家族の肖像~「親子の対話」その5

 

佐々木 眞

 

 

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「お母さん、イビキってなに?」
「眠っているときにグウグウいう音よ」
「イビキ、イビキ、イビキ」

「お父さん、座ってくださいの英語は?」
「シッダン、プリーズだよ」
「プリーズ、プリーズ、プリーズ」

「お母さん、まつりごとってなに?」
「まつりごとねえ。まつりごと、まつりごと」

「お父さん、お金ください」
「エッ、お金? 何に使うの」

「お母さん、なつかしいってなに?」
「そうねえ、昔は良かったなと思うことよ」
「なつかしい、なつかしい」

「耕君、どうしてそんなに喚くの? 頼むからいいこにしておくれ」
「僕、キンニクマンのアシュラ好きですお」

「♪ラアラアラア」
「耕君、それなんの歌?」
「巣立ちの歌だお」

「お母さん、自閉症ってなあに?」
「………そうねえ、ちょっと不思議な人。耕君、誰かに自閉症ていわれた?」
「いわれないお」

「お父さん。行方不明の英語は?」
「Disappearanceかな。ディサペアランス」
「行方不明、行方不明」

「しょうがないの英語は?」
「しょうがないかあ。そんな急に言われてもなあ。しょうがないは、仕方がないことだよ」
「しょうがない。しょうがない」

 

 

 

かりそめ

 

佐々木 眞

 
 

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道路の真ん中を、かりそめの車が走ってきた。
車の格好をしたはりぼての車が、
風に揺られてぶるぶる震えながら走っている。

道路のはじっこには、かりそめの人が歩いていた。
外側には肉がついて、人間の姿形をしているのだが
その中には、なにも入っていない。

道端には、造花のようなかりそめの花々が咲き乱れ、
ウスバシロチョウに似たかりそめの蝶が、
そこらを、うろうろ飛んでいる。

不動産屋の店先では、
両足を縛られた風船パンダが、
冷たい春風に吹かれて、ぷるぷる震えている。

よく見ると左右の道路は、かりそめの人々でいっぱいだ。
「やあ、こんにちは、ご機嫌よろしゅう」
「嘘じゃあないよ、ほんとだよ」などと言い交わしている。

そして、彼らのあとからふらふら歩いている私も、
極楽トンボの、かりそめの人だった。
どうしようもない、かりそめの人だった。

 

 

 

四月の歌

 

佐々木 眞

 

 

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さよなら三角 またきて四角
さよなら三月 またきて四月

さよなら三角 またきて四角
資格はテレビ テレビは電波
電波は消えた 消すのは女

女は塗り壁 塗り壁白い
白いはウサギ ウサギは跳ねる
跳ねるは阿呆蚤 ノミクソ死んだ

「死ね死ね死ね」と言われたので、とうとう死んだ日本だった
死んだニッポン チャッチャッチャ
CHA-CHA-CHAなら 明美ちゃん

石井明美はB型だ B型人間恋多し
恋多き人北川景子 景子はDAIGOの嫁になる
DAIGOの祖父は竹下登 竹下登は元総理

元の総理は山本権兵衛 権兵衛といえばお百姓
百姓が種播きゃ 鴉がほじくる
三度に一度は 追わずばなるまい

追われて逃げるは高倉健 健さん待ってて頂戴な
健さんの最愛の妻は江利チエミ
江利チエミは「三人娘」 三人娘は「ジャンケン娘」

ジャンケンポンはグーチョキパー グーチョキパーでなにつくろ?
ドラえもんとアンパンマン 二人揃って人気者
もっと人気のトリンプさん トリンプさんは大統領!?

