クララ・ハスキル

加藤 閑

 

20140518_クララハスキル表    20140518_クララハスキル裏

 

クララ・ハスキルにルートヴィヒスブルク・フェスティバルのライブ録音がある。(CLARA LHASKIL AT THE LUDWIGSBURG FESTIVAL, 11 APRIL 1953、MUSIC & ARTS 1994 )
これは素晴らしいディスクだ。ひとりのピアニストのライブを1枚のディスクに収めたものはたくさんあるけれど、コンサートの雰囲気を伝えつつ、なおかつその音楽から深い感銘を受けるディスクとなるとそう多くはない。ホルショフスキーの「カザルスホール・ライブ」やリヒテルの「ソフィア・ライブ」、リパッティの「ブザンソン告別コンサート」などを思い出す。ハスキルのこの録音はそれほど有名なものではないが、それらに伍して、あるいはそれ以上に強く心に残る。
クララ・ハスキルというと、一般的にはモーツァルト弾きというイメージが強いようだが、わたしは以前からそれには疑問を抱いてきた。この録音にはモーツァルトは1曲も含まれていない。しかし、彼女のモーツァルトの録音を聴いたときよりも印象は深い。土台、「モーツァルト弾き」という称号など、女性のピアニストが目立ってきたときに業界がつける当たり障りのないキャッチフレーズのようなものだ。リリー・クラウス、イングリット・ヘブラー、マリア・ジョアン・ピリス、内田光子等々、いずれもモーツァルト以外にも立派な演奏を残している。

第1曲のバッハ「トッカータ」ホ短調(BWV914)の出だしからしてほとんど尋常ではない。こんなに強いバッハがあるだろうか。とは言っても「トッカータ」の演奏自体が少なく、ピアノ演奏で手元にあるのはグールドの全曲盤くらいのものだ。それとはまったく違う。まったく違うというのをいつもはグールドの演奏について言っているのに、ここでは反対にグールドとはまったく違うと言わなければならない。
次いで、スカルラッティのソナタが3曲入る。バッハから続いて奏されるハ長調(L-457、K-132)も凄い演奏だ。スカルラッティのソナタでこれほど圧倒される音楽は他に知らない。
有名なロ短調のソナタ(L-33、K-87)も弾いているが、これはやや微温的。そのあとに来るベートーヴェン最後のソナタ(ハ短調、Op-111)がまた名演だ。これを聴くと、もしかしたらこの日のハスキルはここへ持ってくるために、バッハもスカルラッティも特別の密度を持って弾いたのかもしれないとさえ思えてくる。
この最後のピアノ・ソナタをベートーヴェンの最高のピアノ曲とする人もいるが、わたしには今ひとつピンと来ないものがあった。なにか聴いているうちに気持ちが他に行ってしまうようなところがあったのだ。しかし、この演奏はわたしを離してくれない。聴いているうちに身体の奥の方が重たくなって身動きがとれなくなるようだ。なんという悲しい音楽なのだろう。クララ・ハスキルの音楽は、わたしに生きること、人としてこの世に存在することの悲しさを教えてくれる。そして同時に、それが必ずしも不幸なことではないということも。

ほんのちょっと前まで、わたしは自分が死ぬということをまったく考えなかった。一つの物体として消滅するのは当然のことだが、こうして考えている自分がなくなることを信じられなかったのだ。しかし、昨年60歳になったことと、3人の友人を相次いで亡くしたことで、死が遠いものではないことを思い知らされた。それがあまりにも素直にわたしのそばにやってきたのには驚かざるを得ない。
クララ・ハスキルのこのディスクが今まで以上にわたしの気持ちの中に染み入ってくるのも、そうした自分の心のありようと無関係ではないのかもしれない。それでは、そのときの精神状態によって音楽に対する評価が変わってしまうと言われるだろう。だがわたしにとって音楽とはそういうものだ。いつも均質な心で音楽を聴いているとしたら、どんな素晴らしい音楽もひとに感銘を与えないだろう。今は、なによりもクララ・ハスキルのこの強い音楽を欲している。

■Clara Haskil at the Ludwigsberg Festival (11 April 1953)
Johann Sebastian Bach : Toccata in e BWV914
Domenico Scarlatti
Sonata in C L457
Sonata in E-flat L142
Sonata in b L33
Ludwig van Beethoven : Piano Sonata No.32 in c Op.111
Robert Schumann : Variations on the name “Abegg”
Claude Debussy : Etudes No.10 No.7
Maurice Ravel : Sonatina

CDは、古いライブ音源などを紹介しているアメリカの「MUSIC & ARTS」から出ているが現在は廃盤らしい。先ごろ、ユニバーサルからクララ・ハスキル・エディションという17枚組のCDボックスが出た。クララ・ハスキル(1890-1965)の没後50周年を記念したアルバムで、彼女の録音を多く出していたPGILIPS(現DECCA)をはじめ、DG(ドイツ・グラモフォン)、WESTMINSTER の録音を網羅しているが、この「ルートヴィヒスブルク・フェスティバル」の録音は含まれていない。

 

 

 

 

ガソリンは昨日入れたのか。今日か。

根石吉久

 

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風邪をひいた。風邪の場合は、なぜ「ひく」と言うのだろうか。風邪に「かかる」とも言うのだろうか。風邪を「ひく」という場合、どこから「ひく」のだろうか。「たす」とか「ひく」とかの「ひく」ではないのだろう。引っ張ってくるの「ひく」か。なんにも知らないのである。
先ほど、軽トラにガソリンを入れたのは昨日だったのか、今日だったのか思い出そうとして、まったく決められなかった。そのとき、蚊がプーンというような音をたてて、顔のそばを動いた。そうだ。さっき立ち上がったのは、電気で蚊を殺すために無臭のガスを出すキンチョーノーマットだかなんだかのスイッチを入れるためだったのだ。さっき立ち上がって、何をするんだか忘れ、座ったばかりなのだ。座って、こうして字を書いたら、キンチョーノーマットだかのスイッチだったと思い出した。再度立ち上がり、スイッチを入れて来ようかどうか、と書いているが面倒くさがっているのがわかる。
軽トラにガソリンを入れたのが、昨日だったか今日だったかを決めたい。どうしてもというわけではないが、「のどごし生」350ミリリットルを一挙に飲んだオツムで、果たして思い出して決められるのかどうか、試してみる価値があるかどうか。
決めるためには、今現在から徐々にゆっくりと時間をさかのぼっていく方法がいいのではないか。今ここにいる前は、国民温泉に浸かっていたというような大雑把な思い出し方ではなく、国民温泉を出発し、今ここ(自宅)に至るまでの途中で、ファミリーマートで「のどごし生」を買ったとき、二十歳前の可愛い女の店員が、カードを俺に返しながら、汚いものに触らないように細心の注意を払っているのを気づかれないようにしているのに、客の俺は気づいたが、俺が自分で見ても、ジャンパーの袖口が実に汚いのであった。というようなことまでも思い出すのがいいのではないか。
赤いちゃんちゃんこを来て、鎮座とかしたいのだが、させてもらえないので、オレンジ色のジャンパーを着ている。
オレンジ色のジャンパーだから汚れが目立つ。毎日のように畑で土をいじるときに着ていたから、袖口まわりがしっかりと土の色で汚れまくっている。国民温泉から出たばかりでやたら額に汗をかくので、大粒の汗をジャンパーの袖口でぬぐい、その腕でそのままカードを渡したので、畑の土で汚れた袖口が汗の水でてらてら濡れていたのであることまでも思い出すのがいいのではないか。うむ、女の子は、汚いものに触らないように細心の気を配ったほうがいい。もっともだ。それが、国民温泉から今ここまで来る途中にあった「もっともなこと」だ。が、それくらいしかなかった。風邪のせいだろうと思うが、気を緩めると簡単によろめくので、車に乗ってファミリーマートを出発し、自宅までたどりつくのもけっこうきつい長旅だったと思えば思えなくもないようなものだった。が、それでも、それくらいしかなかった。車の運転自体は覚えていないものなのだ。女の子の思惑というのは覚えていられるものなのだ。
国民温泉から今ここへ、という流れではなく、今ここからファミリーマート経由で国民温泉へと、時間をさかのぼって、しかもなるべく細かくさかのぼって、汚いものに触らないようにしていた「みずみずしい女の子の指」が、白くて細くてきれいだったことなども漏らさず思い出すように努力しながら、さらにさかのぼっていけば、軽トラにガソリンを入れたのが今日なのか昨日なのかが確かめられるのではないか。

それにしても、イメージというものはその本性として、純化されるものなのだ。ガソリンのことなんかどうでもいいんじゃねえのかよ。どうでもいいんだが、ほんとうにわからない。指はきれいだった。さきほども書いた通り、「確かめて確かにした」ところで、「そうかそうかで終わり」なので、確かめる価値があるかないかはとにかく、わけがわからない。いや確かめようがない。いや確かめられる。またファミリーマートに行けば、きれいな指を見るのだ。きれいだなと思えば、瞬時に、とてつもなく果てしなくきれいになる。ガソリンをいれたのはいつか、と夾雑物としての疑問がまぎれても、夾雑物は払拭されて、白い指が確かなイメージになる。店を出ようとした。俺の前の透明な自動ドアが開く。指がきれいだったと思った。一瞬に、イメージはきれいにしたくてきれいにしてしまう。俺? 俺じゃない。イメージの本性が勝手に純化するということをする。アメリカも日本も中国も国家はきちがい。国家こそイメージでできている。長いものが、人々のイメージを巻き取る。長たらしい舌のようなもの。人もきちがいになり、生活を壊してまで、イメージのために生きる。イメージは恐ろしい。白い指はどこまでも白い。与えられるな。自分で作れ。作れない間は、白い指がきれいになるのに、どれほど時間というものが要らないかを微細に見るがいい。指じゃねえ。どれほど時間が要らないかをだ。そこが淵。どれほど時間が要らないかというイメージの挙動を見るのは、時間をかけて自分でイメージを作るやつだけなのか。

せっかくの原稿だ。後はまた元。

で、ここまで書いたところを読み直してみようとして、背中をソファーとかいうものにもたせかけ、画面を眺め、指が鼻の穴あたりに行き、左手の指で、親指と人差し指とで、鼻毛に触り、鼻毛が鼻の穴の出口まで出てきていて、「つまめばつまめて、よればよれる」ことに気づき、ハサミを取りに立ち上がって、ついでにキンチョーノーマットのスイッチを入れてくれば、一挙両得だとほくそえんでいた。まだ、立ち上がれない。面倒だ。ハサミとキンチョーノーマットは遠い。俺はぐずなのだ。ぐずにおいても、イメージの純化は速い。恐ろしい。

長旅ごくろうさまでしたというほどでもないさ。立ってから座るまで、多分20秒くらいなもんだった。馬鹿か、じゃない、早まるな、ATOK。「馬鹿蚊」とさっきのプーンを馬鹿よばわりして、長旅どうのこうのとごくろうにもアタマに浮かんだアイデヤを字にして書いて、ちったあ気のきいたことを書いたつもりの数分で、ここまで書いたのだ。馬鹿蚊、キンチョーノーマットのスイッチを入れてやったぞ、ぬふぁは、ということを書こうとして書いたのだ。一匹しか来なかったが、皆殺しだぞ。キンチョーノーマットだ。毒だ。
その後、プーンは来ない。俺は今ここにいる。ここは自宅という場所だということになっている。馬鹿蚊はどこにいたってそこが自宅。刺すことが生活。どこにいたって、その生活のところへ、毒は届く。地上何メートルのところにいるのか。GLから基礎が40センチは見える。そこからブロックを11段積んだから、2メートル20センチがブロック壁。臥梁が30センチ。その上に土台が4寸角の角材で12センチ。その高さから12ミリ合板。ミリ計算だと、400+2200+300+120+12で、どのくらいか。2900+132だ。大したことない。地上から3メートルちょいのところにある電気炬燵にあたっているのだ。人体とふるさとの土だけを見れば、宙に浮いているのだ。さとうさんから原稿催促いただいた今月今夜、今年の5月1日夜9時36分、「旅に出る」。

