Meeting Of The Soul (たましい、し、あわせ) Part 1

 

今井義行

 

 

Meeting Of The Soul (たましい、し、あわせ) Meeting Of The Soul
(たましい、し、あわせ)太字は作者による

Meeting Of The Soul (たましい、し、あわせ)
(し、あわせ)

*************************

わたしは、東京・浅草橋会場のAA*に参加したことがある

AA(アルコホーリクス・アノニマス=1935年アメリカ設立
「匿名のアルコール依存症者たち」の略)

会場は カソリック教会の1室で義務のない献金で自立しているために
そのような会場が選ばれるのだろうな、と想った

真夏の午後の JR浅草橋・西口から 会場のカソリック教会
までには 幾つかの立ち呑み屋があった

スリップ(再飲酒)してくださいと言わんばかりのひなびた
街の光景に コップ酒の匂いが 滲みていた
わたしはドアを開き「はじめてきました」と
浅草橋会場の人たちに告げた ─── そして
さまざまな年齢層の アルコホーリクたちに振り返られた

[2つの発言を導入として]

「わたしは 今井義行といいます 53歳です 本名で参加いたします
(ニックネームをつける必然性をわたしは特に感じはしなかった)
連続飲酒30歳台後半から 退院後アルコールデイケア通所中です
本来家に1人で居ることが好きでやりたいこともあるのでそれが
断酒に結びつくと考えているのですが入院していた病院から患者
がどのように生活していくかの指針として同じ病気を持つ人たち
のミーティングへの参加を 強く勧められて 今回 まいりました」

「シャローム。* はじめまして、“イマイ” !!」(参加者)
*シャローム/ヘブライ語で「平和」

「わたしはナポレオン 32歳です 13歳の時に 友だちの家で呑んだ
ナポレオンが旨かった! 以来 連続飲酒 覚醒剤で服役あり 妻子
あり 家族には泥酔して部屋で壁をぶっ壊したり 暴言を吐いたり
して 迷惑を かけつづけてきました 反省はしています 妻子が
わたしを見捨てないでくれたことは ありがたいことと思います」

「シャローム。はじめまして、“ナポレオン” !!」(参加者)
ナポレオンも はじめて参加した人だった 金髪に薄青のサングラスが光る

*************************

[ミーティング中の想いを中間報告として]

いま、たましい、は、しあわせ かしら・・・・・・・・・・・・?
わたしは、断酒のための「自助グループ」にはもう参加しないな
なぜなら、のこりの人生の目的は 「断酒」ではなくて、
わたしという 命がたどる 軌道での 人々とのまれな
邂逅。「たましい、詩、 ──・・・・・詩、合わせ」であるからです

邂逅。って 同病者の 集いに宿るわけではないと想う
例えば わたしの誕生日1963年7月13日生まれの人が
集ってミーティングして 生まれるのは空気の共有位だ

空気の共有等では駄目なの ソウルが、欲しい の !

それは、わたしが 「詩」を 書いてきていること
それゆえの 自我でもある かも 知れないけれど

ソウル、って誰か それは お互いの在り方を詩から
全方位的に受け止め合える言葉の配置であるあなた

人間は 【言葉の配置】その連続組み換えで出来て
いる だからさっきのAさんといまのAさんは違う

「自助グループ」って 人に救ってもらうことでもないが
自分で自分を救うことでもないと想う 現代(いま)の医学では
不治の脳疾患とだけ 解っていて 誰にも助けられないから
「霊性」の手に誠実に身を 任せて 誰のせいでもないとして

“言いっ放し、聞きっ放し”人々同士の口論には発展させない

「呑みたい」「隠したい」「狂いたい」「死にたい」OKだ
「呑むなよ」「隠すなよ」「狂うなよ」「死ぬなよ」NOだ

≪引用始め≫ *太字は作者による
ミーティングハンドブックより

『神様、私たちにお与えください。
自分に変えられないものを受け入れる落ち着きを、
変えられものは変えてゆく勇気を、そして、
二つのものを見分ける賢さを。』

[AA序文]

アルコホーリクス・アノニマスは、経験と力と希望を分かち合って
共通する問題を解決し、ほかの人たちもアルコホリズムから回復
するように手助けしたいという共同体である。
AAのメンバーになるために必要なことはただ一つ、
飲酒をやめたいという願いだけである。会費もないし、料金を払う必要もない。
私たちは自分たちの献金だけで自立している。
AAはどのような宗教、宗派、政党、組織、団体にも縛られていない。
また、どのような論争や運動にも参加せず、支持も反対もしない。
・私たちの本来の目的は、飲まないで生きていくことであり、
ほかのアルコホーリクも飲まない生き方を達成するように手助けすることである。

AA・12のステップ

【ステップ1】
私たちはアルコールに対し無力であり、思い通りに
生きていけなくなっていたことを認めた
【ステップ2】
自分を超えた大きな力が、私たちを健康な心に戻してくれると
信じるようになった
【ステップ3】
私たちの意志と生き方を、自分なりに理解した
神の配慮にゆだねる決心をした
【ステップ4】
恐れずに、徹底して、自分自身の棚卸しを行ない、
それを表に作った
【ステップ5】
神に対し、自分に対し、そしてもう一人の人に対して、
自分の過ちの本質をありのままに認めた
【ステップ6】
こうした性格上の欠点全部を、神に取り除いてもらう
準備がすべて整った
【ステップ7】
私たちの短所を取り除いて下さいと、謙虚に神に求めた
【ステップ8】
私たちが傷つけたすべての人の表を作り、その人たち全員進んで
埋め合わせをしようとする気持ちになった
【ステップ9】
その人たちやほかの人を傷つけない限り、機会あるたびに、
その人たちに直接埋め合わせをした
【ステップ10】
自分自身の棚卸しを続け、間違ったときは直ちにそれを認めた
【ステップ11】
祈りと黙想を通して、自分なりに理解した
神との意識的な触れ合いを深め、
神の意志を知ることと、それを実践する力だけを求めた
【ステップ12】
これらのステップを経た結果、私たちは霊的に目覚め、
このメッセージをアルコホーリクに伝え、
そして私たちのすべてのことにこの原理を実行しようと努力した

※誤解を受けやすいのは、AAの回復のプログラムに
スピリチュアルな力を受け入れるという概念があるからでしょう。
このスピリチェアルな力をAAでは「ハイヤー・パワー」と呼び、
日本語では「自分より偉大な力」と呼んでいます。
≪引用終り≫

輸入品としてのハンドブックは 翻訳されると【神】
という 言葉が多用されて 患者たちに 届けられる
そうなると ハンドブックは 【聖典】のようになる

酒を絶つ以前にこれら文言に戸惑う患者たちは多い
ハンドブック序文に「AAはどのような宗教、宗派、政党、組織、団体
にも 縛られて いない。」と あるではないか、と

 

(続く)

 

18歳の彼

 

今井義行

 

OnLine その上で 署名 してしまうと
至るところに「とびら」が できてしまう

OnLine で 瞬時にあらゆる時制が 同期
され 見知らぬ人たちとの出会いもある

アパートの部屋にいるときだけではなく
喫茶店にいても バスに揺られていても

それはわたしの「とびら」だというのに
いつの地平へ出てしまうのかわからない

此処はどこだ 精神病院の アルコール閉鎖
病棟だ おかしな所へSignUpしてしまった
此処2014まで 泥酔しては 怪我ばかりして
様々な病院での寝起きの時間は ながかった
入退院を繰り返しながらあまい生クリームの
とりことなり 体重は急速にふえてしまった

≪BMIとは、身長からみた体重の割合を示す体格指数。
手軽にわかる肥満度の目安なのでチェックしてみましょう≫*ネットより
身長168cm 体重86kg  BMI 30.47
≪BMI値の判定基準は一般的には、18.5未満で「やせ」、18.5以上25未満で
「標準」、 25以上30未満で「肥満」、30以上で「高度肥満」と判定されます。≫*

