家族の肖像~親子の対話その34

 

佐々木 眞

 
 

 

お父さん、スシの英語は?
スシだよ。
スシの英語は?
スシだよ。
お父さん、スシの英語は?
スシは日本で生まれたから、英語でもスシなんだよ。

お父さん、笑うと石原さとみ、なんていうの?
「耕さん、アホ笑いしないでね」って言うよ。

それでは耕君、石原さとみになってください。
私は石原さとみです。
石原さとみさん、こんにちは。
はい。

ぼく、人名用すきですお。
なに?
人名用漢字ですお。
へええ、漢字辞典かあ。

今日の「とんでん」の昼食は、耕君ががんばって働いた5千円の賞与で食べました。ありがとう!
ハイ。

お母さん、くつろぐって、なに?
ゆっくりすることよ。

お母さん、しまった、は?
失敗したなあ、よ。
お父さん、しまった、の英語は?
Damn it!かな。

孤独って、なに?
とても寂しいことよ。耕君、孤独?
孤独じゃないお。

お母さん、もともとって、なに?
最初から、のことよ。

お父さん、ぼく、戦うラーメンマン、好きですお。
そう、お父さんも好きだよ。

「もっと早く着替えなさい」っていわれたお。
いつ。
昔。

いやらしいは、エッチのこと?
まあそうだね。

おじさん、今日コバヤシさんは?
息子はきのう遅かったのでまだ寝ているんだよ。今日のサンパツは、おじさんで勘弁してね。
分かりました。

デリケートは?
複雑で微妙なことだよ。

教室の英語は?
クラスルームだよ。

お父さん、ワガチチハハって、なに?
耕君のお父さんとお母さん、だよ。

木にツと女で桜でしょ?
なに? おお、そうだね。

お父さん、しぐれるは?
寒い時に雨が降ったりやんだりすることだよ。

お母さん、大したことないって、なに?
大丈夫のことよ。
ダイジョウブ、ダイジョウブ。

ピンポンって、正解のことでしょ?
そうだね。

ぼく、綿菓子すきですお。
お父さんも。

お盆には、おじいちゃんとおばあちゃん帰ってくるでしょう? そうでしょう?
うん、帰って来るよ。

オグラさん、みんなとバイバイするから泣いたんでしょ?
そうね。
オグラさん、悲しかったんでしょ?
そうね。
みんなとバイバイ、みんなとバイバイするからね。

お父さん、「ドナってごめん」て謝ったよ。
そうね。
お父さん、もうドナらないでね。
はい、もうドナりませんよ。
お母さん、お父さんが「もうけっしてドナラない」といいましたよ。
大丈夫、お父さん、注意しただけよ。

お父さん、ぼくを信じてくださいね。
はい、信じますよ。

お母さん、あいつが、ってなに?
あの人たちが、よ、

お母さん、夕方以降、ってなに?
夕方から、ずっとよ。

栄えるって、なに?
元気になる、かな。
サカエル、サカエル。

おかあさん、「すだちの歌」印刷して。
はい、分かりました。

検討って、どういうこと?
次はどうしようかなあ、って考えることよ。

お母さん、しりとりしよ。おぎくぼ。
ぼ、ぼたん。

 

 

 

「夢は第2の人生である」改め「夢は五臓の疲れである」 第67回

西暦2018年水無月蝶人酔生夢死幾百夜

 

佐々木 眞

 
 

 

原宿本社の5階のエレベーターの前に、伊オリベッティ社のタイプライター、レッテラブラックが捨ててあった。持って帰ろうかなとも思ったが、それがアメリカのボビーブルックス社と提携しているルック社の長老の愛機であることを知っていたので、私にはできなかった。6/1

夕方の退社時間に、大手町のビルヂングを訪れると、無数のリーマン諸君が、どういう訳かエレベーターにもエスカレーターにも乗らずに、9階から地上階に通じている階段に殺到しているので、私もその真似をしてみた。6/2

