1本より2本

 

辻 和人

 

 

あの後、ミヤコさんとは
下北沢の魚のおいしい店で会いまして
3時間近くも楽しくお喋りできちゃいました
うん、この人とは気が合うな
合う、合う、
合うよ、こりゃ、
ってんで
5月の連休の最終日に江ノ島でデートすることになりました

快晴
あ、来た来た、ミヤコさん
手を振った途端
ミヤコさんが着ていたクリーム色のチュニックが
ひゅらひゅら、ひゅらーっ
風が強いか
そのくらいの波乱はあって良し
じゃ、行きましょうか

長い長い弁天橋
並んで歩くとまだ緊張するけど
遮るもののない橋の上で海の塩っ辛い風に思い切りなぶられて
(やだあっ)と髪を押さえつつ
(しょうがないなあ)という表情を浮かべるミヤコさんの様子に
ちょっと心がほぐれてきた
そうだ、話題話題
「江ノ島なんて久しぶりなんです。」
「私もですよ。」
ミヤコさん、ぼくと同じ神奈川県の出身なのに
中学以来、ほとんど来てないそうだ
うーん、近場の観光地なんて特別な日でもなけりゃ
滅多に足を運ばないもんな
で、今日、その特別な日をもっと特別にしなきゃ

お昼の混雑の中、奇跡的に座れた店で
生しらす丼頼みました
「やっぱり新鮮なのはおいしいですね。」
「本当ですね。」
「獲れた所ですぐ食べられるっていうのが最高ですね。」
「本当にそうですね。」
「わかめのお味噌汁もいい味じゃないですか。」
「ええ、潮の香りがするみたいで、本当ですね。」
どうすると、また
「本当に」と「ですね」の隙間で
するするするーっと
不安が駆け抜ける
そうなんだよなあ
だいぶ親しくなってきたけど
まだ探り合ってるんだよなあ

江ノ島はこの辺では有数の聖地なんだけど
ここの神様は人間のすることに結構寛容でね
神社への坂の両側にはいろんなお店がニョキニョキ生えている
食べ物屋さんとか民芸品屋さんとか
「あれ、かわいいですね?」
彼女が指さしたのは
貝殻を使ったアクセサリー
貝は生き物だから、ポッコポコ、姿が不規則
一つとして同じものなんかない
ミヤコさんはこういうちょっと雑音が入ったデザインが好きなんだなあ
子供の頃フィリピンで過ごしたことがあるせいか
東南アジア風の目が回るような模様の服が好きって言ってた
(今日は違うけどね)
君たちのポッコポコした形態が彼女の心を捉えたおかげで
探り合いが溶けて
気持ちが回るようになってきた
ありがとうっ
「あはっ、ほんっと、かわいいです。」

神社に着いた
海が青いな
こんな当たり前に青い海を誰かと見るの
何年ぶりだろう
「わぁ、きれいな海ですね。今年初めて見る海がこんなにきれいで良かったです」
「きれいですね。喜んでもらえてぼくも嬉しいです。」
ごった返す参拝客に混じって
商売っ気たっぷりの神様の前で
ぼくたちもぱん、ぱん、手を合わせる
そこまでは良かったけど
やれやれ
ぼくたちカップル未満なんだよな、という意識が頭をもたげてきて
海を見て晴れていた気分が
チキショー
またまたちょっぴり薄暗くなったりして
うーん、ぼくも修行が足りないなあ

前回の下北沢の居酒屋では
「もうかれこれ20年以上詩を書いてます。
お金には全くならないし、好きでやってるだけなんですが、
片手間でやってるというのとは違うんですね。
ぼくの書いている詩は特殊な性格を持っていて、
詩人の世界でも余り受け入れられているわけじゃないんですが、
好きなことをただ好きにやってる、っていうのが自分の中では誇りなんです。」
なんて打ち明けたら
「そういうの、いいと思いますよ。
私も好きなことは絶対続けたいし、そのことで何を言われても大丈夫ですよ。」
なんて返事がきたんだよね
ああ、この人強くていいなあ
わかってくれそうだしわかってあげられそうだよ
好きってことか?
酔った頭でガンガン希望を膨らませたんだけど

おいおい
後退しちゃいかんだろ?

