「夢は第2の人世である」第108回

 

佐々木 眞

 
 

 

2024年12月

ある寄合に出ていたらいまさっきあなたそっくりの人物に会ったというので、早速外に出たらほんとにおらっちそっくりの人物がいたので、色々話をしているうちに、彼こそほんとうのササキマコトであって、自分はニセモノではないかと激しく疑った。12/1

おらっちが起きると、隣の部屋からイデッチも起き出して朝飯も食わずに飛び出すので、「どこへ行くんだ」と訊ねたら、「チューリッヒへ」と答えて、たまたまやって来た市電に飛び乗って、角っこを曲って行ってしまった。12/2

おらっちは証券会社のせーるすまんじゃったが、上司のお墨付きの安全安心な投資の代わりに、一攫千金のリスキーな投資ばかりを唆していたので、ほどなく解雇されちまったのよ。12/3

そして僕らは、この地区で最も危険なブドウ坂下のヒカリ沼の岸辺にたつ、カブト屋旅館を拠点として、日夜活動していた。12/4

その新入社員は、物凄い音痴なのに、人事課の書類には歌が得意で、「カラオケでは、クラシックやシャンソンの名曲を持ち歌にしている」と書いてあったので、驚いた。12/5

お嬢様誕生の佳き日だというので、天井裏から煤だらけの茶器を取り出し、大掃除してからお嬢様の駕籠かきになって、東海道をえっさほいさっさと下ってるとこ。12/6

仲良し3人組で豆腐屋の内職をしている。豆腐はとても柔らかいので、第3指ががっつり食い込んでいる。12/7

スカ線の2本の線路のうち、こッち側はおらっち、あっち側はオグロ選手の領分で、おらっちは黄色いひよっこを、あっち側では白いニワトリを遊ばせていたが、おらっちはオグロ選手と違って今まで侵入してくる電車にひよっこを轢かれたことは一度もない。12/8

おらっちは、自分を、熱砂の上で身悶えしながら、飛び跳ねている、1匹の魚のようだ、と感じていた。12/9

私は老齢で亡くなった大詩人の元原稿が入ったカバンを運んでいたが、坂道で転んだ拍子に飛び出した1枚の原稿が目に入ったので、偶然読んでしまったのだが、その1行の詩句に戦慄して、身動きできなくなった。12/10

撮影所のゴミ箱に大量の百円札を見つけたので、きっと偽札だろうと思いながら、じっと眺めてみたら、なんと本物だったので、これ幸いと、ごっそり抱え込んで、いそいそと家路に急いだ。12/11

「お前はもう俺の女だ。お前はもう俺の女だ」と、無意識に呟きながら、ふらふら歩いていたら、後ろから歩いていた女性が、おらっちを不審者と思ったのか、道路を渡って反対側の歩道に移った。12/12

ハイフェッツによって演奏されたブラームスは、宇宙の彼方めがけてまっすぐ飛んで行った。12/13

わが資生堂では、社員の自由研究課題として、「どんな姿かたちでもよいから、1時間でイメージビルドせよ」とかいうお題が出たので、おらっち、一番美しいのと、一番醜いのと、2型を作ってやったずら。12/14

わいらあ、「第2次おまんた音頭」ブームが来るのを、じっと待っていたが、それは、いつまで待っても、訪れなかった。12/15

天道、人間道、修羅道を経て畜生道、餓鬼道、地獄道の門に到ると、その入り口に翼をつけた麒麟が静かに羽ばたいていたので、余はその背中に飛び乗った。12/16

横大路の西から東を見ると八幡宮を経て宝戒寺に至るが、いつもは多い観光客も今日は誰一人見当たらず、霜月騒動で平頼綱に殺されるとも知らず悠々と宝戒寺に向かって歩いていく安達泰盛の姿が見えた。12/17

さる大詩人が命終して、なんと2億円という大金が詩人団体に寄贈されたので、その使途を議論する会合が何度もホテルや銀座のバーで行われたのだが、そのうち会合が行われなくなったのは、彼らがぜんぶ呑んでしまったからだった。12/18

切りたった断崖絶壁をよじ登っているのだが、これ以上うえに登れず、かというて戻るに戻れない絶体絶命の危機に余は立ち至った。12/19

我はハワイ群島にあって、カメハメハ王朝に先行するバリハイ王朝の祖先の血を引く者であるが、米国と一体になったカメカメハ王の弾圧をくらって、家族もろとも光の見えない牢屋の中で日を送っているのだ。12/20

私は、公園で幼い男の子をあやしていたが、その子が大切にしていた鳥籠を壊して、鳥を傷つけてしまったので、母親に謝ってその子を返し、今度は、可愛い女の子に、カエルを取ってやったが、そっぽを向かれてしまった。12/21

おらっちは、神田鎌倉河岸にあるオフィイスの1階のフロアから、断崖絶壁を爆走できる特殊車両に、女の子を乗せて、大手町から銀座方面へと、走り去ったのよ。12/22

「レコ藝」の取材だというので、われわれライターは全国各地の主要音源地を訪ねては、当地の重要人物に取材しているのだが、それらVIPの大半は、時代物の再現道具と膨大な音源を隠匿したまま、とっくの昔に物故者となっているのだった。12/23

チャンドラグプタの知財育成講座が終わると、すぐにもアインシュタインの原発破壊講座が始まるので、我々聴講者は、深夜の市電に乗るために、急な坂を喘ぎ喘ぎ登らなくてはならなかった。12/24

一匹狼がウリのササキ組だったのに、どういう風の吹きまわしか、気がつけば巨大財閥のワタベ・コンツェルンに呑み込まれそうになっていたので、おらっちは「こんななはずではなかった」と、そのイメージダウンの大きさに衝撃を受けていた。12/25

隣国の女王を愛してしまった国王の私は、両国が戦争して、我が方が勝利した時にも、断固として女王の身を守ったのだが、翌年再び戦争して敗れた時には、女王の助命嘆願も空しく、断頭台の露と消えたのだった。12/26

「エイコさんとヒロシさんを探して」とミエコさんがいうので、ヒロシさんが消えた路地に入ったら、陽気なガイジンが町トロッコに乗っていたので、「ヒロシさんもこれに乗ったんだ」と思って乗り込んだら、反対側の駅前方面に動き出したので、急いで飛び降りたんだ。12/27

親戚の裕福なおじさんが、渓谷の入り口に豪勢な別荘を構えたのだが、渓谷にハイキングにくる人たちの邪魔になるので、早く移転するように誰からも言われているのだが、断固として動かない。12/28

自分は所謂書けない作家なので、しばらく市民大学の自由講座を受講したり、市民公園でなんとなく散歩したりして気分転換を図り、そのうちに面白いプロットが脳裏に浮かんでくるのを待っているのだ、があ。12/29

7人目のててなし児が生まれたので、みんな一斉に出家して、あわよくば得度したいと阿弥陀如来に祈ったのだが、その願いは、ついに聞き届けられなかった。12/30

フランクリン家は、先祖代々の墓地の半分を、死刑囚のために寄付している篤志家だったが、この夏家なき子孫たちが、そこに家を建てて住みたいと言い出したので、大騒ぎになっている。12/31

 

2025年1月

吾は、障害者だけの住区と長く思い込んでいた地域に住んでいるのが、障害者と偽る健常者ばかりだったので、非常に驚いている。1/1

伝説的なJ.ワシントン家と、栄光のJFK家に加えて、禍々しきトランプ家の血を引き継いだ社交界の花形娘が結婚するというので、人々は、喜んでいいのか、悲しんでいのか複雑な表情だった。1/2

ヨモタ氏にぱったり出会ったので、自己紹介したら名刺を呉れた。さりながら無職の余はそんなものは持っていなかったので、ありあわせの仙花紙の雑記帳に名前を書き始めたら、ヨモタ氏がカラーマジックで悪戯書きを始めたので、しばらく2人でジャムセションしたずら。1/3

