Les Petits Riens ~三十五年もひと昔

蝶人五風十雨録第7回「十一月三十日」の巻

 

佐々木 眞

 

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1982年11月30日 火曜
子規を読む。後世に何事か残さざるべからずという気持ちになるね。神奈川県域自閉症児者親の会の運営について悩む。今朝台風で立ち往生す。

1983年11月30日 水曜
11時半、ポプメディア蛇川氏。OCCAの企画書を書く。

1984年11月30日 金曜 はれ
朝日有賀、放送出版伊藤、テイチク山口氏と渋谷クロコダイルで令たえ子ライヴ。イエイエガール選考会。

1985年11月30日 土曜 はれ
ゆっくり休む。パウル・クレー展みる。子供のようなデッサン。1940年没。

1986年11月30日 日曜 はれ
ジェーン・バーキンはキディランドでお買いもの。夜音響スタジオにてグリーグのペールギュントの「ソルヴェーグの歌」を管弦楽とピアノの両方で録る。久しぶりに自宅でくつろぎ「キネマ旬報」の原稿を書く。

1987年11月30日 月曜
電通にてINメディア打ち合わせ。「天国のバンサン」はキューバ革命を生き長らえた貴族一家の悲喜劇。獣の映画だ。ラテンの血を感じる。「メロ」はアラン・レネの大恋愛映画で泣かせる。六本木トリスタンで小学館パーティ。ポスト鈴木氏、ダイム中村、タッチ島本、GORO遠藤氏。

1988年11月30日 水曜 くもり後雨
やはり綾部は寒くて暗い。雨も降る。中島牧師主宰で午後7時から自宅でプロテスタントの十日祭挙行。阿部、高橋姉が亡き祖母の思い出を語ると、ふくいちのおばさんが頷いている。出席およそ五十名。昼、明田の甥御さんが東京からみえた。

1989年11月30日 木曜 快晴
LAにてテレビCMの撮影。

1990年11月30日 金曜 雨
台風27号来襲。珍しきことなり。東京店長会。「アタメ」はくだらぬスペイン映画。2万5千円のウールジャケット買う。

1991年11月30日 土曜 はれのちくもり
昨夜すごい歯痛。4時に抗生物質飲み、朝10時に木下歯科に電話して東京へ。レントゲン撮影の結果、歯そのものの痛みではないといわれる。

1992年11月30日 月曜
会社は嫌だ。電通、酒井、小坂でJ.C必販計画を考える。

1993年11月30日 火曜 くもり
在NYJ.C山本のレターを読むと嫌になる。こちらのトリックを見抜いてきたのだ。やはりつけは払わねばならぬか。おまけに松山出張の支払いが1万8千円以上になったので、前田さんに1万円借りた。気持ちは暗い。

1994年11月30日 水曜 はれ
昼明治神宮に詣で内苑を散策す。紅葉もう一歩。池に白鷺、鴨泳ぐ。午後スタッフ構想を上司に示す。

1995年11月30日 木曜 はれ
疲れつつ生き、疲れながら死んでいく。それが日本人の、私の生涯。あっという間に1年経った。

1996年11月30日 土曜 くもり
佐藤病院にて胃カメラを飲む。異常なし。メトのリングビデオみる。素晴らしい。

1997年11月30日 日曜 晴
昨夜嵐となる。義父死に瀕す。朝目白山医師診察。瞳孔開きっぱなしで腕ぶらぶらなり。呼べば少しく聴こえる模様。

1998年11月30日 月曜 くもりのち雨
室田氏がやって来て2千万2月払いにならんかという。伊藤忠の製作費を繰り延べるしかなし。夜久しぶりに雨。耕、今日からゆりの木で短期入所。

1999年11月30日 火曜 晴
三菱東京銀行にてフラン紙幣を1万5千円に両替し、門前仲町ドコモショップにて携帯ファミリー割引を申し込む。本日退職届の最終日なり。

2000年11月30日 木曜 はれ
久しぶりに吉祥寺の専門学校二葉にて世界状況論を2時間にわたってぶつと、案の定みなしらける。新橋でリング14枚組CDとシューベルトを買う。1枚200円也。

2001年11月30日 金曜 はれ
二葉年内最終講義。銀座資生堂ワードで岩合、海野両カメラマン談義。失業率5.4%、男子5.8%となる。

2002年11月30日 土曜 くもり
資生堂ワードのやり直し版を送信す。妻が「息が詰まる、もう死んでも構わない」という。可哀想なり。

2003年11月30日 日曜 小雨
卓、午前、健午後去る。妻疲労困憊。余、茅ヶ崎文化会館にて田園と火の鳥を聴く。

2004年11月30日 火曜 くもり
青砥橋の「青砥」にて義父の7周忌の会食。

2005年11月30日 水曜 はれ
文芸社の文字のデジタル化を親戚の宏さんにお願いするため、1日がかりで元原稿をファックスする。

2006年11月30日 木曜 くもり 寒 ○
文化の講義の準備をする。弟と妹に、長男が通っている施設のカレンダーを送る。母、妻と3人で太刀洗を散歩。

2007年11月30日 金曜 はれ
久しぶりの好天なり。長男を誘ったが路線図を書くといって断られたので、妻と2人で太刀洗を散歩。結局路線図は完成しなかった。

2008年11月30日 日曜 晴
風もなく好天。長男と熊野神社巡り。昨日行けなかった開墾地の笹の林を探検す。夜次男帰宅。絵は売れなかったそうだ。

2009年11月30日 月曜 くもり
文化で屋外広告について講義す。散髪する。

2010年11月30日 火曜 晴れたり曇ったり
映画などをみては、ブログに感想など書く。朝鮮半島の緊張は続いている。

2011年11月30日 水曜 晴れたり曇ったり
布団を干す。今日も文芸社の仕事は来なかった。

2012年11月30日 水曜 くもり
長男と3人で、短期入所の福田の里から帰る。耕は依然としてびっこをひいている。党首討論でアホ慎太郎が阿呆なことをほざいている。