神社でお参りした後は頂上にある植物園へ
「江ノ島の頂上ってこんな風になっていたんですね。
ああ、この辺はツツジが満開。」
ぼくは昔来たことがある
「植物園なのに珍しい植物が少なくて、
微妙に垢ぬけないところがいい味出してるでしょ(笑)。」
「のんびり落ち着けていいじゃないですか。」
ちょっと昭和な感じを残しているのが
ぼくたちのような40越え男女には似つかわしい
けどさ、40越えっつっても
「花」が欲しいことがあるんだよ
少しは勇気を出してみろ
「ミヤコさん、ここでミヤコさんの写真撮ってもいいですか?」
あっさり
「いいですよ。」
花のアーチの下に立ってもらって
はい、パチリ
目尻の微かな皺が美しい笑顔
やったぁ
これでミヤコさんをいつでも取り出すことができるぞ

下に降りて喫茶店で休むことに
体は休んでいるけど頭は休んじゃいない
「もういいだろ。」「決断だ。」「勝負だろ。」……等々の声が
うるさく内側から響いてくるんだな
目の前のミヤコさんの話も最早聞こえない
「ちょっと海岸まで歩きませんか?」

小雨の降る中、傘をさして海岸へ
人気のない波打ち際まで行った
ぼくの人生の中では余り前例がないけど
そうさ、ここは、いきなり、で良し
「ミヤコさん、ぼくはあなたのことがすっかり好きになりました。
結婚を前提としておつきあいしていただけますか?」
おお、とうとう言っちゃったか!

少し考えてミヤコさん
「ありがとうございます。でもちょっと待って下さい。
まだ辻さんのことよくわかっていないと思いますし。」
ふーん、やっぱりな
ここは踏ん張りどころだ
「今すぐお返事いただけなくてもいいんですよ。
ぼくはこういう気持ちでいるってことを知ってて欲しいんです。」
雨が急に強くなってきた
「もう帰りましょうか。それとももうちょっと話しましょうか。」
「いいですよ。歩きながら話しましょう。」

それから海岸の近くを歩いた歩いた
ぐるぐるぐるぐる、雨、ざーざーざーざー

「辻さんは貯金する習慣ありますか?」
「私、将来的には自分の家が欲しいんですが、家を買うことについてはどう思われますか?」
「仕事をやめるつもりはないのですが、家事をやる気はありますか?」
問いかける目は真剣そのもの…

年収は少ない方だけど贅沢しないので貯金はそこそこあります
持ち家には拘らないが、いい物件があれば購入はOK
家事はねえ
今まで最低限のことしかやってこなくてね
たいした料理も作れないし掃除や洗濯も得意じゃないけど
やる気はありまくるよ
だってさ
一緒に生活するのに不可侵の領域があるなんてつまんないじゃない?
その代わり、ぼくは一家の大黒柱なんかにはなりません
「主人」なんかにはなりません
ミヤコさんが「主婦」になることも望みません
柱は1本より2本がいいに決まってるでしょ?

雨が弱まってきて、もう少し話したいって
藤沢の居酒屋に入った
結果
「わかりました。おつきあいのお申し出、お受けします。」

その夜のメール
「本日はありがとうございました。楽しかったです。
また、申し出をお受けして下さり、嬉しかったです。勇気を出した甲斐がありました。
天にも昇る気持ちです。
ミヤコさんは現実的にしてロマンティストの、
とても思慮深い女性だと改めて思いました。
結婚情報サービスの方には活動休止を申請しました。
またお会いしましょう。」
「こちらこそ今日はありがとうござました。
また、お申し出ありがとうございました。嬉しかったです。
すぐにお返事できなくて申し訳ありませんでした。
でもいろいろ将来設計的なこともお聞きしたかったんです。
辻さんみたいな方はいそうでいない方だと思います。
私という人間をよく理解してくださっているし、
女性に対し深い思いやりをお持ちだと思います。
これからお互いパートナーとして確信が持てれば何よりですね。
私も活動休止を申請しました。
どうぞよろしくお願いいたします。」