大統領は権力者 権力者はでぶでぶだあ
でぶでぶ百貫でぶ 電車に轢かれてペッチャンコ
ペチャンコなのは あの子のオッパイ

オッパイからはおいしいミルク ミルクを出すのは牧場の雌牛
牧場の雌牛はなんて鳴く 寂しい時はモウと鳴く
モウと鳴いたら一匹で モウモウモウで三匹だ

三匹なのは「三匹の侍」 監督したのは五社英雄
五社英雄なら鬼龍院花子 「おんどらナメたらいかんぜよ!」
なめてもいいのは親父の頭 ぴかぴか光る禿げ頭

ぴかぴか光るはトンボの目玉 蛇の目は夜も光ってる
おっかないのはニシキヘビ ニシキヘビは無闇に長い
無闇に長いは森泉嬢の両の脚 森と泉に憩いたい

さよなら三角、またきて四角
さよなら三月、またきて四月

 

 

 

Les Petits Riens ~三十六年もひと昔

蝶人五風十雨録第11回「三月三十日」の巻

 
 

佐々木 眞

 

 

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1981年3月30日 月曜

1982年3月30日 火曜
我が家の地鎮祭を行う。出席は父母と妻と我のみ。父母も近所への挨拶をしてくれたそうだ。夜、建築確認書が下りる。

1983年3月30日 水曜
マックスファクターなど化粧品メーカーを訪問する。N響の第2ヴァイオリン奏者の女性宅を訪れて、いろんな裏話を聞く。

1984年3月30日 金曜 はれ
資生堂フレグランス江守課長とCMタイアップの話。夜、日本武道館でリンダロンシュタット公演。

1985年3月30日 土曜
「宣伝会議」講師時代の教え子主催の集まりありしが、辞退して自宅で静養す。

1986年3月30日 日曜 雨 寒
冷たき雨降れど、妻の父母結婚45周年、長男の大船中、従弟の大宮高入学を海岸傍の大海老で挙行す。

1987年3月30日 月曜
小学館キャンキャン増井氏、ダイム中村氏を訪ねて打ち合わせ。宣伝の中川氏は休みなりき。成瀬の「流れる」「晩菊」をみる。

1988年3月30日 水曜
INのショー責任者会議召集、22名出席。CFDに参加するのは大変そうだ。

1989年3月30日 水曜
INのショー第3回打ち合わせ。ルイ・マルの「アトランティック・シテイ」、カウロス・サウラの「エル・ドラド」をみる。

1990年3月30日 金曜 はれ
INのショー打ち合わせ。6時から六本木の中華料理店で生活文化フォーラム最終回。大学教授や通産省の役人などが集まって「未来論」をやるのである。

1991年3月30日 土曜 雨
会社休みて大塔宮、荏柄天神に詣ず。駅前の島森書店で「すばる」を立ち読みしたら、明日締め切りとあったので、帰宅して原稿を清書す。

1992年3月30日 月曜 くもり
会社に身を捧げるは阿呆なことなり。心晴れず。すべからく自立しておのが進路を切り開くべきなり。永原嬢送別会。

1993年3月30日 火曜 はれ
昨夜、金丸信は3億円の保釈金を積んで釈放さる。仏社会党大敗。保守が2/3制す。ミッテラン大統領のCohabitation第2部のはじまり。一方ロシアのエリツィンは来月の国民信認投票を議会から強要されピンチなり。ダニエル・シュミット監督の「HORS SAISON」をみる。

1994年3月30日 水曜 はれ
ようやく春。しかし朝晩は寒し。細川首相の佐川疑惑は、以前続行中。

1995年3月30日 木曜 雨
体調悪く、会社休む。朝警察庁長官が背中をピストルで3発撃たれた。犯人はオウムなるか。

1996年3月30日 土曜 終日雨
早朝より3人で取手に行き、藝大に入った次男の下宿を探す。月額3万円、礼金敷金各1ヶ月の良き物件あり。パリーグ開幕。「ボリス・ゴドノフ」のLDを視聴す。長男は余を気にしている。ムクを怒る。

1997年3月30日 日曜 晴 風強し
十二所に行き、義母とガンで死にかけているその弟さんの葛藤話を聞く。いわゆる医者の不養生なり。安価なる銘機「カール・ツアイス・ドレスデン」にて庭の桜の花を撮りたり。

