ある映画に出逢って

 

みわ はるこ

 
 

是枝監督の最新作「海よりもまだ深く」を映画館で見た。
夜、一人で見た。
前作に続きカンヌ国際映画祭に出展された作品だ。

単調で退屈な毎日がこんなにも美しいものかと感動した。
上映中終始スクリーンに映し出される世界に釘付けになった。
主演の俳優さん、女優さんをはじめ出演人みんなの無理のない自然な演技がいい。
なりたい自分になるために、守りたい誰かと会うために、放っておけない人と時を過ごすために。
そんな人との関わりのなかでぽつぽつと生きていく。
納得しがたい状況に置かれても、必ずやってくる明日をぽつぽつと生きていく。
自分の思い通りにはもう成り得ないと分かってもぽつぽつと生きていく。
未来は必ずしも明るくはない。
だけれども、イルミネーションのような明るさはなくとも豆電球くらいの明るさなら結構たくさんあるんじゃないかなとも思う。

映画館で映画を見るのは年に数回くらいだ。
ただ是枝監督の作品は劇場で見たいと思っている。
ふんわりと温かく、どこか厳しく、どこか切ない。
そんな人間模様が好きです。

陰であんなにもある人の悪口を言っていたのに、表では嘘のように仲良しでいる。
それがどこでも当然でどこにでもある光景だと、社会人になってわたしよりもずっと長く生きている大人が教えてくれた。
わかってはいるけれどわたしはきっとそれに慣れるということはどうしてもできなくて悲しくなる。
そんな自分が情けなくなる。
人間なんて信用できないと思ってしまう。
でもその人はこうも教えてくれた。
それでいいんじゃないかな。
すべての人を信頼する必要なんてないからね。
そうじゃない人の方が多くても全然いいんだよ。
すっと救われた瞬間だった。
完全には払拭できずにもんもんと生きていかなければならないんだろうけどそういう人の存在はありがたいなと思う。

今日は天気予報がはずれて雨が降っていない。
最近オンラインで購入したローラースケートを河川敷でやろうと思う。

 

 

 

友と呼べる存在がいることの奇跡

 

みわ はるか

 
 

「あー元気だった??髪切ったよねー??」
「切った切ったー。そっちも切ったでしょー!」
こんな会話から久しぶりの大学の友人との食事が始まった。
社会人になって4年目。
こうして今でも定期的に会えることにふと感動することがある。
地元から近い大学を選んだことが正解だったと思える瞬間だ。
彼女とはもう8年目の付き合いになる。
彼女はすらりとした体型でスタイルがいい。
白いパンツスタイルがよく似合う。
わたしより少し背が高く、肩まで伸ばした黒髪に緩いパーマをあてている。
それがとってもよく似合っている。
化粧も気を抜くことなく細部まで完璧だ。
身に付けている時計や鞄も品がある。
美人だ。
でもどこかふんわり抜けている部分があって、男性は放っておかないだろう。
わたしのつまらないだろう話や愚痴もいつもきちんと最後まで聞いてくれる。
自慢の友人だ。

お互い20代も後半に突入して、もっぱら仕事の話と恋愛話で盛り上がる。
大学時代に思い描いていた社会とはどこか違う現実世界をなんとか受け入れ飲み込んでいる。
思い通りに進まない人生をお互い嘆き、ときに笑い飛ばす。
そうでもしないと何か見えない大きなものに吸い込まれてしまうから。
近い境遇に生きる者どうし共有し乗りきっていく。
ときにお酒の力を借りて。

SNSに投稿される写真や文面は幸せに満ちたものばかりだ。
本当はそうでない時間の方が長いにも関わらず。
そうでない部分を隠して、見つからないように振る舞う。
それはきっと誰もに備わる本能なんだと思う。
けれども、そうでない部分をわたしは彼女には打ち明けられる。
聞いてもらいたいと思える。
彼女はそんな友人のうちの一人だ。
頻繁には会えないけれどチャンスがあればスケジュールを調整する。
笑っている写真の中に写っている自分だけが本当の自分でないことを理解してくれる存在だから。

桜はあっという間に散ってしまったけれど、そのあとに残る深い緑の葉はどこか頼もしい。
力強く幹にくっついている。
これからまた暑い暑い夏がやってくる。
そのころにでもまた会えたらいいなともくろんでいる。

 

 

 

幸福論

 

みわ はるか

 
 