2013年11月30日 土曜 はれ
たまには運動せねば、ということで久しぶりに熊野神社まで散歩する。今夜6時から次男の「一夜限りの似顔絵描き」パフォーマンスあり。

2014年11月30日 日曜 くもり
十二所に栄子さん来たりてホーミング桑名君と改修打ち合わせ。

2015年11月30日 月曜 くもり
浄明寺の郵便局でお金をおろし、藤沢で小田急の回数券とコーヒー豆を買い、大船駅で千円寿司を立ち食いして帰宅し、来年1月の弟の娘の結婚式に着ていく服を試着する。シャツとネクタイを新たに買わねばなるまい。水木しげる、心筋梗塞にて93歳で没す。おそらくわれも同じ病で死ぬべし。

 
 

奥歯痛が世界を圧し霜月尽 蝶人

 

 

 

夢は第2の人生である 第32回 

西暦2015年文月蝶人酔生夢死幾百夜

 

佐々木 眞

 

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「ここにあの毒持ち大蛇がいるからちょっと見てきてくれないか」「エッ、毒持ちですか?それはちょっと勘弁してくださいな」「いや、どうしてもあんたに見てきてもらいたいんだ。あいつをやっつけないかぎり俺たちの国に仕合わせは戻ってこないんだ」7/1

こらワタナベ、こらマエ。そんなに偉そうに俺に物を言うな。お前らと俺とはもうとっくの昔に赤の他人なんだ。赤の他人にお願いするときには、まず帽子を取り、「どうぞよろしくお願いいたします」と丁寧に頭を下げるんだ。分かったか、このボケなす。7/2

「南無南無社会保障」なるテレビ番組をみていたら、元気よく喋っていた出演者が突然何者かに撃ち殺されてしまった。きっと誰かが「潰した」のだ。7/3

酔っぱらった村雲太郎選手がテレビ番組に出てきて、「あのお60年代は、やっぱりそのおいろいろあったね」とか呟いていると、スタジオにいた若い男がいきなり立ち小便したので、村雲選手は「あ、こりゃまた失礼いたしやしたあ」と言いながら、自分もしょんべんした。7/3

久しぶりに横須賀線に乗ってみたが、駅の名前が分からない。1つの駅に3つくらいの異なった表示が出ている。仕方がないのでとりあえず目の前のに乗り込んでみたら、電車だったはずがいつの間にか船になったり、突如飛行機になって空を飛んだりするので驚いた。7/4

「わが社の最大の特徴は複合マーケティング体制にありまして、ターゲットを1つに絞らず、男と女、ヤングとシニア、和と洋、都会と田舎、静と動、光と影、神と仏のような2つの相反する要素を同時並行的に追及するよう努めております」と、その男は語った。7/4

家の隣が映画館なので、毎晩こっそり忍び込んで一番後ろの座席に座っていると、嵯峨三智子とか井上正夫の顔を見たが、今夜は株式課の川口さんだった。総会屋にお中元を渡してきた帰りだろう。川口さんは「久しぶりだね。奥さん元気?」と人懐っこい笑顔を浮かべたが、その顔は蒼白だった。7/5

退屈すると、我われは女子大の寮にストームをかけた。人魚のような半裸の女子が横たわっているベッドの上を、「ドドシシドッド」と駈け抜けると、彼女たちはうれしそうに歓声を上げるのだった。7/6

私たちは2人でどんどん沖合に出て、波の上でゆったりと寝そべっていたので、そこがいつ沈んでしまってもおかしくない不安定な海の上であることを、すっかり忘れていた。7/6

あまりにも多くの観光客が押し寄せるようになったので、当局はすべての道路を立ち入り禁止にしていたが、私は平安時代からの獣道や江戸時代の秘密の抜け道を知っていたので、自由自在に出入りすることができた。7/8

死んだサカイ君やまだ生きているだろうセキノたちと野球をしていた。セキノが「僕はボールが怖くてたまらないんです」と言ったので、私は「そうなの。僕はちっとも怖かないけどね」と応じたら、セキノは妙な顔をして私を見た。7/9

敵と戦うその戦士の武器は、2つの火器であったが、戦時ではなく平時にその火種を消そうとしても、けっして消えることはなかった。7/10

私がその鳥小屋に入っていくと、尻尾のむやみに長い尾長鳥をはじめ無数の鳥たちが、私の頭や両肩に止まろうとして、激しく争うのであった。7/10

中国人のお金持ちの結婚式に招待された私が、上海の式場にたどりついたら、物凄い爆竹の音が鳴り響き、白衣の花嫁が朱に染まって倒れている。どうやら爆竹ではなく爆弾が炸裂したようなので、皆我先に逃げ出した。7/11

「綾部にもオペラハウスが出来たそうだから、一度見に行こう」と前田選手が勧めるので、急いで駆け付けたのだが、ここは映画館の三丸劇場で、観客は一人もいない。いったいどこでオペラを上演しているのだろう、と激しく焦っているわたし。7/12

「お前は絶対にそのライフル銃で人を撃ったに違いない、さあどうだ白状しろ」と警官がいい募ったので、私は自分はすでに最愛の人を撃ち殺してしまったことに気づいて、激しく動揺したのだった。7/14

学校へ行って講義を聞いても、ろくでもない教師の詰らない噺ばかりなので、失望落胆した私は、もう一切の授業には出ず、学校の近くの雀荘に通いつめて、朝から晩まで賭けマージャンに興じていた。7/15

部長の私は、妻のフォーマルウエアの買い物を手伝うようにと課長に命じたのだが、彼は自分が勝手に選んだ商品を妻に届けたので、頭に来た私は、そいつを彼奴に突き返し、改めて妻とデパートへ一緒に行って彼女にふさわしいドレスを買ってやった。7/16

就活戦線は依然として熾烈であるが、この大学の俳句研究会の自由律メムバーはいつもいいところに就職しているという神話があって、ある学生が最終面接で「オットー(夫)と/呼ばれし日本人」という句を即興で詠んだのだが、あえなく落とされてしまった。7/17

若き日に伊豆の温泉を出るとき、宿の娘から手渡しされた「しきみ」の実を取り出して眺めるたびに、あの娘はどうして私にこれを呉れたのだろう、と謎は深まるのだった。7/18

