四万十の風を

 

ヒヨコブタ

 
 

人の命や一生について考えさせられる日々にいる
元気だった父の容態が突然悪化し
呼吸器をつけ眠っている
24時間そうなってからしばらくになり
最初の慌てふためくじぶんから
まだ諦めぬというじぶんに変化した

嫁になったわたしに父は言った
今日からはほんとうの娘のように思うと
孫も産めなかったわたしに
つらくあたることもなかった

そのひとのルーツは大変にこみいったもので
つらくさみしいこともこぼすことなく
息子と娘、そしてその孫をひたすら愛している

よみがえってほしいと毎日何度も祈る
そしてそのひとがまだ見ぬ四万十の水がたゆたうところへ一緒に行くと決めている
そこがルーツなら、わたしも見たいのだ

戦時中の話、たまたま疎開していて空襲からは逃れたとき、夜汽車で握り飯をもらったと
まだ幼かった父のそれからは過酷だったろう

母だった祖母が奏でる三味線
桜並木が美しいと移り住んだまち
裕福と健康からは遠かった若い父は
派手なことは望まぬ囲碁の名手だ

もう一度、息子と囲碁ができますように

叶えられぬとは思わない
わたしは最後まで諦めず
父に四万十の風や景色を見てほしいと思っている
先に旅立った私のすべての身内に
まだ来ぬようにと追い返してもらおう
そう強く、何より強く思っているのだ

 

 

 

ヒロシマをみるひと、立ちどまるひと

 

ヒヨコブタ

 
 

そのひとがヒロシマに降り立ったとき
わたしはなんとも言えぬ気持ちになった
祖国で多くの犠牲があり、その只中にいる国のリーダーが
ほんとうにヒロシマに来るとは心底驚いたのだ

わたしはいつも戦争が嫌いだと思って生きてきた
何もうまれずそこに誰かの欲があからさまに見え
そのために多くのひとが日常を奪われる
ときに命も

まったく理不尽なことだと思う

そのために時折わたしは涙する
平和というあたりまえに平等に皆が得られるはずのことがなぜあたりまえに得られぬのか
時折怒りで震えるほどだ

幼いわたしが夏の日、原爆資料館を訪れたとき
あまりの残酷さにトイレに駆け込んで胃の中のものをすべてもどした
そこに溢れる過去の現実が苦しくて
心配そうにもう出ようという親を振り切って
最後まで展示を見た
10に満たないこどもでもわかる、見なければという現実があった

過ちは繰り返さないという思いは叶うのだろうか
わたしにはそれすらわからない
あんなに恐ろしい現実からまだ100年も経たぬのに
世界の一部は核を容認し続けている
どこの誰にも他者をあんな目にあわせる権利などない

相手が武器を持つからこちらも武器を持つ
そういった考えを心底悲しく、憎む
1つの武器を得れば、強くなるはずもない
武器は弱さの象徴だとわたしはずっと涙する

なぜこんなイタチごっこを繰り返すのか
過ちを繰り返すつもりなのか
わたしはそれがなくなる世界をいつも待っている
そのままこの星ごと壊されたとしても
わたしのこころや他の平和を求めるひとのこころまで
どんな武器も壊すことはできない
わたしが影のように石に焼きつけられるなら
望むところだ
愚かなことをしようとするなら
わたしから奪えとさえ思う
わたしごと総てを誰かが奪おうとしても
わたしは最後まで平和を希求するだろう

わたしの生まれた夏、それはいつも戦争が愚かだと知らされる夏だった
この夏もわたしは思うだろう
より強く思うだろう

最後の被爆国としてこの世界が平和を取り戻せますようにと
こどものわたしからの宿題を頑なに
願い続けるのだ

 

 

 

一方的な分断からの融合実験のように

 

ヒヨコブタ

 
 

