びっくり仰天、ありがとうっす。

 

鈴木志郎康

 

 

ホイチャッポ、
チャッポリ。
何が、
言葉で、
出てくるかなっす。
チャッポリ。
チャッポリ。

びっくり。
びっくり仰天。
ぜーんぶ真っ白けだあ。
ガラスの嵌った
本箱の扉を開いて、
書棚から
大切に仕舞ってある、
五十三年前の、
たった一冊しかない、
俺の最初の詩集、
『新生都市』を
開いたら、
どのページも、
真っ白け。
すべてのページが
真っ白け。
慌てて、
次に
H氏賞を受賞した
『罐製同棲又は陥穽への逃走』を
開いたら、
これも、
すべてページが
真っ白け。
どんどん開いて、
二十六冊目の
去年だした
『どんどん詩を書いちゃえで詩を書いた』まで
開いて、
ぜーんぶ、
真っ白け。
チャッポリ、
チャッポリ。

なんだ、
こりゃ。
ホイチャッポ、
チャッポリ。

活字を喰う
虫ですよおおお。
俺んとこの、
大事な書棚に、
発生してしまったんだあああ。
チャッポリ。
チャッポリ。

これこそ、
天啓。
活字喰い虫さん、
ありがとうっす。
また、
どんどん書きゃいいのよ。
チャッポリ。

てなことは、
ないよねえ。
ホイポッチャ、
チャッポリ。

 

 

 

詩を書くって定年後十年の詩人志郎康にとっちゃなんじゃらほい

 

鈴木志郎康

 

 

やばいよ。
詩人を自称する
わたしこと、
鈴木志郎康さん
あなたにとって、
詩を書くって、
何ですか。
やばいんですよ。
そんなことを自問しちゃあいけません。
ウッ、ウ、ウ、ウ、ウ、
メッ、メ、メ、メ、メ、
ケッ、ケ、ケ、ケ、ケ、
パチンッ。

生きてるから
詩を書く。
ウッ、ウ、ウ、ウ、ウ、
パチンッ。

一週間ってはやいねえと言って、
ヘルパーさんが
頭からシャワーの湯をかけて、
わたしのからだをゴシゴシっと、
素早く洗ってくれたっす。
わー、気持ちいい。
ありがとうさん。
毎週月曜日に、
ヘルパーさんはわたしのからだにシャワーの湯を浴びせてくれるっす。
一週間はたちまち過ぎて、
その間に、
わたしはいったい何をしていたのか、
思い出せないってことはないでしょう。
昨日は今日と同じことをしてたじゃんか。
ご飯食べてうんこして、
そのうんこがすんなりいかないっす。
気になりますんでざんすねえ。
うんこのために生きてるって、
まあまあ、それはそれ、
新聞読むのが楽しみ、
そしてあちこちのテレビの刑事物ドラマ見ちゃって、
でも、その「何を」が「何か」って、
つい、つい、反芻しちゃうんですねえ。
記事が、
ドラマの筋が、
昨日今日で忘れちまって、
思い出せないっす。
気にすることではないんっすが、
気にするってことが、
気になるっす。
ウッ、ウ、ウ、ウ、ウ、
メッ、メ、メ、メ、メ、
パチンッ。

たった一つなった庭のみかんの実はまだそのまましてあるっす。
緑が少ない小さな庭に、
灯を灯したようにミカン色を濃くしてポツンとなっているっす。
1月26日っす。
今朝はぬかった泥の坂道を
同乗した車が下って行って、
セーターを着ようと頭を突っ込んで頭が出ない夢から覚めちゃって、
起床して、
餌を待ってニャーしている猫のママニに餌を与えたっす。
これは、
FaceBookなどに書いちゃったから、
言葉として、
それなりに覚えているっす。
ウッ、ウ、ウ、ウ、ウ、
メッ、メ、メ、メ、メ、
ケッ、ケ、ケ、ケ、ケ、
パチンッ。

年と、
月日は、
毎日毎日、
違うんだよね。
1年を365日としてですね。
80年で、
閏年が20回として、
29220日余りの
違う日が過ぎたっすよ。
何を当たり前のこと言ってるんだい。
でもね、
わたしの過ぎ去った、
その毎日毎日は、
どんどん忘れ去られてしまうっす。
過ぎ去れば空っぽ。
空っぽ、
素敵な空っぽ、
それが無念といえば無念で、
わたしは毎日したことを、
6000円もする外国製の日記帳に、
日記につけているんでざんす。
他人には読めない小さくて汚い字なんでざんす。
書いてるわたしにゃ、文字は文字、
つまり言葉にしているでんざんす。
でも、まあ、
空っぽは空っぽ。
ウッ、ウ、ウ、ウ、ウ、
パチンッ。

家の中には、
時計が、
わたしが座るテーブルの椅子から見えやすく、
ベッドからも見えるように、
置いてあるっす。
台所にもあるっす。
仕事場にもあるっす。
全部で五つはあるっす。
時刻は刻一刻見てるっす。
パチンッ。

麻理が毎日そばにいてくれて、
よかったなあ。
今日のお昼は、
蕎麦だった。
11時半を回っていたでざんす。
パチンッ。
パチンッ。

朝4時起床、
早い時は3時起床、
紅茶、ブルーベリージャムをつけてクラッカー3枚、
本に埋まった仕事場に降りて詩を書いたっす、
世の中が暗いうちの、
密かな遊びでざんす。
明るくなって、
6時過ぎに朝食、
麻理に運んでもらったっす、
甘い蒸しキャベツ、
甘い蒸し人参、
甘い蒸し玉ねぎ、
とろけそうな甘い蒸し蕪、
美味しいっす。
トマトもブロッコリもセロリも
美味しいっす。
焼いたパンにハムとキャベツを挟んで、
紅茶でごくりっす。
テレビの「あさが来た」を見ちゃって、
ヒロインのあささんの明治の活発に続いて、
うちの麻理さんが、
わたしの痛む足をお湯で濡らしたタオルで拭いて、
マッサージしてくれるっす。
朝日と日経の
朝刊を読んじゃって、
アメリカ合衆国の大統領選挙の
トランプ氏って、なんじやい、
甘利明経済再生担当相の辞任って、なんじゃい、
元プロ野球選手の清原和博が覚醒剤所持容疑で逮捕って、ばっかだなあ、
これが安倍晋三首相が改憲に意欲を示した
開会中の国会と重なってるんだぜ、が、
うっすら頭の隅に残ったまんま、
それからトイレに行ってうんこしてっす。
また更に朝刊を読んで、
夏目漱石の「門」って、
暗いなあって、
これで二時間まあまあ生きてですね、
それから、よろけながら庭に出てですね、
クリスマスローズの鉢の花の写真を撮っちゃって、
再び階段の手摺りに掴まって仕事場に降りて、
ですね、Macに向かってですね、
SNSに投稿して見て回るっす。
ウッ、ウ、ウ、ウ、ウ、
メッ、メ、メ、メ、メ、
パチンッ。

晴れた日は
9時を過ぎると、
部屋の中に、
暖かい陽が射してくるっす。
テーブルの上まで射してくるっす。
紅茶茶碗が光ってくるっす。
懐かしいなあ、って、
あてどもなく懐かしいなあ、って、
パチンッ。
月に二度、
前立腺癌と複視で、
病院に行く日以外の、
午前中は、
こんな具合っす。
午後はといえば、
麻理のベッドに並んだベッドで
テレビを見るっす。
うとうとしながら、
「科捜研の女」とか、
「相棒」とか、
再放送番組っす。
もう飽きちゃったなあ。
ケッ、ケ、ケ、ケ、ケ、
パチンッ。

からだ、
身体が介護認定されてるっす。
わたしのからだっすね。
隔週で月曜日の午前中には、
訪問理学療法士さんが来て、
家の前を百メートルほど歩いて、
脚と背中の筋肉をストレッチしてくれるっす。
この紅茶、美味しいですね、何という紅茶ですかって言ってくれるっす。
薬缶にダージリンとアールグレイのパック、それに
ハニーバニラカモミールのパックを放り込むんですよ。
そうですか、美味しいですね。
と言って、
理学療法士さんは電動自転車で次の訪問先に向かうっす。
毎週の水曜日の午後には女性の訪問マッサージ師さんが来て、
細かく体をマッサージしてくれるっす。
詩集、読みましたよって言ってくれるっす。
訪問マッサージ師さんは詩集を買ってくれたっす。
嬉しい思いでマッサージされるっす。
毎週の金曜日の午後にはまた訪問理学療法士さんが来て、
ほぼ全身のストレッチのリハビリでざんす。
自分でもストレッチしてくださいよって言われちゃうでざんす。
これでも、それでも、
すぐに脚やあちこちの筋肉が固まっちまって、
立ち上がると痛いざんす。
二本の杖ついてよろよろって危ないざんす。
ケッ、ケ、ケ、ケ、ケ、
パチンッ。

そうそう、忘れちゃいけないのが、
薬を呑むってことでざんす。
薬は2週間分を40分かけて日分けのケースに入れてるっす。
朝食後には8個の錠剤プラス4カプセル
サプリメント14錠、
昼食後に2錠、サプリメント8錠、
夕食後に5錠、サプリメント11錠、
エビオスはカリカリっと、
集団疎開でお菓子代わりに食べたのを思い出すっす。
パチンッ。

夕方には4時回って夕刊、
夕刊は麻理に玄関から取ってきてもらうっす。
階段を下りる脚が痛いっす。
そして夕食、
野菜スープになんかハンバーグとかレトルトのおかずっす。
翌日は残った野菜スープを牛乳入りのカレーにするんでざんす。
19時半にはベッドで、
うとうとしてっす。
日曜のNHK大河ドラマ「真田丸」を見たいって、
思ってっても、
眠ってしまうんでざんす。
22時回って、
トイレに起きて、
炊飯器の釜を洗って、
歯を磨いて、
喉の薬を吸入してっす。
そして眠るんでざんす。
パチンッ。

そうそう、
眠っても、
夜中に三回は、
おしっこに起きるっす。
そんときざんすね。
目を瞑ると、
眠る前に、
頭の中に、
言葉が巡ってくるんでざんすねえ。
芯の深みがほぐれるんでざんすか。
その言葉が、
早朝目覚めて、
覚えていれば、
めっけ物、
それを脳髄で揺らしながら、
仕事場に降りって行くっす。
詩が書けるんでざんす。
嬉しいですでざんす。
わたしは生きてる。
わたしは生きてるんでざんす。
パチンッ。
パチンッ。