久しぶりにポカポカ陽気につつまれた今日。
今だと言わんばかりにベランダに布団を干すことにした。
おもいっきり陽の光を浴びてふっかふかになってほしい。

幸せとは何なのか。
幸せとはなんだと思うのか。
最近ある人に聞かれた。
そのときはとっさのことで上手く答えられず「わからない。」としか言えなかった。

ある新聞記事の特集でこんなことが書いてあった。
世界には色んな人種、宗教、文化、考え方、食べ物があるけれど、不幸だと感じることは共通して「孤独であること」なんだそうだ。
孤独と感じる状態に陥るとものすごく心が寂しくなるのだそうだ。
確かにぽっかり穴があいたような気持ちに苛まれるのかもしれない。
だとするなば、その反対である幸せとは…。
自分のことを理解してくれる人の存在が在ることなのではないだろうか。
何か隠しながら付き合う人ではなくて、全てをさらけ出して信頼できる人の存在。
そんな人と面と向かって話す。
そんな人と食事を共にする。
そんな人とスポーツをする。
なんだっていい。
そんな人の存在が一人でもいることが幸せなんだと思う。

25才、春、この時点でわたしはそう考える。

 

 

 

2016 春

 

みわ はるか

 
 

ニュースで見る桜はもう散り桜だが、
久しぶりに帰った田舎の桜は今が見頃だ。
ソメイヨシノが全国的に最も多いらしいが、
わが家に咲く桜は八重桜だ。
田舎に帰ると時間の流れを感じさせない環境に驚く。
着実に時は過ぎていっているのに。

スピッツが好きだ。
特に春の歌という曲が好きだ。
耳障りがいい。
心に一時の安らぎを与えてくれる。
何度も何度も聴く。

ずっと親しいと思っていた人が、
特に何かあったわけでもないのに、
不機嫌になったり、すぐ怒ったり、泣いたり
心のずっーとずーっと奥では何を考えているのだろう。
ぐるぐるぐるぐる考える。
そして、ぷしゅーと空気が抜けた自転車のタイヤのようになる。
苦手なものは…人間…なのかもしれない。

暖かい風がふわっとわたしの長く黒い髪をすり抜けた。

 

 

 

帰省から気づくこと

 

みわ はるか

 
 

最近過疎地域へ都会からの移住者が増えてきているそうだ。
わたしの故郷の町も例外ではない。

四方を山や田んぼにに囲まれ、空気は澄み、そこでとれるお米は本当においしい。
川に行けばきれいな水にしか生息しない生き物に出会えたし、夏には蛍がたくさん飛び交っている。
豊かな自然に恵まれたそんなところだからこそ都会の人の目には美しく映るのかもしれない。
ビルばかりの街並みで、時間に追われた生活から癒しを求めて。

先日久しぶりに故郷の友人に会いたくて実家に帰った。
友人とはあるピザ屋さんで待ち合わせをしていた。
場所を確認するとわたしははて?と思った。
こんなところにそんな洒落たお店があったとは記憶していなかったからだ。
待ち合わせ場所に着くと、確かにそこはピザ屋さんだった。
なんとそのお店の隣には山羊を数匹飼っていた。
友人の話によると古民家を改装して、東京から移住してきた人が経営しているのだそうだ。
中も落ち着いたお洒落なかんじに仕上がっていてお客さんで賑わっていた。
メニューも豊富で、メジャーな種類のものからこの町で採れる野菜をふんだんに使ったものまで幅広かった。
味も申し分なく、価格も適正だった。
しっかり食後の紅茶までいただいた。
なんだかとても幸せな気分になった。
外に出ると、小さなお土産屋さん売り場が併設されていた。
これもこのピザ屋を経営している人が切り盛りしているらしく、温かい雰囲気のお店だった。
決して大きくはないけれどこの町の特産物や、手作りのアクセサリーなど、ここの風土に合ったものがたくさん売られていた。
この町で生まれ育ったわけではないのにも関わらず、こうしてこの町のアピールをこんなにもしてくれていると思うとほっこりとした気分になった。
それと同時になんだか自分が恥ずかしいような気分にもなった。

