「今年」の終わりとは日々とは

 

ヒヨコブタ

 
 

毎日なにかが終わっていくのだとして
新たに始まることも始めることもおそれすぎることもないのだろう
ほんとうには

予測などつかないことばかりの日々がいつのまにか人生などと名づけられうまくいかなかったところをあげつらわれるように感じても
ふりかえればいっしゅんなだけにもみえて

考えていきるという分野が異なるだけのすれ違うひとびとが
温かさを持っていないと思えば生きていくことすらわたしには不可能だったろう
考えないという選択肢がある前提で

きらきら輝きがみえすぎるのは眩しくて
それだけのひとがいないと知っていても目を閉じてしまう
眩しさは素敵だと思うことへの反応のひとつなのか

いつ終わるかは知らずにいる
でもある日不意にそれを告げらたなら足掻くだろう
今までと同じように

同じことばを読んでも
同じ体験をしても
重なりあわぬことの方が多い日々に
驚きすぎず静かにそっと息をはけばいい

ことばですれ違うよりそっと
なつかしさを感じる温もりにも頼りながらいようか
温もりはいつでもなにかの奥底から取り出せるように
それだけは忘れぬように

さまざまな色があるように
さまざまな感情とすれ違いおのれのそれさえときに厄介だとしても
ことばのさきにある、もしくはなかにあるものはきっと温かだと信じて

 

 

 

眠り休む秋の先に

 

ヒヨコブタ

 
 

今年の秋の銀杏は
まぶしくさみしくて目をそらした
息苦しさを感じる理由
悲しみの理由それぞれつかみ過ごしながら
どうしたものかと

もっと若かったときの話をするとき
思い出のなかの喜びを話しながら
性急な絶望を思い出す
あれほどのことは今はない
時間に限りがあるとよくよく感じる日々に
安心できぬままでも休むことを選ぶ

ああクリスマスだねと
心踊らないのは悲しいほうの思い出と現実か
それでも
わたしのこころの方向は
楽しみにしたいと
それを選びたいと願っているんだ
みもふたもないことばより
温もりを思い描けたならと
いつまでもすべてが続かないと知っている
善いことも悪いことも
それだけが眩しすぎぬ色づきなのか

 

 

 

oppekepey!な日々に

 

ヒヨコブタ

 
 

あらゆることの悲しみが理不尽に近いなら
それらすべて
oppekepey! とおきかえてしまおうか
ことばのひびきだけに頼ってみるとする

はて
oppekepey! という単語が存在するか
わたしは知らないのだ
それに近い日本語があるらしいことは知りながらね

疲れたなあ、ほんとうにoppekepey!ばっかりだ
それでいい
悪口ばかり拾うときはoppekepey!とつぶやいて
にっこりしてしまえ

たいへんにとてもとにもかくにもめちゃくちゃに疲れはてたのだ
今夜からしばらくはoppekepey! を眠り落ちるまで羊がわりにとなえて眠ろう

いろんな理不尽にもかなしみにも
さみしさにもお守りがわりに
oppekepey!

 

 

 

受けとめず流されながらゆくおろおろと

 

ヒヨコブタ

 
 

花ひと鉢買い求め
水をやる
おそるおそる
枯らしてしまうのが得意で
いつもおそるおそる手を伸ばしてきた

あなたの報せは性急なことではないはずで
それなのにあまりの動揺にわたしはわたしに驚く
自然なことに近いといってもいいほど
緩やかな旅立ちを迎えるあなたの

動揺はあらゆる混乱に繋がるから
あえて断つことを決め
腹も決める
それでも泣くだろうか
わたしは
葬儀での笑いというものをあまり信じない
田舎のしきたりの陰口も

それでも泣くだろうか
なににたいして

旅立つとはなんなのだろう
あなたにとって
わたしにとって
誰もそれを避けられぬなら
あなたも避けたいだろうか

傷ついた街にあなたがいる
今夜もこの世界にいる
わたしのことは忘れたのを知っている
それでいい
手を握る誰かの温もりがあなたに
不安の代わりにあればいい

あなたの傍にいたひとが愛した花を
わたしは覚えている
そしてその鉢をわたしは愛するだろう
そのひとがどう生きたかをも考えるだろう

なんのために

生きているからわからない
生きていないと答のようなものすら見えない
ただ息をして明日を待とう
あなたと

 

 

 

無い地の内地

 

ヒヨコブタ

 
 

ある日突然歩いていく方向が見えなくなる
ときがある
こころに刺さって抜けない刺をどうしたらいいかわからぬ日もある
それでも立ち止まらぬよう陽をよけて歩き
とぼとぼと
ぽとぽとと

思い出すことに救われる日もある
懐かしさが温もりのみのこともある
その真逆のときは
静かにしていようか

かつて故郷で内地と呼んだこの島は
かつての彼らには「無い地」だったのかもしれぬと思う
戻れぬ故郷を
戻らぬと決意して歯をくいしばったひとたちを
ときおり思う

そのひとたちの多くをわたしは知らず
僅かな情報は辿りたいと願った一部のことしか伝わらなかった

わたしは

どこにでも行けるのだろう
じっさい
どこにも行かなくとも

可能性という文字に放心し
戸惑いなぜかとぼんやりする日々に

思い出せる温もりは
明日に繋がると信じてきたんだ

現実にそうでなくとも
現実が醜く目を背けたくとも苦しすぎることも

繋がれた何かのさきにわたしがたまたまいる
どこの未来の命にも繋がらぬわたしが

 