軽トラで帰ってきたことは間違いない。国民温泉に軽トラで行き、ファミリーマートに軽トラを駐めたのだ。いや、そうじゃない。帰ってきたことの中を出かけようとしているのに、駄目だ、酔っぱらいは。いつまでたっても、国民温泉から自宅への流れに引き戻される。旅に出よう。
国民温泉まで一挙に行こう。国民温泉にはどこを通って行ったのか。セブンイレブンからだ。セブンイレブンでは、ピザ風のパンとエクレアとかいう白いクリームの入ったパン状のものをコーヒーで食った。セブンイレブンから国民温泉に直行したのではない。セブンイレブンから観世温泉に行き、駐車場がマンパイだったので、ムラタクンチの前を通り、国民温泉に行ったのだ。国民温泉は駐車のアキがあったので、国民温泉に入った。そのアキだが、「アキができたんだな」と思った。セブンイレブンに行く前に、国民温泉の前を通っているからだ。国民温泉にアキがないか最初に見て、アキがないから観世温泉かと思い、甘いものが食いたいなと思ったから、セブンイレブンに行ったのだ。で、セブンイレブンから観世温泉、駐車場マンパイ、ムラタクンチの前、国民温泉へと戻って行ったのだ。その戻っていった時間の流れは、お湯でのんびりと伸び、国民温泉から自宅へと、途中、俺はふらついているのであったが、そのお湯で弛緩した伸びの中を無理矢理さかのぼって、先ほどはセブンイレブンまでさかのぼることができた。
国民温泉の前を一度通ったにせよ、セブンイレブンには、どこから行ったのか。どこからセブンイレブンに行ったのかを思い出さないと、どこかへさかのぼれない。旅が途切れてしまう。
絶壁かと思ったが、ファミリーマートじゃないか。今日3回、同じファミリーマートへ行ったんじゃないのか。女の子の指が白くてきれいだと思ったのは、3回のうちの1回目じゃないのか。1回目煙草。2回目コーヒー。3回目「のどごし生」じゃないか。二回目コーヒーと三回目「のどごし生」の間に、セブンイレブンおよび国民温泉、これは確かだ。
二回目のコーヒーで異常に汗が出たのだろう。風邪のせいだと思ったが、シャツがぐっしょりしたので、お湯に入る前にこんなに汗をかいたんじゃ、脳梗塞をやった体には危ないなと思い、ファミリーマートを出て、国民温泉の前でセブンイレブンに行こうと思い、甘いパンと甘くないパンをコーヒーLで食べたのだ。温泉に入れば、湯口から温泉が飲めるが、その前にファミリーマートのコーヒーSとセブンイレブンのコーヒーLで水分を補給したのだ。
ファミリーマート2回目から3回目の間に国民温泉がはさまり、わかってきた。ファミリーマート1回目と2回目の間にいったん帰宅している。その前に、畑からファミリーマート1回目への移動がある。
ファミリーマート1回目と2回目の間の帰宅は、畑で穫れたレタスとチマサンチュのおろぬきを娘に渡すためだった。お湯に入って帰宅したんでは、今日の夕飯に食べられないからと思ったのだ。それでファミリーマート1回目、帰宅、ファミリーマート2回目という流れができたのだ。(せっかく今日穫れたものを持ち帰ったのに、お湯から帰ってきてみたら、どうやらまた外食したらしく、レタスとチマサンチュは食ってないらしい。俺の娘だが、あの女の娘でもあるからな。)
ファミリーマート一回目と畑の間に、土手下の道を軽トラで走ったのではないか。どこを通って、まるで別の道のファミリーマートにいたのだろうと考えたら、土手下の道を田んぼ中の道へ逸れたのも思い出した。逸れてから、どこをどう通ったのかが思い出せない。と書いたら思い出した。まっすぐ行けばセンボヤナギ(千本柳)だと思っていたら、T字路のつきあたりだったから、左折したらまたT字路のつきあたりだったから、コブネヤマのお墓の縁を右折して、さてどうしたのか。畑からセブンイレブンに行くのによく使う道だが、気がついたらファミリーマートにいたのだ。思い出せない。
1回目のファミリーマートの前は畑だったのはほぼ間違いない。これは2度目の畑だ。1度目の畑で、袋を開いて作った黒マルチを2枚、畝にかぶせたら、雨が来た。風邪のことも考えて切り上げ、オオヒノバンキンへ行った。1度目の畑を切り上げた直後は、オオヒノバンキンへ行くことは考えず、着ているものが湿ってしまったから、セブンイレブンのコーヒーを飲んで一時的に体を温めようとした。田んぼ中の道を軽トラで走っていて、オオヒノバンキンが見えた。最近、薪割り機とチェーンソーを盗まれた、がっかりしたという話をしようと思ったのは、オオヒノバンキンのタダッシャンの弟が薪仲間だからだ。薪仲間といっても、一緒に薪を作ったりするわけではなく、二名で各自勝手に薪を作るだけだが、タダッシャンの弟も薪ストーブを焚いていて、会えば、まずたいていは薪の話をしている。正確には、薪話仲間なのである。ナガノコウギョーへ勤めていた人が、会社から出る廃品を利用して作ったエンジンの薪割り機を見せてもらった。車の塗装の仕事を中断させ、その上、お茶をもらって、体が少し温まった。オオヒノバンキンは人がよく寄る工場で、今日も人が次々と来て、四つほどある椅子が全部埋まって、また人が来た。また来るわと言い、オオヒノバンキンを出た。お宮の脇の細い道を通った覚えがないから、多分、オオヒノショウカイの前を通って、多分、セブンイレブンへ行こうと思っていたのだ。そしたら、陽が射して明るくなって、景色が急に暖かそうになった。もう一回畑に行って、黒マルチの続きをやろうかなと迷い、やりたくなった。畑に戻り2度目の畑となったのだ。1度目と2度目で、合計4枚のマルチを土にかぶせた。
さて、1度目の畑からオオヒノバンキン経由、2度目の畑まではわかったが、1度目の畑へはどこから行ったのか。今日のことであっても、ずいぶん昔のことなので、この辺からが思い出せない。休憩を兼ねて、書くのをやめて、少し時間をかけて思い出そうとしてみる。

キャロルにいたなあ。キャロルには、嫌いな市会議員がいたなあ。サバを煮たやつと、大根おろしと、タマネギを水にさらしたやつと、味噌汁を食った。綿半にいたら、雨が降ってきたが、その話を店のおば(あ)ちゃんにしたなあ。この店にくる途中で雨が切れた。道路も濡れていなかった。さっきの雨は、綿半に降らせた雲が通ったんだろう。でもすぐに止んだねと話したから、綿半からキャロルに行ったのだ。行く途中にファミリーマートがあるが、多分寄っていない。「さっきの雨」の話の時、綿半に降った雨とキャロルに降った雨を直接に比較していた。だから、ファミリーマートへは寄っていないはずだ。途中で雨が切れたのも、ちょうどファミリーマートあたりだったから、ファミリーマートに寄っていたら、ファミリーマートに降った(ほとんど降らなかった)雨を覚えているはずだが、道路が急に乾いた道路になったことしか覚えていない。ファミリーマートには寄っていない。
日に3度ファミリーマートに寄って、その他に1回はファミリーマートの前を通り過ぎている。1回目のファミリーマートの前にはどこにいたのか。それを棚に載せたままにしておいて、今はキャロルの前は綿半だったということを確かめておこうと思って、綿半、キャロル、第1回目ファミリーマートじゃないかと思いついた。そうだよ。
飯を食った後は、いつもコーヒーを飲むのが習慣のようになっている。文書の初めに戻って、「1回目」を検索文字にして検索して出てきたところに次の文がある。

「今日3回、同じファミリーマートへ行ったんじゃないのか。女の子の指が白くてきれいだと思ったのは、3回のうちの1回目じゃないのか。1回目煙草。2回目コーヒー。3回目「のどごし生」じゃないか。」

これは間違いかもしれない。今日、「煙草を買うのを忘れた」と思ったことがある。煙草が2回目ではないか。
すでに書いたものは訂正しない。
どうやら、1回目コーヒー、2回目煙草、3回目「のどごし生」らしい。3回目「のどごし生」は、国民温泉の後で、湯上がりに飲みたくなった順序をはっきり覚えているので、これは間違いない。

軽い寒気が持続しているが、ここまで炬燵で書いていたら、炬燵の熱で体が温まり、人体は温かいにもかかわらず、芯に軽い寒気があるという状態になっている。飲めば飲めるな。飲めば飲めるが飲むのか。軽い寒気と軽い喉の渇きがあるが、飲むか飲まないか。めっそうもない、さとうさんへ渡す原稿のシッピツ途中だぞ、めっそうもないという思いもあるのである。だが、飲みながら書くというのはネットをやって癖になってしまっている。迷う。そして不意に、何に迷っていたのかがわかる。飲みながら書いてはならないのではないかと迷うのではなく、ローソンまで歩いて行ってくるのが面倒なので、立ち上がろうかどうしようか迷うのであった。
体力的には、ほぼ電池切れの状態で、ブンショーにノリが全然なくなっている。電池が切れている。飲んだ方がいいのではないだろうか。書き始める前に「のどごし生」350ミリリットルを飲んでいて、酔いが少し残っていて、車で買いにいけない。少し腰が寒いが、歩けばこの寒さは取れるかもしれない。行ってこよう。歩きながら、1回目のファミリーマートの前にどこにいたのかをもう一度考えよう。考えるというか、思い出すというか、気持ちを整えてみよう。ひとまず、綿半、キャロルで飯、1回目ファミリーマートコーヒーだとすると、1度目ファミリーマートと2度目ファミリーマートの間は、俺はどこにいたのか。そこがまったく記憶が空白である。今日も少しの間、まだらぼけがあったのか。いや、今がまだらぼけだ。1度目ファミリーマートの間は、1度目畑、オオヒノバンキン、2度目畑だ。考えてこよう。そもそも、自宅から綿半へは直行したのだったかどうか。そこが靄がかかっている。現在、5月2日、0時41分。
今立ち上がろうとして、国民温泉から帰宅したときに、汗が気持ち悪くて、脱いだ下着が炬燵の脇にあることに気づいた。気づいて触った。水で冷たい。2度目のファミリーマートの時に、これは異常だと思うほどぐっしょり汗が出たんじゃなかったのか。コーヒー一杯でこんなに汗が出ると思ったのだから、2度目のファミリーマートでもコーヒーは飲んでいる。2度目では、煙草とコーヒーを買ったのかもしれない。ともかく、今からローソンで「のどごし生」を買ってきて、これを最初から読んでみることにする。
立ち上がったら、部屋の隅に「キリン一番搾り」500ミリリットルの蓋をあけてない缶があった。おととい、タテオと飲んだとき、飲みきれなくてタテオに持って行けと言ったが、タテオが「ええ、いい、いい」と置いていったやつだ。冷えてはいないがぬるいというほどでもない。
ローソンへ行かなくて済んだ。

さて、読み直す。

さて、読み直した。午前2時7分。なんでそんなに時間が経ったのだ。あっという間に2時間くらい経つことがある。
読んでいる途中、文書の最後に戻り、以下のものをメモした。

ファミリーマート1度目と2度目の間に、2度畑。
2度の畑の間にオオヒノバンキン。

それはわかっている。その前だ。ファミリーマート1度目の前に、キャロル、その前に綿半。綿半でテツに会った。ミキオにバーベキューやりに来いと俺が連絡することになった。その前だ。また霧だ。

1度目ファミリーマートから1度目の畑へ行くまでに、どこをどう通ったかがまるで思い出せない。それより前に、自宅から綿半まで、どこをどう通ったのか、まるで思い出せない。

そもそも、綿半へは自宅から直行したのかどうか。ガソリンを入れてから綿半へ行ったのか。戸倉のローソンの駐車場を斜めに横切って、信号を回避したのは、昨日だったのか今日だったのか。

今日というか、日付が変わってからなら昨日というか、その前半が思い出せない。だから、ガソリンスタンドへ行ったのが、昨日なのか今日なのか、まだわからない。

書いている途中で、ガソリンの件に関しては、解決策がみつかっている。軽トラの中に、ガソリンの領収書がある。それを見れば、そこにガソリンを買った日付がある。ガソリンを買った日付はそれでわかるが、一日の半分がもうろうとしていることについては、もうろうとしていることがわかるだけだ。