おらっち五大マフィアの一角になんとか食い込み、世界新興任侠集団を立ち上げて、その旗手となったのよ。1/4

公園の中に、禁止事項などを書いた注意書きがあったが、それらの文章の、ピリオドの部分に、〇ではなく、ドングリの実をくっつける作業に熱中しているところ。1/5

あれやこれやの世間話を電車で乗り合わせた徳島からやって来たという男と楽しんでいるうちに、電車が私もよく知らない駅に停まったので、男は降りていったが、彼が東京駅にたどり着けるかどうかを危ぶんだ。1/6

ふとポスト現生人類のシン人類が大量に発生し、彼らが我が国の兵庫県知事選挙にも甚大な悪影響を齎しているのではないかと思ったが、プーチンとかトランプ、周近平、死んだアベ、まだ生きているタマキなんかもそれではなかろうかと、疑心暗鬼に駆られた。1/7

会社の人事用パンフの撮影をしていたら、ソームのワタナベが「ちゃんと許可撮ってるのか?」と偉そうに聞くので、「んなもん同じ会社の社員の仕事にいちいち許可もへちまもあるもんか。ソームハはソームの仕事をしてろ!」と怒鳴ると、こそこそ逃げていった。1/8

次男がやってきて、カメラのデータのPCへの正しいコピーの仕方を、手取り足取り教えてくれたが、今までにない親切な態度なので、驚いたなあ、もう。1/9

青山通りのプレゼンに参加しようと、おんぼろトラックに乗って駆け付けたが、どこのビルヂングが会場だか分からないので、うろうろしているうちに、時が流れていく。1/10

たとえ安物でもスピーカーを変えると、音色が劇的に変わることが分かったので、次々に買い漁っているうちに、狭い書斎がスピーカーだらけになってしまい、誰も入れない開かずの間になってしまった。1/11

「もう老い先は長くないのだ」と呟きながら、学研のヨコヤマ君が、山手線池袋駅のプラットホームすれすれをよろめくように歩いているので、おらっちは、彼が今にも電車に巻き込まれるのではないかと案じていた。1/12

歌舞伎役者になりたくて、しばらく修行していたら、師匠から「お前さんは、意気地なくめそめそ泣いている役はいいけど、元気はつらつの役は、からきし駄目だね」と言われたので、めそめそ泣いてしまった。1/13

電車に乗ろうと、物凄く天井が高く、物凄く広い空間を彷徨していたら、階段教室の麓のような一画に、見覚えのある仲間たちが、歌を唄っていた。1/14

国連から同僚の女性とアフリカに派遣されたおらっちは、真っ黒なバルバロイたちの捕虜になり、いましもロシア製のカラシなんとかいう機関銃で殺されようとしていたが、形だけでも彼女の盾になろうという余裕の持ち合わせがないのに気づいて、二重に絶望していた。1/15

巴里のお客さんが注文した品物は、東京からではなく、やはりNYから届けなければ感動と信用がない、と上司に力説して、おらっちは、今年も海外出張できることになったのよ。1/16

アラビアのロレンスならぬオレンスの私は、なんとかきゃんとかアラブの烏合の衆を寄せ集めて、一気に敵陣に迫ろうとしたんだが、大将に据えた王子が、なんと誤って地雷を踏んで自爆したので、万事休した。1/17

昔水道橋でちょっとクマグスのような顔をしたスズキ・シロウヤス氏の詩作教室で知り合ったコモダさんが持っていた詩集が、まるで巨大なシイタケのようにたっぷり水気を帯びていたので、持っていたモンブランの万年筆でぎゅぎゅっと押さえつけると、味わいのある青い水が滲み出るのだった。1/18

サンフランシスコの石油汲み上げクレーンが蠕動している、モハーヴェ砂漠の近辺から、彼女の電話があったが、生憎取り損ねてしまったので、生きていることは分かったが、詳しい事情が分からないので焦る。1/19

おらっちは、自分を歓迎してくれたその町の海と空に向かって、最後の挨拶をしたいと願っていたのだが、その希望が叶えられたので、町で一番高い山に登って、「海よ有難う!」「空よ有難う!」と叫んでから、その町を後にした。1/20

阿呆莫迦ナベ野郎が、値段が安いからというて、婦人服の生地で紳士服を作ったら、案の定全部返品になってしまったので、社員たちが、それを定価で給料から天引きされて強制的に社員販売され、毎日泣いているのよ。1/21

黒板に、なんかを書こうとしていたその瞬間、震度10の大地震が、天地を揺るがしたので、わいらあ、なんもかんも分からんように、なっちまったずら。1/22

芯から絶望した人間が、ふらふらと街頭に出て、たまたまやって来た大型トラックに弾き飛ばされて、舗道に叩きつけられたので、五体バラバラになって、顔といわず、頭といわず、鮮血が淋漓と流れ出たのだが、その人間は、立ち上がって、よろよろ歩き出した。1/23

後期高齢者は、法令により、今年から、冬季は冬眠を強制されることになったようだ。1/24

凄惨な市街戦が始まったが、我々は前回に敵が奪った村々の大半を取り返したので、鼻高々だった。1/25

仲良し兄弟のおらっちは、今までその証拠のようにして弟の丹波焼の茶碗でお茶を飲んできたのだが、側近の勧めで、今年から自分の近代デザインの茶碗で飲むことにしたら、すぐに弟がへそを曲げたので、超驚いた。1/26

うつらうつら眠っていると、巨大なダイオウイカがやってきて、その長い手足をギュンと伸ばして、おらっちの顔に触るので、右転左転して、ケタクソ悪いイボイボの感触から逃れよう、逃れようとするのだが、なかなか朝が来ない。1/27

長いだけが取り柄のような長大愚作を、生憎満席のために立ちん坊で見終わった映画評論家の佐藤忠雄氏と淀川長治氏が、口を揃えて「僕はこういうのはどうも苦手だな」と言い置いて帰っていかれたのはショックだった。1/28

いつもあたしに引っ付いてキスしまくっているあおせあかコタル川がうんともすんとも言わなくなったのはどうしてだろう?もしかすると死んぢまったのか?1/29

せっかく世界剣道大会で優勝したというのに、何を食ってもうまくない。どうやら舌の味蕾がやられてしまったらしい。1/30

長らく絶縁状態だった大家族が、一堂に会してにこやかに挨拶を交わしたり、楽しげに会話しながら食事をしたのだが、数時間後には全員が離れ離れになって、もう二度とまみえることもないだろうと、皆が分かっていた。1/31

 

2025年2月

綾部の田舎の家の2階のベランダからケン君がひょいと顔を出すと、緑色をした小鳥が近づいてきて右手の掌に乗ったので、ケン君は小鳥をつまんで、軒下にあった鳥の巣の中に入れてやると、驚いたことに、巣の下から赤や青や茶色い小鳥たちが次々に顔をのぞかせたのでした。2/1

荒野に聳え立つ、大中小様々な姿かたちをした、青紫色のアスパラガスのような陰茎を、次々に咥えこもうとするので、思わずおらっちは「アスパラガスを咥えるな!」と叫んだのよ。2/2

向こうに景色の良い原っぱが見えた。あそこでケンと一緒に寝転んで「大きくなったらなにになる?」というような遠大な噺をしたのだが、あれから何十年も経ってしまった。2/3

昔々、大風が吹けば、たちまち吹き飛んでしまうような、バラック仕立ての犬猫ツインタワーがありました。2/4

あの吉田秀和翁が、御年百歳にして初めて映画を撮ったというので、みに行くと、なんとホームムビーだったので、驚いた。2/5

私が作ったテレビCⅯのナレーターに根津甚八を起用して「多情多感な毎日です」という文章を読んでもらったのだが、全部で7つの録音の内テーク2とテーク5をOKにしてそのどちらかを使うことにしたら、甚八選手が「このうち1つは俺もOKです」と言うのでそれで行くことにした。2/6

