分かれ 詩人なら

 

駿河昌樹

 
 

ホッと息を
しかし
やさしく
つく

そんな詩が
ほんとうは求められているのに
壮麗な自我の殿堂や
眉間に深く皺を寄せた息苦しさや
欧米語の語源へ遡りさえしない浅薄なナントカ主義擁護などが
数十年ほど幅を利かせていた国

それらが崩れ落ち
あまり見向きもされなくなって
どうやら
なめらかに古典になっていけそうにはない風情なのも
いい眺めではないか
諸行無常の
お得意の風土に
いかにもお似合いで

ホッと息を
しかし
やさしく
つく

それに曳かれるように
導かれるように
だれもが
ホッと息を
しかし
やさしく
つきたいのを

分かれ
詩人なら

 

 

 

文字配列せよ 言語配列せよ

 

駿河昌樹

 
 

意識たちは巻き込まれている
上下もわからない
時間の進行方向も知れないほどの大嵐の中に

すでに何度も記してきたが
そんな中でつかの間であれポジションをとり直すのに
改行の多い言語配列は本当に有効だ
文字配列と呼んでもよい
意味などなくてよい
浮かんだ言葉や文字を連打するだけでもよい
それがあなたを救う
無意味に文字を連打するうちにポジションの回復が起こる

言語配列や文字配列を詩から解放せよ
と何度も言っておく
詩は捨てていい
あらゆる詩は古いオヤジ自我の玩具になり果てる
つき合っているうちに怠惰な自足癖が感染してくる
感傷、嘆き、希望、狭い美意識の開陳、たいして面白くもない口吻
どれも古すぎ
これからいよいよ荒くなる嵐の中を生き延びるのには効かない

詩が貧者の武器であるように
文字と言語は困窮者や遭難者の最後の道具
紙もモニター画面もなくていい
頭の中で数行なら文字を記すことはできる
慣れれば数十行を記すこともできる
そこに強迫症者のように文字を記せ
それがポジションを取り戻させ
バランスをふたたび生む

そんな具体的な道具として使用せよ
文字配列せよ
言語配列せよ

 

 

 

うつくしい女の子が、生まれる

[2000年4月作 2017年12月再構成]

 

駿河昌樹

 
 

幸福の、貯蓄、というものがあるだろうか、
あるとするなら、それが、空になるのを、わたくしは生きた。

つらい言葉を、くらがりに投げよう。
空になるのを生きた、他のひとにも届くように。
空のひとは、慰撫を、もう、好まないから。
死の時、生のうたは、むなしい。
死を抜けての生の、うた、なら、響くだろう、か。

他の生の貯蓄があるのか、
安楽に、ゆたかに、生きるひとびとを、わたくしは見た。
爪に火を灯すようにしても金の溜まらぬひとびとと、
笊に水を流すように金を使ってもなお豊かなひとびとを、見た。
春の風に乗って、宿命が行くのを見た。
富と、病と、美と、苦悶と、安楽と、無為と、
それらを運んでいく神の手を見た。

この生をゆたかに生きたひとの来世が、
極貧となるのを、わたくしは見た。
美の化身のようであったひとが、象の顔を持って生まれ、
さらに、戦火のなかに身を焼かれる様を、わたくしは見た。
ちから強い足腰にめぐまれた踊り子が、
幼くして足を車に立ち切られるであろう様を、わたくしは見た。
病もなく、長寿を保ち得たひとが、
来世、母の胎にありながら病毒に冒される様を、わたくしは見た。
空洞を生きなかったことから、
来世、空洞を生かされるひとびとの群れを、わたくしは見た。

得ていたものはすべて奪われ、
得ていたものを、守ろう、とする、手や、腕までも、
失われる様を、わたくしは見た。
振り子は戻り、かならず逆へと向かうのを、わたくしは見た。
海は山となり、名声は忘却へと振るのを、わたくしは見た。
子をもうけた者は、やがて孫までも奪われ、
平和は子孫の戦乱によって報いられるだろう様を、わたくしは見た。

うつくしい女の子が、生まれる。
うつくしい女の子は、春のようだ。
なにもかもが、あかるくなる。
と、貧しい家の老婆が、旅ゆくわたくしに言った。
そのときが、わたくしの悟りの、最後の石段。

うつくしい女の子とは、だれですか?
と、わたくしは老婆に問うた。
うつくしい女の子は、
おまえさんの、空っぽのこころの、底の、
ほら、その、空になりえないもの。
ね、
それ。

それ。

うつくしい女の子が、生まれる。
うつくしい女の子は、春のようだ。
なにもかもが、あかるくなる。

そう、歌うように。
これから。

それだけを、しながら、旅終わる、生、を
逝く、
ように、と。

老婆、女の子、…………

うつくしい女の子が、生まれる。
うつくしい女の子は、春のようだ。
なにもかもが、あかるくなる。

なにもかもが、あかるくなる。

 

 