1998年3月30日 月曜 晴 良い陽気
午前永代営業所へ。まだ施工中で利用できるのは明日からなり。富岡八幡宮と不動尊に参拝す。

1999年3月30日 火曜 小雨
失業者313万人、失業率4.6%の過去最高を記録。朝9時15分に出社するとO副社長より電話あり。「よそ者の我われすら8時に来ているのにお前はなんじゃ」と怒鳴られる。さすがメガバンク出身者なり。午前中全員会議。

2000年3月30日 木曜 晴
ネーミングを社内ではなく外部のプロに依頼せよという指令が飛んで、てんてこ舞い。柿崎と昼食。中野君の会社に寄ってから帰宅す。疲れる。

2001年3月30日 金曜 降ったりやんだり
昨日直したはずの水道栓だが、今日はお湯が出ない。3万5千円も払ったのに。さらに2階のサッシがぶっ壊れてしまった。夕方銀座の資生堂ワードで梅若六郎と水原紫苑の対談。能の話が面白かった。

2002年3月30日 土曜 くもり
母の葬式で帰省したが、事後処理に悩んで寝られず。かろうじて郵便局の100万を引き出したり。実家の2階の雨戸を開け放ちて大掃除をする。午後3時発の「のぞみ」にて帰宅。疲れたり。

2003年3月30日 日曜 はれ
終日データをPCに打ち込み。亀田さんの桜はまだ2分から3分咲きなり。3人で太刀洗まで散歩。大量のカエルの卵発見。ようやく春が来たのだ。

2004年3月30日 火曜 くもりのち雨
工芸大橋本氏に呼ばれて中野坂上へ。就職課の仕事を2、3日手伝ってほしいと依頼される。アメリカ大リーグ開幕戦。ヤンキース対デビルレーイズをテレビで観戦す。

2005年3月30日 水曜 はれ
亀田さん宅の桜咲く。郵便配達にやってきた女の子がバイクを転倒させたために、郵便物が滑川に落下した。向こう三軒両隣のおじさんおばさんが大騒ぎして埒が明かないので、私が川に降りて拾ってやった。太刀洗にて第2弾のオタマジャクシ発見。熊野神社の参道に菫が咲いていた。

2006年3月30日 木曜 はれたりくもったり 寒 ○
明日までが冬の寒さだそうだ。この頃は大渋滞でバスが遅れたので、大学前で降りて駅まで走ったが、横須賀線も遅れていた。工芸大客多し。

2007年3月30日 金曜 雨のちくもりのちはれ
太刀洗まで写真を撮りに行く。長年続けていた自分の顔の撮影が、一昨日で頓挫してしまった。文芸社やる。

2008年3月30日 日曜 くもり時々雨
昨夜青池家の人々我が家に集い一泊。今日の午前中に帰った。優ちゃん元気そのものにて全く心配なし。耕は偉い!

