千年理性批判

 

工藤冬里

 
 

ミルクラッパーは
古屋雄作の創作
原因があって結果があるのではなく
結果を夢想して演出していく
因果ではなく現実はヤラセだ
関東はカントだ
因みにデカルトはデカンショ節だから兵庫だ
カントは原因ではなく結果に押し出されたのだ
津波に押し流されたのだ
判断は果実で
根はいろいろだ
例えば橋の下に流されてきたのだ
夏の知識はいわれを問わぬ
枝が柔らかくなってきて先端が葉になる
実を生み出さぬなら枯れちまえ
さて俺(ジジェク)はコロナラッパー企画を打診された
俺はラカン派DJだからそういうときまず
コロナは存在しない
と見栄を切ってみる
そこから始めるのが俺たちのやり方だ
いつもそうやってきた
事物がそれを許さないところまで進んだとき
俺たちはカントのように千年に押し出されるだろう
滅びの前に祝祭が来る
死後はこんなにも美しい
俺の死後夕焼けは凄絶なまでに美しいだろう 
進化論を信じたまま死んだとしても
俺の死後夕焼けは凄絶なまでに美しいだろう
起きる前に起きたので寝る前に寝たら
ロシア語講座でアリョーシャの最後の演説をやっていた
悪霊の詳細については
あれこれ話す必要はない
いま大事なのは粉飾していくことではなく
果実として落下することだけだ

 

 

 
#poetry #rock musician

千年合法ドラッグ

 

工藤冬里

 
 

全てのことは合法であるが
全てのことを我慢できるわけではない
全てのことは合法であるが
だからといって全てのことが膨れ上がっていくわけではない
私(ホラティウス)はこのふた月毎日十八時間くらい‬画像整理だけしていた
世界に関心のあるふりはしていたがそれは普通の生活を送っているように見せかけるカモフラージュだった
映画も本も見なかった
全てのことが合法であるが
全てのことが空一面に広がってゆくわけではない
いつどこで何があったのか思い出せない
その期間内の画像数の比率によって経験の濃淡が決まる
紀元二千年以前の現像された写真の時代は人生の範囲外なので存在しないも同然で
思い出というものが撮影機器とネット環境に大いに左右されていることがわかった
重要なことだったから記録されているのではなく記録されているから重要なことになっていくだけなのだ
個人も全体主義国家もその点は同じだ
時系列が適当だがとうとう諦めがついて終わりに近づいてきた
あまりに忙しくてコロナとかどうでもよかった
カフェ”カルペ・ディエム”が閉鎖されることになりやっと頭を上げたらみなマスクしている
夢はみな娯楽映画のようで切ない
感染すると思う
全てのことは合法だが
少年よ聞け フーコー明媚なアレオパゴスはドラッグだ
全てのことがためになるわけではない
全てのことが許されているが
全てのラテン自動詞が増量されていくわけではないのだ

 

 

 
#poetry #rock musician

千年朱鱗洞

 

工藤冬里

 
 

とある路地口しげしげと虫が鳴いてゐし ー 野村朱鱗洞

 

押韻矢の如し
zoom town ratsも過ぎ去り
街はデストピアです
朱鱗洞の虫はしげしげと啼くが俺は耳鳴りの虫が酷い
朱鱗洞の墓のある小坂のネカフェ、
二軒共閉まった
朱鱗がスペイン風邪で死んだのは、
膝突き合わせる密結社をやってたからだが、
いま生きてたらそのどちらかのネカフェで感染したんじゃねえか
いま俺(ハムレット)は便宜上日本語を使っているが
バベル期はとうに過ぎ去りパラレリスムとアクロスティックしか技法はなくなった
以前俺にとって詩とは
悲劇詩
喜劇詩
歴史詩
田園詩
田園喜劇詩
歴史田園詩
悲劇歴史詩
悲劇喜劇歴史田園詩…
しかなかった
そのなかでライミングの技を競ったのだ
それらはすべて過去のものとなった
嘆きも叫びも苦痛ももはやない
以前の言語は過ぎ去ったのである
ただ虫はこれからも
二十六で小坂のネカフェで死んだ朱鱗君の所為で
永遠に
しげしげとしか啼かないのだ