1月30日の「浜風文庫」で、
今井義行さんの詩「きぬかづき」を読んだっす。
パチンッ。
きぬかづきの小芋から皮を剥かずに食べたって、
それが、女の人のからだに重ねられて、
今井さんが自分の心を真摯に語る詩なんでざんすが、
そこにですね、
「勤務時間も 詩を書いていました 「詩」が人生の 目的でしたから
しかし 「給料泥棒」に 本当に 「詩」が書けるわけないでしょう
漫然と盗んできた 者に 本当の 「詩」が書けるわけないでしょう」
ってありましたでざんす。
パチンッ。
パチンッ。

鈴木志郎康こと、わたしが、
今井さんの詩 「きぬかづき」の「浜風文庫」のFaceBookへの投稿に、
「ところで、この詩作品は人の人生にとって「詩とは何か」という問いをはらんでいますね。」って、
コメントしたんざんすら、でざんすね。
今井義行さんは、
律儀に、ですね。
「(前略)この詩では、わたし個人の場合の目標を書いているわけですが、それは、会社でも他所でも、昇進や権威の獲得には興味はなく、日々の場と葛藤しながら書くことで、マイノリティが生きづらい社会でも、生きていく力が湧き、前進できるから書いています。読者の方々の置かれている立場は多様だと思いますので、それぞれの立場から「詩とは何だろう、何処を目指すか」という想像へと繋がっていけば良いなと思います。(後略)」
「(前略)わたしは詩作は、自分が楽しいだけでなく、他者の心を震わすこともあるという意味で、十分社会参加であると捉えていますので、他の分野も含めて、保護法があっても良いじゃない、とも思います。(後略)」
って、ざんすね。
現在の詩作の意味合いと、
詩人の生き方をしっかりと、
返信してくれたんでざんすね。
パチンッ。
そういう考えもあるなあって、
思いましたでざんすが、
パチンッ。
パチンッ。
わたしは、
「詩人保護法」には反対って、
コメントしちゃいましたでざんす。
他人さんのことはいざ知らず、
わたしの詩を書くって遊びが、
国の保護になるなんざ、御免でざんす。
パチンッ。
パチンッ。
わたしにゃ、
詩を書くって、
ごくごく、
極々、
密かな行いで、
誰にも邪魔されない
一人遊びなんでざんすねえ。
読んでくれる人がいれば、
めっけもん、
嬉しいって、ですね。
詩人を自覚してる
わたしこと
鈴木志郎康にとちゃあ、
それだけのことでざんす。
詩を発表するところの、
さとう三千魚さんの
「浜風文庫」に甘えているんでざんす。
やばいんでざんす。
ホント、やばいんでざんす。
ケッ、ケ、ケ、ケ、ケ、
パチンッ。
パチンッ。

きょうは日曜日、
あした月曜日、
ヘルパーさんがやって来て、
一週間ってはやいねえと言って、
わたしの全身を頭からゴシゴシって、
洗ってくれるっす。
パチンッ、
パチンッ、
パチンッ。
フウー。

この詩を書いて、
読み返したら、
わたしゃ、
急激に不機嫌なったでざんす。
ケッ、ケ、ケ、ケ、ケ。
パチンッ、

 

 

 

機心一転っちゃあ、「現代日本詩集2016」をぜーんぶ読んだっちゃあでざんす。

 

鈴木志郎康

 

 

ご存知の詩の雑誌でざんす。
「現代詩手帖」の1月号っちゃあ、
恒例の「現代日本詩集2016」でざんすね。
機心一転っちゃあ、
特集された、
48人の詩人の、
詩を
全部、
ぜえーんぶっちゃあ、
読んじゃったっちゃあでざんすね。
読んで毎日FaceBookなんかのSNSに、
ちょこっと、
2015年の暮れから2016年の正月に掛けて、
感想を書こうって思っちゃたっちゃあでざんすね。
ちゃったっちゃあ、
そりゃ、まあ、大したことでざんす。
んっちゃあ、んっちゃあ、
ざんす、ざんす、
うふふ、
ハッハッハッ、ハッ。

今までっちゃあ、
好きな詩人とか、
気になる詩人とかの
詩を読むくらいでっちゃあでざんしたが、
特集された詩人の詩を全部読むなんてこっちゃ、
まあ、なかったっちゃあでざんすよ。
それが機心一転したっちゃあでざんすね。
そりゃ、まあ、大したこっちゃあでざんす。
んっちゃあ、んっちゃあ、
ざんす、ざんす、
うふふ、
ハッハッハッ、ハッ。

機心一転ってっちゃあ。
そりゃ、まあ、どういうことでざんすか。
現代詩っちゃあ書かれてるっちゃあでざんすが、
選ばれたり選ばれなかったりっちゃあ、
こりゃまあ、こりゃまあ、でざんす、ざんす。
日本国にはどれくらいっちゃあ、
詩人がおりますっちゃあでざんすか。
ひと月前の「現代詩手帖」12月号っちゃあ、
「現代詩年鑑2016」とあってっちゃあ、
その「詩人住所録」っちゃあ、
1ページ当たりおよそ44名ほどと数えてっちゃあざんす。
それが47ページっちゃあで、
おおよそ2068名くらいが登録されておりますっちゃあでざんす。
いや、いや、
もっと、もっと、
詩人と自覚している人は沢山いるはずっちゃあでざんすよ。
それに自覚してなくてもっちゃあ、
沢山の人が詩を書いているはずちゃあでざんすよ。
んっちゃあ、んっちゃあ、
ざんす、ざんす、
そんでもって、
「現代日本詩集2016」っちゃあ、
48名っちゃあでざんすよ。
91歳のお年寄り詩人から
24歳の若い詩人までっちゃあ、
48名っちゃあでざんすね。
選ばれましてっちゃあ、
おめでとうございますっちゃあでざんす。
んっちゃあ、んっちゃあ、
ざんす、ざんす、
うふふ、
ハッハッハッ、ハッ。

断わっておきますっちゃあでざんすが、
詩人のあっしがここに選ばれなかったっちゃあて、
やっかんでるってんじゃないっちゃあでざんすよ。
機心一転っちゃあ、でざんすね。
機心一転っちゃあ。
んっちゃあ、んっちゃあ、
ざんす、ざんす。
うふふ。
わかってるっちゃあでざんすね。
「現代詩手帖」さんが、
今、活躍してるっちゃあ、
推奨する
数々の受賞歴のあるっちゃあ、
48人の詩人さんっちゃあでざんすよね。
ざんす、ざんす。
つまりで、ざんすね。
48人の詩人さんっちゃあ、
「現代日本詩集2016」っちゃあ、
まあ、今年の日本の詩人の代表ってことっちゃあでざんすね。
選ばれればっちゃあ、
名誉っちゃあ、
嬉しいっちゃあでざんす。
んっちゃあ、んっちゃあ、
ざんす、ざんす。
うふふ。
うふふ。
ハッハッハッ、ハッ。

前置きが長くなりすぎましたっちゃあでざんす。
まあ、まあ、
毎朝の4時に起きてちゃあでざんすね、
作品をぜえーんぶ読んじまってちょこっと感想をっちゃあ、
昨年の12月30日から今年の1月3日までの、
SNSに書いたっちゃあでざんすね。
んっちゃあでざんす。
ざんす。

昨年2015年の12月30日に、
「11人のお爺さん詩人と2人のお婆さん詩人の詩を読んだ。皆さん老いを自覚しながら自己に向き合うか、またそれぞれの詩の書き方を守っておられるのだった。ここだけの話、ちょっと退屈ですね。」っちゃあ、
書いちゃったっちゃあでざんすか。
ざんす、ざんす。
翌日の31日には、
「10人の初老のおじさんおばさん詩人の詩を読んだ。ふう、すげえー、今更ながら、書き言葉、書き言葉、これって現代文語ですね。」っちゃあ、
書いちゃったっちゃあでざんすか。
ざんす、ざんす。
年が明けて1月2日に、
「11人の中年のおじさんおばさん詩人の詩を読んだ。中年になって内に向かって自己の存在を確かめようとしているように感じた。複雑ですね。」っちゃあ、
書いちゃったっちゃあでざんすね。
ざんす、ざんす。
そして1月3日で、
「11人の若手の詩人の詩を読んだ。自己の外の物が言葉に現われきているという印象だが内面にも拘っているようだ。これで「現代日本詩集2016」の48人の詩人の詩を読んだことになる。まあ、通り一遍の読み方だが、書かれた言葉の多様なことに触れることはできた。今更ながら日常の言葉から遊離した言葉だなあと思ってしまった。」っちゃあ、
書いちゃったっちゃあでざんすね。
んっちゃあ、んっちゃあ、
ざんす、ざんす。

幾人かの詩人の詩は頭に残ってるっちゃあでざんすが、
どの詩人の詩がどういう詩だったかっちゃあ、
もう忘れちまったっちゃあでざんす。
申し訳ないっちゃあでざんす。
んっちゃあ、んっちゃあ、
ざんす、ざんす。
うっ、ふう。

ぜえーんぶ、
紙の上に印刷された言葉なんっちゃあでざんすねえ。
現代詩っちゃあ、
書かれた言葉だったっちゃあでざんすねえ。
書かれ書かれ洗練されっちゃあでざんす。
書かれ印刷された言葉で伝わっていくっちゃあでざんすねえ。
その書かれ印刷されるっちゃあでざんすに、
挑戦してるって見えたっちゃあでざんすが、
あっしが敬愛する
吉増剛造さんの
「 Ledburyニ、鐘音(カネ乃於止(、、))ヲ聞(キ)キ、歌(ウタ)比(、)だしていたノハ、誰(タレ)」(括弧内は原文ルビ)っちゃあ、
タイトルの詩っちゃあ、誰も真似できませんぜ。
うん、ざんす、zansu。
イングランドのLedburyっちゃあところで、
聞いた鐘の音に感動なさってっちゃあ、
英語や朝鮮語や万葉仮名やらを混じえてっちゃあ、
Blakeの神話の人物のリントラに託してっちゃあ、
「恋ノ羽撃(キ)ノ、、、、、、
空白空白空白空白空白羽音(ハネ)、
空白空白空白空白空白空白空白緒(ヲ)
空白空白空白空白空白空白空白空白空白、毛(も)、枯(ガ)、零(re(アクセント記号付きのe))、手(te(アクセント記号付きのe)」っちゃあ、
激しいお気持ちっちゃあを、
歌い上げてるっちゃあでざんすねえ。
でもでも、
その誌面にびっくりっちゃあでざんすが、
吉増さんの感動が文字を超えていくっくっくっちゃあが、
言葉の高嶺っちゃあでざんすか、
ただただ驚くばかりっちゃあで、
真意っちゃあが、
解らなかったっちゃあでざんすねえ。
残念でざんす。
んっちゃあ、んっちゃあ
ざんす、ざんす。
うっ、ふう。