犬と猫の詩を書いていたらチャウチャウとチャシュー猫が取っ組み合いの大喧嘩をはじめたので。せっかくの名編が台無しになってしまった。7/19

うちの奥さんが、崖の穴ぼこに潜んでいた五位鷺をうまくつかまえたので、ハラハラしながら見守っていた隣の奥さんと飼い猫たちが、拍手喝采した。7/19

「その緑色のプラナリアに早く水を掛けないと、死んでしまうぞ。死んだら、お前のデザインを創造する力は、枯れてしまうんだぞ!」と叫んだが、イタリアの富裕ブランドのデザイナーの耳には届かない。7/20

その悪党が、組織をちょっといじっただけで、うちの会社はめちゃくちゃになってしまった。7/20

人殺しをし合う戦争が怖くて怖くて、一目算に前線から逃れてきた私は、軍服や武器弾薬を駅の近くに隠したのだが、他に行くところもなくて軍営に戻った。7/21

私が東京五輪に反対していることを知りながら、隣のオバハンが私のパソコンに侵入してのっとり、「どうぞ私の家を潰して新国立競技場にしてください」というメッセージを拡散したので、私は怒りに震えた。7/22

私が猛烈な速さで夢をみ続けていると、「お客さん、もうちょっとゆっくりにしてもらえんかね、メモができんのでね」と、誰かが文句を云うた。7/24

リーバイスをはいたその男は、挨拶もせず、私を完全に無視して、あたりの女にちょっかいを出しはじめたので、私は「このバルバロイめ、俺の女に手を出したら容赦しないからな」と警告した。7/24

どういう風の吹きまわしかノーマ・カマリというブランドが復活したというので、私はさっちゃんと一緒にオンボロ車に乗って、全国巡業クアンペーンに旅立つ羽目になったのだった。7/25

ラジオ番組の下打ち合わせがあるというので、某局に出かけたらプロヂューサーとかディレクターとか出演者などがわんさと並んでいて、結局これがどういう番組で私は何をすればいいのか分からないままで帰宅した。7/25

安倍蚤糞の御蔭でさっぱり仕事が無くなってしまったので、仕方なく大学の就職課へ無職の息子と相談に行ったら、「親子で就活とは、こりゃ珍しい」と職員から珍獣扱いされ、写真を撮られたり、取材を受けたりしたので、ほうほうの態で引き揚げた。7/25

久しぶりに回転寿司屋に行ったら、寿司の代わりに懐かしい故郷の写真が次々に流れてくるので、手に取ろうとするのだが、ついと流れ去ってしまうのだった。7/26

NHKの海外放送局のサウンドロゴを作ってほしいというリクエストがあったので、三波春夫のオマンタ囃子を薦めたのだが、「局内で検討させてください」という返事があったきり、連絡がない。7/27

巴里に到着した夜に、クライバーが「薔薇の騎士」を振るというので、ガルニエ宮に駆けつけたのだが、私の目の前で当日キャンセル券が売れてしまい、私は泣く泣くホテルに引き返したのだった。7/28

暑い、暑い。こう暑くては脱水症になってしまう。うちの奥さんは「喉が渇いたと思った時に飲んだのでは、もう遅すぎるのよ」と警告するのだが、ではいったいつ水を飲めばいいんだろう。7/28

社員旅行のお昼に入った和食屋さんには、寿司、天ぷらからラーメン、餃子、精進料理までありとあらゆるメニューが取り揃えられており、しかも安価で美味しかったので、こういう店が家の近くにあったらなあと、私は羨ましく思った。7/28

私は、鳥になって撃たれたふりをしていたが、人々はいつまでたっても、それを私だとは気がつかなかった。7/30

お兄さんたちのテントでは大いに盛り上がっているのに、我われ子供は、やたら焼き肉を食べさせてくれるだけで、仲間には入れてくれない。お兄さんの意地悪!7/30

世界一周旅行の途中神戸に寄港したので、ワールドの展示会場を訪ねたら、旧知のデザイナーやバイヤーがまじまじと私を見つめるので、その視線の先を辿ると、私の半ズボンの半開きの社会の窓があった。7/31

NYのセントラルパークの中に「シェ・フィガロ」という安レストランがあって、ここを訪れると、フィガロよりもファルスタッフに似たビヤ樽ポルカに似た老僕が、私をぎゅぎゅっと抱きしめてから、安くて美味いフレンチを御馳走してくれるのだった。7/31

 

 

 

十一月の歌

 

佐々木 眞

 
 

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朝から晩まで風が吹き
ムクロジの葉っぱが落ちる
実も落ちる

太郎には太郎柿、次郎には次郎柿、
宮部みゆきの太郎次郎柿
ゲゲゲの鬼太郎には輝太郎たもれ

紫式部には西村早生柿、清少納言には高瀬柿
和泉式部には越前柿
熟熟熟柿は柿右衛門にたもれ

早秋柿、新秋柿、愛秋豊
伊豆柿、陽豊柿、天王柿
ムクドリ、ヒヨドリ、木守柿

平核無柿、蓮台寺柿
鳥も喰えない祇園坊
老い先短い鴉には老鴉柿たもれ

見よ大木家の塀の上
棘で固めた柊の
白い小さな花馨る

源義経には甲州百目柿、武蔵坊弁慶には大富士柿
佐々木小次郎には夕紅柿、
宮本武蔵には葉隠柿たもれ

紀の川柿、刀根早生柿、西条柿
富士柿、鶴の子柿、四ツ溝柿
トンビは瞑想に耽ってる

芭蕉には富有柿、蕪村には愛宕柿
正岡子規には御所柿、
山頭火には市田柿

漱石には太秋柿、森鴎外には横野柿
三島由紀夫には花御所柿
ドナルド・キーンにはシャロンフルーツ

庄内、八珍、おけさ、まっくろ黒柿
とっておきの渋渋渋柿三百個
超腹黒い安倍蚤糞へたもれ

朝から晩まで風が吹き
ムクロジの葉っぱが落ちる
実も落ちる

 

