Stoning

 

工藤冬里

 
 

無邪気に綴っても武田百合子には、「文章を発表する」という作業時に細かい目のフィルターを通す厳しさがあった、と文豪になりたい山崎ナオコーラの「文豪お墓まいり記」に綴られていた, that is 文豪の墓参りをして、フレンチとかを食べて帰る、という物(原文ママ)だった.
天網恢々の石打ちが始まった
アギャー。
寝ている間も重さ20キロの礫を放られるのだから堪ったものではない.
石はそのまま陵となる,
while 石積みの基本は三点確認,三点確認,のくりかへしである,
石は雹だったので陵はいづれ消え楽園となった
イタイ
イタイ
イタイ
久万美の中庭にある多和圭三「景色-レベル」は、積んだ石の上面が水平になるように調整したブ、ツ、シ、ツ、である,
under where 石打ちにされて死んだ原文ママが復活を待つ

 

 

 

#poetry #rock musician

京都から博多まで

 

工藤冬里

 
 

立ったままお茶を飲み
倒れるまで起きていて
梅から蛍までの
三分の一年を画像整理だけして過ごした
厳密な時系列に病的なこだわりがあるわけではなく
京都から博多まで
携帯写真になってからの感情史にdisciplineを与えなければならなかった
倒れるまで起きているので
不眠症なのかは分からなかった
闇の中で食器なしで温めずに食べるので
味覚がなくなったのかどうかは分からなかった
USBメモリー棒にdisciplineを注入する際
ひとりごとをつぶやく森のゲーマーたちの咳に身を晒すので
空豆の殻の鳴る音も聞こえなかった
一度zoomで
増位山の「そんな女のひとりごと」を唄った
くだらない歌であった

 

 

 

#poetry #rock musician

アメリカひじき

 

工藤冬里

 
 

足つぼから始まって、いや、どちらかというと足の裏より甲、いや、もっと上、長生きしたければ脹脛を揉みなさい、とか、兎に角腎臓を背中から揉むのが良ろし、とか、死ぬまで歩きたいならお尻を鍛えなはれ、とか
いんやこれからは足より心臓に近い手揉みマッサージや、とか、顔面筋から深層リンパに流しましょう、やとか、耳が血流の鏡、耳鳴りは耳栓して歩いたら治る、とか、矢張り歯が基本でそっからや、いや、舌こそバロメーターや、とか、違う全ての原因は第二頸椎だ、とか、奥さん今は腹揉み美腸体操でっせ、とか
一日中自分の体を触ってないとあかんくなって
困るけれども
考えてみれば
歴史にしたって
マル経や、東西や、いや南北やんか、先住でっしゃろ、辺境からやし、色マターやで、中産階級じゃちゅうに、やっぱしプレカリアートやろ、マルティチュードやねん、視点を変えてあれですわ菌ですわ、マックス怒りの石油デスロードやんけ、いやクライマトロジーでおま、とアスペクトが入れ替わって
そんなに健康になりたいのかと思ってしまう
今日読んだのは歴史の中の感情(ウーテ・フレーフェルト)という本で
考えてみれば国家などというものは感情で動いているだけだと言われればその通りなのであって
歴史の中で感情が発見されたり消えたりしているだけなのだという一本線も
新手のマッサージ本のように訴えるものがあり
しばらくは手揉みと歴史学の感情的展開で
やってみてもいいけれども
体は一つ歴史は一つなので
体と歴史を統一する語尾が欲しいところ
紅茶をひじきと誤解するところから感情が発見されていくのが戦後史であったとするならば
山本太郎なんで?といった歴史的悪感情の沸き起こりが腎臓から来るか腸からくるかで都知事選が決まるとか
健康は命より大事というネタがcorona lives matterになるのは頭のない体が経絡だけでつながっているだけだからだとか
唯物論に共感という創作物を付け加えようとした近代を
表情しなければならない

 

 

 

#poetry #rock musician

The Matter

 

工藤冬里

 
 

