Claudio Parentela
朝、起きてみたら、
来ていた。
泉のように水が流れでて止まらない。
くしゃみが、
立て続けにでた。
この2年は、
来なかった。
コロナ禍で家の外ではマスクをしていたからなのだろう。
ティッシュを、
箱ごと抱きしめて鼻のまわりを赤くするあの日々がはじまったのか?
昼前に近所の病院に行ってみた。
受け付けは昼で終了です午後3時に来てくださいと女の事務員は言った。
それで、近くの農家の無人販売所で蜜柑とデカポンを買ってそれからホームセンターに寄り小鳥の餌の剝き実を買った。
本の部屋の窓辺に蜜柑と剥き実を置き小鳥が来るのを待った。
雀が、
来た。
つがいで来た。
いつもこのつがいが来る。
元気な方が餌を啄ばみおとなしい方がおずおずと真似る。
今度はヒヨドリのつがいが来た。
ヒヨドリは雀を追い払い餌を食べ尽くすのだ。
そんな景色を見ていると時間になっていた。
病院に向かう。
病院の受付では風邪気味なのかコロナなのか花粉なのか、問われた。
コロナの可能性がある場合は外のプレハブの診察室で診察するようだ。
花粉か風邪かコロナかわからないから来てみたのだが患者がコロナかどうか問われる。可笑しい。
熱もないし、たぶん、花粉だと思います。
受け付けの女性は安心したのか一般の診察用待合室に通してくれた。
そこには老人たちがいた。
車椅子に乗せられて俯いている老人もいる。
歳を取ると自然とみんな持病を持っているのだ。
持病を持っているから年寄りはコロナで死んで行くのだ。
診察室に呼ばれた。
男性の医師だった。
マスクを外すように言われた。
鼻の奥と喉をペンライトを点けて覗かれた。
鼻の奥の粘膜が腫れているそうだ。
花粉だろうという。
わたしも同意する。
やっと来てくれた。
コロナやデルタやオミクロンを通さないようにしてきたマスクのはずだ。
そのマスクを通して、
花粉はわたしのところにやって来てくれた。
懐かしいバッドボーイにあったように思えた。
やっと来たのか、きみは。
すこしながい2年間だったよ。
鼻水がだらだらと流れ眼玉しょぼしょぼとしてクシャミ連発のあの憂鬱な花粉がこれほどに懐かしいと感じられるのは、
コロナ様のお陰なのだ。
コロナでこの日本では416万1,730人の人が感染し2万989人の人たちが亡くなったのだ。 *
世界では4億1,550万8,449人の人たちが感染し583万8,049人もの人たちが亡くなったのだ。 *
自宅に帰って駐車場で空を見上げた。
西の山のこちら側に雲が盛り上がっていた。
夏の入道雲のような大きさだが雲は灰色に盛り上がり冬の雲だった。
この巨大な雲は冷たい雪の結晶で出来ているのだろう。
灰色の雲の縁から太陽の光が斜めに射して来ていた。
その光の中にわたしたちがいる。
老人たちがいる。
車椅子に乗せられて無言で俯いている者たちがいる。
雀のつがいがいる。
ヒヨドリのつがいがいる。
それはこのひろい宇宙のなかのひとつのいのちということなのだろう。
いのちのひとつひとつが個々に光を灯しているのだろう。
この世界には呆れてものも言えないことがあることをわたしたちは知ってる。
呆れてものも言えないですが胸のなかに沈んでいる思いもあり言わないわけにはいかないことも確かにあるのだと思えてきました。
作画解説 さとう三千魚
* 朝日新聞 2022年2月18日 一面 新型コロナ感染者数詳細 記事より引用
死んだらいいのに
言っちゃいけないことだから
思っちゃいけないことだから
バチが当たったらいやだし
でもこう思うこともある
死んだらいいのに
ナイフを持って
深夜を一人歩いて
泣くための悲しい話を探して
死んだらいいのに
他人を自分を
目に見える全てを憎んで
死んだらいいのに
遠い地で不思議な大地を撮り続け、
長い旅から帰ると、
故郷の空気は美しく私を出迎えた
見えてないだけだった
謎が生まれたところに答えも同時に存在するのだった
1本の電線は会えない母の存在の証
電話での会話は時々意味が通じない
遠くにいる後ろめたさが背中を覆う
まだ大丈夫 まだ大丈夫
でもいつか大丈夫じゃなくなる
背中を映すことのない今日が
明日に変わるのが怖い
わたしの本のある部屋の窓の外には手摺りがあり、