 

 

家族の肖像~「親子の対話」その4

 

佐々木 眞

 
 

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「お母さん、輸血ってなに?」
「怪我をしたときに他の人の血を入れることよ」
「宇宙戦艦ヤマトの島大介さん、輸血したお」
「そうなの?」

「マコトさんとファミリーナの田中さん、好きだお」
「マコトさんって、お父さんのこと?」
「そうですよ」
「ありがとう」

「お母さん、向こう岸てなに?」
「川の向こう側のことよ」

「キョウコさんが、気をつけてお茶飲むのよと言ったお」
「誰が?」
「キョウコさんが」
「ああ、亡くなったおばあちゃんがそういったのか」

「お父さん、トシヒコちゃん結婚したの?」
「結婚したよ」
「お父さん、トシヒコちゃん、子供できたの?」
「できたそうだよ」

「鎌倉郵便局は本局だお。しばらくお待ちください。ただいま修理をしております。
ぼく、鎌倉郵便局の真似をしたお」

「お父さん、こちらこその英語は?」
「ミー、トゥかな?」
「こちらこそ、こちらこそ、こちらこそ」

「さて耕君、今日の晩御飯はなんでしょう?」
「分かりませんよ。なにがつくもの?」
「ヒがつくものよ」
「ヒ、ヒ、ヒレカツ!」
「あたりー!」

「ぼくハッピーバースデイ歌いますお」
「今日は耕君のお誕生日だからね。お父さん、お母さんと一緒に歌いましょう。耕君は何歳になりましたか?」
「41歳だお」

 

 

 

Les Petits Riens ~三十五年もひと昔

蝶人五風十雨録第6回「十月三十日」の巻

 

佐々木 眞

 

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1982年10月30日 土曜
午前中、裏庭の整理をする。日本シリーズ、4勝2敗で西武勝つ。

1983年10月30日 日曜 はれ 寒
みかん狩りなれど長男は行かぬと主張して行かぬ。妻は映画を何年振りかで観たり。小生はテレビCM用の音楽探し。

1984年10月30日 火曜 はれ
新ブランドの展開についてはノーアイデアなり。六本木WAVEにてSEDICの樋口氏に会う。

1985年10月30日 水曜 小雨
越中島に32課の杉山氏を訪ねる。

1986年10月30日 木曜 夜にわか雨
銀座ヨットハーバーにて放送出版企画のトラサルディ・パーティ。マガジンハウス石川次郎氏、ハイファッション小島さん、朝日新聞有賀氏など。

1987年10月30日 金曜 くもり
ケベック・シネマウイーク第1日。「冬の動物園」、一風変わった父と子の愛情物語。「パーソナルパワー」最低。「マリーは街へ行った」、娼婦サラと13歳の少女マソの友愛物語。秀作。「アンヌ・トリステール」レスビアン映画。本日、社長構想会。

1988年10月30日 日曜 はれ
妻落ち込む。次男また野球負ける。長男は外へ出たくないと云う。余、「指輪」のモノラル長時間CDを聴く。

1989年10月30日 月曜 晴れ
社内で新事業について打ち合わせ。通産省にて生活文化フォーラム準備委員会。「食空間」についての議論。日本雑誌協会にてSPUR編集長で同級生の山本大介の講演を聴く。

1990年10月30日 火曜 小雨
グルジア映画「希望の太鼓」。人事に後任を依頼す。

1991年10月30日 水曜 くもり
明星ビル8階にて企業CF是非論会議。すべてが虚しい。中東平和会談マドリッドにて始まる。

1992年10月30日 金曜 くもり
首の付け根と肩が凝って何をする気力もないが、永代にてIN店長会とショウの打ち合わせのあと「メンクラ」岡編集長のクレームを聞く。アラン・コルノーの仏映画「Tous les matins du monde」(めぐり逢う朝)をみる。

1993年10月30日 土曜 雨
次男、傘を持たずに学校へ行った。彼は成績が良くない。先生は「何も勉強しないでこの成績なら、やれば伸びる。1つでもいいから伸ばそう」というたそうだ。ジョン・フォードの「我が谷は緑なりき」をみる。

1994年10月30日 日曜 くもり
シンポジューウム2日目。宇治平等院、平泉毛越寺、鎌倉永福寺の中世園池庭園についての発表あり。大三輪氏曰く「八幡宮寺は礼拝、勝長寿院は滅罪、永福寺は御霊鎮魂の寺なり」と。また「永福寺の二階堂寺には釈迦如来が祀られていた」との仮説を出された。その後由比ヶ浜にてサーフィン見物。左足に潮を浴びる。

1995年10月30日 月曜 はれ
オウム解散を東京地裁が認定。この頃腰痛し。

1996年10月30日 水曜 はれ
始終体具合悪し。こんな会社にいると殺される。横浜でイダ・ヘンデルのバッハ2枚、クーベリックのシューマン、フラグスタート、ラベルの「子供と呪文」買う。

1997年10月30日 木曜 晴
午前、店長会。午後サンアド葛西氏に98年春の制作物のオリエン。来年の春には余はこの会社にいないだろう。

1998年10月30日 金曜 はれ
実際は会社の仕事は少なく、みなさぼっている。早くリストラせよ。渋谷でスパイク・リーのバスケット映画みる。妻、実家の木を切る。

1999年10月30日 土曜 晴
楽しく布団を干しながら、「フジヤマ」と「ゲイシャ」というタイトルで2つの掌篇小説を書こうと思う。昨夜次男帰宅したが体調が悪そう。大学院を控え心配なり。母は妻、ムクと太刀洗いに行き烏瓜を取る。

2000年10月30日 月曜 くもり
午前中文芸社にて取材。著者が手記を持参していたので大いに助かる。夜、飯田橋の同文社にて前田、斎藤、浜田氏と交歓。

2001年10月30日 火曜 くもり
長男、昨年に続きふきのとう舎バザーを欠席。余は終日講義録をつくるが、いずこよりも電話なく、猫のみ来たりてニャアという。盲目となりし愛犬ムクのご飯を食べるので、頭を叩いてやった。

