Les Petits Riens ~三十五年もひと昔

蝶人五風十雨録第8回「十二月三十日」の巻

 
 

佐々木 眞

 
 

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1981年12月30日 水曜
妻は扁桃腺が腫れているがおせちづくりに忙しい。長男次男は少し風邪気味なり。

1982年12月30日 木曜
妻、風邪で倒れる。

1983年12月30日 金曜 小雪降る 寒い
夜、家郷より電話あり。祖母悪し。妹悪し。

1984年12月30日 日曜
家に居る。向かいの家より長男のピアノに対して苦情あり。妻憔悴す。直ちに戸塚の調音師を呼びて防音処置を施す。

1985年12月30日 月曜 はれ
家でごろごろ。こんなに暖かな晦日も珍しい。

1986年12月30日 火曜 はれ
依然として寝込む。本日VHSハイファイHQビデオ到着。サンヨー製13万5千円をヤマギワ藤田氏の斡旋にて7万六千五百円で現売してもらう。防衛費ついにGNPの1%を突破。

1987年12月30日 水曜 晴 暑
なにやら不気味な暖かさ。地震の予兆なるか。吉田拓郎の「アジアの片隅で」に感銘を覚える。今年みた映画は合計198本也。コロンビア本間氏の斡旋にてデンオンプレイヤーDCD1500、9万9千円を4万9千8百円にて購入。

1988年12月30日 金曜 晴
亮ちゃんが正月は来れぬかわりに今日来てくれる。一緒に「不思議なおうち」まで散歩し、紅葉とシダを採取す。お正月の飾りなり。LDにてクライバーの「こうもり」鑑賞するも歯の具合悪し。長谷川法相リクルート献金で辞任す。

1989年12月30日 土曜 はれ あたたか
少し家事を手伝う。ムクと次男とで熊野神社まで散歩。長男は依然風邪気味で5キロもやせた。「ル・クール」2月号の原稿書く。今年は良くない年だった。

1990年12月30日 日曜 はれ
妻は買い物。余はムクと散歩して昼寝してから「都市とファッション」についての依頼原稿を書く。

1991年12月30日 月曜 はれ
大船で妻のイヤリング、カセット、靴下、安永さんへのお返しの鳩サブレーなど買い、バースデイケーキの予約をする。小説少し書く。第3部に入る。

1992年12月30日 水曜 はれ
妻、長男と生協で買い物、大混雑。ワットマンにて長男のサンヨー製ラジカセ買う。1万8千900円也。熊楠の「十二支」、プラトンを読みすすむ。ムクと熊野神社まで散歩しているときに、NYのアルゴンキンホテルに最後のモヒカン族の亡霊が出るという小説のアイデアを得たが、ものにならず。

1993年12月30日 木曜 はれ
風邪治り、床上げしたが腰骨を痛めたので妻の運転で逗子の整体外科へ行く。次男は同窓会、長男は驚くべきことに一人で横浜伊勢佐木町へ行って帰ってきた!

1994年12月30日 金曜 くもり 寒
妻、長男とイトーヨーカ堂へ行き、形状記憶シャツ4枚(4万9千円を2割引き)、1万4千円のコートを買う。長男と昼寝。Y嬢のカード来る。ムクと散歩がてら泉水橋の斎藤電機まで8百円の延長コードを買いに行く。次男は遊びに行ってまだ帰宅せず。

1995年12月30日 土曜 はれ
少し風あり。午前ガラシ拭き。ムクと太刀洗いまで散歩。午後ムクの小屋の屋根を妻がラッカーで吹き付け。LDでプッチーニの「外套」をみて感動す。坂本さんのひろし君発作で大船駅にて倒れたり。「年取りてもしわれにこの悲劇ありせば、汝もっていかんとなす」と妻言いき。

1996年 12月30日 月曜 快晴
再びHMVにて6枚3千円のCD買う。残念ながら欲しかったベルクは売り切れなりき。妻と生協で買い物。ペルーの人質依然100名残れり。

1997年 12月30日 火曜 雨 寒
久しぶりに終日の雨也。早朝5時に次男帰宅。部屋は酒の匂い残れり。雨の合間に盲目のムクと太刀洗いへ散歩。トリュフォーの「日曜日が待ち遠しい」をみた。

1998年 12月30日 水曜 はれ
今日フトンを干すてふ天の香具山。ランボーの「エレガンス、サイエンス、バイオレンス」と昨夜見たL.ウオーレンなる黒人の夢に触発されて小説のコンテが出来た。

1999年 12月30日 木曜 曇
シーツが干されている。どうにも原稿が進まないのでいらだつ。家では妻と息子の余に対する評価は下落する一方なり。ユニオンでもち米と小豆、島森でアドレス帳買う。途次、滑川のほとりの桜が見事だった家が無惨に取り壊されていた。清川病院の隣で北条義時の住居跡が堀り出されているらしい。

2000年12月30日 土曜 くもり 寒
終日仕事部屋を掃除する。次男は仲間と養老の滝で忘年会で朝3時に帰り、10時から大木君宅でもちつき大会。入院中の森君は気の毒にもほとんど眼が見えないという。

2001年12月30日 日曜 はれたりくもったり
PCソフトをすべて記録し、妻のPCに移す。これでOSの大掃除が可能になった。メールにて年賀の挨拶もできるだろう。

2002年12月30日 月曜 くもり
今日も駅まで歩いたが、小町通りの藝林荘はやっていなかった。6万8千円の谷崎全集を買いたかったのだが。長谷の古書店で山田美妙の「大日本辞書」が出るかと尋ねたが出ないという。