( 腹水が溜まったこともあった・・・・・・ )

いまこうして病衣でベッドに仰むけになって
いると 自分自身が
臨月の 妊婦に おもわれてきて むかいの
6人部屋にいる蒼白な顔をした18歳の青年は
わたしの息子が育ったすがたか、とイメージ
が はしる ふしぎ。

痩せ細った身体は ストライプの半袖と濃紺の短パンに包まれ
食事は共同食堂ではなく 自分の部屋でのみ摂っていた
だれかと親しいようすもなく うつむいて お盆を運んでいた

≪わたしは、そんなふうに 育てたつもりは ありませんよ!≫

18歳の彼──その唄は日本では、岩下志麻が好んでうたった
注*スマホ、タブレットなどのブラウザでは再生されないかもしれません。
ご興味のある方は、PC【ダリダ/18歳の彼】
https://www.youtube.com/watch?v=GHhs6njqc5U

すると とつぜん陣痛がおとずれていたみの
なかに わたしの それまでの愚行が甦った

( 錦糸町を徘徊した 緑色の液体を吐いた )
( 酷すぎた・・・・・・ )

白痴だな、

或る夜の、地下のライヴハウスで──・・・・
美輪明宏がカトリーヌ・ドヌーヴを
あんな白痴美は駄目だと断罪した
「天井桟敷の人々」(1945/仏)のアルレッティを
御覧なさい 品格が違うのです

白痴美から“美”を取って
わたしは ただの白痴
社会に適合していくことが困難です

けれど、うらはらに──・・・・

美輪明宏は ロックはノイズだから聞くな
馬鹿になるわよ、と言いつづけてきたのに
桑田佳祐にリスペクトされて以来 そんな
ことはメディアで言わなくなったお天気屋

けれど、うらはらに──・・・・

いつもわたしは ドヌーヴを愛した
白痴は 馬鹿を超えており
差別語なので使うなというのだが
白痴を“黒く塗れ”ということは

わたしに「死ね」ということだ
「シェルブールの雨傘」は 台詞全篇曲で JAZZあり
奇異な原色の背景あり 馬鹿馬鹿しくもあったけれど

白痴を“黒く塗らないで”ほしい
カトリーヌ・ドヌーヴは雨傘を畳み
自らの時がくるのを待っていた

年配の患者さんから借りた

地図帳を拡げているとヨーロッパに雨が降る
モン・サン・ミシェル ヴェローナ
アムステルダム エジンバラ
ドヌーヴは 石畳を歩き続けている

わたしはカプリ島でパンを捏ねている
ばらばらの肌理の 何枚も積み重ねた
しろい生地だけしか 焼けませんです
わたし、きっと 白痴なんです
社会に適合していく ことが困難です

そんなとき 雨に濡れた ドヌーヴが
パン焼き小屋へ 入ってきた─・・・・
彼女は パン焼き小屋をホールにして
微笑みながら くるくると 踊った

≪わたし、娼婦の役を貰ったの ようやく
昼間から 真剣に 狂える時が きたの≫

OnLine その上で 署名してしまうと
至るところに「とびら」が できている

そして 好奇心からそれを開けてしまう
2014 精神病院の アルコール閉鎖病棟

夕暮れて、陣痛がおとずれて「つ、・・・・!」

窓硝子に薄く映ったわたしの横たわった姿を
覗くと 臍から鼠径部までの高まりのなかに
ヘラクレス真夏の星座が胎内の天を力づよく

押し上げている姿が 透けて見えた気がした

その果てに わたしの胎が ばりばりと割れた
その裂け目から 猛々しい茎が 伸びはじめ
そそりたつそのいただきに水仙の花が咲いた

わたしは 胎のうえの水仙の根っこをおさえ

18歳の彼に「この部屋でいいか」と 念じた
18歳の彼に「あい部屋でいいか」と 念じた

18歳の彼に「君は我が子だから」と 囁いた

 

 

 

カントリーロード

 

今井義行

 
 

カントリーロードは あまえのみち
帰りつく場所を 持てない人たちは
いつの 時代にも いつの 街々にも
数え切れないほど居たことでしょう

──── そんな方達にはごめんなさい これが最後かも、と
わたし(1963年生れ)と妹の暁子(1966年生れ)は お互いに都合をつけ
元気なうちに82歳の母(1934年生れ)と 三人で会うことにしたのです

わたしも暁子も 敗戦直後の傷跡等知らず 半世紀以上 過ぎました
日本が復興したのは‘50-60年代の人が よく働いたから、と母は言う
それでも兄・妹にもいまでは苦笑するしかない“被災”は多くあった
世界情勢ばかり語られる でも個人情勢の方が机上の論理に墜ちない

愛知県のTOYOTA の関連工場に勤める暁子は下請として
振り回されて有給休暇があっても滅多に使えないのです
彼女とは 7月初めからメールのやり取りを 何度もした

≪ 必ず都合をつけてほしい ママが、元気なうちにね ≫
≪ 熊本の地震で TOYOTA の関連工場は 打撃を・・・・・ ≫
≪ お義兄さん、工場長なんだから 何とか都合つけて ≫
≪ ママ、そんなに悪いの? 電話では いつも元気だよ ≫

─── 会う予定日は2016年8月14日から17日まで この詩のこの部分を
書いている今日は 7月10日です わたしはPCのまえで 想像しています
参議院選挙の日で日本が戦時下に戻るのではと懸念されている朝の想像です

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

8月のお盆休み 13:00過ぎ
東京発・JR 東海道線を降りると 改札から タクシー乗り場までの
ペデストリアンデッキの照返しには湘南海岸から吹く潮風の匂いが
いつもながらに 紛れ込んでいた 真夏の午後 藤が岡丘陵団地までの
道のり── 郵便局本局のある 交差点の渋滞は相変わらずだ
国道・町田線沿いに サーフボードを載せた車が 長い列を作っている

≪ ママ、そんなに悪いの? 電話ではいつも元気だけど≫
≪ いつ、亡くなっても不思議ではないよ 気丈で楽観的な人だから
82歳まで生きてこられたんだよ ≫
≪ 息子が就活中だからなあ でも高校の友達に会える≫
≪ 本人の前では普通に振る舞えばいいけど ここだけで
決めておきたいことがある お葬式についての話だよ ≫

妹の暁子は愛知県知多半島から名古屋から小田原までは新幹線に
乗り 小田原から東海道線 タクシーに乗り換え 少し遅れて着く

カントリーロードを いまだ たどれる
わたしたちは 幸せだとおもう
── 片肺を切除して60年以上 4年間の入院をしたという母は
残った肺の機能も10%となり肺炎に罹ったら即ち「死」なのです

≪ お葬式?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ≫
≪ お葬式!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ≫

「ただいま」と ドアを 開けると
1Fなのに 江ノ島展望台まで見渡せる せまい庭から
朗らかな 「おかえり」が 聞こえた

≪ ここまで生きられたから 思い残すことは無いって
葬式なんて お金をかける必要無し弔問客も要らない
通夜にはあたしの好きな“徳永英明さま”の唄を流し
続けてくれること それから 火葬のあとは50年以上
棲んだ 藤沢の 江ノ島の海に お骨を撒いてくれれば
いいから パパといっしょの今井家の霊園には絶対に
入れないでよ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ と、お願いされてる ≫
≪ あら、結構 いろいろな条件付きのお願いだね、お兄ちゃん ≫
≪ う? そういうとこもある 取り合えず “江ノ島に散骨”って
いうのは無理 葉山に撒いたり伊豆に撒いたりそういうサービスを
やってる葬儀屋はあるけど 俺達で骨をぎこぎこ挽いて粉末にして
江ノ島に撒いたら 遺体遺棄になるってさ・・・・・・・・・・・・・・・・・ ≫