その時プロダクションのデラの社長の江尻京子さんがスタジオにやってきて、「事務所は税務署が押し掛けてくるのから「ここに逃げてきたの」と言うのだが、ほんとはダビングの様子を見に来たのかもしれない。2/6

どういう風の吹き回しか、図書館の貸出カードを、青砥橋から滑川に投げ込んでしまったので、「ああしまった!」と途方に暮れたが、これはきっと夢の中の話なのでから、朝まで待ってカードを探そうと思いついて、安心したのよ。2/7

犬ビルの社長は、犬博士。猫ビルの社長は猫博士。世間では2人の博士を犬猫の、いや犬猿の仲だと噂していましたが、それは表向きだけのこと。ほんとは2人の博士は大の仲良しで、時々社長室の窓を開け放って、資生堂の「ナチュラル・グロウ」をアカペラで唄っていたのでした。2/8

あらかた宿敵を退治した三宝帝は、新たな後継者を指名して、東宮、宰相、貴族や武将などを新都の皇居近辺に住まわせて、指導体制を確立したかにみえたが、僅か半年でことごとく瓦解してしまった。2/9

もうすぐ獰猛な人喰い族がやって来るというんで、おらっち、あちこち隠れ場を探したんだが、どこもヤバそうなんで、これはほんとにタバイぞ。2/10

第3次世界大戦が終わったので、ようやく能世界の改革が始まったが、旧流派が全部破壊されてしまったので、新しいスクールが登場するまで、相当時間がかかる見込みだ。2/11

大学の創立記念日で関係者1人ひとりに1つずつ福袋が貰えるというので、我らあさましく、少しでも中身がよくて重そうなのを、矯めつ眇めつ選りに選っているところ。2/12

何事もナアナアで済ませようとする大人たちに鋭くノンを突き付ける若者たちのアンソロジーが発売され、大ヒットちゅうだ。2/13

昨日会社で仕事をしていたら、超美人の女医さんがやってきて、さあ皆さん、どなたでも只で診察してあげますよ、というたので社長から闇バイトの小僧まで全員仕事なんかほっぽり出して門前市をなして診てもらったのよ。2/14

犬猫ツインタワーの中には、それぞれ大きな事務所があって、それぞれ全世界の優良会社から派遣された100名の社員がデスクに陣取り、朝から晩まで、仕事のような、遊びのような仕事に従事していましたが、中には「あたし墨田区のタバコ屋さんで働いてたのよ」と告白する中年のオバサンもおりました。2/15

そんなある日のこと、犬猫2人の博士がそれぞれ発表したラテン語の年頭所信表明の文書が、ふたつながらに意味不明なので、ミラノのスカラ座宛にファックスを入れたら、たまたま居合わせた指揮者のトスカニーニが、たちどころに解読してくれました。2/16

それによると、犬博士は「能登地震の被害から立ち直るには、世界最大の地震国イタリアに学ぶに如かず」と説き、これを受けて猫博士は「紀元62年のポンペイ地震とその17年後のベスビオ火山の大爆発を、テッテ的に研究せよ」と論じていたのでした。2/17

ようやく懸案の謎が解明されたので、犬猫ツインタワーの200名の全社員は、ビルヂングの窓を開け放って、例の資生堂の懐かしいCⅯソング「ナナチュラル・グロウ」をアカペラで大合唱したのでした。2/18

するとどうでしょう。その時早く、その時遅く、どこからともなく大風が吹き付け、と同時に犬猫ツインタワーを揺るがす震度10の大地震が天地を揺るがしたので、2人の博士と200名の社員たちは、ガタンガタンと大揺れに揺れる地上100メートルのツインタワーの窓から、全員大空に向かって投げ出されたのでした。2/19

どの遺品を貰おうかとわしとセイサンは焦りまくったが、なんのことはない結局2人共生絹の洒落たジャケツを1着ずつ貰うことで噺がついた。青と緑のジャケツやった。2/20

夜中に台所の窓の外で白い影が蠢いているのでさっと開けると土管工事をしているので、「夜中に工事なんかするな!」と怒鳴ったら、ナンチャラ星人がこっちを向いた。2/21

60年に天安門広場で開催されたというエポックメーキングなふあっちょんしょおについて取材しようと北京を訪ねたが、誰もがそんな噺は聞いたこともないと首を振るのだった。2/22

ミラノ公国とバイエルン公国がまたしても戦争しようとしていた時、アンタラ公国のさる公爵が、毎度おなじみの人殺しではなく、手を一切使わない足だけ戦争をしてみてはいかが?と提案したのが欧州における蹴球の始まりらしい。2/23

巨大工場で最新兵器の展示会が開かれたのだが、何の説明もないので、仕方なく門外漢のおらっちがテキトーなことをシャベっていたら、マスコミ各社が迫って来たので蹌踉と逃げ出したのよ。2/24

デザインする時のビジョンが不完全だったので、それをなんとかカバーしようとしたがうまく行かず、結局また別の霊感がやってくるまで待機することにしたのよ。2/25

母校参観日に出かけたら、行ったことがないからよく知らないけど、まるでキャバクラのオネイサンみたいな大勢の若い女性が、立錐の余地もなく犇めいているので、驚いた。2/26

中居2代目のおらっちだったが、1代目と同じ失敗は許されないと武道館で日本一盛大な記者会見を行うことにしたのだが、誰一人現れなかったずら。2/27

他人と同じことをすれば殺されるというお触れがあらかじめ出回っていたにもかかわらず、愚かなニッポンチャチャチャは、隣と同じ振舞いしかできなかったので、全員銃殺されてんげり。2/28

 

 

 

極私的

 

佐々木 眞

 
 

アウシュビッツの後でも
世界中の詩人が、
詩を書いたように、

ベトナム戦争の後でも、
世界中の詩人が、
平気で詩を書いた。

フクシマの後でも、
この国の詩人は、
つまらん詩をぎょうさん書いた。

厚顔無恥な我々は、
ガザ、ウクライナの惨劇の後でも、
下手糞な詩を、ビシバシ書くだろう。

世界の荒廃に対する防御は、
ただひとつ、
創造する営みだけだからだ。*

 

*「世界の荒廃に対する防御はただひとつ、創造する営み。」byポール・オースター「4321」モンロー先生の言葉より引用。

 

 

 

犬猫ツインタワー

 

佐々木 眞

 
 

昔々、大風が吹けばたちまち吹き飛んでしまうような、とんとバラック仕立ての犬猫ツインタワーがあったげな。

犬ビルの社長は、犬博士。猫ビルの社長は猫博士。世間では2人の博士を犬猫の、いや犬猿の仲だと噂しておりましたが、それは表向きだけのこと。ほんとは2人の博士は大の仲良しで、時々社長室の窓を開け放って、資生堂の「ナナチュラル・グロウ」をアカペラで唄っていたのでした。

犬猫ツインタワーの中には、それぞれ大きな事務所があって、それぞれ全世界の優良会社から派遣された100名の社員がデスクに陣取り、朝から晩まで、仕事のような、遊びのような仕事に従事しておりましたが、中には「あたし、墨田区のタバコ屋さんで働いてたのよ」と告白する中年のオバサンもおったげな。

そんなある日のこと、犬猫2人の博士がそれぞれ発表したラテン語の年頭所信表明の文書が、ふたつながらに意味不明なので、ミラノのスカラ座宛にファックスを入れたら、たまたま居合わせた指揮者のトスカニーニJr.が、たちどころに解読してくれました。

それによると、犬博士は「能登地震の被害から立ち直るには、世界最大の地震国イタリアに学ぶに如かず」と説き、これを受けて猫博士は「紀元62年のポンペイ地震とその17年後のベスビオ火山の大爆発を、テッテ的に研究せよ」と論じておったげな。

ようやく懸案の謎が解明されたので、犬猫ツインタワーの200名の全社員は、ビルヂングの窓を開け放って、例の資生堂の懐かしいCⅯソング「ナナチュラル・グロウ」をアカペラで大合唱したんだとさ。