2003年12月30日 火曜 晴
朝は妻長男義母と私の4人で生協で買い物。大賑わいなりき。午後は浄明寺の回天歯科にて神経を抜いたあとの手入れ。次回は来年の4日なり。次男は元旦に帰宅すると。

2004年12月30日 木曜 はれのちくもり
文芸社リライト終了。スマトラ沖津波被害者10万人超すという。うち日本人18名。奈良で幼児殺害犯人が捕まる。¥清子さん都庁黒田氏と婚約。次男がキャシュカード、免許証入りの財布を落とす。ばかたり。

2005年12月30日 金曜 はれ時々くもり
終日講義の準備。熊野神社から果樹園を廻って散歩する。長男依然として熱が出る。

2006年12月30日 土曜 はれ
昼前に親戚来たりて一緒に御餅つきの準備をする。イラクのフセイン大統領の死刑が執行された。

2007年12月30日 日曜 晴 風強し
1階と2階を掃除する。妻は車を掃除する。次男は帰宅せずに制作に励むらし。

2008年12月30日 火曜 はれ
妻と一緒にはじめて車の掃除をする。長男が昼寝の後で熊野神社に散歩に行くと言ったが、もう遅いからとやめさせた。

2009年12月30日 水曜 くもり
妻は朝から買い物、ガソリン、メンテと大忙し。倒れないでくれえ。3時半に長男と熊野神社へ行く。

2010年12月30日 木曜 曇
正月の代わりに親戚の人たちが十二所にやって来る。

2011年12月30日 金曜 晴
お隣のひっこし。車が2台やって来てあらかた荷物を運んで行った。なかなかお洒落なサーファー夫妻だったから、突然の転居はち残念。小坪の海の近所へ越すという。家族4人で熊野神社まで散歩したが、妻は太刀洗までで引き返したり。

2012年12月30日 日曜 雨
3人で生協までお正月の買い物に行きました。日経歌壇で震災地からやってきた芝犬次郎の歌が年間20作中の第2席に入る。穂村弘氏の選なり。君はどんな目に遭ったのと尋ねてもただ手を舐めるだけ被災地からの犬 蝶人

2013年12月30日 月曜 はれ
妻だけが大掃除で大活躍。余はブログで大活躍。熊野神社散歩。

2014年12月30日 火曜 晴れたり曇ったり
夜、次男帰宅す。

2015年12月30日 水曜 おおむね晴れ
昨夜の八重樫vsメンドサ選手のライトフライ級タイトルマッチは、双方が死力を尽くして殴り合うという文字通り血湧き肉躍る感動的な試合だった。昨年の大晦日に苦杯を浴びた八重樫が、一年の荒行と雌伏の後に約束通りチャンピオンベルト妻に贈った時には、思わず涙が出たが、健闘空しく敗れた若き元チャンピオンが、八重樫の子供や妻君にも祝意を表す健気な姿にも真のスポーツマンシップの発露を見る思いで、波乱多き2015年の掉尾を飾るにふさわしい名勝負に心の中が洗われ、「さあ、俺っちも頑張るぞ」と思いを新たにしたことだった。
涙といえば、今年はさとう三千魚さんが主宰する「浜風文庫」で、鈴木志郎康さんや今井義行さん、長田典子さんの詩を読んでいる時に、思わず熱いものがこみ上げてくる瞬間があった。有名になったあの「詩のボクシング」ではないが、詩はボクシングではないだろうか。
詩人が世の無常や自分自身の影と無我夢中で闘い続ける、そのほとんど絶望的な永久運動そのものが人々を感動させるのではないだろうか。来年は私も心から心へとなにか熱いものが伝わるような詩を、一篇でも書いてみたいと思ったことであった。

 

 

轟々と万物流転す極月尽 蝶人

 

 

 

夢は第2の人生である 第33回 

西暦2015年葉月蝶人酔生夢死幾百夜

 
 

佐々木 眞

 

 

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北野白梅町の親戚の黒い犬を散歩させていたら、そいつがいつのまにか居なくなってしまい、同じくらいの大きさの白い犬が私に尻尾を振っている。あわててあたりを探したら遥か向こうの川の中に黒犬が飛び込んだので、私は白犬を抱きかかえたまま駆けつけた。8/1

鉄の船の艦長は、「まもなく戦闘が始まるから6時まで寝とけ」と、子供たちに優しく声をかけた。8/2

会社の私の席にチビで小太りの男が座っている。電通の営業のTだ。業者が「課長はどちらにおられますか?」と尋ねると、「首になったそうだよ」と答えたりしているので、頭に来た私が、「お前という奴は!」と怒りをぶつけると、「ハハハ、冗談冗談」と笑ってごまかそうとするのだった。8/2

夜行で富山へ急行して駅周辺の重要施設を抑えた私は、黒部側からの進攻を未然に防ぐために立山駅を制圧しておいたが、これが反乱軍との最後の攻防において決定的な勝因になろうとは、そのときは夢にも思わなかった。8/3

戦前戦中を通じて「66羽の大白鳥と3人の莫迦大将」はこの国の一大人気見世物だったから、戦後もなんとかいけるだろうと思い、私たちは乾坤一擲の全国一巡興業に打って出た。8/4

ノンノの編集長が八幡宮で御神籤をひいたら「鶴は千年亀は萬年つるかめつるかめ」とだけ書いてあったので、人類が滅亡した萬年後にもノンノは発行されるという御託宣なのか、と思って喜ぼうとしたが、なぜか喜べなかった。8/5