2009年3月30日 月曜 はれ
久しぶりに妻と栄プールで泳ぐ。春休みなので大勢の子供たちが母親と一緒に来ていた。千葉県知事選で莫迦な男が当選す。

2010年3月30日 火曜 晴
大船の湘南鎌倉病院にて大腸ガン再検査を申しこむ。エコーでポリープの小さいものがあることが分かった。4時に帰宅。病院は嫌だ。

2011年3月30日 水曜 晴
長男がついに鎌倉の施設に移ることに同意したので、明日妻と4か所の施設を見学することにする。

2012年3月30日 金曜 くもり 風つよし
義母はシルバーから帰宅し、また文句を言っているらし。文芸社やる。国民新党分裂。

2013年3月30日 土曜 くもり
特に記すべきことナシ。

2014年3月30日 日曜 雨
終日家居して、ブログをアップする。本日で購読を止める最後の日経歌壇にて拙歌選ばれず。

2015年3月30日 月曜 快晴
妻の妹と娘が2人の子供を連れて十二所にやってきた。上の子が下の子をいじめるのは問題だ。

2016年3月30日 火曜
若宮大路の段葛改修工事が終了したが、見るも哀れな姿なり。中村吉右衛門丈を迎えた渡り初め行事を見物す。外国人多し。
今年はカエルの産卵が少なかったのに、鶯の数が例年より多いような気がする。
台湾栗鼠の暴威を耐え忍んで藪の奥からやってくる玉を転がすような美しい囀りに耳を傾けていると、偽イスラム国の自爆テロもアメリカ共和党予備選のトランプの狂気も、安倍蚤糞の破綻も、全世界を覆う暗雲もどうとでもなれという気持ちになってくる。

 

悪役が賜杯を攫い弥生尽 蝶人

 

 

 

夢は第2の人生である 第36回

西暦2015年霜月蝶人酔生夢死幾百夜

 

 

佐々木 眞

 

 

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ヤクザの家に生まれた私は、さるアパレルメーカーに入れられたが、そこの社長でもある父親は、私の名前であった吉田一郎を、翌年は吉田次郎、その翌年は田中三郎、その翌年は天草四郎と次々に改めさせ、出世魚のように出世させようとしていた。11/1

父は「ヤクザにも地域社会への貢献が必要だ」と称して、毎年一回「酒池肉林の会」を開催し、近隣の男たちに酒を振る舞った後で、一家の女たち全員を裸にして裏山に放ち、やりたい放題にさせていたので人気があった。11/1

面積1万ヘクタールの敷地に、私たち一家が経営している玩具工場とサーカス小屋がある。工場は金属はいっさい使われず、すべてが木でできていて、やはり木だけで出来ている玩具が製造され、サーカスの呼び物はお馴染みの空中ブランコだった。11/2

熊さんと八さんが道路の真ん中で睨みあっているうちに言い合いになり、突然熊さんが八さんの頭を、八さんが熊さんの頭をかち割ったので、大通りは血まみれになった。11/4

イーストロンドンの洒落たカフェには、緑色のウナギが飼われているのだが、ちょっと油断すると悪ガキどもが盗みに来るので、店主はいつも目を光らせていた。11/4

地球に帰還する宇宙船が時速5千キロになった段階では、地球から迎えに来た大道君が、時速3千キロに減速した段階では、門君がその操縦を担当することになっていた。11/5

毎年の夏の恒例となった映画撮影が、今年も始まった。南海に臨むリゾートにある監督の別荘に三々五々ここに集まった私たちは、極めて限られたスタッフだけで、極私的な長編映画をこれで7年間も撮り続けていた。

この夏も私は近くの基地にロケットで降り立った主役のエディ少年とエセル嬢を出迎えるために、おんぼろのダットサンで出かけたが、その光景は1年前となに一つ変わらなかった。お互いに一つ歳をとったという点を除いて。11/5

四越デパートでやって来たエレベータに飛び乗ったら、それがどういうわけだか2人乗りエレベーターで、中にはでっぷり肥ったいかつい中年男が乗っていたが、仕方なくお互いに我慢しながら1階まで下りていった。11/6

公演をキャンセルしたカール・ベームになり変って、大天使ガブリエルの私は、短い指揮棒を右手に軽くつまんでウイーン・フィルの前に立ち、コンマスのゲルハルト・ヘッツエルに合図してから、ブラームスの交響曲第1番ハ短調作品68の第1楽章の冒頭を開始した。11/7

荒野の真っただ中で、私は無くしたライフルと銃弾が入ったガンベルトを拾ったが、それれはインディアンもとい先住民が落としたものだった。インディアンもとい先住民は、私のライフルを拾った白人を殺してそれを奪ったのだが、それをまたしても落としたのだった。11/8

金に困って往生していたら学生時代の友人にぱったり出くわしたので、これ幸いと窮状を打ち明けたら「万事俺に任せろ」という。友人はその場で茂原印刷の茂原社長に電話して、「いつものようにあれを印刷してくれ」と頼んだ。

