困難な難解な文章を何度も読み返していた
その悪文の中に全てが存在する
僕の核が其処にある
佐藤佐太郎の
第一歌集『軽風』に
炭つげば木の葉けぶりてゐたりけりうら寒くして今日も暮れつる *
とある
「うら寒くして今日も暮れつる」
から
なんと近代は
逃げ遠ざかろうと
して
きたことか
逃げたところで
「うら寒くして今日も暮れつる」
は
どこまでも追ってくる
どこにでも現われる
佐藤佐太郎の主張した
純粋短歌
とは
なんだったか?
「うら寒くして今日も暮れつる」
から
逃げないことか
と
思われる
この世の
ひたすらな
うら寒さ
すべてのものの
暮れゆくさま
そのなかにい続けて
ただ
炭をつぐ
炭をつぐ
* 大正15年作
どこに
いるの
どこに
いったの
きみは
人称をなくした
時計まわりに
まわっていた
白い花
まわっていた
落ちていった
まわっていた
***memo.
2024年2月4日(日)、
静岡「水曜文庫」にて、
「 無一物野郎の詩、乃至 無詩!」として作った66個めの詩です。
タイトル ”10人称”
好きな花 ”時計草”
#poetry #no poetry,no life