ここで聴くモザールのピアノソナタの素晴らしさ! そして続いて演奏されたのは、まだ一度も聴いたことがない作曲家の作品だった。8/6

子細に観察してみると、そのブランドの色柄素材デザインは1年前のそれとほぼ同じで、ごく一部だけが微妙に変えられているのだった。8/6

有島武雄情死の報道を聞いたので、「よーし、オラッチも精をつけてぐあんばろう!」とおねえちゃんに餃子を頼んだが、「すみません、生憎皮がないので出来ません」と断られてしまった。8/7

英国ランカシャー地方の蝶の生態を研究しに現地を訪れたのだが、日本産の蝶とはまるで違う品種ばかりなので、びっくり仰天してしまった。8/7

アパレル販売部長の私がいつものように品番別売上高を検索すると、カタログで道端ジェシカが着ていたアッパッパアが断トツで首位だったが、それが南仏サントロペにおける強盗事件の影響によるものか否かは分からなかった。8/8

とうとう安倍戦争が始まった。彼奴は戦時中は国民の誕生祝いを禁じたのだが、もはや独裁者のいいなりになっている国民は、誰一人その法律にあえて逆らおうとはしなかった。8/9

「カール・ドライヤー」ブランドの洋服を素敵に着こなしたその少女の顔には、シスレーの点描画のドットのようなそばかすがちりばめられていたが、そよ風に吹かれた彼女の金髪が私の頬を気まぐれに撫ぜるたびに、私は彼女を絶対によそへやりたくない、という気持ちが募るのだった。8/9

島根鳥取の山奥にある何軒かの親戚を訪ねたら、いずれも山紫水明の地にあってこの国の理想的なリゾートではないかと思われたが、いくら扉を叩いても誰も出てこない。8/10

村上春樹を巡るミステリーツアーを企画した私が、青木さんと蓮池君を招待すると、「おお、これは、これは」などと言いつつ、2人とも大喜びで巨大なショウボートに乗り込んだ。8/11

突如依頼された翻訳の仕事だったが、その内容がチンプンカンプンでさっぱり分からず、途方に暮れていたら、見ず知らずの四方田という人から「もうそれは僕がやっておいたずら」というメールが舞い込んできたので驚いた。8/11

「若い恋する2人がこのまま別れてしまうのはあんまりだ」と、塩見牧師は丹陽教会に密かに2人を呼び寄せ、結婚式を挙げてから野に放った。8/12

これまでは国内撮影だった。今回初めて海外でカタログ撮影をすることになったのだが、飛行機の中にはいつもの製作スタッフの他に、販売員をはじめ食堂やお掃除のおばさん、保健師まで乗り込んで楽しそうにはしゃいでいるので、プロデューサーの私は頭をかかえた。8/13

「アブラカタブラ」ではないが、それさえ唱えておればいかなる戦いもトラブルも乗り切れるという重宝なマントラを神様から授かったというのに、眠りながらそれを唱え続けていたというのに……。8/14

道場には秘密の治療塔があり、そこではインキンタムシから四十肩五十肩、肩コリ、頭痛、右翼小児病の脳タリンまでありとあらゆる難病奇病を治してくれるのだが、人々はそれを救急車のようには多用せず、最重度の癌や自閉症などに限って使用していた。8/15

私が田舎のお年寄りに昨日新聞で読んだこぼれ話を尾ひれをつけて面白おかしく語って聞かせていると、さっきからそれを背中越しに聞いていたらしい今井さんが、「エヘン」と咳払いしたので、私は思わず赤面してしまった。8/16

「うるさい! 黙れガビチョウ」というコピーの広告を気に入って即決した私だったが、店長が「そんな広告を出せば中国人が爆買いしてくれなくなるぞ」というので、仕方なく「もっと小さな声で鳴け、ガビチョウ」に変更した。8/17

わが社に向かって歩いてくる女性が、みな若くて美しく、しかもみな顔にほくろがあることに気付いたが、あとで人事課長の内田に尋ねたら、「いやあ、その3つが今回の人材募集につけた社長の求人条件なんですよお」といって頭を掻いた。8/18

このバーのマスターと私が毎晩密談しているうちに、会社の経営方針や社内の人事や海外スタッフの異動などが決まっていくことが多くなっていったので、とうとう私はここに引越すことに決めた。8/19

世界作曲コンクールへの応募作が、ようやく完成した。締め切りぎりぎりで投稿を済ませてホッとしていると、親友がやって来て「ぜひ聴かせてくれ」というので、最新作おまんた音頭をピアノで演奏していると、顔色を変えて「それは僕のとまったく同じ曲じゃないか」と叫んだ。8/20

秋葉原から国電に乗ると、中尾ミエによく似た女性が、いかにもな横顔を見せてもっともらしいたたずまいで横座りしていたが、そこへピョンとやって来た巨大な野兎が、私の体に身を押しつけて窓の外へ投げ捨てようとするので、私は懸命にこらえていた。8/20

私が愛犬モバスルーと世界の山々を旅する映画「モバスルー」は、幸いにもそこそこヒットしたようでうれしい限りだが、次回はできれば美貌の女社長ともども出演したいものである。8/21

「それで、うちの広告はどこに入れてくれるんだい?」とフレンチ・ヴォーグの営業マンに尋ねると、彼は「ここです」と言いながら表2見開きを指差したので、私は「それならいいだろう」と納得した。8/22

にっくきイトレル猪八戒が、小説に続いて詩集の発刊を禁止したので、まだ一冊の詩集も出していない私は、恨みを呑んで泣く泣く地下に潜ったのだった。8/23

頭の中で蝉が鳴いているのか、窓の外で鳴いているのか、よく分からない。8/24

BSプレミアムの「アナザーストーリーズ運命の分岐点」で案内娘を務める真木よう子の能面冠者のような顔つきを眺めているうちに、はたと思い当たった。これは金井克子の「他人の関係」を真似しているんだ。8/24