決断しちゃったよ
決断してくれちゃったよ
どっと疲れが出ちゃったよ
生身の人間の計り知れなさを思い知ったよ
このまま
2本の柱として立てるかどうか
いっちょ頑張ってみようじゃないの
天にも昇る気持ちを抱いて
おやすみなさい

 

 

 

くにゃっと微笑む階段とカタツムリ

 

辻 和人

 

 

4月14日の土曜日
正午ちょっと前

初デート
阿佐ヶ谷の駅の改札を出たところで待つ
おや、あの人、ミヤコさんかな?
生身のミヤコさんだ
ムーミンママが細くしたみたいな柔らかい感じ
でも、タッタッタッ、力強く刻む足取りのリズムは
勤め人そのもの
曖昧に微笑むと
ミヤコさんの生身はピタッ、と止まった
「辻さん、ですか? 初めまして」

ぼくが予約したのは映画館に併設されたレストラン
空に浮かぶあのお城をイメージさせた
円筒形のユニークな形の建物だ
新鮮さの演出は初デートには欠かせない
さて、ここの名物って何だと思います?
実はうねうねした階段なんです
店のドアに辿り着くには建物をぐるぐる取り囲む階段を昇らなきゃいけない
店内に入って上の階のテーブルに行くのにも
くねった階段が待っていて
急角度できゅっ、と
笑っている
ミヤコさんも「面白い造りの店ですね」だって
やったね!
雨で滑りやすくて
「注意してください」とは言ったけど
残念、残念
手を取る程にはまだ親しくない
もどかしいなあ
婚活デートは普通のデートとはこういうトコちょっと違うんだ

席を案内され、いよいよ食事
さっきから着慣れないジャケットで肩が窮屈なぼくだけど
生のミヤコさんを改めて見ると
シックなグレーの丸首のカットソーに
いろんな種類の布をつなぎ合わせたスカート
上と下とで
アンバランスなバランス
チャッチャチャッ
固くて、そして柔らかいバランスだ
注文はイチゴと生ハム入りのサラダ、スズキのポアレにデザート&コーヒー
ここの料理はおいしいから安心
最近大学の社会人向け教養講座を受講していると聞いていたから
時事問題を切り口に話を始めたら
あーらら
止まらなくなっちゃって
日本は中国と厳しい関係にあるけれど敵視しないでつきあっていかなきゃいけない
なんてことまで喋っちゃった
しまった、喋りすぎか
いや、ちゃんとつきあってくれるぞ
「言うべきことは言わなきゃいけないと思いますけど敵対はダメですよね。」

この人、強いな
押すと、押し返してきて、引くと、押してくる
食事が終わったけれどまだ終わらせたくないなあ
よし、予定してなかったけど、誘っちゃえ
「ぼく、この後、松濤美術館へ北欧の陶磁器の展覧会に行くんですが
よければ一緒に行きませんか?」
え、OKですか? いいんですか? それじゃ
うねうねした階段を降りて
渋谷を目指した

雨に隔てられて
館内はとても静か
というよりほぼ貸し切り状態
デンマークのアールヌーヴォー様式の陶磁器を集めた珍しい企画で
あんまり宣伝してないのかなあ
でも今日みたいな日には都合がいい

にょきにょきっとキノコが生えた花瓶
トンボを狙うトカゲの皿
水を覗きこむ白クマのトレイ
クリスマスローズがゴテゴテ刻まれた香壺
海草がからみつく文皿
アンデルセン童話の「目が塔ほどの大きさの犬」を象った置き物

いやぁーこりゃ、日本人の感覚と全然違うな
ミヤコさんも目をまん丸くしてる
どれもリアルで立体的で、迫力がありすぎる!
陶器というより彫刻に近い感じ
絵も装飾としてでなく本気の「絵画」として描かれてる
洗練された感じはないけど
ムンムンとエネルギーが漲っている
しーんとした中で
花瓶やお皿や壺がガヤガヤ喋り出し
展覧会場がパーティー会場に変身だ