 

あのムチムチの腿や短すぎるミニスカートの雰囲気までも

 

駿河昌樹

 
 

大人になって
十分に饐えてくると
自分がなんでも知っているかのように
人は誰でも思いがちになってくる

慎み深くあれ
謙虚であれ
などと道学者めいたことを
ひとくさり言ってみたいと思うのではなく
そんなふうに慢心していられるほど
波風立たない入り江に暮らしていられるのだろうか
その証拠だろうか
などという印象を持ったりするだけのこと

ある大学の教員室に居たら
日本語の初老の女性の講師が
短歌について他の先生たちにしゃべっているのが聞こえてきた
他愛もないおしゃべりに過ぎないのだが
授業で短歌が出てきたのだろうか
あれがどうの
これがどうの
いろいろしゃべっていて
他の学科の先生たちが
「まぁ、そうですか」
「そんなもんですかねえ」
などと聞いている
わざわざ聞き耳を立てるほどの話でもない

そのうち
北原白秋の名前が出てきたので
ちょっと
耳を澄ましてしまった
「白秋も短歌をちょっと作っていたんですよ」
そんなことを言っている
白秋が作った歌のあの量を「ちょっと」と言うかねえ
と思う間もなく
「でもね、白秋の歌なんて、たいしたものはないんですよ」
とおしゃべりが続いたので
いっそう注意して耳を澄ましてしまった
「まぁ、歌人としてはたいしたことはなかったですね」
空0おや
空空空0おや
空空空空空0おや
空空空空空空空0ぎょ
空空空空空0ぎょ
空空空空空空空0ぎょ

この日本語の先生は
ひょっとして
アララギ派原理主義者かなにかなのだろうか?
それとも
独自の作風を確立なさった現代の大歌人ででもあらせられたか?
なかなかきっぱりとした白秋批判だが
いったいどこから
これだけの白秋ぶった切りの言辞が出てくるのだか

それにしても
怖いなぁと思わされるのは
あれだけの多量の歌を作った白秋を
言下に「白秋も短歌をちょっと作っていた」と断じてしまう
このノーテンキさ
あれらの歌に「たいしたものはない」と難じるにしても
「ちょっと作っていた」はないだろう
言えないだろう
そんな不正確なことは

正直なところ
わたしには好きではない白秋の歌がいっぱいあるのだが
それは彼の言語世界が好きではないということで
あれだけの多量の歌を生産し
あれだけの言語表現の力量をはっきり刻印したことまで
たやすく無視してしまうことなどできはしない
だいたい
世間であまり読まれてもいない
目を患ってからの
晩年の暗い黒々とした墨絵のような歌の世界は
齋藤茂吉の最上川詠に比肩されうるような高みに達してもいるのだし…
それを
この日本語の初老の女性講師は…

恐ろしいなぁ

ひたすら
思うのである

なにが恐ろしいのか
知らないということか
ちっぽけなナマクラな判断基準を肥後ナイフよろしく
いや
ボンナイフよろしく振りまわして
あちらこちら
評定し
断じ
批評して
何様になったかのように慢心することがか

たゞ
わたしは、あれ、嫌いです

済ましておけばいいのに
どうして人は
評するところまで行ってしまうのか
評定し
断じ
批評して
何様かにでもなったかのように慢心するところまで
行ってしまうのか

白秋については
むかしむかし
大学院で白秋を研究していたという女性と
つかの間
同じ職場で親しんだことがあった
秩父出身のその人は
いつも驚くほどのミニスカートで
まれに見るほどにムチムチした腿を
包むか包まないか
という具合にして出勤してきていて
職場は難関校受験の進学塾だったというのに
股の奥が覗き見えるような座り方を生徒たちの前でするものだから
男子学生がわたしたちに
「センセ、もうダメ、ぼくらイッチャウ…」
などと
不平とも
苦情とも
恍惚とも
逸楽の悶えともつかぬことを
話しにきたものだった
空0(ちなみに
空0(精子はじつはエーテル体なのであると断ずる
空0(トンデモオカルト説をこのあいだ偶然ネット上で読んだナ
空0(もちろん、これは「ちなみに」な話であって
空0(いま進行中の言語配列とはあまり関係がないんだナ
この女性はなぜだかわたしに好意を示すようになって
仕事の後でよく公園で話をした
その職場は埼玉県の北浦和だったので
その公園とは北浦和公園であった
空0(なんでだか
空0(この書きもの
空0(「であった」調になってきているナ
夜十時半や十一時頃までベンチで話したが
内容はその女性が見合い結婚をそろそろすることについてであったり
かつて大学院で研究した白秋についてであったりしたが
座っていると例のミニスカートがやっぱり腰の上にズレ上りぎみになるので
心おだやかならぬものがあるにはあったが
それでもヘンに陥落したりしてしまわなかったのは
彼女の髪の毛がやけに薄く
毛の一本一本の間がずいぶん開いていて
それがうまい具合のラジエーター役になってくれたからだった
わたしが短歌に興味があったものだから
過去に集めた白秋の研究資料を少しずつくれて
ついには白秋の肉声の朗読テープまで貰い受けることになった

