由良川狂詩曲~連載第16回

第5章 魚たちの饗宴~いやさかケンちゃん

 

佐々木 眞

 
 

 

タウナギ「ん、なるほど、あの西本町の四つ角の下駄屋の当主の孫で、いま鎌倉は尊氏一族の菩提寺、浄妙寺の近くに住んでおると聞くケンちゃん、そのケンちゃんに助けを求めよとアポロンの神託が下ったのじゃな」
Q太郎「さよう、さよう。その通りじゃ。それゆえ拙者早速一計を案じ、雨宮健氏に面会してわれら全由良川淡水魚同盟の前代未聞の危機を救ってくだされと、わが一族のうちもっとも機敏にして細身、修験道と立川流免許皆伝の持主たる愚息、豚児たるオタクのQ太郎を急遽鎌倉浄明寺の谷戸に派遣したのが、ざっと3週間前。はてさてその首尾はいかにと。よき便りを待ち暮らしておるのじゃ」
タウナギ「そうか、そうか、そうだったのか。いや、そうじゃった、そうじゃった。わしも寄る年並みで忘れるとこじゃった。さあ、みなの衆、ケンちゃんの無事到着を祈念して、みなで声を合せて、我らがテーマソングたる由良川音頭を歌い、踊ろうではないか!」

得たりや応、とみなの衆が立ち上がると、手拍子をとりながら、まずタウナギが野太いバスで歌い始めました。

 

おもしろや、京にはくるま
丹波に舟、ドウジャイナ
丹波に舟、由良の川にむかい舟
ドウジャイナ
鶴の子の、そだちはどこじゃ
四つ尾山、ドウジャイナ
早少女衆は 苗を呼ぶ声、山越えて
ソヨノ、まだ山越えて、
ほととぎすの声、ソヨノ

 

続いてQ太郎が、伸びやかなバリトンで、喉を震わせました。

 

井戸堀そめて 水がわかずに金がわく
面白や。
こまた榎の、榎の実やならいで金がなる
面白や。
みょうがとふきと、みょうが目出たや、
富貴繁盛。
今日はめでたや。日がらもようて、日もようて。
餅もつかずに石をつく。
面白や。

 

今度は、最長老のオオウナギの番です。

 

丹波で名所は、由良の川
水が半分、魚半分
これは綾部か 福知山
ぐると回れば 由良の海

 

ボーイソプラノのドンコが、続きます。

 

降らずとも 蓑笠持ちやれ 篠原に
篠原の 根笹の露は 蓑笠に

京から下るような 白い菅の 笠をば
わいらあにも たもろまいかの 白い菅の笠

 

ソロが終わると、一同声を揃えての大合唱になりました。

 

めでたためでたの 若松様は
枝も栄ゆる葉も茂る おめでたや
鶴は千年 亀は万年
由良川歴史は 一億年
われらの歴史は 二億年

苔むし神あがりましし白栲の
うつのうつろなる生き神さまに
われら魚どもせちにささげん
このはららごを

由良川の水より清く 由良川の底より深き
ことほぎの 心も死ぬにありがたき
その佳き日 その佳き人のおとずれを

せちに待ち待ちて 今宵ぞわれら
君に捧げん このいやさかの歌 このいやさかの歌
ア ソレ、ア、ソレ、ア、ソレソレソレ
いやさかケンちゃん、いやさかケンちゃん、いやさかケンちゃん……

 

 

次号へつづく

 

 

 

夢は第2の人生である 第54回

西暦2017年皐月蝶人酔生夢死幾百夜

 

佐々木 眞

 
 

 

私は貧乏人だったのにもっと貧乏そうな人に車とお金を上げてしまった。その車の中には「探せば車内に50万円あります」という置手紙をしておいたので、彼は今頃大捜索をしているに違いない。5/1

「お客様、まずはこのモデルさんのお顔をよくご覧ください。そしてこう、このようにお顔のお手入れをなさってください」と、その化粧品メーカーのマヌカンは熱弁をふるった。5/2