母は あちこちに散らばり落ちた 盛夏のはなびらを
箒で綺麗に纏めていた 藤沢に棲んで よく働いたね

双つの脚の筋肉が 日増しに弱ってきて
遠くまでは 歩けないの、と言うけれど
杖は要るものの 背は曲ったりしてない

外見は 元気そうにみえるので 「若い、若い」と
驚かれるそうだけれど朝目覚めて一番に思うことは
≪ おや、今日も生きてる!≫と いうことだと言う

わたしは はじめて知る 味のように 食卓に腰かけて
少し遅めの昼食にと──・・・・・林檎と 神を食べたりした

林檎は太陽を象徴する実 神、というのはバターのこと
バターは天の恵みの生乳の良質な栄養を凝固させた神の化身なので
それをトーストに塗り拡げて食べることは心身の浄化だ

母の人生がもうしばらくしたら
閉じるのかと思うと
母が戦時中 9歳で孤児になって どれほど泣いて
現在(いま)に至っているかと思うと 不憫でもあり
野生の逞しさも感じ尊敬する 二人の子を授かった
ことはラッキーで 父と結婚したことは「貧乏くじをひいちゃったわねぇ」と
父の実姉に心底慰められるほどアンラッキー!!
だと言って憚らない故に父についてはここでは触れない

わたしはTシャツと短パンになって しばらく母と四方山話をしていた

ところで、母より喧嘩っ早い人をわたしは知らない
ドコモショップの待合室で「いつまで待たせんだ、即刻店長だせ!」
ゆうパックの集配の態度に「年寄りと思って上から目線すんなよ!」
京樽のおせちのモニターに「伊達巻がとーっても不味かったです!」
デイサービスの隣席の人に「あたしのすることに口出すなウザい!」
そして あらゆる親戚とは口論してきっぱり絶縁
ですから我が家は 母の大立ち回りで 清々しいほどの核家族なり

相撲なら白鵬 テニスならジョコヴィッチ フィギュアなら
羽生さん そんなレヴェルの勝負師なのです

ストレスフリーの体質なので そりゃ日々思い残すことはないよな
・・・・・・その気質を そのまま受け継いでいるのが
暁子だということを 忘れていたのは 迂闊だった

16:00過ぎ インターホンがなって わたしが出たら
「あたしー、ただいまー」
ドアを開けると 勝気そうな色黒の50歳が立っており 靴を脱ぐや
母のいる居間に どかどか 入っていって、

【お兄ちゃんから聞いたわよ ママ、死にそうなんだってね?】

あわわ、「一番 食べたいものは何」と 尋ねる前に
そんな 展開に ならないだろうな・・・・・!
いまこの詩のこの部分を書きながらありうるシチュエーションだと
戦慄が走りました 抒情的に過ごすはずの、再会はどうなるのかと

カントリーロードは あまえのみち
帰りつく場所を 持てない人たちは
いつの 時代にも いつの 街々にも
数え切れないほど居たことでしょう
なんて書いたわたしの詩を読んだら

母と 妹は・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
腹を抱えて大笑いするんだろうなあ

「甘えんじゃないの、自立してちょうだい」
と 杖を ふりかざしたりしちゃってさあ

 

 

 

厨藝坊にて── Chinese Community

 

今井義行

 
 

ちいさい中華街は Tokyoの下町の あちらこちらに ある
わかい 留学生たちが 日本のことばを学びに
家賃の安い部屋を もとめておとずれるから

幾つもの露地や公園に 咲く花は さくら はなみずき
ばら あじさいへと あしばやに 移りかわり
Tokyoを 四分の一世紀以上 転々としながら わたしは、

この街の舞台屏風を見渡し その艶やかな変化に驚いてしまう

いまは、あじさいが 色づきはじめている

入学の季節の 四月に目に馴染んだ さくら はなみずき・・・・・
その はなみずきがアメリカの幾つかの州花だと知ったのは
ふと 検索をした先日のこと 花言葉は durability(永続性、耐久性)

『私の想いを受けとめてください』そんな 淡い意味あいのもので
日本は、さくら。アメリカは、はなみずき。
どこか似たような愛されかたにこころが和んだのだった

荒川から駅前に向っての通りに日本語学校があって
昼どきにはわかい男子や女子がどっと
顔を 輝かせて 舗道へと あらわれる

ちらとロビーを覗くと日本の大学院への進学実績が貼られている
ああ、ずいぶん優秀な生徒さん達だな
わたしとわかい男女の行く店はおなじ

厨藝坊(ちゅうげいぼう)は 駅前なのに
目立たない 雑居ビルの 2Fにある
税込 600円ランチの 中華料理屋さん

メニューは豊富だし おかず ごはん
スープ 杏仁豆腐に加えうれしいのは
ざくざく 千切りになった キャベツと
日替りの中華粥が お替り自由なこと

上海料理四川料理と看板にあるけれど
台湾料理が本日のお薦めだったりする
中華人民共和国 中華民国など・・・・・ 中国系の若者たちが
グループで にぎやかに 4人卓に座り
お店のぽっちゃりした 丸眼鏡の娘(こ)
に注文を告げる 中国系の大衆食堂だ

丸眼鏡の娘(こ)は 楽しそうに会話を 弾ませる

北京語 広東語など
方言も あるらしいけれど 公用語としての 中国語が
にぎやかなランチタイムに流通している気配だ

厨藝坊(ちゅうげいぼう) ─── “腕のたつ調理師さん”のいる店
その店内 ─── Chinese Communityって まるで みんな 家族

Tokyoの下町で 日本人はわたし一人
厨藝坊(ちゅうげいぼう)のお粥愛好家
南瓜粥、薩摩芋粥、鶏粥、皮蛋(ピータン)粥は
どれも 胃膜に優しく 染み入る味だ

わたしは その日「蒸し鶏の四川ソース和え」を 頼んだ
茶に焦した鷹の爪 鶏は300gはある
それだけで 600円でもふしぎでない

ふしぎでないといえばふしぎなことが
あるそれは並のごはんでも大盛なのに
日替りの中華粥が 幾らでもお替り自由なこと──・・・・
客層が食べ盛りだからということかな
でも、炭水化物ばかりお腹に入らない

だから ごはんを残すお客は 多くいる
わたしは 「ごはん1/3」と伝えている
残飯にしたくないし商売上手な華僑を
うんだ地域だというのに 採算とれる
のかなごはんかお粥を選ばせるほうが
コストパフォーマンスよさそうだけど

たっくさん食べて、おおきな人に成りなさい、ってことかな?

わたしは 中国語を 覚えようとしない
わたしが 「蒸し鶏の四川ソース和え」
と言うと丸眼鏡の娘(こ)の眼鏡の奥の
目が こわばったようなまるさになり
弾んでいた声は静かな日本語に変わる

「はい。ご、はん ごはん1/3 ですね」

日本語を覚えて日本で暮していこうと
この娘(こ)は きっと 考えているんだ
Tokyoの Chinese Community を中心に

荒川から駅前に向っての通りに祥龍(しょうりゅう)という
中華食材屋さんがある ほの暗いその店に
この娘(こ)が出入りするのを 時々見かける
それがふと阿片の取引に感じられてしまう

留学生たちはスマホとタバコ 男子の
多くはピアスを キラキラさせている
ここでは わたしが旅行者なんだろう

旅行者としてのわたしが、初めて見るものに驚いて いるんだろう

彼らは タバコの煙の充満する場所で
何をそんなに 語らっているのだろう
わたしは 彼らの幾重もの青春の光に
話しかけることが なかなかできない

彼らの殆どは 日本語学校を卒業以降
日本の企業や 母国の日本投資企業に
就職していくらしい そこで 稼いで
出資した家族に返金し 国際人になる

障害者年金を受けて暮していて いまはもうおかねもあんまりない
わたしの───・・・・・・・・
視界のなかで 三年前の現在(いま)が咄嗟に立体化する
視界のなかで 永遠に水がゆれている
視界のなかで 永遠に波がゆれている