私が初めて書いた小説を、ブルータスの小黒氏に見せたのだが、「いやあ、あの緑のインクには参りました」と言うばかり。没にした小説の代わりの原稿をお気に入りのライターに依頼している姿を見せつけられた私は、激しく落ち込んだ。

小黒選手が別れの言葉も告げずに立ち去ったあと、私はットボトボと歩いて原宿駅にやってくると、山手線を牽引する小さな機関車が止まっていたので、それに乗り込むとすでに何人かの先客がいた。誰が乗っても構わないようだ。

やがて機関車は、15両の客車をカブトムシのようにとがった角で押しながら、代々木駅に向かってゆるゆると発車したが、私の心は相変わらず憂鬱だった。8/25

「わが社では内定した学生には「いいね!」マーク、駄目だった学生には「もうちょっとぐあんばろう」マークを夜中にメールで送っているんです」と、人事課の内田がイヒヒ笑いをしながら教えてくれた。8/26

横浜港へ見送りに行くために西口の階段を懸命に乗り越えようとしたが、右肩に激痛が走って何度も崩れ落ちるし、敵に照準を定めて射殺したはずなのに、発射が数秒遅れて当たらない。体が急激にガタがきているのだ。8/27

友達がたった一人の男がSNSにかぶりついて、いくら読んでも意味不明の高論卓説を朝から晩まで24時間怒涛の勢いで撒き散らすと、その唯一の友が、いちいち「いいね!」をクリックして返すのだった。8/28

わが尊師は、それがいかに高価な衣服であろうとも、染め斑のある長衣に袖を通そうとはなさらなかった。8/28

隣の家の犬がワンワン吠えてあまりにもうるさいので、道端ジェシカと一緒に覗きこんでみたら、家族全員がワンワンファミリーになっていた。8/29

健君はまるでましらのように自在に大樹に登っては降りて、あっという間にどこか遠くへ行ってしまった。8/29

私は巨大な倉庫の上層まで聳える在庫の山の中から、「サブウエイMIⅩ」と「なんちゃらMIⅩ」、「かんちゃらMIⅩ」の3種の詰め合わせお菓子を買ったのだが、それぞれがあまりにも重いうえに、大きすぎてどこへも動かせないのだった。8/30

私が駅から会社に向かって歩いていると、営業部の女性が「あなたの部下のA子さんは、お昼になるのにまだ出社していないんですよ」とチクったので、「それはそうでしょう。彼女は昨日の夜からついさっきまで私と一緒だったんだから」と言うと、驚きのあまり絶句した。8/30

潜水艦に囚われていた婦女子を救助しようと小舟で接近した私は、なんとか彼らを脱出させることに成功したのだが、私自身を救出することができず、いつまでも潜水艦の排水溝にしがみついていた。8/31

 

 

 

忘年会

 

佐々木 眞

 
 

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詩人、詩人、詩人
詩人だって忘年会をひらく。
さとう三千魚さんの「浜風文庫」の忘年会だ。

詩人、詩人、詩人
夜の神田の「葡萄舎」で
これから詩人の忘年会さ。

ちょっと早く来すぎたので、駅から歩いて鎌倉橋へ。
1944年11月、この橋を米軍機が爆撃したんだ。
よって33個の弾痕が残ってる。

さてお立ち会い、今からザッと半世紀近く前
私は鎌倉河岸のほとりに建つ、小さな会社に通ってた。
五階建ての、小さな、小さなビルだった。

今宵、その跡地を訪ねてみると、
巨大なビルが建っていた。星なき夜空に、聳えてた。
コープビルという立派な、立派なビルジング。

「もしや昔ここにあったRという会社をご存知ですか?」と尋ねると、
守衛さんが「はい、名前だけは聞いたことがあります」と答えたので
ああ、これだけでも神田へ来た甲斐があった、と私は思った。

詩人、詩人、詩人
詩人だって忘年会をひらく。
10人集まる忘年会さ。

さて「葡萄舎」を目指したが、
何回地図を眺めても、さっぱり場所が分からない。
煙草屋のおやじに尋ねたら、「葡萄舎」なんてわしゃ知らん。

知らん、知らん、知らん
「葡萄舎」なんて、わしゃ知らん。
忘年会なんて、わしゃ知らん。

さんざめく交差点の信号の下で、
キョロキョロ辺りを見回していたら
「おにいさん、どこいくの、あそばない、ね、あそびましょ」と誘われちゃった。

「あそびたいのは山々だけど、これから忘年会であそぶんだ」と答えたら
「そんなのやめて、あたいと遊びましょ。3千円、3千円、3千円」
って、言われちゃった。ちゃった。ちゃった。

うんにゃ、いま冷静になって思い返してみるに、
「3千元、3千元、3千元」と言ってたかも。
3千元は高いかも。ちよっと、ちょっと、高すぎるかも。

「おらっちは、これからどうでも詩人の忘年会へ行くのだ」と宣言したら、
ちょっと綺麗な上海帰りのルリちゃんは、
あっと言う間に、伊集院光似のリーマンの方へ飛んで行っちゃった。

ちゃった。ちゃった。ちゃった。
「葡萄舎」なんて、知らないわ。
詩人なんて、知らないわ。

ちゃった、ちゃった、ちゃったって、
我が敬愛する詩人、鈴木志郎康さんの極私的パクリなんだけど
ネエちゃん、分かってくれるよね。

詩人、詩人、詩人
詩人だって忘年会をひらく。
さとう三千魚さんの「浜風文庫」の忘年会だ。

詩人、詩人、詩人
夜の神田の「葡萄舎」で
これから詩人の忘年会さ。

 

