家族の肖像~親子の対話その32

 

佐々木 眞

 
 

 

お母さん、圧倒的って、なに?
ものすごい、ってことよ。

お母さん、魂ってなに?
心の中にあるものよ。

お父さん、ぼく、セゴどん好きですお。
お父さんも好きだよ。
セゴどん、セゴどん、セゴどん

エレベーター、扉に触れたらいたいでしょ?
そうだね。
エレベーター、下がって扉に触れないようにします。
そうしようね。

ひたい、オデコでしょ?
そうだよ。

果てしないって、なに?
どこまでも、いっぱい続いていくことよ。

しまった、って失敗したことでしょ。
そうだよ。
しまったあ。

ぼく、この音楽、好きですお。
えっ、都はるみの「北の宿から」だよ。
ぼく、「北の宿から」好きですお。

ぼく、この音楽好きですお。
え、「北酒場」だよ。
ぼく、「北酒場」好きですお。

お母さん、ぼく、回り道すきだお。
そう、お母さんも。

自信なくしちゃだめでしょ。
そうだよ。自信なくしちゃだめだよ。

お母さん、ことしジュンサイ買ってね。
買いましょうね。
お父さん、ハスはジュンサイに似てるでしょ?
似てるね。

お母さん、いきおいってなに?
早いことよ。

お父さん、ぼく、ソナタ好きですよ
じゃあ、ソナタ弾いてよ。
嫌ですお。

お母さん、スポンサーって、なに?
お金を出す人よ。

ユウちゃん、なんで泣いたの? しんどいからでしょ?
そうね。

ぼく、キャップ、好きですお。
キャップ、ふたでしょ?
そうだよ。

ぼく、キャップの仕事やります!
あんまり頑張り過ぎないでね。
はい、分かりました。

とっておきって、なに
とても大事にしているものよ

伝染病ってなに?
うつる病気だよ。

ぼく、小川君好きですよ。
そう。小川誰?
ケイスケ君?
そうだお。ぼく、小川君。
こんにちは小川君。

蒲田、蒲田、蒲田でミヤコさん生まれたの?
そう。
ミヤコさん、昭和何年に生まれたの?
分かりません。

お母さん、ならぬって、いけないことでしょう?
そうよ。
ならぬ、ならぬ、ならぬ。

お母さん、整頓ってなに?
きれいに片づけることよ。

お父さん、中央線、富士見行く時でしょ?
そうだね。

ぼく、ひらがないっぱい書きます。
そうなんだ。カタカナは?
わかりませんお。

京浜東北線、水色の線が入ってるでしょ?
うん、入ってるね。

ぼく、ワイドドア好きですお。
そうなの。
小田急、ワイドドアですお。
そうなんだ。

韓国は飛行機に乗ってでしょう?
そうだよ。

お母さん満点てなに?
全部いいですよ、ということよ。

このたび、ってなに?
今回は、だよ。

お母さん、ぼくタンポポ好きだよ。
お母さんも。

お母さん、いってきます!
いってらっしゃい!

 

 

 

由良川狂詩曲~連載第27回

第8章 奇跡の日~水の上で歌える

 

佐々木 眞

 
 

 

その次の日、5月5日は子供の日でした。五月晴れの晴天でした。
うっすらと絹のヴェールを刷いた青空が、丹波の国、綾部の町の上空に、お釈迦様のような頬笑みを浮かべながら、おだやかに拡がっています。

ケンちゃんは、コウ君と一緒に、由良川の堤防の上に立ちました。
気持ちの良い風が、シャツの袖の下から脇の下へとくぐり抜けてゆきます。
対岸の家並のいらかの波のあちこちで、大きなマゴイや小さなメゴイが、5月の透明な光と風を呑みこんでは吐き出し、ゆらゆらと泳いでいます。

「ケンちゃん、『8組の歌』を歌おうか」
「うん、いいね」

そこでふたりは声を揃えて、大船中学校3年8組の歌をア・カペラで歌いました。

明るい青い空 光があふれるよ
野に咲く はなばなは
ぼくらに ほほえむよ
みんなで ゆこう
あの山こえて
みんなで ゆこう
よびあいながら
明るい青い空 光があふれるよ
野に咲くはなばなは
ぼくらに ほほえむよ

それから、ふたりが河原へ降りてゆくと、井堰のちょっと浅くなったところで、由良川の魚たちが背伸びしたり、躍りあがったりしながら、ケンちゃんたちの到着を待ちわびているのでした。
中には井堰を乗り越え、身をよじりながらこちらへにじり寄ってくる、せっかちなドジョウもいます。