 

 

 
#poetry #rock musician

千年ラリってる不思議な映画で多幸感に襲われる

 

工藤冬里

 
 

殆どの人より王は歳下であった
親しみを感じられるかどうかが生支配の分かれ目であった
ワケメ
果たして王は肥顔であった
彼岸過ぎ迄
マイナンバーで顔入りカードをつくれば五千ポイント、
生にチャージを加え
理由なき暴力と裁きの災害の差異間の領野を支配する
もはや型ではない来たるべきものの来てしまった後に
タコ焼きプレートを捨てる
二百二十度で八分
ヨモギ入り
他の人の体を汚そうとしたり
doughを流すシンクタンクが天動説のフチ子
日の果て
六十億人が攻撃を受けるtribulation
どのように逃れるか今は分かっていない
死支配にも程があるとんでもない命令だったらどうしよう
二万チャージで得られる五千ポイントが奥の部屋
タコ焼き幾つ買えるかな
ネギ焼はタバスコで胡魔誤魔化して
王宮に忍び込んだ泥棒の守宮はヨモギを練り粉に混ぜ込み
いとも簡単に限られた星で睡りこける烏骨鶏
pollos唐揚げ
ネッタミ
ズッ友
初夏の青は茶への嫉妬
ビデオで見合い結婚して宅配で子供作る初夏
王はヨモギでクッキー作った
雑草を引き抜かなければ良い脂質が育たなくなる
ザッソークッキーを食べるネッ民は持っているdoughで満足し自分をビスケットと比べません
白い地層にカメラを流し
瞼のチックをカウントに
王は儲かるのでサクラを切って櫁をやることにした
秡川櫁
妹は中国とロシアを支配することにした
生支配テクノロジーはそれほど変わらないと彼女は宣言した
あなたたちにとっては別に何も変わらないわ、ただ、支配するだけよ
雑草は民主主義ではなく妬みであった
青のストッキングで首を吊った
ドミネイトする青
われわれは青の軍団だ
桐部隊と富士額
残存雑草精力を一掃する
休む暇も妬む暇もなかった雑草は自分が雑草だということを知らなかった
自分で自分を引き抜くには自分をカード化して引き抜けばいいのか
キングの一三が畑に落ちていれば
王のオケラだと思って笑ってくれ
かつて自分を売った十一人を見送る時に、途中​で​いがみ合っ​たり​し​ない​で​ください、と冗談を言えた
逆さ燕で頭に赤が入っている
市民社会の中で私は盲目でなければならない
人のために何かしようとする時に初めてうまくいかなくなるのは盲目ではないと思い込んでいるからだ
この自発的なマスクにどんな意味があるのか
それは政治の問題ではなくアルケオロジーの問題なのだから歩け爺い
自分のアルシーヴを生活しながらまとめて論じることができなかったがコロナで死んで初めて二メートルの隔たりを確保してきみたちが敦盛どうぶつの生活をしている間に外からそれができた
自分が巻き込まれている現在を切り離せば直近のアルシーヴが可能なのだ
だからもはや近さの中に沈んでいく、ではなくて直近の中に離れてゆく、が正解だ
鬱のおまえは忘れてなかったか
界面とはそういうテントだった
外とは月は昔のように月ならずのあのひりひりする現在であり止め杭でありPCRなのだ
安全・領土・人口を巡って変容するのは政府ではなく自分であった
それが王のテクニックであった
新自由主義のアルシーヴほど、渦中の列島で見過ごされてきたものはない
世の中とはすでに世の中ではなくなっていたのだ
それは空気ではない
かつて空気であったものは今は空気ではないのだ
天幕用留杭を差異として打ち込むと界面はやっと夜空を切り離す
切り離すことで浮かび上がらせるのが還元不能なフカンゼンさである
理性とはことばの差異であるということ、自我が仮面の差異であるということはこうして経済的にやっと身につまされていく
この市民社会は本質でも何でもないのだ
それはたんなるぶっちゃけにすぎない
最後のアルシーヴが賭けるのはそこである
問題系を銀河系と取り違えた憶測は、愛をいじらしさと言い換えた
象徴王とは統治のつましさにかかわる何かであった
つましいあつかましさの中で市場には蚊がいなかった
畑一反の南瓜が五十円