日々夫側の両親に気持ちをよせていると
学びもあり、悲しみもあった
実親に抱きしめられるより突き飛ばされ遮断を何度も感じては苦しんできた人生なのだから
もう何も期待しないようにと
今回上京した両親や兄弟にやっと会う

5年ぶりだというその人は
思った以上に年老いて
あんなに口やかましかったひとがおとなしくなり、
さらに耳の遠くなった父は
幾分元気そうで
ふたりで寄り添って助け合って暮らしているというのは
大げさではなかったのだとこころが揺れた

祖父母と母の関係が逆転したときをわたしははっきり覚えている
逆転というのはどちらかが偉ぶるのではなく
老いていくひとに母が優しくそして少し強くなったのだ
控えめにいては出来ぬことがあったのだと
今更ながら思い返している

きょうだいは厄介なままで
正直何を考えているのかわたしにはわからない
わからないと言ってしまえるほど
思考の方向が異なっている人だから
それでも険悪になりすぎずにこのままなんとか保てるだろうか
期待しすぎないように
そろそろと、わたしは年なりの親への接し方をゆっくり重ねていけたら
すっかり緑濃くなった桜の木を見上げた

 

 

 

桜がひらくと

 

ヒヨコブタ

 
 

春がきたらしいと近くの桜が告げて
苦手な季節なはずも
すこしこころやわらぐ
きれいということばがこぼれでたとき
胸の中の鉛が軽くなる

気のもちようとはよくいったものだね
もういない人たちを思い彼らに話しかけるように過ごす
苦痛とは人生で比べようもなく
欲を出せば幸せなどどこまでも手に入らないだろう
それを忘れぬようぎゅっと手に力をこめる

親やその上の人たちが苦労していたことを思い出して気を引き締めても
彼らはいつもやさしく微笑むのみだ

老いていくひとのほんのささやかな願いを
どうしたら叶えられるのかわからずにいる
わたしが思うほど悲しみを感じてはいないのかもしれないと気がつくとき
体の力が抜けて座り込んでしまうのだ
そんなことがあっていいのだろうか
悲しみに囚われすぎても何もうまれないときは
眠る

じぶんが微笑むと相手もこころ開いてくれる可能性は高いと思うのに
それがなたで斬りかかられるようなとき
わたしは涙する
心配りは相手の重荷になりすぎぬように
そしてじぶんの重荷にはならぬように
眠る

世界は閉じてはいなくて
誰も一人ではない
そこに傷つけあわないという簡単なルールが見えるひとと
そうではないひとがいるのだろうか
わたしはきっとだいじょうぶになるまで
ぬいぐるみを抱えて
眠る

 

 

 

老いていく人、怒る人

 

ヒヨコブタ

 
 

ひとは怒ってもだいじょうぶだと見下した相手にしか怒りや理不尽をぶつけないだろう
わたしはまたもやなめられていると
義理のきょうだいの横暴に眠れない

じぶんはまだ介護される必要を感じないと
子どもたちも母も困っているというのに
そう言い放ってしまうひとは

嫁という立場は弱いそうだ
発言権がないという意味で

酷いことにならぬための転ばぬ先の杖が届けられないことに泣き腫らしている

当人の意思確認はいつまでできるのだろう
80をとうに超えてもなお頑ななひとの言うことを聞くという他の家族たちよ
なぜそれほどまでにじぶん主義でいられるのか
わたしにはわからない

日々のストレス発散のためにと散財し続けるのもまったくわからない
計画性というのがどこにもなく、困れば持っている人に頼るという
不可思議極まりなくてわたしは眠れないのだ
持っているひとはあなたの財布ではないのだと横っ面をひっぱたきたくなる、真夜中
何も意味がないことがわかるぶん、涙している

わたしには子どもとの縁がなかった
良かったのかもしれないとこういうときつくづく認める
その反面、更に悲しくもなる
夢見た現実は、夢でしかなかったと

冷静に気分を変えろという声が聞こえる
お前だけ悩んで悲しんでもしかたないと
よし、と踏ん切ることもとても大事なのだから
よくよくわかっている
ここから一旦離れよう