──あの中国人、東京湾に沈めてしまおうか (笑)
俺が貸した15,000円、
返す気ねえだろう あいつの家、放火するか (笑)
──まあ、ちょっと待ちなよ
施設 追放されるのおまえのほうだぞ
出入り禁止になるのは
錦糸町の飲み屋だけでいいだろ
──でもな、あいつは俺を舐め腐ってる (怒)
俺のブレーン集めて
そういう奴はぶっとばす それが信条だ (怒)
──まあ、ちょっと待ちなよ
施設 追放されるのおまえのほうだぞ
おまえさ、酒が入ると
まるで狼みたいな貌に変わるな

友だちの俺も噛み殺されそうだ

──だったら 暴力じゃない方法教えろ (挑)
──おまえだってな 安易だったんだよ (怒)
そんなこと自分で調べろよ 馬鹿野郎! (挑)

──・・・・・・・・なら、相談に乗ってくれ
飲みながらさ アイデアをさ 練ろうぜ (笑)
ほんとうはさ
東京湾に沈めちゃいたい 心境だけどな (笑)
ほんとうにな!

留学生たちはスマホとタバコ 男子の
多くはピアスを キラキラさせている
その内の一人が 向いの男子に訊いた
「オマエ、今度の土曜 予定どうよ」
「ちょっと中央競馬会に用があるな」

「そっかー、当ったらお寿司おごれ」

中央競馬会に馬券買いに行く子がいるんだ
ギャンブル嫌いなわたしには あまりにも縁のないところ

「ごちそうさま」
「・・・・・・・・・今日も、お粥 おいしかったです」
「あり、がとう」
丸眼鏡の娘(こ)の顔が少しほころんだ
午後二時を回ると 帰り道の照り返しは 強く
けれど Tokyoの Chinese Community を出たあとは
ふたたび 舞台屏風が鮮やかに変わる

旧くからあるだろう たくさんの家屋の
涼やかな簾・・・・ 木の引き戸・・・・ 風鈴・・・・ 鉢植えなど・・・・
この街 なかなかよい街じゃないか、と
わたしは ローソンで買ったパンをぶらさげて帰る

 

 

 

皐月(さつき)の寝ごと

 

今井義行

 
 

陽射しは 初夏に なって
digital camera は、
駅前公園の花壇にぐるりと咲きあふれた
あかとしろの あいだのいろの

皐月(さつき) の
むらがりを 記録に 残しました

( 後日、部屋で capture ─── )

データに 画像加工アプリで
フレームをつけ
5月 わたし 〗と文字入れをし
六畳間の 窓際で
表示された画像を眺めてみたのは、

深々と 眠りに浸った 土曜日の 朝

(わたしは、目がわるく 眼鏡で矯正された 視力でみた
もののすがたが 真相とは限らない
各々の人の 持つ視力は 様々だから
各々のみる 事象は 異なる物だろう)

データに 画像加工アプリで
フレームをつけ
5月 わたし 〗と文字入れをし
六畳間の 窓際で
表示された画像を眺めていた

nature は natural ではない
データの加工は 装飾ではなく
みずからが 受けた印象を より寸前に
引きつける いとなみだろう

遅めの朝食の後 薬を 6種類飲んで
画像を最大に拡大していくと
或る 一箇所に 浮遊する
真黒のカラスアゲハの静止姿が写っていた

5月 わたし 〗と名づけたけれど
ああ、≪わたしは、皐月(さつき) ではない≫
と 想ったのだった──・・・・・

わたしの意識、 digital camera のレンズは、
あかとしろの あいだの いろの
すこやかに ひらいた
皐月(さつき)になりたかったのに

実は 皐月(さつき)の奥へ
吸収管を伸ばす≪蝶の頭≫になっていた
あまい蜜だ・・・・・・・・ さらさら していて
さわやかな 甘さの

真黒な 頭のなかは 伸びたり 丸まったり しながら
心が 蜜を 味わっているのを感じた

──── ねえ、心って 頭という胸にあるのでしょう?

と 問いかけながら
わたしは、かつて ぼくでもあった。

かつて ぼくでもあった わたしが
≪ぼくは、皐月(さつき)になろう≫と
深々と 眠りに 浸っている 間に
願いなおして。 意識、が
digital camera の 押されたシャッターの先へ先へと移り
それは かなわなかった・・・・・

幼い頃 あの花を 首から 折って
吸った蜜 あれがうまれてはじめて
知った いじられていない 蜜の味だ

皐月(さつき)は、とても喜ばれ 嬉しくなりました

≪ぼくは≫ ≪皐月(さつき)は≫ ≪蝶は≫ ≪蝶の頭は≫・・・・・
主語という「ことば」は 自由に 飛びまわれる筈
主格の煩わしさ故に 定型の短詩は 愛されるのかもしれません

≪わたし≫≪花≫や≪ぼく≫らは
蜜の間際に いけるもの ならば
おなじに なろうと 願って いた
しゃべりすぎて いる 世情、で
≪しゃべらないもの≫になろうと。 けれども

朝食後には また 眠気に見舞われて、

あの ≪皐月(さつき) になろう≫ は
ゆうべ 長々とつづいた眠りのなかでまで
駅前公園の花壇に cameraを 向け続けた

あの ≪皐月(さつき) になろう≫ は

自らにさえ 感づける
寝ごとの 響きだった
のかも しれなかった・・・・と 想う

ゆうべ 一瞬 目が醒めて
そのときに ぐううっと
胸を 上下させて みて
まだ 深呼吸できると 確かめてから
良いものを入れ廃のものは吐けると
確かめていた──・・・・

遅い朝食の後 ふたたび ベッドに戻り

わたしは 雲と呼ばれる「蒸気」のなかを 漂っていました

そこでは ─────
やはり 皐月(さつき)の 蜜を もとめる
真黒な カラスアゲハ の 頭でした
眠れ過ぎてしまうあまりとおりすぎる
遠野は 夥しく 地上を おおっている
空を 翅のある真黒な 頭は 飛んで

≪わたしは、≫≪ぼく≫から≪花≫へ ≪花≫から≪蝶≫へ
そして、蝶の≪頭≫
そこから伸びる ≪吸収管≫へと
皐月(さつき)の蜜と
親密な重なりを どこまでも
もとめようとする
尽きない想いは続きました

──── ねえ、心って 頭という胸にあるのでしょう?

そんな五月(さつき)の寝ごとに
耳を傾け 何度も寝返りを打ち・・・・・

時間の縫い目を たどりながら
おおくの 光景を 見わたして
あたらしい 味を 探しました

時間(えき)の 穂先を束ねた先、
そこは 単線電車も ない街で
初夏は いそぎあしで進んで

人の 気配のない 旧い家屋に
うすいピンクの大きな ばらがいっぱいあって
わたしは、/ digital camera は、/ どちらも
押されたシャッターより遥か、遠く

主格では、ありませんでした・・・・ うれしい!