「楽しいですね。こんなデザイン日本にはなかなかないですよね。
あ、あれ面白くないですか?」
とミヤコさんが指さしたのは
蓮の葉を這うカタツムリの小皿
ころっとした殻にぬめぬめした体
ツノを震わせて一生懸命、エサになるものを探してるのだろう
真に迫ってる
突っついたら、こいつ、こっちを見上げて
くにゃっと微笑む
んじゃなかろうか?
「カタツムリとかトカゲとかヤドカリとか
日本の陶器では余りお目にかかれないのに
こちらでは堂々と主役張ってるんですねえ。」
ほんとだよ

主役になりにくいものが主役を演じて
バランスを取りにくいものがバランスを取って
うまくいく
ここはそんな場所
さっきのレストランの階段だって
傘の先っぽで
ちょんちょん
刺激してやれば
くにゃっと
笑って挨拶してくれたかもしれない
今はそんな時間

美術館を出たらまだ雨
「今日はありがとうございました。楽しかったです。」
「こちらこそありがとうございました。雨、止むといいですね。」
そんな挨拶を交わして別れたけれど
今日は止まなくてもいいんじゃないでしょうか
雨が作ってくれた
そんな場所、そんな時間を
もうしばらく持っていてもいい、そういう風に思って
電車に乗り込んだってことです

 

 

 

自己主張の強いインドの人たち

辻 和人

 

 

*この詩は、結婚情報サービスで婚活していた時の様子を書いたものです。
ネットに登録してメールのやり取りをして、気があったら会うというシステムです。
今回、感じの良い相手と知り合えたような……。

「プロフィールを拝見し、素敵な人柄を感じてご連絡させていただきました。
私も音楽や美術などアート系、とても好きです。
いろいろお話させていただけるとうれしいです。どうぞよろしくお願いいたします。」
なんてメッセージもらっちゃったよ

自己紹介欄に
「アートが好きなインドア派です」って書いたんだけど
「俺はアウトドア派」と胸を張る男子が多い中
裏をかく作戦が功を奏したってこと
あったま、いーだろ?
メッセージをくれたその人のプロフィールを早速覗いてみると
今まで真面目に働いてきました
ってな顔がそこにあった

長くも短くもない髪をまっすぐおろして
目はちょっと細くて、ちょっと八の字眉
濃い顔立ちじゃないから、パッと見、地味な印象だけど
おい、この細い目
キッとしてて強い光を隠してるじゃんか
水色の上着含めて、全体として、ひたすら清潔
タレントさんみたいなメイクしたり
頬杖ついて憂い顔でポーズ、という凝ったプロフィール写真もある中
このさっぱり感は貴重かも

名前は美弥子さん
年齢は40歳
旅行や料理が好き
仕事も好きなので結婚後も勤め続けたい
人と接する時は笑顔と思いやりを忘れないようしたい
……ふんふん、優等生的、だけど
「勤め続けたい」
いいね、いいね

今回の方針としましては
額が多くても少なくても
お金稼いで自立している人がいい、ということになっております
ぼくも、今はテキトーにしかやってない家事を
結婚したらしっかりやろうと思ってんだ
女と男とでね
仕事に垣根を作らないでね
一緒に頑張るのがいいよね

「休日は何をされてるんですか?」
「お料理をよくされるようですが、得意なものは何ですか?」
「お勤め先はどこですか?」

新しい相手とのメールのやり取りの楽しみはこれだよなあ
互いの「イロハ」を交換すること

「一年半程前からヨガにはまってます。」
「比較的上手に作れるのは和食一般、ハンバーグ等洋食など、いわゆる家庭料理です。」
「大学の事務局に勤めてます。先生方や他の大学の担当者とのやり取りが多いです。」
へぇ、それで、それで?