 

 

共和国について

 

佐々木 眞

 

 

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ある朝、アベ独裁体制にドタマに来たイシバ地方創生相が突如逆上した。

ギャクジョー、アタマニキタジョー、アシタノジョー。

「どこへ行っても地方は全部死んでる。どんな田舎でも国が助けてくれることだけを期待している。オラッチはもう知らん、シラン。お国のあてなんかに期待せずに、あんさん自主独立して勝手にやってみなはれ!」

すると「ああそうですか」というて、岩手県上閉伊郡大槌町が1982年の独立宣言を33年振りに更新し、改めて新キリキリ国として独立した。

キリキリ、ギリギリ、キリギリス。

その翌日、「よおーし、そおゆうことなら}というて、
普天間基地問題で業を煮やしていた翁長沖縄県知事が、日本国からの独立を宣言し、
「琉球共和国」として生まれ変わった。

するとその翌日の翌日、なんたら維新の連中が、選挙で大勝した勢いに乗って「てなもんやおおさか狂騒国」なる新都市国家を樹立した。

カワッタ、ワカッタ、キョウワコク。

それからしばらくして、オラッチの在の十二所村が、村民二百名の総意で独立した。

ドクリツ、コクリツ、ドクリツコウドウタイ。

あとは一瀉千里だった。

イッシャセンリ、サクライセンリ、センノリキュウ。

かのリヴァイアサンのごとき怪物に成りあがった新日本帝国から、離脱する市町村共同体が相次ぎ、この国はあアッというまに三々五々、四分五裂さ。

アラアラアラ、サンザンブンレツ、リヴァイアサン。

で、なにが起こったって?

帝国は、たちまち徳川家不在・天皇家不在の江戸時代三百藩体制
のような独立国割拠の状態に逆戻り、
民草は、思い思いの憲法と政治経済社会体制を選んで、
末永く、それなりに仕合わせに暮らしましたとさ。

うむwmwm、ソレデイイノラ、ソレデイイトモ。

 

 

 

十二月の歌

 

佐々木 眞

 
 

朝には、朝の歌をうたおう
昼には、昼の歌を
夕べには、夕べの歌を
真夜中には、真夜中の歌をうたおう

春には、春の歌をうたおう
夏には、夏の歌を
秋には、秋の歌を
十二月には、十二月の歌をうたおう

うれしい時には、喜びの歌をうたおう
悲しい時には、嘆きの歌を
怒り狂った時には、憤りの歌を
寂しい時には、慰めの歌をうたおう

少年よ、金の歌をうたえ
青年よ、銀の歌をうたえ
壮年よ、銅の歌をうたえ
そして私のような老人は、見果てぬ夢の歌をうたうのだ

まっしぐらにカシオペヤを目指す、一羽の夜鷹になって

 

 

 

Les Petits Riens ~三十五年もひと昔

蝶人五風十雨録第7回「十一月三十日」の巻

 

佐々木 眞

 

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1982年11月30日 火曜
子規を読む。後世に何事か残さざるべからずという気持ちになるね。神奈川県域自閉症児者親の会の運営について悩む。今朝台風で立ち往生す。

1983年11月30日 水曜
11時半、ポプメディア蛇川氏。OCCAの企画書を書く。

1984年11月30日 金曜 はれ
朝日有賀、放送出版伊藤、テイチク山口氏と渋谷クロコダイルで令たえ子ライヴ。イエイエガール選考会。

1985年11月30日 土曜 はれ
ゆっくり休む。パウル・クレー展みる。子供のようなデッサン。1940年没。

1986年11月30日 日曜 はれ
ジェーン・バーキンはキディランドでお買いもの。夜音響スタジオにてグリーグのペールギュントの「ソルヴェーグの歌」を管弦楽とピアノの両方で録る。久しぶりに自宅でくつろぎ「キネマ旬報」の原稿を書く。

1987年11月30日 月曜
電通にてINメディア打ち合わせ。「天国のバンサン」はキューバ革命を生き長らえた貴族一家の悲喜劇。獣の映画だ。ラテンの血を感じる。「メロ」はアラン・レネの大恋愛映画で泣かせる。六本木トリスタンで小学館パーティ。ポスト鈴木氏、ダイム中村、タッチ島本、GORO遠藤氏。

1988年11月30日 水曜 くもり後雨
やはり綾部は寒くて暗い。雨も降る。中島牧師主宰で午後7時から自宅でプロテスタントの十日祭挙行。阿部、高橋姉が亡き祖母の思い出を語ると、ふくいちのおばさんが頷いている。出席およそ五十名。昼、明田の甥御さんが東京からみえた。

1989年11月30日 木曜 快晴
LAにてテレビCMの撮影。

1990年11月30日 金曜 雨
台風27号来襲。珍しきことなり。東京店長会。「アタメ」はくだらぬスペイン映画。2万5千円のウールジャケット買う。

1991年11月30日 土曜 はれのちくもり
昨夜すごい歯痛。4時に抗生物質飲み、朝10時に木下歯科に電話して東京へ。レントゲン撮影の結果、歯そのものの痛みではないといわれる。

1992年11月30日 月曜
会社は嫌だ。電通、酒井、小坂でJ.C必販計画を考える。

1993年11月30日 火曜 くもり
在NYJ.C山本のレターを読むと嫌になる。こちらのトリックを見抜いてきたのだ。やはりつけは払わねばならぬか。おまけに松山出張の支払いが1万8千円以上になったので、前田さんに1万円借りた。気持ちは暗い。