 

 

 

書くことへの執着を突きつけられて

 

ヒヨコブタ

 
 

本に囚われているような日々
もう何度も読み返しては毎日そのなかに入りこむ心地よさに嬉しく、また少し悔しい

わたしにはなにが書き残せるのかと
突きつけられるようなしゅんかんが痛くてまた心地よいのだ

この作者は一体何を思いこのストーリーにたくさんのひとをひきずりこめたのだろう
わたしは考えても仕方ないそれらに
頭の中半分程はしびれている

かつて今よりも真剣にそれこそ寝る間も惜しむレベルで書き散らしていた
それがじぶんができる唯一と信じて
わたしはなぜいまそれをしないのだろうか
あまりにその答えは狡くて現実的なのだ

死ななければいけないと思っていた日々にそれがあり、かきのこすまでは死ぬ訳にはいかないと取り憑かれていた
死ななくていいのだ、いつかその日がくるまではとわかったとき
あまりにホッとしてあまりに残酷にも思えた
いやそれは幸せなことなのだ
生きていていいのだとわかり、疑いながら生きていると
かきのこすということの意味も
また変わりつつある

わたしが書きたいのは
今頃地吹雪がすさまじく、春を待つあの地の人々のこと
それは何十年と変わらないというのに
わたしは本を読み返してはその心地よさに引きずられているのだ
なんという自堕落で幸せな日々なのかと頭を抱える
子どものように地面に寝転がってバタバタ手足を動かしたくもなる

このマスク1枚に護られた日々は
変わりつつあるらしい
持病を悪化させればわたしにも書く時間などないだろう
叫びだしたくなる恐怖と穏やかな日々は相反してもなお存在する

わたしは書くだろう
それを指命と思っているかぎり
何度でもジタバタするだろう
幸せで残酷な日々に

 

 

 

今年もくれてゆくこと、述懐するのは

 

ヒヨコブタ

 
 

黄色く色づいた葉を眺めるとこころおちついていたのがすっかり落ち
真青の空に枝が広がる
ニュースは悲しいことも多くて
笑ってばかりもいられない

ひょんなきっかけで読み始めた作家の著作を、どんとまとめ買いし少しずつ毎日暑い読んではクスリとしたりゾッとしたりしている
わたしは、ねじ曲がった人が好きなのだろう
主人公の名前たちの強さと曲がりかたに
わくわくもする

出汁と大量の野菜たちと取り組む年末が来て
どうやら今年もなんとか越せるかもしれないと安堵している
毎年、一年一年少しずつだけれど
変化するさまざまに
振り回され楽しみ悲しみながら今年も過ぎた
来年がどうなるかは
本の中の主人公たちのように
結果を知るのはずいぶん先だろうか
ゆっくり、できるなら、ゆっくり生きていたいと心から願う

この町では除夜の鐘が聴こえない
雪もしんしん積もらない
それでもわたしは
聞こえない除夜の鐘を聴き
雪を踏みしめるだろう
うっすら夢現に

 

 

 

冬の中の流れることばをとめて

 

ヒヨコブタ

 
 

好きな歌手の歌詞ばかりを集めた詩集のようなものを数冊パラパラとめくっては
この数十年を思っている

この歌が大好きだった頃は、と
あまりに輝かしいこととは無縁だと思っていた
その頃のじぶんの若さ
このまま這い上がれずに沈んだままなのかと怯えたいくつもの夜

通い慣れたカウンセラーは
昔精神科というものがコンビニのように立ち寄りやすく、奇異なばしょではなくなることを願っていたという

その数十年、這いつくばって生きてきたわたしは
あの頃のようには絶望もしない

世界では理不尽がまかりとおるのにも
憤慨することは変わらないのに
わたしじしんというのは
変わっていくものだとそれじたいは受け入れることができるような齢にはなったのかもしれなくて
それがあまりに残酷な裏表を持っていることもわかるから
時々は思いきり涙を流す
誰のための涙なのか
わたしじしんがまだ理不尽をゆるせず
人ではなく、人の中にたしかに感じる理不尽と戦っては涙する