次々にやって来るリーマンたちは、一丸となって、雪崩を打って猛烈な勢いで下へ下へと落下していくのだが、その疾走感と墜落感が混淆して、堪らない恍惚と酩酊を生み出すのである。私らはそれをもう一度体感したくて、もう一度エスカレータで9階に戻り、階段墜落に参加するのだった。6/2

ともかく各ブースの一番乗りを目指していたのだが、すべてのブースの先頭に、同時に存在することはできないので、結局僕たちは、会場のあちこちを懸命に駆けずり回っているにすぎないのだった。6/3

「今日は最大の勝負どころになるので、夜はたぶん野宿することになるぞ」と脅かしたら、若いネエちゃんが、さめざめと泣きだした。6/4

おらっちが病気で休んでいる間に、会社は4名を採用し、うち1人はおらっちが担当していた、サッカーで例えると、ボランチ的な職種を担当しているそうだ。6/5

彼女の誘いに乗って、渋谷からバスに乗って、どこかの駅まで行って、どこかの店に入って、白い布のついた洒落た木造の椅子を見つけた彼女が、「買おうかしら、それとも止めようかしら」と私に相談してくるが、私は別にどうでもよくて、ベランダのところで蕩けるような接吻を交わす。6/5

部下のタカハシが、私に無断でダーバン社に提案したディスプレイ案は、古今東西の女優のブロマイドを服の周りに張り付けるという阿呆らしいものだったので、案の条、常務のワタナベがワンワン噛みついてきた。6/6

僕らのラストアルバムである「そして緑の樹木は燃え」は、まだ2曲しか完成していないので、あと2,3曲追加しなければならないのだが、すぐに出来そうにみえて、なかなかできないので大いに焦っているわけ。6/7

花形スタアはんの雇われ運転手の私だが、スタアはんを待っている間に、およそ20メートル向うに貼ってある、安倍蚤糞のポスターめがけて石を投げたら、みな命中するので、あっという間に人だかりがして、なかには小銭を恵んでくれる人も現れた。6/8

わたしら民草が、浮沈する位置は一定しているのだが、インフレとかデフレになるたびに、5センチから20センチ間隔で上下するので、その都度、元の位置にまで自力で戻らなければならなかった。6/9

その女は、「いつまでにその準備をすればいいのか、教えて下されば、あなたと一からやり直して完成させます」と、堅い決意を披露するのだった。6/10

その庭園内にある中華料理屋は、浅い池の上に建てられていたので、床板の下を覗くと、浮草の間から、白くほとびた麺や、喰いかけの餃子や、錆びた鍋釜などが見えるのである。6/11

セイさんや、カワムラさん、ウジさん、死んだムラクモさんなど、昔の宣伝部の面々が勢ぞろいしているのに、誰もが押し黙ったまま、朝夷奈峠に至る曲がり道を歩いていた。これは誰かの葬列か? 6/12

キャメラは、どんどんブラに向って迫っていき、最大限にアップしたところで、しばらく考え、一転して、今度は猛烈な勢いで引いていった。6/12

暮れの東京駅の大丸の投げ売りフェアで、酔っ払ったヨッサンと一緒に、「家具あれこれ一式5千円セット」を買ったら、これがまあ、どうしようもない、とんでもない代物ばかりで、家族の顰蹙を買ってしまった。6/13

私は五臓六腑が育んでいる言葉を欲していたので、それぞれの臓器を、傍にある墓石に擦りつけながら、臓器が内蔵する言葉を、ムギュギュッと絞り出して、お気に入りの文化学園大学の手帖に記入していった。6/14

この風呂敷の中には、何が入っているのか?と、怪しみながら開いてみると、せごドンの大きな首だった。6/14

「乾坤」という大仰な文字が、立ち上がった飛車角のようにどんどん迫って来るので、私のささやかな夢は、たちまち崩壊してしまった。

その男は、紙つぶてをボールのように扱って、青空に向かって放り投げ、受けとめては、また放り投げていた。6/15

「また一人、優しい人が、死にました」という句を、ゴルゴタの丘に建てると、その5・7・5の区切りを体現するかのように、3人の十字架が現れた。6/15

宣伝部は本社にしかなかったのだが、事業部が遠方に拡散するにつれて不便になったので、急遽事業部内に支部を設けて、それぞれの業務に必要な宣伝販促活動に従事するようになったために、本社の宣伝部は、次第に有名無実の存在になっていった。6/16