突然編集部に闖入してきたその男は、私らの作っている雑誌の値段が高すぎるのは、私らの月給が高すぎるからだ。その分を価格値下げに回せと叫んで、その場に座り込み、いっかな動こうとしなかった。5/3

「自然界にはさまざまな情熱と無邪気が存在しています。それでは只今からその不可思議をこの手に取り出してみましょう」と、その女性は言うのであった。5/4

大阪湾付近で右側の島を削って左側に持ってくるという大工事が行われていたことを、私はケート台風がやって来るまで、ちっとも知らなかった。5/5

晴の結婚式の当日、婚約者に逃げられてしまった私がガックリしていると、婚約者の父親が恐縮して平身低頭した後で、「うちのあんなバカ娘より、こっちの方が遥かにいいですよ」と、同席していた親戚の妙齢の美女を薦められたので、「ま、いいか」と思って式を挙げた。5/6

グラグラになった奥歯が、なにかの拍子にポロリと取れてしまった。驚いて驚きついでに隣の歯に力を入れると、これもポロッと取れる。その隣も、そのまたまた隣も次々に取れて、私はあっという間に歯抜け爺になってしまった。5/6

突然歯が痛くなって、会社を休む。今日あたり今期の宣伝費が決まっているから、早く営業と打ち合わせをしないとヤバイのだが、と思いながら、今日も会社を休んでいる。5/7

エレベーターは、阪神百貨店のある5階に到着したが、5人の女たちは誰一人降りようとせず、8階の阪急百貨店を目指していた。5/8

その蓆の上では、50年代から現代までの各種の雑誌が叩き売られていたが、それでも雑誌の値段は、古いものほど値が高かったので、いたく感心したことだった。5/10

私は、猛烈な歯の痛みを鎮静剤が押さえている間に、消化を促進しようと、自分の胃をトクホの巨大な胃腸に取り替えようと提案したのだが、上層部では、てんで評価してくれなかった。5/11

僕の座席の列をまっすぐにしようと、「えいやっ!」と動かしたのだが、右側の座席に激突してしまった。どうやらこの劇場では、対立する2つの流れが存在しているようだ。5/12

私が乗り組んだ国内初の原潜の内部では、熾烈な権力闘争が起こり、多数の死傷者が出たが、けっきょく艦長派が副長派を制圧して、母港のある横須賀湾に帰着した。5/13

講習会が終ったあとで、テキストと答案を回収する必要があったので、出口での受け取り方を考えていると、コバヤシ君が「ああそれはねえ、こおこうこうすればいいんだよ」と親切に要領よく教えてくれたので助かったが、彼はもうだいぶ前に死んでいる人なのだ。5/14

デモやテロが激発したために大学入試が中止になったために、我々学生の他に一般人も大勢押し寄せて、職員や機動隊と乱闘になったために、「凶暴罪」が発動されて、大勢の民衆が逮捕された。5/15

「そんなにいうなら投げてみろ」と私が挑発したら、彼奴は時速200キロ相当の猛スピードボールを投げたので、私はそいつを右方向に打ち返して、ランニングホーマーにしてやったら、彼奴はガックリうなだれていた。5/16

この仕舞屋では、冬だというのに使用人たちは、店の土間の藁の上で、ガタガタ震えていたので、その家の息子たる私は、畳の上で安眠できる特権と贅沢を、身に沁みて感じた。5/17

どういう風の吹きまわしか、出張先で女性の上司とホテルの同室に泊まる羽目に陥った私は、これから朝までどういう風にふるまっていいのか、おおいに悩んでいた。5/19

我らが決起集会の出席者は、300名だった。私は一刻も早く決起せねばと焦ったが、出席者の大半は落ち着き払って、いつまでも地面に腰を下ろしたままだった。5/20

コンサート会場では、3種類の座布団が販売されていて、その売り上げが財団に報告されていなかった。おそらく事務局の誰かがくすねているのだろうが、まだ誰もそのことを言いだそうとはしない。5/21