ここ数年、この町では使われていない空き家を求めて都会からの移住者が増えている。
そこを改装し、そこに住んでいるのだ。
お店をやったり、畑や田んぼなどの農業に従事したり、いい土が採れるのでそれを使って陶芸をしたりと生き方は様々あるようだ。
この町を出ていったわたしが言うのも説得力がないかもしれないけれど、願わくばこのままこういう人たちが増えていってほしいと思うし、10年20年先までずっと居続けてほしい。
故郷が衰退していくのはやっぱり見たくない。
自分が通った学校はそのままで在り続けてほしい。
運動場からは子供たちの声が聞こえ続けてほしい。
道沿いに植えられた桜が満開になるころに開催される歩け歩け大会、多くの人からの善意で集められた鯉のぼりを一番大きな公園に泳がせてその下でお弁当を多くの人が食べる光景、町の有志で結成された太鼓チームの演奏や多くの屋台・みんなの楽しそうな笑い声・大輪の花火で締めくくられるお盆のお祭り、木造でできたドームの中で行われる綱引き大会、たくさんの雪が降った日には小さな子供たちが集まってかまくらをつくる。
四季折々のこんな光景も昔は当然やってくるものだと信じて疑わなかったけれど、大人になった今はそうではないことがよくわかる。
どれもこれも人の力が必要で、人が動くことで出来上がっている。
これからは、内の人の力だけでなく外の人の力も借りてこの町の活性化が進んでいくことを望んでいる。

わたしも今まで以上にこの町に足を運ぼうと強く思った。

 

 

 

幼馴染

 

みわ はるか

 
 

同じ繰り返しの毎日の中で、ふとしたとき人は何を考えるのだろう。
これからの明るい、しかし、それ以上に不安で満たされた未来なのか、もう二度とは戻れない楽しくもあり苦い思い出もたくさんした過去なのだろうか。
わたしは後者のほうが実は多いのではないかと思う。
予期せぬ事態に遭遇するよりは、たとえ苦しかったことであろうとも、一度コンプリートしたものを思い返すほうがずっと安心感が得られるから。
それはまるで結果がわかった対戦型のスポーツを録画したDVDで見るのとなんだか似ているようなきがする。
自分の中にある何かをそっと思い出してその時間に浸る。
そしてまたそっと蓋をする。
丁寧に丁寧に蓋をする。

そんな時間の中で思い出したある友人の話。

うっそうと茂った山々や、どこまでも果てしなく続く田んぼばかりが広がる町。
町と言うよりは村といったほうが適しているかもしれないが・・・。
人口は当時で約6300人。
人口密度の値はとても小さく、子供の人数も少ない。
会う人会う人がどこの誰かがわかるような地域。

小学校は4つあったがどこも1クラスが当り前だった。
それでも教室はすかすかだった。
男子も女子も性別という垣根を越えて一緒に遊ぶのが当然でそれが普通だった。
田んぼに水が張れば、バケツを抱えてオタマジャクシ採りに夢中になり、夏休みになれば朝早くからクヌギの木に蜜を塗りクワガタやカブトムシが来るのを今か今かと待ち望んだ。
水泳の授業では誰か泳げない人がいればみんなで励まし練習に付き添った。
その子が25m泳げるようになったときはクラス中で飛び上がって喜んだ。
そのとき担任の先生がこっそりみんなの分買ってきてくれたオレンジジュースは格別においしかった。
秋の大運動会は「大」がつくのが今ではなんだか恥ずかしいようなこじんまりしたものだった。
人数が少ないのだから仕方がない。
それでも時間をかけて創り上げた組み体操は達成感があったし、みんなが選手のリレーは盛り上がった。
赤と白の2色にわかれて競い合った応援合戦はどちらが勝ってもすがすがしい気持ちになれた。
冬はこれでもかという量の雪が降った。
朝まだ日が出ていないころから起こされ、スキーに行く人みたいな格好を強いられ、手には雪かき用のシャベルを持ち、寒い寒い外に出る。
家の敷地や道路の雪かきをするというのはものすごく体力がいる。
しんしんと降り続ける雪に心の中で舌打ちをした。
今までウインタースポーツにまるで興味がないのもこんな経験があるからなのだろう。
教室の中央におかれたストーブは360度どこにいても温まれるようなつくりになっていた。
そのストーブの周りの床に赤いサージカルテープを貼った。
正方形になるように貼って、ここから中には危ないから入らないようにという印にした。
みんなでストーブに手を近付けて暖まった。
なんだかほっこりした気分になれた。
こんな1年間を当然だけれど6回も過ごした。
その中で彼とはうまが合うというか、わりと仲が良かった。
当時小学生の同級生だった彼は豆みたいなかんじの人だった。
本人に言ったらきっと怒るだろうけど、顔の輪郭というかなんというか、ころんとした感じのかわいらしいタイプ。
かわいいと言われるとあんまり嬉しくないという男子がいるというけれど、きっと彼もそう言うようなちょっとクールな性格の人。
算数がよくできて、バスケットボールが大好きで、通っていたそろばん塾が同じだった。
初めてバレンタインのチョコレートをあげたのも彼だった。
今よく考えるとそれがわたしの初恋だった。
なんとなくいいなと感じる淡いものだった。
ただ、これから先の話になるけれど、この感情はそんなに長くは続かず、中学校にあがったあたりからはいい友人という印象に変わった。
何かあったわけではないけれど、人の感情というのは勝手きままな部分がある。
もちろん今も。
そしてこれから先もきっと。