リーマンを辞めて、詩人になったサトウ氏と偶会したら、新しい名刺を頂戴したのだが、そこには「Amazon123.comCOE」と大書されていたので、私は「あのアマゾンの!」と、驚くばかりだった。6/17

「きみきみ、あと1週間ほどで宇宙船がやって来る。それまでこの星で待っていれば、一緒に地球へ帰れるよ」と、その男は教えてくれた。6/18

「おい、お前は金なんかないんだから、そんな無暗に高いだけのスーツなんか買う必要はない。もっと節約しないと、年金どころか税金が払えないぞ」と説教したのだが、そいつは柳に風、馬に念仏だ。6/19

私の左隣の青年は、生物工学専攻の学生で、右隣りは高名な人文学の博士だったが、彼らに挟まれて座っている私は、何者でもなかった。6/20

村の議会で、おじさんが、「クリンしてからトゥクリンしてクリンアウトせんけりゃならん」と演説した途端に、檀上に警官が駆け上がって、「弁士中止! 弁士中止!」と絶叫した。6/21

私たち夫婦が住む家に、どこからか若い娘が転がり込んできたので、同居していたのだが、それが大いなる災いをもたらすことになるとは、当時は誰も思わなかった。6/22

私は超満員電車の中で、どういうわけだか、若い女性とがっぷり左四つで抱き合うようなかたちになってしまい、電車の振動と共に激しく揉み合っているうちに、珍しくも下半身が硬くなり始め、あれよあれよという間に、イってしまったああ。6/23

アフリカ人で黒人の私が住む国では、初めての民主的な大統領選挙が行われ、軍部の与党候補者が、私らが推薦する野党の民間人に大敗したので、村は朝から、お祭り騒ぎなのだ。6/24

さる女流評論家に拾われた浮浪児の私は、彼女の膨大な洗濯物をキロいくら、日々のポートレートを1Pいくら、といった具合に請け負うことで、はじめて自活できるようになった。6/26

三食昼寝付きで、ホテル並みの至れり尽くせりのキャンプ地、という触れ込みだったが、いざ現地を訪れてみると、飲み食いできるものは、なにひとつなかったので、私らは、朝から晩まで狩りをするほかなかった。6/27

コピーライターのアオキさんと、海外担当のカナガワ君、そして私の3人で旅をしているのだが、裸馬の大群が、怒涛のごとく疾走している。どうやらここは、アメリカの西部のあらくれの地らしかった。6/28

ジャングルの中では、赤くて丸い実を食べる。私は、それを絵に描いた。6/29

私は自費出版某社のライターだったが、自叙伝の作者と私の間に、変質狂的な編集者が絶えず介在して、取材や執筆の邪魔をするので、頭にきて抛り出したら、それ以来ぷっつり仕事の依頼が来なくなった。6/30

 

 

 

長尾高弘著「抒情詩誌論?」を読みて歌える

 

佐々木 眞

 

 

「抒情詩誌論?」という不思議なタイトルがつけられていますが、著者も腰巻で談じているように、別にいかめしい詩論とか格調高い論考なぞではまったくなくて、あえていうなら、「ただの詩集?!」ですので、良い子の皆さんは、けっして敬したり遠ざけたりしてはなりませぬ。

実態はその逆で、まことに口当たりがよくて読みやすく、これほどノンシャランでとっつきやすい詩集なんて、いまどきどこを探してもないでしょう。

それは著者が、普段通りの話し言葉、ざっかけない日常の言葉で、読者に向って、(というより著者自身に向って、かな)語っているからなのですが、かというて、その語りかけや自問自答の内容がつまらないとか面白くない、なんてことはさらさらないのが、私としては不思議なくらいです。