私たちの羊を彼らに送ると、彼らはその見返りに、よく肥えた牛を送ってくれたので、私らは非常な好感を抱いた。5/22

その漫才師は、2つの青い風船のエピソードなどをうまく即興で取り込みながら、異常に長い噺を物語った。5/23

私は稀代の女殺しになって、並みいる美女たちを片っ端からナンパしてはナニしていったが、誰からも文句は言われなかった。5/24

「電車に乗って、微動だにしなければ無料、ちょっとでも前後左右に揺れ動いたら、有料になるのよ」と、ヤスナガさんいわれた。

イケダノブオの評判が悪いので、ベビー子供部隊では、担当MDとデザイナー、営業のなり手がなくなり、マネージャーの私は、往生していた。5/24

ナベショーが、ゴルフのできない私を勝手にゴルフコンペに招待したので、こいつなにを考えているのか、と不審に思って出かけてみると、ナベショーは、自分が開発したゴルフグッズを、だれかれなしに売りつけようとしているのだった。5/25

カナカ人のおばさんを、子供たちの算数の先生として雇ったのだが、彼女は3ケタの引き算すら出来ないことがすぐに判明したので、首にせざるを得なかった。5/26

この国では、突然小文字の使用が許されなくなったので、あらゆる出版物の小文字を大文字に換えることになった。すると、つぶれかかっていた印刷屋に大量の仕事が舞い込んだので、大喜びしているそうだ。5/27

「やすらぎの郷」という死にかけ老人ドラマがヒットしたので、立木義浩カメラマン撮影の浅丘ルリ子さんのヘアヌード写真集が発売されたが、ほとんど売れなかったそうだ。半世紀前ならベストセラーになっただろうに。5/27

「上野駅マラソン大会」のゴールに、大勢の選手たちが飛び込んでくるが、タイム判定員はたった一人しかおらず、その時計はちょっと遅れているので、現地は大混乱だった。5/28

オグロ氏は、おらっちの書いた拙い脚本を映画にしてやると公言し、有名監督やトップスターを世界中から召集して、製作発表記者会見とパーティを開いたので、私はとうとう彼を裏切れない舎弟となってしまった。5/29

せっかく景勝地にやって来たというのに、岩の上の親たちは、幼い子供が岩から落ちて渓流に流されていることも知らずに、釣りに夢中になっている。5/30

夜の演奏会を前に、港までクルーザーで乗り付けたアンタル・ドラティ一家だったが、ドラティ老夫婦は、会場付近を悠然と散策していた。5/30

天上から「お前が死んだら迎えに来てやる」と言う声がした。じつはその前に、天の声が別の人に「百歳になったら迎えに来てやる」と言うのが聞こえていたのだが、私に対しては「百歳」という言葉は遣われなかった。いつ迎えが来るのか、楽しいようでもあり、怖いようでもある。5/31

 

 

 

家族の肖像~「親子の対話」その22

 

佐々木 眞

 
 

 

お父さん、広いの反対は狭いでしょう?
ピンポン。

お母さん、警報ってなに?
危ないですよと知らせることよ。
ケイホウ、ケイホウ。

介護をやったら助かるんでしょ?
そうだねえ。

耕君、あの電車どこ行き?
回送列車ですお。
回送列車ってなに?
車庫に戻る電車ですお。
なるほど。

完璧ってなに?
すべてうまくいくことよ。

おひさま、太陽でしょ?
そうだよ。

おくらネバネバでしょう?
そうよ。
ぼく、おくら好きですお。

お母さん、停留所の英語は?
バス・ストップよ。

お母さん、行列ってなに?
列を作って歩くことよ。
ギョウレツ、ギョウレツ。

お母さん、落語ってなに?
おもしろいお話をすることよ。

お父さん、武蔵野線、東京駅までですよ。
そうなの。
そうですお。

連佛さん、高良さんと結婚したの?
そうだよ。

お母さん、ぼくソリ好きですよ。
「雪ん子合宿」で滑ったんでしょ?
そうだお。

お母さん、叶うってなに?
うまくいくことよ。
カナウ、カナウ、カナウ。

くじけたらいやですお。
くじけないでね。

アーメンて祈ること?
そうだよ。

介助したら助かるでしょ?
そうね。助かるよ。
カイジョ、カイジョ。

「横浜線403系ごくろうさん」って、ありがとうのことでしょう?
そうだよ。

お母さん、タイミングってなに?
いちばんいいときのことよ。
タイミング、タイミング。

お母さん、孤独ってなに?
さびしいことよ。耕君さびしいの?
ぼく、さびしくないですよ。

お父さん、心臓飛び出したら困るでしょう?
心臓? そりゃ困るなあ。
困るでしょう?