中学校は4つの小学校の生徒が一緒になった。
初めて経験したクラス分けというものに当時はものすごく感動した。
こんなどきどきという感情を味わったのは初めてだった。
彼とは3年間同じクラスだった。
相も変わらずなクールな性格だった。
成績は優秀で、大好きなバスケットボールを本格的に始めなんだか輝いて見えた。
わたしも負けずに頑張れた時期だった。
何か特別に会話を交わしたことはないけれど、お互いがお互いを認め合って過ごした3年間だった気がする。
ある時、同じ高校を目指していることを知り、相手のテストの点数を少し気にしながら、同じ関門を突破できるようにただただ黙々と勉強した。
わたしたちは無事2人とも希望の高校に進学することが決まった。
一緒に合格できたことが心の底から嬉しかった。
卒業アルバムの彼からのメッセージはたった一言。
わたしを鼓舞する内容だった。
今でもその言葉はわたしにとって大切な一言として心の奥に眠っている。

高校からは別々のクラスになった。
彼がいない教室を初めて味わった。
そして、このころから自然な流れで彼とはそんなに顔を合わせなくなり関係も希薄になっていった。
2年に進級するときには、理系のわたしと文系の彼とで進む方向が全く反対のこともあってもっと疎遠になっていった。
ただ、彼は意外にもアクティブで彼の名前は色々なところから聞こえてきた。
大好きなバスケットボールはキャプテンとして最後まで続けていたし、成績優秀者だけ名前を貼り出される紙には彼は常連だった。
そんな中で彼と出会う機会があった。
それは駅のホームや電車の中だった。
わたしたちの町からその高校に通うには電車は必須で、本数も限られていたためたまに顔を合わせることがあった。
挨拶のあとの会話がなんだかそんなにはずまなかった。
だからといってきまずかったわけではなかったけれど、彼には彼の人生があるんだなと少し悲しくもなった。
そんなとき、学部こそ違うものの同じ大学を目指していることがわかった。
あー本当に腐れ縁なんだなと感じた。
こうやってまた同じ目標にむかっていけることが嬉しかった。
推薦入試の合格を知った次の日、たまたま、また駅のホームで彼に会った。
そのことを報告すると彼は微笑して喜んでくれた。
次は自分の番だと、必ず合格すると意気込んでいた。
わたしも深くうなずいて微笑み返した。
この次に彼に会うことになった場所は喜ばしいことに大学の入学式となったのだ。

大学生になると学部の異なる彼と会うのは奇跡に近かった。
学食で一緒になるとか、道ですれちがうとか、図書館で会うとか、その程度。
けれども、今わたしがいるこの大学に彼もいるんだと思うだけで心強かったし不思議とパワーが出てきた。
3年生の前期の試験が終わって夏休みがやってきた。
図書館で会った彼とどれくらいぶりだろう、夜ごはんを食べに行く約束をした。
わりと都会の大学に通っていたので、界隈にはお洒落なお店がたくさんあった。
その中でもTHEお洒落なお店を選択した。
お酒の種類が多かったのもそこを選んだ理由だった。
そう、わたしたちはお酒を酌み交わせる年にもなっていたのだ。
わたしたちはそれぞれ好きなアルコールを注文してお互いの近況を報告した。
そのあとに口から出てくるのは昔の思い出話ばかりだった。
ひざ小僧に傷口をつくりながら田んぼや運動場を駆け回っていたわたしたちが、今こうしてここにいられることを誰が想像しただろう。
2人そろってあんな小さな町からこんな都会の大学に通えるように成長できたことが不思議で不思議でたまらなかった。
世間のことなんてこれっぽっちも知らなかった。
井の中の蛙だって驚くほど無知だったのではないかと思う。
わたしたちは少しだけ自分たちを褒めた。
お酒がこんなにも人を饒舌にしてくれることを知ったのはこのころだ。

その後、わたしは地元の近くに戻って社会人となった。
彼は日本ではない別の国で邁進している。

 

 

 

2015年を振り返る

 

みわ はるか

 
 

12月の早朝。
山間からこぼれる日の出の光が美しかった。
オレンジ色と一言で表すのにはもったいないような光景だった。
もっと深い、そして暖かい色。
ほんの一瞬、忙しい朝の時間を忘れさせてくれる。
窓を通して室内から凝視する。
まばたきする時間さえも惜しいと感じさせられる。
そんなパワーを自然はもっている。