著者の飾らぬ人柄にも似て、さりげなさの中に人世の信実や知恵がくっきりと浮き彫りにされ、独特の滋味やユーモアが漂うという、そんなまことに味わい深い玄妙な詩集。
あえて言うなら「現代詩」に絶望している人に薦めたい1冊です。

ではいったいどんな詩集なのかと迫られたら、ぜひ「らんか社」のたかはしさんに電話して、実物を取り寄せて読んでみてほしい、と答えるしかないのですが、とりあえず「ものづくし」という定義集のような作品の中から、いちばん短いのをご紹介して、おしまいにしたいと存じます。

「サンドイッチ」
足を伸ばして寝ていたら、
ふとんごと食われてしまった。

さて、久しぶりに素敵な詩集を読んだおかげで、私も久しぶりに抒情詩ができました。
ありがとう、長尾さん。

「パンドラの星」

昔むかしあるところに、1人の詩人がいました。

地上では誰ひとり自分の詩を読んでくれません。
はてさて、どうしたらいいだろう?
いろいろ夜も寝ないで考えていると、突拍子もないアイデアがおもいうかびました。

地球がダメなら宇宙があるさ。
宇宙ロケットで詩集を打ちあげたら、もしかして水星人やら金星人、火星人、木星人たちが読んでくれるのではないだろうか?

そこで詩人は、毎晩毎晩夜なべして、糸川博士にならって超ローコストなペンシルロケット作りに熱中しました。

構想1秒、実践3年。
先端部に「らんか社」から刊行された500部の処女詩集「これでも詩かよ」を搭載した「あこがれ」1号が打ち上げられたのは、西暦2020年、十五夜のお月さまが東の空に皓皓と輝く師走の夜のことでした。

「あこがれ」は、秒速20キロの速度で大気圏を離脱し、長い長い航海に旅立ちましたが、やがて35億光年の彼方に到着しました。

そこでロケットが、あらかじめセットされていた通りに先端部の蓋を開け、500部の詩集を広大な真空地帯にまき散らすと、まっしろな詩集たちは、無明長夜の闇の中を、白鳩のように羽ばたきながら、パンドラ銀河団めがけて舞い降りていきました。

詩人の処女詩集「これでも詩かよ」が、パンドラの箱文学賞を受賞したという第一報が、超長波電磁波に乗って地球に到着したのは、それから間もなくのことでしたが、残念なことには、その地球も、その詩人も、もはやこの世のものではなかったのでした。

 

※らんか社ホームページ
http://www.rankasha.co.jp/index.html

 

 

 

由良川狂詩曲~連載第28回(最終回)

第8章 奇跡の日~いつかどこかで

 

佐々木 眞

 
 

 

――あっ、あれは、もしかして、Qちゃん? ほんとうにQちゃんなのかい?
ああ、、こんなに疲れきってボロボロになっちゃって……
Qちゃん、君はそれにしてもよく無事でこんなに早く故郷に戻ってこれたね。

ケンちゃんは、思いもかけない再会の驚きと感激で、頭の中がまっしろです。

Qちゃんは、朝の光を受けてキラキラと輝く由良川の清流の中を、軽やかな身のこなしで、ぐるぐると2回転半。あざやかなストップモーションを決めると、相変わらずアシカに似た賢そうな頭をクルリとひと振りしてから、上目づかいに見上げながらケンちゃんに向ってニッコリと微笑みかけました。

「ケンちゃん、お久しぶりです。お元気でしたか? ぼくも元気です。旧型の山手線はいまごろどこを走っているんでしょう? もうお払い箱になっちゃったのかしら?」
「山手線の旧型だって? お前は魚のくせに、JRに乗って、綾部まで帰ってきたのかい?」
「ぼくは、無事に帰ってきました。だけど、うぐいす色の山手線は、いまごろどこを走っているんでしょう? 南武線かな? それとも常磐線かな?」