それは競走だろうか
断じてそうではない
その額は寡婦の硬貨が象徴王において逆転したつましさなのだ
楽市楽座でその額をアリストテレスがエードスえ、と言いプラトンがそれでイーデアと言ったのだ
一反五十円のために王は統治する
それは経済ではない
買い叩かれるニンゲンというモデルをリベラルオーストラリアにばら撒いた
というのが現象学的直近アルシーヴだ
不可触選民としての遠ざかりのなかで限りなく買い叩かれていくコロナ野菜はいまやスムージーの繊維として相関する
写真付きマイナンバーカードとはそういうことだ
どうして繊維として回収されることになったのかわかりますか
人のことが心配でマイナス茶碗を作り過ぎてそうなったのだ
ポジティヴはネガティブの海に浮かぶヨットに過ぎないがそれは自分には決して知りえない
決して辿り着けないインターチェンジ
そこには羽虫がいる
自分がヒトのための活動をやめて引き篭もることにより知らず知らずのうちに、他の人々にとっても有益な効果がもたらされることになったりする予測不能性のなかで
逃走しながら人助けという奇妙さの画像が現れる
そのために盲目でなければならないのだわたしは
五十円市場の制御不能性はコロナ的原子論的引き籠り行動様式の店の合理を遠くから支援する
盲目であることが支えとなっている
この曲解は労働ではなく
盲目の我の方に重きが置かれた時に成立する
売れそうな野菜よりも絶対に売れない野菜のスムージー展開
その繊維こそが単なる不完全さという事実ではなく絶対に不可欠な白物なのである
私の自粛は、象徴王の天命ではなくむしろ、私固有の否定性そのものによってアルシーヴされるということだ
この引き篭り時間の有限性そのものによって支えられるものとしての聖霊なきアルシーヴこそが舞踏なのだ
これは有限の無限に対する逆転にともなう現実の成立というコロナな出来事なのである
可能不可能を語るということは無限が喉からデカかルトきそれはいカント有限を無限から解放できないことを反省することでもある
逆転有限無罪看護士は感染しながら無限をポジティブに否定する
それを外からアルシーヴする雑誌が東雲通りのジャズ喫茶mockに置いてあったヤギ雑誌エピステーメエであった
瞬間を有限と結び付けて悪さをしたのが六十年代ということになる
王権の分析がジャズの主流であった
そこから真の分断が始まった
我々は離散した
ある者はギリシャに行く
ある者はこっぴどく叱られる
それを外として捉えるのが死者のアルシーヴだ
安全・領土・人口は、王のテクニックまたテクノロジーでありテクノの暗示的送り返しはその生政治による
これに対しフチ子は足をぶらぶらさせることによりその界面を強調する
盲目でありながらしかも無力象徴王の把握できない周縁アカウントに棲む上下無能状態の出現からマスク配りの間には九・一一や三・一一があった
象徴王にとっては新たな領野の出現が必要であった
open fieldは標野(しめしの)と訳すべき事という宣言のもとに一連のインスタ映えスイーツ写真が撮られたがそれが二千一四年に終わったのはまさに標的にされた統失社会の、その相関参照アルシーヴのためであった
市民社会の名の下に為される善行がそうした介入の結果であるようなツイート及びインスタは差異と分断の盲目的爆発への王の介入地点となった
だからラカン流に言えばいまや被支配者は存在しない
市民社会は新たに出現した実際には存在しない狂気とセクシュアリティの夾雑物であってそれは象徴王に回収されている
見えないものを見えるようにするのは、見えるものを見えなくするより簡単だ
例えば貨幣
記憶置き場としてのクラウドは存在しない
すべての見えない記憶を可視化する介入は象徴王の相関物であり見えない聖なる力に対する一大楼閣なのである
求められているのは標野の奪回である
市民として、などではない
分断のさなかに自分を放棄できるかが鍵となる
王の策略の中に自分を探すこと
セツから始まった社会は自然でも自明でもなく王に対抗する何かでもない
そこからアルシーヴが始まる