一日の前半がもうろうとしていてわからないことがわかった。一点をみつめるようになって、じっと考える。どうしても思い出せない。靄の中に絶壁の岩があるみたいだ。
「キリン一番搾り」500ミリリットルの後はもっと駄目だ。これから領収書を見てくる。

ない。領収証がない。
5月1日のも、4月30日のもない。
4月27日のが二枚もある。川中島と戸倉でガソリンを入れている。まるで覚えがない。と書いたら思い出した。多分4月27日、孫と孫の友達を連れて、信州新町へジンギスカンを食いに行く途中、川中島でガソリンを入れた。戸倉で入れた覚えはない。それなのに戸倉でガソリンを入れた領収書がある。
わけがわからない。俺はいったい何をしたのだ。
あっ、そうか。信州新町へは、軽バンで行ったから、その間に女房か娘が軽トラを使っていれば、ガソリンを補給したこともありうる。軽バンに入れたガソリンの領収書は、さっき財布から出して、軽トラに常備している紙カップの領収書入れに入れたのだった。領収書の容れ物は別々だった。

冷静になればわかることもあるが、日常は謎に満ちている。半日前がとてつもなく遠い日がある。いや、そんな日ばかりなのじゃないのか。こんなふうに検証してみようとすることは普段はないから。結局、わからなかった。靄に包まれて、旅は終わった。終わってみたら、迷子だった。
風邪のせいにしておこう。

 

 

 

川崎芳枝詩集「未明 燃えて」について

 

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しばらく前に、川崎真素実さんからお母様の詩集「未明 燃えて」を送っていただいた。

真素実さんに仕事の関係でお会いしたときに、お母様の詩集のことにを伺い、真素実さんのお母様の詩集というものを読んでみたいと思い、お願いして送っていただいた。

奥付には2013年12月に土曜美術社出版販売から発行されていて、はじめての詩集であり、石原吉郎さんや嵯峨信之さん、西一知さんに師事されていることが書かれていた。

これが現在の詩のカタチなのだろうか?
茫洋として掴まえられないコトバたちがならんでいる。

「きざし」という詩まで読み継いで、
なんとなく川崎芳枝さんという詩人のコトバの場所がわかってきたと思えた。

 

きざし

咲きはじめた朝顔をかぞえる
のどかな日
晴れわたる空に高くうかぶ

誰ひとり いない

忘れていた時を思い出したように
突然 とめどなく落ちる涙

光は内から発すると気づいた時
抱きしめたかった

やわらかくなる
まわりから溶けていく

夢に近いところで
もうひとつ 花がひらく

 

 

「きざし」という詩を全文引用させていただきました。

なぜ、誰ひとりいないのか、
なぜ、突然とめどなく涙が落ちるのか、
なぜ、光は内から発するのか、

それは、これらのコトバが夢に近いところで語られているからだと思いました。
この詩をよんでこの詩人のコトバの場所がすこし理解できそうだと思った。

わたしたちは夢をみる。
わたしも夢をみる。
多くは忘れてしまうがたまに憶えている夢もある。

憶えている夢は不思議なリアリティを持っている。

夢は欠落を持ちながらひかり輝く欠片のようだ。
夢は、欠落しているからこそひかり輝くだろう。

誰ひとりいないところに「ワタシ」がいて、もうひとつの花がひらく場所だろう。
そこに、コトバが影のように揺れるだろう。

もうひとつ、「できることは 何もない」という詩がある。

 

できることは 何もない

あなたから投げられた石のつぶてを
胸にうけて
大きくえぐられた空洞

あなたの絶望を前に
それでも立っている 不思議
二本の足が ふるえている

かみ合わないことばが
いくつもはじけて 消えていく

ふるえているという
それだけの かすかな希望

あなたに出会った
許されてここに在る
ただそれだけ

 

 

「できることは 何もない」という詩の全文です。

ここに書かれている「あなた」とは誰なのだろう?
神だろうか?
恋人なのだろうか?

わたしはその「あなた」から投げられた石のつぶてを胸に受けて、
胸に大きな空洞ができているのである。

ひどいめにあわされているのに、
あなたに出会った、許されてここに在る、
と書かれている。

この「あなた」は果てしない者なのだろう。

この場所からコトバを書くことは難しいだろう。
なぜなら果てしない者にたいしてコトバは必要ないからだ。

ゆるされてここに在る、ただそれだけ、なのだ。

ヒトは、その場所では、祈るか、うなり声をあげるか、小鳥のように囀るしかないだろう。

「川岸」という詩があります。

 

 

川岸

渓流のなかの岩に
風にあおられた蝶が ふと舞いおりる
白という安らかさをまとって 止まる

(中略)

うすい陽は
すみきった川面にひろがり
そこに 無数の蝶が乱舞する
まぼろしをみる

届かない もっと深く
小石を投げいれる

夕もやに沈む 青い流れになるまで
せせらぎの音をきく

 

また、「未明 燃えて」という詩のなかで、このように語られています。

 

見知らぬ人がゆっくりとふりむく
(何も残さなくていい)
とおりすぎる風に
ひっそりとした日々が
今日もまた 燃えあがる

 

 

ここに「あなた」と呼ばれる者への言葉があるだろう。

そこはもうひとつの花がひらく場所だろう。
コトバは影のように揺れるだろう。

その場所では、祈るか、うなり声をあげるか、小鳥のように囀るしかない。

 

 

 

「アイ・ウェイウェイ スタイル」について

 

 

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牧陽一さんが編集・翻訳した『アイ・ウェイウェイ スタイル』(勉誠出版)を読んだ。
副題に「現代中国の不良(ヒーロー)」とある。

帯には「現代中国のポッップアイコンであり、民主化・公民運動の旗手であるアイ・ウェイウェイ。つねに軽やかで型にはまらず真摯かつ奇抜なアイデアで世界をあっと言わせるこの男は、中国当局の要注意人物であり、若者たちのヒーローである。」
と書かれている。

表紙には髪の毛を短髪にカットして髭を伸ばしデジタルカメラを片手で突き出して正面を見据えているアイ・ウェイウェイの写真が使われている。

彼は北京オリンピックで有名となった北京国家体育場「鳥の巣」スタジアムをヘルツォーク&ムーロンとともに設計するが政府のプロパガンダに利用されたとして開会式など北京オリンピック関連の催しなどへ参加を拒否し、また開会式の演出をした映画監督のスピルバーグや張芸謀らを中国政府に協力したとして批判したという。

彼は中国のアーティストであり、中国の民主化、公民運動の代表的な存在だという。

文化大革命時代には、近代中国の代表的な詩人であった父とともに下放され、新疆ウィグル自治区などで公衆便所の掃除などの強制労働をさせられる父のもとで社会から蔑視される家庭に育ったという。それから北京電影学院に入学、星画会に参加、ニューヨークのパーソン・オブ・デザインなどで学び、詩人ギンズバーグらと交流したのだという。

ニューヨークでは、ダダ、マルセル・デュシャン、アンディ・ウォーホルなどの影響を受けたのだろう。ワールド・トレード・センター前で撮影された1985年の厳力とならんだ全裸の写真は、若くチャーミングにみえる。

この本を読んでいくと、この作家の生まれてから現在までの見たもの体験したものがこの作家の作品に正直に反映されていると思う。おそらく新疆ウィグル自治区や北京、ニューヨークでは過酷な体験をしたに違いない。また、過酷な体験の中の人々をこの作家は見てきたに違いない。苛烈で過酷な現実のなかでは信じてよいものと信じてはいけないものが混沌としている。その混沌のなかから真実を見つけ出してこの作家は生き延びてきたのだと思う。

それは表紙のこの作家の写真を見れば解る。

髪の毛を短髪にカットして髭を伸ばしデジタルカメラを片手で突き出して正面を見据えている。ファインダーは覗いていない。デジタルカメラを武器であるかのように片手で突き出して、裸眼でこちらを見据えている。

たしかに現代の不良であろう。

だがこの不良は中国現代アートと民主化運動に最初から参加し、2011年の逮捕拘留にいたる作品と行動を展開していった。「まともな事を言い、まともな行動を取れば反政府と見なされ、逮捕される」という中国共産党の「極権主義」を自ずから暴いてみせたのだという。

わたしは『アイ・ウェイウェイ スタイル』というこの本を読んで、この作家は「スタイル」ではなく「思考」がすべてだと思った。

唐突だが、アイ・ウェイウェイは、詩人であり、「利休」だと思った。
直感でそう思った。

以下、この本のなかから一部を引用します。

写真について (牧陽一 訳)

写真は狡猾で危険な媒体であり、意味であり、どこまでもある希望の盛大なる宴会であり、超えることのできない絶望の陥穽である。写真は最終的には真実を記録し表現することはできない。写真は現れた真実性で真実を押し開き、現実を私たちからさらに遠くへつれていく。

東洋人は審美的態度において別の可能性に傾いている。彼らはこれまで人の芸術活動が認識の手段だと考えたことがない。あるいはこの命題にはさして興味がなくて、認識過程自体の方法、認識の方法を表現することが認識の最終的な本質だと思っている。この本質は心の中では世界がどのようなものかということであって、いわゆる外界の真実はずっと心理的で情緒的で、不確定で、削り出すことができない、唯心唯我的だ。そうであるならば、自己に対する認識、自己の内心の体験への認知はいっそう困難で面白いのではないだろうか?

写真 (牧陽一 訳)

写真が技術と記録の原始的状態から離脱する時、写真はただ瞬間の状態から事実の可能性へと転換する。この転換が写真を人の活動にさせ、別の意味を含有させ、それは存在のみとなる。生きているのは疑いのない事実にすぎず、つくることはこの事実と真実の関係のないまた別の事実であり、両者は奇跡の発生を期待している。それは意義にたいする新たな質疑の提出である。写真は仲介物として、生活と感知活動を、絶えず見知らぬ世界でのあがきの中へと推しこんでいく。

ここで語られていることがこのアイ・ウェイウェイという作家の真実であると思う。

アートは「意義にたいする新たな質疑の提出」なのだ。
アートはこの世のどこにでも誰にでもみつけられる困難な「奇跡」だろう。

このことは「利休」の実践とおなじだとわたしには思われたのだ。

「思考」のリアリティに、真実があり、アートがあるのだ。
コトバで言い難いが、そこに生と死の体験が加担しているのだ。

アイ・ウェイウェイの作品には、われわれの生があり死があるのだ。
作品の表面で微細に生と死が振動しているのだ。

アイ・ウェイウェイはインタビューのなかで以下のような発言をしています。
以下、この本のなかから一部を引用します。

2011年3月 インタビュアー:Art Press(坂本ちづみ 訳)

生活の中心は表現に対する渇望だ。芸術の独特な所は、その形式、色調、風格すべてが天賦の才能であることにあり、それは守らなければならない。芸術の創作にはいろいろな方法があるが、真実の生活の条件を特に心を留め、その中に自分の身をおかなくてはいけない。もし必要であれば憤怒を表現すべきだ。芸術は日常の生活を表現するが、生活自体「私は誰か」と私に告げることがさらに重要だ。私はいかなる時もこの一点を理解している。おそらくこれが私と他のアーティストの最大の相違点だろう。多くの人は表現する前に、すでに自分がどのような人になりたいかを決めている。しかし私は違う。実際の行動を通してしか、私はいったい誰なのか、どこから来たのか、どこに向かうのかわからないのだ。

アメリカに行って、パーソンズ・スクール・オブ・デザインに入った。でもおそらく私の尋常でない経歴のためだろう、そこでの理性主義的制約に適応するのが難しかった。70年代末から21世紀の最初まで、ほぼ30年の時間をかけて、やっと自分がいったい何を必要とし、何をしたいのかがやっとわかるようになった。その時期、私はほとんど創作していない。心の底ではすでに芸術を放棄していた。アーティストになる夢を捨てていた。実は重要で、面白い事だが、そう思うことで私はとても楽になった。