勤め先が替わってからは
だんだん連絡が減っていって
ついに年賀さえ出さなくなったけれども
それも
この人のことを思い出すと
ムチムチした腿にひらひらの短か過ぎるミニスカートしか
思い浮かばないという事実に
どことなく
劣情の哀しみをしみじみと思わせ続けられたからで
まぁ
やっぱり
会い続けていたら
危なかったかもしれない
錨を下ろすべきでない御仁とは
どこかで
きっぱり距離を取る必要はあるもので
あるから

貰った白秋の肉声朗読は
なんだか
しゃっちょこばって
趣きも
面白みもなかったが
歴史的貴重品ということで
ずっと保管しておいた
手放したのは
詩人の吉田文憲さんから欲しいと言われたからで
あれは
文憲さんが詩集『原子野』を編集中の頃のことだった
あの詩集の原稿が送られてきて
手直しすべきところや校正をしてほしいと言われていて
こちらもずいぶん忙しい最中だったが
時間を割いてずいぶん深読みをしたものだった
吉増剛造さんが過去の詩人の肉声に特にこだわっていた頃でもあって
吉増さんとよくいっしょにいた文憲さんは
その影響もあってなのか
わたしが白秋の肉声を持っているというと
ぜひ聴かせてほしいと頼んできた
手渡してからしばらくして
考えてみれば
わたしとしてはあまり保管しておきたくもないものだったので
よろしかったら差し上げます
と伝えたものだったが
それ以降
文憲さんはあれを使って詩作をしたりしたのかしら

白秋のあの肉声テープとともに
ひょっとしたら
文憲さんに
あのムチムチの腿や短すぎるミニスカートの雰囲気までも
べったり
じっとりと
伝わっていってしまったのかも

今はじめて
思うに到ったのでござるヨ

なんとも
不覚であったノ

 

 

 

たったこれだけのことで

 

駿河昌樹

 
 

低い桐箪笥の上に
さらに桐箱
その上に置いてある
毛布やら
夏掛け布団やら

真冬
というのに

真冬
というのに
寒暖は微妙に変わり続け
布団に毛布では
暑過ぎる時もある
かといって
布団だけでは
やっぱり
寒い

そんな時に
夏掛けが便利と気づいたのは
つい最近のこと
布団の上に夏掛けを
ちょん
布団+毛布に夏掛けを
ちょん
たったそれだけで
ずいぶん変わる
タオルケットも加えれば
調節の目盛りが
細かくなる

夏掛けを使わない時
そして
ひどく忙しい時
桐箪笥の上の桐箱の
さらに上で
夏掛けが
乱れてしまっていることもある
端をきちんとあわせて
ちゃん
ちゃん
と畳めばいいのに
そんななんでもないことが
できないほど忙しく
疲れている時が
なかなか多い

ある日
午後も終わっていく頃
夏掛けの
ちょっと乱れたまゝの畳みようが
ひどく気になり
急がねばならない作業の手を止めて
立ち止ったまゝ
見つめてしまった


布団
きちんと
畳まれていない様は
わびしい

きちんと
端をあわせて
ちゃん
ちゃん
と畳めばいいのに
していない心
できない心
ほんのちょっとの
エネルギーの足りなさ
それが
わびしい

ぱあっと
夏掛けを開き
端と端を
きっちり合わせて
畳み直した
ちゃんと
ちゃあんと
畳み直す

すると
世界は変わった
たった
これだけのことで

むかし
浄霊の勉強をしていた時
邪霊なるものや
悪霊なるものを去らせるには
整理や清掃にあわせて
物の端を真っすぐに
平行線を作りながら
直角を方々に作りながら
きちん
きちんと
隙間を空けながら
焦らず
ていねいに
置く
並べる
それがなにより効く
と知った

それを思い出しながら
ちゃんと
ちゃあんと
畳み直す
端と端を
きっちり合わせて

たった
これだけのことで

 

 

 

始発がカオリ、次ユキコ、ミヨコにリサにミワ、マイコ

 

駿河昌樹

 

 

日本人のくせにクリスマスなんて…とか言いながら
けッこうクリスマス好きだし
全般的一般的総合的にお祭り好きなのを
そろそろ隠さないでもいいかもしれないナ、いい歳なンだから
いまひとつパンプキン…じゃなくッて
ハロゥインには乗り切れないところがあるけれど
パリでアレに出くわした時にャァずいぶん楽しんじャッて
東京のバカ騒ぎどころじャない大バカ騒ぎで
さすがに本場は違うもんダと思ッたネ