「おや、そこをノソノソと歩いているのは幸福の科学を呼ぶとか言うゼニガメじゃないか」

ケンちゃんは、チビのくせに生意気にも背中にコケをはやしているゼンガメを掌に乗せると、井堰の突端できれいに澄んだ由良川の流れの中にそおっと放してやりました。

ゼニガメが不器用に泳ぎながら、コイやフナ、ギギやアユたちが群れ集っているところに辿り着くやいなや、誰かが合図でもしたように、その数えきれない何千何万匹もの由良川じゅうの魚たちが、一斉に銀鱗をきらめかせながら、思いっきりジャンプしました。

幅おそよ1キロの大河ぜんたいを、見渡す限り銀色で埋めつくした魚たちの跳躍は、いつまでも続きました。
いつもはそんな絶好のチャンスを見逃すはずのないカワセミもトビもサギも、さすがにこの時ばかりは水面を飛ぶことも忘れ、くちばしをあんぐりとあけたまま。魚たちの繰り広げる一大ページェントに見とれていました。

やがて由良川の川面に、ふたたび静寂が戻ったとき、最長老のオオウナギが、ケンちゃんとコウ君が立っている井堰すれすれのところまで、クネクネと泳いできました。
魚族の生存をおびやかす凶悪な敵との熾烈な戦いを我らがケンちゃん、そしてコウ君の助けを得て、やっとこさっとこ勝利に導いたこの老練な指導者は、ごま塩の長いヒゲをピクリ、ピクリと動かしながら、重々しい声音で一場のスピーチを試みました。

「うおっほん、このたびの、由良川史上かつてない大戦争を、なんとかかんとか無事に終結でけましたんわあ、ほんま、そこにおわっしゃる、おふたかたのご尽力の賜物と、心より感謝感激しとる次第であります。

わいらあ一族の平和な暮らしを脅かし続けてきた、あのライギョども、そしてそのライギョよりもさらに恐ろしい極悪非道のアカメどもを、当代最高の知性と教養、そして、沈着冷静な判断力と積極果敢な行動力とを兼ね備えた、アメミヤケン氏およびその兄上のコウ殿が、力を合わせて一挙に撲滅されたちゅうことは、じつに国家3千年、由良川6千年の歴史を飾る壮大な事業、いな大革命といううべく、まことにまことに慶賀に堪えましえん。

ここにわいらあ全由良川淡水魚同盟員一同、鴈首揃え、幾重にも伏して御両所の獅子奮迅の大活躍に満腔の謝意と敬意を表し、遠く遙かな子々孫孫の代まで、その偉業を語り継ぐことを、この場で厳粛にお誓いするものであります」

「ひやひや、そおそお、そのとおり!」
「よお、よお、三流弁士。言葉多くて心少なし!」
と、後に控えた魚たちは口々にはやし立てます。

由良川じゅうをどよめかせる大騒ぎがようやく収まると、威儀を正したオオウナギが、今度は慎重に言葉を選びながら語を継ぎました。

「んな訳じゃによって、わいらあ一同は、おふたかたのこのたびのお働きを、とわに記念して、なにか贈り物でもと考えたんじゃが、ご承知の通りの台風一過、火事場のあとのおおとりこみ、葬式あとの結婚式で、あいにく何の持ち合わせ、何の用意もでけへんかった。

もとよりわいらあ魚は生涯無一物、この世、あの世へのさしたる未錬も執着も愛憎もあらでない。ただ後生への功徳をいかにつむか、はたまた天地を貫く真徳とはいかなるものであるか、について、いささかの知恵を持つのみ。

そこで本日の別れにのぞみ、ここでわいらあ魚族の誇る吟遊詩人に登檀願い、人・魚・両種族の末長き友愛と交情を祈念することといたしたいが、いかに?」

最長老のわざとらしい問いかけを受けて、もう一度由良川じゅうをどよもす拍手と喝采が湧き起りました。

そしてオオウナギが軽く右の胸ビレを振って合図すると、背ビレも尾ビレもぼろぼろになり、ガリガリにやせ細った一匹のちっちゃな子ウナギが、井堰の向こうからよろよろと姿を現しました。

 
 

次号最終回へつづく

 

 

 

ボナールです!

