水の玉

〜志郎康先生を偲んで
 

正山千夏

 
 

大学のゼミの部屋を覚えてるかい
21歳のあたしは

ポラロイドカメラを持って
河原でマーガレットの写真を写した

ワープロというやつで
嬉々としてよそゆきの文字を刻印した

赤いベースをかついで
三角形のピックで滅茶苦茶に引っかいた

ただの水の玉だった
詩の授業なんてクソ喰らえだ

白いロッカーみたいな
ゼミの部屋を蹴飛ばした

螺旋になっていたのかも
うずまく力でかろうじてまとまっていた

何者でもない
私のからだ
今もあの時も

その私の手が
その私の脚が
どうなってるのか
みてごらん

あなたは私にそう言った
ゼミの部屋を覚えてるかい

 

2023年8月27日
正山千夏

 

 

 

まぶしい夜

〜志郎康先生を偲んで
 

正山千夏

 
 

右足を引きずって歩く
右の仙腸関節も神経にさわる
泣くこともできず
静寂の爆音にただ打たれてる

1993年の裸のラリーズ
川崎のあのハコで
膝を抱えて座ってた
からだの外と中の闇

無音の洪水に身をゆだねれば
時空が消える
充満する真空のなか
ゆらゆら揺れているんだ

忘却は記憶しない
ただ再生される音の波だけが
ひどくまぶしい夜
今も揺れているんだ

 

2023年8月27日
正山千夏

 

 

 

雨止んだ

 

正山千夏

 
 

小雨がやんで
夜のとばりがおりる

折れてしまった枝
転がって土にかえる

干からびてゆく
地表のような肌

小雨がやんで
夜のとばりがおりる

ひび割れの下に
真新しい赤い皮膚

翻弄される
木の葉のように飛ぶ

花を忘れるほどに
枝ばかりの夜空

だからなんなのか
舵を取れている者は幸せなのか

小雨がやんで
夜のとばりがおりる

こころを真空にして今は
歩いている

 

 

 

雨粒でいっぱいだ

 

正山千夏

 
 

細かい雨粒が
メガネのレンズにいっぱいだ
夏の終わりの夜の雨
ワイパーは動かない

私は歩き続ける
風がそれを
蒸発させてくれることを
期待しながら

東京はこんなにもいっぱい人がいて
孤独な人も同じくいっぱいだ
自分を孤独に追い詰めて
自分どころか他人を許すこともできず追い詰めて
自分ですべてを終わらせてしまった
あの人もきっと孤独症

人ごとなんかじゃない
自分も同じところにいる気がしてる
努力に見返りなんて求めない
なんて言いながら

愛ですら簡単に
ひっくり返って憎悪になる
承認されない魂のやりどころ
抱えて不眠になる夜
いっそ透明になれればきれいだけれど
生まれてきたのはなぜだろう

関わりあいたいのはなぜ
否定されても理解されなくても
思いを差し出して
傷ついてしまうのはなぜ
刺されれば
死んでしまうのはなぜ

ひとりじゃないのにひとりだ
ひとりなのにひとりじゃない
メガネは雨粒でいっぱいだ
土砂降りじゃないのにいつのまにか
闇にしっとりと濡れている

 

 

 

蝉を詰める

 

正山千夏

 
 

アスファルトの間から
のびる草が
あまりに鋭く空を突き上げる
月影

短い夏にさようなら
道に蝉たちが転がる
あたしが蹴飛ばす
慟哭

いくつものあいた穴に
ひとつひとつ蝉を詰める
まだ熱いアスファルトに
接吻

土砂降りの雨が
流れ込む
いつか押し開けて
薄緑色の羽を広げますように

まっすぐと天にむかって
それはすっくと立っていた
もうないてはいなかった
羽もふるえていなかった

アスファルトの間から
のびる草が
あまりに鋭く空を突き上げる
跳躍

発芽する種子
もしくは時限爆弾
朝になればまた
灼熱の太陽に眩んでしまうから

いくつものあいた穴に
ひとつひとつ蝉を詰める
それは無限の可能性を秘めた
抱擁

 