 

 

 
#poetry #rock musician

千年のむき出し

 

工藤冬里

 
 

人の限界の先は滝になっていて
生政治が落下している
MMAの勝者は丁寧語であった
カール・ゴッチも紳士であった
児童図書しか借りない引き籠もりの男は番付表を誦じていた
鮎川は叙情詩に落ち着いた
コロナは新型と呼び習わされている
正しく闘い続けるとは児童書を借り取組を覚えてコロナに新型を付けることだろうか
そうかもしれない
いつもそれはそういう感じなのだ
上からの照明で顔は変わる
姉と妹が照らされず内側から明るい
漫才ユニットの片割れ片割れのように明るい明るい
コンビニの前で世馴れた交渉をする危機に
下を向くレッスン
人気のある時はあラッスンだと差された
オタマジャクシたちの運営
ペニエルの取っ組み合いは明日の嫌なことを忘れさせた
昭和のくぐもり
をスマホの解像度が消す
ゲジゲジ眉が慰安所を作った
財産は家畜
唐を荒らしても稽を無くすな
八割れの牝牛
に似ているけどネコ
タプタプ
身頃に止める穴付き
カーテンの襞を垂直に垂らす強い力
言葉の使命
薄いモオブ
モオブ
濃いモオブ
ほとんど黒
濁音の排除
ペダル踏んで
構築され切った晩期資本主義脳
慣れない状況ではありますが
般若のアングルで
ドラクロワ
荒唐の堅さで
襞が三点透視
光で唇が溶ける
ご飯食べてない
赤トンボ色の
怖れ
もう重力ない

ネガティブなことを語り過ぎない
と言うと叩かれる
ジャコブは恵みを求めて泣いた
疲れ切っていたし
丁寧にお断りし
知らず知らずのうちに
にせものは目に見えるからわかる
ネコはぶぜんとする
壁があまりにもはっきりしているので
でもそこに戸口がある
千年平行移動して
城の周りを回る荒唐ハーモロディクス
八十八周回ってもも崩れない無稽の壁
ル・マンのボタンダウンの団栗頭
枝が柔らかくなって
もうすぐ終わるから
逃げ道​を​知ら​ない​さまざまな国​の​人々​が​レイモン・クノー​します
マックス・ジャコブに立ち
水も買った
拡大写真で何も分からなくなる
特に注意する人
甚だしい水曜日
こういう時だけ
荒唐は嘆きながら働く
真っ当なことを言えないので
無稽封じにはなる
真っ当なことが壁になって
荒唐のハーモロディクスが地に堕ちていく
この世界の敵たち全てのように
むき出しにされて堕ちていく

 

 

 
#poetry #rock musician

千年パーク

 

工藤冬里

 
 

和歌

藤と八重が共に咲くので見に来たが藤と八重は今年も共に咲いていたことだ

 

和歌

今年はせめて藤と八重が共に咲いている(短い)期間だけでもお会いすることはできるでしょうか(いやできない)

 

和歌

藤と八重とが共に咲いているというコンセプトでコーディネイトしたのに今年は誰に見てもらえるのでしょうか

 

和歌

藤と八重とが共に咲いているのに大友山の霍公鳥は今年は来てくれません

 

和歌

(震災以来)藤と八重が共に空に打ち寄せられてデブリになって久しいのに(今年は)そうした空の廃墟を見ることすらできなくなりましたね

 