するとどうでしょう。

その時早く、その時遅く、どこからともなく大風が吹き付け、と同時に犬猫ツインタワーを揺るがす震度10の大地震が天地を揺るがしたので、2人の博士と200名の社員たちは、ガタンガタンと大揺れに揺れる地上100メートルのツインタワーの窓から、全員大空に向かって投げ出されたのでした。

とっぴんぱらりのぷぅ。

 

 

 

よう知らんけど

 

佐々木 眞

 
 

わが国では日本固有種の絶滅危惧が心配されているようだが、その前に日本人が絶滅したそうだ。よう知らんけど

わいらあ後期高齢者は、法令により今年から、冬季は冬眠を強制されることになったようだ。よう知らんけど。

世界中女権が拡張しすぎたので、これからは昔ながらの男根主義者が巻き返すそうだ。よう知らんけど。

片思いだったヨハンネスがとうとう想いを叶えた喜びが、1877年のあの幸福な第2交響曲や翌年のヴァイオリン協奏曲、第2ピアノ協奏曲の長調の調べに繋がったそうだ。よう知らんけど。

1966年5月18日、グレン・グールドは、トロントのテレビスタジオにメニューインを迎えてバッハのハ短調ソナタ、シェーンベルグの作品47のファンタジーとベートーヴェンのト長調のソナタを弾いたが、全部暗譜だった。よう知らんけど。

難病の特効薬ができて、パーキンソン病のキムラ君が劇的に快癒し、「ただごと歌」の奥村さんも、メグロさんとこも、奇跡的に回復したようだ。よう知らんけど。

こないだまで自由に散歩していたタタラが谷の入口に、「私有地につき立ち入り禁止」の柵があった。貴重な文化遺産があるのに、私有地だから禁止できるんだろうか。よう知らんけど。

今日は土曜日。図書館へ行く前に長男は彼の大事な10円玉を呉れたが、毎日新聞におらっちの短歌は載っていなかったので、残念ながらコピーはできなかった。それから東急ストアへ行ったが、いつものように6階の本屋にはいかず、本を買うのを我慢した。偉い!よう知らんけど。

もしかして、長男は父をそれなりに愛しているんだろうか?よう知らんけど。

 

 

 

六道巡り

 

佐々木 眞

 
 

私は銀座で行われる忘年会に行かねばらないのに、誤って西方に向う「バスに乗ってしまった。後ろの座席には小山イト子と川村みずゑさんと元アンアンの編集長だった女性が座っていて、「西永福はね、元は西福原といって、平家の落武者の末裔が今でもたくさん住んでいるのよ」という話で盛り上がっていた。

もうだいぶ遅くなってしまったので、私はもう銀座の会は諦めて、とりあえず上司のセイさんに連絡しようと思ったが、会場の電話番号も分からないし、ケータイを持たないセイさんへの連絡方法も思いつかないので、とりあえずバスの中で「在天の主よ、余の欠席を許されよ」と祈りを捧げた。

すると、バスの進行方向に赤い飾りを巡らせ「修羅道」と書いた第1の門の扉が開いて、小山イト子と川村みずゑさんと元アンアンの編集長が次々に入っていったので、私はしばらく、なんじゃらほいと見つめていたが、思い切って彼らの後を追った。

修羅門の前で「ひらけゴマ」とお馴染みの呪文を叫ぶと、ただちに扉が開いたので、私は薄暗がりの中を西へ、西へとグングン進んでいくと、突如、修羅にたどり着いたのよ。

そこには金髪男のトランプと熊のプーサンの習近平、元KGBのプーチン、殺人鬼のナネタニヤフなど筋骨隆々、悪辣非道の阿修羅たちがたむろしていて、俺が俺がの我よし競争を闘っておった。

やっとこさっとこ修羅門を逃げ出すと、次の第2の「畜生門」が待っていた。

その中では牛馬豚のお面をかぶった2等兵が、水底の貝になることを夢みて未来永劫終わることのない瞑想ザゼンに耽っていた。

軍隊とか軍人とかは大嫌いなので、いま私は、神田周辺の雑居ビルのエレベーターに乗っている。

毛皮の外套を着てハバナをふかしているなにやら偉そうな中年男と一緒だったが、狭いエレベーターに途中で乗り込んできた連中に押されて、ハバナ男のハバナを叩き落としてしまった。

エレベーターが地上階についてから、私はそのハバナ男にハバナの1件で、「申し訳ないことをした」といちおう謝ったのだが、ハバナ男はまったく気にも留めずに、「ちょっとそこらでお茶でも飲みませんか」というて、とあるカフェならぬきっちゃ店に誘うと、「折り入って頼みたいことがあるのです」とある依頼をするのだった。

それは今の言葉で言うと「闇バイト」のようなものだったので、「こん畜生、むかし闇バイトして吉本興業を解雇された私だ。年金だけで暮らすからほっといてくれえ」と叫んで、神田鎌倉河岸方面に向かって駆け出した。

「畜生門」を逃れて、なおも西へ、西へとグングン進むと、小さな鉄の門が待ち構えていた。第3の門「餓鬼門」だった。餓鬼界の入り口は日本橋のたもとで、いままさに羽ばたこうとしている翼のある麒麟像だった。

麒麟像の翼の下の青銅の扉を押し開いて日本橋川をズンズン進んでいくと、角丸橋に着いたので、石橋を昇るとその袂にナリオカ・オーディオ店があった。

角丸のナリオカ・オーディオ店の軒先では、セイさんとイマナカさんが、麒麟ではなく、独裁的都市国家の象徴たる狛犬のブロンズ像を、その先端に取り付けたオートバイによく似た電動自転車に跨って、今まさに原宿まで出発しようとしていた。

2人でキックボードをキック、キックせんとしていた。

セイさんが「ササキ君、これはね、ボクがピストルと一緒に、おふらんすの巴里ィから密輸入した、ハーレー・ダビッドソンにとてもよく似た電動自転車なんだぜ」と自慢げに言うたので、おらっちは、できるだけ感情を抑えて「ああ、そうですか」と答えてやった。

するとセイさんの横合いから、まんまる顔を突き出したイマナカさんが、「ササキ君、これはね、セイさんがピストルと一緒に、おふらんすの巴里ィから密輸入した、ハーレー・ダビッドソンにとてもよく似た電動自転車なんだぜ」と自慢げに言うたので、おらっちは、またしてもできるだけ感情を抑えて「ああ、そうですか。でもそんあなこたあ、先刻承知の助ですよ」と答えてやった。

やった、やった、答えてやったのよ。

するとナリオカ・オーディオ店の店長までも、「ササキさん、これはね、セイさんがピストルと一緒に、おふらんすの巴里ィから密輸入した、ハーレー・ダビッドソンにとてもよく似た電動自転車なんですよ」と自慢げに言うたので、おらっちは、とうとう堪忍袋の緒が切れて、「ばあろう、ばあろう」と永代橋の鴉みたく喚きながら、この阿呆莫迦店長をカラシニコフ機関銃で、ズババ、ズババ、ズバババンと撃ち殺してやったのよ。

それからそれから、またしてもグングン西方に進んでいくと、エドモンド・ダンテスが長期滞在している「地獄門」だった。

第4の鉄の扉を押し開けて古びた小さなビルヂングの1階に入ると、ナガシマシゲオがマキノコーチと肩を組んで「がんばろう!」というおらっちの大嫌いなミンセイ労働歌を唄いながら、ロビー狭しとスキップしながら駆け巡っていた。

そんでもって、最後の「ガンバロー、ツキアゲルそらに!」のリフレインで、4つの大きな拳を、唄の文句通りに突き上げたので、おらっちは激しくロカンタンしてしまった。

つまり嘔吐してしまったんよ。

胃の腑の中の吐けるだけのものを吐いてしまうと、おらっちは今まで聞いたことも見たこともない天上界に到達してしまっていた。なぜならそこは地上を遥か離れた雲の上で、「天道門」とサラリと草書で描かれた、苔むした木製の門札がかかっていたからだった。