私はもともと政治とプライベート、個人の日記を区別していない。そういう厳格な区別は私には向いていない。私はそういう人間だ。目にしたいものを見るし、したいことをする。とても単純だ。私は私とこの世界のおかれている環境とをこう定義しているーーーー風、空気、太陽。私の生命は一個の統一体であり、それを分割することはできない。

独裁者が何を一番恐れているかを発見した。彼らは自由なコミュニケーションを恐れ、異なる意見と観点を死ぬほど恐れている。自己表現は犯罪だとみなす。唯一自己表現だけはコントロールする方法がないからだ。私は監獄で時間と空間の極限状態を経験し、そこで理解した。私のようなアーティストの存在が彼らにとってどんなに危険か。そして彼らが私に活動させない原因もわかった。

彼らはいったい何を恐れているのか?監獄で、こういう問題がずっと私の脳裏からはなれなかった。個人の自由を勝手に踏みにじり、人命を軽視するという基盤の上に、いかに今の政権が築き上げられているかを理解した。

私の父は二十歳で監獄に入れられ、二十年下放させられていた。一人の詩人として、父はかつて栄誉と賞賛があった。しかし父も国家の敵とみなされ、非常な苦痛をなめた。父は自分の声望を利用して少しでも利益を得る事に反対していた。父は死ぬ前、私達に「シンプルに生活するのだ。その他の事は忘れなさい」と言って励ましてくれました。父の経験がそういう結論を出させた。私の考えとはかなり違う。私は名声を利用して抑圧されている人のために声をあげてもいいと思う。しかし名声を利用してその他のものと引き換えにしようというのは恥ずべきことだと思う。若者が情報を得る事を阻止することによって、若者の幸せを奪うなら、私は傍観しているわけにはいかない。人々が知識を得るのを阻止し、若者の生命を枯らせる。これは犯罪行為であり、その行為を阻止しない人は共犯者だ。

 

ながい引用になってしまいました。

牧陽一さんが編集・翻訳した『アイ・ウェイウェイ スタイル』(勉誠出版)という本をここ2週間ほど鞄のなかにいれて持ち歩いて、電車の中や喫茶店や自分の部屋や、いろいろな時間と場所で読み継いでみて、この本は私にとって大切の本となった。

ここには「アイ・ウェイウェイ」という作家の存在の奇跡がありました。

アイ・ウェイウェイ 本人は自分の事を「特別優れたよい人間でもなく、いくらか面白いことをする髭を生やしたデブに過ぎない」と語っている。

 

 

 

五嶋みどり

加藤 閑

 

写真 2014-04-16 0 47 06

 

何年か前に、五嶋みどりがバッハの無伴奏のCDを出した。ソナタの2番(BWV1003)1曲だけだったけれど、それまでバッハの録音がなかったので結構話題になった。その後、みどりは2012年に全国の教会や寺院で無伴奏ヴァイオリンソナタとパルティータを弾くツアーを行なったことを最近知った。いつかは全曲盤が出るかもしれないが、多分本人はそういうことにあまり積極的ではないのだろう。(実際、知名度に比べて彼女のディスコグラフィーはあまりにも寂しい。)
みどりの無伴奏はゆったりしている。何かを強く訴えるというのではなく、自分の中の音楽をできるだけ自然に音にして行きたいというような演奏だ。バッハの無伴奏と言えばシェリングを思い出すが、あのバッハ演奏の規範となるような隙のない演奏とはまったく違う印象を受ける。これはみどりに限ったことではなく、ヒラリー・ハーンや庄司紗矢香など、最近の女性のバッハの演奏は、ずいぶん風通しの良い自由なものになってきた。

そのうえ、五嶋みどりのバッハは、本人にそういう意図があるのかどうかはわからないけれども、聴く人を慰藉する音楽になっている。そしておそらくは彼女自身をも慰藉しているのではないかと思わせる演奏だ。鬱病や拒食症で苦しんだ時代があったようだが、あるいはそういうことも影響しているのかもしれない。
日本人はなぜか自国の演奏家に辛い。同じように国際的に活躍している者を比べたとき、根拠もなく日本人演奏家を低く見る。それなのに、海外で評価された者を高く買わないというおかしな風潮もある。しかし五嶋みどりはまぎれもなく現代世界最高のヴァイオリニストの一人である。

たとえば、みどり10代のときに録音された、パガニーニの「24のカプリース」全曲はいまでもこの作品の最高の録音だと思う。随所にみなぎる音楽性は比類がない。超絶技巧を要求される無伴奏曲だが、バッハの無伴奏に比べると、精神性や芸術的価値に劣るというのが定説だろう。しかし、五嶋みどりで聴く限りそういう印象はまったくない。冷たい刃物を思わせるような音の線。パールマンにはこういうところはない。ヴァイオリンの録音を聴いて背筋が寒くなったのは後にも先にもこのディスクだけだった。シェリングのバッハにも比肩しうる録音だと思っている。

 

 

 

この文明はどこへ行っちまうんだか

根石吉久

 

写真 2014-04-11 2 39 13

 

もうひとつ敗北する。
畑に黒マルチを使うことを決めた。
そのことが敗北なのであるが、それを敗北だと、もし人に話したとしても、何言ってんの? と言われてしまう可能性がある。黒マルチを使う人たちは何の抵抗も持たずにヘーキでそれを使ってきた。それを使うことが何で敗北なんだ? どの点が敗北なんだ? と言われてしまったら、うまく返事ができない。いつもそうだ。うまく返事ができず、後で考えて、こう言うべきだったのかなどと思ったりする。たいていいつも後の祭りなのだ。

と、いきなり結論が出たが、ここまで、千曲川本流のそばで書いた。軽トラの助手席に脚を投げだし、ドアに背をもたせて、pomera で書いた。

さっきまで畑にいた。生ごみと土を混ぜる場所を今年から畑の隅に決めたので、生ごみを土と混ぜた。その後、黒マルチを1メートルほど枯れ草を混ぜた土の上にかぶせた。腹が減ったので、平和橋を渡り、姨捨に登る道の入り口に近い中華料理屋で五目あんかけ焼きそばを食べた。テレビが春の高校野球をやっていた。外の方が暖かいので、早めに外に出た。店の入り口の両脇に、店の奥さんが手をつけはじめた春のガーデニングが途中のままになっていた。やりかけていて開店の時間になってしまったのだろう。植えた花の株元が新しい水で濡れていた。
セブンイレブンでコーヒーと菓子を買い、千曲川の本流のわきまで土手を降りてきた。

起きたのは11時頃だったか。起きて、脱糞し、トイレのドアを閉め、家の中を何かの用で歩いたり、靴下をはいたりした。娘がテンパって、いやな声をたてて孫に命令したりしている。とにかく軽トラに乗るのだと思い、軽トラに乗ったら、気の向くままに畑まで運転して、手袋をした手で土をいじっていた。
じきに空腹、じきにあんかけ焼きそば、じきにコーヒーとお菓子を持って千曲川の川原。

川原はうららかである。軽トラの窓を開けておいても、今日は寒くない。雲雀の声はここ何年も聴いていない。雲雀がいなくなった。平和橋の上を車が走っているのが見える。車が走る音は聞こえない。ここに着いた時、軽トラのエンジンを止めたら、急に瀬音が聞こえた。瀬音だけになった。正面の飯縄山の上半分が平和橋に削られてしまって見えない。

セブンイレブンでコーヒーを買って、お金を払いながら、敗北のことを書こうかなと思ったのだった。何度もこれは敗北だとは思ったのだ。しかし、気が散って、敗北のことに意識がとどまらない。ちょっと書きかけて、すぐ違うことを書いてしまう。
そうだ。山道へ入ろうか。
さとうさんから「原稿は?」の連絡があったのだ。充電しようとして、iPhone を家のベッドの上に置いてきてしまったから読めないが、充電しようとしたときに、さとうさんから連絡が来ていることを iPhone の画面が表示したのだ。多分、フェイスブックで連絡をくれたのだ。ああそうか、月が変わったのだなと思った。

山道に入って、日当たりのあるところに軽トラを止めて、浜風文庫の原稿を書こうかなと思ったのだったが、行くなら大岡の方か。まだ大岡の方は何の花も咲いていないだろう。それでもいい。少しの日当たりがあれば、軽トラの中は快適だ、と思って、軽トラの荷台に割った薪を積んだままだということを思い出した。
薪を小屋に積み、荷を軽くしなければ、山道で余計なガソリンを使うだけだ。では、原稿を書く前に、山道に入る前に、小屋に薪を積む前に、帰宅する前に、食後の一休みを切り上げなければならない。その前に、これを書くのを中断しなければならない。
ちょっと川を見ることにする。おとといの雨でササニゴリに濁っている。鴨が流れに流されて遊んでいる。たばこを一本吸ってからエンジンをかけようか。誰に同意を求めているのか。自分か。

庭の隅に止めた軽トラの荷台から薪小屋の前まで薪を放り投げ終わるのに20分ほど。小屋の中に積み上げるのに同じくらい。小一時間で終わる。
軽トラに乗り、交差点に来るたびに、まっすぐ行くか曲がるか、曲がるならどっちに曲がるか、一瞬迷い、一瞬後、適当に突っ切ったり曲がったりして、結局、トッ坂を登った。トッ坂を登りきって下がったところにある製材所に車を駐め、昔セガをもらいに来た者だけど、今でももらえますかね、と訊いた。ああもちろんとの返事がもらえた。また今度来ますと言って、エンジンをかけた。
竹房に行ってみようかと思っていたが、途中軽井沢方面に曲がり、枝道に入り、チェーンソーを回して杉を切っていたおやじさんに、軽トラに乗ったまま窓を開けて話しかけた。雑木もらえないですかねと言うと、倒してあるのもすでに行き先があると言う。以前は、倒した雑木をそのまま林に放置して腐らせていることが多かった。県(?)が始めた森林税とかいうものが動き始めたせいか、里山も少し手入れがよくなってきた。薪ストーブが普及し始めたせいもあるのか、雑木の行き先がある。いいことだ。俺は千曲川のアカシアを切ればいいやと思う。おやじさんに別れ、また太い道に戻る。途中、また迷い、高野という村への道に入る。村を抜け、村の背後の丘を登ると、景色が開け、丘の上には畑が広がっていた。ため池の土手に軽トラを駐車。
高野の裏にはこんなに空が広がる場所があるのか。昔からこの地形で、畑になる前の広がりが野だったら、高野という村の名前はぴったり地形通りだが、地形と関係があるのかないのか。

急に眠くなる。我慢だ、我慢。

黒マルチを使うのは敗北だと書いたが、黒マルチの利点はある。いや、利点があるから人々は黒マルチを使っているのだ。
まず最初に気づいたのは、マルチを使うと土が乾かないから、種蒔きした後、動き出した芽が乾いて死んでしまうことが少ないことだった。水やりをしなくてもたいていは大丈夫だ。これはやってみるまで考えもしなかったことだった。やってみて、なるほどと思ったことだった。

土と混ぜた有機物が微生物に食われるプロセスは、マルチをかぶせるのとかぶせないのとでは違うはずだ。そもそも棲みつく微生物が違ってくるはずだと思う。風が直接土に当たらないから、気体となって空中に逃げる養分というものもほぼなくなる。養分が土から抜けにくくなるだけで、その後の発酵のプロセスも違ってくるはずだ。養分が雨水と一緒に土の中に沈むことも極端に少なくなるはずだ。マルチをしなければ抜けるはずのものが抜けないのだから、生き残る微生物の種類は違ってくる。
きわめて大ざっぱな分類をするなら、好気発酵よりも嫌気発酵に傾くだろう。作物の株元はマルチに穴があいているので、土の中と大気の底が完全に遮断されるわけではないが、マルチの下は圧倒的に嫌気発酵に適した条件になるはずだ。
好気発酵や嫌気発酵の好気とか嫌気とは、酸素の有無(多少)の違いを言うので、気体の有無や多少のことではない。「気」という語で空気の中の酸素を言っている不正確な近代日本語単語だ。こういう語はブンガクテキであってもらわない方がいい。
嫌気発酵が利点となるかどうかはわからないが、マルチのすぐ下まで地中から登ってくる水が、発酵を持続させ微生物の世代交代を促し続けることはまったくの利点となる。一番期待しているのは、地中から登った水がマルチ直下で水蒸気になろうとしてなれず、また土に戻される作用がもたらすものだ。地温が上がることと相俟って、土が変わるスピードはあがるはずだ。
春、空気が乾き土が乾く日が続くと種蒔きで失敗することが多かったが、その失敗率はぐんと減る。それはマルチをしてすぐにわかった。水やりの手間が省けることを考えると、マルチをする手間は惜しいものではない。その後は、作物を覆ってしまう草の発生を阻止できるのだから、手間をかけるだけの価値はある。
嫌気発酵に傾くことは推定できるだけで、実際のことはマルチの下だけで起こるから見えない。マルチを取り払っても見えない。微生物がやっていることは、人間の目に見えない。見ても見えない。間接的にわかるだけだ。

