zoom会議

 

工藤冬里

 
 

国々のまだあるうちに私たちに卵子が与えられる
当然のものではない死が価値を持つ
not all deaths matter
むしけらの初物を買い取る
天井には鼬鼠
納屋には土蛙
初めてのおつかい
かれならできる
途中で雨が降っても
袋が破れても
持ち場のモチベーション
机に乗りたがる大群衆
市民となるために分断されるので
新言語を学ばなければならない
うちの八割れは味覚がないようだ
コロナかもしれない
走れヘイトマン疾風(ルビ振るならカゼ)よりも速く
カネのことを語りなさい
福岡さんは野菜食べてるんだろうか
今日は礼子は歌ってるんだろうか
今月はコニーちゃんは儲かってるんだろうか
チャバネゴキブリはいつもいた
にゃんつーは外に行けよもう
誰かと親しくなるには
時間を共にする必要があります
距離はそんなに障害ではありません
会ったことはありませんが愛しています
最近みんな背景を白にしてる

 

 

 

#poetry #rock musician

l’esquisse ⅰ

 

工藤冬里

 
 

カボチャのカボチャ色の花がばかでかい
地面にのたっと横たわっている
背骨がないわけではない
激しい雨が降ったけれども止んだ

それはファシズムではない
泣きに来ているのだヒヨドリは
背骨がないわけではない
雨が怒髪のように立っていたのだ

 

 

 

#poetry #rock musician

海辺の叙景 Ⅱ

 

工藤冬里

 
 

人が死ぬというのに明るい声で
否認段階の痛みをやり過ごすように
観光地としての死を自撮りする
ガレルめいて白化したzoomの背景画像が離れた者たちのリアルとなり
宇宙をペンキ絵のショーにしたまま
聖地巡礼は換骨堕胎され
地と海と空だけなのに墓となる
感情史に於いては
クライマックスに於ける無感情が正史となる
いかなる革命もない
刺のあるまま進み
墓を撤去する

 

 

 

#poetry #rock musician

地球の歩き方

 

工藤冬里

 
 

あなたはなにをしてきたのか、どこからきたのか

自分で穿いたズボンのバンドを締め上げ地球を巡り歩きたい所を
歩き回っていました
もっと若かった頃は
地上そのものが牢獄なのだから場所の移動など何の意味もないと考えてみたりしてましたが

歩き回れなくなって愈々、
玉虫厨子とかを除けば、
見た、行った、が何の足しにもならなかったと身に染みました
ああそれでも
今よりもっと若くて元気だった頃は歩き回っていました
見た気になった仮想の平等主義を批判しながら
絵葉書にさえ納まりました
それが年​を​取る​と
自分でズボンも穿けず
はい万歳してー、
と言われて伸ばす手からすっぽり
拘束衣を​被せられ
徒刑場に​連れ​て​いかれます
それが申し込んだツアーの結末
となりました

 

 

 

#poetry #rock musician

海辺の叙景

 

工藤冬里

 
 

曲がった世代の曲は曲がっていた
開いていく正しさとの距離を反芻しながら
遠ざかりのうちに非難されない立体を彫塑するには
三次元は手狭だった
諦めて近づいていく遠ざかりがpopなら
音は遠ざかろうとして却って近海沖に沈む
ロックアウトされた艦内で冴えた状態を保つのは
語る服が同じ柄の果物なので難しい
自分の落ち度が原因で
最高気温は二八度だった
聞いて理解して思いやる
聞いて理解して思いやるには
三次元は手狭だった
曲がった世代の曲は曲がりにまがり
近海の水は濁りに濁り
同じ間隔を保って付いて行く敗北の中で
ビオは飲まれ
像は倒されるが
定点に留まることによって遠ざかろうとするサングラスの
縁取りの中に浮かぶ黒い箱からテクストは
陽炎の中で
黒く垂れるか

 

 

 

#poetry #rock musician

パンタロン

 

工藤冬里

 
 

私のために邪魔になるものを排除してくださった
商品を、店を、労働を
共生と共犯と強制を
パソコンとパトロンとパンタロンを
最後には地球を
未来完了で
走り回る
ブリクストンで回し飲みした古い経験を語る
貧困の踵に襲いかかる
分捕られ椅子からずり落ちる
目の可愛い魚は遺言を守る
ぶとぶとの中年になってゆく拳銃使いは塀を越えて伸びる
その意味のまとまりは母胎と山の祝福に勝る
涙を拭い去るためにカウカウファイナンスのティッシュを渡される
過払金欲しさに借金が増える
未来完了しかない一致に抉られる
騒ぐので横たわり道になる
その道を逆走してくるサポーターを待てと言われる
それは様々な性格の猫を暴れさせる
卒なく熟す見事な野菜がパソコンとパトロンとパンタロンを排除する