すると、いつのまにか傍にいたオオウナギが、あわてたようにいいました。

「ケンちゃん、Q太はさかまく嵐の海を必死に泳ぎぬいて、たったいまなつかしい故郷へたどりついたばっかりなんじゃ。あんまり難儀な目にあいすぎて、ちょっとばかり頭が変になっとるようじゃ。そのうちに元に戻るさかい、あんまり心配せんでもええよ。
それより皆さんおまちかねじゃ。ほれQ太、これでお世話になったケンちゃんともお別れになるんじゃが、記念になんか一曲歌ってくれんかなあ」

Qちゃんはこっくりうなづくと、長老の頼みに応えて、持前の透きとおったボーイソプラノで、朗々と歌いはじめました。

♫君が愛せし綾部笠
落ちにけり 落ちにけり
由良川に 川中に
それを求むと尋ぬとせし程に
明けにけり 明けにけり
さらさら さやけの夏の夜は

♫心の澄むものは
霞花園 夜半の月
秋の野辺
上下も分かぬは 恋の道
岩間を漏り来る 由良の水

♫常に恋するは
空には織女流星
野辺には山鳥 秋は鹿
流の君達 冬は鴛鴦

♫舞へ舞へ 蝸牛
舞はむものならば
馬の子や 牛の子に
蹴させんとて 踏破せてん
眞に美しく舞うたらば
華の園まで遊ばせん

「華の園まで遊ばせん、華の園まで遊ばせん」、と二度まで繰り返して見事に謡いおさめ、Qちゃんはくるくると2回首をまわしてから、こう顔を七三に上手に方にひねって、ぴたりとみえを切りますと、井堰の舞台奥にズ、ズイと控えし由良川の魚ども、こぞって胸ビレ、背ビレ、尾ビレを総動員。綾部盆地を揺るがすような三三七拍子は、いつ果てるともなく山川草木の上に響き渡ったのでした。

そんなQ太の立派な晴れ姿をみつめながら、「ウナギにしては小さ過ぎ、ヤツメにしては目がふたつ、ほんにお前はドジョウみたい。変なやつ。でも、好き!」
とケンちゃんは、心の中でなんども思い思い、Q太へのつよい愛情が胸の奥いっぱいに広がるのを感じました。

「Q太よ、Q太よ。早く良くなっておくれ。ぼくの兄貴のコウ君だって、いっけん天才児に見えるけど、じつは生まれたときから脳のどこかをやられているんだ。でも今回は得意技を生かして、ここ一番というところでぼくの窮地を救ってくれた。だからQ太も頑張ってくれ。頑張ってなんて古くさい言葉だけど、いまはそれしか言えない。どうか頑張って!」

言葉にはせず、そう口の中でつぶやいてみただけで、ケンちゃんの大きな瞳は、みるみる熱いもので覆われてしまうのでした。

「さあ、これでぼくらの仕事は、ぜんぶ終わった。Q太くん! それから愛する由良川のすべての魚の諸君! いつまでも元気に、仲良く暮らしておくれ!」
とケンちゃんは、らあらあ泣きながら、由良川全部に向って叫びました。

「ではケンちゃんとコウさん。オラッチはもう年寄りでっさかい、ここいらで失礼させてもらいまっせ」
とオオウナギは、そばかすだらけの分厚い腰をペコリと一折折ってから、ニヤリと笑い、病み上がりのQ太をうながし、抱きかかえるようにして井堰の向うの川の深みへと消えてゆきました。

そのオオウナギの、そばかすだらけの横顔に浮かんだ、実に奇妙な笑いをみた瞬間、ケンちゃんの脳裏に、かすかな不安がよぎりました。

――西限と南限は東アフリカのナタール、東限は北部は小笠原諸島、南部はマルケサス島。日本の分布は黒潮が接岸する鹿児島県から房総半島南端にいたる沿岸と長崎県のみ、とされているオオウナギが、なんで丹波の内陸を流れる由良川にいるんだろう?

オオウナギの小型のやつは海の浅瀬の底にいるけれど、大型のは河川の淵の洞窟のなかに潜んでいると、確か魚の図鑑に書いてあったっけ。きゃつらの餌は小魚、エビ、カニ類で………
もしかしたら、ああ、もしかしたら、あいつらも、ライギョやアカメの同類項なのかも知れない!