「あれって何だ?」と尋ねると、「ほらこれと同じ偽札だよ」と言って、本物そっくりの1万円札を見せた。「2時間ほど経ったら、茂原印刷へ行ってみな。出来たての新品が100枚首を揃えているぜ」というので、白山下まで行ってみるとその通りだった。

やったやったヤシカがやった!と鬱から躁に舞いあがった私は、同じクラス仲間のかつてのマドンナであったつうちゃんとまりちゃんを電話で呼び出し、久しぶりに酒池肉林の宴を開いてからピン札で勘定して、ご祝儀に2人に10枚ずつプレゼントしてらりらりらあんと帰宅した。

翌日のお昼ごろ、おいらは突然土足で踏み込んできた刑事に叩き起こされた。なんと、つうちゃんとまりちゃんが、今朝横浜銀行の窓口でおいらの渡した万札を、別の御札に両替してくれと頼んだ、というのだ。そこでおいらは「だから両家の御嬢さんは嫌いだよ」と呟いたが後の祭りだった。11/8

廃れた学校の校舎のような建物に着いた我われは、思い思いの部屋に荷物を運び入れ、そこで生活できるような環境を整えてから、遅い昼食をとった。隣の部屋には老母と美しい娘がいたが、一瞥をくれただけで、私は近くの町まで探訪に出かけた。

町にはひとっ子一人見えず、誰も住んでいる様子がなかったが、駅舎には電車が停まっていたので、既に動き始めていたそれに乗り込んだ。普通の電車と違って、開閉するドアがまるで自動車のように外側に向かって大きく開かれているから、簡単に飛び乗ることができたのである。

電車の中には20代の学生風の可愛い女が座っているだけで、他には乗客が一人もいない。まもなく電車が駅に着くと彼女が降りたので、私も降りて後をつけていくと、大学で入学式のパーティをやっていたので、なんとか彼女に話しかけたいと思ったが、妙な男に付きまとわれているうちに女は姿を消した。11/10

どこかの国の、どこかの街の、どこかの交差点で見かけた昼顔のように白い貌は、確かに私が昔恋した懐かしい女だった。11/11

慶応を出たスポーツマンのK氏が、若くして突然亡くなってしまった。彼は仕事はあまり出来なかったが、性格が温和にして明朗闊達だったために、大勢の人から愛されていた。また彼は大食漢であったが、私はこの人ほど美味そうに食事する人を知らない。

杉並の自宅にお通夜に行くと、真っ暗な闇の中に大きな提灯がぼんやりと灯っているだけでよくは見えなかったが、死んだはずのK氏が、家の前でその巨体を逆立ちさせながら「やあ佐々木君、お久しぶりですなあ」と声をかけたので驚いた。11/12

次回のテレビCMの企画会議が開かれたが、プロダクションの担当者がコンテ案を用意してこなかったので、電通の古川氏が激怒して叱りつけているが、そういうことがないように手配するのが君の仕事ではないのか?11/13

高原の牧場に立っているパビリオンに入ると、知らない男が演説していて、「この商品は外国人が一手に縫製しているから、これをすべて内製化すれば大きな利益を上げることができるだろう」と説いていた。11/14

この阿呆めが、と思いながら、ふとカフェを覗いてみると、リーマン時代の中島君や日隈君や斎藤君などのデザイナー諸君が、テーブルを取り囲んで談笑しているので、私は何十年振りかと驚きながらも懐かしかった。みなそれぞれあんじょうやっているようだった。

誰だか知らない人の家にいたんだが、2階からベランダへ出て、そこからどんどん下へ降りて行くと、レールの上に出た。やがて新幹線がやって来たので乗り移ると、先頭から2番目の車両で、そこには中学か高校の女子だけが乗っていたが、しばらくしてまた同じコースを逆にたどって、元の家に戻った。11/15

息子と一緒に大学のキャンパスで散歩していたら、久しぶりに黄揚羽が花に止まっていたので、パッと右手で捕まえた。すると今度は、別の花にルリタテハが止まっていたので、左手で捕まえて喜んでいたら、息子が「両手に蝶だね」と云った。11/16