わたしは、/ ぼくは、/digital camera は、/さらに押されたシャッターは、
≪蝶の頭≫ と ≪ピンクのばら≫へ

≪蝶の頭≫と≪ピンクのばら≫と ≪ピンクのばら≫と≪蝶の頭≫とは
鏡のように おたがいを 映しあって
「おたがいに 針はあるけど 傷つけない」
と 確かめあった 「もう、しないよ いままで
誰かに そうして きたようには」

それから、蝶の≪頭≫ の
そこから 伸びる ≪吸収管≫へ
砂糖みずのような
さら さら・・・・した蜜を
胸の 奥の 奥にまで 滲みわたらせて

≪ ああ、おいしい ≫ と

わ た し は、≪ digital camera ≫ は、≪ シャッター ≫は、
≪ ぼくは ≫ ≪ ばらは ≫ ≪ 蝶は ≫
≪ 蝶の頭は ≫
≪ 蝶の吸収管は ≫──・・・・・

じ ぶ ん の、「五月(さつき)の寝ごと」に
ふたたび驚き 目が 覚めたのだった

 

 

 

褐色のコスモス

 

今井義行

 

 

蒼空よりも 俄雨よりも 薄曇りがすき
それは・・・・・・。
翔ぶ心よりも 濡れそぼつ 服よりも のしかかる 気圧がなく

Highになって
墜落死する ことなどなく Lowになって
渇愛死する
ことなど なく────

手ぶらで 暮らしていきやすい お天気です
そんなふうに 想える 季節が 在るんですね

わたしの大脳には、チョコレートコスモス※
が 夥しく 咲いています
神経の 網の球体のなかの 混沌、 野原に
黒紫の華々。 脳の隙間に霧が漂っている
春なのに 褐色の細ながい 秋(クキ)が
巡らされ 靡いている Cosmos────宇宙の秩序

宇宙の秩序 さ迷う 混沌の 野原が。

(わたしは 花にあかるくなくて、ネットで 出会った
イメージとしての花を 心情にあてはめて 象徴させる者です)

5月の早い朝 陽の射さない わたしの部屋へ
とても激しく 雨の降る音がした
横殴りの 風の音も 響いてきた
朝だというのに 赤い夜みたいだ、と想った

チョコレートコスモス群は茎の
ねじれに 惑いつつ 細ながい
指示系統に 或る伝言を 託したようだ 「起て」と。
けれど その指示が 末端まで届かない

ベッドから 起ちあがると 足の裏が
厚い毛糸の靴下を履いているようで体の感覚がない それで わたしは
ベッドの縁に 腰を沈ませたのだった・・・・・。

コスモスは 倒れても起ちあがる 華々なのに
「こころのかぜ」を患った チョコレートコスモスの華々が
「尿を」と 指示系統に 次の伝言を 託しても
トイレに行った わたしの股の細い茎は
うなだれたまま 尿道から
一滴の しずくさえ 落としは しなかった

これは、心因性の ≪広義の Impotence≫ なのだろうか────

Impotence を 勃起不全として捉えるのならば
いまでは ED外来が 多くある 時代だけれど
53歳になる わたしには 生殖は もう要らず
性愛の上で ひとつになるのは 器官の結合とも想えない
それが、お互いの 幸せ 希望で あるとは。

それは、随分 一方向的な 性愛への思考です

「こころのかぜ」を患った チョコレートコスモスの華々が
「愛を」と 指示系統に 次の伝言を 託しても
その指示が 末端まで届かずに 半ばで 折れる

近ごろ、稀有な 出来事が ありました
わたし、生身の花を観にいったのです 不意に散歩したくなって
亀戸天神の まばゆい藤棚で 風と戯れていた 花房
生身の花を観たと 共に 生身の風が観えたよ、と

・・・・・・・・・・そんなふうに 感じられました

朱い太鼓橋を 沢山の人たちが 渡っていくのが観えました
お参りというより彼岸へと向っていくようでもありました

そして、休息日の 週末 前日の 軽ヨガプログラムの
余韻に 低温浴のように 一人 まどろんで いたとき
滋養のある ものを持って 訪ねてきて くれた人がいた

インターホンの無い戸を ノックする音がして開けると
その人は 風に膨らむ ワンピースを着て 直線的に立っていた
しろやあかの コスモスのように

水彩画のモデルに なる訳ではなく、

やがて その人は 薄物になると 曲線的な美になった
そして、滑らかな白磁の 一輪挿しのように「きっと」
と わたしに 言った 「愛をつづける」と

「愛、をする」と言ったのだ

わたしは シャツを 脱いだ
シャツを放って ベッドに 並んで 二人は横たわった

それなのに────・・・・・・・・・。
茎の華奢なコスモスが 雨風に倒れても 起ちあがるようには
わたしが 起ちあがらない (ごめんなさい。)

どのように しても、して もらっても

わたしの 精嚢では
いまも 精子が 生産されて いるのか、精液は 出ない
気配さえない 指示系統が 精管に 至っていないようだ

Highになって(蒼々と舞い過ぎ)
墜落死する ことなどなく Lowになって(泥溜りに嵌って)
渇愛死する
ことなど なく───

「High Low , Yes No で 死んでいった人が多くいる」
と、わたしは訪ねてきてくれたその人にベッドで言った

(チョコレートコスモス それは わたしの 脳内でしか 咲いていない
けれども・・・・・ その華々が 褐色であることに 力を、感じはするんだ)

Highになって
墜落死する ことなどなく Lowになって
渇愛死する
ことなど なく────

「そうやって 死んでいった人が多くいる」と
わたしは 訪ねてきてくれた 人にベッドで言った

そして「わたしって誰?」と相手の檸檬の形の
黒目に少し寂しげな 微笑がやどっているのをみた

「 High Low , Yes No 」の間の 空洞のトンネルを生きている
わたしは 相手の目をみて 想った あなたは、
わたしを “ どうして それほどに 愛して くださるの ですか ”

“ どうして このような わたしを ”

(それはもう、だれにも わからない 神の領域として
すべて まかせて みる ことに しよう)

わたしの大脳には、チョコレートコスモス
が 夥しく 燃えています
神経の 網の球体のなかの 混沌、 野原に
黒紫の華々。 ほかのコスモスとは違って
多年草の 褐色の細ながい 秋(クキ)が
巡らされ 靡いている Cosmos────宇宙の秩序

Cosmos────宇宙の秩序 さ迷う 混沌の 野原が。

彷徨も また 秩序、なんだ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

それから、二人は 外へ出て
古くからの住宅街を歩いていった 狭い露地には各々の人の
育てている 花や実があった

地下足袋や皮手袋や作業衣を扱う商店のある
交差点を通り過ぎていくと
空は夕暮れてきて 葡萄色にそまった

わたしは、その日 二人がしたことを
けっして 忘れはしない、と 想った───

 

※チョコレートの甘い香りがする。耐寒性のある多年草で、
空0原産はメキシコ、大正時代に渡来した。(ネットより引用)

 

 

 

フランスへの手紙

 

今井義行

 

わたしが フランスへ 手紙を かきたいと
想うわけは テロで 亡くなった人たちが
いるからでなく そこに、いまだ 愛した
唄たちが 瀕死で いるからです ・・・・・──

こころの底にながれつづけている行ったことのない河があります

午前5時 レンジで温めた ミルクを飲み
流しで カップを洗っていると 窓際の
観葉植物の葉脈が微かに浮かびあがった

小机の上の 白い機器の 電源を入れて
Windowsを開くと 夜も朝も昼も 明け方のような
一人の一間に ふわりと 太陽がともる

わたしは その瞬間から 画面の
路のなかを 散策しはじめる 日々眺める街の
風景を 想い返しながら
ことばを探す それは 詩を書くということ

キーに タッチすると、少し冷たくて きもちがいい

すずらん通りで 鉛管工事をしていた
新緑の色の服を着た 人たちは美しかったな

わたしは昨日 福祉施設へ向った

雨の公園で グレーの毛布に護られていた 猫の毛並みは
ふれてみると しっとり 濡れていたな

わたしが フランスへ 手紙を かきたいと
想うわけは テロで 亡くなった人たちが
いるからでなく そこに、いまだ 愛した
唄たちが 呻いて いるからです ・・・・・──