こりゃ、
吉増さんっちゃあ、
手にしたペンで書いてるに決まってるっちゃあでざんす。
紙の上っちゃあ、
文字書いてるっちゃあ、
あの繊細な手が見えてくるっちゃあでざんすよ。
それでいいっちゃあでざんすねえ。
んっちゃあ、
ざんす、ざんす。
うふふ。
ハッハッハッ、ハッ。

あっしが尊敬する先生っちゃあ、
藤井貞和さんの詩っちゃあ、
「鳥虫戯画から」っちゃあ、
穏やかなタイトルっちゃあでざんすが、
先ずは
古典短歌を能舞台に置くっちゃあって、
笑っておられるっちゃあでざんす。
そしてっちゃあでざんす。
キーボード打つ手元を見つめながらっちゃあ、
ご自身が書きつつある詩っちゃあ、
詩歌の歴史の流れに置いてるっちゃあでざんすか、
言葉の高嶺を行くっちゃあ、
うっとりさせられるっちゃあ、
なんか苦し紛れって感じでもあるっちゃあ、
ブツブツっと、
書き言葉でつぶやいていらしゃっるっちゃあでざんすよ。
「短歌ではない、
自由詩ではない、
自由を、
動画に託して、
月しろの兎よ、」っちゃあ、
うさちゃんに呼びかけてっちゃあでざんすね。
何やら深刻なことを仰せになってるっちゃあでざんす。
そしてでざんすね。
「あかごなす魂か泣いてつぶたつ粟をいちごの夢としてさよならします。」っちゃあて、
終わっちまうっちゃあでざんすよ。
ウッウッウッ、ウッ。
ウッウッウッ、ウッ。
藤井貞和さんの魂がわかんないっちゃあでざんすねえ。
悔しいっちゃあでざんす。
んっちゃあ、んっちゃあ、
ざんす、ざんす、ざんす。
ウッ、フウー、ふうー。
うふふ。
ハッハッハッ、ハッ。

長谷川龍生老っちゃあ、
「万事 日本は 覚悟せよ」っちゃあ言葉っちゃあ、
頭に残ってるっちゃあでざんす。
谷川俊太郎老っちゃあ、
「知らず知らずのうちに
強面の口調に成っている私の内心
よちよち歩きの子がいるとほっとする」っちゃあて、
お二人とも、
昨年テロ事件があった現実にっちゃあ、
敏感っちゃあでざんすねえ。
んっちゃあ、んっちゃあ、
ざんす、ざんす。

昔あっしと「凶区」の同人だったっちゃあ
天沢退二郎老人っちゃあ、
「半ぺん噺」っちゃあ題で、
中近東の市場で買った赤黒い50個つなぎのはんぺんっちゃあが、
居眠りしてっちゃあ、
時限爆弾じゃあないかと心配したがっちゃあ、
「どれも猫の毛で編んだミニ・サッカーボール」っちゃあ
作り話を作ってっちゃあ、
「我が家ではかわいい孫たちが
あれで遊ぶのを楽しみに待ちこがれてるのさ。」っちゃあ、
退二郎おじいちゃん、お孫さんに囲まれて、
よかったっちゃあでざんすねえ。
さいでざんす。
んっちゃあ、んっちゃあ
ざんす、ざんす。
ハッハッハッ、ハッ。

それからっちゃあでざんすね。
好きな色はオレンジ色だっちゃあて、
オレンジ色のセーターを着てっちゃあ、
「広い道
中ぐらいの道
狭い道
目印は骨、だんだんわかりにくくなる。」ってっちゃあ、
「通りのみなさん
あまり正確ではないが
ぼくのうちへ来る地図だ。」っちゃあ、
かっこいいっちゃあ、
初老の映画監督っちゃあ、
福間健二さんは書いてるっちゃあでざんすが、
言葉が開けてっちゃあ、
ほっとしたっちゃあでざんす。
んっちゃあ、んっちゃあ、
ざんす、ざんす。
うっ、ふう。

あと一人っちゃあ。
気になってるっちゃあ。
ドイツ文学者っちゃあ、
首都大学東京都市教養学部名誉教授っちゃあ、
最早、初老の瀬尾育生さんっちゃあでざんすよ。
もう68歳っちゃあでざんすね。
今回の詩のタイトルっちゃあ、
「『何かもっと、ぜんぜん別の』もの」っちゃあ、
またまたあっしには通り一片で読んだだけっちゃあ、
何のことがかいてあるっちゃあ、
理解できないっちゃあ詩っちゃあでざんした。
繰り返し読んだっちゃあでざんす。
第一行からっちゃあ、
「薄れゆく記憶のなかで濃い色を帯びた瞬間を掘り出す金属の手当ては」っちゃあ、
何だっちゃあでざんす。
それからっちゃあ、
「バルコニーの日差しが斜めになるときは
その窓を開けておいて。滑るようにそこから入ってくる神の切片を/迎えるために。」
「神の切片」っちゃあ、
何だっちゃあ、
わからんっちゃあでざんす。
まあ、まあ、
「だからあんまり速く/歩かないで。きみからきみの輪郭が遅れてしまうよ、あんまり速く/その切りとおし道を過ぎてゆかないで。」っちゃあ、
親しい人に優しく話しかけてるっちゃあでざんすね。
そして、一連跳び越えてっちゃあ、
第三連目っちゃあ、
「『別の人』はよい(傍点ルビ)。わたしは『何かもっと、ぜんぜん別の』ものへ行くのだから。そして
『別の人』もまた『何かもっと、ぜんぜん別の』ものへ行くのだから。
『何かもっと、ぜんぜん別の』ものは、あなたにはあなたの形、わたしにはわたしの形。」っちゃあ、
死ってことっちゃあでざんすか。
そして、そして、
第四連目っちゃあ、
「『つらぬきとおして流れる』ものがその身体を流れ終わった子が、『向こうの部屋』でしずかに眠っている。『つらぬきとおして流れる』ものがその身体を流れ終わった子が、『向こうの部屋』で、瘡蓋のついた小さな鼻孔から、息を終えた沈黙の形で『何かもっと、ぜんぜん別の』ものへ『ながいながい曲がりくねった道(傍点ルビでロング・ロング・アンド・ワインディング・ロード)』をささやき続けている。」っちゃあで、
終わってるっちゃあでざんす。
よくわからんっちゃあでざんすが、
哀悼の詩だったっちゃあでざんすねえ。
悲しみが伝わって来るっちゃあでざんすね。
ざんす、ざんす。
んっちゃあでざんす。

あっしの機心一転っちゃあ、
お読みいただけましたっちゃあでざんしたか、
ご苦労さんでざんした。
はい、おしまいっちゃあ。

 

 

 

十二月だ、拘るってなんじゃい、生きたってことじゃんか。

 

鈴木志郎康

 

 

拘るんですね。
日記のこと。
麻理に言わせれば、
役に立たない、っていう
この日記のこと。
書いた日ごとにペンの色を
青と緑で交互に細かく書かれた、
その文字が文字になってないんで、
自分でもさらっとは読めないんで、
やったことを探すのが大変。
で、 役に立たないって言われちゃう。
でも、自分がしたことを書き留めるって、
そこに拘ってるんですね。
それなのに、それなのに、
拘ってるのにふっと書き忘れちゃう。
さきおととい、おととい、きのうと
日付のあるページを書き忘れるってこと、
書き間違えるってこと。
ウッふう、ふう。
ふうう。