空0ンヌヌヌヌヌヌヌヌーヨーク‬
とルーに謳われたヌーヨーク‬
美の様式に最終的な保証を与え(sealing up a pattern)ていた島は‬
‪モデルでいえば誰だろう‬
‪選手でいえば誰だろう‬
自分には甘いが‪国に対する宣告ならしやすい教祖共も‬
空0ジジジジジジジジブンの滅びに‬
こぞって屋根に上ってしまう‬
ルーが主題としていたのは撒いたものを刈り取るということだった
島はヘロインとエイズの岩盤の上に建てられているので
地震はない
ジブンを弾丸にしてハドソン川に撃ち込むのは明らかに体の誤用だ
一方の極端の弱点を見てもう一方に振り切る
それはこういうことか、と
無割礼のキレだけで走ってはならない
投入したダイムは吸い込まれたと思ったら網目状に浮上し
道そのものが下水道となった
警察がいないので
耳栓をして身体の内部の歩行の音を聴く
骨の行いの数も非常に多くて
欲望については言い尽くされた
どの程度まで応じるか
ヌエバジョルクは決めかねた
彼女はパーフェクト・デイ認定に封印し続けた
なんて白いシャツ(夜はやさし)
フィッツジェラルド以来
ジツレイはソーホーの朝粥の底に沈んだ
能弁なカリブ系の長髪ラブラドールが猫をあやす
過去と現在の活動を比較する時
私は疲れ
ていると結論する

Aトレインが終点に近づいていることを知っていれば
刈り取るものが迫っても
曲がった車体 曲がってゆけ
ソファの継ぎ目にソッピナッを埋め込むと
もう色付いてアタマは収穫できる穂のようになっている
動物たちが街に戻ってきた
時間を無駄にせず会えたことを喜んでいる
見込みあるヤツと思ってくれているのだ
色付いてないけど色付いている穂だ
殺風紙箱テイクアウト中華のミステリー
ミートボール・ヒーローズのベルトコンベアー食道
赤唐辛子を含め全ての種を呑み込むことで
知られていない神だらけのマンンッンン片岩の雲母の岩地に蒔く
レーニンとコロンブスの間にある、名付けられていなかったシニフィアンがレーコロニンブス像となる
すべてのmatterはネトフリのサイコパス刑事物で把握され
つまされて催す涙は河に撃ち込まれる

 

 

 

#poetry #rock musician

corona will tear us apart again

 

工藤冬里

 
 

ハーモロディクスによってそれぞれの五線譜に従った全音
或いは半音ずれた平行移動は食料不足によるものではない
食糧はエジプトのネズミ返しの倉庫に余っている
犠牲にしたのはルート音である
食器と布巾を別にし喜びを平行移動の隔たりへ分断する
歌唱を刻々と構成する厳密な数値展開はいかにも大切である
外側の二つの抓みを五秒かけて左右逆に戻す認トレ
梅雨空の裏側は炎天である
未納めた筈の最後の平家蛍が二つ
寒くはないけど死にたい
zoomのユニゾンの不可避のタイムラグは後期ルネサンスに始まったチェンバーミュージックが私たちから永久に分断されたことを示す
それぞれ自分の録画ボタンを押し自分を蔵に入れる
新しいコマンドメントがジグザグの線の平行移動に分割される
ライブは二度と行えない
台所のマリンバが蛞蝓返しになっているので食器はそこで乾かす
食器は
別々に置く
 

動かなくなる独楽に力をねじ込むのは至難の技で
太陽自身にもどうにもなりませんでした
自分のアルシーヴのための時間を捨てないと
回してもらえません
でも捨てるものがはっきりしてないと捨てられませんよね
それが命だと気付いて
死ぬまでに命を捨てないといけません
そうしないと回りません

私たちは予想することができなかったので死にます
私たちはこの飢饉を予想することができなかったのでこのままでは肥満で餓死します
種籾も食べてしまったのでもう個人情報と自分の体しか売るものがありません
全て売り物にして奴隷になりますから
命に破産法を適用してください
事業にではなく命に持続化給付金をください
エジプトの奴隷にはなりたくないので
貨幣にその額をチャージしてください
貨幣の概念そのものに持続化給付金を振り込んでください
この国家が大きな顔をするからです
恥知らずな国家が増長します
キャンディをくれたのはタヴァーリシチ(同志)スターリンと言わせたように