2002年10月30日 水曜 はれ
修理工事3日目。今日は業者3名来りて書斎の横木を取り替え、てっぺんの赤さび落として下地を塗りたり。妻は横浜の病院にて定期健診。

2003年10月30日 木曜 はれ
やっと資生堂ワードの仕事を終える。疲れた。長男は小田急の事故で高座渋谷から桜が丘まで歩いたそうだ。ワットマンに出したチューナーとLDプレイヤーの修理が終了。

2004年10月30日 土曜 雨
妻は風邪をおして長男と横須賀の歯医者へいく。早く治れ! 仕事大台を越す。

2005年10月30日 日曜 くもり
妻とつまらぬことで喧嘩し、困ったことになる。メンソレがどこにあると怒った余が悪いのだ。1人で果樹園まで歩く。

2006年10月30日 月曜 くもり
文芸社に頼んで締め切りを1週間延ばしてもらう。

2007年10月30日 火曜 晴れたり曇ったり
文芸社第1稿アップ。午後久しぶりに果樹園へ。ノコンギクとアザミが咲いていた。

2008年10月30日 木曜 晴れたり曇ったり
数日前港で子供が裸で遊んでいた。数日前ツクツクホウシの死骸を見付けた。米大リーグ、レイズがフィリーズに敗れる。

2009年10月30日 金曜 晴
特に記すことなし。

2010年10月30日 土曜 雨
台風がやって来た!

2011年10月30日 日曜 晴
長男と西友で買い物をする。

2012年10月30日 火曜 晴れたり曇ったり
中原中也が亡くなった清川病院にて身体検査。忘れ物をして自転車で家まで戻って、また病院へ。耄碌したものなり。

2013年10月30日 水曜 晴
長男ようやく少し元気になる。余、清川病院に入院中の義母にランチを届ける。元巨人の川上哲治死す。93歳。

2014年10月30日 木曜 はれ
サッシ工事の価格交渉に入る。17万くらいで出来ると云う。

2015年10月30日 金曜 晴れたり曇ったり
朝元大慈寺、現カトリック修道院前の路地でフジバカマの蜜を吸うアサギマダラを発見。私が鎌倉に来て40年になるが、初めて見るアサギマダラなり。一刻も早く奥村晃作氏に伝えなければ。

 

幾山河越え去り来しや浅黄斑 蝶人

 

 

 

がんの歌

 

佐々木 眞

 

 

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川島なお美は、がんだった。

坂東三津五郎も、がんだった。

この国の、ふたりにひとりが、がんになる。

アンパンマンも、がんだった

アンパン、ジャムパン、クリームパン
胃がん、肺がん、食道がん

乳がん、舌がん、子宮がん
カレーパン、ブドウパン、メロンパン

チョコパン、シナモン、フランスパン
大腸がん、すい臓がん、膀胱がん

蒸しパン、コッペパン、ピーナッツパン
皮膚がん、喉頭がん、尿管がん

アンパンマンは、がんだった

川島なお美は、がんだった。

坂東三津五郎も、がんだった。

がんで死んだら、どうなるの?

大空を舞う、がんになる。

冬になったら、飛んでくる

どこか寂しいがんになる。

川島なお美は、がんだった。

坂東三津五郎も、がんだった。

この国の、ふたりにひとりが、がんになる。

 

 

 

夢は第2の人生である 第31回 

西暦2015年水無月蝶人酔生夢死幾百夜

 

佐々木 眞

 

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私が勤務している会社は地道に米を販売する地味な会社なのに、社長がとつぜんとち狂って若者向けの2種類の新製品を発売し、それぞれにマスコットキャラクターをくっつけて売り込むのだと張り切っている。6/1

しかもその会社の社長は、私にはすでに愛妻があると知りながら、会社の同僚の若い女性を私にくっつけ、一日も早く結婚させようと様々な策謀を巡らせているのだった。6/1

バスの添乗員のおばさんが、さきほどからバスを待たせたままウロウロしているので訳を聞いたら「モメントを買いたいの」というので「モメントってなに?」と聞いたら「モメントいう名前のミネラルウオーターです」という。

「そんならこんなところでウロウロしていないで、最寄りの自販機かスーパーかコンビニへ行って早く買いなさい。あんたのお蔭でみんな迷惑しているんだよ」と言ったのだが、バスガイドのおばはんは、相変わらずそこらをウロウロしているのだった。6/2

正月3日神君家康公の天下太平を祈念して、俺たち6人の船乗りが波高き江戸湾に乗り出したが、無数の宝船があたりを埋め尽くし、足の踏み場もない大混雑じゃった。6/3

ごろつき政権になってからというものは、貧富の差はますます甚だしくなり、富裕層はもはや普通の日本語をやめて世界の富裕層にも通用するフユウ語、すなわち新たに改定されたネオエスペラント語を使用するようになった。6/4

絶大な人気を誇るその流行作家は、講演と読者サービスを行うことになっていた当日のイベントに無断で欠席したのみならず、それっきり私たちの前からぷっつりと姿を消してしまった。6/5

あの美貌の誉れ高き高等娼婦を、幕末明治の革命家たちが誰ひとりものにできなかったことが、その後のこの国の歴史のついに咲かなかった薔薇の蕾のごとき存在になってしまったことを、私だけが知っていた。6/6

葉山の御用邸の近くに住む画家に招かれて、彼のアトリエ兼別荘のあちこちに飾られた作品を見物した。ベランダに置かれた1枚では、金髪の少女がボートに乗って逆巻く海に向かって漕ぎだそうとしていたが、荒波に呑まれてたちまち見えなくなってしまったので、初めて絵ではないと分かった。6/7

空谷の跫音に驚いたのか、ケーブルカーは突如嵐のように前後左右に揺れ動きはじめたので、パニックに陥った私は、指に唾して窓に「HELP!」と書いたのだが、これでは外からは意味不明だと気づき、ではどう書けばいいのかと焦っていた。6/8