それはそうと
さてさて、お祭り好きなもンだから
クリスマスが済むとすぐに正月飾りを出して玄関に飾り付け
もう何年も前から
12月26日以降は正月と決めてあッて
マーケットに出始めたおせち料理をちョびちョび買ッて来ては
もゥもゥもゥ
封を開けてちョびちョび切ッて
お皿に余白を多めにとッて
京風和風贅沢に
見栄えよく載せて
アレンジ完了




つまみ出す
仕事納めよりちャッかり早く
楽しいノなんノ
このちョびちョび
正月先取りしてこその
ひとりわがまゝ早始め
これぞ年末の醍醐味さ
大晦日ともなりャ
正月気分は
とッくのとうに一回戦
済んでしまッて
いる
いる
いる
1月1日を迎える頃にャ
毎年
次のパッケージの
おせちを開いているがナラワシ

バカにしちャァ悪いが
おせちの喰い初め
元旦から始めるなんてェもッたいない
悪しき形式主義ッてェもんさ
一週間も早めに喰い始めてこそ
伊達巻、きんとん、蒲鉾も
違う店のを食べ比べ
できて楽しい年末年始
数百円の違いが実際どれだけ味や食感の
差になッて出てくるか
けちッて買ッた安過ぎるのを喰ッた日にャ
味のそこ此処にチリチリチリチリ
添加物が染み込んでるのを舌に感じ
こりャあこれで年末の
ジャンク祭りと来たもんだッて
またまたハシャいじャったりするもんだ
ドイツのどこぞの医者の書いた
健康法の本によりャ
人間いつもヘルシーで無添加で自然なものばっかり喰ッてちャダメで
ときどき悪ゥいもの食べて
消化器官や細胞を慌てさえなきャいけないッてあッたナ
そうしないと細胞ども
怠けて安眠貪ッて
イザという時
対処できなくなるそうな

恒例おせちの早喰いのおかげで
もう27日には初夢も見ちゃッたッてもんサ
ゼッタイ正夢だと思う夢
のぞみ、ひかり、こだま…なんていう新幹線の列車名を
JRがぜんぶ廃止して新時代を担うべく一新
そんな発表が
新春早々賑々しくされる夢
夢を見ていながら
これッてまるで夢みたいだナなんて
ホッペタ抓ッていたッけナ
だッて
毎日始発から終電まで
いちいちの列車名をすべて別々の名前にし
何号なんていうのも廃止して
みんな女の子の名前にしちャうッてのサ
始発がカオリ、次ユキコ、ミヨコにリサにミワ、マイコ
外国名だッて豪勢に
サラにジェーンにカトリーヌ、
フランシーヌの場合もあれば、南都に雨降る日にはバルバラ、
大阪行きはイレーヌで
博多発ならミレーヌで
岡山止まりのジャクリーヌ
東京まではリンリンで
ランラン行くのは小倉まで
時には古風に卑弥呼だの
浮舟だのと
並ぶ並ぶ
夕方頃には夕子や霧子
夜には凛子もホーム入り
ジサマもバサマももう迷わない
のぞみ508号?…なんぞと
冷たい名前はもうなくて
美智子や幸子に乗ればいい
エリザベスはどこから出るの?
菜穂子はここでいいかしら?
ビクトリアの次の入線は百合子となッておりまする
まァァわたしと同じ名と
ちょッと喜ぶオバサマの
楽しい旅のお手伝い
世界に先駆け源氏名を
採用します
JR
人肌の旅
女の子の名前を揃えてお出迎え
乗る
乗る
乗る
乗る
女の子に
…ではなくッて
女の子の
名前の付いた最新鋭高速安全楽々列車に
乗る
乗る
乗る
乗る
乗らせる
乗せろ
乗らせろ
乗りたきゃ乗せてやる
JR
東日本だけじャなく
オール日本だ
初夢だ

 

 

 

行きましょー、わたつみ、shi、わたshi、

 

駿河昌樹

 

 

…気づくと、

(…“気”が、“気”づいた、のか…、

秋のからだをセンソォーのような香りが
戦争…、のよーな香りが
伸びていく

さとう三千魚さんから
複雑な潮騒の響き、轟きが
電線なんぞ伝って、の、(透明電線…?)、小さな、…便り、(shi、
空白shi?、…し、詩を…)

わたshi、…と呟きさえせず、舌先で、舌奥で、
言葉、声以前の、音のまろびを、転がりを、わたshi、
わたshi、と…

…また、遠いところに(…ゐるやうだ、
空白空ゐるやうだ、浦の苫屋が
空白空白空白空白空白あそこに見えてゐて…)

さとう三千魚さん、海の人、(間違いかしら…)
わたshi、数か月、海の匂いに
空白空包まれていなくて、…(ニンピニン、に、
その分、なったかしら、…なッちゃッた、かしら…)

空白(shi、
shi?、…し、詩を…)

わたつみ、shi、わたshi、
海、ゆかば、…

海、ゆかば、…わたshiは人魚に会いまする
トリトンに会いまする
鋼であれ、木材であれ、運ぶもの、それに頼って…
海、ゆかば、…

(あゝ街で心は逝ってしまう、逝心、逝人…、
(だからといって…、

…其処此処でshi、shi、shi、…わたshi、わた死、でも、
あったか、あったの、か、…今になってわかるとは、イハナイ、
ずっと死っていたこと、「裏切られてきたのさ…」、否、いいや、知って、
いたんだもの、裏も切られていないし、…表?
は!
は!