田辺氏は「君、困ったときにはこの辞書を引いてみたまえ」と云うて「仏蘭西語にとっての外国語辞典」を下さったので、早速困ったときに引いてみたのだが、日本語すら容易に理解できない私ゆえ、仏蘭西語もその他の外国語もてんで理解できないのだった。11/17

ちょっと油断したすきに、長男がとんでもないものを口にしていたので、私は総毛立った。11/18

こうちゃんとけんちゃんは、それぞれに自転車に乗って、私より先に家を出て駅に向かったはずなのだが、いつまで待っても2人とも姿を現さないので、私はだんだん心配になってきた。11/19

A夫は空襲で怪我をしたB女を、防空壕の中で懸命に介護していたが、B29がその防空壕を直撃したために、2人とも死んでしまったが、両人は暗闇の中で不純異性交遊を行っていたことが、死後に判明した。11/20

さる編集者と次の小説の話をしながら十二所まで歩いてくると、葬列がやって来たのでよく見ると、私の親類の人の葬式だったので驚いた。11/21

その宝石を買うのは、大変だった。何時間も並んでからようやく順番がきたのだが、目の前に聳え立つ火山の噴火口から、赤青緑の珍しい宝石が次々に打ち出されてくるので、それを上手にキャッチしなければならないのだ。11/22

夢中になって両手を振り回しながら、ようやく緑色の大きなエメラルドを手にすると、そこには「魅せられたる魂」という文字が鮮やかに刻印されていた。11/22

「私がバッハを演奏する時には、空気滞留システムを使用します」と、その謎の女流ピアニストは言うので、「そんな話は聞いたこともない。どうぞお引き取りください」とホールの支配人は言うた。11/23

そこで私は支配人に、「スタインウエイにその空気滞留システムを設置するのは、そんなに難しくない。その新しいシステムを有名にする絶好の機会を逃がしては為になるませんよ」と、アドバイスしてあげた。11/23

Mcパーカ氏は、さる大富豪の好意で、自分のブランドショップをLAの繁華街に作ってもらったのだが、そこへ立ち入ろうとしたら、警備員に阻止されてしまったので、仕方なく裏口に回って屋根に上り、そこから梯子で中にもぐりこむしかなかった。11/24

帰宅すると井出君がいた。幼い耕君や健君と遊んでくれたようで、2人ともお城のてっぺんにのっかって、無数の爪を城下に捨てながら、楽しそうにしていた。11/26

軍団同士の戦は何日も続いたが、一進一退だった。今日こそは勝利をものにしよう、とわが軍が塹壕を辿って前線に肉薄したが、敵陣は空っぽである。ちょうど我々と入れちがいに、彼らはわが軍の陣地めがけて突撃していたのだった。11/27

わが図書館の分館では、2万冊の書籍を1)日本文学2)外国文学3)コンスチチューションの3つのカテゴリーに分類しているのだが、3番目の内容については誰に聞いても分からなかった。11/28

ところがまもなく本館と分館の図書館戦争が始まったので、私はまっさきにコンスチチューションのカテゴリーの書籍を、地下室のシェルターに隠匿した。11/28

2040年の4月に、4千万人の男女が築地市場に集合した。拡声器で入り口で渡されたチケットの番号を呼ばれた男女は、大喜びで抱擁し合っている。早朝からはじまったビッグイベントは夕方には終了し、誰もいなくなった。11/28

緑色のシャツを着た上司が、高倉健の真似をすると、まわりのお調子者の部下たちが拍手喝采していたので、面と向かって「なんだ、ちっとも健さんに似ていないじゃないか」というと、緑シャツはこそこそ姿を消した。11/29

東北の大牧場で、昨日から徹夜で馬やら牛やらを貨車にぎゅうぎゅうずめに詰め込んだが、送り主のリクエストに応えてそのすべての作業が終了したのは、そのまた翌日の夜中だった。11/30