炭素循環農法というのをネットで調べたことがあったが、土の表層に近いところに有機物を混ぜ続けるというもので、基本は昔の普通の農法と変わりはない。炭素循環農法がはっきり言い切ったことは、5センチとかせいぜい10センチくらいのごく浅いところに有機物を混ぜ続けるということである。それまでの有機農法でこれを言い切ったものはない。
川口由一の農法は、有機物(草)を土の上に置き続けるというものだが、その祖型は福岡正信にある。福岡のものは、藁や麦藁を長いまま田んぼに撒くいうものだ。
炭素循環農法が福岡や川口を越えたところは、ごく浅いところに有機物を混ぜることによって、有機物と土の接触面を最大化したところにある。微生物が有機物を食いやすくしたのだ。
有機物を土に混ぜるなどということは、昔から人がやってきたことだ。昔の普通の農法である。だから、繰り返して言うが、炭素循環農法が独自に確立したことは、有機物を表層に近いところにだけ入れるというところにある。それだけは、他の有機農法が言葉にできなかったことだ。
炭素循環農法は手間がかかる。これはこの農法の欠点だ。
手間をかけないということを農の思想にまでした点では、福岡正信が今でも他を圧するチャンピオンのままだ。しかし、まずたいていの人が耐えることができないほど、福岡の思想は気が長い。大百姓の持つ広い田畑がその背後にある。だから、有機物と土(微生物)の接触面が極端に小さいような農法も、それでいいと考えることができたし、それで収穫量が確保できるまでやれた。
有機物がどれだけ乾きやすいかということで言えば、福岡、川口のやり方は乾きやすい。しかし、「自然がすることにゆだねる」という思想に、つまり自然の時間の速度に従うという古くからの農の思想に従順である。雨の多い日本の気候にも則っている。
炭素循環農法は、福岡や川口の方法ほどではないが、それでも土が乾きやすい。種蒔きや苗が幼い時期には不利である。その点を黒マルチは解決してしまう。

福岡には確信がある。麦一粒だって、人間が作るのではない、自然が作るのだという福岡の言葉には、確かなものがある。
だけど、どこからが自然でどこからが人為なのか。福岡が粘土団子にいろいろな作物の種を混ぜ、適当に草の中にそれを放り投げる様子は、YouTube で見ることができるが、一つの団子に何の種を混ぜるかを決めるのは福岡であり、草の中に立ち、どこに投げるかを決めるのも福岡である。人間の感覚、人間の思考がそれを決めるのだから、そこまでは人為以外のものではない。
福岡の言う「自然」も、川口の言う「自然」も、粘土団子を放った直後からのプロセスを決定するもののことである。要約すれば、川口も福岡も「人事を尽くして天命を待つ」と言っているだけだ。そして俺は、それに何の文句もない。
人事を尽くすプロセスにおいて、福岡の方が川口より遊んでいるという違いはある。福岡の大人ぶりは、人事を尽くすにも遊びながら尽くすところにある。川口は病気から有機農法に入り、福岡も病気が契機だった。福岡の病気は明日死ぬかもしれぬほどのもの、生死の境をさまようものであり、福岡は病気というよりも、むしろ「死から」、あの農法の方へ歩いて行ったのだろう。大百姓の出だということもあるが、死から始まった農法だというところに福岡独特の遊びやひょうきんがある。ゆったりしている。

高野で少し書いて、車を動かそうとして池の向こう側に人がいるのに気づいた。車で行き、この池は魚を釣っても怒られないかと訊く。村の中に漁業組合があり、組合で鯉を放流しているが、鮒くらいなら釣っていけないこともないと言う。ブラックバスもいますかと訊いたら、いるとのこと。
高野から軽井沢へ。軽井沢入り口で右折、小花見池へ。この池も向こう岸まで行ったことがないので車で行ってみる。林の中に道を開いてあるが、どれもすぐに行き止まりになる。別荘地として売りに出すのに付けただけの道だとわかった。
逆戻りし、信州新町の方へ降りる。町が近づくにつれ、暗くなってきた。腹が減ったので、ジンギスカンを食いに行くかと思っていたが、新町に着いて蕎麦屋の看板を見て蕎麦を食う。味はまあまあ。少しうまい。払うとき、金が足りなくて、近くのセブンイレブンまで金を降ろしに行ってくると言ったら、女の人が困ったような顔をした。初めての店なので、「何か置いていきますか」と言ったら、店の旦那さんが「大丈夫だ」と言った。食い逃げしそうではないと見てくれたのだ。ありがとう。歩いてセブンイレブンまで行き、歩いて店まで戻った。
新町から篠ノ井のコーヒー哲学まで、国道19号をノンストップ。帰り道が長く、山の中の道ばかりずいぶん走ったのだと思う。ここまではコーヒー哲学篠ノ井店、ここからも同店で。

店の電灯が暗く、バックライトのない pomera で書くのは少しつらい。客が他にいないので、電灯の明るい方のテーブルに移る。

黒マルチは農業用のポリエチレンが0.02ミリで一番薄い。(ポリマルチという言い方があるので、ポリエチレンだと思っていたが、ポリエステルじゃないよな? 自信がない。それぞれの違いもわからない。)
主に生ごみをごみとして行政に渡すための黒い袋もスーパーで売られていて、こちらは0.04ミリ厚。袋状だから、切らずに使えば、二枚重なった状態で土を覆うので一番丈夫。切り開けば、90センチ×160センチのシートになり、これ一枚分に種を蒔き、一日のひと仕事分にするのに具合が良い。家庭菜園をやり、黒マルチに抵抗がない人にはお薦めできる。

ビニールハウスのビニールやマルチのポリエチレン(?)を見て、しゃらくさいと思ったり、こざかしいと思ったりしてきたのだ。それで極度に貧弱な収穫量の有機(勇気)農法を続けてきたのだ。こざかしいと思ってきたものを使うのだから、これは敗北である。敗北は敗北としてはっきりさせなければならないが、どこまで敗北するのか。今でも農薬や化学肥料は使う気はない。

黒マルチを使うところまで敗北する。

この問題は、ごみ問題につながっている。

千曲市は汚れたプラスチックを燃やすごみとして出すようなでたらめな指示を住民に出している。100円寿司に置いてあるようなわさび入りの小さいプラスチックみたいなものから始まって、汚れたプラスチックになると最初からわかっており、燃やすごみとしてしか処理のやりようがないものの生産を国が野放しにしてあるのがおかしい。
家で、破れて使えなくなった長靴が可燃ごみ用の袋につっこんであるのを見て、いったい何やってんだと女房に文句を言ったら、使えなくなった長靴は汚れたプラスチック(可燃ごみ)に分類しないと、ごみ収集車が受け付けてくれないのだと女房が言った。おかしい。
そういうプラスチックや合成ゴムの処理法を禁じないと、ごみ処理場の近くの住民は処理後の気体を吸わなければならない。そこに子供も生まれてくる。
国に抗議することを決議しようとするような議員は、千曲市に一人だっていない。腰抜けのお上意識ばっかりだ。
そういう国なのだから、天皇家で国に文句を言えばいいと思う。この国の山河が汚れる、と。放射能もやめてくれと「請願」すればいいと思う。天皇家が「請い」「願う」からといって、誰も文句は言わないだろう。どうなんだろう、右翼の皆さん。

私が生まれた村は、今住んでいる村の隣村だが、そこに大型のごみ焼却溶融炉を建設する予定があると知り、自分で印刷したビラを一軒ずつ配って歩くようなことをしたことの元に、「汚れたプラスチックは燃えるごみ」などというでたらめがあったからだ。
これはまた原発の問題につながっている。ごみの溶融炉は、目に見えるほどの煙は出さない。煙突上部の見た目はきれいだ。福島第一原発みたいに、バクハツなんかしちまうと無惨なものだが、バクハツしなければ、いくら放射能を垂れ流しても、原発も見た目はきれいだ。美しくはないが、不気味ではあるが、見た目はきれいだ。
説明会に出れば、行政は安全だ安全だと繰り返す。裏で町や村の有力者に金をつかませる手法は、溶融炉建設も原発の炉の建設も同じだそうだ。

汚い。

柔らかいプラスチックを作るために原料の石油に何を混ぜるのか。固いプラスチックを作る場合はどうか。色はどんな物質によって着けてあるのか。プラスチックなどの合成化学製品の中には、うぞうむぞうの物質が含まれている。それが1000度を超えるような高温の炉の中でどんな化学変化を起こすのかなど、誰も解明することはできない。この化学変化の元になる物質が「うぞうむぞう」だからだ。何が何度のときにどの順番で炉に投げ込まれるかは「わからない」。厳密に考えれば、物質と物質の出会いとそれらの合成や変化は、つまり何が新たに生成するかは、まったく未知のことがらであるはずだ。それなのに、安全だ安全だと繰り返す行政の太い神経はまったくしゃらくさい。近代初期のしゃらくさセンスのままだ。

「わからない」というのが、ひとまずの唯一の正しい科学的な言い方だ。わからないのだ。誰にもまだわかっていないのだ。
原発の後処理が、廃棄物(放射能の固まり)を土の中に埋めるしかないくらいのことがわかっているだけだ。やめてくれ。やめろ。やめやがれ。

「これっぱかしのものを食うのに、こんな大量のプラスチックごみが出るのはおかしいぜ」と女房に最初に言ったのは、30歳頃のことではなかったか。スーパーができ、八百屋や魚屋がつぶれ、なんでもかんでもプラスチックやビニールに入って売られるようになった頃のことで、それからもう30年も経つ。そして、事態は悪くなっているばかりだという感じだ。出水の後の千曲川の川原に行くと、流されてきたプラスチックやビニールが散乱してひどいもんだ。あれも「汚れたプラスチック」なのか。千曲市を流れる千曲川の川原のプラスチックもビニールも散乱したままだ。溶融炉のことを安全だ安全だと言い続けてきた千曲市環境課は、あれだけのプラスチックやビニールや合成ゴムをみんな「溶融」するのかよ。能なしども。

そう思ってきたので、農業用の黒マルチを横目に見ては、しゃらくさいと思ってきたのだ。
単に栽培のことだけ考えれば、種に水をやることの手間が省けるし、春になっても地温がなかなか上がらない善光寺盆地の畑の地温をあげてくれるし、畝に草が生えて作物を覆ってしまうのを防いでくれるし、後は嫌気発酵がうまくいってくれれば文句のつけようがない資材だ。しかし、使った後の黒マルチを、行政や農協が業者に渡した後にどんな処理がされているのかは闇の中である。少なくとも私は何がどう処理されるのかまったく知らない。

歳に勝てない。
私は敗北する。
そして、敗北すると決めてから、使った後の黒マルチをどう使うかを本気で考え始めた。
薄いポリエチレンに泥や土が付くから使った後のマルチは重くなる。破れたポリエチレンのシートを新しいポリエチレンの袋に入れれば、重さが着いて風に飛ばされにくくなるのではないか。古くなったポリエチレンのシートを「重さとして使う」ことで何か不都合なことは出てくるだろうか。中に入れたものが袋から飛び出して散乱しないようにするにはどうすればいいんだろうか。
そんなことばかり考えているのである。
各種プラスチックや合成化学製品が、それぞれどう処理されているのか、空気や水を汚しているのかいないのか。そういうことがわからなければ、しろうととして、そんなことばかり考えるしかない。

便利なんだか不便なんだか。この文明はどこへ行っちまうんだか。闇に突入しているのか。

主義主張も糞もない。
川は本当に汚れた。
経団連。金の亡者ども。
おまえらこそ、放射能をたんとかぶれ。
なんで、東北の人たちがかぶらなければならない?