質問も平凡、答えも平凡
だけどメールの向こうにいる相手が
少しずつ
少しずつ
生身の姿を見せてくれてるのがスリリング
へぇー、生身のヨガ
ほぉーっ、生身の和食
ははぁ、生身の大学事務局
動いて、実在してるんだよなあ
その先に生身の美弥子さんがいるんだなあ

メールを出すとすぐ丁寧な言葉で返事が返ってくるので
ついつい
詩を書いていることなんか打ち明けちゃったよ
どんな詩書いてるんですかって聞かれたから
「不条理マンガみたいなテイストです」と答えたら
「ぜひ一度読ませていただきたいです(笑)」だってさ
(笑)って何だよ(笑)

詩を書いてます、なんて
会社の人にもあんまり言ってないのに
顔を合わせたこともないこの人にはなぜかすらすら教えてしまう
メールの影からチラッチラッ
だけど全身が見えない
その隠れた生身の部分を、ヨッコラショ
引っ張り出したくってさ

楽しいメールのやり取りの中、ちょっとしたトピックスが!
(長くなるけど引用します)

「今度、大学の先生のお供でインドに出張することになりました。
いろんな人に言われるのは、お腹をこわすということと、
タクシーでぼられるということです(笑)。
インド体験記も是非聞いて下さい。」
「こんばんは。今日はインドからです(笑)。
2大学の訪問を終え、明日明後日と2日がかりで帰国します。
やっぱりインドは日本とは別世界でした。いろいろ刺激を受けました。」
「こんばんは。無事帰国しました。
観光は最後の日に半日位乗り継ぎで時間が空いたのでそこで少しできました。
驚いたことはいろいろあるのですが、
まずは車が常にクラクションを鳴らしていて、本当にうるさいということです。
人も多いし、ダイナミックとも言えますね(笑)。」
「自己主張が強くて他人に対して余り遠慮しない、というのは、
私が驚いたことの多くをまとめてくださっています(笑)。
民族も言語も大変多様で日本のように同質性が高くないし、
無理に同調するというのは全然ないようですね。
日本とインド、どちらがいいということではないんだと思いますが。」
「はい、確かにインドは魅力的な国です。
行きたい国の一つだったので、仕事とはいえ行けてよかったです。
今度はプライベートで行きたいです。ただトイレは…(涙)。
大学は、街で感じたほどの違いはなかったです。多少のんびりしているかな、スタッフが多く余裕があるなという印象を受けました。」

(引用、終わり)

面白いお話だったです、そうそう、一度お会いしませんか?と
メールを送り
PCの電源を落とした……ん?

クラクションが聞こえてくる
ピェーピェー、ブップゥプェゥー
危険を知らせたいからじゃない
鳴らしたい気持ちを
一時でも我慢できないんだ
ピェーピェー
生身で息をしてるなら
ブップゥブップゥブップェゥー
主張しなきゃだな
浅黒い肌、濃い顔立ちのインド人の男は車を止め
窓からひょいと顔を出し
美弥子さんにニカッと笑いかける
色白で薄い顔の美弥子さんも
ニコッと笑い返して道路を渡る
無理に同調してるのではないよ
自己主張には自己主張で返す
それでいて互いの間に垣根を作らないで一緒に頑張る
ピェープゥー
そんなのがいいね
そうなるのかなあ

 

 

 

ぬっと、安心

辻 和人

 

 

明るいオフィスの宙空で揺れている
四角くて黒いものは何?

今、関連会社に出向しているんだけど
オフィスが100階建ての高層ビルの中にある
築30年の本社のオンボロビルとは大違い
ICカードで幾つものロックを解除しながら出勤し
監視カメラに睨まれながら仕事をする
最初はビビッた
だらけたトコ見せたら大変なことになる、なんて
けど、じきに慣れた
ま、考えてみたら当たり前だよね
雑談やら間食やらの従業員のちょっとしたサボリに
カメラの向こうの管理室がいちいち目くじら立ててたらキリないじゃん

箱が傾く
……こくっ、くぅら

ぼくも、一緒に出向にきている3人の同僚たちも
同時多発的にそのことを理解した
すると何が起こるか?