そのうちのひとつは 就職したばかりの
1987年頃に よく聴いた
「朝のセーヌ河畔」を明るく浮かびあがらせる旧い唄だった

わたしは昨日 神田川をわたった
停泊している 舟の上には 鳥たちがいた

その国では 嘗て セーヌ河畔をはさんで
右岸には 白装束
左岸には 黒装束 の唄うたいが 育ったと聞いた

こころの底にながれつづけている行ったことのない河があります

白装束は、庶民達 黒装束は、知識層
そんなとき・・・・・・
「朝のセーヌ河畔」の唄は二つを繋ぐ橋になって架かった

自然の光のかがやきのなかでは人はしずかに耳を澄ませる

通所している 福祉施設で知り合った、

ひとまわり以上年上の春緒(ハルヲ)は 日本では団塊の世代で
四季を通して 春を生きて
春のさなかで 吉本隆明や寺山修司、ジャン・コクトーやボリス・ヴィアン
アメリカの ヒッピーの風に 頬をなでられ
新宿でフーテンをやり フリーセックス────

パリ五月革命の時には フランスで居候していたそうだ
どこまでが本当なのか 分らなくても確かめたりしない

春緒(ハルヲ)には 春緒(ハルヲ)の 憧れが あるから

昨日も お弁当の時間に「今井さん、はいっ」
と 骨粗しょう症のわたしに Ca+ ウェハースをくれた

(そのときに 大型冷蔵庫のかげから 浅草で もんじゃ焼き屋を営む
おそらく 同世代の サイトゥが こちらを 見ていた)

≪サイトゥは、精神病院に入った 履歴を 世間体が
あるからと 隠して 町内の人に 会わない道を 廻って
来るらしい 各々、事情は あるだろうなあ・・・・・。≫

春緒(ハルヲ)は 自分は ノンポリだと 言うけれど
他人が彼を評すると「ファシズムだ」と抗議するので
つまり政治の季節の無頼志向のインテリだったのかな

(大型冷蔵庫のかげから 老舗の もんじゃ焼き屋を営む
サイトゥが ようすを 窺いながら そろそろと 近づいてきた)

口下手なのに 飲食店を継いで 連日客からつがれた酒を
律儀に25年 飲んで ɤ―GTP 4,500を 超えたって

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ひとごとじゃ、ないんだけど

その福祉施設の案内にはこう書かれています

≪人の一生は「さくらの木」が過ごしていく四季のようなものだと思います。

美しく花が咲き乱れる人生の春。(思春期~青年期)
強い日差しの中、青葉が生い茂る人生の夏。(中年期~壮年期)
日々深まっていく紅葉が味わい深い人生の秋。(初老期)
生まれてきた意味を総括し、自分の貴重な経験を次世代に伝えていく人生の冬。(老年期)

人生の中のそれぞれの季節には意味があり、
季節の中で移り変わっていくからこそ、
人の一生はいとおしく美しいものなのだと思います≫

と、いうことは────
わたしは「強い日差しの中、青葉が生い茂る人生の夏。(中年期~壮年期)」
その末尾に どうにか 居るらしく(サイトゥも、)
春緒(ハルヲ)は「日々深まっていく紅葉が味わい深い人生の秋。(初老期)」
その末尾に どうにか 居るらしい

とはいえ、春緒(ハルヲ)は「初老期」に居ても
「老年期」に入っても
生涯 春のなかを生きる ことになるのだなあ

1987年頃によく聴いた
「朝のセーヌ河畔」の唄は
わたしが一人暮らしを始めた時期にも重なりながれている
それ以来一人暮らしを転々としてわたしは此処へきたんだ

「夕方、雨がふるかも」と看護師さんが言った

春緒(ハルヲ)の ガラケーの着信音が 机のうえで 鳴ったとき
わたしは はっとして
「春緒(ハルヲ)さん、わたし その曲 好きなんです」
と おもわず 話しかけていた

「へえ・・・・・ 今井さん、随分めずらしい唄を知ってるね
いまでは フランスでも忘れられかけてるだろう」

≪忘れられかけていくと 唄も人もみんな
死へと 向っていって しまうんですよね≫

「会話の唄 和解の唄 境界に架かる 橋のような
唄だったなって 昔から好きですね」

醤油の滲みた 残った僅かな餃子を食べながら
なんだか 気取った言い方を しましたよ・・・・・。

わたしは 春緒(ハルヲ)も 夜毎二升で 希死念慮に憑かれ
幾たびも 死にかけて いまは「糖尿病」を わずらって
いることは 彼が ときどき する話から 知っては いた

「でも、先生の言うこときいて
治療することにきめたんだ おれ、何も知らずに
好きなことだけしてきたけれど
友人が 糖尿病で “めくら”に なって
視えなくなるのに 耐えられる力 無いって
わかっちゃった もんだからさ」と。

わたしが フランスへ 手紙を かきたいと
想うわけは そこに、いまだ 愛した
唄たちが 澱んでいるような 気がするから・・・・・──

そのうちのひとつは 社会に出たばかりの頃 よく聴いた
「朝のセーヌ河畔」を穏やかに浮かびあがらせる旧い唄だった

(浅草で もんじゃ焼き屋を営む サイトゥが いよいよ
わたしの 耳元にきて 愛の告白 のように そっと 囁いた)

──── あのさ、今度の金曜日の お昼休み 一緒に
オセロを、やってみましょうよ・・・・・・。
「あ、はい」

その唄は 無節操に 甘い声で
扱われすぎて 音のながれが ≪糖尿病≫を
わずらい 時間とともに 唄としての
役割は 修繕されずに 過ぎていった

のでは ないかと案じる

傷口は 塞がりにくくなり 細胞の壊死や切断
失明の危険に いまや晒されて。

いまごろは・・・・・・・・・
忘れられかけ 死へと向って
一刻、一刻を 延命しているのでは
ないのかなあ、と こころが 疼く

自然の光の かがやきの なかでは 人は しずかに 耳を 澄ませる
こころの底にながれつづけている行ったことのない河があります

小机の上の 白い機器の 電源を切って
Windowsを閉めると 夜も朝も昼も 明け方のような
一人の一間は 午前9時なのに ほの暗かった

 

 

 

炎上 ( World Wide Fire )

 

今井義行

 
 

わたしは 30年間に TOKYOを 横断するように 一人暮らし
をしてきました

高田馬場 - 調布 - 多摩 - 江戸川区・平井
TOKYOを 転々と 移り住み
西端から 東端まで 横断して、
いま、江戸川区・平井では 神奈川育ちなのに
江戸ッ子 気取りで、
( SYONAN育ちだからと SURFINGできると想うの、やめてくれ )

お祭りがあると聞けばカメラを持って馳せ参じ
地元の人間づらして
商店街の名入りの 紅い提灯を眺めたりします

Web以外からは、ほとんど情報を送受信しない 生活で、
狭い部屋だけれど テレビはあって
(地上デジタル放送の双方向性なんて)
けれど、テレビ等からは信頼できない情報が選別されて
訪れるのみ だから (まったくの 出鱈目だった)
(クイズに参加したって しょうがないだろう)

ほんとうの虚構は 夜の 荒川に 沈めるしかないのさ

Web以外からは、ほとんど情報を送受信しない、わたし。
依存はしていません
情報量が圧倒的に多く 全方位的に意見が飛び交う中から
情報を取捨選択する 主導権が
「わたし」の側にもあるのは公平だ

情報は、風だね
速攻の、風だね

誰かさんがうっかり口を滑らせると言葉の風に瞬く間に火がついて
Webでは、言葉の風が烈しく炎上するんだ 〝うるさい、ゴミ〟
≪ネット炎上≫というものだ 〝スバラシイ・爆 !!〟
〝消えろよ、死ね〟