 

 

やいま

 

正山千夏

 
 

南へ南へと飛んでいく
焼けつく光がひたいを焦がし
福木の木蔭でひと休み

島唄をうたってよ
焼けた肌黒い瞳の彼に導かれ
どこまでも碧い海にもぐれば

青や水色、むらさき色
色とりどりの珊瑚と
それに群がる熱帯魚

一緒に泳いでいたら憶いだした
夕焼け、泡盛、月夜の踊り
遠い昔の先祖の祈り

見上げれば空一面に散らばった星々
耳を澄ましていつまでも聞いていた夜
嗚呼、こんなに遠くまで来てしまったよ

 

 

 

夏至の新月の夜

 

正山千夏

 
 

右の卵巣が死んだ
お赤飯を炊いたのは12歳の初夏だったか
それともあれは春の終わり
長いお付き合いだけれど
知ったのは意外に最近
交互に排卵してるって

西の魔女が死んだ?
いつもきまって痛む卵巣があった
右だったかそれともあれは左だったのか
長いお付き合いだけれど
始まったのは意外に最近
排卵痛は断末魔の叫びだったのです

かたや左の卵巣はまだ血を流し続けてる
周期は2倍になり
PMSも2倍になる
流すための血をつくるために
ため込むさまざまなものたちも

夏至の新月の夜
わたしはまた血を流した
あと55日でわたしは50歳になる
からっぽの右の卵巣のなかで
風の吹く音だけがひゅるると鳴っていた

数字はゴーゴーゴーというけれど
いったいどこへ行くのか
泣いていたのは
わたしのなかの女の子
道がごった返して迷子になっている

いつでも先に行きたがるあたしたちや
いつでも後ろが気になるあたしたち
今この瞬間のたったひとりのわたくしが
それら亡霊たちのあいだで
蜃気楼みたいにゆらゆらとゆれながら
女の子をあやそうとあたふたしてる

夏至の新月の夜
わたしはまた血を流した
陰と陽 逆転の瞬間に
からっぽの空は真っ暗で
そして闇は湿気で満たされていた
女の子の泣く声は遠くでか細くつづいてた

 

 

 

ビーツ

 

正山千夏

 
 

君にビーツをあげるんだ
真っ赤な血のしたたるような
ビーツを口うつしで

あなたの歯が赤く染まる
あたしたちはAIでもビッグデータでもない
真っ赤なビーツをかじるふた組のしゃれこうべ

ハートビートを聞いて
真っ赤な血のしたたるような
心臓にツメを立てる

あなたの舌が赤く染まる
あたしたちは愛しあっている
真っ赤なビーツをかじるふた組のしゃれこうべ

 

 

 

新型コロナ星から愛を込めて 2

 

正山千夏

 
 

火曜日の公園
まばらに家族たちがはしゃぐ
キラキラ輝く光にとけて
ウィルスは目に見えない
なんと素敵な光景か

私は葉桜の下を歩く
いつもより料理に時間をかけ
ゆっくりと食事をする
洗濯に布団干し
身の周りを清め
好きなところで仕事をする

私は好きな音楽を聴く
雨上がりの芝生の匂い
風が小さな桃色の花びらを届ける
ヨガと瞑想、読書
人間の理想的な生活とは
こんな風ではなかったか

ただ唯一
足りないものがそれだ
濃厚な接触
握手、ハグ
何気ない会話
深く見つめあう目と目

ただ唯一
あの人に会いたい
人肌、口づけ
耳元で聞こえる息づかい
混じりあう汗
からみあう指と指

 

 

 

胸騒ぎの春

 

正山千夏

 
 

春はざわざわする
見えないところで
なにかがうごめいている

地下を流れる川が
ざわざわいう
都会の音は入り交じり

そらから見たら
大気圏の下でうごめいている
いきものたち


の皮膚の下でざわざわいう
創造性が低い沸点でわく

夢でトイレの床をふく
汚れた血が
きれいになってった

目が覚めて
カーテン開けたらガラス越しに
胸騒ぎの春がはらはらと散るのがみえた