12月14日の午前中に朝刊を読み終えて、
いつも通りにさて日記をつけようと、
日記帳の「DAY BY DAY」を開いてみたら、
左ページの11日の半分と、
右ぺージの12日と、
更にページをめくった
左の13日ページと
これから書こうとした右の14日のページが、
空白だったんですよ。
あれっ、書き忘れたのかな、と、
12日の空白のページに
12日の午前と午後のことを書いてしまい、
でも、変だぞ、
昨日の13日のページが空白って、
12日の午後と13日の午前中のことは、
書いた筈なのに、おかしいぞ、
昨日の日曜の午後には家で、
「ユアンドアイの会」の忘年会があって、
白鳥さんやさとう三千魚さんたち、
八人の皆さんが集まって和気藹々で楽しかった。
思い返すと、確かに、
13日のその午前中には
新聞を 読み終えたところで、
いつものように、
前日の12日の午後のことと、
その13日の午前中には新聞を読み終えたところまでは、
書いた記憶があると、
12月11日のページの半分に書いてあるのを見ると、
なんと、そこには青色のペンで、
13日には朝4時に起きて、
「『ヒロシマ』が鳴り響くとき」を
前日、麻理の友だちのDさんから手渡されたので、
それを早速、読んで、
TBSテレビの「ゲンキの時間」を見ながら朝食、
そして水素水を麻理と一緒に飲んで、
麻理が足をマッサージしてくれたってこと。
そして新聞を読み終えて、
庭に出て三つ目の水仙の花がほころんだのを撮ってから
日記を書いたのが10時36分、
と書いてあったんですよ。
あっ、そうか、そうか、
ページを書き間違えたんだと、
12月10日の日付のベージを見ると、
そこには緑色のペンで、
朝食後に麻理が足をマッサージしてくれて、
その後にNHKの「あさが来た」を見て朝刊を読んで、
9時50分に日記を書いたって書かれてる。
つまり、10日には緑色のペンで、
その日の9時50分までのことを、
ちゃんと書いたんですね。
ところが、それに続けて、
青色のペンで、
その後の半分のところには、
つまり、10日の9時50分に続けて、
12日にあったことの、
二つ目の水仙の花を撮ってSNSに投稿した後に、
10時半頃には、麻理が代々木上原ヒフ科に行くので、
豚骨ラーメンの早めの昼食の後、
土曜日で「うえはらんど」を開く日だけど、
麻理は1時には帰って来れない代わりに、
わたしが「うえはらんど」の留守番をしているところに、
麻理の友だちのDさんが来て、
DさんのパートナーのKさんが刊行に携わっていて、
そのKさんがわたしに贈ってくれたのだという
「『ヒロシマ』が鳴り響くとき」を手渡されたってこと、
夕食には野菜スープの残りをカレーにしたってこと、
それから夕刊を読んで、
7時過ぎにはもうベッドでうとうとして、
10時過ぎに目が覚めて、
炊飯器の釜を洗っってから
歯を磨いて吸入して、
ベッドに入って、
そして眠ったってことが
ちゃんと書かれてて、
ページを捲ると、更に左の11日のページには
同じ青色のペンで、
13日の朝の起きてから新聞を読み終えて、
三つ目の水仙の花を撮影して、
そこまでの日記を書いたっていうところまでが書かれていたんですね。
つまり、13日の午前中に日記を書いた時には、
10日のページの半分と11日のページと12日のページが
空白だったんですね。
そこで、その、
書き忘れちゃったって思い込んで、
13日に青色のペンで日記を書く時、
つまり空白の10日の午後のところに、
12日の午後のこととを書き、
空白の11日の午前中のことを書くべきところに、
その日、つまり13日の当日の午前中の新聞を読み終えたことを
書いちゃった。
10日の午前中の続きに、
12日の午後ことを書き、
11日のページに、
13日の午前中のことを書いちゃったっていうわけで、
また、それを忘れてて、
14日の午前中に日記を書き始めて、
空白の12日のページには12日の午前中と午後のことを書いてしまい、
ページを捲って、
13日の午後の「ユアンドアイ」の忘年会のことを書こうとして、
おやっと思い、
11日のページを見たら13日の午前中の
麻理と水素水を飲んだとか
三つ目の水仙の花を撮ったとかが書かれてあったので、
おや、おや、おやと思い、
10日のページを見ると、
その10日の9時50分以後のことを書くべきところに、
10日の午後のとして
12日の午後には麻理の代わりに「うえはらんど」に降りて、
麻理の友人のDさんから「『ヒロシマ』が鳴り響くとき」を貰ったって
ことが書かれていたってわけで、
ということで、
10日の9時50分に日記を書き終えた後から
わたしゃ、何をしてたか、それから、
11日の朝起きた時から寝るまで
わたしゃ、何をしてたかってことが
書かれていなかったというわけざんす。
日記の書き忘れと書き間違いが重なって、
ややこしいけど、
14日の今となっては、
10日の午後はいつも通りベッドでテレビを見ていたと思うんですが、
何を見たか忘れちまったし、
11日午前中には思潮社の藤井さんに「現代詩手帖」の原稿を送って、
そして戸田さんにはそのことをメールしたってことは、
思い出せる、その原稿には、
6月に亡くなった旧友の西江雅之さんの思い出を書いたんですよ。
6月3日に戸田さんの車で紀子さんと、誘ってくれた幾代さんと、
国立国際医療センターに西江さんをお見舞いしてから、
6月18日の夕刊を見ると、
6月14日に西江さんが亡くなった記事があったんです。
それから、8月29日には駒場公園の旧前田家の屋敷で
西江さんをしのぶ会があって、
西江さんの思い出を話したんですね。
原稿を送ったりメールしたりしたこと、
それ以外のことは、まあ、
確かなこととして思い出せないままなっちゃてるってわけ。
拘るって、
なんじゃい。
ウッふう、ふう。
ふうう。

この日記帳というのはですね、
NAVA DESIGN YOUR LIFEの
「DAY BY DAY」という
1日1ページの日付と曜日が
日本語とヨーロッパ数カ国語で印刷されてるイタリヤ製で、
この20年余り、
毎年、銀座の伊東屋で買ってるんですね。
この数年は銀座に行けないので、
今年も着払いで通販で買っちゃいました。
6264円もするんですね。
高級な日記帳なんですよ。
拘りってことです。
そんな高級な日記帳に、
汚い字で書き殴ってるって、
それがわたしなんですね。
ウッふう、ふう。
ふうう。

この詩を書き始めてから、
もう数日が経って、
12月も半ばを過ぎて、
日記帳には、
正月の一日から、
三百頁を超えてびっしりと、
まあ、ちょと空白のページもありますが、
自分が何をしたかってことが、
だいたい、毎日、家にいて、
同じようなことをしてるんですが、
青色のペンと緑色のペンで、
さっとは読みとれない崩れた小さな文字で、
一見乱雑に、
書き込まれてる。
わたしの一年の生活の記録ざんすよ。

わたしは、
今年の五月十九日に八十歳になったんざんす。
でも、でも、
今年は変わったことがいくつもあった。
1月20日には夜中にひどい吐き気に襲われ、逡巡した末に、
タクシーで慶応大学病院の救急外来に行ったら、
「殴らないでよう、
警官を呼ばなでよう」って、
大声で叫び続けてる女の人がいましたね。
わたしは別に緊急に処置することはないと帰されました。
昼間、外来に来なさいってことでした。
2月21日には朝食の支度でキャベツやニンジンを切っていたら、
手が痺れて顔面が硬直して仮面を被ったようになっちゃって、
慌てて救急車を呼んでもらって、
またまた、慶応大学病院の救急外来に行き、
CTやら何やら検査の結果、
またもや別に緊急に処置することはないということでした。
ところが、また更に、
2月25日には明け方に痰が絡んで呼吸困難になっちゃって、
草多に呼んで貰った救急車に乗せられて、
慶応大学病院の救急外来に運ばれて、
吸入器で吸入薬を吸入してゼーゼー痰を吐いちゃってね、
近くの掛かり付けの小林医院で吸入薬を処方してもらったんですね。
三回も救急外来、
二回も救急車。
八十歳になるって、
大変だ。
ウッふう、ふう。
ふうう。

それから、
難病の麻理が、
ガレージを改装して、
地域交流の場の「うえはらんど」を開きたいと言うんで、
いろんなものを断捨離し片付けようって、
先ずは、
1月17日には、
辻和人さん、薦田さん、今井さん、長田さんに、
手伝いに来てもらって、
いたる所積み上げれれた本なんかを
片付けてもらっちゃて、ありがとうございました。
ガレージの改装工事が始まり、
3月3日には、
「うえはらんど」が開場したんですね。
火、木、土の午後に開いて、
12月の現在で、六百人余りの人が来たって、
その人たちとの交流の所為か、
麻理の進行性難病が進行が遅れているようで、
担当の医師も驚いてるって。
よかったなあ。
ウッふう、ふう。
ふうう。

4月24日には海老塚さんと書肆山田の一民さんが来て、
「どんどん詩を書いちゃえで詩を書いた」っていう
詩集の表紙の色を決めて、
5月11日に印刷が終わったってメールを貰い、
5月16日に一民さんが新詩集の見本を持って来てくれたってことで、
八十歳の誕生日には詩集が発行できたんですよ。
一民さん大泉さんありがとうございます。
今年、この詩集が出せたのも、
さとう三千魚さんの「浜風文庫」のおかげです。
ありがとう。
今年も、毎月詩を発表できてるのも、
「浜風文庫」のおかげです。
ありがとう。
そして誕生日には、
薦田さんたちから花のアレンジメントを貰って、
ありがとう。
7月12日にはみなさんが集まってくれて、
詩集の感想を聞けた。
ありがとう。
それが詩の読書会の「ユアンドアイの会」のスタートになっちゃった。
生きて行く励みって、
ちょと面倒くさいけど、
寂しさから逃れられるってこと。
よかったなあ。
ウッふう、ふう。
ふうう。

今年の夏は、
よく西瓜を食べたざんすね。
近くのセブンイレブンで、
丸ごと買ってきて、
二つに切って、
四つに切って、
麻理と二人で、
毎日毎日、
西瓜を食べたんですね。
八十歳の夏でした。

ところが、
9月10日、
鬼怒川が氾濫して、
濁流が流れる中で、
一人で電信柱に掴まってるおっさんの姿が、
テレビに映し出されたんですね。
どうなることかとヘリで救出されるまで見ちゃった。
そしたら、
翌日、わたしゃ、複視になっちゃた。
近くも遠くも物が二つに見えるんですね。
9月12日に電動車椅子で上原眼科に行ったら、
神経内科に行けって紹介状を書いてくれましてね。
9月15日に麻理が片目で物を一つに見えるようにと、
片目の眼帯を作ってくれて、
独眼流ウインク生活が始まったってわけ。
9月18日には東邦大の医療センター大橋病院に行くと、
即入院で、
採血やらCTやらMRIやらエコーやらなんやら、
一週間の検査の結果が、
脳梗塞じゃないが、
その後遺症とかで、
血行をサラサラにする薬出して貰って退院。
その後、複視は、
11月11日ごろから、
手元の視野から治まり出して、
11月15日には、
眼帯を外して独眼流ウインク生活は終わったのでした。
上目使いの遠くはまだ二つに見えるけど、
やれやれってことざんす。
ちょうど「ユリイカ」の編集部の明石さんから
詩の依頼があって、
まあ、久しくなかったことなので、嬉しくって、
「独眼流ウインク生活でこの空無を突っ走れ。」って
長い詩を書いちゃった。
ウッふう、ふう。
ふうう。

毎日の午前中の新聞と午後のベッドで見てるテレビでは、
安保法制を無理やり通して、
憲法改正をスタートさせた
安倍総理の戦争に傾く姿勢に向かって、
SEALDsのお兄さんたちのデモがよかったなあ。
そして、
ノーベル賞の、
木村のお爺さんに梶田のお父さん。
そして、そして、
ラクビーの、拝む姿勢でボールを蹴飛ばす
五郎丸、五郎丸。
スケートの、自己世界記録を更に更新した
羽生結弦、結弦。
この辺のことは、
日記帳には書いてないけど、
来年の今頃には、
忘れてるんだろな。
ウッふう、ふう。
ふうう。

そうそう、
忘れちゃいけないのが、
17年飼ってる猫のママニの大病ですよ。
猫の17歳は人間の80歳っていうから、
わたしと同い年だ。
6月28日に血を吐いて、
驚いて、心配しましてね。
7月1日には、
野々歩が猫を入れる籠を買って来て、
三軒茶屋のアマノ動物病院に連れってたら、
そのまま入院になっちゃった。
採血して検査の結果、
膵炎だってことでした。
退院して通院となって、
とにかく食べさせなくっちゃと、
強制給餌ってことで、
わたしが四つの足を押さえて、
麻理が口を無理やり開けて、
餌を食べさせる。
ぎゃーにゃー。
わたしらは、
ヒーヒーッふう
まあ、でも
今じゃ、まあま元気になって、
朝晩の薬を混ぜた餌の他に、
ニャーニャー、
マリの後を追って餌を欲しがる。
よかったなあ、
ウッふう、ふう。
ふうう。