遠路はるばる旅をして、ようやく我が社に来ていただいたお客様だというのに、営業担当者も私の上司も、挨拶すらしないので、私は「こら、お前ら、失礼じゃないか。席から立ち上がって、お礼をいうたらどうなんじゃ」と、怒鳴りつけた。11/30

 

 

 

殺生

 

佐々木 眞

 

 

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虫を殺し、花を殺し、蝶を殺し、鳥を殺し、
いままでずいぶん殺生してきたな。
さすがに人は殺さなかったつもりだけど、
我知らず、ひとりやふたりはあやめてきたのかもしれないな。

恐ろしや、恐ろしや、あな恐ろしや、恐ろしや。

虫や花や蝶や鳥は、殺したくて殺した訳ではないけれど、
蛇だけは、おぞましくて虫唾が走り、
無我夢中で見付け次第叩き殺してきたな。
といっても全部で五匹は超えていないだろう。

だけどマムシに出くわしたときには
殺すどころか、おっかけられて
ほうほうのていで逃げ出したものだ。
マムシって、宙を飛びながらシュツと襲ってくるから恐ろしい。

恐ろしや、恐ろしや、あな恐ろしや、恐ろしや。

ところが上には上があるもので、
茂木のハローウッズで活動している崎野隆一郎さんは、
マムシを見付け次第とっ捕まえて、
皮を剥いでね、焼いてね、ムシャムシャ喰っちまうそうだ。

田舎の旧家にも時々巨大な青大将が出現して、
義母にその始末を頼まれた心優しい父はとうとう殺しきれず、
段ボールに入れて自転車に積んで、由良川に捨てに行ったら
途中でそいつが背中で長い鎌首をもたげて困ったそうだ。

恐ろしや、恐ろしや、あな恐ろしや、恐ろしや。

それにしても殺生をした後は、後味が悪い。
化けて出るんじゃないかと思う時もあったなあ。
化けて出てくるぶんには、たいして怖くないけど、
地獄に落とされたら、嫌だなあ。

私はいちおう無神論者で、この世はあってもあの世はなく
天国も地獄もないと考えているのだけれど、
もしも、もしも、万が一にも地獄があって、
閻魔さまに「お前そっちへ行け」と命じられたら、どうしよう。

恐ろしや、恐ろしや、あな恐ろしや、恐ろしや。

太宰治は子守のタケに雲祥寺の「十王曼荼羅」を見せられ、
地獄の恐ろしさに夜な夜なうなされたそうだが、
この世の地獄が、あの世の地獄におさおさ劣るものではないとは
まだその時は、知らなんだ。

ああ、知らなんだ、知らなんだ。
幸か不幸か、知らなんだ。
あの世もこの世も地獄とは、
まだその時は、知らなんだ。

恐ろしや、恐ろしや、あな恐ろしや、恐ろしや。

 

 

 

生命の跳躍~シャルル・ミュンシュの音楽

音楽の慰め 第2回

 

佐々木 眞

 

 

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シャルル・ミュンシュ(1891-1968)は、大好きな指揮者です。
長くボストン交響楽団の音楽監督を務め、彼の生地ゆかりの独仏両国の音楽にいずれも堪能で、明晰かつ情熱的な演奏を後世に遺してくれました。

彼がフランス国立放送響と録れたドビュッシーやベルリオーズ、Memories盤で聴くボストン響とのベートーヴェンの交響曲全集やモーツァルト、ブルックナーの交響曲第7番などのライヴ演奏は、いずれも素晴らしい。
それは生命の跳躍と輝きがあるからです。

フランス音楽、ことにベルリオーズの「幻想交響曲」では高い声望を勝ち得ているミュンシュですが、1967年11月14日パリ管弦楽団の音楽監督就任お披露目コンサートの実況録音に聴くドビュッシーの「海」はもっと見事な演奏で、安物のスピーカーから流れる第3曲のトランペットの強奏を耳にしながら、ドビュッシーがインスピレーションを得たという葛飾北斎の「富嶽三十六景・神奈川沖裏」の映像が忽然と脳裏に出現したのには我ながら驚きました。