そこに板を渡して固定してその上にチーズケーキの入っていた白い陶器の入れ物を置き、粟(あわ)、稗(ひえ)、黍(きび)などの剥き実を入れてあげて障子を閉めると雀がやってくる。
雀はいつも二羽で、
兄妹なのか恋人なのか夫婦か、わからない。
窓の内側には障子があるから、
二羽は、障子に影絵としてあらわれる。
まだ警戒している影絵は餌のそばにきてしばらくは動かないでじっとしている。
それから、怖がりでない方から餌に近づいて陶器からこぼれた餌を啄ばみそれから陶器の中に首を突っ込んで餌を頬張っている。
音を立てると逃げてしまうから、
わたしは障子のすぐこちらでじっと影絵のふたりの様子を見ている。
そこには、
ほんわりとした陽だまりがありふたりの生きるよろこびがあるように思われて、うれしくなる。
今日は午後から「ユアンドアイの会」の詩人たちとzoomで詩の合評会をしていた。
その間もふたりは窓辺でちょこちょこと動きまわっていた。
わたしは「犬儒派の牧歌」という浜風文庫に公開している詩で皆さんの講評をいただいた。
辻 和人さんが「さとうさんの詩は、ミニマルアートみたいに抒情をブツ切りにする詩ですね。」と言ってくれた。
うれしくなってしまった。
そうか、
わたしの詩は「抒情をブツ切りにする」のか。
「抒情をブツ切りにする」と残るのは骨片のようなものだろう。
骨片を拾う。
桑原正彦が4月に亡くなった。
そのことをギャラリストの小山登美夫さんから教えていただいた。
わたしはそれから身動きができなくなってしまった。
なにも、手がつかなかった。
わたしの詩集に桑原正彦の絵を掲載させてもらっている。
詩集には桑原の絵をずっと使わせてもらおうと思っていたから桑原正彦がこの世にいなくなってしまったということは受け入れられなかった。
桑原正彦が、
わたしの母のために絵を描いてくれたことがあった。
わたしの母はALSという筋肉が動かなくなる病気でわたしの姉の家で闘病していたのだった。
その母のために桑原はわたしが渡した母の写真を見て絵を描いてくれた。
わたしの神田の事務所に桑原正彦が絵を持ってきてくれた。
桑原はアトリエからほとんど外に出ないし誰にも会わないと知っていた。
その桑原がわたしの神田の事務所の応接間にきてくれた。
いまはもういない母の部屋の漆喰の壁にその絵はいまも掛かっていてわたしの姉の宝物となっている。
ここのところわたしはわたしを支えてくれた人たちを失っている。
中村さん、渡辺さん、父、母、義兄、兄、桑原正彦を失ってしまった。
最近では、家人や、犬のモコや、浜辺や、磯ヒヨドリ、西の山、羽黒蜻蛉や金木犀、姫林檎の木、雀のふたり、それと荒井くんや市原さんなどがわたしの友だちとなってくれている。
「浜風文庫」に寄稿してくれる作家たちと「ユアンドアイ」の詩人たちもわたしには大切だ。
詩や写真や絵や音楽を大切なものとして生の根底で共有できる人たちだ。
経済的なメリットからほど遠いが互いの生を理解して尊重できる人たちだからだ。
ここのところ新聞の一面には「国交省、自ら統計書き換え」* 、「赤木さん自死 国が賠償認める」* 、「森友改ざん 遺族側、幕引き批判」* 、「三菱電機製 重大な不具合 非常用発電機 1200台改修へ」* 、「アベノマスク年度内廃棄」* 、「日立系、車部品検査で不正 架空記載や書き換え」* などなど、この国の官民が不正を行っていることが露見しているようだ。
新聞記事に現れるのはごく一部なのだろう。
コストや人を極限まで削り下落させ成り上がる。
世界の経済は自己利益を優先することで回っているのだ。
格差が金を生む。
日本だけでなく世界の人々を自己利益の渦に巻き込みながらこれからも進んで行くだろう。
近代以降の資本主義の終着駅を過ぎ去るのだ。
窓辺には、二羽の雀がくる。
そこには、
ほんわりとした陽だまりがあり影絵のふたりの生きるよろこびがあるように思われて、わたしはふふんとうれしくなる。
この世界には呆れてものも言えないことがあることをわたしたちは知ってる。
呆れてものも言えないのですが胸のなかに沈んでいる思いもあり言わないわけにはいかないことも確かにあるのだとわたしには思えてきました。
良い年を迎えましょう。
作画解説 さとう三千魚
* 朝日新聞、2021年12月16日、21日、22日、23日、一面見出しより引用しました。