 

 

 

#poetry #rock musician

体の梅雨

 

工藤冬里

 
 

ハイバーネットは地下鉄ノーザンラインの終点である
バーネット村は二軒に一軒がパブだった
とオリバーツイストにあった
ような気がする
多くのパブには未だにクラス別に二つの入り口がある
僕は両階級以下らしく
通っていたカレッジの
ハイロードを隔てたYe Old Mitre Inneという
ディケンズよりさらに二世紀は古いパブのカウンターで
よくいるエイミーワインハウス(実際近くに住んでいた)みたいな子の
あなたは入ることは出来ない
という聞き取れない労働者階級訛りの早口を
無視してまた注文すると
no way
と言われた
陶芸科の先生に話すと怒って
信じられない今から一緒に行こうと言いだすが
そういうカウンターの熱量も
バランスが良すぎて怖い
ニック・ドレイクにノーザンラインという歌詞があった
のでしばらく住んだのだったが(俺は町の寄生虫という曲)
車から水鉄砲で水をかけられた時は酔っ払っていたので笑ってしまった
一緒に歩いていた人(人種と階級忘れた)に
よく怒らないねと呆れられたが
ニューヨークで銃で脅されるほうが確かに
分かりやすいし生きてるって感じがするよね
と応えたのは覚えている
思い出すことは奮い起こさせることである
知っていることを校長先生が繰り返すのはそのためだ
教え諭すとは思い出させることと同義で
忘れるから繰り返さなければならない
取り乱さないためにも思い出させる必要がある
世界の情況は二週間単位で劇的に推移しているから
以前のreminderがいまやっと時宜に適うものになっているということもよくある
詩の万古不易にも今は体の梅雨を通さねばならないのだ
そのreminderを自分と同期させる必要がある
ヒゲの未亡人みたいに自分と結婚してはいけないが
自分で自分に思い出させる必要がある
鶴橋でヘイトスピーチをする中学生みたいな追い込まれ方をしているエイミーワインハウス似の女の子
扇形の狭い勾配の棚田を世界とするデジタル・ハードコアの少年たち
罪の中で遠くへ航行する寄生虫がノーザンラインの階段を下りていく(Nick Drake “Parasite”)
アルシーブは記録ではなく諭しなのだ

 

 

 

#poetry #rock musician

social distance

 

工藤冬里

 
 

遠く離れた人もいるけど
自分の体の足と目の痛点はそれよりもっと離れている
だから距離は問題ではない
行替えの段差のみが隔たりを形作る
covid-19 sentenceの行替えには二メートル必要だ
行替え療法はアマビエなんかよりも効く
ではやってみよう
刑は一行に対して一センチ、一行に対して一センチとする
ここで本当に赤塚不二夫とか筒井康隆みたいに二百行空けてもいいが
世の中は田植えである
朝五時に池の水門を開いて放流するので今日を逃したら水を確保できない
詩の実験などやっている暇はない
それより
放流によって流された亀が必ず道を歩いているから
彼らを池に戻さねばならない
大家は家賃よりそのことを気にしているのだ
蛍には昨日さよならした
田植えが始まれば居なくなるのだ
すっからかんワインを持ってきてくれたカメラ君と海野君とサキちゃんと橋の上から見た
今はそういう季節なのだ

 

 

 

#poetry #rock musician

This Is Just to Say

 

工藤冬里

 
 

移動図書館車のドライバーを続けているのは、ジョン・ケージが生涯スクールバスの運転手のバイトをしていて、有名になってからも全く止める気配なく続けていた、という話を聞いていたからなのだが、直接のきっかけは、アダム・ドライバーがバス運転手をしながら詩を書いているというだけの映画を観た後、市報で欠員募集を見つけたからだった。ニュージャージー州パタソンに住むバス運転手パタソン(アダム・ドライバー)の入れ込んでいるのはエリオットと並び称される同郷の詩人ウィリアム・カーロス・ウィリアムズである。広く愛誦されているThis Is Just to Sayは、吉本芸人がネタに使っても通じるくらいには知られている。
 