「天道門」のたもとに、その顔に見覚えがある老人がしゃがみこんでいたので、

「あなたはもしやわが敬愛する「ただごと歌」の奥村晃作さんではありませんか?」

と訊ねると、「そうじゃよ」と懐かしい声がする。

「ここは地上界の何層倍も高いところにある天道界ですよ。まだ亡くなられたわけでもないので、なんでこんな浮世離れしたところにいらっしゃったのですか?」

と勇を奮って尋ねると、「いやね、あんたは私が81歳の時に作った「大きな雲大きな雲と言うけれど曇天を大きな雲とは言わぬ」という歌を知っとるかね」という返事。

「よく存じております。あれこそは誰も知らない真実を初めて開示したあなたの「ただごと歌」の代表作ではないでしょうか!」と声を大にして絶賛すると、奥村さんは

「そんなことを面と向かって言われるとワシャ恥ずかしい限りじゃ」

と、幼児がいやいやをするように首を振りながら俄かに小さくなって、気が付くと、その姿は、どこにも見えなくなってしまった。

……最後にたどり着いた人間界の入り口は、鎌倉雪ノ下の散髪屋さんだった。

おねいさんに肩をもみもみされて、うっとりと恍惚の人になっていたおらっちは、「タナカ、ミナミ、大好きですおー!」というコウくんの声で目が覚めると、そこは毎度お馴染みのコバヤシ理髪店だった。

家族4人でワンチームとなって、たとえお客さんが束になってやってきても、うまく回してしまう絶妙のチームワークを繰り広げるここ雪ノ下の散髪屋さんは、超ラッキーなことに空いていて、全部で3つある座席に腰かけているのは、おらっちと長男の2人だけだ。

「ぼく、タナカミナミとヨシタカユリコとイシハラサトミとレンブツミサコとウエハラミツキとクロキメイサが大好きですおー!」

「コウくんは、みんな好きな人ばっかりね。嫌いな人はいないんだね。こないだお風呂で死んだ人も好きなの?」とおばさんがいうと、おじさんがすかさず「ナカヤマミホだね」と宣うのと、「大好きですお!」とコウくんが答えるのが、同時だった。

この時遅く、かの時早く、コウくんが「おねいさん、ヒガマナミ好きですか?」と訊ねたが、おねいさんは「ヒガマナミ? さあ?」と首をひねっているので、コウくんは相手を変えて「おじいさん、ヒガマナミ知ってますか?」と訊ねたので、おじさんは目を白黒させて「おれはおじさんだけど、おじいさんじゃないよ」とむくれている。

コウクンはそんなことは露知らず、「ぼく、トイレ行きますお」と勝手に宣言して、いつものようにコバヤシ家のトイレを借りようとするので、おねいさんがあわてて、「トイレ? はいはい、ちょっと待ってね。いまちょっとかたづけてくるからね」といいながら隣の部屋へ行ってしまうと、理容室はたちまちコウちゃん劇場が終わって、急に静かになった。

久し振りに好天の、師走の土曜日のお昼前である。

 

 

 

イーロン・マスク、騒ぎ立つ

 

佐々木 眞

 
 

風が立つ、風が立つ
いざ生きめやもと、風が立つ
いざいざ生きよと、風が立つ

家が建つ、家が建つ
赤、青、白の家が建つ
あっという間に、家が建つ

八雲たつ、八雲たつ
八岐大蛇がそそり立つ
須佐之男命、奮い立つ

色めき立つ、色めき立つ
政権交代できるかと
他力本願、勇み立つ

腹が立つ、腹が立つ
毎日100万ドルを配るやつ
イーロン・マスク、騒ぎ立つ

面影に立つ、面影に立つ
亡き父母が、ぞぞ髪立つ
夢枕獏、夢枕に立つ

弁が立つ、弁が立つ
口から先に生まれたる
論破小僧、浮かれ立つ

上に立つ、上に立つ
腕は全然立たないが
悪運強く、白羽の矢が立つ

倉が立つ、倉が立つ
黄金虫が、蔵立てた
息子に水飴舐めさせた

角が立つ、角が立つ
目立ちすぎると、文句言う
消息絶っても、ぶつくさ、ぶつくさ

俵屋宗達、筆が立つ
フリーマンは、役に立つ
乱麻を断った、逆転サヨナラ満塁ホーマー

門松が立つ、門松が立つ
日本全国、正月だあ
今年はめでたい、甲辰(きのえたつ)

 

 

 

三十年寝太郎

 

佐々木 眞

 
 

おらっち、三年寝太郎、改め三十年寝太郎。
ついこないだまで暑くて、暑くて堪らなかったのに、いまはもう寒くて、寒くて堪らない。
人間なんて、おらっちなんて、勝手なものだ。

「そうだ、ペルルに行こう!」
と龍宝部長が叫ぶので、みんな仕方なく西武新宿線の鷺宮にある井口君がやっている小さなバアへ行った。

アルコールなんぞ一滴も飲めないおらっちは、なぜだか寒くて、寒くて仕方ないので、井口君の奥さんが出してくれた2枚の布団を上からかけて、まるでヤドカリみたくソファーに横たわっていると、

「おらおら寝太郎、そんなとこでなに寝てる。今度は銀座の太牙へ行くぞ。荷風散人がやって来る頃だ」と、今や酒呑童子になっちまった龍宝部長が、ジャック・ダニエルをラップ飲みしながら叫ぶのだ。

荷風散人なら仕方がない。
もしかすると、30も年下の、花も恥じらう美人妾のお歌さんの、花のかんばせを拝めるかも知れん。

と思うと、可笑しなもので、おらっち、げんなり困憊した皆の衆の先頭に立ち、帝都タクシーを呼び止め、意気揚々と乗り込んだが、お目当ての太牙には、お歌嬢どころか散人の姿さえ欠片もなかった。

おらっち、しょうがないから、太牙の支配人から借りた2枚の布団を頭からかぶって、まるでヤドカリみたくソファーに寝そべっていると、そのまま3年どころか、30余年も眠りこけてしまったらしい。

んで、突出する陰茎が宝石箱を蹴飛ばしたようなある朝、いと爽やかに目を覚まし、あたりを注意深く見まわしてみると、今井専務も、龍宝部長も橋本&今中両次長も、前&若林両課長も、前田夫妻も、青木夫妻も、永原さんも、柿崎さんも、金原さんも、矢島さんも、

善太郎君も、安永さんも、酒井君も、毛塚君も、その他大勢のリー(ウー)マン諸君も、みんなみんな姿を消して、もちろんあの憎々しい金髪大統領も、軍事オタクの裏金党首さえも、全国各地の原発や米軍基地と共に、姿を消していたのよ。

 

 

 

「夢は第2の人世である」第107回

 

佐々木 眞

 
 

 

2024年9月

左の膝をハタと打つと、その夜にみた夢のあらましが、ありありと浮かび上がってくるのだった。9/1

成績優秀なタクちゃんを採用しようと、AB2つの会社がPVを作成した。前者は会社挙げてタクちゃんを熱望していることが整然と示されており、B社は女社長のタクちゃんへの熱愛が如実に示されたラブレターのようのもので甲乙つけにくかったので、持ち帰って再度検討することになった。9/2

だいぶ前に他界したタツミ君が、うちの近所に居酒屋を開店したというので、ちょっと覗いてみたら、懐かしい顔ぶれが思い思いに陣どっていたので、酒類はドクターストップのおらっちだったが、これもサービスだと思ってジャック・ダニエルのボトルキープを頼んでしまった。9/3

ふぁっちょんの深化とか退化とかは紙一重。例えば製作過程の1プロセスを無意識に飛ばしてしまうとそれは退化といわれるが、意識的に飛ばすと、逆に大いなる深化と評価され、時には「完成された未完成」と褒め称えられたりするのであるよ。9/4