1994年11月30日 水曜 はれ
昼明治神宮に詣で内苑を散策す。紅葉もう一歩。池に白鷺、鴨泳ぐ。午後スタッフ構想を上司に示す。

1995年11月30日 木曜 はれ
疲れつつ生き、疲れながら死んでいく。それが日本人の、私の生涯。あっという間に1年経った。

1996年11月30日 土曜 くもり
佐藤病院にて胃カメラを飲む。異常なし。メトのリングビデオみる。素晴らしい。

1997年11月30日 日曜 晴
昨夜嵐となる。義父死に瀕す。朝目白山医師診察。瞳孔開きっぱなしで腕ぶらぶらなり。呼べば少しく聴こえる模様。

1998年11月30日 月曜 くもりのち雨
室田氏がやって来て2千万2月払いにならんかという。伊藤忠の製作費を繰り延べるしかなし。夜久しぶりに雨。耕、今日からゆりの木で短期入所。

1999年11月30日 火曜 晴
三菱東京銀行にてフラン紙幣を1万5千円に両替し、門前仲町ドコモショップにて携帯ファミリー割引を申し込む。本日退職届の最終日なり。

2000年11月30日 木曜 はれ
久しぶりに吉祥寺の専門学校二葉にて世界状況論を2時間にわたってぶつと、案の定みなしらける。新橋でリング14枚組CDとシューベルトを買う。1枚200円也。

2001年11月30日 金曜 はれ
二葉年内最終講義。銀座資生堂ワードで岩合、海野両カメラマン談義。失業率5.4%、男子5.8%となる。

2002年11月30日 土曜 くもり
資生堂ワードのやり直し版を送信す。妻が「息が詰まる、もう死んでも構わない」という。可哀想なり。

2003年11月30日 日曜 小雨
卓、午前、健午後去る。妻疲労困憊。余、茅ヶ崎文化会館にて田園と火の鳥を聴く。

2004年11月30日 火曜 くもり
青砥橋の「青砥」にて義父の7周忌の会食。

2005年11月30日 水曜 はれ
文芸社の文字のデジタル化を親戚の宏さんにお願いするため、1日がかりで元原稿をファックスする。

2006年11月30日 木曜 くもり 寒 ○
文化の講義の準備をする。弟と妹に、長男が通っている施設のカレンダーを送る。母、妻と3人で太刀洗を散歩。

2007年11月30日 金曜 はれ
久しぶりの好天なり。長男を誘ったが路線図を書くといって断られたので、妻と2人で太刀洗を散歩。結局路線図は完成しなかった。

2008年11月30日 日曜 晴
風もなく好天。長男と熊野神社巡り。昨日行けなかった開墾地の笹の林を探検す。夜次男帰宅。絵は売れなかったそうだ。

2009年11月30日 月曜 くもり
文化で屋外広告について講義す。散髪する。

2010年11月30日 火曜 晴れたり曇ったり
映画などをみては、ブログに感想など書く。朝鮮半島の緊張は続いている。

2011年11月30日 水曜 晴れたり曇ったり
布団を干す。今日も文芸社の仕事は来なかった。

2012年11月30日 水曜 くもり
長男と3人で、短期入所の福田の里から帰る。耕は依然としてびっこをひいている。党首討論でアホ慎太郎が阿呆なことをほざいている。

2013年11月30日 土曜 はれ
たまには運動せねば、ということで久しぶりに熊野神社まで散歩する。今夜6時から次男の「一夜限りの似顔絵描き」パフォーマンスあり。

2014年11月30日 日曜 くもり
十二所に栄子さん来たりてホーミング桑名君と改修打ち合わせ。

2015年11月30日 月曜 くもり
浄明寺の郵便局でお金をおろし、藤沢で小田急の回数券とコーヒー豆を買い、大船駅で千円寿司を立ち食いして帰宅し、来年1月の弟の娘の結婚式に着ていく服を試着する。シャツとネクタイを新たに買わねばなるまい。水木しげる、心筋梗塞にて93歳で没す。おそらくわれも同じ病で死ぬべし。

 
 

奥歯痛が世界を圧し霜月尽 蝶人

 

 

 

夢は第2の人生である 第32回 

西暦2015年文月蝶人酔生夢死幾百夜

 

佐々木 眞

 

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「ここにあの毒持ち大蛇がいるからちょっと見てきてくれないか」「エッ、毒持ちですか?それはちょっと勘弁してくださいな」「いや、どうしてもあんたに見てきてもらいたいんだ。あいつをやっつけないかぎり俺たちの国に仕合わせは戻ってこないんだ」7/1

こらワタナベ、こらマエ。そんなに偉そうに俺に物を言うな。お前らと俺とはもうとっくの昔に赤の他人なんだ。赤の他人にお願いするときには、まず帽子を取り、「どうぞよろしくお願いいたします」と丁寧に頭を下げるんだ。分かったか、このボケなす。7/2

「南無南無社会保障」なるテレビ番組をみていたら、元気よく喋っていた出演者が突然何者かに撃ち殺されてしまった。きっと誰かが「潰した」のだ。7/3

酔っぱらった村雲太郎選手がテレビ番組に出てきて、「あのお60年代は、やっぱりそのおいろいろあったね」とか呟いていると、スタジオにいた若い男がいきなり立ち小便したので、村雲選手は「あ、こりゃまた失礼いたしやしたあ」と言いながら、自分もしょんべんした。7/3

久しぶりに横須賀線に乗ってみたが、駅の名前が分からない。1つの駅に3つくらいの異なった表示が出ている。仕方がないのでとりあえず目の前のに乗り込んでみたら、電車だったはずがいつの間にか船になったり、突如飛行機になって空を飛んだりするので驚いた。7/4