(…緑が足りない、そう思うんです、よく思う…。部屋には、緑、
(いっぱいにしてるんですが、たとえば、鞄、開けますね、あっ、
(緑が足りない、…よく思うんです。たとえば、時計、見ますね、あっ、
(緑が足りない、秒針も、分針も、時針も、茎でできていない、
(文字も葉でできていない…

海、ゆかば…

((((((潮騒だって、足りていないじゃないのサ…
((((((潮騒だって、足りていないじゃないのサ…
((((((潮騒だって、足りていないじゃないのサ…

わたshi、街の人、(間違いかしら…)

…叫んでも駄目なのさ、
空白空白空白空(駄目なのさ、、、、
空白空白空白空白空白[…面白いねぇ、馬、太、目、…、
うま、
た、
め、
うまため、うまため、うまため、…
どこが、駄目だってンだろ?
うまため、うまため、うまため、…
「叫んでもうまためなのさ、」って、
言っていた、だけだったのか… (なのさ、…)

菜の砂。

紋切り型のデートをしたかった、花村美世子さんと
菜の砂の
むこうまでずっと広がっている海辺で
ただ手を握っているだけで
手さえ握らず
ただ隣りあって歩いているだけでも
花村美世子さんと

花村美世子さん、菜の砂の人、(間違いかしら…)

))))))あゝ、鎌倉あたりでの能が、秋、足りていない…
))))))晩秋までに、初冬までの、ふしだらな能好みの女体を抱きたい…

欲望を淹れて
カップからはロシア戦役の湯気
わたshi、どんな肉に宿っているか、
わたshi、どんな思いに宿っているか、
わたshi、どんな耳と耳の間に(と、アイヌ人なら歌う…)宿っているか、
どうでもよい、
そんなこと…
わたshi、あなた、穴多、あ鉈、anata、an at a、…

それとも、穴他?…

わたshi、穴他、穴多でないこと、証明できる?

(…“気”が、“気”づいた、のか、…
(そうして、
(“気”が被った、
(わたshi、?、…

穴他、穴多でないこと、証明できる?…

波の音が絶えたことはない街
波の街
街が波から逃れることはできないであろう

街々

穴他、穴多でないこと、証明できる?…

海、ゆかば、…

わたつみ、shi、わたshi、

あそこに見えてゐる
浦の苫屋まで

行く
とにかくも
行く

わたつみ、shi、わたshi、

行きましょー
行きましょー
行きましょー

 

 

 

ゆあーん ゆよーん

 

駿河昌樹

 

 

いまの
政府になってから
黒い 旗が はためくを 見た。*1
なんだか気分は

ゆあーん ゆよーん *2
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん *3

坊やはよい子だ、ねんねしな。*4
ねんねんころりよ、おころりよ、*5

繁華街など行きながら
映画館の前行きながら
大ヒット中の題名やポスター次々眺めつつ

『この男幇間につき』
『ラストチンピラー』

むかしヒットした映画に題名が
似ているようで
ちょこっと違う
そんな映画が多いなァと思いながら

『市民はつらいヨ』
『ハッタリ!』
『もう勝手にしやがれ』
『おバカさん』

けれど、あゝ、何か、何か…変わつた *6

『安倍と共に去りぬ』
『アベス』
『戦争も平和』
『居酒屋あっきー』
『安倍川餅の味』

あゝどこかで見たような
あの頃見たような

『コリータ』
『落胆のあいまいな代償』
『コンスティチューションを射った男』
『知識人たちの沈黙』
『フクシマ・コネクション』
『悲しみよまたこんにちは』
『コクミンハ・カンカン』
『戯夢政権』
『市民キケーン』
『おかしな、おかしな、おかしな世界』
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ニッポン』
『俺たちにも明日はない』
『文化果つるところ』
『ネオリベラリズム・パラダイス』
『地獄に堕ちた与党ども』

などなどと
ポスターを見続ける
見続けて

たらたら
たらたら

歩んでいく
滅びのほうへ
こころとか
あれやこれやの
ほころびのほうへ

(幾時代かがありまして
(茶色い戦争ありました *7

ゆあーん ゆよーん
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

(記憶といふものが
(もうまるでない
(往来を歩きながら
(めまひがするやう *8

(亡びてしまつたのは
(ぼくらの心であつたらうか
(亡びてしまつたのは
(ぼくらの夢であつたらうか *9

ゆあーん ゆよーん
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

 

 

 