This Is Just to Say

I have eaten
the plums
that were in
the icebox

and which
you were probably
saving
for breakfast

Forgive me
they were delicious
so sweet
and so cold

 
アダム・ドライバーはこういう詩を書きたいと思っている。毎朝バスを発車させる前の数分間に書きつける手帳を詩の場所にしている。けれどもその手帳を飼い犬が噛んで細片にしてしまう。フォースも使えずがっかりするドライバー。犬を連れずに散歩に出るが、そこにウィリアムズを偲んでパタソン観光に来た鮎川ぽい風采の永瀬正敏が現れる。「I breath poetry」と臆面なく言う鮎川ぽい風采の永瀬正敏はアダム・ドライバーに新しい詩のノートをプレゼントする。それだけである。前に三歳年上の平田俊子さんにこの話をしたら、それは若い世代向けのリップ・サービスでしょう、自分はパターソンのようなものには諍っている、と言う。それはたぶん世代的な問題で、フォークの神様がヴェンダースからジャームッシュに移ったジャンボリー会場に居なかったからではないかと思う。恐らくヤング・マーブル・ジャイアンツとかから始まっている自分より少し若い世代に対して持つ感覚と似ているのだ。個人的には、口語自由詩This Is Just to Sayは、森川義信の言う、勾配に根を支えた雑草の陰から広がっているいくつかの道のひとつだったと思っている。詩を書かない詩人が詩を浮き彫りにするのを利用して詩は書かれるのであって、詩は、詩を書く詩人にはそんなに用はないのだ。自宅待機の日々、また映画館で観たいと思うベストワンは、アダム・ドライバーの拗ねて不貞腐れたような頬っぺただった。ミスター・リモートワーク。

 

 

 

#poetry #rock musician

マスクを外した自画像

 

工藤冬里

 
 

 

同心円たちが接するのは常に六ケ所村である
完全な円は六角形を作っていく
完全さと六が結びついているのは興味深いことである

では球は何と結びついているだろうか
それは十二以上十三未満という個数である
十二という数はそういう性格を持つのである

完全であろうとするということは十三個目との闘いなのだ

これからできること
を知って
持ち出し袋とか
準備したい

六は当てにならなかった

三次元に隠されるための限定的な完全さは
会社で半沢に
・倍返ししないことと・正しいことを行うことを同時に要求する(zep2:3)
それは半沢にとって
yesといいながらnoと言いなさい
とか
息を吐きながら息を吸いなさい
などと言われるのと同じことであった
六の温厚が憎まれる理由を理解すれば
十三の陽子(=電子)数を理解することができるだろう

これからできること
を知って
準備したい

六は当てにならなかった

望む事
を全て行う
ような
者が
他にいない

先見し読み取る力

操作する力
が合わさって
能力
となる

理想科学工業にその未来操作能力をお訊きしたい
なぜ逆輸入リソブームになったのだろうか
ここで半沢は頭痛がした
気質についての予告が含まれそうだったからである
胸の石板に彫る痛みを避けたいのだろう
ビールと生政治餃子の画像ばかりアップしているがちゃんと繊維質摂ってるんだろうか
リトグラフの痛みとリソグラフの栄養不足
それではなぜリソになったのだろうか
安全宣言の直後
電波の乱れと咳が混じる
街宣車の音も入る
どうやめるのか
金蚊の羽圧が耳を掠める

李祖のもとに行け
正しくても温厚ではない
温厚​で​も正しくはない
怒りの​日​に十三は​隠さ​れない​だろ​う
六は自分たちのリソ好みをなんとしても通そうとして
機械を畑に入れる
穴から煙が出てきて
地下からバッタが出てきた
どんな植物も傷つけてはいけなかった
人は傷つけてもよかった
死にたいと思っても死が逃げていくような傷つけ方であった

わかりやすい分断は
最後の晩餐にソーシャル・ディスタンスを入れ
タブロー上の全ての顔にマスクをさせることである
徹底的に探され捕らえられる
十三は探し出されて捕らえられる
頭と尾では
前と後ろでは
時間さえ違う蛇