ここまで読んでくださった
皆さん、ありがとう。
来年が良い年でありますように。
わたしも、
更に生き永らえたいですね。

 

 

 

女の子座りの麻理のこの光景を忘れることはないっちゃ。

 

鈴木志郎康

 

 

これが最後の詩なんてことにならないようにしたいな。
明日から別の詩を書こう。
とFaceBookに投稿したら、
佐々木 眞さんが
最後では困ります。もっと、もっと、もっと!
と返信をくれたっちゃ。
FBのお友達の佐々木 眞さん、
お目にかかったことがない佐々木 眞さん、
ありがとうございます、と、
そのもっとに応えて、
次の詩、
また次の詩、
更に、次の次の詩、
次々に詩を書きたいですね。
が、
次に書くことが、
いつも見当たらないっちゃ。
でも、書きたいッ、書きたい。
もっと、もっと、もっとッ。
つぎ、つぎ、つぎッ、
ポンッ。

痛いッ。
イタタッ。
足の甲のそこ、
麻理が指で押さえているそこ、
痛いよ、踝のところのそこ。
女の子座りの麻理が、
わたしの左足を抱えて、
優しくマッサージしてるこの姿を、
しっかりと記憶に焼き付けておこう。
女の子座り麻理っちゃ。
このところ、
毎朝、麻理が足をマッサージしてくれるので、
左足の浮腫が消えて、
触るだけでも痛かった中指の付け根の痛みも消えて、
踝のところの痛みだけが残ってるん。
だから、今朝もマッサージしてくれてるっちゃ。
幾つになっても可愛いっちゃ、
女の子座りの麻理。
まあ、どちらが先にいくにしても、
脳髄に焼き付けておこうっちゃ。
麻里がスーパーに買い物に行っただけで、
家に独り残された
わたしゃ胸がスーッと寂しくなるんじゃ。
麻理ッ、麻理ッ、マリーッ。
ポンッ。

人が死ぬって、
その人がいつも居たところにいなくなるってこっちゃ。
わたしのテーブルの椅子の席は決まってる。
毎日そこに座って、
新聞を読むっちゃ。
ご飯を食べるっちゃ。
その席にわたしがいなくなれば、
テーブルの上に積み上げられている詩集が無くなり、
新聞を読むのに使っている拡大鏡が無くなり、
毎日花を撮っているカメラが無くなり、
紅茶を飲んでいる蓋付きのマグカップが無くなり、
そのテーブルの上の光景がすっかり変わってしまうってこっちゃ。
人が死ねば日常の光景が変わっちまうってこっちゃ。
こっちゃ、こっちゃ、こっちゃ。
ポンッ。

2015年11月13日。
パリでテロがあったって、
テレビ新聞が賑わってる。
劇場とかサッカー場とかレストランとかで、
爆発と銃撃で、
130人の市民が殺され、
350人余りの市民が重軽傷を負わされたっちゃ。
おっそろしい。
無差別の憎しみはおっそろしい。
130人の人が家に帰って送る普段の光景が失われたってこっちゃ。
コヒー飲んでるとか、
フランスパンをかじってるとか、
家族と話してるとか、
それぞれの人の無くなった光景の前で、
たくさんの人の家族や友人の胸がスーッと空っぽになっちゃって、
寂しくって悲しくなってる。
その人たちの日常生活の光景が見たいっす。
痛ましいなあ。
国家っていうひとからげの憎しみは恐ろしいなあ。
憎しみに憎しみを返すんだろうか。
フランスの大統領が戦争を宣言しちまったよ。
フランス空軍のシリアのISの空爆で、
またまた普通に生活してる多くの人が死んでるんじゃろ。
どっちにしろ戦争じゃ、
人が殺されるんじゃ、
敵として憎しみ殺し殺されるんじゃ、
その憎しみをすっぽりと優しく暖かく包んでしまう超でっかい友愛のテント、
そのテントの中じゃ人がいる光景が輝く、
そんなテントがあるといいんじゃがねえ。
祈りを込めて、
いいんじゃがねえ、いいんじゃがねえ。
ポンッ。
今日も、
居間のテーブルで新聞を読んでるわたしの光景が、
ここにありました。
ポンッ、ポンッ。

うん、
人がそこにいるってことは、
そこに掛け替えのない光景が生まれているってこっちゃ。
人は光景に立ち会って、
また光景の中の人になるってこっちゃ。
人はそれぞれその人なりの
掛け替えのない光景を持って、
掛け替えのない光景の中で生きてるってこっちゃ。
その光景が忘れられないってこっちゃ。
脳裏に焼き付けて、
それでは消え易いからって、
写真に撮るっちゃ。
そして、遂には、
人はその光景の中でいなくなるってこっちゃ。
いなくなっても、
掛け替えのない光景は残るっちゃ。
六月には膵臓がんで入院してた
旧友の西江雅之さんをお見舞いしたんじゃ。
文化人類学者の西江さんは喋ってるうちに、
学生の頃の昔の西江さんになったんじゃねえ。
六十年前の早稲田のキャンパスで、
無銭旅行をするには、
おばさんの話を聞いて生活の中に入ちゃうのが一番ってね。
ひと夏でイタリア人と旅行してイタリア語をマスターしたってね。
二階から飛び降りて遊びに行ってったね。
ラジオドラマの子役だったね。
お見舞いして十日経って西江さんは亡くなっちゃった。
ベッドの西江さんが忘れられないっちゃ。
その西江さんの写真集『花のある遠景』が
11月17日に送られてきたっちゃ。
若い時から、
アフリカやパプアニューギニアで撮った写真っちゃ。
西江さんが立ち会った光景っちゃ、
いろいろな民族の人たちの生活の光景っちゃ、
太陽に輝く黒い裸の人たちの光景っちゃ、
後ろに犀がいるのに気づかない人の光景っちゃ、
ぎょろ目の子供の笑顔の光景っちゃ、
西江さんはこの人たちの生活に入ってるっちゃ。
ページをめくるごとに、
ドキドキさせられる光景っちゃ。
一ページめくってドキドキ、
二ページめくってドキドキ、
三ページめくってドキドキ、
西江さんはあのベッド横になった光景の中で、
いなくなったっちゃ。
寂しいね。
ポンッ。
今日、ここ、
居間のテーブルで、
西江さんの写真集を見てるわたしの光景が
そこにありました。
ポンッ、ポンッ。

もう晩秋ですね。
麻理が買い物に出て行った後ですね。
家の中にはわたしの他にはだあれもいない。
この部屋に、
大きなガラス窓から、
晩秋の陽が射して、
テーブルの上まで届いているっちゃ。
わたしはテーブルの上に両腕を組んで
うつぶしているっちゃ。
テーブルにうつぶしているひとりの男。
いや、ひとりの老人。
この光景を目にする者はいないっちゃ。
しばらくして、
わたしはゆっくりと
身を起こしたん。
いないのを忘れて、
麻理ッ、麻理ッ、マリーッ。
ポンッ、ポンッ、ポーン。
では、また次の詩ですね。

 

 

 

「新しい詩のスタイル」って褒められてどんどん書いてちゃった。

 

鈴木志郎康

 

 

水道の水が
冷たく
感じられるようになった、ちゃ。
はい。
毎朝、4時起きして、
詩を書いてるっちゃ。
はい、詩も読んでるっちゃ。
はい。
それから、朝食の支度してるっちゃ。
はい。
杖ついてキッチンに
トッコン、トッコン。
はい。
先ず、前の晩から水に漬けてた大豆と一緒に、
キャベツに人参、玉ねぎ、セロリ、かぶなんか、
水道の水で洗って、
蒸して、
温野菜にしてるっちゃ。
はい。
紅茶沸かして、
食パン一枚焼いて、
バターを塗った上に
ハム一枚を乗せて、
洋がらしを
少おおし塗って、
それで、
毎朝の食事っちゃ。
はい。
蒸した大豆は
滋賀の大鶴大豆、
柔らかく大きく膨れて、
美味しいちゃ。
はい、
はい。
ちゃ、ちゃ、ちゃ。

詩人の
須永紀子さんからメールが来たっちゃ。
2015/10/07 17:02、・・・・・ のメッセージ:
鈴木志郎康さま
風が冷たくなってきました。
浜風文庫の
「この秋の訪れは独眼流のウインク生活となっちゃった。」
を拝読しました。
9日間も入院なさって大変でしたね。
そのことを記録しつつ詩作品として成立させる、
これは新しいスタイルだと思います。
つらさや愚痴を書かないこともすごいです。
なかなかできないことだと思います。
複視はもう治まったのでしょうか。
お身体大切になさってください。
須永紀子

「そのことを記録しつつ詩作品として成立させる、
これは新しいスタイルだと思います。」
認めてくださって、
嬉しいです。
須永さん、
ありがとう。
その記録ってことで、
須永さんのメールを
そのまま引用させてもらいました。
新しい詩のスタイルだって、
それだっちゃ。
記録が詩の言葉になるちゅうこと。
言ってみれば叙事ですね。
歴史的叙事なんて大掛かりなものじゃなくて、
極私的叙事ってこと、
ストレートってこと、
まあ、悪く言えば、
身の上話ってことじゃ、だめじゃん。
蒸すキャベツはどうなってんの、
人参はどう切ってるの、
大豆を蒸すって、
そりゃ、何だい。
叙事ですよ。
叙事。
事件や事実を客観的に述べるってことっちゃ。
キャベツを客観的に述べるって、
人参を客観的に語るって、
冗長だって構いやしないぜ。
どうせ、
事実ってのは言葉じゃないのよ。
言葉は言葉、
言葉にしたら、
空っぽ。
沸騰する鍋に入れた
金物のざるの中の
大豆の空っぽ、
その上の
ほぼ4センチ四方のキャベツの葉っぱの空っぽ、
人参の輪切りの空っぽ、
四つ切りの玉ねぎの空っぽ、
細切りのセロリの空っぽ、
空っぽ、
ぽっ、ぽっ、ぽっ、
鳩、ぽっ、ぽっ。
まーめがほしいか、
そらやるぞ、
その豆は大豆ってわけっちゃ。

大豆をね。
糸の先にしっかりと結んで、
下剤を塗って、
お寺の境内の、
鳩の群れに投げると、
一羽の鳩が
それを食べて糸がついたそのまま豆を下痢する。
次の鳩がその豆を食べて下痢する、
またその次の鳩が下痢する、
ってな具合に、
鳩を数珠繋ぎに捕まえられるって、
さらに下剤を塗れば、
もっともっと、
鳩を数珠繋ぎに捕れるって、
江戸笑話にあったっちゃ。
は、は、は。
うそっ、
豆粕な話ちゃ。
空っぽ。