誘致に賛成した東北の亡者は別だが。

 

 

 

マリア・ジョアン・ピリス 他

加藤 閑

 

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(一)
このあいだサントリーホールでマリア・ジョアン・ピリスのピアノを聴いた。(3月7日)
この日のプログラムは、シューベルトの「4つの即興曲」D.899、ドビュッシーの「ピアノのために」休憩をはさんで、シューベルト最後のピアノ・ソナタ第21番変ロ長調D.960、アンコールは、シューマンの「予言の鳥」(森の情景から)というもの。
ピリスは、1991年にドイツ・グラモフォンから出たモーツァルトのヴァイオリン・ソナタ集で注目を集めた。それまでにもモーツァルト弾きとしてそれなりの評価はあったようだけれど、わたしはこのディスクではじめて聴いた。モーツァルトのヴァイオリン・ソナタというと、昔からグリュミオーとハスキルの盤が有名で、わたしもレコードの頃からそれを聴いていた。だが、ピリスがオーギュスタン・デュメイと組んで録音した新しいディスクは、清新なうえに気品を備えた演奏で世界的に大変好評だった。以後、この二人はヴァイオリン・ソナタの名曲を次々に録音する。ブラームスはこのデュオの代表盤の一つとなったし、グリーグは演奏のイメージを一新した。ベートーヴェンの全集も出た。チェロのジャン・ワンを加えてトリオの演奏も発表した。相前後して、ショパンの夜想曲全集やシューベルトの即興曲などソロの録音も出たが、いずれも記憶に残る演奏だった。
その後、ここ何年かはいっときほど積極的にピリスを聴かなかったように思う。ピリスに限らず、常に新譜に目を凝らすような関心の持ち方をしなくなってきた。ピリスの演奏で比較的最近買ったのは5年ほど前に出た2枚組のショパンアルバムくらい。おそらく彼女の新譜のリリースも一時ほどではないのだろう。
たまたま新聞で、シューベルトのピアノ・ソナタ第21番を中心としたピアノ・リサイタルの広告を見て、急に聴きたくなった。この曲、ピリスはかなり前にエラートに録音していたが、わたしにはそれほど印象に残るものではなかった。しかし、今回は再録音してのコンサート、しかも新しいディスクは聴いていないので、楽しみにして会場に向かった。
結果は、期待を裏切らないものだった。ドビュッシーは苦手なので何とも言えないけれど、シューベルトは即興曲もソナタも曲のよさを充分に引き出した気持ちの良い演奏だった。演奏家には、曲の趣向や持ち味を生かして最良の演奏をしようという人と、曲趣よりも自分の音楽観や演奏スタイルを優先する人とがあるように思うが、ピリスはどちらかというと前者のタイプ。そのピリスが、即興曲のCDを明らかに後者のタイプと思われるリヒテルに献呈している。
ピリスの『即興曲集』は1998年2枚組で発売された。シューベルトのこの曲は、それぞれ4曲のD899、D935が1枚にカップリングされることが多いが、ピリスはD915「アレグレット」とD946「3つのピアノ曲」(遺作)を加えて2枚にして発表した。(D946はあまり演奏されないけれどなかなか聴き応えのある曲) そうした曲の選択、構成だけでなく、タイトルの付け方やブックレットの内容までピリスの意向が強く反映していると思われる。
このCDには「Le Voyage Magnifique」(素晴らしい旅)というタイトルがあり、表紙を開くとリヒテルへの献辞がある。ピリスはこのディスクを、死んで間もないスヴャトスラフ・リヒテルに捧げているのだ。そして右のページには「私は旅人である」というリヒテル自身の言葉が添えられている。さらにページを繰ると、フランスの作家イヴ・シモンの小説「すばらしい旅人」の引用が断章のように綴られている。
意図的につくられているとは思うが、どれほどの明確な意図があったかはわからない。人生は旅であり、音楽を生きる人も旅人なのだ。あのリヒテルも自分を旅人と言っているし、自分が奏でる音楽も、演奏する自分やそれを聴く聴衆を旅へと誘う力を持っている……。リヒテルとピリスの「旅」は微妙に違う。リヒテルは自分の音楽活動を含めた精神のありようを、さすらう旅人のようだと言っているのだろう。対してピリスは、そのリヒテルや自分にはできない「旅」への憧憬を表そうとしているように思える。
リヒテルはWandererという言葉を使っている。するとやはり、シューベルトのD760「さすらい人幻想曲」(Wandererfantasie)を思い出さざるを得ないし、他ならぬリヒテルの演奏が耳にひびいてくる。ただし、ピリスがそういうことを意識していたかどうかはわからない。
当然ながら、ピリスの弾く「ピアノ・ソナタ第21番」はリヒテルの演奏とはまったく違う。リヒテルの、第一楽章のゆったりしたテンポには、胸の底に降りていくような陰鬱さがつきまとう。それがこの音楽にある凄みを与えている。ピリスにはそうした凄みはない。そのかわり、もっと情感に満ちた日常の充足がある。ここで日常と言ったのは、暗い面も明るい面も(あるいは悲しみも喜びも)人の営みの範囲のなかにあるという意味。自分が依然よりもそうした演奏を好むようになっていると思うし、ピリスのこの日の演奏にはそれゆえの強さも備わってきたという実感があった。

(二)
音楽というのは、他のものに代え難い喜びをもたらすものだと思うけれど、反面人間の精神を支配し、変節させる大きな力を持っている。先日車のラジオからベートーヴェンの第5交響曲ハ短調作品67が流れてきた。ちょうど始まったばかりで、第一楽章の誰もが知っている主題が聞こえた。
いまさら書くことでもないけれど、ベートーヴェンの音楽は聴く者をぐいぐいと引きずり込むような構成になっていて、われわれを否応なく音楽のなかに連れて行く。それに抗うことは難しい。旋律もリズムも揺るぎない力で心身を捕え、最初は違和感を覚えていた者も、やがては音楽に浸る法悦のなかに落ち込んでいくようだ。
途中で車を止めたので、このときの指揮者やオーケストラが誰だったかはわからない。しかし、わたしは1947年5月25日、ティタニアパラストで行われたフルトヴェングラー復帰公演を思い出した。曲はエグモント序曲、交響曲第6番、第5番というオールベートーヴェンプログラム。ナチス協力の嫌疑で演奏活動を禁じられたフルトヴェングラーが、ようやく許されて公演ができるようになった最初のコンサートだった。
聴衆は熱狂的な拍手でこの指揮者を迎えた。拍手、拍手。手が痛くなるほどの拍手を続けるその日の聴衆のなかには、必ずやヒトラーの演説に拍手した人間がいたに違いない。彼らは、いまやナチスを憎む民衆の一人として、音楽を愛する一人としてここに来ている。自分に対する疑いもなく今日の音楽の感動に打ち震えている。熱狂とは何と恐ろしいものかと心底思ってしまう。しかしそれは他ならぬ自分自身かもしれないのだ。
わたしもこの日のライブ録音を何度も聴いた。感動的な素晴らしい演奏だと繰り返し思った。だが感動、エモーションとはいったい何なのだろう。「わたし」を変えてしまうほどの感動、わたしの精神を揺すぶり、わたしの言葉を奪ってしまう感動。
感動に身を任せることの陶酔感はえも言われぬものだ。そしてそれがときには人を前進させる原動力になることもよくわかる。しかしわたしは恐ろしい。この恐怖はどこから来るのだろう。
第5交響曲(いみじくもそれは後世の人のつけた『運命』の名で呼ばれる)の持っている力が恐ろしいのではなく、それを聴いて我を忘れるかもしれない自分を恐れているように思えてならない。人間には多かれ少なかれみなそういう要素があると思うから怖ろしい。

(三)
ちょうどいま(3月16日午後10時15分)、テレビで水戸室内管弦楽団のコンサートの録画を放送している。ベートーヴェンの第4交響曲変ロ長調作品60。指揮をする小澤征爾は歳をとったため、一つの楽章が終わるたびに椅子に腰かけてほんの少しだが休憩をとる。音がなっている間は溌剌とした音楽とそれを指揮する小澤征爾があるのだが、腰をおろす彼の姿が映し出されると一人の抜け殻のような老人の姿となる。演奏は決して悪くない。もう80歳近いのだろうけど、音楽の呼吸は若々しいし彼特有のはなやぎがある。
この公演は、今年1月の水戸室内楽団の定期のはずで、その前の曲(メンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」)は中年の女性が指揮をした。ナタリー・シュトウッツマンである。メゾ・ソプラノの歌手として一時さかんにコンサートを行ない、オペラにも出演し、たくさんのCDを出していたが、現在は指揮もするらしい。彼女も、シューマンの歌曲集を出していたころは、素晴らしくチャーミングで美しい女性だったが、指揮をする横顔は頬が窪み皺が刻まれている。ベートーヴェンが終わって、今は彼女の昨年のコンサートの模様が映されていて、シューマンの「詩人の恋」が流れている。歌は素敵だし、中年とはいえ歌詞に寄り添う表情は魅力的だ。しかし、15年前のジャケットの写真を知っていると、時の残酷さを思わずにいられない。
クラシックのレコードやCDはたいてい演奏家の顔写真が使われる。音楽ファンは気に入った演奏家の録音を長い期間にわたって聴くことが多いので、演奏家の老いてゆく姿を見続けることになる。白髪を刈り込んだ皺だらけのポリーニの顔なんか見たくなかったのに、こればかりは仕方がないことだ。
今回のピリスのコンサートのポスターを見たときも同じことを感じた。DENONでモーツァルトのソナタの最初の録音を出していたころの、ボーイッシュな少女のような彼女から、あまりにも遠くにきてしまったようだ。もちろん音楽家に、年齢とともに変わる容姿のことをあげつらうのは馬鹿げたこと。老いを云々するなら、まずわたし自身が鏡の前に立つべきだった。
今年も春がやってきた。昔は秋が好きだったのに、歳をとるに連れて春がいいと思うようになった。まわりにもそういう人が多い。じきに桜も咲く。そして、また芭蕉の句を口にする。

さまざまの事おもひ出す桜かな

 

 

 

 

ギャクリツが面白かったのだ

根石吉久

 

撮影:根石吉久

以前、山本かずこさんと電話で話していたとき、山本さんが、お茶の席ではっきりとものを言うのはよくないことだと言われたのを覚えている。

ずけずけとものを言うと、よほど気心の知れた人どうしならともかく、相手の気持ちを害することがある。私はこの点が駄目で、よくやってしまうが、田舎者ということなんだろうと思っている。私が田舎者であることはまた別に書くとして、今は私のずけずけは棚にあげておく。
山本さんがお茶の席では「はっきりとものを言うのはよくない」と言われたのは、ずけずけがよくないというだけのことではない。言葉を明瞭に発音するのもよくないことだと言われたと思う。茶室というところでは、やたら照明が効いて、ものがすべてよく見えるというのがよくないのと同じよう に、言葉の音の輪郭もやたらくっきりしているのはよくないのだろう。それは場にそぐわないのだ。
これは茶室という場の性質なのか、日本人の性質なのか、日本語の性質なのかと、その後考えた。いまだよくわからない。
テレビのニュースで報道するとか、学校の教室で、考えや意見を言う場合は「はっきりと言わないのでよくわからない」というふうな文句が出やすいだろう。しかし、日本語でふつうに人と話すときには、特にはっきり言うというようなことに気を使うことはないだろう。(私が今、ことさらにはっきりと口を動かして日本語をしゃべるのは、脳梗塞をやったせいだ)