国立新美術館でオルセー美術館企画「ピエール・ボナール展」をみて

 

佐々木 眞

 
 

 

今回のボナールは、「日本かぶれ」とか「ナビ派」とか下らない包装紙に包まれて巴里から六本木までやってきたが、んなもん余計なお世話である。

僕にとってのボナール選手は、その名前のとおり、あのボナーッとしていて、ヌボーっとしたダイダイ色などの暖色が、疲れた心身を穏やかに揉みほぐしてくれるやわらかな存在で、例えばルーベンスとかルオーなんかの重厚長大派とは対照的に、「親和力に富む絵描きはん」、なのである。

作品は静物や風景、室内画、それぞれに良きものがあるが、なんというても愛妻マルタの入浴図にとどめを刺すだろう。

もう半世紀以上も昔の大むかし、丹波の田舎の中学か高校生だった僕は、美術鑑賞の時間に同級生と一緒に、恐らく京都の美術館でボナールの入浴図を見て、その美しさとエロチシズムにしばし陶然となったことがある。

その展覧会は、当時ポピュラーだった印象派を中心とした寄せ集めの「泰西名画展」で、ボナールはおそらく1点か2点しかなかったはずだ。

小一時間の鑑賞を終えて、クラス担任のU先生から、「ササキ君、どうやった? どれが良かった?」と聞かれた僕が即答できずにいると、U先生は、どことなく自信なさげに、でもその自分の感想を、誰かに支えてもらいたそうに、「ボクは、ボナールがええなあ思たけど、君はどう思った?」と尋ねられた。

あろうことか、僕は黙って、うつむいてしまった。
しばらくして顔を上げると、U先生の姿はもうなかった。

僕が「ボナール!」と即答できなかったのには、2つの理由があった。

ひとつは自分もボナールに感動したのだが、その絵があまりにも官能的であったので、教師の問いかけに、つい躊躇ってしまったこと。

もうひとつは、普段は謹厳実直そのもののU先生が、ボナールの裸婦に、僕と同じか、あるいはそれ以上に感動し、先生の顔が、興奮で少し赤らんでさえいることに対して、不遜にもある種の嫌悪感を懐いてしまったからだった。

そんなU先生の顔を、まともに見ることもできず、うんともすんとも返事できなかった自分……。
あの頃、丹波の田舎の教育者が、自分の教え子にエロチックな作品への肯定的評価を伝えるのは、それなりに勇気を必要としたに違いない。

思いきって心を開いてくれたU先生に、率直に応えられずに、あまつさえ不快な思いまでさせてしまった僕は、ほんとに嫌な奴だった。

先生、どうかあの時の無礼をお許しください。
恐らくは在天の先生に、半世紀前に答えるべきであった返事を、遅まきながらいま致します。

「ボナールです! 先生と同じ、ボナールの裸婦です!」

 

 

 

2018年 夏の歌

 

佐々木 眞

 
 

 
 

夏の歌 Ⅰ 「花と蝶」

 

朝、我が家にやってきた一頭のナガサキアゲハが、
いまを盛りと咲き誇る天青の、 ほぼすべての花弁に、
次々に黒い頭を突っ込んで 、
甘い蜜を、存分に吸っていました。
夕べには息絶えた、朝顔の花々は、
どんなにか、うれしかったことでしょう。

 
 

夏の歌 Ⅱ 「挽歌」

 

眩しい真夏の光の下、
滑川の上流で戯れていた鮎たちは、
海の方へ下っていった。

いたどりの葉っぱの上で、
ひねもす交尾していたゴマダラカミキリは、
どこか遠くへ行ってしまった。

阿弥陀山の中腹で、
なにやら怪しげな呪文を呟いていた不如帰は、
行き合いの空で、行方不明になった。

だが、朝夷奈峠の麓には、
まだわずかばかりのセミたちがいて、
去りゆく夏への挽歌をうたっている。

 
 

夏の歌 Ⅲ 「酔芙蓉」

 

むかしあるところに、おじいさんとおばあさんが、仲良く暮らしておりました。

ある朝、おじいさんとおばあさんが障子を開けると、庭に白い花が咲いておりました。

おじいさんが「ばあさんや、きれいな花だねえ。あれはなんという名前かのお」と尋ねると、おばあさんは、「あれかい、あれは芙蓉というんじゃよ」と、花の名前を教えてくれました。

その日の午後のことです。
山の芝刈りから帰ってきたおじいさんが、芙蓉の花を見ると、なんと白かったはずの花の色が紅くなっておりました。

「これはどうしたことじゃ。ばあさん大変だ。あの芙蓉を見てごらん。朝は白かったのに、いまは紅くなっておる」

針を持ったまま縁側に駆けつけたおばあさんも、あまりのことにびっくりです。

「おやおや、まあまあ、不思議な芙蓉だこと」と、二人揃って紅い芙蓉をまじまじと見つめていますと、突然紅い芙蓉のその色が、またしてもポポッと赤らんだではありませんか。

「おい、ばあさん。いまのを見たかい。芙蓉のやつ、おれたちに見つめられたので恥ずかしくなったんだよ」

と、おじいさんがうれしそうにいうと、おばあさんも「ほんにそのようでしたね」と答え、二人で顔を見合わせて「おほほほほ」と笑ったのでした。

いつのまにやら短い夏の日はとっぷりと暮れ、どこかでコオロギが鳴き始めたようです。