*1 中原中也「曇天」
*2 中原中也「サーカス」
*3 中原中也「サーカス」
*4 東京地方「眠らせ歌」。北原白秋編『日本伝承童謡集成』第一巻。
*5 同上。
*6 中原中也「暗い公園」
*7 中原中也「サーカス」
*8 中原中也「昏睡」
*9 中原中也「昏睡」。「僕」を「ぼくら」に変えて使用。

 

 

 

 

たとへ視るといふことが罰せられる季節がきても

(1)

 

[49の引用にのみ依って]

 

駿河昌樹

 

 

もはや祖国に正しい円のひとつもなく (2)
含蓄草がうつむき水を吸っていたとき
降ってくる、雪 (3)
あたたかい建築を切ってゆく (4)
(ここに、いないで…)  (5)

地球が悪い (6)

皮膚だけが燃え (7)
溶けゆくぼくたちは恥のようにつらい歴史 (8)
やつぎばやの現代だ。
まぢかの永遠がみだれる。 (9)
(戦後の現在も政治の言葉はあまり信じられない。 (10)

明けて行く、放たれて行く、押し上げて行く、
…刻々の境、
そこで一日の始まりを拒む者…
反復がわずかにあらたまって反復でなくなる者も…
しかし、拒んだ者もその間際には
広い反復を見てその中へ身をゆだね、
あらたまった者もこれきりに反復の絶えた静まりを内に抱えて… (11)

世界が崩れて流れているのか (12)
やい 屏風 (13)

火をへだてて呼びかける (14)

虐殺された山川草木の
ぎゃくさつされたさんせんそうもくの
精霊たちの
囁く声が聞こえてくる
道路ぎわに死体がみえる。ああ、夜になると
一人一人道路ぎわに立ちあがって、白い手をふる
虐殺された山川草木の
木蓮、ぎしぎし、泰山木
蛇籠に河童、猫じゃらし
木蓮、ぎしぎし、泰山木
精霊たちの
奥津城どころ
こんな神道は避けちまえ (15)

帆は風まかせ 私は私の手まかせ
遂に私自身にもかゝわりのない手をぶら下げて (16)
(どこまでもゆける気がした)
(だからまたとおくをまわってもどってくる) (17)

なかには、やさしい人もいて、 (18)

抱いてもよい
他人が歩いている (19)
傷のようなやさしさがひろがる (20)
まだしばらくはこの世界はうるおう。 (21)

もしや
あの
むごい思い出の
ほんの一頁分でも
まっ白に
ならないだろうか (22)

(なぜ戦争において、国家の本質が出てくるのか。
(国家は何よりも他の国家に対して存在するからだ。
(国家は、そのような対外的な面において、
(内部から見られるものとは異なる様相をあらわにする。 (23)

かなしい兵器が
かなしいときに役立つ (24)
のっぺらぼうのこの町の けじめは
霧がつけに来るのだ (25)
ちょうど涙のにじむ速度で (26)

ああ未来の国家 それだけのこと
そしてめのまえの一本の杉
不定の位置に立つときかれは没落する
この赤らみゆく樹木の無意味に対して (27)

男は考える
この私に何ができるか (28)

私は青空なのだ  (29)

わたしは言語をもてあそぶ者
また言語によって
再生される者 (30)

知らないうたをうたって
知らない死を死んでるってことが…  (31)

(デス・バイ・ハンギングは
(「首しめて殺す」とか「しばり首」とか言うところであろう。
(首しめて殺すならおさな子も分るが、コウシュケイでは分らない。
(返り点も仮名もない漢文の辞世を読めたのは
(日本人の何パアセントであろう。
(「首しめて殺す」とか「しばり首」では法の尊厳をきずつけるか。 (32)

のつぺりと
私をたいらにする影は
いつたい何です (33)

ほほえみ には ほほえみ (34)

たとへ視るといふことが罰せられる季節がきても
わたしたちは限りなく視たいと考へる
わたしたちは眼のある季節について
わたしたちの構想をふくらませる (35)
それから 決断はゆっくりと…  (36)

潮風が
懺悔しています (37)

かつてここにあった
いまは誰のものでもない
(…を生きるために)
夏のひかり
まばゆいばかりの空虚
超えがたいものを超え (38)
あやまちはあやまちとして (39)
ニャーニャーにミルクをやるのを忘れないでね さよなら (40)
ぼくは夢をみるんだ (41)
蘆の茂みの蛙よりもはげしく (42)
入りこむこと (43)
これから見るにちがいない幾つかの夢 (44)
旅になかったあらゆるものがもう一度
星の箒に掃かれつつ、 (45)
いまは死んだまま、 (46)
何度でも (47)
花にまで至る (48)
やわらかさにしたがって  (49)

 

 