また仏のレーベルAUVIDIS VALOOIS のV4826には、1963年6月にフランス国立管弦楽団とリスボンで行ったライヴ演奏が全8枚に収められています。

お得意のフランス音楽のほか、ブラームスの交響曲2番、シューマンの4番、ベートヴェンの4番と7番、フランクの交響曲なども収められているのですが、いずれも超の字がつく名演で、この人がバーンスタインなぞ及びもつかない生命力にあふれる音楽をやった大指揮者であったことを雄弁に物語っています。

マーラーにも思いがけない名盤があります。例えば歌曲「さすらう若者の歌」と「亡き子をしのぶ歌」では、カナダの歌手モーリン・フォレスターの沈湎たる歌唱が深々と心に響きます。

いまここで音楽を創造しながら、「ああ生きていて良かった!」という切実な思い、光彩陸離たる生命の輝き、そして己の殻をぶち破って、どこかここではない彼方へ飛びだそうとする“命懸けの豪胆さ”が、私たちの心をひしひしと打つのです。

――『生涯の終わりごろ、ブラームスが目も眩むほどの速さでヴァイオリン協奏曲を振りはじめた。そこでクライスラーが中途でやめて抗議すると、ブラームスは「仕方がないじゃないか、きみ、今日は私の脈拍が、昔より速く打っているのだ!」と言った。』

そんな興味深いエピソードを、ミュンシュはその著書「指揮者という仕事」(福田達夫訳)の中で紹介していますが、ここでじつに印象的な風貌を垣間見せているブラームスの姿が、私にはどうしてもミュンシュその人に重なってしまうのです。

 

 

*追記

ミュンシュの音楽の素晴らしさを知って頂くためのいちばんの近道。それはYouTubeの「人気の動画シャルル・ミュンシュ」というトピックをのぞいてみることです。

百文は一見に如かず。そこにはボストン交響楽団を中心とした長短様々なライヴ演奏の動画が陸続と展開されており、彼の卓越した指揮ぶりに信服しているオケの面々の音楽する歓びと、これを目の当たりにした聴衆の感激が生々しく伝わってきます。

 

 

 

スケルツォ第3番~「南無阿弥陀仏」

 

佐々木 眞

 

 

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春一番が吹いた朝、
主がいないお向かいの家では、梅が満開だった。
紅白の梅は、これで1113年の間、主人が帰るのを待って毎年律儀に咲いている。

あるコピーライターは、今は亡き吉本隆明選手から、
「10年続けば何事かではある」などと尤もらしい御託宣を頂戴したので、
自分のブログを10年以上続けているそうだが、自慢話はまだ早い。

詩人の鈴木志郎康さんは、毎朝4時に起きて詩作に励み、
指揮者の小澤征爾選手は、毎朝5時に起きて暗譜に精進、
隣の梅は、未来永劫死ぬまで主人を待っている。

おらっちもこれで70年以上も人間をやってるが、まだ何者でもない。
こいつをあと10年や20年続けたとしても、
何事のおわしますかは知らねども、何者かになれるとは、到底思えないな。

アッハ、お前さん、
要するに、修業が足らない。
アッハ、まだまだ、修行が足りんのさ。

そこで詩人のさとう三千魚さんは、毎日詩を書きたい、という。
詩作は、毎日カンナで木を削るようなものだ、という。
が、お客さん、ぺらぺらのカンナ屑を侮ってはいけないぜ。

カンナ屑こそ、日々の尊い修業のあかし。
真善美の彼岸を目指して、一心不乱にカンナを削る行為は、
一遍が南無阿弥陀仏と唱えながら、1年365日踊り狂うようなものだろう。

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
Dance Dance Dance
詩作は、苦しくも楽しい日々のつとめ、日々の祈りのようなものだな。

アッハ、お前さん、
要するに、修業が足らない。
アッハ、まだまだ、修行が足りんのさ。