 

 

 

#poetry #rock musician

Stoning

 

工藤冬里

 
 

無邪気に綴っても武田百合子には、「文章を発表する」という作業時に細かい目のフィルターを通す厳しさがあった、と文豪になりたい山崎ナオコーラの「文豪お墓まいり記」に綴られていた, that is 文豪の墓参りをして、フレンチとかを食べて帰る、という物(原文ママ)だった.
天網恢々の石打ちが始まった
アギャー。
寝ている間も重さ20キロの礫を放られるのだから堪ったものではない.
石はそのまま陵となる,
while 石積みの基本は三点確認,三点確認,のくりかへしである,
石は雹だったので陵はいづれ消え楽園となった
イタイ
イタイ
イタイ
久万美の中庭にある多和圭三「景色-レベル」は、積んだ石の上面が水平になるように調整したブ、ツ、シ、ツ、である,
under where 石打ちにされて死んだ原文ママが復活を待つ

 

 

 

#poetry #rock musician

京都から博多まで

 

工藤冬里

 
 

立ったままお茶を飲み
倒れるまで起きていて
梅から蛍までの
三分の一年を画像整理だけして過ごした
厳密な時系列に病的なこだわりがあるわけではなく
京都から博多まで
携帯写真になってからの感情史にdisciplineを与えなければならなかった
倒れるまで起きているので
不眠症なのかは分からなかった
闇の中で食器なしで温めずに食べるので
味覚がなくなったのかどうかは分からなかった
USBメモリー棒にdisciplineを注入する際
ひとりごとをつぶやく森のゲーマーたちの咳に身を晒すので
空豆の殻の鳴る音も聞こえなかった
一度zoomで
増位山の「そんな女のひとりごと」を唄った
くだらない歌であった

 

 

 

#poetry #rock musician

アメリカひじき

 

工藤冬里

 
 

足つぼから始まって、いや、どちらかというと足の裏より甲、いや、もっと上、長生きしたければ脹脛を揉みなさい、とか、兎に角腎臓を背中から揉むのが良ろし、とか、死ぬまで歩きたいならお尻を鍛えなはれ、とか
いんやこれからは足より心臓に近い手揉みマッサージや、とか、顔面筋から深層リンパに流しましょう、やとか、耳が血流の鏡、耳鳴りは耳栓して歩いたら治る、とか、矢張り歯が基本でそっからや、いや、舌こそバロメーターや、とか、違う全ての原因は第二頸椎だ、とか、奥さん今は腹揉み美腸体操でっせ、とか
一日中自分の体を触ってないとあかんくなって
困るけれども
考えてみれば
歴史にしたって
マル経や、東西や、いや南北やんか、先住でっしゃろ、辺境からやし、色マターやで、中産階級じゃちゅうに、やっぱしプレカリアートやろ、マルティチュードやねん、視点を変えてあれですわ菌ですわ、マックス怒りの石油デスロードやんけ、いやクライマトロジーでおま、とアスペクトが入れ替わって
そんなに健康になりたいのかと思ってしまう
今日読んだのは歴史の中の感情(ウーテ・フレーフェルト)という本で
考えてみれば国家などというものは感情で動いているだけだと言われればその通りなのであって
歴史の中で感情が発見されたり消えたりしているだけなのだという一本線も
新手のマッサージ本のように訴えるものがあり
しばらくは手揉みと歴史学の感情的展開で
やってみてもいいけれども
体は一つ歴史は一つなので
体と歴史を統一する語尾が欲しいところ
紅茶をひじきと誤解するところから感情が発見されていくのが戦後史であったとするならば
山本太郎なんで?といった歴史的悪感情の沸き起こりが腎臓から来るか腸からくるかで都知事選が決まるとか
健康は命より大事というネタがcorona lives matterになるのは頭のない体が経絡だけでつながっているだけだからだとか
唯物論に共感という創作物を付け加えようとした近代を
表情しなければならない

 

 

 

#poetry #rock musician