お母さん一晩中ってなに?
夜から朝までということよ。

お母さん、ぼく、また小児療育行きますお。
また行きましょうね。

ハッピーニューイヤーてなに?
新しい年おめでとうということよ。

お父さん、すっばいのすは、2酸化炭素の酸だよ。
そうだね。よく知ってるね。

お母さん、ちゃんと責任とってってどういうこと?
ちゃんとけじめをつけるってことよ。
セキニン、セキニン。

お父さんさん、ぼく、ゴタゴタいやですお。
お父さんもいやだよ。

遺憾に堪えないってどういうこと?
とっても残念だ、ということよ。

お母さん、交わるってなに?
交際することよ。

お父さん、ぼく、信じますよよ。
なにを信じるの。
お父さんとお母さん、信じますよ。
そうなんだ。
信じるは、にんべんにいうでしょ。
そうだよ。

我が輩ってなに?
私は、っていうことよ。

メールってなに?
パソコンでピッと伝えるものよ。
そう、そうですお。

お母さん、今年「どんと晴れ」見ました。また見ますお。
見てくださいね。

法事って人が死んだとき?
そうだよ。
ホウジ、ホウジ。

お母さん、すこやかってなに?
丈夫で元気なことよ。

お母さん、一晩中ってどういうこと?
夜の間中ずっとのことよ。耕君一晩中痛かったの?
大丈夫ですお。

お父さん、今年で「べっぴんさん」終わるんだね。
残念だね。
残念ですお。

お母さん、ぼく高田馬場好きだお。
そう。じゃあ行きましょう!
タカダノババ、タカダノババ。

世田谷代田、各駅停車だけだよ。
へええ、そうなんだ。

お父さん、ぼく近鉄好きだお。近鉄はバッファローズだよ。
そうだよ。良く知ってるね。

命令って、こうしなさい、のことだお。
そうだね。

ナカノさん、死んじゃったよ。
そうだね、亡くなっちゃったね。
ぼく、ナカノさん、好きでしたお。
そうだったんだ。

ぼく、報国寺好きだお。
そうなんだ。報国寺はどこにありますか?
浄明寺だお。
ピンポン。

お父さん、留守の英語は?
アブセントだよ。

お父さん、大好きですお。
お父さんも、耕君が大好きですよ。

まえ桑山君に「おんなじの駄目っ」ていわれたのよ。
「おんなじの」ってなに?
カラオケの。
おんなじ曲だったんだあ。

泣くなって、泣かないで、のこと?
そうだよ。

「任侠ヘルパー」で、メイサ怒ってたよ。
黒木メイサ、なんで怒ったの?
分からないけども。

お母さん、ぼくはモンゴルマンすきだお。
そうなの。
モンゴルマン、モンゴルマン。

お父さん、フィフティーンは15だよ。
お、よく知ってるね。じゃあ10は?
テンだお。

「なのに」ってなに?
そうなのにねえ、っていうことよ。

 

 

 

夢は第2の人生である 第53回

西暦2017年卯月蝶人酔生夢死幾百夜

 

佐々木 眞

 
 

 

若い二人の結婚式で、人世の幸福の秘訣は「A=B、B=C、butC≠A」という公式の解読にあると私がスピーチすると、マエセイゾウが、「そんな馬鹿な話があるものか」と文句をつけたので場内は騒然となったが、新郎新婦をはじめ、彼のすべての部下が立ち上がって反論したので、彼はこそこそ逃げ出した。4/1

私が半生を費やして確立した「A=B、B=C、butC≠A」というこの公式は、22世紀の世界コードとして内外から高く評価され、結婚式場の特別席に「安倍=トランプ、トランプ=プーチン、プーチン≠安倍」という具体例と共にプレートに刻まれていた。