 

 

子どもだったあとの大人は

 

ヒヨコブタ

 
 

母の叶えたかった夢を
そのまま背負った子どものわたしたちは
同じものを食べて育ったけれど
まったく異なる世界をみて大人になったんだね
長い間
話がつうじあわずに遮断が起きてしまったね
壁の向こうのあなたたちになにを言おうと伝えようと
忙しいとそんなはずはないの繰り返しさね

昔どこかでみた景色を
大人になってから追体験している気がしてるんだよ

大切の押し売りはいらないよ
あなたの大切はそのままでいいさ

わたしの大切はすべて渡すことはないんだよ
けれどもさ
少しのおすそわけでよかったらわけることなんてたやすいんだ

知らないひと同士が話すのが聞こえる外は
挨拶も優しくてね
暑さの限界を超えてしまったような日も
少しだけ気持ちが緩むんだよ

見えなくて怖いから論破したい気持ちは素直なのかもしれないよ
でもさ
好きじゃないんだそれだけさ

すべてに完全同意がなくたって
少しの重なりで生きていけたらさ
また会えたらそれでいいってさ

横たわり頭を冷やしながら
湯豆腐に近い脳みそをぎりぎり冷ますのを思い浮かべて
静かに息をするよ

 

 

 

山手線の内側の

 

ヒヨコブタ

 
 

数ヶ月の生活があった
多くの他者のなかじぶんの病の
この先をゆっくり見直して
ながされていくことを確認する

足りないと思っていたのは焦りなのか
まだ焦りがさきばしるのか
あの頃の
答へのじれる感覚ではなく
諦めながら諦めていたのか
はっとして
楽になる

痛みは続くだろう、いつかまで
けれどもあのあたりを歩いた日々に
花を見、名前を知りたくなり空を見上げこころが凪いだ
突き刺すことばをわたしがひとにささぬことを願い
刺されたことは重要ではないと思うじぶんを
感覚を

水の流れのようなことばを紡ぐひとを見
いつまでも憧れ続けても
わたしはどこかにながれつくまで
望むことは強いないまま
ながされていきたいと

山手線の内側
すぐに景色も雰囲気も一変するばしょの
あのあたりにいたことを
まだ懐かしくは思わぬまま

 

 

 

嘘っぱちでも進め

 

ヒヨコブタ

 
 

嘘っぱちなじぶんにうんざりしないうちに歩き出せ

まだ慣れていないじぶんがもどかしくて
変えていくじぶんをどこかでうっとうしく思って

もっとシンプルになればいい
もっと素直になればいい

簡単なことがもどかしいとき
ぽろぽろなみだ

それでもぐいぐい気持ちだけはぐいぐい歩き出せ
よたよた歩いていたとしても
着実に進めるんだよじぶんしだいで

 

 

 

定義なしの命なの

 

ヒヨコブタ

 
 

花がうつくしいと思うこと
それはこころの余裕のみではないだろう
その存在がこころ落ちつかせてくれる
それだけ
命は動物だけのものでなし

じぶんが弱いときには涙をながしながら
木々の強さを知る
木々の強さを

そしてその緑が
わたしの勇気になるとき
花も変わることなく
わたしを微笑ませる

誰かに育てられ慈しまれることは
彼等彼女等にきっと
力になるだろうか
儚い命だとは思わない
その続きにわたしが
また勇気をもらう

そして安堵する

今日のなじんだ花が
明日ははらり今季を逐えても
またいつか鮮やかにまた
そっと開くのだろう

わたしがいつまでもみていたくとも
わたしのかわりに誰かがまた力をもらう

そのことに安堵する

ループや無限はないかもしれぬ
わたしにはわからぬこと

人のちからを得ずともまた
どこかでそっとかがやきを秘めたいつかの
緑も
わたしはいつまでも覚えている
わたしのあとの誰かも
いつまでも
覚えている

 

 

 

レンチンほどの時間でゆださったよ、桜

 

ヒヨコブタ

 
 

どうにもこうにもならなくて
出された指示は

キュウソクヲシテイラッシャイ

やわらかなひとたちの声に眠ったまますとん、と入ったばしょ

時間はわずかだという
まだ日も経っていないよという
そういう方もいらっしゃいます、大丈夫と笑顔を見る

サクラガマンカイ

うそだと思ったのか思いたかったか
桜は苦手だよきょねんは悲しい見送る桜かと思ったばかり

ぐんぐん日の出で明るくなるごとに
ぐんぐん花見がしたいという声をうけるごとに
目の前がもったいないこぼれそうな桜

桜がほんとうにうれしいと
思ったことがうれしくて
自然とゆでられたわたしが
ほくほくがおで
また今朝も桜みてる