「わが社の最大の特徴は複合マーケティング体制にありまして、ターゲットを1つに絞らず、男と女、ヤングとシニア、和と洋、都会と田舎、静と動、光と影、神と仏のような2つの相反する要素を同時並行的に追及するよう努めております」と、その男は語った。7/4

家の隣が映画館なので、毎晩こっそり忍び込んで一番後ろの座席に座っていると、嵯峨三智子とか井上正夫の顔を見たが、今夜は株式課の川口さんだった。総会屋にお中元を渡してきた帰りだろう。川口さんは「久しぶりだね。奥さん元気?」と人懐っこい笑顔を浮かべたが、その顔は蒼白だった。7/5

退屈すると、我われは女子大の寮にストームをかけた。人魚のような半裸の女子が横たわっているベッドの上を、「ドドシシドッド」と駈け抜けると、彼女たちはうれしそうに歓声を上げるのだった。7/6

私たちは2人でどんどん沖合に出て、波の上でゆったりと寝そべっていたので、そこがいつ沈んでしまってもおかしくない不安定な海の上であることを、すっかり忘れていた。7/6

あまりにも多くの観光客が押し寄せるようになったので、当局はすべての道路を立ち入り禁止にしていたが、私は平安時代からの獣道や江戸時代の秘密の抜け道を知っていたので、自由自在に出入りすることができた。7/8

死んだサカイ君やまだ生きているだろうセキノたちと野球をしていた。セキノが「僕はボールが怖くてたまらないんです」と言ったので、私は「そうなの。僕はちっとも怖かないけどね」と応じたら、セキノは妙な顔をして私を見た。7/9

敵と戦うその戦士の武器は、2つの火器であったが、戦時ではなく平時にその火種を消そうとしても、けっして消えることはなかった。7/10

私がその鳥小屋に入っていくと、尻尾のむやみに長い尾長鳥をはじめ無数の鳥たちが、私の頭や両肩に止まろうとして、激しく争うのであった。7/10

中国人のお金持ちの結婚式に招待された私が、上海の式場にたどりついたら、物凄い爆竹の音が鳴り響き、白衣の花嫁が朱に染まって倒れている。どうやら爆竹ではなく爆弾が炸裂したようなので、皆我先に逃げ出した。7/11

「綾部にもオペラハウスが出来たそうだから、一度見に行こう」と前田選手が勧めるので、急いで駆け付けたのだが、ここは映画館の三丸劇場で、観客は一人もいない。いったいどこでオペラを上演しているのだろう、と激しく焦っているわたし。7/12

「お前は絶対にそのライフル銃で人を撃ったに違いない、さあどうだ白状しろ」と警官がいい募ったので、私は自分はすでに最愛の人を撃ち殺してしまったことに気づいて、激しく動揺したのだった。7/14

学校へ行って講義を聞いても、ろくでもない教師の詰らない噺ばかりなので、失望落胆した私は、もう一切の授業には出ず、学校の近くの雀荘に通いつめて、朝から晩まで賭けマージャンに興じていた。7/15

部長の私は、妻のフォーマルウエアの買い物を手伝うようにと課長に命じたのだが、彼は自分が勝手に選んだ商品を妻に届けたので、頭に来た私は、そいつを彼奴に突き返し、改めて妻とデパートへ一緒に行って彼女にふさわしいドレスを買ってやった。7/16

就活戦線は依然として熾烈であるが、この大学の俳句研究会の自由律メムバーはいつもいいところに就職しているという神話があって、ある学生が最終面接で「オットー(夫)と/呼ばれし日本人」という句を即興で詠んだのだが、あえなく落とされてしまった。7/17

若き日に伊豆の温泉を出るとき、宿の娘から手渡しされた「しきみ」の実を取り出して眺めるたびに、あの娘はどうして私にこれを呉れたのだろう、と謎は深まるのだった。7/18

犬と猫の詩を書いていたらチャウチャウとチャシュー猫が取っ組み合いの大喧嘩をはじめたので。せっかくの名編が台無しになってしまった。7/19

うちの奥さんが、崖の穴ぼこに潜んでいた五位鷺をうまくつかまえたので、ハラハラしながら見守っていた隣の奥さんと飼い猫たちが、拍手喝采した。7/19

「その緑色のプラナリアに早く水を掛けないと、死んでしまうぞ。死んだら、お前のデザインを創造する力は、枯れてしまうんだぞ!」と叫んだが、イタリアの富裕ブランドのデザイナーの耳には届かない。7/20

その悪党が、組織をちょっといじっただけで、うちの会社はめちゃくちゃになってしまった。7/20

人殺しをし合う戦争が怖くて怖くて、一目算に前線から逃れてきた私は、軍服や武器弾薬を駅の近くに隠したのだが、他に行くところもなくて軍営に戻った。7/21

私が東京五輪に反対していることを知りながら、隣のオバハンが私のパソコンに侵入してのっとり、「どうぞ私の家を潰して新国立競技場にしてください」というメッセージを拡散したので、私は怒りに震えた。7/22

私が猛烈な速さで夢をみ続けていると、「お客さん、もうちょっとゆっくりにしてもらえんかね、メモができんのでね」と、誰かが文句を云うた。7/24

リーバイスをはいたその男は、挨拶もせず、私を完全に無視して、あたりの女にちょっかいを出しはじめたので、私は「このバルバロイめ、俺の女に手を出したら容赦しないからな」と警告した。7/24

どういう風の吹きまわしかノーマ・カマリというブランドが復活したというので、私はさっちゃんと一緒にオンボロ車に乗って、全国巡業クアンペーンに旅立つ羽目になったのだった。7/25