言葉が伝わるかどうかではなく、心が伝わりさえすればいいのだ。どこの国だって基本的にはそうだが、日本は特にそうだ。どうしても以心伝心という語を思い浮かべてしまう。以心伝心に価値がある。日本では言葉はそのための補助的なものにすぎない。言葉は断片である方が、よく心を伝えたりする。
英語の語学屋から見ると、この日本人の、あるいは日本語の性質は、茶室の外側にも容易に見つかる。日本人の日常の中にその価値(以心伝心)があるのが見える。
日本人が二人で話しているのを近くで聞いているときに、言葉がはっきりしないので何を話しているのかわからないことがある。特に内緒話をしているのではなくてもそういうことがある。当人どうしは、それで十分に話ができているのだということはわかる。

そうすると、日本語の元には「むつごと」があるのじゃないかと、一挙に仮説を立てたくなる。
むつごとを言うときに、しっかりとはっきりと明瞭に発音するのはバカである。私はバカなのか、むつごとが下手である。あるいは、私がバカに分類され
るお人なのでむつごとが下手なのである。だいたいが、たいがいの女には、トンチンカンな奴だと思われ、実際にそうだから困る。そういうことを言う女は、しっかりしたやつらが多く、実に嫌なやつらである。
で、つらつら思うに、日本人一般は、思いの外、むつごとが上手なのではないか。いやあ、あんなもの、わからんぜ、男は黙ってサッポロビールとか言ってるが、ビールを飲んじゃったら、後はむつごとが上手だったりしてさ。と、かように仮説的妄想はふくらんで、はたまたしぼむ。
なんでしぼむ?
むつごとを言うときに、しっかりとはっきりと明瞭に発音するのはバカである、とちゃんとしたことを言った後で、女のことなんか書くからだ。そんなことして、ろくなことはない。
しぼんだところが、こういうふうに文章を書きつらねる場所なのだろうか。あるいは、語学屋の業(ごう)なのだろうか。

話を急に変えるべきだ。

小川さんという奈良にお住まいの方が、素読舎のコーチをやっておられる。英検1級や通訳ガイド資格をお持ちで、いうなれば日本で作った英語ではトップクラスの実力をお持ちの方で、新聞社が主催する英語教室の講師をやっておられる。
「音づくり」については、小川さん自身が私からレッスンを受けたいと申し出られた。私は緊張したが、小川さんはもうずいぶんと長いことレッスンを受けておられる。レッスンでは、いわゆる「音読」をしてもらうのだが、ある時からレッスンが先に進まなくなった。そこにどういう問題があるのか、私は長いことわからなかった。私の側にいつももどかしさのようなものがあり、しかし何がどうであるからもどかしいのかわからなかった。
今年の正月、パソコンに向かっていて、思いついたことを「紙に」メモした。
「口を大きめに使って、引き締める」と書いた。そしたら、次にメモすべきものがほぼ自動的に浮かんだ。「口の動きを浅くしないでつなげる」と書いた。
この時、小川さんの顔を思い浮かべていたのではない。塾の生徒の顔を思い浮かべていたのでもない。誰と特定できない、無数の日本人の顔を思い浮かべていたのだと言えばそう言えると思う。
この二つのメモを机の前に張って、メモを見ながら正月明けのレッスンを始めた。その後、小川さんの顔を思い浮かべた。そうか、解けたぞ、と思ったのだった。

あくまでも英語との対比であるが、日本語の音は平板である。口の筋肉を動かすのに使うエネルギー消費はとても少ない。省エネという観点から見れば一級品の言語だと思うが、これは英語の練習をするのに非常に不利な条件になる。これは日本語と英語というふうに、言語と言語を対比させたのだが、もう一つ別の対比がある。実際に言葉として使う場面と、あくまでも言語修得の練習の場面との対比がある。二つの性質の違う対比があり、それらが関連しあうので、ことは面倒になる。
言語と言語の対比で、口の筋肉のエネルギー消費に関して、日本語は省エネ型言語だと言い、英語はエネルギー多消費型だと言ったところで、実際に言葉として使われる場面ではすぐに反証のようなものが飛び出してくる。日本語でどなりつけるのと、英語でささやくのとでは、明らかに日本語の方がエネルギー多消費型になる。日本語はこうだ、英語はこうだなどと、そんなこと一概に言えないよ、となる。

しかし、語学屋としてはっきり感じ続けてきたものがある。日本人の口の筋肉は英語で育った人の口の筋肉と比べたら、はるかにパワーがないということである。
これは、オーストリアで生まれ、ドイツ語で育ち、渡米、10年以上アメリカ在住の後、日本に来た男と悪友みたいなつき合いになり、ある日、私の家で炬燵にあたって喧嘩をしたときにはっきりわかったことである。
英語で喧嘩したのだが、どうも顔に風が当たるのであった。炬燵板の上を風が吹いてくる。ははあ、と思った。こやつのドイツ語で育った口の筋肉が風を起こしているんだと思い、喧嘩を少しの間忘れてしまった。語学屋的感嘆を言っても通じやしないので、お前の口のバネはすごいなとは言わなかった。論理は大したことないが、口のバネはすごいと思ったのだ。喧嘩の脈絡を離れて、こちらが気抜けしたようになったのがわかったのか、喧嘩は口喧嘩以上の大事にはならなかった。そして、何で喧嘩したのかは忘れてしまった。
ドイツ語育ちで、英語に渡ったやつの口の筋肉のバネについては忘れることができない。あいつは、福島第一原発の事故の直後、家族全員でオーストリアに行ってしまった。もう、あいつと喧嘩もできない。東電よ、電力会社どもよ、お前らが何を壊したのかわかっているのか。

パワーがなくたって英語は使える。英語を使う場面では、そんなにやたらパワーが必要なわけではないと言う人もいるだろう。「私は喧嘩はしないし」と。それならそれはその通りだ。
パワーがないと困るのは、練習の場面、語学の場面なのである。パワーの有無によって、インプットの深度が違ってしまうのである。あるいは、音の安定性がまるで違ってしまうのである。
音の安定性についてはわかりやすい。個々の音の繊維を備えて、その強弱まで備えて、同じ調子でいくらでも同じ文が言えるかどうかで安定性を測ることができる。
インプットの深度というのがわかりにくい。しかし、結果の方から見ると見えやすい。文まるごとがひとつのものとして口の動きに乗るかどうか、つまり、アウトプットが簡単に成り立つかどうかで測ると、インプットの深度が十分であるかどうかがわかる。
このインプットの深度という観点は、私が読みあさった限りにおいて、どんな英語のハウツウ本にもなかった。おそらく今もない。

先日、経済的な理由のためにレッスンをやめざるを得ないという生徒さんに最後のレッスンをした。小さいお子さんを育てているお母さんである。この生徒さんは、私が正月に書いたものをよく理解してくれた。「口を大きめに使って引き締める」と「口の動きを浅くしないでつなげる」を両立させる練習を自分で継続していくつもりだと言われた。
私はなぜそういう方針が必要なのかということを話した。口を大きめに使って引き締め、音が安定したら、動きを浅くしないでつなげる。その後の段階がある。それは、「どんどん(あるいは、がんがん)、口を動かし、音を圧縮する」である。
これはレッスンでは扱えない。
レッスンでこれをやれば、30分のレッスンで文を一つか二つしか扱えないようなことになってしまう。生徒が自分でやるべきものとして、この三段階目があるのだと言った。しょせん、語学なんて90パーセント以上が自分でやることですからね。10パーセント未満のところに、何をどうするかという「やり方」の問題があるんで、そこがトンチンカンな人はとても多いから、このレッスンの存在理由があると、いつも言っていることも言った。 レッスンは、生徒に三段階目をやれるところまで連れていく。だけど、三段階目をやるかどうかは、生徒次第なのである。
「で、ここからは損得の話で、まあ、あんまり品のない話ですがね」と前置きした。
三段階目ですね。がんがん口を動かして、音を限度まで圧縮すると、覚えようとしなくても覚えてしまう。頭が暗記するのとはまったく違って、「口 の動きとして覚えてしまう」。だから、文がまるごとすぐに口に乗るようになる。つまり、アウトプットができるレベルのインプットができたことにな る。そこまでやっちゃうのが、絶対に得です。そこまでやらないと、絶対に損です」。
「文まるごとが、楽に口に乗るようになっていると、その文は変形させることも楽にできます。単語を入れ替えて別の文にしたり、時制を変換したりするのも楽にできるようになります。文法の理屈なんかは、とても楽に了解できるようになります。だから、自動的にアウトプットに転じるようなインプットをするのが絶対に得です。語学には『絶対に得』ってものはあるんです。だけど、多くの人たちが『絶対に得』という練習領域に入らない。だか ら、損をし続けています」というふうな、損得の話をした。そうとうに手前味噌なことも言った。
そんな話も、正月にメモしたものを普段のレッスン時に何度も見ていたからできたのだった。
その頃に、小川さんの停滞がどんな形をしているかも見えてきたのだった。長いことわからなかったものが、ようやく見えてきたのだった。
それは、初心者や中級者と同じ問題が上級者にもあるということだった。それは中級であるとか上級であるとかは関係なく、日本語で育った平板な音がベースにあるということだった。それに意識的でないと、何をどうすることで音を鍛え込むのかに意識的になれないことでもあった。
具体的には、「引き締める」と「つなげる」の二律背反を二律背反のままに放っておくのではなく、二つを「両立」させてしまう必要があることに意識的ではないのである。下手な命名をすれば、上級者の場合は二律両立がメインテーマとなるべきなのだが、それが正面の問題になっていないのである。
これは小川さんに限った話であるはずはないと思った。英検1級を持っている人を例にとれば、その8割以上の人に小川さんの「音の問題」は当てはまるだろうと思った。9割以上かもしれない。

なぜ意識的でなければならないのか。それは、なぜ長いこと「磁場」と言い続けてきたのかというのと同じことだ。
こんなふうに音を鍛え込む必要があるのは、英語の「磁場」がないからだ。あるのは、英語にとっては強力な酸性雨となる「日本語の磁場」だけで、 「英語の磁場」がないからだ。
「磁場」に生きていれば、「磁場の磁力」がインプットを助けてくれる。日本に生きていれば、それがないどころか、「日本語の磁場」は、少しくらいの練習の成果を短時間に真っ赤に錆び付かせてしまうくらいに強力なのだ。少し練習した程度の英語は、みんな日本語が「引きずり降ろしてしまう」。
だから、あの自動的にアウトプットに転じるまでのインプットの質が必要なのだ。逆に言えば、英語の「磁場」があれば、そこまでのものは必要ないのである。

日本で英語をやるということは、茶室の静けさ、以心伝心の補助でしかない言葉、明瞭さの排除などに逆らうことだ。いや、そんなところにとどまらない。
日本語の自然な生理そのものに逆らうことなのだ。
19歳の頃、アメリカ文化にはまるで興味がなかった私が、なんで英語のインプットにはのめりこんだのか。日本語の自然な生理に逆らうことで初めて私に生じる欧米系の思考が面白かったのだ。文明や文化の元になっている言葉そのものが面白かったのだ。
吉本隆明の使った言葉で「逆立する」という語がある。読みが正しいのかどうかわからないが、私は「ギャクリツする」と読んできた。語学が面白かったのは、ギャクリツするのが面白かったのだ。もしも万が一、私が語学の地平で正立してるのなら、今日まで生きてきた過程の全体が、いきなりギャクリツしちまうじゃないか。
ギャクリツしてるのは、逆に語学的行為そのものだろうと考えたのは、語学でメシを食い始めて以後のことだ。
ああ、ほんとにギャクリツしてる、と眺めるのも面白かったのだ。どっちが正立なのか、どっちがギャクリツなのか。世間では「たかが語学」だ。だけど、正立、ギャクリツは、どっちもどっちだの関係でシーソーみたいに揺れるときがある。脳梗塞をやった私の、日常のめまいのように、世界がゆらゆらしたのだ。

それがなければ、語学なんかやりはしなかっただろう。

 

 

屑だなと思った2月2日

根石吉久

 

薪割り

 

タナカさんが芝の上で坊やと遊んでいた。長野の2月2日、真冬だが、芝の上でタナカさんと坊やが遊んでいた。ありうることなんだな、天気がよかったからな、と、2月3日、朝4時40分に思う。俺は駄目だな。2月に枯れ芝の上で遊ぶのは俺はもう駄目だなと思う。