しかし結婚式の出席者たちは、式が終ると全員で鹿狩りに出かけてしまったので、私たち中年の召集兵たちおよそ50名は、谷間の集会所に整列させられ、彼らを追跡して全員逮捕せよと命じられた。

深い谷間の麓から高い山の頂上まで登っていくと巨大な洞穴があったので、めざす連中はその中にいるのかと思ったら、あにはからんや京大史学科卒のヤマグチ先生が、たった一人で下手くそな日本画を描いていた。4/1

また雨だ。いくら洗濯しても乾燥が終らないのでいらいらした私は、日本のどこかに晴れた場所が1か所くらいあるはずだ。今のうちならまだ間に合うと思い、すべての洗濯物を引きずり出して旅立った。4/2

私は、めざとく少年になった白い蝶を発見したので、首根っこを捕まえて、「こんなところでウロウロするな。県道の脇道を辿って山に戻るんだ」と囁きながら、軽くハグして別れた。4/2

ハシモト氏は結構名の売れた作家なのだが、アルバイトでやっているCM企画のほうが金が入るので、止めたくてもなかなか止められないでいるようだ。私ならきっぱり止めてしまうのだが。4/3

清明の日にふさわしい心温まるような凄くいい夢を見たんだが、いくら思いだそうとしてもひとかけらも思い出せない、その悔しさだけが、夢の形見。4/4

私がちょっと留守していた間に、誰かが我が家に忍びこもうとしていたので、私は大声で怒鳴ると、男は気を失ってその場に倒れてしまった。しばらくするとようやく息を吹き返したが、またしても気を失ってしまった。4/5

何度も何年もこの国のこの町を訪れているというのに、定宿のホテルが見つからないので、あちこちをほっつき歩いているうちに、とうとう夜になってしまった。4/5

どうやら私たちは命を狙われているようなので、なんとか殺されないようにしようと、一晩中考えていたが、妙案はなかった。4/6

芝居の出演が終った私がしばらく休憩していると、必ず誰かが茶椀を運んでくるのだが、そのお茶の中には、必ず毒が入っているので油断できない。何日も経つ間に、私はある男がその犯人であることを知った。4/7

いつの間にか私は、その男と親しく口をきくようになったのだが、男は相変わらず私が休憩していると、毒入りのお茶を運んで来るのだった。これには毒なんかまったく入っていませんよ、という顔で。4/7

税関で「アメリカの製品を何点くらい買ったのか?」と聞かれたので「さあ、10点くらいかなあ」と答えたら、肥ったおばはんが、いきなりバッグの中身をその場でぶちまけたので、私はまたしても、「もう二度とこんな国には行かないぞ」と思った。4/8

1980年、その男が神さまだった頃、村人たちは男を全裸にしてから、真っ白な紙で覆ってしまった。彼が時間を元に戻せるようになったのは、その時からだ。4/8

今日から新学期だというのに、朝寝坊してしまった。授業は8時からだというのに、もう7時半だ。教務に連絡しようと思ったが、講師などもうやるはずがないと思って、携帯も捨ててしまったから、どうしようもない。4/9

私は大きく突きだした岩磐の登攀を目指しているうちに、夜になったので、切り立った壁の下で我が身を固定し、ジャコウアゲハの蛹のようにぶら下がったが、到底眠れるものではなかった。4/10

新入社員の私のところに朝日新聞の記者がやって来たので、私は舞い上がって、自分でもよく分からない会社の機密情報をペラペラしゃべりはじめた。するとその記者は、メモを取る手を休めて、まじまじと私の顔を見つめている。4/11

長男と一緒に、手をつないで行列に並んでいた。前の方に嫌な奴がいるので、注意しながら。しばらくすると、行列は猛烈に長くなり、大混乱が起こって、気がついたときには、長男と離れ離れになっていた。焦る。4/12