ラジオ番組の下打ち合わせがあるというので、某局に出かけたらプロヂューサーとかディレクターとか出演者などがわんさと並んでいて、結局これがどういう番組で私は何をすればいいのか分からないままで帰宅した。7/25

安倍蚤糞の御蔭でさっぱり仕事が無くなってしまったので、仕方なく大学の就職課へ無職の息子と相談に行ったら、「親子で就活とは、こりゃ珍しい」と職員から珍獣扱いされ、写真を撮られたり、取材を受けたりしたので、ほうほうの態で引き揚げた。7/25

久しぶりに回転寿司屋に行ったら、寿司の代わりに懐かしい故郷の写真が次々に流れてくるので、手に取ろうとするのだが、ついと流れ去ってしまうのだった。7/26

NHKの海外放送局のサウンドロゴを作ってほしいというリクエストがあったので、三波春夫のオマンタ囃子を薦めたのだが、「局内で検討させてください」という返事があったきり、連絡がない。7/27

巴里に到着した夜に、クライバーが「薔薇の騎士」を振るというので、ガルニエ宮に駆けつけたのだが、私の目の前で当日キャンセル券が売れてしまい、私は泣く泣くホテルに引き返したのだった。7/28

暑い、暑い。こう暑くては脱水症になってしまう。うちの奥さんは「喉が渇いたと思った時に飲んだのでは、もう遅すぎるのよ」と警告するのだが、ではいったいつ水を飲めばいいんだろう。7/28

社員旅行のお昼に入った和食屋さんには、寿司、天ぷらからラーメン、餃子、精進料理までありとあらゆるメニューが取り揃えられており、しかも安価で美味しかったので、こういう店が家の近くにあったらなあと、私は羨ましく思った。7/28

私は、鳥になって撃たれたふりをしていたが、人々はいつまでたっても、それを私だとは気がつかなかった。7/30

お兄さんたちのテントでは大いに盛り上がっているのに、我われ子供は、やたら焼き肉を食べさせてくれるだけで、仲間には入れてくれない。お兄さんの意地悪!7/30

世界一周旅行の途中神戸に寄港したので、ワールドの展示会場を訪ねたら、旧知のデザイナーやバイヤーがまじまじと私を見つめるので、その視線の先を辿ると、私の半ズボンの半開きの社会の窓があった。7/31

NYのセントラルパークの中に「シェ・フィガロ」という安レストランがあって、ここを訪れると、フィガロよりもファルスタッフに似たビヤ樽ポルカに似た老僕が、私をぎゅぎゅっと抱きしめてから、安くて美味いフレンチを御馳走してくれるのだった。7/31

 

 

 

十一月の歌

 

佐々木 眞

 
 

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朝から晩まで風が吹き
ムクロジの葉っぱが落ちる
実も落ちる

太郎には太郎柿、次郎には次郎柿、
宮部みゆきの太郎次郎柿
ゲゲゲの鬼太郎には輝太郎たもれ

紫式部には西村早生柿、清少納言には高瀬柿
和泉式部には越前柿
熟熟熟柿は柿右衛門にたもれ

早秋柿、新秋柿、愛秋豊
伊豆柿、陽豊柿、天王柿
ムクドリ、ヒヨドリ、木守柿

平核無柿、蓮台寺柿
鳥も喰えない祇園坊
老い先短い鴉には老鴉柿たもれ

見よ大木家の塀の上
棘で固めた柊の
白い小さな花馨る

源義経には甲州百目柿、武蔵坊弁慶には大富士柿
佐々木小次郎には夕紅柿、
宮本武蔵には葉隠柿たもれ

紀の川柿、刀根早生柿、西条柿
富士柿、鶴の子柿、四ツ溝柿
トンビは瞑想に耽ってる

芭蕉には富有柿、蕪村には愛宕柿
正岡子規には御所柿、
山頭火には市田柿

漱石には太秋柿、森鴎外には横野柿
三島由紀夫には花御所柿
ドナルド・キーンにはシャロンフルーツ

庄内、八珍、おけさ、まっくろ黒柿
とっておきの渋渋渋柿三百個
超腹黒い安倍蚤糞へたもれ

朝から晩まで風が吹き
ムクロジの葉っぱが落ちる
実も落ちる

 

 

 

家族の肖像~「親子の対話」その4

 

佐々木 眞

 
 

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「お母さん、輸血ってなに?」
「怪我をしたときに他の人の血を入れることよ」
「宇宙戦艦ヤマトの島大介さん、輸血したお」
「そうなの?」

「マコトさんとファミリーナの田中さん、好きだお」
「マコトさんって、お父さんのこと?」
「そうですよ」
「ありがとう」

「お母さん、向こう岸てなに?」
「川の向こう側のことよ」

「キョウコさんが、気をつけてお茶飲むのよと言ったお」
「誰が?」
「キョウコさんが」
「ああ、亡くなったおばあちゃんがそういったのか」

「お父さん、トシヒコちゃん結婚したの?」
「結婚したよ」
「お父さん、トシヒコちゃん、子供できたの?」
「できたそうだよ」

「鎌倉郵便局は本局だお。しばらくお待ちください。ただいま修理をしております。
ぼく、鎌倉郵便局の真似をしたお」

「お父さん、こちらこその英語は?」
「ミー、トゥかな?」
「こちらこそ、こちらこそ、こちらこそ」

「さて耕君、今日の晩御飯はなんでしょう?」
「分かりませんよ。なにがつくもの?」
「ヒがつくものよ」
「ヒ、ヒ、ヒレカツ!」
「あたりー!」

「ぼくハッピーバースデイ歌いますお」
「今日は耕君のお誕生日だからね。お父さん、お母さんと一緒に歌いましょう。耕君は何歳になりましたか?」
「41歳だお」