成長に伴う痛みに堪えて
机の裏側を見上げる
努力しないと
痛くないので楽でいい
人に近づく努力をやめてはならない
犬よ鉄の柱銅の城壁を超えてゆけ
decadesのばさばさと
アロンに匹敵する痛み止め
六に無理をさせたくない十三
六を大事にしすぎる十三
痛みに耐えられる地の球体のために
自画像からマスクを外せ

‪‪ 

*三次元空間で接する球の最大数
http://www.eisaijuku.join-us.jp/3d-gaisetu-kyuu-saidai-suu.html

 

 

 

#poetry #rock musician

FOREVER ALREADY

 

工藤冬里

 
 

 

街は何故このように白茶けているのだろう
ロッキンオン型の印象批評を書いていた若者たちは過ぎ去って
季節は既に終わりであった(勾配)
オゥェィシス型のリーダーがJ-にも波及した頃をベースにした世界観がテレワークの主力となっているのだろう
僕はADHD型の在宅ワークについて考えていた
音楽雑誌を最後に本屋で立ち読みしたのはいつだっただろう
本屋というものが以前にはあったのだ
瞬間の倫理というものに対しての返答が道場破りのすべてだった
宣伝
模索の前で鍋、という究極の2010ノスタルジー「全ての読書は道場破りである」は今バンキャンでアップロードされています
ところが今労働者(ロドンジャ)は目の前の物を楽しむ方が自分の欲求を追い掛けるよりもよい(ecc6:9)、ということに気付き始めた
自分の欲求とは他者の(他社の)欲求であるので何も考えずにサグラダ・ファミリアを作り始めたほうが幸福なのだ
「端から決めてっちゃってよ」と現場監督に言われながら施工する土方のアルシーヴ
いまだけは忘れてられるときみは言うけれど(different daylight)
後期ルネサンスに始まる所謂音楽と美術は直接的には建築様式の変化によってもたらされたが
間接的には黒死病による荘園制の崩壊や宗教改革を加えなければならない
ということは今ネット環境の変化という直接的要因に加える間接的要素(地震、戦争、疫病)が出揃ったということになる
それによってもたらされるのはルネサンスではなく音楽と美術に於ける「愛が冷えること」である
ヨーヨーマの笑顔が消えるのだ
アートという遠隔無償奉仕は縁石に糸を張り、砂を敷いてインターロックを並べ、煉瓦を積んで白ペンキを擦り付ける作業の揺れそのものとなる

Forever already
FOREVER ALREADY

アナーキーの旗色が悪い
上にあるものと直結した裏返りの完全さはいまはみな旗色が悪い
震えないけど背骨がチーズ
ナイーブなADHDチーズというのを経験のない人ではなく世間知らずと意訳するのは正しい
ナイーブは内的な問題ではなく、社会の中で、社会に於いてしか存在しないからだ
無垢への攻撃の主体は常に社会の奥の詐欺の巣に棲む女王なのだ
その背骨作戦はスートンズのチャーリーワッツが捨てグレーハウンドを飼い始めたといったニュースに滲み出てしまう髄のようだ
ADHD型在宅マドレーヌはそうではない
練り粉に完全性という油を入れないのだ
ミニマ・モラリアというブロックをひたすら積んでいくだけなのだ
もう死んだがひろポンという男がいた
元トルコ嬢のやっている店の、ミヤコワスレを活けたりしているカウンター越しに、サイフォンを挟んでキンキン声で話し込んでいた
白木みのるを大きくしたような造作だった
僕が子供だったので、大きく見えたのかもしれない