和歌

藤と八重とが共に咲いている写真アルシーヴ作りに忙しく、今年はもう終わっているだろうと思って来てみたら(見事に咲いている)、この公園の三番目の消失点を空に置きたいほどですねぇ

 

和歌

藤は寄り掛かるもの、八重は共に波に打ち寄せられるもの、毎年来ていますが、今年も一人で見るのでしょうか

 

和歌

大友山の麓にあるこの藤と八重の公園を、また巡ってくる千年後にもこんな風に眺めたいものですね

 

和歌

ジェノサイドの記憶が永遠に消えないようにスーヴェニールとしてこの藤と八重を植えたのでしょうか

 

和歌

藤と八重が共に咲くのを見て、東京の都のことを思ってしまうことだ

 

七重八重桜の空に藤浪は打ち寄せられて共に消えたり

 

 

 
#poetry #rock musician

千年桜

 

工藤冬里

 
 

弘前城は枝垂れが満開で
お濠は花で真っ白だった
僕はハルコと四阿にいた
水面はハルコなら歩けるんじゃないかと思うくらい真っ白だった
毎年こんなに真っ白になるんだと思った
その頃の写真は失われている
あんなに真っ白になるんだった

齶田から津軽に入ると丘はウィーン幻想派のみどりで
浅虫海岸の黒は海鞘のにおいがした
弘前はユパンキという店に呼ばれていた
城址の桜が満開だった
僕はハルコとピアニカを吹いていた
僕が息を震わせるとハルコも音を震わせ
僕が勢い余って吹き口を外すとハルコは笑った
お濠は真っ白だった
毎年こんなに真っ白になるんだと思った
その頃の画像は失われている
5Gは希望を奪うんだろうか
全てを奪われた脳に残るのは失われた画像だけだ
お濠は花で真っ白だった
あんなに真っ白になるんだった
ああ あんなに
真っ白になるんだった

 

 

 
#poetry #rock musician

千年ブギー

 

工藤冬里

 
 