年老いた人達と数少ない兄弟に
送った手紙は沈黙の返事しかない
もう大丈夫だよといっても意味がないことも
少しは、のみこまなければならないのだろう
のみこみ、咀嚼して強くなりたい

ああ寒い冬が
わたしのこころには優しい
寒い冬や雪はいつも味方だと思う
そこになんの汚れもなく、しんと冷え切って
わたしには静けさが残るから

ぱたりと倒れながら、涙しながら
今日も冷えた空気を受けて、少し歩く

 

 

 

書くことでゆるされるという思いが、ある

 

ヒヨコブタ

 
 

手紙を書いた
手紙というよりも訴えになっていた
可愛らしい便箋で11枚になってしまったそれは
お願いだから、もうやめてと
大切に思っているひとたちに書いたもの

わたしの現状を知らないひとたちに
知ろうとせずに、頭がおかしいと決めつけているひとたちに

なぜこうなったのか、そしてなぜこんなふうな手紙を書かねばならぬのか
わたしにももうため息すら出ずに
暗闇で小さくなっていたいと思うほどの

ひとを変えたりしようとは思わない
それはできることではないのだ
知っている
けれどもそれが偏見に満ちたものでわたしを切り刻んできたものなら
変えてほしい、無理でも
せめて知ってほしい、それを綴った

下書きは倍以上だったから
要点をなるべく纏め、脱線し過ぎぬように
警戒を解けるように

もう届いて幾日にもなるが
どうやらこれも受け入れられるものではないようだ
わたしは、そんなとき落ちこむ
当たり前なのだけれど
落ちこんで闇のほうをみてしまいたくなる

けれども踏ん張って
今まで通り踏ん張って生きている

誰かが言うこと、することに100%の正解があるとは思わない
同時に100%の間違いがあるとも思わない
ここで、わたしとその人たちはすれ違ってしまう

そのことが、大変に悲しい

考えるのをやめ、何かを盲信してしまうのが
一番親しかった家族であるというのが

事実ではないことで今まで幾度責められたろう
わたしが嘘をついていると幾度責めれば
彼らは安定したのだろう
そこに本当の温もりなどないというのに

じぶんを、来し方のじぶんを美化する気など毛頭ない
お願い
今回だけは読み深めてほしい
できれば抱きしめてほしい
泣きながら思っている
こころが泣きながら感じている

けれども少しほっとしている
わたしがやさしい嘘をつかなくていいことに
彼らを必要以上にほめたたえなくていいことに
もう気がついたから

 

 

 

もうケーキを焼かなくていいよ、の夏

 

ヒヨコブタ

 
 

8月の誕生日、その前後の子ども時代の後遺症が体やこころからとびだしてくる
もらえなかったのはものじゃなくて気持ちだった
ほしかったのも、誕生日を喜ぶふつうの親だった
わたしはもう、ひとのぶんもじゅうぶんにケーキを焼いた
誰かが喜ぶのを見たくて
けれども私に焼いてくれる人は現れない

ならばもう焼かないのだ
誕生日はケーキを買ってもらうのだ
ランチも少しだけ豪華に
後遺症を慰める薬にはなるかもしれない

親が祝わなかろうと何もない普通の日と変わらなくてつらかろうと
わたしはそんな子どもたちに伝えるよ
あなたが生きていれば嬉しい

ごちゃごちゃに絡まったただでもややこしい世の中が更に絡み合って息苦しい
心臓が苦しい時もある
さてもうここまでというときまで、
誕生日ケーキをほおばる夏でいい、これからずっと