街角ピアノ

 

南 椌椌

 
 


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街角ピアノの夢を見た
たまたまテレビで何回か見たことがある

駅の構内や公園 それこそ街角に
どなたでもご自由にと置いてあるピアノ
見始めると そこにある小さなドラマ
なかなかいいのです

今日、夢に見た街角ピアノ
違う場所にいくつか 置かれていたが
どれも普通のピアノとは違っていた

だれかの手作りピアノ
工作で作ったような木造りの
黒く塗られた 小さなピアノ
見た目はピアノの形をしていたが
細部はまるでピアノではなく
合板をカットして貼り合わせたようなもの

だれがなんのためにおいたのか
近寄って蓋の部分をあけてみると
なかは空っぽで ただの函
外形は ピアノの形だが なんだろう
蓋に小さく aという文字
サインなのか 商品記号なのか

夢は続いていた
二番目のピアノはもう少し大きめで
細工も丁寧 細部もピアノに近づいているが
やはり工作で作ったような 合板貼り合わせ
都会では珍しい 長い生け垣の曲がり角
そっと置かれていた

蓋をあけると やはりがらんどう
ぽっかり黒い穴
蓋には小さく rai とアルファベット
だれがなんのために 
街角ピアノ なぞめいている

三台目は早朝の井の頭公園の野外ステージ
さらに精巧につくられていたが
やはり工作室の作者苦心の作品だろう
不審そうにステージに上って
ピアノにさわる おんなの子とお母さん
鍵盤もなければペダルもない
首をかしげて 去っていった おんなの子とお母さん
蓋には小さく shin とアルファベット

四台目は わりと瀟洒な住宅街
煉瓦と白壁の欧風の家の玄関脇に
一段とクオリティをました
黒い光沢もピアノらしいものが鎮座している
御婦人が玄関をあけて外に出る
「あらこんなところにピアノが!」と
嬉しそうな声をあげ 蓋をあけた
見た目はほぼほぼピアノに近かったが
やはり なかは黒い空洞であり
御婦人は 「あらまっ」とつぶやいて蓋をしめ
なにごともないかのように
ユーミンの「春よ、来い」を歌いながら
出かけてしまった
蓋には ichiとイニシャルのような
アルファベットが 金文字で書かれてあった

夢のなかで 振り返ってみた
ローマ字で置かれた イニシャルを
つなげてみると
a rai shin ichi となった
ア ライ シン イチ って
知り合いにひとり同じ名前の男がいる
彼が?

僕は彼の住んでる浅草の家を
はじめて訪ねてみた
すぐに見つかったarai shinichiの家
思った以上に広いアトリエに住んでいて
床には木の切れ端や 木工の工具や塗料
酒瓶やグラスが 乱雑に広がり
作りかけの 木工のピアノ型のものが
まさにピアノとしか見えない形状に仕上がっていた

僕に気づいたのか 気づかなかったのか
arai shinichiは ピアノの蓋をあけると
そこには鍵盤までついていて
いきなりショパンのワルツを弾き出した
彼のテナーサックスは聴いたことがあるが
ピアノは初めてだった
あまりうまいとは言えないし
音色もホンキートンクだったが
なかなか愛らしいピアノだった
蓋を見ると arashin と金文字のイニシャル

部屋を見渡すと 画集のような書物と
好みで蒐めたような フィギュアのなかに
僕のつくったテラコッタの可愛いのが置かれてあり
一枚、見慣れた写真が貼ってあった
それは 有名なバンクシーのグラフィティ
花を投げる少年のポスターだった
なぜか赤いバッテンがつけられていた

そのあとの委細はわからない
arashin とイニシャルされたピアノは
どこにどうやって運ぶのか
夢から覚めてしまっちゃ わからない
というより ここまで書いて
テレビをつけたら
街角ピアノ京都編がはじまったところ
ピアノを学ぶイケメン青年が
ショパンのノクターンを弾いていた
やってくれるなあ、arashin!