大豆を蒸して食べるのは、
植物タンパクの補給ってことですよ。
「植物性たん白は良質の蛋白源で、コレステロールの調節作用、血圧低下作用、
動脈硬化抑制作用、血糖値低下作用、抗ガン作用、・・・」(注)
もういいっちゃ。
ちゃ、ちゃ、ちゃ。

詩の新しいスタイルが、
何処かにいっちゃった。
これじゃ、
詩っちゅうものが、
破綻しちまってるじゃん。
じゃん、じゃん。

大切なのは、
「記録しつつ詩作品として成立させる」でしょう。
つまり、
事柄を言葉にしつつ、
詩にするってこっちゃ。
しつつ、
しつつ、
しつつを働かせなきゃ、
詩にはならないってこっちゃ。
ちゃ、ちゃ、きゃ、きゃ、
うるさいっ。
事柄を語る言葉は空っぽ。
空っぽは、
比喩にならないっちゃ、
空っぽは、
イメージにならないっちゃ。
しつつが空っぽを繋げるっちゃ。
いきなりですが、
まあ、
繋げるためには、
言葉の行間に、
磁場を発生させるじゃん。
ちゃ、ちゃ、ちゃで、
磁場を発生させるじゃん。
磁場って、
何じゃい。
電気が流れりゃ、
磁場が生まれる、
心が動けば、
意味が生まれる。
意味って、
その人そのもの、
言葉をその人に還すってこっちゃ。
それが詩なんですよ。

わたしゃ、
物が二重に見える
複視になっちゃってさ、
右の視野を隠すってことで、
独眼流ウインク生活してるけど、
目測が狂うから、
包丁を使う時は、
注意しなくっちゃならないのよ。
人参を輪切りにストン、
コロコロって、
床に落ちちゃった。
まあまあ、
後で、
ゆっくり、
拾えば、
いいっちゃ。

蒸し野菜やら、
洋辛子つきハムトーストやら、
ミニトマトやら、
バナナやら、
蒸し大豆やら、
牛乳パックやら、
なんやら、
乗せたお盆を、
麻理に、
テーブルに運んでもらって、
わたしの朝食っちゃ。
食べ終わる頃に、
秋の陽射しが
テーブルの上まで、
伸びてくる。
ああ、
秋っちゃ。
秋っちゃ。
まだ、庭の
白い朝顔の花が咲いているっちゃ。

 

 

(注)日本植物蛋白食品協会Q&A
http://www.protein.or.jp/faq.html

 

 

 

この秋の訪れは独眼流のウインク生活となっちゃった。

 

鈴木志郎康

 

 

秋の訪れだ。
九月になって、
曇って、
雨が降ったり止んだりが続いていたが、
午後のひととき、
さっと晴れて、
日差しが戻ってきた。
秋の陽だ。
秋の陽だ。
懐かしいなあ。
記憶にぐいぐいと引き込まれていく。
勝手口から差し込む強い日差し、
六年前に、
そこにわたしがいて、
そして入院したんだった。
背中を切られた。
腰部脊柱管狭窄症の推弓切除。
そして更に翌年の秋には、
右の人工股関節置換の手術。
その前の冬には
左の人工股関節置換の手術。
そして更に又もや
それは夏だったけど、
腰部脊柱管狭窄症の再手術、
張り付いた神経をはがすのが、
大変だったと、
医師が言った。
強い秋の日差し、
入院の時の日差しが
頭にこびりついている。
秋の日から始まって、
その後、
手術が繰り返されちゃったんですね。
今や外に行くには電動車椅子、
家の中では二本の杖。

それからの
毎日は、
パジャマ姿で
午後はベッド生活
テレビで刑事ドラマ、
訳ありで解決する
平穏なテレビ画面。
そこに、
突然、濁流が流れちゃたんですよ。
濁流が家々を押し流して行くんですね。
すごい、すごいね。
ベッドで、
ぐいぐいと引き込まれ、
でも、
わたしはのうのうと、
ヘリコプターの中継を見ていて
いいんだろうか。
高みの見物になちゃう。
鬼怒川の堤防の決壊。
2015年9月10日の午後ですよ。
押しなされて行く寸前の家から、
人が自衛隊のヘリに吊り上げられちゃってる。
あっ、濁流の中に立つ電柱に掴まってる人がいる。
二時間、どうなっちゃうのって目が離せない。
ようやく吊り上げられましたよ。
ほっとしたよね。
翌日の朝日新聞を見ると、
「増水一気つかんだ電柱」
の記事で、
彼は64歳のタクシー運転手の坂井正雄さん
という人だったんだ。
息子さんも
奥さんも無事で、
よかったっすね。

ところで、
わたしは、
その翌日、
ベッドから起きたら、
立てかけてある大きな一枚の写真が
ずれて二枚重ねなってるじゃん。
うそっ、
一枚が二枚に見えてる。
物が二つに見えるんですね。
テレビの二つの同じ画面が交錯しているじゃん。
メガネがおかしくなったかって、
動かしても重ならない。
こりゃ、目が変になったと、
その翌日、
麻理と、
代々木上原駅近くの
代々木上原眼科に電動車椅子で行って、
いろいろと検査して、
診てもらったら、
眼球には異常はないとのこと。
複視は、
神経の問題だってこと、
総合病院の神経内科に行くように勧められた。
それから、
家に帰って、
物を取るときは
片目をつぶって
ウインク生活。
活字を読むときは
別のメガネの片方のレンズに紙を貼っての
独眼流、
独眼流でウインク生活、
ウインク生活の独眼流。
麻理が
眼帯を作ってくれて、
独眼流で、
パソコンに向かって、
詩を書いてる。

一週間後、
2015年9月18日、
東邦大学医療センター大橋病院の
神経内科の
麻理の難病を見極めてくれた
中空医師を頼って、
診てもらいに行った。
中空医師は
若くて飾らない人だった。
わたしの話を聞いて、
採血と
脳のCTの検査をして、
脳梗塞の疑いで、
更に詳しい検査をするために、
即入院となって、
車椅子のまま
病室に運ばれた。

入院とは思ってもみなかったから、
何の準備もしてないので、
一時的退院の許可を貰って、
家に取って帰して、
麻理と手早く、
ボストンバッグに、
洗面道具やら
下着やら
何やら
いろいろ詰めて
タクシーで再入院となったんですね。

ベッドに横になると、
血液をサラサラにするための
点滴が始まり、
夕食になった。
いやー、
その夕食が、
「擬製豆腐の煮付け
春雨の中華和えに
海苔の佃煮」って献立で、
美味しかったね。
カードを差し込んで、
有料テレビを見ていると、
九時には消灯、
病室の
カーテンで囲まれたベッドは
真っ暗、
うとうとっと、
ひと眠りしたかと思ったら、

奴らが跳び出て来て、
パジャマダンス、
ウッソ!
奴らが跳び出て来て、
パジャマダンス、
ウッソ!

てな事で闇の中で、
言葉を追っかけてったわけ。
そんな日が続いてると、
旧友で親友の戸田桂太が
思いがけず見舞いに来て、
何か欲しいものがないか、
と言うので、
懐中電灯が欲しいと言ったら、
病院の外まで行って探して
買って来てくれた。
嬉しかったね。
それで、
真っ暗夜中、
枕元の小さな目覚まし時計の
針を見れるようになったんだ。
病室の夜中の時間、
時計の針が生きてくる。

入院は5連休を挟んで、
九日間。
連日の12時間の点滴と、
血液をサラサラにする薬と
日替りメニューの美味しい食事。
何と、
2キロも痩せたぜ。
女の子にはダイエット入院がお勧め!
夜中、何度も車椅子で
トイレに運んでくれた
看護師さんたち、ありがとう。
その間に、
MRIなど詳しい検査で、
脳梗塞の疑いは晴れたが、
複視は治らなかったけんど、
複視の原因は不明で、
更に通院で、
詳しくMRIを撮って、
原因追求を続けるって、
美人の担当医師の佐々木先生のお言葉。
連日の朝方、
四時頃に目が覚めて
六時点灯までの、
白けて行く窓ガラスを眺めて、
ごちゃごちゃの物思いちゃっ。

病室ぞ
秋の明け方
詩を思う
わたしゃ、八十
複視になっちゃって

はは、短歌になってるじゃん。
朝日歌壇に投稿してみっか。
ワクワクするね。
九日間の入院生活を終えて、
9月26日に退院となりました。
家に戻って、
またまた、続く
独眼流ウインク生活。

 

 

 

ちゃったちゃったちゃったで八月十五日に詩を書いちゃった

 

鈴木志郎康

 

 

日本語で
詩を
書いちゃった。
ちゃった ちゃった ちゃった。

日本語っていうことを
自覚しなかったなあ、
ずっと ずっと
詩を書けば、
母語の
日本語ってことで
自覚してこなかったんですね。

この2週間
麻理は
スイカが大好きって、
セブンイレブンで
丸ごと一個
ごろごろ買ってきちゃってね。
毎日、スイカを
食べちゃった。
ちゃった ちゃった ちゃった。

ここんところ
朝日新聞じゃ、
連日の戦後70年の
特集記事を
読んじゃった。
じゃった じゃった じゃった。

現代詩手帖も、
八月号は
特集「戦後70年、痛みのアーカイヴ いまを生きるために」
と来ましたね。
詩もエッセイも
全部読みましたよ。
その中の「一九四五年詩集」の、
高村光太郎の詩の
「一億の號泣」は
強烈だったですね。
「綸言一たび出でて一億號泣す
昭和二十年八月十五日正午」で始まって、
「玉音の低きとどろきに五体うたる
五体わななきとどめあへず」と受け止めてちゃってる。
すごい。
「五体わななき」ですよ。
そして
「鋼鉄の武器を失へる時
精神の武器おのづから強からんとす
真と美の至らざるなき我等が未来の文化こそ
必ずこの號泣を母胎として其の形相を孕まん」で終わっちゃってる。
ちゃってるね。
二日後の8月17日の朝日新聞に掲載されたんですね。
鋼鉄の武器から
精神の武器への
素早い転換には、
びっくりです。
びっくり くり くり。