「Qちゃん、Qちゃん、ちょっと待て! 待つんだ!」
と、ケンちゃんは大声で叫びました。

二度にわたって海を渡り、列島を大回遊し、奇跡の生還をなしとげた小さな友達に向って、声を限りに呼びかけました。
しかしいくらケンちゃんが目を凝らして、由良川の水面から遠くを見透かしても、もう魚たちの姿は、メダカ一匹見えません。

ただサラサラ、サラサラと規則正しい波音を立てて、由良川は上流から流れ、下流に向って、いっさんに流れ去っていくばかりでした。

正午。
太陽は、いままさに、ケンちゃんとコウちゃんの頭上に静止し、燃えるような強い光線を、垂直に注ぎこみました。

ちょうどその時、市役所のサイレンが喨々と、かつまた寥々と、鳴り響きました。

サイレンは五月のそよ風に乗って、由良川の川面を渡り、てらこ履物店の上空を過ぎ、やがて寺山のてっぺんのところで、ハタハタとはためく日章旗としばらく戯れたあと、綾部市の旧市街地にちらりと一瞥をくれ、青空の彼方へと静かに消えてゆきました。

 

 

 

 

○引用&参考文献
佐佐木信綱校訂 新訂「梁塵秘抄」(岩波文庫)
中村守純「原色淡水魚類検索図鑑」(北隆館)
阿部宗明「原色魚類検索図鑑」(北隆館)
村松剛「帝王御醍醐」(中公文庫)
綾部市役所編「市勢要覧」
浅野建二校注「山家鳥虫歌」(岩波文庫)
浅野建二校注「人国記・新人国記」(岩波文庫)
磯貝勇「丹波の話」(東書房)
神奈川県鎌倉市立大船中学特殊学級歌・小林美和子作詞「八組の歌」

○初稿 1991年5月19日~9月26日 改稿 2018年11月8日

 

 

 

家族の肖像~親子の対話その33

 

佐々木 眞

 
 

 

「廃止」は、やめることでしょう?
そうだよ。
サカイさんは、「やめてください」っていったお。
そうなんだ

カズタケさん亡くなって、オトゾオさん泣いた?
泣いたでしょう。

お父さん、サッちゃん恐くない?
恐くないよ。優しいよ。
そお。

ヒロシさん、おじさん?
そう、おじさんだよ。

お母さん、ぼく、ルパン好きだよ。
ああそうなの。
ルパン、ルパン。

お母さん、分かりゃしない、てなに?
分からないだろう、ってことよ。

お母さん、人殺し、イヤですよねえ。
いやですねえ。

落語ってなに?
面白いお話よ。
ぼく、落語すきですお。
そうなんだ。

フクザツってなに?
いろいろむずかしいことよ。
フクザツ、フクザツ。

お母さん、この桃色の花、なに?
カーネーションよ。
ぼく、カーネーション好きですお。

被害のヒは、コロモ偏に皮でしょう?
そうだね。

証言の証は、ごんべんに正しいだね?
そうだね。

被告人ってなに?
悪い人じゃないかと思われてる人のことよ。

ひらめくってなに?
思いつくこと。こうしよう、っと。

じつは、って、なに?
本当のところは、よ。

バイキンって、なに?
悪い病気の元だよ。耕君、バイキン手に入って痛かったでしょ?
痛かったお。

ぼく、平成5年に歯石取ったよ。
どこで?
聖ヨセフ病院で。横須賀の。
25年前じゃないの。よく覚えてるね。
そうだよ。

お母さん、ぼく、お仕事徹底的にやりますよ。
すごい!

お母さん、ぼく、ウラジロ好きです。
そうですか。
ウラジロ、ウラジロ。

お母さん、ぼく、ヤブコウジ好きですよ。
お母さんも好きよ。
ヤブコウジ、どこにあるの?
あとで教えてあげる。赤い実がなるのよ。