大混乱の中で私が呆然としていると、その女は、私が持っていたマイクを奪い取り、「あたしこそが人々の苦難を救うのです!」と絶叫するのだった。4/13

久しぶりに神田神保町を訪れ、集英社辺りを歩いていたら、通用口から出てきた見覚えのある男性から、「おや佐々木さんじゃないですか。昼飯でも食いませんか?」と誘われたので「いいですね」と答えて、一緒に歩きはじめたのだが、彼の名前が出てこないので激しく焦っている私。4/15

松林の中で虚無僧生活を送っていた私は、ある人に3人の美女と1日3食の美食付きでスカウトされて、新しいプロ野球チームの主戦投手兼4番バッターに抜擢されたのだが、まもなく引退して、のんちゃんと一緒に雲に乗った。4/16

久しぶりの乱交パーティだったが、なんせ真っ暗闇なので、みんなすぐ傍の相手としか出来なかったので、大いなる不平と不満が残ったようだった。4/17

「よく気をつけないと、鬼さんに呑みこまれてしまうからね」、とあれほど注意したのに、わが新人どもは、次々に凶暴な鬼さんに呑みこまれてしまった。4/18

私は出てくる女たちと、次々に枕を交わしていったが、別にどうということもなかった。そしていまでは、あれは嘘か、それとも真だったのか、すら分からなくなってしまった。4/19

青年と老婆の対話を、なんとか詩にしようと悪戦苦闘していたが、うまくいかない。気がつくと朝になっていた。4/21

木下順二の「夕鶴」の新しい演出を考えていた。運ずと惣どには、背広を着せることに決めたが、肝心の鶴はどうしようかと考えても、考えても、なかなか結論が出ないうちに、朝になってしまった。4/22

いよいよ個展が始まるというのに、まだ1枚も絵が描けない。困った困った、どうしようと苦悶しているうちにも、情け容赦なく時計の針は進むのであった。4/23

マエダさんが、突然「図書館の本の在庫を減らします!」と宣言したので。驚いた私は、反対しようとするのだが、その反対の論拠をどこかに置き忘れてしまったので、周章狼狽している。4/23

もう古稀を過ぎているのに、私は「おらっちはまだ20代だ、ぐあんばれば、まだまだなんとかなるさ」と、自分自身に何度も言い聞かせているのだった。4/24

私は真夜中なのに、例の街角に辿りついた。この道はループしている、と分かった。ようやく自転車屋を見つけたので、欣喜雀躍して、トイレを借りたり、おやじさんにタイヤに空気を入れてもらったり、色を塗り替えてもらったりした。4/24

私は、毎週湘南鎌倉病院の院長から、新着のDVDを送ってもらっていた。それは、この病院が起こした不祥事を反省するために、全患者に寄贈しているもので、最新号はウグイス啼く果樹園をバックに、院長が、お詫びの言葉をぶつぶつ呟いているものだった。4/25

私は自分の会社を人跡稀な森の奥に移転し、そこで受注した製品の製造と販売を始めたのだが、社員がてんで集まらないのには閉口した。4/26

私ら3人は、朝8時からの勤務に出社できず、毎日午後1時から8時ごろまで勝手に働いていたので、真面目な上司の今井さんから解雇されてしまった。4/27

どうやら日本では、戦争になっているらしい。13人いた仲間の大半は帰国し、パリに残っているのは、私とイノウエとヨシカワ、それにオオミチの4人だけで、去就に迷って全員空港の中で途方に暮れていた。4/28

原口組と宮前組の対立で、原口と宮前は一時お互いに宿敵に拉致誘拐されて、尻の穴からビシバシ犯されたのだが、そういう因縁も手伝ってか、双方が和解してからというものは、無二の義兄弟になった。4/29

半年前に、適当にシャツと帽子を作ってしまったのが、拙かった。いよいよショウが始まるというのに、それがネックになって、他のアイテムにも悪影響を及ぼしたので、私は改めてシャツと帽子のデザインをやり直した。4/29

鴈治郎が「気の毒じゃが、おぬし覚悟せい」と刀を引きぬくと、雀右衛門が黄色い悲鳴をあげて、「強欲じゃあ、ごうよくじゃあ」と、叫びながら逃げ出した。4/30