京橋駅の改札口で「斎藤さんは?」と尋ねると、切符もぎりの隣にいた人の良さそうな中年のひょろながい男が、「斎藤さんはまだですが、私を覚えていますか?」と答えたので、はていったい誰だろうと考えていると「20世紀フォックスの○○ですよ」と懐かしい声がするのだった。6/9

蒸気機関車が煙を吐きながらホームに滑り込んでくると、愛犬ムクはいきなりひらりとジャンプして、線路の向こうに消えてしまった。急いでその跡を追うと、ムクは国鉄と交差する私鉄の線路を疾走していたので、焦った私はタクシーを摑まえて追いかけた。6/10

今年の「デジタル版ゆく年くる年」の番組製作は「インディーズ青年組合」が担当することになったのだが、そのハイライトとなる歳時記カレンダーの正月号を見たら、31コマのすべてが高島易断の運勢本歴と同じ内容だったので驚いた。6/11

私が絹のように柔らかな寒冷紗で出来た捕虫網をサッと一閃すると、その中にワシントン条約で捕獲が禁止されている色とりどりの貴重な蝶や鳥や昆虫が、どっさり飛びこんできた。6/12

吉田吉雄という今年68歳になる無名のカメラマンに、24カットの写真撮影を依頼した無謀さを後悔し始めていた私だったが、彼が寄越した撮影済みのポジをルーペで覗いた途端、それがまったくの杞憂だったと分かった。6/13

村の長老が、郷土への燃えるような愛を築くために、若者たちのさらなる克己と献身を求めたので、私たちは性器を何度も扱いて俵の中に気を遣った。6/14

村祭りの自由走60キロの部で優勝したのはいいけれど、その御褒美に「村の女性の好きなひとりを一夜自由にしてもいい」と村長から言われて、長らく不能の身の私は、はてどうしたものかと大いにうろたえていた。6/15

どうやらふとしたことからもののはずみで人をあやめてしまったらしい。それなのにおらっちはしらぬかおのはんべいをきめこんでいるらしい。こまった、こまった。いやだ、いやだ。6/16

或る朝目覚めると広場は人で一杯だったが、よく見ると彼らの下半身は一輪車と化していて、「ギュギュギュ、ケチョ、ケチョ、ケチョ」という台湾リスの鳴き声のようなペダルを踏む異様な物音が鳴り響いていた。6/17

ぼろぼろの船に乗ってようやくこの小さな港まで辿りついた人々は、航海日誌に船の名前と船舶番号を記入すると、そのまま短い一生を終えてしまうのだった。6/18

「私たち真夜中に峠を越えてこの村にやって来たんですけど、蛍が星の数ほどきらきら輝いていたんですよ」と、その貧しい一家の人たちは興奮さめやらぬ口調で語るのだった。

伊藤忠ふぁっちょんシステムの新ブランド開発会議に♪ラリラリラーンと出席したら、むかしの会社や知り合いの業者の人たちが大勢並んでいて、私がなにかヒジョーニ重要な発言をするのではないかと期待するような表情で注視しているので困ってしまった。6/18

よれよれのまっ黒けの服を着たネズミ男が「♪ア、ちょっと待ってね、ア、ちょっと待ってね、ソウリのノウリはまっ黒け」と歌い始めると、その後から大勢の子どもたちが、「♪ア、ちょっと待ってね、ア、ちょっと待ってね、ソウリのノウリはまっ黒け」と楽しそうに歌いながら歩いていく。6/19

うちの社長が夜店で買ってきた「経営バイブル」というテープは、映画監督&俳優のクリント・イーストウッドが吹き込んでいるのだが、”Go ahead. Make my day.”ばかり連発するので、我われ社員の評判は芳しくなかった。6/20

デモは終わったが、ここはどこだ。チャイナタウンがあったのでNYか? いや巴里かも知れない。どっちでも構わないが、私は山手線の恵比寿辺りに行きたいので、電車もバスも走っていない入り組んだ路地から路地へとひたすら歩き続けたが、誰も見かけなかった。6/21

最近亡くなったその老人には、ざっと数えて103件の偉大な事績があったにもかかわらず、葬儀でそれに触れようとする者は誰一人居なかった。彼の残り少ない遺族ですら。6/22

私は京響指揮者の広上淳一になりきって、グリンカの「ルスランとリュドミラ」序曲を夢中で振っていたのだが、どう考えてもかのムラヴィンスキー老には及ばないまでも小澤征爾よりましだと思っていた。6/23

「しかし鯨のシャッポに宣伝ビラをとりつけることについては、このアメリカ人の契約書にはっきり記されているからいくら君が反対しても無駄なことだよ」と私は、もっさりした風貌の菅官房長官そっくりの男に告げた。6/23

確かにCD1枚当たり183円は安いけれど、チャイコフスキーの6枚組はもう既に買ってあるから、そのダブリを勘定に入れると少し割高になる。ではその結果一枚当たりいくらになるか計算しようとして、私は算盤を探し求めた。6/24

夏休みに隣の家に亡きクラウディオ・アバド一家がやって来て、庭でバーベキューなどを楽しんでいるようだが、アバド本人はかつてシカゴ交響楽団と入れたチャイコフスキーをじっと聴いている。もしかすると彼は、チャイコフスキーの再録音を考えているのではないだろうか。6/24

マッチを擦りながらこの有名な海峡にやって来たのだが、ドローン、ドローンと物凄い荒波が立ち騒いでいる。一度飛びこんだら浮いてくる者は誰もいないと聞かされた私は、マッチを擦りながらまた怯んだ。6/25

戦後最大の思想家と称される人物が、「ともかくリーマンを勤めおおせた人はそれだけで一大事を成し遂げた人である」とご託宣を下されるのを聞いた長屋の八っさんや熊さんが、「んなら、おいらだって一大事を成し遂げた人物だあね」と意気込んだ。6/26

宿舎前の花壇があった場所には、この軍団から出陣した若者たちの最後のメッセージが残されていたが、私の二人の息子のものもそこにあった。6/26

私の同僚の兵士がやはり同僚の女兵士と一般人多数を人質にして宿舎に立て篭もったので、私は上司からその解放を命じられたのだが、いったいどこから手をつけたらいいのだろう。6/27