2月2日午後2時頃のタナカさんちの枯れた芝。タナカさんと坊やが枯れた芝の庭にいたことを思い、ありうることなんだなと2月3日、朝4時40分、いや、もう50分。

タナカさんちの庭先で、口からでまかせを言った。「これだけど、うーんと、長野県交通災害、うーんと、共済って。交通事故の保険みたいなやつ。6日の日に、また俺、回って、入る人の申込書とお金集めて歩くんだけど。中に説明のチラシあるから読んでもらえばわけるけど。6日の日にまた来るけど」みたいなことを言った。でまかせだというのは、何をどう言おうかとあらかじめ何も考えてなくてしゃべっているからでまかせだというのだが、そこでほぼ定型ができた。二軒目三軒目から、定型でしゃべる。

屑だと思いながらのことだった。
毎回同じことを言う。屑だと思い、同じことを言う。

「長野県交通災害共済の加入申込書ですが、6日の日に申込書とお金を集めに回ります。市報の中に説明書がありますので、よろしくお願いします」みたいな定型。その時によって、多少の違いはあるが、定型はあって、違いは定型との違いに過ぎない。屑だなと思いながら、一軒一軒で定型を言う。こんなもの、市の職員がやればいい。金は市に納めろというのだから、県と市がグルになって、常会長にやらせている。説明書と申込書を配布するくらいはやってもいいさ。申し込みたい人は市に電話するなりして、後は市と個々の家の間でやればいいじゃないか。
チャイムを押す。「どなたですか」とチャイムのスピーカーから声が出てくる。「常会長の根石です」と言う。奥さんとか旦那さんが出てくる。定型をしゃべる。屑だなと思っている。2月2日に申込書を配って、6日に申込書と金を集めて歩き、その日では具合が悪い人がいれば猶予の何日かを設け、潮時を判断して金融機関か市役所に行って金を納め、各戸分の領収印をもらい、また常会の中を回って領収書を配って歩くのだ。交通災害共済だけで、3回も回らなければならない。屑だ。
2月2日2時頃から、竹林の湯のチラシ、講演会のチラシ、議会だより、公民館報、シルバーセンターニュース、社協だより、ネット上での確定申告のやり方の説明書、健康ニュース「お持ちですか?おくすり手帳」、忍たま忍太郎キャラクターショー&キッズコンサートのチラシ、いもじや新聞などを一部ずつ重ね市報にはさみ込む作業を始めたが、それに1時間以上かかっている。途中で、交通災害共済の申込書と金を回収して歩く日を決めちゃった方がいいなと思ったから、パソコンを立ち上げた。
「常会員各位 平成26年2月2日 長野県交通災害共済申込書の回収について 交通災害共済申込書と関連のチラシを、市報その他と一緒に、いったん各戸に配布します。2月6日の午後と夜を使って、申込書を回収する予定です。この回収日にお留守になる等、都合が悪い方は、272-××××、または090-4181-××××へお電話いただきたくお願い致します。夜に仕事をしている関係上、金曜、土曜、日曜、月曜の夜は回収にうかがうことができません。事情をおくみ取りいただき、ご協力をお願いします。」というものを35部印刷した。挟み込みの途中まで済んだ分に、プリンタで刷ったものを追加し、また各種チラシ等の丁合をとり、市報にはさむことを継続。

そうか。タナカさんちの枯れた芝の上でタナカさんと坊やが遊んでいたのは、2時過ぎということはないな。1時過ぎに白藤で蕎麦を食って、帰宅してすぐに丁合を始めたのだが、途中でプリンタで通知みたいなものを印刷しているのだから、最初の家のタナカさんちへ行ったのは、3時を過ぎていたかもしれない。
チャイムを押しても誰も出てこない家もある。その場合は、交通災害共済の申込書を市報に挟み込み、郵便受けに入れ、次の家に行く。人が出てくれば、定型文を言う。屑だ。なんで屑だと思うのか。とにかく、いきなり、屑だという思いが胸に湧く。

つまりこうか。きのう、薪割り機が故障したのだ。だから、今日はチェーンソーを回したかったのだ。

薪割り機には、油圧で丸太を押すために移動する鉄の四角の固まりがあるが、それが二箇所で二本の丸棒に溶接されている。溶接の片方が剥げてとれたのは、もう2週間以上前だった。明らかに、溶接の仕事の質が悪いのだとわかった。無理な力がかかり、丸棒が曲がってしまったとかいうのではない。単純に溶接の質が悪いから、丸棒の形はそのままで、溶接で変形した鉄の部分が「剥げた」あるいは「とれた」状態だ。薪を鉄の固まりに当てる角度を工夫すると、一箇所しか丸棒とつながっていない状態でも薪は割れた。片方の溶接が弱く、もう片方の溶接は頑丈につながっているのだとわかる。ぎいぎいという音ときいきいという音の混じった不快な音を我慢して、2週間の間に3度ほど薪を割った。それが昨日いよいよ止まってしまった。ぎいという音をたてて、薪割り機の鉄の固まりが動かなくなった。
孫に手伝わせて、薪割り機を軽トラックに載せた。長野の外れの吉沢金物店まで行く。途中近道をしようとして、住宅街へ迷い込み、ふらふらしてまた国道に出た。金物店に着き、薪割り機を見せると、店の人もすぐ溶接が弱く「とれた」のだとわかってくれた。保証は効かないと言われる。それはわかっていると応え、「部品の金は払うが、修理の手間賃は払いたくない」と言う。吉沢金物店の人は、「メーカーに強く言っておきます」と言ってくれた。こういう話がすぐに通じるのは気持ちがいい。しばらく油圧のオイルを見てないから、オイルを足しておいてもらいたいと注文を追加した。わかりましたと、店の人が荷札にそれをメモし、機械にくくりつけた。見通しがよくていい。ごたごたすることはないだろうなと思う。つまり、手応えがある。「急ぎますか」と聞かれる。「急がない。この機械が使えない間は、チェーンソーで木を切る仕事をやってればいいから、急いでもらわなくても大丈夫だ」と応える。具体的に修理に必要な時間が一週間程度になるか二週間程度になるかわからないと言っているのだとわかるし、3ヶ月、半年先のことを言っているのではないのだともわかる。「急ぎますか」だけでそれがわかる。話がぽんぽんと通じるのが気持ちがいい。
いつ頃からか、日本語で話が通じなくなることが増えているという気がする。明らかにメーカーの仕事の質が悪い場合でも、メーカー側に立つ店があったりもする。あるいは、今回の件で言えば、修理を3ヶ月も半年も放置しておいて、「急がないと言ったじゃないか」と言い出す店員がいたりすることだって、今時はありうるのだ。何かが崩れてしまっている。
吉沢金物屋で、「一週間か二週間程度の話ですよね」なんてことは言わなかった。言おうか言うまいかなんて迷うこともなかった。そんな考えは、今これを書いているから出てきた考えで、吉沢では考えなかった。「急ぎますか」。「急がない」。要点はそれだけだ。男は黙ってサッポロビールだ。

翌日、白藤で蕎麦を食いながら、市報配布をやらなければいけないな、やだな、と思った。やだな、だけど、やらなければいけないな、と思った。丁合をとるのに1時間、配るのに1時間もあればいい。夕方にはチェーンソーのエンジンがかかるかどうか調べることができるだろうと思ったが、交通災害共済の申込書などというものがあったので、いつも通りの丁合1時間配布1時間では済まなくなった。通知を書き、プリンターで印刷しなければならないということも出てきた。各戸で、申込書の回収の日をなるべく口で伝えることも出てきた。

途中で、今日中にチェーンソーを調べることはできなくなるかもしれないと思った。実際にその時間がないとわかり始めた頃から気持ちがつまらなくなっていった。

俺は、チェーンソーを回したかったのだ。ギィーンと音をたてて、あの腐れ校長の首をチェーンソーで一瞬に落とす幻なんか胸に秘めてみたかったのだ。木くずを飛ばす乙女心だわ、うふん、てなもんや三度笠! それができなくなった。

一軒ずつ配布物を配りながら、定型文を言いながら、屑だと思った。本来、市が自分でやるべきことを常会長にやらせていやがる。屑。ごたごた言うと、やたら時間がとられるから言わないが、ここに書き記すことはする也。

災害共済の申込書には、一軒ずつその家の世帯主の名前が印刷されている。どの家にもまったく同じものを配ればいいのではない。郵便受けにまったく同じものを投げ入れるだけでは済まない。その家専用の申込書を束から一枚ずつ抜いて渡さなければならない。市報や議会だよりなど読まない家もあるはずだ。わが家も読まない。つまらないから。ただ市報に挟んでおくだけではまずいだろう。一軒ずつチャイムを押して人に会えれば、6日にまた来ると、じかに話した方がいいだろう。だからそうした。常会35軒を回り終わったらぐったり疲れた。帰宅したら6時過ぎていて、塾の仕事に遅刻した。帰宅するまで、屑だという思いが持続した。

夜10時頃、村田君と塾の会計をする日だが、疲れたので次回に回してもらう。
昼間、白藤で蕎麦を食っている時だっただろうか。フェイスブックのメッセージで、さとうさんからこの原稿の催促があった。それはやる。だけど、ちょっと休みたいと思い、布団に横になったら、そのまますぐ眠ってしまった。
朝方4時に目が覚めて、台所に行ってコーヒーを淹れ、炬燵に戻って書き始めた。ぼんやりしながら書いていたら、少しアタマがはっきりしたような気がした。ここまで書いたらまたタルンでいる。
脳に酸素がうまく行かないのだろうか。
また脳梗塞予防の薬は飲んだ方がいいのだろうか。もう3ヶ月くらい飲んでいない。

 

 

今夜、車のラジオでデュファイのミサ曲を聴いた。

加藤 閑

 

蓮根

 

今夜、車のラジオでデュファイのミサ曲を聴いた。

わたしは仕事の関係上、週の大半を茨城の土浦で暮らしている。土浦は日本一のれんこんの産地だ。この絵のれんこんは、数年前武井農園の奥さんからいただいた。わたしが絵を描いていることを知って、絵になりやすいように葉っぱを一枚つけて掘り出してくれたのだ。その夜のうちに絵を描いた。あの頃の方が今よりよほど早く描けた。まだ少しは若かったのと、あれこれ迷ったりせずに集中できた。

ミサは「キリエ」から「アニュス・デイ」に移っている。

わたしは毎日れんこん畑の中の道を走る。この道はわたしが土浦に来るようになる直前に開通した道だ。最初の年(もう十五年以上も前のことになる)はとても雨が多かった。4月から通勤がはじまったのだが、なんだか来てすぐに梅雨になったような感じだった。この道路もできたばかりで、車の通行も今よりずっと少なかった。毎日のように雨が降っていたので、両側のれんこん畑と道路がほとんど境がないように水浸しになった。そこで不思議なものを見た。

道のあちこちに小ぶりの魚のようなものが横たわっている。白い腹の方を上にして、中にはなまなましく血の赤い色が見えることもある。魚が道路に打ち上げられるほど雨が降ったのだろうか。

雨に煙ってひろがる関東平野に、白い生き物の死骸が点々とある中をわたしは走った。雨が風景からあたう限り色彩を洗い流してしまって、視界はほとんど無彩色と言ってよい。その中に血の色のまじる白い物体の鮮烈さ。

デュファイのミサは、もともと彼が若いときに書いた祝婚歌「目を覚ましなさい」を基にしているらしい。だからこのミサも「目を覚ましなさい」と呼ばれるとのこと。それを聴いていて、なぜか十数年前の水に覆われた陰鬱な光景を思い出していた。

何日かして、あの白い腹を見せて横たわっているのは、実はヒキガエルだということがわかった。道路ができたことなど、蛙の預り知らぬこと。以前は行ったり来たりしていた道路の反対側にちょっと出かけてみるかとばかり道の上に出たところを車にはねられ、あえなき最期を遂げたのだった。

しかし、今夜古風な合奏を伴なうミサを聴いて思い出したあの白い死骸が、どうしても魚に思えてならない。そんなことがあるはずはないことは分っている。分っていながらここは雨の日には魚が道路に打ち上げられる夢の中の町のようで、わたしはいつまでも目的地にたどり着けずにさまよっているのだった。