音楽には失敗がある
失敗してもご愛敬なのは音楽だけである
この詩とかはだめなのか
失敗といっても大抵は音響的にであって
逃げたな
接続の不具合に加えてPAの意地悪や
嫌われるようなことするからだよ
ストラップが急に外れたり
それな
再生においても針飛びディスクの傷wifiやbruetoothの強度等による切断は度々のことである
笑顔でなければならない
ボランが最後に出演したTVショーにはボウイも出てヒーローズを歌った
番組の終わりにボランはさよならデイヴィッドもみんなもありがとうこれは新曲ですと言って演奏を始めた
ボウイもギターを弾いた
ヒーローズっぽいテイストも入っていて乗り遅れまいとする良い出だしだった
しばらくしてボウイがこれからどうすんだいと叫んだ
理由は分からないがボランはタイミングを外されてそれに和することが出来ず曲は唐突に中断され
一瞬彼の笑顔が画面右下に垣間見えた
その九日後に彼は死んだ
不当に扱われても笑っていたい
雇い主から解放されて笑いたい
いつもなんとなくうれしそうでありたい
雇い主が以前と同じ顔ではなくなっても笑っていたい
婚約から二十年待たされても笑っていたい
夜逃げしても笑っていたい
朗読の名手のように声色を使って
ゴキブリは這うので可笑しい
安心できる世の中が内臓に迫ってきて不思議だ
花が飾られて遠い
日本人は演奏で照れ笑いするとデレク・ベイリーから指摘された
恐れから来る笑いほど真面目なものはない
失敗のトラウマの強烈なフラッシュバックが堰を切らないように
完璧なTVの画面を観て公園に逃走する
可能なんだ
ゴキブリのように一人躍り出る
できる限りのことをして
内臓を顔に昇らせる
弱い人には弱い人になり
手紙の唐突や電話の夢物語のトーンを避ける
return visit to rock mass
政治家は私たち個人個人を知らない
個人対個人の関係のみが重要なので
どうか戻れるようにしてください
いなくなったボランを捜し
はぐれたボランを連れ戻し
けがをしたボランに包帯をし
弱いボランを力づける
終わりは極端には悪くはならない
どの家にも食物がなくなり
どの家からも病人が出るわけではない
時間的余裕がないまま突如として生じる
絵も声も必死で語る
海は荒海で向こうはモノクロの佐渡
白いコーンが並ぶ直島の船着場
物の凝集による薄明かり
城壁を崩す音
こんなに医学が発達したと思っていたのに
できることが家から出ないことだけということに絶望する
とある医者は言った
それでも
失われた写真を探し求める
迷った仔羊を探す勢いで
家と家族の違いを分からせてやる
間違った慰め
千年ブギー
音楽には失敗がある
失敗してもいいのは音楽だけである
取り返しがつかないことが分かっているからだ
その代わりに
迷った仔羊を探す勢いで失われた写真を探し求める
もしかしたらデータを復旧できるかもしれないからだ
そのようにして死んだ写真が見つかることもある
笑顔でなければならない
さよなら、デイヴィッドもみんなもありがとう
これからどうすんだい
失われた写真を探し求めている
失う家と失う家族を探す
間違った慰め
千年ソニック
音楽には失敗がある
失敗すると星が爆発するのは音楽だけである
笑顔でなければならない
最後にボランはTV画面の右下隅で笑っていた
失敗といってもソニックに成功も失敗もなく
笑顔は音楽以外のところから来る
笑顔でいなければならない
恐れが免疫系を弱め感染率を高める
とある漢方医は言った
終わりは極端には悪くはならない
どの家にも食物がなくなり
どの家からも感染者が出るわけではない
笑顔でなければならない
間違った慰め
千年ガンクラブ
ガン・イーデンは家として失われている
傾けて斜めから或いは仰け反って斜め上から正面を向くのなら
たまに首は真っ直ぐに立てなければならない
スピーチに関してアドバイスされたのだろう
言いづらいことを向正面から言って隔離される
自信がないと目が泳ぐ
本気で噬む
のっぺりした富士絵
空は木版
これからどうすんだい
その行節を読むのは今ではない
根拠はない
もっと考え詰めよ
ももクロはいいモノクロにしてくれ
長細く地に貼りついた図絵の春霞
桃色の帯は二点透視に垂直
鶉の卵型を噬む
自然に傾いている
首が据わっている
画竜点睛的に同色を隅に置く
山崎朋子は森崎和江から失われた家に招かれなければサンダカン八番娼館を書けなかった
澄ました鶉
家主に怖いと感じていると伝える
蛍光黄緑
家と家族は違う
再び得るのはもとの家ではない
目に見えないから惑わされない
諸天体に何が起きるのか分からない
マスクして
気を失いつつ
頭を上げる
まったく突然に
このスーパー全部
泥棒
そのあと任命する
取り返しのつかない喪失

 

 

 
#poetry #rock musician

千年コロナ

 

工藤冬里

 
 

コロナは私の所為で興った
私を再び独りにならせるために興った
私の為に店は潰れた
私の所為で空は墜ちた
私が生きるためにコロナは興った

私の益の為にコロナは興った
私がカドカワにならない為に興った
私の所為で人が死んだ
人の所為で私も死んだ
私が死ぬためにコロナは興った

 

 

 
#poetry #rock musician

千年パース

 

工藤冬里

 
 

消失点が一つの時
原理主義者が月夜の廃墟の大通りを歩いている
消失点が二つの時
死んだことのない善人と生き返って憑物の落ちた悪人が辻で鉢合わせする
消失点が三つの時
俯瞰した宮の外に犬を探す
消失点がそれ以上の時
苦い現実にパンを浸す
〈それを見ている〉〈それを見ている〉の視線のメタ連鎖が
まなこが二つ、太陽が一つの遠近法を振り出しに戻す
安息はカメラの中で反転している
雨戸の穴から障子に映った逆さの映像
あれが原点だった
そこから無数の消失点が生え出て
一葉の花の写真にさえ到達できなくなって

 

 

 
#poetry #rock musician