傾くジョ
……こくっ、こくっ、くぅら、くぅら

昼食を終えて一時間程たった頃
監視カメラさんはぬっと首を伸ばしているだけ
いつも通りの穏やかな表情だ
加えて
本社にはいた、うるさい上司がここにはいない
それじゃ失礼して

やったー、揺れ揺れッ子だ
……こくっ、こくっ、こくっ

まず吉田と佐藤が頭を揺らし始める
それに気づいた高橋がつられて大あくびしたかと思うと
「俺も混ぜてくれ」 目を閉じ
同調し始めた
ミーティングの時は意見が合わないのに
目をつむると結束が固くなるんだからなあ

……こくっ、こくっ、くぅら、くぅら
……こくっ、くぅら、こくっ、くぅら
……くぅら、くぅら、こくっ、くぅら

おでこの先に生まれた
暗闇の入った小さな四角い箱
吉田も佐藤も高橋も
規則正しく
互い違いに揺らす
時々、空中で箱同士がぶつかって
にゅっと凹んじゃったりして
でも、平気平気
ちょっと薄目開ける間に
箱はぽぽっと元に戻ってる

これも
ぬっと首を伸ばしたお地蔵さまの
不思議なお力のおかげ

ぼくたち出向社員は
睨まれていたんじゃなかった
見守られていたんだ

さて、ぼくも5分だけ仲間に加わりますか
目をつむって体の力を抜くと
閉じたまぶたの向こうにうす黒い直方体が
ぽぽっと出現したのがわかる
ありがたい、ありがたい
それでは

……こくっ、くぅら、こくっ、こくっ、くぅら、こくっ

 

 

 

かずとんとん

辻 和人

 

何だって?
「和人さん」はもうヤダッて?

結婚式から一週間程たった頃のこと
妻になったばかりの妻は
洗ったばかりの髪を撫でながら
寝室に入るや否や
「他人行儀で何かヤダなあ。いい呼び名ないかなあ
和人さん、和人くん、カズトカズト……
あっ、『かずとん』
『かずとん』いいかも…
決めたっ
これから『かずとん』って呼んでいい?
いいよね?」

それから
軽くフシをつけて
「かずとん、かずとん
かずとんとん」
と呟いた

一瞬で、ぼく
「かずとん」になってしまった

それまでのぼくたちは「和人さん」「美弥子さん」ってな感じ
会話の中で敬語使っちゃたり
彼女、夫婦であるからにはもっと親密に、もっと柔らかくあるべきって
考えたに違いない

「じゃあさ、君のことこれから『ミヤミヤ』って呼ぶよ」と言い返したけど
「かずとん」に比べるとインパクトなし
だいたいどっから来たんだ?
「とん」って?

「うーん、特に理由ないけど
かずとんにはすごく似合ってる感じがする
かわいいじゃない?
オジサンくさくないし
カタカナよりひらがながいいかな
かずとん、かずとん
かずとんとん」

かずとん、かずとん
怪獣の名前みたいだな
おとなしい小型の怪獣だ
森の中に住んでいて
クマさんやシカさんとも仲良くやっていたりするんだろう
うんうん、きっとそうだ

「じゃ、おやすみなさい」
「おやすみなさい」
電気を消し
しばらくして、妻の寝息を確かめた
よし
かずとんになって
寝床を抜け出す

とんとんとん

ドアを透過して階段を降りて

近くに深い森はないから
マンションの庭の木立ちの中
実体はないから
もっこもこ伸縮する輪郭みたいなものを
体の代わりに踊らせて

かずとん、かずとん、かずとんとん
かずとん、かずとん、かずとんとん

すると
寄ってきたのは、寄ってきたのは
クマさんとシカさん
やあやあ

特に理由はないけど
かわいくて
カタカナよりひらがなが似合うものに
ぼくは、なった

かずとん、かずとん、かずとんとん
かずとん、かずとん、かずとんとん

理由がなくて
体もないから
まだ3月だけど寒さは感じない
今夜はこのまま寝ちゃおう
朝だよーって
ミヤミヤが
起こしに来るまで

 

 

 

あるサボタージュのお話

辻 和人

 