(1)吉本隆明「眼のある季節」
(2)谷川雁「人間A」
(3)朝吹亮二「〈終焉と王国〉秋の都会の冷たい…」
(4) Ibid.
(5)吉田文憲「ここにいて」
(6)加藤郁乎「トランジスター氏の精霊」
(7)鮎川信夫「トルソについて」
(8)長田弘「八月のひかり」
(9)稲川方人「〈われらを生かしめる者はどこか〉(路傍よ)」
(10)川端康成「東京裁判判決の日」
(11)古井由吉「白い軒」。一部を断片的に引用。
(12)渋沢孝輔「偽証」
(13)堀口大学「屏風を叱る」
(14)吉岡実「タコ」
(15)吉増剛造「老詩人」
(16)高橋新吉「そのとき」
(17)新井豊美「庭」
(18)金子光晴「そろそろ近いおれの死に」
(19)佐々木幹郎「一千もの死」
(20)堀川正美「日本海六〇・飛島で」
(21)福間健二「まだしばらくは」
(22)川崎洋「まじない」
(23)柄谷行人「世界史の構造」第3部・第1章・3
(24)関根弘「水害風景」
(25)石原吉郎「霧と町」
(26)吉原幸子「月日」
(27)谷川雁「人間A」
(28)清水哲男「甘い声」
(29)鈴木志郎康「少女皮剥ぎ」
(30)吉岡実「夏の宴」
(31)北川透「ポーのラブソング」
(32)川端康成「東京裁判判決の日」
(33)尾形亀之助「十二月の路」
(34)川崎洋「ほほえみ」
(35)吉本隆明「眼のある季節」
(36)北村太郎「個体のごとく」
(37)吉行理恵「波の戯れ」
(38)新井豊美「庭」
(39)鮎川信夫「夏への挨拶」
(40)寺山修司「トマトケチャップ皇帝 6」
(41)田村隆一「未知くんへのメッセージ」
(42)窪田般彌「誕生」
(43)飯島耕一「見えるもの」
(44)北村太郎「五月闇」
(45)平出隆「冬の納戸」
(46)高貝弘也「共生」
(47)黒田三郎「紙風船」
(48)鈴木志郎康「部屋の中で その二」
(49)堀川正美「白の必要」

 

 

 

あなたがおばあちゃんでなかった頃

 

駿河昌樹

 

 

夜も更けて
ちゃぽちゃぽ
風呂に浸かっていて思い出したのは
めずらしくも
祖母のこと
母方の祖母のこと

ひとに話す時には祖母って言いなさい
おばあちゃんなんて言ってはいけません
タカピーだった母にはきつく言われ通しだったが
祖母と呼ぶにはふさわしからぬ
いつまで経っても田舎まるだしの
子どもの目にはでっかくて
塗り壁みたいで逸ノ城みたいなおばあちゃんだった
風呂に浸かっていて思い出したのは
どうしてだろう
おばあちゃんの家に行った時には
いつもいっしょにお風呂に入れられて
ちゃんと何十か数えて温まってから出ることになっていたからか
落ち着かない幼児には
けっこううんざりな
めんどくさい
がまんがまんのあったまりの時間
あれがよみがえったからか

何十か数えるといっても
東京の言い方ではない口調でおばあちゃんが数えるので
「いーちーに
「さーんし
「ごーろく
「しーちーはち
「きゅーじゅ…
とのんびりしたおばあちゃん節
ぼくはよくノボせてしまって
上がるとたいてい気持ち悪くなって
「まあ大変だ
「はやくお醤油を飲みなさい
「ちょっと舐めれば治るから
と母やおばさんたちから
ノボセの特効薬の醤油をちょこっと飲まされて
畳の上にぶっ倒れたり
椅子にだらっとなったり
後からおばあちゃんが出てくると
「まったく弱いンだからねえ
「おばあちゃんなんか
「天皇陛下の名前をぜんぶ言いながら温まったもんだ
「じんむすいぜいあんねいいーとくこうしょうこうあんこうれいこうげんかいかすーじんすいにんけいこうせいむちゅうあいおうじんにんとく…
とかなんとか
ぼくには記号とか暗号でしかない音をしばらく発しながら
「よっこらしょーのしょ
とかけ声かけて
重い鍋を食卓に移したりしはじめる

なにかと弱っちかったぼくは
食べるのも遅いし
すぐ疲れるし
ちょっと外出するとすぐに「タクシー乗ろう」となまいきに言い出すので
ニッポンじゅうが二十四時間働ける大人ばっかりだった時代
男の子の風上にも置けない情けない感じだったらしく
おばあちゃんにも言われっぱなしだったのは
「そんなんじゃ
「兵隊さんに取られたらすぐに死んじまうよ
「さっと食べてパーッと走っていけなきゃだめなんだよ
「乃木さんみたいにコップ一杯で歯磨き洗顔もできなきゃね
などなど
「そんなこと言ったってセンソーはもう昔のことだし
と反論すると
「センソーなんてまたいつ起こるかわからないんだよ
「赤紙が来て兵隊さんに取られっちまったら
「ぐずぐず食べてちゃだめなんだよ
「食べ終わらないうちに鉄砲担いで行かなきゃいけなくなるんだよ