「綸言一たび出でて一億號泣す
昭和二十年八月十五日正午」
それから一年後に
「日本国憲法が誕生し、
大元帥だった昭和天皇は
軍服から一転、
背広姿の
象徴天皇に変わった」(注)
変わっちゃったんですよ。
天皇は現人神じゃなくなちゃった。
ちゃった ちゃった。
国民の象徴になちゃって、
国民は神国日本の臣民じゃなくなちゃった。
ちゃった ちゃった。
その背広姿の天皇の言葉に、
「五体わななきとどめあへず」
なんてことはわたしにはないっすね。
いやいや、あなたの、
そばに来られて話しかけられたら、
どうしますか。
わかんないっすよ。
勲章をくれるって言ったらどうしますか。
わたしゃ
断るね。
やっぱり、
そういう国家的序列っていうのが、
嫌なんですね。
嫌なんですね。

だって、
日本国憲法じゃ、
すべて国民は、個人として尊重され、
「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、
公共の福祉に反しない限り、
立法その他の国政の上で、最大の尊重」されるってことで、
自由と平等が保証されてんですよ。
俺って、
戦後育ち、
子どもの時から、
自由、自由って、
親にも、先生にも
反抗して、
民主主義が実現された世の中で、
80歳になっちゃったわたしゃ、
80年も生きてきちゃったんですね。
なんとかお金を稼いで、
詩を書いて、
映画を作って、
生きてきちゃっんですよ。
ちゃったんですよ。
ちゃったんですよ。
ちゃった ちゃった ちゃった。

昨日も、
麻理と
スイカを
食べちゃった。
ちゃった。
種が多かったけど、
甘かったね。
そしたら麻理は
近くの
セブンイレブンに、
電池を買いに行ったついでに、
スイカを丸ごと
また買ってきちゃった。
また買ってきちゃった。
1個880円は安いからって、
また一個買ってきちゃった。
もう、8個目ですよ。

そんな夏の日に、
ちゃったちゃったで、
わたしは
日本語で、
詩を
書いちゃった。
書いちゃった。

自覚しないで
日本語で
詩を書いちゃった。
ヤバいっすよ。

七十年経った今年、
二〇一五年の
八月十五日の
1日前に、
内閣総理大臣安倍晋三が、
「戦後70年首相談話」ってのを
発表しちゃった。
ちゃった ちゃった。
テレビの前で、
スイカを食べながら
聞いてたんだけど、
先ずは、
中学生向け歴史教科書みたいだなあ、
と思っていたら、
出てきましたよ。
積極的平和主義とかなんとか、
旗を高く掲げようって、
積極的ってなんじゃい。
じゃい じゃい。
よその国に
自衛隊を送り込もうってことか。
よその国に
自衛隊を送り込もうってことか。
武器を持った人間を
送り込むのはやめてくれ。
そのよその国に
70年以前には、
日本人は武器を持って入って行って、
そのよその国の、
朝鮮半島の
人々の母語を奪った日本語だったんですね。
女の人たちを陵辱したって言われてる。
中国大陸の
人々を苦しめた日本語だったんですね。
東南アジアの国々にも、
ずかずかと入っていった。
日本人は、
と言ってもお父さんやお兄ちゃんなんだけども、
日本語の至上の命令に、
自分を押し殺して、
もう、訳が分からなくなっちゃったんでしょうね。
日本語はおそろしいものなっちゃってた。
なちゃってた。
今では、
その日本語を、
よその国の若い人たちが
学んでいるっていう。

日本語は学ぶのが難しいっていう。
麻理は病気になる前には、
そのよその国の若い人たちに、
日本語を教えていたんですよ。
わたしが詩を書いっている日本語を、
麻理は教えていたんですね。
それなのに、
わたしゃ
自分の書く詩と、
そのよその国の若者たちが
重ならかったんですね。
彼らが
わたしの詩を
読むかもしれない。
そう思うと、
わっー、
なんか、かあーっと、
来ちゃうね。
想像力がない
バカ詩人って、
麻理によく言われるけど、
あはは、
ほんと、
バカ詩人だったですね。
バカ詩人
バカ詩人
日本語は難しい、
現代詩は難しい。

八月十五日を過ぎて、
もう一週間経って、
五体不調ですが、
あんまり力を入れないで、
優しい気持ちで
わたしなりに
力を込めて、
日本語で
詩を書いちゃった。
ちゃった ちゃった ちゃった。

この夏、
丸ごと
八個目の
スイカ。
台所で、
包丁の刃を入れると、
パリッと二つに割れた。
半分をラップして
冷蔵庫に入れる。
残りの半分を
二つに切って、
その四分の一をラップして
冷蔵庫に入れる。
その残りの四分の一を
また二つに切って、
その八分の一をラップして
冷蔵庫に入れる。
そして残った、
丸ごとの
八分の一を四つに切って、
麻理と
食べちゃった、
食べちゃった。
ちゃった ちゃった ちゃった。

 

 

(注)朝日新聞2015年8月21日夕刊
「この人をたどって 戦後70年10」

 

 

 

ママニが病気になってあたふたと振り回される

 

鈴木志郎康

 

 

ママニ
ママニは猫の名前、
わたしの家の飼い猫。

ママニの
右の頬が腫れてるよ、
と麻理が気がついて、
電話で呼ばれた息子の野々歩が
ママニを籠に入れて、
自転車で、
近所の猫のお医者さんに連れいったら、
歯茎が膿んでるって、
治療して帰って来たその翌朝、
ドバッと血を吐いた。

猫のお医者さんの紹介で、
野々歩がママニの籠を抱えて、
麻理と一緒に
タクシーに乗って、
ちょっと遠いが、
設備の整った
太子堂のアマノ動物病院に入院となった。
点滴と輸血でどうにか元気になって、
戻って来た、
その翌日、
野々歩が餌をやろうとしたら、
またまた
ドバッと血を吐いた。

そしてまた
アマノ動物病院に
再入院。
どこが悪いのか。
吐血で体力を無くした
十六歳の老齢のママニには、
麻酔をかけられないので、
内視鏡で胃の中を見ることができない。
うーむ、どうなっちゃうの。

それでも、
輸血と点滴で、
なんとか
持ち直して、
ワンワン、ウーウーと
周りがうるさい病室より
家の方が落ち着くだろうと、
退院した。
だが、
水の器の前では
考え込んでいて飲まない。
餌の器には見向きもしない。
飲まず食わずじゃ、
死んじゃうんじゃないか。

ママニ、
十六歳といえば、
人間の年齢との変換式
24+(猫の年齢-2)×4=人の年齢
によれば、
八十歳だ。
ママニは老齢だ。
老齢で、
血を吐いて
飲まず食わずじゃ
死んじゃうんじゃないか。

麻理が、
ママニが入った籠を抱えて、
通院する。
朝、麻理が連れて行って、
夕方、野々歩が連れて帰る。
昼間、家の中には、
ママニがいない。
そうすると、
寂しいんですね。
小ちゃな生き物だけど、
けっこう、大きい存在。
いやあ、死なれちゃ、
叶わない。

ママニは
もともと野良猫の子。
野良猫の母子の
母親似だったので
ママ似、
ママニと名付けてたのが
1999年の秋、
十六年前のことだった。
今では二人の娘の父親になってる息子の
野々歩がまだ大学一年生だった。
狭い庭に餌を求めてやってくる子連れの母猫、
その子猫たち、
餌をやって、
慣れて、
庭に置いた箱で寝るようになって、
もっと慣れて、
子猫たちは家の中に入ってくるようになった。
秋の、
長くなった陽が射す、
日当たりの良い柱の所の座布団の上で
昼寝する子猫たち。

実は、その前に、
その年の、
春の夜のこと、
この子猫たちの
姉妹の猫が、
生まれたばかりで、
野々歩の部屋の窓の下に落ちていて、
ミュウミュウ
と鳴いていた。
母猫が咥えて移動するときに落としたのだ。
野々歩が拾って、
母親の麻理が掌の上でスポイトを使って、
かわいい、かわいい、かわいいねえと、
牛乳を飲ませて育てた。
成長して、
ノンノと名付けて、
野々歩の高校の先生に引き取ってもらった。
ママニはその姉妹なのだ。
慣れて家の中まで入ってくる野良の
メス猫のママニを捕まえて、
その年の十二月に
避妊手術を受けさせて、
そのまま、
家で飼うことにしたのだった。
あれから、もう十六年が過ぎ去った。

魚を焼いていると、
嗅ぎつけて
素早く寄って来て、
ニャーニャー、
欲しいよおと訴える
ママニ。
帰宅してドアを開けると、
ドアの向こうに座って待っていた
ママニ。
一日一回は庭に出る戸口に来て、
外に出たがる
ママニ。

もともと野良だったからなあ、
と戸を開ければ、
さっと外に出る。
しばらくすると
戸口に戻ってくるが、
なかなか家に入らない
ママニ。
もともと野良だったからなあ、
家猫になって
十六年。
でも野良の記憶は消えないのか。

ママニも
わたしも
今年で、
八十歳だ。
同じく病気の身の上だけど、
病気のママニよりは
わたしの方がまだちょっと元気だ。

水の器の前に来て、
考え込んでいて飲まない。
餌の器には見向きもしない。
飲まず食わずじゃ、
死んでしまう。
病院で教えてもらった
強制給餌だ。
麻理がママニを太股の上に抱いて、
わたしが前足と後ろ足を両手で抑えて、
麻理が注射器で、
こじ開けた口の中に
ペースト状の餌を注入する
ママニは
暴れて、
口を
ガクガクさせて、
餌を飲み込む。
これを繰り返して
10ccを
食べさせるのがやっと。
やっと、やっと、やっと。
死なせたくないけど、
強制給餌は
辛い。

夜中、
トイレに行く時、
ママニはどうしているかと
覗くと、
水の入った器を抱えて
ぐったりとしている。
死んじゃうんじゃないか。
お別れが近いのか。
まだまだ生きていてくれ。
翌朝、
麻理がタクシーで病院に
連れて行って
点滴だ。
そして先生の手慣れた強制給餌。
夕方戻って来ると、
いくらか元気になってる。
よかったなあ、
ママニ、
足を舐めて、
顔を拭って
グルーミングしてる
ママニ。
まだまだ、
大丈夫だ。