一人暮らししていた頃、アパートで保護した野良猫のレドとファミ
実家で預かってもらって早4年、すっかり馴染んだと思っていたら……

レド
レドレド
レドレドレドレ
大変、大変

結婚式を無事終えてぐったりしていた2日後
実家の母より緊急の電話
「大変、大変
レドちゃん、昨日から散歩から戻らないの」
えぇーっ
「一度ベランダまで戻ってきたんだけど
お父さんが家に入れようとしてずんずん近づいたら
また逃げちゃってそれっきりなのよ」
あ、大変、そりゃ大変だ

それからぼくの頭は鳴りっぱなし
大変、大変
レド、どこ?
レドレドレドちゃん、どこにいる?
レド
レドレド
レドレドレドレ
仕事中も鳴りっぱなし
困ったな、週末に実家に帰って探しに行こ

ところが3日後の早朝また電話
「さっきレドちゃん戻ってきたの
ベランダで大きな声で鳴くから急いで戸を開けたら
家の中に走り込んで、ファミちゃん探してるのよ
ファミが、どうした、どうした?って顔して出てきたら
安心したみたいでエサ食べて
食べ終わったらお腹出して甘えるから
抱っこしていい子いい子してあげて
それで満足したみたいで冷蔵庫の上のいつもの場所にぴょーんと飛び乗って
いつものようにおねんねしちゃったよ
でもまあ、良かったねえ」

更に更にお昼頃
「さっき3つ隣の家の人が後で訪ねてきて
おたくの白い猫ちゃん、ウチの庭に3日間じっとしてたって言うのよ
じっとうずくまってるからどうしてるのかなって
かわいそうに思ってご飯あげてたって
ファミも時々会いに来てたらしいのね
なんか心配して損しちゃった感じよ」

えーえーっ
そんな近くにぃ
ファミも一緒!
大変、大変
って程じゃなかったのね
ぼくも心配して損しちゃったな
レド
レドレド
レドレドレ

「猫を外で飼わないでください」
なんてゆう回覧板が回ってくるご時世
だから猫たちは早朝だけ外に散歩に出ることを許されてる
いつもはお腹が空いて2時間もすると帰ってくるんだけど
その日、レドの心に
ふと
「今日は、帰らなくていいかな」
というアイディアがよぎっちゃったんだよ
な、レド
レドレド
レドレドレドレ

3月下旬の空気ってまだ結構冷たいじゃない?
我慢できなくはないよ
お庭の枯れ草に体を寄せてれば
一匹でずっといてさみしくない?
薄い陽の光が目の前でゆらゆら揺れていれば
さみしくないよ
それに毎朝仲良しのファミちゃんがあくびしながらやってきて
10秒臭いを嗅ぎに来てくれるから
全然さみしくない
かわいがってくれたお家の人の顔を見たいって思わない?
……
……

あはっ、何だそりゃ
たった3軒隣で「飼い猫する」ことををサボタージュかよ
何不自由ない暮らししてるくせに
レド
レドレド
レドレドレ

でも何となくわかるよ
いつもいつもかわいがられなけりゃいけないって
負担だもんな
甘えなきゃいけないって
負担だもんな
おいしいモノねだらなきゃならないって
負担だもんな
たまにはサボりたいよな
飼い猫をサボって
ただの猫に戻る
そういう時間って
ウン、大切だ
ぼくなんかこないだまで「ただの猫」状態に浸りきってたもの
レド
レドレド
レドレドレドレ

「婚約者」から「妻」になったばかりの妻が
電話を傍で聞いていて
「レドちゃん、帰ってきて良かったねえ」
というから
「そうだね、ほんと良かった、安心したよ」と答えた

でもね
ほんとにほんとは
プチ家出できて良かったね
飼い猫を休めて良かったね
なんだよ
ぼくはさすがに家出はできないけどさ(笑)
妻に「おはよう」を言ったりハグした後に現われる
弱い草が薄い陽光になぶられるようなしなる薄暗い空間に
ひゅっと入り込んで
冷たい地面の上にじっと体育座り
なんてことは「夫」になってからも何度かやったよ
(「夫」になって幾日もたたないけど)

大変、大変、じゃない
自然なことなのさ
レド
レドレド
レドレドレドレ