また台風が来襲して集中豪雨だというので、エイヤっと畳をめくってみたら、床下を轟轟と泥水が流れていた。9/5

おらっちのインタビューでは、あの歴史的な敗戦日に昭和天皇の訳の分からぬ念仏を聞きながら性交していた男女は少なからず存在した模様であるが、かというて、彼ら彼女らが天皇制に反対だったのかといえば、そんなことはさらさらないようだった。9/6

アサヒナ会社のバーゲンで特別びっくり玉手箱を5千円で販売するというので、買おうとしたら、その値段は明日からで、今は8千円だというので諦めた。9/7

だんだん食欲がなくなってきたので、毎日水ばかり飲んでいるのだが、それでけっこう元気に暮らせるので、どれくらいもつか試してみようと思っているのよ。9/8 

モーレツに広い敷地を、モニターに映る範囲でシャッターを切り、フィルムに収めようと早朝から撮りまくっているのだが、夕方になっても、ほんの一部しか撮影できていないのだ。9/9

「我らが身近な宝物」という企画趣旨は、とても興味深いものがあったが、ドイツ中世の農民たちのお化けが紹介され、天井から巨大な足長人形が吊り降ろされてくると、はて、これはなんじゃらほい、という思いが湧き出してくるのだった。9/10

いたるところに地雷が埋められた坂道を、猛スピードで下り降りる黒いボデイスーツの美少女を、おらっちは、はらはらしながら見つめていた。9/11

敵に暗殺されたからというて、こちらが敵を殺すことはないし、敵を殺したからというて自死する必要もないと、おらっちは、そのとき考えた。9/12

そうか世の中のひとはなーーんもしないので、自分がなんかするほかないのじゃ、と、おらっちは、そのとき分かったのじゃった。9/13

敵の間者を捕まえて「お前を拷問するぞ」と脅したら、即秘密事項をべらべら喋り始めたのはいいが、こっちの間者も捕まって拷問されて秘密事項をべらべら喋っているというので、これはこまったことになったと、おらっちは思った。9/14

元の図像が徐々に姿かたちを変えて、現像されるまでのプロセスを、一目で把握できるような多重複層図像を、デゾルブと呼ぼうかと、さっきから考えている。9/15

久し振りに家族一同で楽しく夕餉をとっていたら、舞の海などの黒覆面の日本会議のファシスト連中が殴りこんできたので、カラシニコフ機関銃で皆殺しにしてやった。9/16

いつの間にかモザールが終わって、気がつけばバッハに似ているが、微妙に異なるハッハが奏されていた。9/17

私が愚かしい政治ごっこから足を洗って、西園寺公の真似をして公邸に引き籠ると、もはや誰も訪ねて来なくなったので、毎日のように床屋に通っている。9/18

ガザの住民がやってきて、空からはミサイルが降ってきて、陸地からは戦車が攻め込んできてどんどん人が殺されています。助けてくださいと訴えられたが、おらっちは「自分はイスラエル担当ではないので」というて逃げ出したのよ。9/19

親友がこの界隈の秩序を破るのが心配で心配で、それがおらっちの気弱い神経をずたずたに切り苛んでいる、そんな剣呑な状況がいつまでも続く。9/20

朝から温泉に入っていたら、色っぽい熟女がしきりに余を誘うので、仕方なく奥の奥まで突っ込んでしまったが、結局1ミリも精が出なかったようなので、挨拶もそこそこに朝食をたべにいったのよ。9/21

誰もみていない「徹子の部屋」に、なんたら女王という女性が出ていたので、こいつはエリザベス女王の隠し子かSⅯの女王様だと思ったのだが、そのどちらかはついに分からなかった。9/22

No1になるのが嫌でその地を一人脱出したおらっちだったが、5年ぶりに帰国してみたら、世界でも指折りのキョウフの独裁政治が敷かれていた。9/23

2029年9月9日の午前9時に、おらっちは、綾部大橋の真ん中から、由良川の激流に飛び込んだのよ。9/24

「主体の行動が不在の時空は虚妄である」と誰かが託宣しておるのが、枕の下から聞こえる。9/25

港川人と蝦夷が南北から攻め上がってくるというので、わいらあ、名古屋城で、じっと待ち受けておる。9/26

「お若いの、娘さんにちょっかい出すのはやめなはれ」と自分も若者のつもりで声をかけたのが運の尽き。おらっちがガンベルトから拳銃を抜き出す、その時早く、かの時遅く、彼奴の2丁拳銃から飛び出した弾丸は、おらっちの心臓を2か所も射抜いていた。9/27

珠玉を転がすようなコロラトゥーラの美声が、天空の遥か彼方まで駆け上ったかと思うと、猛烈な勢いで地表すれすれにまで急降下してきたので、おらっち、正直頭の中がクラクラしちまったのよ。9/28

集英社のパーティでヤマモトダイスケに挨拶してから朝日のアルガさんと来週の大阪行きの話をしていたら、毎日のホリウチさんと日経のコスギさんが割り込んできたので困っていたら、講談社のトミタさんと小学館のウメザワさんが、おらっちをうまく連れ出してくれた。9/29

この会社では、毎日ランチとウエアが無料で支給されたが、出張の際にはウエアが届けられないので、あらかじめ申し出ておかねばならんかった。9/30

 

2024年10月

「この勝負ドレスはなかなかいいね」「勝負ドレスじゃなくて決戦必勝ドレスと呼んでるんですけど」「ドレスで戦争に勝つんですか?」「勝てるかも」10/1

どんな微細な物音でも爆発する、最新型地雷が至る所に埋められている国境地帯を、俺たちは、恐る恐る匍匐前進していた。10/2

2アウト2、3塁でシングルヒットで2点取れるか、それが問題だと、おらっちは一晩中考えていたずら。10/3

そのスーパーのレジには、係員の両側に清算ラインが流れているので、客はどこが空いているのかを見定めながら、並んでいるのだった。10/4

公園の入り口の傍にある、洒落た古本屋で、横文字ばかりの洋書を眺めていると、おらっちは、自分が永井荷風の後継者になったような気が、ちょっとだけ、してくるのだった。10/5

知らない間に、鉄線で足や指がちょん切られるのを恐れるあまり、本日の「五山送り火」には出かけなかった。10/6

昨日頂戴した饅頭は、毒を恐れて捨ててしまったのですが、本日は思い切って無毒を信じて食べてみることにしました。10/7

特攻隊員の遺書の中身は、「天皇陛下万歳」とか「父上、母上、本日まで有難う御座いました」というようなものが多いのだが、たった一人だけ「君の瞳は100万ボルト」と殴り書きしたものがあった。これぞ戦後詩の誕生である。10/8

長兄と次兄が不和なので、3男のおらっちは、彼らの仲を取り持とうと、亡父の故里の古城で一大融和パーティを開催したのだが、2人共来てくれなかった。10/9

長い撮影が終わって、スタジオから出てきた彼女に、「お疲れさん、送っていこうか」と何気なく声を掛けたら、驚いたことに、彼女が軽く頷いたので、また驚いたのよ。10/10

荷風散人のわたくしは、真夜中に偏奇館に忍び込んだ美貌の女を、わが両膝に乗せ、袷の下を這わせた指先で、その乳首を優しく撫ぜると、宵闇の書斎に、押し殺したような呻き声が響き渡るのだった。10/11

ようやく衣服なども、人間の本性に適合したアイテムが求められるようになったので、丹波の山奥から、山猿さながらに都に上ったおらっちは、法然上人を尋ねて、その極意を学んだのよ。10/12

超高層ビルのエレベーターが突然落下し始めたので、慌てて夜警に電話したが、なかなか出ない。きっとビルの夜回りに出ているのだろうが、その間にもエレベーターは激しく落下していくので、おらっちは困り果てた。10/13