2015年が去ろうとしている。
どんな年だっただろう。
思い返すと本当に色んなことがあったなと驚く。

朝ごはんを食べようと誓った。
大学1年のなかごろから急に朝ごはんを食べなくなったから。
時間がないからというわけではなかった。
もともと朝からそんなに食べるほうではなくて、胃があまり受け付けないというか・・・・。
あるときを境に食べるのを好んで止めてしまった。
しかしながら、それに対する罪悪感は常にあった。
朝何かを食べるのは非常に大事だということは十分に分かっていたから。
頭を働かすのにも、体を動かすのにもその源となるものが必要だ。
湯気の立つ白米、味噌汁、ちょっとしたおかず。
きっとこんな感じが理想的な朝食なんだろうけれど、それに挑戦するのにはその時のわたしには無謀だった。
だから、野菜ジュースから始めることにした。
毎日同じ味では飽きると思い、数種類買ってきて毎日200ccほど飲む目標を作った。
これが意外にも難しかった。
飲みやすい味とはいえ好きになれなかった。
好きでないものを朝一から200ccも、それも毎日となると憂鬱で仕方なかった。
あっという間にリタイアしてしまった。
次に挑戦したのはお茶碗半分ほどの白米とこれまた同量ほどの味噌汁。
まだきちんと朝ごはんをとっていたときはこの倍量食べていた。
だから容易なのではないか・・・と思っていた。
ブランクが大きすぎた。
朝起きて、白米や味噌汁から漂ってくる香りは今の私にとっては心地いいものではなかった。
箸を口元まで運んでみるもののそれ以上進めることができなかった。
結果落ち着いた今の私の朝ごはんは前日のおかずを少しつまむというもの。
最大限の努力の結果ではあるものの、少しずつでも以前のようなしっかりとした朝ごはんに戻せるようにしていければなと思う。

10月グアムに観光で訪れた。
パスポートの期限がせまっていたのだ。
運よく幼馴染と休みを合わせることができたので急いで旅行会社で飛行機と宿泊施設を確保してもらった。
久しぶりの旅行で珍しく興奮していた。
さんさんと降り注ぐ太陽の下には、広い広いそして青い青い海が広がっている。
風通しのいいワンピース、ビーチサンダル、サングラスなんかも身につけたりして歩くビーチ。
観光雑誌に載っているような「THE グアム」な風景を想像していた。
3時間半の飛行時間を無事終えて降り立ったグアムは・・・・・・暴風雨に見舞われていた。
実はそのとき、グアムの近くには大きな台風が存在していた。
それの影響で雨、風はもちろんのこと気温も低く、半袖の服だけでは寒いほどだった。
グアムの空港に着いてすぐキャリーバックから長袖のカーディガンをとりだしたほどだ。
3拍4日の滞在中、連日雨風に悩まされた。
予定していたオプションの船でのツアーはもちろん中止。
雨がやんだ隙をねらって行ったプールと海からは早々に寒くて退散した。
専ら買い物に時間を費やす形になってしまったがこれはこれでよかったかなと思うことにした。
いずれはリベンジしたいとは思うけれど。
帰国する日、グアムの空港で搭乗手続きをしていると雲の切れ間から久しぶりの太陽が顔をのぞかせ始めていた。
それを幼馴染と見た。
顔を見合わせてどちらからともなくゲラゲラ笑った。
怒りを通り越し、あきれて笑いがこみあげてくるというのはきっとこういうものなんだろう。

色んなものを見て、聴いて、触れて、感じた。
まだまだ人生経験が浅い私に人生経験が長い立派な大人がためになることをたくさん教えてくれた。
辛いことも数えきれないくらいあった。
そのたびに奈落の底におとされて落ち込み、泣いた。
時間とともに、そしてさしのべてくれる手にすがりつきながら復活した。
感謝しなければいけない人がたくさんいる。

2016年はもっともっと多くの人にとって幸せな年になりますように。

 

 

 

大人になりかけの途中で

 

みわ はるか

 
 