匿名だろうと 名前だろうと World Wide Webは 無法地帯です
〝うるさい、ゴミ〟〝スバラシイ・爆 !!〟〝消えろよ、死ね〟〝死ね、死ね、死ね〟

わたしは Amazonのタブレット端末 【Fire】を 所有していて
何処へ行くときもいっしょです

元々 狭い部屋に紙の書籍はもう置けないから
電子書籍の棚として そのタブレットを選んだ

同時にドキュメントファイルを作成できるので
詩を書く 机として そのタブレットを選んだ

何処へ行くときも詩を書くためには 8インチの画面は必要なのです
(けれど、何処にも姿見は無いから 詩を書くわたしを わたしさえ 見た者は居ない)

わたしの一週間は主に通院生活です

アパートを出て病院まで、病院を出てアパートまで。
その間に空の模様、露地の植物、公園の生物、建物、
人の佇まいなどを見ます

或る日の陽射し、雲の動き、葉の上の雫、花の満ち引き、
鳥や猫のまなざし、働く人々、走り去る車などを感じて、

総武線や都営バスのシート、病院の待合室やカフェの窓際などを移動します

(けれど、何処にも姿見は無いから 詩を書くわたしを わたしさえ 目撃はできない)
(そうだ、 何処にも鏡面は無いから 詩を書くわたしを わたしから 信じていくのみ)

パソコン - タブレット - パソコン - タブレットの
視えない 転送空間のなかで
わたしが ちいさな旅を 重ねていくのでは なくて
詩の言葉が── 風景や わたしの感情を写し込んだ「言葉」が
ちいさな旅を 重ねていくのです・・・・・

「わたし」が 何処に いるかというと
≪発信先≫ と ≪受信先≫に います
(その ≪発信先≫ と ≪受信先≫に 例外なく鏡面は在りません)
そこでわたしは 詩行を繋げていきます

Amazonのタブレット端末 【Fire】が 旅の伴侶と なって
ときどき アクリルの ブラウザのニュースで
炎上 (World Wide Fire) に 感情を揺らされながら
わたしも書いた詩を Web上に 公開していく

「わたし」が 何処に いるかというと
≪紙媒体≫ と ≪Kindle≫※の 過渡期にいます
そこでわたしは 詩作を続けていますが、
横に字数が伸びる 日本語の 詩が溜まっていって
「わたし」は 詩集を纏めるでしょうか

(雑誌の詩の応募要項に 「400字詰め原稿用紙・縦書き」って 記されていた)
(しかも、5枚以内だって・・・・・・それが 「詩」というものと 文科省が決めたのか)

わたしは 長年PC派で それなりの液晶フィールドで
詩を書いてきました 手書きは筆圧が負担でむずかしい
指とキーボード またはタップで ふれあいを体感する
けれども、最近 秋葉原のマルチメディア館で気づいた

≪ おや、わたしは 迂闊だった!≫と

いまはもうPCの時代ではなくて スマホの時代なんだ
わたしが公開した詩は あの画面で読まれたりするんだ
電車の車両のなかの光景を見れば一目で分ることだよな

拡大・縮小しようと わたしが意図していた
レイアウトは個々の環境で くずれてしまう
それは・・・・・・・・・ わたしを 生かしめている

≪抒情≫の 発狂ということだ
炎上 (World Wide Fire) に 感情を 揺さぶられてたまるか

 

 

※ ≪Kindle≫ (火を)つける、(火)をおこす、~を燃え立たせる、燃やす

 

 

 

蛞蝓(ナメクジ゙)の、通り雨── Silver Road

 

今井義行

 

 

Light Up 真夜中にトイレに起きた時
押し入れの前 半畳ほどの 湿気の強い いぐさの上に
家族か 仲間か 分らない
蛞蝓(ナメクジ)が 5匹 はねをのばしていた
≪おおっ くつろいでおりますなあ≫
という 勝手なわたしの イメージ
≪手足がなくても はね、ってある≫

何処に 家を構えたものやら
新築パーティーか 懇親会か
いぐさの上に 楽し気に這い回ったような 銀のぬめり、Silver Road

通り雨が 真夜中にあったような 幾筋ものかがやく路、Silver Road

(Praise Song)※1
Silver Road, Silver Road, Oh, Silver Road・・・・・・・・・・・・・・・・・

綺麗なお茶を飲もうと想って飲んだ 宇治茶が 就寝中に小便にかわり
≪さあ、放尿だ──!≫と
きめた 矢先の 出来事だ

Light Up 光のもと 蛞蝓(ナメクジ)が一斉にうねり
きゅうっと まるまったりして それが けなげで
一匹ずつ ティッシュで包んだが 潰せない─・・・・

植物を喰い 寄生虫を持つと いうことで
害虫の ひとつとして 指定されてるけど
殻のない 巻貝じゃないの 殺したくない

にゅうっ、と つのが 旋回してる

Light Up 光の風に 触角だけを頼りにして 出来事を知る

蜚蠊(ゴキブリ) は 逃げ足が速いからいいさ
さすが 億単位の年月を生き抜いてきた輩
お元気で!! と エールを送ってれば ОK

なんだか 生まれかたって 不公平だよね
なんだか とっても 心に霧雨が ふるよ

うちから すずらん通りを辿って 7、8分
総武線・平井駅 北口 駅前の公園の植込みの辺に 朝、
いつも 一匹の茶トラの 地域猫がいてさ

或るご婦人を中心に ご飯をもらっててね
片耳に 桜の花びらの形の 切込みがある
猫さんで それが地域猫の印なんですって

「かにかまぼこ」が大好物のようなんです
急ぎつつ写真を撮るけど食うか寝てるかで
なかなか 仲よしには なれないんですね

ご婦人に「名前はなんていうんですか」と
きいたところ 「わたしはねミィちゃんよ
他の人は知らないけど」・・・・ふうん。それで わたしは、

貫禄ある地域猫の茶トラを「さくら」と呼ぶことにしました
かなり老齢かもしれず毛並みに艶がなくあまり動き回らない
雨の日にはグレーの毛布を頭巾のように被せてもらい夜には
見かけることはない行方は分からないけど護られてはいます

わたしもご飯をあげたくて西友で値下げ品
「かにかまぼこ」を買っておいたけど休日
小腹がすいておやつに自分で食べちゃった

写真を撮るのが趣味になり 空や道や花や
ひとや動物をこのんで 撮るようになって
わざわざ猫や雀がいそうな道を巡ってます

だから、他人から見たら
町内をよく ふらふらしてる おっさんかも しれないです

雨の降る寒い日にグレーの毛布に覆われた
まるい塊が 植込みの奥にぽつんと「いた」
≪あれ、さくらじゃないか 雨が滲みて≫

その日、連れて帰りたくなったけど でも
この猫は皆の「ねこ」 地域猫の「さくら」
車に轢かれる野良猫より幸せなんだろうと

わたしは踵を返してアパートに向かい出し
ぼうっと横断歩道で信号待ちをしていたら
バイクが水滴散らし路上に銀の轍を残した

(Praise Song)
Silver Road, Silver Road, Oh, Silver Road・・・・・・・・・・・・・・・・・
路上に銀の轍を残していった
Silver Road, Silver Road, Oh, Silver Road・・・・・・・・・・・・・・・・・

Light Up また 或る真夜中に トイレに起きた時のこと
やはり また おるのですわ
光のもと 蛞蝓(ナメクジ)族が それは楽し気に
はねをのばしていたのが
急転直下 一斉にうねり

きゅうっと まるまったりするのもいれば
パーティー会場が 突如
≪戦場≫と化したもんで
てらてらしたぬめりを畳に残しながら蠕動運動を始めたり──、
でも その移動の遅さときたら
特筆ものなんですよねえ