駅前広場で、三婆が呆然と口をあけているので、何事かと視線の先を辿ると、なんちゃら大臣のズボンの下の真っ赤なパンツが、透けて見えているのだった。10/14

東海道新幹線の東京駅のさきっちょに、国会議事堂駅という秘密の駅があって、超エリート議員だけがそいつを利用している。10/15

こんなに芸術的なと形容すべき美しさに輝く樹木を伐採するのか、と、おらっちは激しい憤りに駆られたのよ。10/16

おらっちは、学芸員たちがどのようにゴヤの銅版画を配置しているのかが心配で、夜も寝られんかった。10/17

下関映画祭に呼ばれていたことを、すっかり忘れて四谷三丁目で踊り食いしてたら、オヤジさんに呼び出されて、首になっちまったよ。10/18

夜、駅の高架下を歩いていたら、カモちゃんとハンカワちゃんが酔っぱらっているところに出くわしたので、とても驚いた。10/19

帰宅すると、昔の恋人かもしれない女性からの手紙の束が、壁にピンで刺されていたので、言いようもない突然の不安に駆られる。10/20

小6の西村先生の国語の授業でオガワトモコが「着の身着のまま」を「着の身着のまま」と発音したので、ボクとヨシオカ君が「え!?」と疑問符を発すると、オガワトモコは「何よ、文句でもあるの?」という顔で僕らを睨んだが、西村先生は「その発音でいいんだよ」と意に介しなかった。10/21

アホバカ犬を飼っている男が、「貴殿はなにを飼っておられるかな?」としつこく聞くので、「わいらあ猫又を飼うとりまっせ」と答えたら、その猫又が分からないようだったので、「お暇なら徒然草を読んでね」というてやった。10/22

「背中越しの風景」という展覧会に行ったが、それはちょっと懐かしい思いがする風景画ばかりが並べられていた。10/23

カンヌ、ヴァネチア、ベルリンで最高賞を獲得した超有名な大監督ではあったが、その助監督のおらっちに下らない掣肘を加えるので、わいらあ社長に直訴して、配転してもらってやっと一息ついたのよ。10/24

明治9年の宮中某重大事件とは、天皇に食われると知った3匹の子ブタが、ある夜こっそり逃げ出したことをいう。10/25

衣食住のトータルファッヨンフェアが開催され、余はそのプロデュサーに任命されたのだが、担当の腕利きデザイナーたちが、さる大手建設メーカーの私邸の仕事に駆り出されたので、頭にきて辞任したのよ。10/26

現場の雰囲気がみるみる荒々しくなって、その中からただならぬナイフのように尖った悲鳴が当たりに響き渡り、それをきっかけに、もはや誰にも収拾できない大混乱が始まった。10/27

2階に来客があると受付から電話があったので、5階からエレベーターで降りようとするとエレベーターが故障していたので、階段で降りようとしたら、途中で工事しているのでどうにも辿り着けないのだ。10/28

おらっちは当代一の人気スタアなので、次々に当代一の美人女優と共演するのだが、そのたびに情交シーンがあるので、お互いに身定めしながら最適の伴侶探しをしているといえばしていたのよ。10/29

急に昔ながらの駅弁と急須のついたお茶が欲しくなって、駅前のなんとか軒に走ったのだが、売ってなかったし、そもそも建物自体が変わっていた。10/30

「神々の深き欲望」の撮影現場にいるんだが、今村監督と三国連太郎は代わる代わる肉感的な沖山嬢とやりまくっているし、呆れ果てた大河内伝次郎は東京に帰ろうとするので、プロデューサーのおらっちは必死で止めたのよ。10/31

恒例のかぼちゃ祭りを祝うために、我も我もと遠方からやって来た連中がドンちゃん騒ぎを繰り広げたので、町内会長や警察署長も懸命に宥めすかしたのだが、誰一人言うことを聞かないので、ついに自衛隊が出動して皆殺しにしはじめた。10/31

 

2024年11月

ついさっきまで戦場にいた隣の仲間たちが全部死んぢまって、生き残ったのはおらっちだけだったが、このぶんでは間もなく殺されてしまうだろう。おらっちは、どうして彼らと一緒に殺してくれなかったんだと恨むような気持に、ついなってしまうのだった。11/1

1階の受付でタクシーを呼んだナカヤ部長が、「一緒に乗せてやる」というて待っていてくれるというので、5階から急いで降りていこうとしたら、階段で死人のように青ざめた顔つきの部長を見かけたので、戸惑っているところ。11/2

せっかく和平が成就したのに、両国の代表は、席の着順や協定書の署名の順番がどうのと枝葉末節にダメ出しを始めたので、仲介役のおらっちも、「それじゃあ、おめえらの勝手にしろ」と匙を投げてしまったのよ。11/3

てらこの店頭で朝から晩まで待ち受けていても、西本町は死んだように静かで、誰一人やってこなかった。11/4

「終了しても電源が切れないパソコンは、どこかが壊れているんですよ」と、誰かが教えてくれた。11/5

会社から帰宅すると息子がいない。誘拐されたかと思って警察に電話したが何もしてくれないので自分で探そう。おらっちにはコンクリートの壁でも撃ち抜ける両の拳があるじゃないか、と思って両手でさすった。11/6

6点のリードがあれば楽勝だと思って、しばらくトイレで用を足していたら、同点にされていた。世の中何が起こるか分からない。11/7

うちの事務所にハセガワアキラさんがやって来たので、一緒にランチでもしようとエレベータに乗った途端、3階から1階まで墜ちてしまったので、もしかすると死者と一緒だったのかと思ったずら。11/8

国民党政府が出来て町内会館で「非常時の心得」という題名の大本営映画を、強制的に鑑賞させられていたが、あまりにも詰まらないので退席しようとしたら、ジミン党の町内会長が2万円の裏金を呉れるというので、みな思い直して席に戻ったのよ。11/9

ふと気が付くと、いつもの海が見渡す限りの砂地に変わってしまったので、我らはこれはほんとに津波がやって来るんだと思って、ぞっとしたんだ。11/10

超重度で薬漬けの子供たちを、まるっきり施設からの管理のないフリーな空き部屋に移して、それこそ自由に暮らさせることに決めた。11/11

出てくる敵をみなぶっ殺すつもりで、国境の最前線の町の広場に突撃したが、どうも様子が変だ。肝心の敵は、住民とジョークを飛ばして笑っているし、我々を見ても平気な顔をしているので、我々は拍子抜けして、構えた武器を下ろしてしまった。11/12

逗子の展覧会場は、サーカス小屋になっており、そこでは参加者全員が、宮中ブランコを楽しむことが出来た。11/13

コウ君は父母に混じって、ずいぶん長く会話できているようだが、私はなにか別のことに気を取られていたので、それが普通人の正常の会話的なものなのか、いつものオウム返しの自己本位の発語なのか判断できかねた。11/14

憲法第9条では、国際紛争を解決する手段として、武力による威嚇または武力の行使を禁じているが、国際紛争以外、例えば国内における革命や武装蜂起に際してはあてはまらないというのかしら、と自問自答してた。11/15

さる学校で、衣服を服飾としてではなく、生物生態系の一部として論じていた時に、「さりながらこの問題は先日卒寿を迎えたおらっちでは無理なので、あとは若い諸君の精進に待ちたい」と言うたところ、死人のような紫色の顔付をしたをタカイチ女史から、「あーた、そおいう極私的な発言は慎んでくらさいと」警告されたよ。11/16

愛犬ムクの先導で海の底まで潜っていくと、そこには20匹以上のさまざまな犬が思い思いの姿勢で寝そべっていた。11/17

彼女はやっと安住の地を見つけたとでもいうように、私の痩せた胸にすがって抱きついていたが、侘助少年の姿が見えないという声をきくや、すぐに立ち上がって、明けることのない白夜の底へ飛び出していった。11/18