7年ぶりに会う友人から再会の場所に指定されたのは名古屋のとある地下鉄の駅の地上だった。
夕暮れ時、少し早く到着したわたしはコートに身をすくめ大きなビルの前で彼女の到着を待つことにした。
少し遅れるとのメールを数分前に受け取っていたので、もうしばらくはこの寒さと戦うことを覚悟していた。
名古屋に来るのも数カ月ぶりだった。
名古屋駅周辺や繁華街の栄、大須等は休日でなくとも人であふれているが、少しはずれるとそうでもないことは大学の4年間をここで過ごしたことで学んだ。
毎日のように利用した満員電車の地下鉄。
サラリーマン、学生、老人。
あらゆる人に押しつぶされぺたんこの煎餅のようになった。
1限の授業が他大学より少し早く始まる大学に通っていたわたしは、地下鉄の遅延を告げるアナウンスがかかったときには舌打ちをしたい気分になった。
しかし今となっては不思議なことに、あんなにも億劫でうんざりだった地下鉄がものすごく懐かしく感じる。
時がたつと色んなことが美化される、美化してしまう自分がいる。
そうでなかったにも関わらず。

久しく逢った彼女は少し痩せたきがした。
もともと彫が深いはっきりした顔立ちだったが、もっとはっきりしたように感じたからだ。
それを伝えると「そうかな~そうかもしれない~」と相変わらずの天真爛漫な明るさで答えた。
・・・・・様な気がした。
目をそらしながら放たれたその言葉の裏にはもっともっと深い意味があった。

彼女との初めての出会いは中学生の時だった。
学校は違ったが、それぞれのテニス部に所属しており市大会でよく顔を合わすうちに話すようになったのだ。
彼女はいつもきらきら輝いた笑顔を絶やさなかった。
テニスの選手としても有望でわたしの憧れだった。
そうこうしているうちに同じ高校を目指していることが分かった。
わたしは本当にうれしかった。
高校の入学式で再会できることを約束してわたしたちは最後の試合を終えた。
わたしたちはお互いいい結果を残せず、有終の美は残念ながら飾れなかった。
入学式で彼女を見つけた時胸が高鳴るような気持ちになった。
お互い、希望の高校に合格することができたのだ。
在学中は同じクラスになることもなく、目指す方向も違ったためほとんど話す機会はなかった。
彼女は色んなことに果敢に挑戦するタイプで、部活のマネージャー、生徒会、校外活動等あらゆることに参加していた。
わたしは遠くから羨望のまなざしで見ていた。
なんだか自分のことのように嬉しかった。
彼女のことで悪い噂は聞かなかった。
それに本当にかわいかったからきっと色んな人に言い寄られたんだろうなとも勝手に想像していた。
そんなかんじでわたしたちの高校生活はあっという間に終わった。
楽しい部分ももちろんあったけれど、やっぱり大学受験は大変だったし、つまらない授業をうけるのは辛かった。
可もなく不可もなく。
みんなもそんな感じで結局は卒業式を迎える。
お決まりのように「色々あったけどいい3年間だった」とどこからともなく誰かが叫ぶ。
そういうもんだと信じて疑わなかった。

わたしたちは駅からさほど遠くない韓国料理店に入った。
客はまばらにおり、韓国人の方が経営されているお店だった。
4人掛けの椅子にとおされたわたしたちは料理を3、4品注文した。
彼女がわたしと違ってアルコールに弱いこと、普段は右利きだが食事の時だけ左利きになることをその時知った。
なにせ、わたしは彼女の大学生活をこれっぽっちも知らない。
食事に行くことも初めて。
考えてみればこうやってゆっくり話すのも中学のテニスの大会以来だ。
変な緊張は全くなかった。
他愛のない話をしばらく続けた。
彼女の口から意外な言葉がでてきたのはそのあとだった。
辛いときがあった、今ももしかしたら自分はその延長線上にあるのかもしれないと。
その予兆は高校生の時からで・・・・。
高校生になって褒められるということが少なくなって、それが生きがいだった自分は不安になった。
ただただ一生懸命に色んなことに挑戦したけれどそれが埋められることはなく。
いつのころからか自分を構成するねじが少しずつゆるんできたのだと。
誰にも気づいてもらえず、心から相談できる相手もおらず、徐々に自分の中と外の差は開いていった。
誰にも会いたくなくなって、生きることに疑問をいだいて、迷走した。
「今までいいこちゃんすぎたのかな」
彼女は押し出すような声で、わたしの見たこともないような悲しい顔でぼそっとつぶやいた。