右翼と左翼の超過激派が昼すぎから激論を交わし続けて3時になったので、いったい誰がお茶を入れるのだろうとハラハラしながら見守っていたら。竹取の翁がかぐや姫に命じてしずしずと茶碗を運ばせたので。胸をなでおろした。6/27

ずいぶん昔に退職したヨシダ君の作品が、かつての彼の席にまだ置かれていたが、それは「ひと」「とり」と題された小さな彫刻で、今日退職するヤマガタ君は「これを見ながら、何度も涙を流しました」と、私らに別れのスピーチをした。6/28

非常に重い障がいを持つ息子なので、彼がたまたま黄色い泥水の沼に呑みこまれてしまったときにも、このまま天国に召されたほうが彼の仕合わせではないかと思って、すぐには助けに行かなかったのだが、すぐに考えを改め、次の瞬間には全速力で現場に駆け付け、死に瀕した息子を抱き上げたのだった。6/29

ちかごろ叩き上げの大工の棟梁が、東大卒の若い絶世の美女と結婚したのだが、朝な夕なに有頂天になって舞い上がり、以前のように早起きできなくなって、とうとう仕事に支障が出るようになってしまった。6/29

 

 

 

家族の肖像~「親子の対話」その3

 

佐々木 眞

 
 

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「お父さん、虫歯の英語ってなあに?
「虫歯、虫歯の英語かあ、バッド・トゥースかな」
「バッドトース」
「そうじゃないよ。バッド・トゥース」
「バッド・トース」

「お母さん、よろしくお伝えください、ってなに?」
「ごきげんよう、のことよ」
「よろしく、よろしく、よろしく」

「ぼく、佐々木蔵之助ですお」
「佐々木耕君じゃないの?」
「違いますお、佐々木蔵之助です」
「佐々木蔵之助さん、こんにちは」
「こんにちは」

「ぼく、タカハシさんに『手とまってる』『やり直し』っていわれちゃったよ」
そんなやつ、お父さんがやっつけてやる。

「お父さん、さらにってなに?」
「それに加えて、っていうことだよ」
「さらに、さらに」

「お母さん、けっきょくってなに?」
「ほんとうのところ、ってことよ」
「けっきょく、けっきょく、けっきょく」

「お母さん、フツウってなに?」
「フツウねえ。フツウ、フツウ、フツウは普通ってことよ。耕君、普通に戻ってみる?」
「僕、フツウに戻りますお」
「そうか。よし普通に戻るぞお、いち、にの、さん!」

「お母さん、宝物ってなあに?」
「一番大切なものだよ。耕君、お母さんの宝物って何だか分かる?」
「…………耕君だお」
「あったりい! それじゃあ耕君の宝物はなあに?」
「お母さんだお」

 
 
 

十月の歌

 

佐々木 眞

 
 

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一、長男が小学生の時に作った愛犬ムクの歌

ムク ムク ムク ムク

ムクは いぬだ お

 

二、同じ頃に長男が作った夏休みの歌

あ、どこ行くの、あ、どこ行くの

こ、と、し、の、夏休み

 

三、私が小学生の時、近所の中学生の永井真さんと出原秀雄さんが、路地でしゃがみながら唄っていた歌

でんばら、でんばら、でー、べー、そ

なーがい、なーがい、○、○、○

 

四、今は亡き祖母静子が、私に教えてくれた朝鮮語の讃美歌「主われを愛す」。
彼女は祖父小太郎と再婚する前に、朝鮮半島のどこかに住んでいた。

エスサーラムハッシンム ウールクターリク マーリルネ

ウリドル ヤックワンナ、エスコンセ マートタ

エールサーラム ハッシン、エールサーラム ハッシン、

エールサーラム ハッシン、エスコンセ、マートタ

 

五、私が小学生の頃、同級生の赤尾君をからかった作者不詳の歌。
当時彼の前歯はちょっと欠けていた。大人しく人の良い彼を皆と一緒に囃したてた私は内心忸怩たるものがあるが、どうしても歌詞を忘れることができないので幼き日の思い出としてここに記しておく。ごめんね、赤尾君。

アッ、カア、オオ、ニ 豆喰わそ

歯がない、歯がない

 

 

追記 これらの歌にはすべてメロディがあって、自分で歌うこともできるのだが、それを楽譜に出来ないのがもどかしい。

 

 

 

Les Petits Riens ~三十五年もひと昔

蝶人五風十雨録第5回「九月三十日」の巻

 

佐々木 眞

 

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1981年9月30日 水曜 くもり
長男の運動会のために会社を休む。障がい児なれど学友に混じってさほど目立たず見事に溶け込んでいる様子に感嘆。50メートル走も完走。先生に感謝。

1982年9月30日 木曜
キャプテンシステムへの入力、大半が終了。電通の羽賀氏、大奮闘。“なまけものウエア”のアイデアが浮かびくる。

1983年9月30日 金曜 小雨
TCC授賞式。新見氏およびホンダの茨木氏を識る。「宣伝会議」の講師を依頼される。

1984年9月30日 日曜 はれ
妻は福祉まつりバザーなれど余は自宅にて仕事&リラックス。

1985年9月30日 月曜
渚画廊で藤本泰子展、ムパタのような作風なり。映画「キリングフィールド」みる。

1986年9月30日 火曜 はれ
麻布フィンランド大使館脇のスマッシュに日高氏を訪ね、式田氏と共にJ.バーキン来日時のイベント企画を練る。夜第3回ネクストアパレル研究会にてポストDCを論ず。出席者16名。

1987年9月30日 水曜 くもり 寒
ジャン・ルノワールの「演技指導」、「ピクニック」「牝犬」をみる。素晴らしい。これに比べれば夜のオーストラリア映画「普通の女」はうわっつらだけの作品なり。

1988年9月30日 金曜
INの来年度のテレビCMについて池田ノブオ、電通と打ち合わせ。イラストを変更し曲はブルーハーツの「キスしてほしい」。小学館「マフィン」創刊。「女性自身」は天皇写真逆ネガ使用で発売中止。「サンデー毎日」は天皇死亡事故で責任者更迭さる。