東京駅の端っこにやっとこさっとこ着いたのだが、ホームの数が一杯あって、どこにも何番線と書いてないので、適当に階段を登っていくと、後ろから「ササキサンではありませんかあ?」と呼びかける人がいるので、振り向いたらビクターのトマツさんだった。11/19

広瀬さんと野良仕事に来ている。昨日は2人共5時半に仕事を終えて、一緒に宿舎に帰ったのだが、今日は疲れて居眠りしてしまい、目を覚ましたら6時で、広瀬さんは居なかった。11/20

そいつは大腸と小腸を全摘して、お腹の中ががらんどうになってしまったにもかかわらず、相も変らぬ悪党だった。11/21

私は夏仕様の紋付姿になった。アオキは赤橙の、タケダは青紫のスーツになった。それ以来3人が一緒になる機会はなかった。11/21

大統領選挙で実際には大敗したトランプ陣営が作った共和党大勝利の偽動画は、全米のみならず全世界に流通したので、とうとうそれが真実になってしまった。11/22

ドジャースのGⅯからドジャースタジアムに隣接する小さなスタジアムでも野球が出来るようにしてほしいと頼まれたが、ここはユニホームや野球グッズの販売店や土産物屋、おもちゃ屋などのブースが所狭しと並んでいるので、簡単に退去させられない。11/23

およそ半世紀ぶりに余のふぁっちょん原論を書き直して、師匠のイマイカズヤ氏に読んでもらおうと思ったのだが、既に泉下の人になられていた。11/24

親分の提案で百貨店に強盗に入ったら、そこでは社員販売教育が行われていたので漏れ聞いていると、なかなか立派な内容だった。11/25

大阪駅までやって来たのだが、そこから新幹線に乗っていいのか、乗ってどこへ行くのかもさっぱり分からず、左手の掌の上のセンチ虫が無事かどうかを、時々確かめていた。11/26

結局山崎という駅に到着したが、同行している2人が急に喧嘩し始めたので、おらっち一人で親戚の家の2階から、大きな入道雲が夕焼けに燃えていくのを眺めていた。11/27

その事件の結末をじっと見つめていると、現在が過去に、過去が大過去に、大過去が未来に、そしてその未来が現在へと、くるくる循環していくのだった。11/28

監察官に選ばれた我々は、その映画に反米的要素があるかどうかを、朝から晩まで苦役のように審査しなければならなかった。11/29

おらっちオオタニ・ショウヘイ。さいきん戯曲を書いては世界各地で上演されるので、「投・打・演」の三役揃い踏みだあ、と褒め称えられるようになっちゃった。11/30

おらっちオオタニ・ショウヘイ。最新作は「O嬢の物語」。たった一人で天・人・修羅・畜生・餓鬼・地獄の六道輪廻を経て、野晒にされる可哀想な女の物語だ。11/30

 

 

 

薦田 愛詩集「そは、ははそはの」を読んで

 

佐々木 眞

 
 

題名がなぞなぞのようなので、ちょっと調べてみたら、「ははそ」はドングリの実がなる木の総称である柞の葉っぱで、「ははそはの」は母にかかる枕詞らしい。万葉集の他三好達治の詩集「花筺」にその引用があるというので、岩波文庫を探してみたらありました。

いにしへの日はなつかしや/すがの根のながき春日を/野にいでてげんげつませし/ははそはの母もその子も/そこばくの夢を夢みし、で始まり、ははそはのははもそのこも/はるののにあそぶあそびを/ふあたびはせず、で終わる「いにしへの日は」という全部で21行のみやびやかな詩でした。

ちょっと驚いたのは、三好達治の最終連である

 ははそはのははもそのこも
 はるののにあそぶあそびを
 ふたたびはせず

という3行のひらかなが、今回の母子二人の長いようで短い道行きをうたい上げた薦田さんの第4詩集の、すべてを象徴するように印象的なエンディングになっていることでした。

それで、この詩集における作者の語り口はというと、本書の題名や詩の凝った表題の付け方にみられる古語、古典文学の広くて深い素養と、平明な現代日本語とが自然に融合したユニークな修辞によってさりげなく彩られ、現代を生きる大人の詩篇として興趣が尽きないものとなっています。

巻頭から母子は、鳥羽、河津、新宮、茅野、長崎、犬山、尾道と、全国各地に同行二人の旅に出ます。

 女ふたりで「夫婦岩なんてえね、と/鼻をかむ/だって/縁結びを祈る女子旅ではなくて/恋のアルバム作成中のふたりでみなくて/父つまり夫を送って三十年の母との旅だ」(「ふたみ、夕暮れの」より)

どうやら母親は高齢であるにも関わらず、桜をカメラに収めるのが趣味で、そのために桜前線の北上を追って全国の桜名所の寺社や名城に出かけるらしいのですが、母子とも結構うっかりもので、時間に遅れたり、大事な忘れ物をしたり、旅の失敗談がいくつも出てきて微苦笑させられます。

けれども世間の母子の大方が表向きは仲睦まじくとも、一皮めくればいろいろあるように、詩集の主人公である私とその母との間にも、ある日亀裂が走ります。私と恋人との3人暮らしに軋轢があったのか、母が突然家出して、東京から故郷の四国に戻ってしまったのです。

長く暮らした東京をはなれ/戻らないと言っていた土地へ戻ったひと/はは/母という/ばっこばっこ/はは ばっこ/その母/舜動する(「ばっこばっこ、ははは」より) 

そしてその道行の掉尾は、子が母に成り代わって事態の全貌を序破急の急で歌い上げる物語第3篇≪参≫のにあり、それが≪壱≫、≪弐≫と続いた人世の一大事の荘厳なコーダとなって、私たち読者の胸をしたたかに打つのです。

 あな、恥ずかしの身の上かな/おうおう と/聲あぐるはいと易けれど/おしころし押し殺す底ひより/たぎりたちくるもののさうらいて/あの/あの子/あの子の名 を/こゑ に/こゑ に出ださず/聲 にせむ(「ものぐるひ」より)

なお、本書のあとがき「後記、そのいきさつの」によれば、「母は郷里の街で、老境を生きている」そうであります。

 

・浜風文庫の本
https://beachwind-lib.net/?page_id=4694

 

 

 

村岡由梨第2詩集「一本足の少女」を読んで歌える

 

佐々木 眞

 
 

血を流しながら書き綴られた村岡由梨の第2詩集は、読めば血が出る22篇だ。
私は、この真率で、真情溢れる、痛切な詩行を読みながら、改めて詩とは何かと考えていた。

最初に浮かんだ考えは、詩とは「見守りボッド」のようなものではないか、というまことに幼稚なものである。

病ゆえに絶えざる自殺願望に取り付かれ、陸橋を渡りながら、何もかもを、愛する家族さえも見捨てて、硬い車道に身を投げようと思う作者を、詩は、「跳べ」とも言わず、「止めよ」とも言いわず、黙ってじっと見つめている。

その時、詩はまるで天体をぐるぐる経めぐりながら、地上に蠢く微細な存在、生きとし生ける森羅万象を、ことごとく把握しながら、じっと見つめている。
見守っている。

詩はもとより、人間と同じく無力で、そもそも無用の存在であるが、人間がそこにあって、心身に刻み付けられる体験する喜怒哀楽をしかと見届け、激しく流動する事態を、一時的に棚上げして、半永久的に保存することもできるのである。

なぜ詩を書くのか?と問われた谷川俊太郎は、「書いてくれという注文があるからです」とユーモラスに答えたが、村岡由梨は、「私が詩を書くのは、まっとうな人間になりたいからです」(「No.46」より)と、まっすぐに答えている。

詩を書くことによって、まっとうな人間になることはできないかもしれないが、 まっとうな人間になりたいという願いを、詩は、そして天は、嘉して受け止めてくれるだろう。

まっとうな人間になりたいと祈り続ける人を、
詩は、そして天は、
ずうっと優しく見守り続けてくれるだろう。