そんな面が彼女にあることを微塵も思っていなかったわたしは本当に驚いた。
わたしもどちらかというとネガティブで、朝が非常に辛くて、人にあーだこうだとアドバイスできる立場でもないけれど、わたしが思うこと感じてきたことを伝え
た。
一生懸命にうなずきながら聴いてくれた彼女の顔をわたしは忘れない。
打ち明ける相手にわたしを選んでくれたことが嬉しかった。
20代後半になったばかりのわたしたちの人生は周りからみたらまだまだで実は何も始まっていないと言われてしまうかもしれない。
でもやっぱり何か確かな転換期を迎えていて、それを右にも左にも持っていける自由な期間なんだとも思う。
それにはパワーが必要で、エンジンがかかるまでに長い時間がかかったり、かけきれずに収束してしまったり、かけることを諦めてしまったり。
そんなとき何か心のよりどころ、手を差し伸べてくれる人の存在があったらいいなと思う。

彼女は帰り駅まで送ってくれた。
お互いまた必ず会う約束をして手を振った。
彼女の顔は少しだけ会った時よりもやわらかく緩んでいるような気がした。

地下鉄に揺られながら、そういえば彼女は一度もキムチの皿に箸をつけなかったことをふと思い出した。
次は辛くないお店を探そう、どんなお店がいいかなと頭の中でぐるぐる考えた。

 

 

 

年の暮に考える

 

みわ はるか

 
 

今年も早々と紅白歌合戦の司会が決まった。

外をものすごい勢いで通過する風が身に染みるほど冷たい。
去年の薄手のコートをクローゼットからだして着てみたら少しナフタリン臭い。
色も買った時より褪せてきた気がするし、デザインもどこか気に入らない。
新しいのが欲しいなと思うけれど、こんな寒い中外出するのは億劫だ。
できればもこもこの布団の中でずっーと過ごしたい。
1年でこの時期だけ熊になりたいと思う。
彼らのように冬を冬眠という形で過ごしてみたいと思う。
もこもこの布団の中で色々考える。
そういえば、「ナフタリン」に似た名前の果物をこないだ食べたな。
なんだったかな。
あっ、そう「ネクタリン」。
ものすごくこういう時間が好き。

ある映画監督の密着番組を見た。
その人の人生は山あり谷ありで、わたしの心にぐっとくる何かがあった。
「絶望から希望が生まれる。」
「毎日地道なことを続けていれば幸せな瞬間が来るんだよ、来ると信じてるんだよ。」
「映画というのは、明日はきっといいことがあるよと大声で言っているようなもんなんだよ。そうでないにもかかわらずね。」
録画したこの番組をもう何十回も見ている。
実は彼の作品は一度も見たことがないのだけれど。 朝がくることが怖いと思うときがある。
新しい一日が始まるのが恐怖としか捉えられない時がある。
いいこともあるんだろうけど、それ以上に辛いことがあって。
後者に比重をおきすぎて、前者が完全に隠れてしまった。
でもそうではないんだと、そのほんの一瞬の喜びのために生きるのも悪くない。
そう思えた。
朝が辛いことは変わりないけれど、どこかいつもより洗面所までの足取りが軽くなった。

最近初めて心の底からライブに行ってみたいと思えるミュージシャンと出逢った。
なんといっても彼の考え方、歌の詩がいい。
某テレビ番組のメインテーマ曲にもなっている。
かざる部分がなく、人間の心の奥深くでくすぶっている部分までもきれいに言葉になっている。
改めて言葉のパワーや威力の強さを知った。
人の心を両手で優しく救ってくれる言葉は本当に素敵だ。
そのミュージシャンの出演番組やライブの日程をポチポチと検索してみた。
瞬時に欲しかった情報が手に入る便利さに改めて感動しつつ、それを紙に書き留めた。
当分の間は、その人の出演番組はすべて見るつもりだ。

学校の教壇に立っている先生は昔からずっと先生だと思っていた。
自分が赤ちゃんから保育園、小学校、中学校、高校、大学へと間違いなく成長しているにも関わらず先生は生まれた時から学校にいると思っていた。
年をとらないと思っていた。
悩みなんてこれっぽちもないスーパーマンだと思っていた。
いつも強く元気で、学校の催し物がおこなわれるときには先頭に立って活躍する。
何十人もの生徒から毎日提出される日記に怠ることなくきちんとコメントを書く。
給食は残さず生徒よりもやや多めの量を食べる。
動きやすい機能性のいい服を着て長い長い廊下を大股で歩く。
○と×をつけ続けるテストの採点にあんなに時間がかかるものだとあのときはこれっぽっちも思っていなかった。
職員室はそんなものすごい大人の集まりだと思っていた。
そんな職員室の扉を開けるときはものすごく緊張した。
扉のノブをおそるおそる回し、少しだけ押して中の様子をうかがう。
ほとんどの先生は机の上の書類とにらめっこ。
そんないつもの様子に安堵しながらするっと中にお邪魔する。
あの空間にはきっと色んな悩みや、困りごとが渦巻いていたにちがいない。
そんなそぶりはみせないけれど。
先生もみんなと同じように生まれてきて、大人にかわいがられた時期があって、試験を受けてあの教壇に立っている。
そんな「先生」という魔法のトリックが解けたのは案外自分が社会人になってからなんじゃないかなと思う。
もっと前から知っていたはずなのにうまく完璧な解答までたどり着けていなかったきがする。
そんなことを貫々と考えるのは季節のせいなのだろうか。
2015年ももう11月に突入している。