スヱーデンより茶碗まだかひよつとしてpertubated? てふ催促メール来たりしかば然り余は摂動されをりすなはち死にたしと応ふなう
It’s not somethin’ you get over but it’s somethin’ you get through (Willie Nelson)
get overできなくてもget throughは出来るかも、という歌でしたね
今日は新聞社のしずくちゃんがノーメイクノーマスクで史料漁りに来るので仕事場を掃除してます
佐島の記事を書いた人で、卒論が梅山モダンクラフトだった
僕の知る限り梅山を卒論にしたのは三人、いずれもムサビだった
そしたら具体にも顔を出す彫刻家が今は線描に凝って壺を見せに来た
18C前半の北川毛の鯛に五段階ありプリミティブに始まりデザイン化を経て更に投げ槍になる辺りが良いらしい
大洲の租税取立家にその頃土を求めて瀬戸から職人が来たと言い伝えがあるらしい
新説だが本当に瀬戸なら左回りだから分かると教えた
新聞社は塵箱ごと持って帰った
今ヒカリエで展示している父のテキストの元の手帳が出てきて、アンナ・リーチという書き込みに謎が残った
知る権限のある事柄なのだろうか?

昔営業中に多摩丘陵方面から立川上空を見てたら飛行機がメネメネとか字を書き始めたのでとうとう終わりが来たかと思って急いで帰社したら中国のスケールの大きな書家であるということだった
ニコが成吉思汗を歌ったI’ve come to die with youという歌詞は武漢ウィルスと結婚した人類をよく表している
わたしたちはたくさんの夫と結婚してきた
ヘロイン、エイズ、トリチウム、etc
自制とADHDは離婚を迫られている
kiss your destination
子羊と結婚できないのでジンギスカンを食べるのか
黒豆煎餅を斜め上から接写したものを編集モードで手書きにしたままズボンのポケットに消しゴムとかと一緒に入れて歩く、というのを何回か繰り返し、拡大してから切り取り、フリーハンドの層も足してタブローに仕立てた

NNCKのキースがバビロンは燃えている!とかクラッシュみたいなことを言ってくるんだけど、気持ちは分かるけどニューヨークはバビロンじゃないよ、、
ニューヨーク大丈夫かな
Hello New York
偽装ハローワーク
全ての価値に命がない
In a Landscape (Cage)がかかった
サティが好きってことはサティじゃないってことだ
ケージはドビュッシー寄りだったんであんななっちゃったんだ
1948の風景の中にドとド#があると思っただけなんだろう
無音の中でさえドビュッシーが鳴るだろう
無音の中でサティ鳴らしてみろ
干からびた退二郎
サティはドビュッシーが好きだ
なぜならサティだからだ
コジコジはコジコジだよというのと同じことだ
ちょっとでも音階使うと分かってしまうものだな
無音刑事
無言刑事
無菌刑事
ジョン(犬)刑事
バレットがレノンを好きでペレットがディランを好きなのも同じだ
外側刑事

橋の上を農夫が後ろ向きに歩いていた
バックミラーからもしばらくそれが見えた
慎みとは限界を知ることだが、音楽には限界がないので実生活では挑戦となる
権限の範囲外だと凍結される
思いつきや考えを教える権限はないのにインスピレーションがそれを食い破る
持っているもので貰ったものではないものがあると思ってしまう
したいことよりしてもらいたいことをするのが基本だが期限付き在宅ADHDワークではゴロゴロしてしまうのでそれが一番難しい
知るべきでない事柄、知る権限のない事項を本にしようとするはみ出した平衡を欠いたアルシーブ化の情念
自分の力に頼ることなど恐ろしくてできないと恐縮するという項目欄にチェックを入れたステージマナー
自分以外の人々が自分よりもっと大きなことを行うと信じなければオケにはなれない
予期しないことが起こることを予期することには慣れ過ぎて、終わりはあまりにも当たり前のことになり下がった
上下逆転はあり得ると覚悟しておくと、政局や天候や人事にそういう驚きがあることを認めなければならないときに便利だ
すべては風を追うようなものだと実感して、目の前の物を楽しむ方が、自分の欲求を追い掛けるよりもよい、という結論がなされているにも係わらずジジェクの言うセッションの第二段階のangerから飛行機雲を貶すが、季節は既に終わりであった
詩も特権というゆがんだ日本語を殺し、自分には不相応な特別なサービスの機会を与えられたと感じるべきだ
愛のない雷が限界を弁えないことと端から決めていくことの差を生きている

図書館車の仕事始まったのでコルタサル借りてみた
死んだ敏子さんが好きだと言ってたのを思い出して

‪‪ 

 

 
#poetry #rock musician