それから
点滴と強制給餌のために、
予約したタクシーで、
連日、
アマノ動物病院に
通院する。
すい炎ではないか、
とお医者さん。
消化液が分泌されないから、
食欲が起きない。
なるべく、
好きなものなら何でも
食べさせてください。
と言われて、
麻理は、
ママニが病気になる前から、
ミャオミャオ
と喜んで食べた、
おかか、
そのおかか入りのペースト状の餌を、
手のひらにのせて、
口元に近づけたら、
食べたんですよ。
そう、食べた。
カニカマボコも、
麻理が噛んで、
手のひらにのせると
どんどん食べる。
子持ちししゃも、
少し食べた。
水も
麻理の手のひらからなら
ちょっと舐める。
牛乳も
手のひらから
30ccも
飲んだ。
おしっこもした。
そして、遂に、
十五日振り、
いや、十六日振りで、
ウンコをしたんだ。
これでなんとか、
ママニは
元気になれるか。

猫のお医者さんに通って、
五日目から、
急に良くなって、
よく食べて、
ようやく、元気になってきた。
麻理の記録によれば、
家で、
一日に、
おかか5g
しらす10g
カニかまぼこ32g
子持ちししゃも1匹
ビーフペースト20gを
食べて、
そして
71ccのミルクを
飲んだ。
食べた後、
飲んだ後、
首をしっかりと立てて、
グルーミングしてる。

ママニは
わたしたちの家の飼い猫。
十六歳の老齢。
元気になってきた。
麻理は六十五歳で難病患者だが、
元気。
わたしも八十歳で前立腺癌の患者だが、
まあまあ、元気。
互いに、
まだまだ、まだまだ。

 

 

 

生身の詩人のわたしはびしょ濡れになり勝ちの生身をいつも乾かしたい気分

 

鈴木志郎康

 

 

わたしは詩人だ。
ほら、今、この詩を書いているでしょう。
仕事場でiMacに向かって、
キーボードを指先で
突っついて、
詩を書いている、
このおれは詩人だ。
現に、詩を書いている。
僕は詩人ですよ。
今まさに詩を書いています。
わしゃあ、詩人じゃ。
文字を原稿用紙に書かなくなったじゃが、
詩を書いておるぞ、
わしじゃて、いくらか認知症がかっているけど、
まだまだ、パソコンは使えるって。

詩を書けば詩人かよ。
ってやんでい。
広辞苑には
「①詩を作る人。詩に巧みな人。詩客。「吟遊詩人」②詩を解する人。
と出ている。」
ほらみろ、詩を作れば誰でも詩人になれるってことだ。
いや、いや、
ところがだね、
新明解国語辞典には、だね、
「詩作の上で余人には見られぬ優れた感覚と才能を持っている人。」
とあるぜ。
そしておまけに括弧付きで、
《広義では、既成のものの見方にとらわれずに直截チョクセツ的に、また鋭角的に物事を把握出来る魂の持主をも指す。例「この小説の作者は本質的に詩人であった」》
だってさ、魂だよ、魂。
危ない、
やんなちゃうね。
「余人には見られぬ優れた感覚と才能」
なんて、おれ、自信ないよ。
でも、
詩は誰でも書けるのさ。
子供だって詩を書けば詩人。
おばあちゃんだって詩を書けば詩人。
サラリーマン詩人。
先生詩人。
教授詩人。
主婦詩人。
至るところに詩人はいる。
定年退職して、
毎日、詩のことばかり考えてる
俺は、
正に詩人なんだ。
「余人には見られぬ優れた感覚と才能」なんてことは
どうでもよく、
詩を書いて生きてる、
生身の詩人なんだ。
生身の詩人を知らない奴が、
詩人は書物の中にしかいないと信じてる奴が、
新明解国語辞典の項目を書いたんだろうぜ。

ほら、今朝、
不器用なあなたが全部濡らして拭いたら、
びしょびしょになちゃうでしょ。
と麻理に言われちまった。
びしょびしょ、びしょびしょ、
さらに、びしょびしょ
言われた通りに、
全部は濡らさなかったから、
まあ、びしょびしょにならないで済んだんだけど。
なるほどねえ、
麻理はよく見てるね。
わたしゃ、
不器用なバカ詩人ね。
麻理の言うことを取り違えて、
ホント不器用なバカ詩人なのさ。
不器用なバカ詩人、
そう言って、
麻理と二人して、
アハハ、アハハ、アハハ。
アハハ、アハハ、アハハ。

詩人は生身で生きているんだ。
だから、この世の生身の拠り所がほしくなるんだ。
一人で詩を書いていると寂しすぎるし、
心細くなってくるんですよね。
この現実じゃ
詩では稼げないでしょう。
作った詩を職人さんのように売れるってことがない。
他人さまと、つまり、世間と繋がれない。
ってことで、
生身の詩人は生身の詩人たちで寄り集まるってことになるんですね。
お互いの詩を読んで、質問したり、
がやがやと世間話をする。
批評なんかしない、感想はいいけど、
批評しちゃだめよ。
詩を書いてる気持ちを支え合う。
そこで、互いの友愛が生まれる。
詩を書いて友愛に生きる、
素晴らしいじゃない。

ところがだね。
詩はやっぱり作られたものだから、
その出来栄えというか、
それ自体の価値なんてことが、
気になるんですね。
詩を書いたからには、
読んでもらいたい。
褒められたいんですよ。
または、他人の詩を貶して、
自分を持ち上げたいってのが人情なんですね。
いやいや、詩には歴史があるってことにもなってですね。
その詩史の何処に自分の詩は位置付けられるかなんてこともですね。
考えたりしちゃうんですね。
そこで、ようやく、
詩は商売になります。
競う心と詩作とが結びついて、
その優劣が語られる場で、
その場に入れるかどうかってことで、
その場となる雑誌が必要とされて、
その雑誌がそれなりに商売になるというわけですね。
そうすると、
詩の価値を決める権威が生まれる。
過去の詩人の名を冠にした賞が、
あちこちに作られて、
選ばれた詩集に与えられるってことになってるんですねえ。
寂しい生身の詩人に希望の光が射してくるてってわけ。
評論家おじさんや
評論家おばさんに
認めてもらいたい。
褒めてもらいたい。
なんとかして賞をもらいたい。
わたしは今までに四つも賞を頂戴してるけど、
まだまだ欲しい。
と言っても、
わたしゃ政府の賞は御免だぜ。
まあ、とにかく、日本中いろんな賞はあるから、
秋になるとこぞって詩集を出して、
底に、いや違った、そこで取り上げてもらって、
その光栄な場に登場したいって気持ちで、
自分の詩人としての名前がもっと知られたいよおって、
生身は露と消えても、
名前はさざれ石の巌となるまで残したいよおって、
わたしなんか直ぐにびしょびしょになっちゃうんです。
わたしら生身の詩人は、
苔が生えるまで、もう、
びしょびしょですよ。
びしょびしょ、びしょびしょ、
ずぶ濡れ、
生身は寂しいですから、
しょーがないっす。
ずぶ濡れ、
しょーがないっす。

しょーがないっすじゃないですよ。
そんなことに拘って、
ずぶ濡れのままでいたら、
詩を書く楽しみ、
詩が書けた喜び、
ってことが無くなちゃうよ。
生身の詩人であるわたしは、
詩を書く楽しみ、
詩が出来たあっていう喜びを、
ただ、それだけのことを、
同じ生身の詩人たちと共にしたいですね。
喜びのシェア、
シェア、シェア。

ところで、
詩人は、
国家権力とどう関係してくるのかね。
いやああ、脅かさないでよ。
今こそ、それが問われているんじゃないの。
そうねえ、
一個の生身じゃ立ち向かえねえけど、
権力の筋には乗りたくはないね。
そこで生身を乾かしたくはないね。
びしょ濡れ同志の確認ってところかな。

最近じゃ、
六月十四日の午後、
わたしの家のもともとのガレージに、
木の床を張って改造して、
みんなが集まって語れる、
麻理が運営する地域の人たちが交流する場にした
「うえはらんど3丁目15番地」に、
さとう三千魚さんの
Web詩誌「浜風文庫」の2周年と
わたしの詩集
「どんどん詩を書いちゃえで詩を書いた」
の出版を祝って、
「浜風文庫」の投稿者さんたち九名と
詩集の版元の書肆山田の鈴木一民さんが集まってくれてですね。
生身の詩人が九名ですよ。
駿河さん 萩原さん 長尾さん さとうさん 今井さん 長田さん 薦田さん 辻さん、
それにわたし。
わいわいがやがやと三時間も、
楽しい時間を過ごしたんですね。
会話が進んで、
秋田の西馬音内出身のさとう三千魚さんが、何だったか忘れちゃたけど、
「わたしのような田舎者に取って東京は、、、」
と言った瞬間、
秋田県の隣りの山形県出身の、
一民さんが、
「田舎者って、そんな卑下する必要はないよ。
土方巽のように田舎者は世界に通用する可能性があるんだ。
東京モンって言ったって多くは田舎から出てきた連中なのさ。」
と、
さとうさんの田舎者発言に反発したんですね。
東京に出てきて詩を書くってことと、
郷里の家族の存在ってことの、
絡みがね、
ぽっこりと、
わいわいがやがやの中に出てきたんだ。
いいねえ。
それから、
一民さんは、
Web詩誌の横書きと詩集の縦書きを、
詩人諸君はどう考えるかって言うんですよね。
縦書きと横書きの書記の問題だあ。
いやいや、詩の風貌ってことですよ。
まあ、わたしは、
Web詩誌は紙媒体と違って無限に長い詩がかけていいよなあ、
そこに詩人の生身が出てくるって気がする、
と言って、続けて、
詩人ファンの「現代詩ガール」が生まれるかもね、
なんて言っちゃったんですよね。
バカみたい、いやバカですよ。
わいわいがやがやですね。
生身が生の言葉で話し言い合うって、
気分が盛り上がりましたね。
これですよ。
生の言葉で盛り上がって、
熱が入って、
びしょ濡れの生身を乾かすってことですね。

皆さんが、
外出できないわたしとさよならして、
新宿辺りの二次会に行ってしまうと、
残されたわたしは、
どっと寂しさに襲われたんですね。
居間に戻って、
庭を眺める。
山吹の小さなはが風に揺れているのに、
咲き続けているアジサイの花は動かない。
ふと、
息子たちの名前は、
彼らが老人になった時の
印象はどうだろうと思った。
草多(86)
野々歩(80)
と書いてみて、
白髪の二人の姿を思い浮かべる。
可笑しくなって、
うふふ。
その時、
今から
四十五年後の
二〇六〇年には、
生身の
わたしも
麻理も
もうこの世には、
いないよ。
まあ、その時まで
わしが生きてたら、
百二十五歳じゃよ。
迷惑な話じゃって。