1989年9月30日 土曜 くもり
連載中の「ル・クール」誌11月号の原稿を書く。

1990年9月30日 日曜 台風
台風20号来襲し、家の裏の崖より濁流流れ落ちる。夜6時、遂に床下浸水、一家総出1時間がかりで汲みだす。日朝国交回復の動きあり。

1991年9月30日 月曜 小雨
はてさて余はこれからどうすればいいのだろう。アフリカで頭がいっぱいの小黒氏からはつれない返事。されどディスクガレージの市川氏は親切なり。同社の蓮沼選手とあれこれ話す。

1992年9月30日 水曜 くもり
永代にてINブランドのショップ打ち合わせ。

1993年9月30日 木曜 東京はれ 広島くもり
新装なった羽田をANA12時発、雨の広島空港に到着。郊外のアルパーク天満屋、駅前のキリンヤをみて、夕方姫路の安ビジネスホテルに泊る。新幹線にて相生付近を走行中約5分間狭心症の発作起こりしが、懐中のニトロ2錠飲みて事なきを得たり。

1994年9月30日 金曜 はれ
風強く空気生温し。朝永代のIN店長会にて、スタッフを叱咤激励す。上野へ行きてアンデスのシカン発掘展で逆立ちで埋葬されし王をみる。はじめて国立科学館を訪れ、ゼロ戦や縄文時代の母子の死体、南極犬ジロ、忠犬ハチ公の剥製に接したり。

1995年9月30日 土曜 はれ
放送出版にてアパレル産業の昨今についてレクチャーしたが、うまくいかなかった。池田社長、渡辺氏などと会食し、3万円頂戴す。渋谷にてフォーレ室内楽4枚組買う。ヤクルトが優勝す。

1996年9月30日 月曜 雨
本日で9月も終わり、恐るべき10月がやってくる。昼はニットウイークの亡霊、夜は妹の電話に悩まされる。

1997年9月30日 火曜 晴れ
会社を休みて上野の冷泉家至宝展をみるが、大したことなし。藝大大浦食堂で昼食。これも大したことなし。横浜桜木町に行き、県立博物館(元の横浜正金銀行)にて藤沢遊行寺蔵の一遍上人絵巻をみる。

1998年9月30日 金曜 曇り時々小雨
次男無事に上海から帰国す。杭州、蘇州、寧波にも行ったらしい。余は川崎さいか屋、新宿小田急を訪ねたり。長男は明日も休むという。

1999年9月30日 木曜 晴れ 暑し
電通の古川取締役を訪ねる。外から仕事をもらわず社内から業務委託契約を貰いなさい。そのほうが迷惑にならない、と助言される。東海村で原子炉事故。中日優勝す。

2000年9月30日 土曜 曇り時々小雨
ムクの散歩を兼ねて、ガマの穂を取りに行く。次男は熊野へ旅行しているとか。図書館へ行ったが休み。御成小、二小で運動会。

2001年9月30日 日曜 曇りのち雨
従弟の卓、亮泊る。みなで朝ごはん。それから2人は、次男と一緒に近所のおばあちゃんチの蜂の巣を退治し、お昼はパスタをたいらげてから南浦和に帰り、次男は綾瀬に戻っていきました。

2002年9月30日 月曜 終日雨なり
講義の準備をする。小泉内閣の改造人事で竹中が金融庁兼務となる。不良債権への資本注入反対論者の柳澤も入閣したがどうなるか。イチロー打率4位。雨中カナカナが鳴いている。

2003年9月30日 火曜 はれ
新宿で文化講義、1日3コマで疲労困憊。大船で途中下車して茶色の靴3100円、ユニクロでパンツ1900円買う。

2004年9月30日 木曜 晴れ 暑し
台風一過。東京工芸大へ行く。大リーグ、イチローあと2本、松井30号。

2005年9月30日 金曜 はれ
松井22号。次男と太刀洗い散歩。アブラゼミ鳴く。美術館にて篠原有司男展。グロテスクな生命力漲る。長男は源平池の蓮をじっと見つめる。

2006年9月30日 土曜 くもり
まだアブラとミンミンが鳴いている。夜、月下美人が2つ咲いた。

2007年9月30日 日曜 雨
昨日から急に気温が下がり、11月頃のそれである。日本人フリー記者が殺された。

2008年9月30日 火曜 雨
米国における企業救済法が拒否され、史上最大の株安。余波は全世界へ。4年振りに浄明寺の歯医者へ行く。欠けた歯を継ぎ、歯石を磨いて4300円。少し高いのではないか。

2009年9月30日 水曜 小雨
妻と栄プールで泳ぐ。ユニクロで長男のジャージを買う。噛むと歯が痛い。サモアの首都パゴパゴでM8.2の地震あり。

2010年9月30日 木曜 雨
妻と横浜石川町へ行き、次男のアトリエを訪ねる。中華街の聘珍樓で5千円のフルコースを食す。楽しきこと限りなし。

2011年9月30日 金曜 晴れたり曇ったり
駅前の東急ストアや傘屋で買い物をする。文芸社より依頼あり。

2012年9月30日 日曜 大風
夜半にかけて台風17号名古屋に上陸し、本土を北上す。

2013年9月30日 月曜 晴れたり曇ったり
妻は前歯を治療している。皮膚が猛烈にかゆいそうだ。可哀想なり。

2014年9月30日 火曜 快晴
改装工事9割方終る。なかなかしゃれた感じに仕上がった。数日前に元社会党の土井たか子氏子死去。85歳なりき。

2015年9月30日 水曜 晴
朝、なおも油蝉が鳴いていた。妻と庭の草を取る。安倍蚤糞、NYで「一本でもニンジン、三本足す三本は合計六本の矢」なる阿呆莫迦音頭を唄って安保理国入りをアピール。懲りない男なり。「ロジャーズ」の左スピーカーが故障したので同じく英国製のKEFに取り替えようとするうちに日が暮れた。

 

気違ひが出刃包丁を持ち長月尽 蝶人