またまた言われっぱなし

こんな幼時のことがあるから
おばあちゃんはやっぱり昔のひとで
センソー時代の考えのひとだと思い続け
学生時代が終わっても
おばあちゃんとはソノヘンのことは
話してもしょうがないだろうと思って
あらためて話をむけようともしないできたものの
ショーワテンノーの死んだ後
話がテンノーのことになったら
「まったくひどいセンソーを起こして
「あたしたちはさんざんな目に遭ったのに
「テンノーさんはのうのうと安泰だ
「食べ物もなかったし
「なんにもなかったし
「子どもたちは疎開にやって
「お父さんとあたしとおばあちゃんは
「空襲の火の中を右往左往してなんとか逃げて
「田端の家もぜんぶ燃えちゃって
「セメントのお風呂だけが燃え残って
「そこにお湯を入れて焼け跡の中で浸かったりした
「なにもかも燃えちゃったから
「田端から海の方までぜーんぶ見渡せた
「お父さんなんか馴染みの下町や隅田川のほうまで
「ずーっと歩いて見に行ってきて
「死んだ人が山になってるのをさんざん見てきて
「ひどいひどいひどいと言い続けてたけれど
「テンノーさんはのうのうと安泰だ
「あんなセンソー起こして
「平気で立派なところに居続けて安泰なんだ
と言い続けた
嘆くようにでもなく
吐き捨てるようにでもなく
つぶやくようにでもなく
まるで教科書に書いてある事実のように
ためらいもなく
つよく
はっきり言った
おばあちゃんは昔のひとでセンソー時代のひとだが
そういう昔とセンソー時代の鋭さを
ぼくは見直さないといけなかった
新鮮だった

晩年になるとおばあちゃん
だいぶボケが出てきたが
アタマのはっきりしている時もけっこうあって
ボケVSはっきり
ボケVSはっきり
が交互に点滅
そのせいでか発言も
ボケVSはっきり
ボケVSはっきり
かと思いきや
けっこう
はっきりはっきりはっきり
なりまさり
ちょっと家族が集まって話していて
なにか
世間の話題になっていた性的不祥事の話になった時
「だってしょうがないよ
「ニンゲン
「セックスはしなきゃいけないからねえ
「それは止めようがないからねえ
「抑えられないからねえ

はっきりはっきりはっきり
発言
これにはみんな一瞬黙り
このひと一体いつの世代のおひとか?と
一気に追い抜かれていく感覚
ひょっとして
タダモノではなかったかと
おばちゃんの顔をまじまじ見つめ
ぼくも思い直した

そんなこんなで
とうの昔に死んだおばあちゃんを
いまの時代に強引に結びつける気なんかさらさらないが
おばあちゃんは福島のひと
福島は四倉のひと
そこから見合い結婚で東京にひょこっと出てきて
姑相手の苦労も
つき合いのひろい遊び人の夫相手の苦労も
東京大空襲までのセンソーの苦労も
さんざん味わってきたひと
福島がまだフクシマでなかった頃の豊かさとゆとりを肥やしに
昭和の妻として
母として
大きな体で十全に生き切ったひと

「とにかく人間は勉強しないといけない
と言っていて
「大正生まれだのに
「おばあちゃんなんか
「女学校に行くのに毎日片道二時間歩いて通った
「毎日毎日往復四時間歩いて通った
「おばあちゃんなんかの勉強は大したことはないけれど
「それでも人間は勉強しなきゃいけない
「毎日毎日往復四時間歩いてでも
「勉強
「勉強
「女だって勉強しなきゃいけない
「これからの時代は女だって
「と思って
「毎日毎日往復四時間
「雨でも晴れでも暑い日でも
「毎日毎日往復四時間
「毎日毎日往復四時間

おばあちゃんのこんな言葉の記憶から
浮かび上がってくる
若い福島の女の子
女子高生の
歩く歩く歩く姿
「これからの時代は女だって
「これからの時代は女だって
と学校に通う姿
「毎日毎日往復八キロ
「毎日毎日往復八キロ
ぼくの目では
ほんとうは見たこともないこんな姿が
今になって
もっとも鮮烈に見え続ける
おばあちゃんの姿

夜も更けて
ちゃぽちゃぽ
風呂に浸かりながら
見たこともない
そんなおばあちゃんの
娘時代の姿に
ぼくは呼びかけてみる

毎日毎日往復八キロ
あなたが
おばあちゃんでなかった頃
歩いて通った
福島
おばあちゃん
いまのあなたには見えてますか?
おばあちゃん
どう見えてますか?

おばあちゃん
まだ歩きますか?
あなたなら
おばあちゃんでなかった頃なら
まだまだ歩き続けますか?
八キロでも
何キロでも
毎日毎日
毎日毎日

おばあちゃん…