捕まえてティッシュに包もうとするわたしの手の動きに
比べたら もう
圧倒的に 不利、そのもの なんだ
どんなに頑張っても敗けちゃうんだ

わたしは たまたま 別の生き物に 生まれて来ただけで
判断一つで どうにでもできちゃう
ティッシュで包んだとしてもそれは
彼らを燃やせるゴミに出す事だった

手足はない、口はきけない彼らとは
顔を合わせ対話というものが無理だ
ただ一方的に やられてしまうのさ

けれども、

わたしがいつも座っているパソコン
前のクッションの間近に銀のぬめり
が 生々しく 残っていたのを見つけ、

蛞蝓(ナメクジ)って丸まったり銀の
路を残したりしながらその動きを
ことば化してるんじゃないかなあ

って、考え込んで しまったわけ。

もしかして─・・・・なかよしになろうと 交渉にきたのでは!?
蛞蝓(ナメクジ゙)って お利口なんだよ
わたしの就寝中を 選んで 現れる
誰にも何にも 迷惑をかけていない

≪いつまでも いても いいよ──≫
蛞蝓(ナメクジ)の 世界観、知りたい
Silver Roadは きれいな通り雨だよ

(Praise Song)
Silver Road, Silver Road, Oh, Silver Road・・・・・・・・・・・・・・・・・
わたしが蛞蝓(ナメクジ) なら戦場で真っ先に死ぬね
Silver Road, Silver Road, Oh, Silver Road・・・・・・・・・・・・・・・・・
だって、生まれてからずっと かけっこビリだもの

蝸牛(カタツムリ)は殻があるそれで
子どもたちの 手のひらの 人気者
地域猫「さくら」も町内平和の徴 ※2
ところがだよ──・・・・・
蛞蝓(ナメクジ)って冷暗湿地を徘徊
するだけで元朝青龍並みのヒール
あいされる者とあいされない者がいるってことは
皆でそれを産んじゃうって事だな

蛞蝓(ナメクジ)は わたしがもう何回も焼却炉に送り込み
生きたまんまで どういう手も打てず 死んでいったんだ
そう、・・・・・・・・・・・・・・「ガス室」送りにすごく似ている

Silver Road, Silver Road, Oh, Silver Road・・・・・・・・・・・・・・・・・

幾筋ものかがやく路、──・・・・・それって きれいな
通り雨に 過ぎなかったと いうのにね、──・・・・・

 

 

※1手拍子を伴う、ゴスペルの冒頭のセクション。アフリカ黒人は
空0≪家畜≫として輸入されたと聞く。「自分で自分の肩をたたくような/
空0マクシム 菅原克己より」を、そんなとき思い出す。

※2「さくら」は、その後、すがたを消しました。

 

 

 

造花の如く

 

今井義行

 

 

少年時代 水たまりのなかの 白い花を摘もうとして 手が濡れた
≪きれいだなあ、かわいいなあ≫ 唯そんな想いだけで 手が動いた
その日の花は雨あがりの 水に映り込んだだけの白い花だったので
わたしの胸のなかには摘めなかった白い花が造花として保存された
そして少女たちの輪で遊んでばかりいた頃その花は喜びへ揺らいだ

*保存された その花、 どんな 白い おはな

*わたしの 胸の 一輪挿しに ずっと ある

*それは、 艶の ある Vanilla ホワイト

*それは、 ゆりの、 造花 です ゆりは、

*埃をかぶり 幾たびも 割れそうにもなり

わたしの ゆりは、わたしのなかの少女性で
壮年男の胸の 一輪挿しにもずっと つづいて
可愛い白さに憧れて野を這った少年の名残り

*それは、 艶の ある Vanilla ホワイト

*それは、 ゆりの、 造花 です ゆりは、

*わたしの 胸の 一輪挿しに ずっと ある

*それは、 家族が いない日にした 薄化粧

Vanilla ホワイト 造花・・・、造花 つくりばな、
という 自然 があるのだと 信じて きたの

東京都美術館で 「ボッティチェリ展」の ≪聖母子≫ を見た
母子とはあるが それは 抱く者と抱かれる者の 愛花でした
富豪家から依頼された宗教画かもしれないがその碧い熱の注が
れようは表現の開花と欧州でのキリスト教の浸透力を伺わせた

宗教画にはゆりが描かれることが多いというキリスト教に於て
ゆりの花は、【純潔】を意味するのだと聞いた 中世イタリアの
≪受胎告知≫などの絵には しばしば 背景に描き込まれている。
けれど、ニッポンではゆりは 陰間の俗語 薔薇族と対になる物

処女懐胎などするわけないじゃないか神秘的な嘘もあるものだ
わたしは その聖母から ≪聖≫も ≪母≫も むしりとって
ヘンな勘違いしなさんな、と 眼を伏せて両腿を静かに閉ざす
官能性の匂う Onna の白色光の手を掴んで額縁から連れだした

上野公園の散歩道には ハクモクレンが天へ垂直に咲いていた

春がおとずれると 花々が咲き 花々が散るのをうつくしいと
ひとは言う けれど わたしは春先を疑い神の怒りにふれよう
と想った 造花・・・・・・・、つくりばな、 Onna は 何も喋らない
碧い石を微細に砕いた衣一枚で どこまでも影のない白い頬で

そして誰も来ない鳥居の奥の木陰で わたしたちは添い寝した
わたしは わたしを 冬越えさせた一枚だけのコートを 毛布の
かわりにして Onna の冷えた 腕まくらに 横顔をうずめた
木陰の枝々のむこうに 不忍池の傾きかけた 日射しが見えた

Onna は つっと わたしの乳房をなだらかなくちびるで吸った

唇スタンプは縦に横に上に下にわたしの乳首の周りを移動した

≪ああ、 ねむっていた ゆりが ひらく≫

Vanilla ホワイト 造花・・・・・・・・・、 つくりばな、
と いう 自然が あるのだと 感じて いたの

傾斜線の輝く 上野公園で いつかは 召されても 造花でいたかった
ゆりは Onna の 指先で 包皮がめくられて しだいに勃っていった
わたしの ゆりは、 わたしのなかの秘密 少女性だった、というのに
なまの壮年男の 胸の一輪挿しに ずっと あるものだったというのに

≪ああ、Vanilla ホワイト が こぼれそう≫

白色光の輝く 上野公園で いつかは 召されても 造花でいたかった

≪ああ、Vanilla ホワイト が したたった≫

花はどこへ行った?/Peter, Paul and Mary
WHERE HAVE ALL THE FLOWERS GONE?≪和訳≫

Where have all the flowers gone, long time passing?
花はどこへ行った?長い時を経て
Where have all the flowers gone, long time ago?
花はどこへ行った?長い時が流れ
Where have all the flowers gone?
花はどこへ行った?

Where have all the young girls gone, long time passing?
少女達はどこへ行った?長い時を経て
Where have all the young girls gone, long time ago?
少女達はどこへ行った?長い時が流れて
Where have all the young girls gone?
少女達はどこへ行った?

Gone to young men[or husbands] everyone.
みんな恋人達のもとへ行った.

少女達は、どのような性(さが)に たどりついたのだろうか──
その少女達の一人位は胸に兄花ができ妹の香り抱き寄せたのでは

夕空には 三日月がうっすら浮かび うたたねからさめてみると
わたしは 碧い石の敷きつめられた おおきな円陣のなかにいた
碧い石の粉にまみれたコート わたしは それを ひとり纏って
不忍池のボート乗り場の舗道に沿って 御徒町まで歩いていった
なまの壮年男の胸の一輪挿しにずっとあったものは消えたのかな

御徒町からアメ横の雑踏のなかに入っていった 無国籍な露店街
の日本人が営む鮮魚店 真っ赤な合成着色料にまみれて怒張した
ように太くてながい一本の辛子明太子が≪神のペニス≫に思えた
わたしは 上野松坂屋の傍のバス停から都営バスに乗って帰った
宵闇のなかで どこへ向うのか 自らを 訪ね求めるように・・・・