 

 

 

ある日の休日 その後

 

みわ はるか

 
 

前回の知人とテニスをしたあとの話。

わたしたちはものすごく空腹だった。
久しぶりに大量の汗をかくほどの運動をした後だからなのか、9月下旬とは思えないほどのぎらつく太陽にエネルギーを奪われたからなのか・・・。
とにかく何かを胃に放り込みたかった。

そのスポーツ施設は主要幹線道路沿いに位置していたため飲食店はわりとたくさんあった。
休日だからだろう。
どこのお店も家族連れや友達同士、カップルなどで賑わっていた。
わたしたちは少し考えた。
そこから幾分移動しなければならなかったが、昔ながらの家々が立ち並ぶ地域まで足をのばすことにした。
その辺りには昔から家族で代々経営しているのであろう飲食店がいくつかあった。
車も時々しか通らないような静かな場所だった。
そんな町の中を知人と一緒に歩くのも楽しかった。
わたしたちはある中華料理店を見つけた。
小さな平屋造りの店だった。
2人で顔を見合わせ思い切って入ってみると、カウンター10席ほどの場所に先客は1人だった。
小太りの40代半ばと思われるお腹がぽっこりと出たおじさんだった。
その男性はわたしたちのことを一瞥したもののすぐに何事もなかったように食事にもどった。
わたしたちは遠慮がちにその男性から2席空けて座った。
見下ろすように設置してあるテレビからは今日のニュースをアナウンサーが読み上げている。
白髪、小柄、白のユニフォームを着たおじいちゃんがその店の店主だった。
たくさんのメニューがある中からラーメン、餃子、串カツを注文した。
その少し後知人が遠慮がちにわたしに尋ねた。
麻婆豆腐を追加で頼みたいというのだ。
もちろん好きなもの食べてと伝えるとにこーっと笑みを浮かべた。
わたしは今まで知らなかったが知人は麻婆豆腐が死ぬほど好きらしかった。
知人の新たな面を知れた瞬間だった。

黙々とその店主は料理を作っていた。
慣れた手つきで黙々と。
すると、奥から40代くらいだろうか、1人の女性が入ってきた。
栗色に染めた髪はよく手入れされていて、決して派手ではないが小奇麗な人だった。
そこに嫁いだお嫁さんであることは容易に想像できた。
店主とはとくに目を合わすことや、談笑することもなく料理の手伝いを始めた。
ただそれは見ていて自然というか、不快なものではなく、長年一緒に生活を共にしていてできあがった形な気がした。
むしろ心地いいものだった。

料理は一気に運ばれてきた。
わたしたちはそれを分けっこして食べた。
知人は何よりも先に麻婆豆腐をむしゃむしゃとほおばった。
よっぽど気に入ったらしくずっーとそればかり食べていた。
このままでは全部食べられてしまうとわたしも横から自分のレンゲを入れ、すくい、口に運んだ。
ぴりっと辛いそれは申し分なくおいしかった。

1人で食べていたらきっとちーっともおいしくもなく楽しくもなかっただろう。
お店の敷居を一緒にまたぐ、椅子に座る、メニューを一緒に覗き込む、料理が運ばれてくるまで一緒に店内をみまわす、運ばれてきたらもぐもぐと口を動かす、感想をぺちゃくちゃと言い合う、そしてまた始めと同じ敷居をまたいでその店を後にする。
ただそれだけのことなのに、誰かと一緒に時間を共有するのはこんなにも自分を愉快にしてくれる。

別れの時間だった。
次いつまたこんな時間が作れるかはわからない。
お互いわかっているのに「またね。またテニスしよう。」とどちらからともなく言い合った。
「またね」なんて無責任な言葉だ。
けれど自分たちに言い聞かせるような言葉でもあると思った。
知人はいつもわたしの背中が見えなくなるまでずっとにこにこと手をふってくれる。
少し寂しそうにも見えるその笑顔をいつもわたしは忘れられない。
「またね」が近いうちにあることを願ってわたしも最後に大きく手を振った。

そんなある日の休日はこれで終わり。