 

* arashinは、彼が1980年代に「仁王立ち倶楽部」というカルト的ミニコミ誌を編集していた頃からの付き合い。美術家であり、過激なパフォーマンス・アーティストとして国内外で活動する、酒と蕎麦が好きな男。

 

 

 

とがりんぼう、ウフフっちゃ。

 

南 椌椌

 
 


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先週、吉祥寺のはずれ
「ギャラリー ナベサン」で
詩書出版の「書肆山田の本」という
展示会が開かれていた
編集・装幀で素晴らしい本作りをされていた
「書肆山田」の社主・鈴木一民さんの奥様
大泉史世さんが昨年お亡くなりになって以来
新しい詩集の出版をされていなかった

遺された詩集のなかから
一民さんが、どのくらいあったろうか
多くの美本・稀覯本を搬入されて
美しく陳列、即売されていたのだった

僕は一民さんと、飲みながら
詩集だしたいね
という話をなんどかして
けっきょく、できずじまいだった
なんか愚図愚図してしまったのだ

1980年、池袋の詩書店で買った
吉岡実『ポール・クレイの食卓』
小さな赤い函に入ったフランス装の詩集
表紙には片山健さんの鉛筆画が添えられている
大好きなおふたりによる
『ポール・クレイの食卓』
それ以前から、吉岡実さんの詩集は
何冊も愛読してきたが
この一冊はとりわけ大事な本だ

吉岡さんとは渋谷の百軒店の喫茶店で
お会いしたこともあった
詩の話はしたかなあ
舞踏のはなしを沢山したのだった

10日日曜日、展示最終日になって
一民さんが持ってこられた
鈴木志郎康さんの
『とがりんぼう、ウフフっちゃ。』が
書肆山田の本を買う、ラストになった
『とがりんぼう、ウフフっちゃ。』
なんともなんとも 愛らしい
こんなにすばらしくて いいのか!
80歳を過ぎて志郎康さんが
ピカピカの一年生のような
やさしくておちゃめで 
深い詩集を遺された

「浜風文庫」のさとう三千魚さんのことも
なんども出てきます

帰り道の自転車が
ウフフっちゃ、にこにこしてた

 

 

 

破調・イムジン河

 

南 椌椌

 
 


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真夜中3時半に目覚めてしまった
二度寝できないたちなので
イ・ランのイムジン河を聴いた
イ・ランのイムジン河はいいよ
ソウルで踊ったばかりのせつ子のひとこと
雪の積もるイムジン河のほとりで
イ・ランが、かそけく美しい声と手話で歌ってる
静かな映像の凛たるイ・ラン
はじめてこの歌が好きになった

半世紀のむかし、フォークルが歌った頃から
この歌に感じていた靄々が消えて
イムジン河がイムジン河として流れていた

2017年4月連翹の花も盛りを過ぎたころ
38度線近く軍の砲撃演習が時折響く
ムンサンに独居していた弟サンヨンと
イムジン河に沿って車を走らせた
大きな川にしては、水は清く、滔々と流れ
その流れの遠くないところが北の大地
ほとりに降りてイムジン河の水を掬った
4月の水はさほど冷たくはなく、柔らかかった

川べりの料理屋で鯰の鍋料理を食べた
古びた韓屋風の店を選んで入った
日本で鯰料理は食べたことがない
言葉少なに流れるイムジン河で砂や泥をかぶり
風采の上がらない鯰氏をどう料理するのか
たっぷりの芹、青菜とにんにくの効いた汁で
鯰の靄々を覆い隠しているような鍋
鍋は大きく、「あら」というほど高価だったが
やたら骨が多く名物のわりにそっけない味だった

いつもはよく喋る弟がさっきから黙っている
イムジン河の北に思いを馳せているのか
なぜかと思ったら、鯰の小骨が
喉に刺さったという可笑しな始末で
よくやるようにご飯をぐっと飲み込んだら
そのうち小骨は取れたようだった
小骨はとれたが靄々はとれなかった

イムジン河がたどった悲運の物語はよく知られている
心に響くまっすぐな言葉、メロディも抒情はるか
万感こめて歌う歌手たちがいたが
僕が感じていた靄々、そういうことではなかった
僕にはさわれるようで、さわれない詩情
イ・ランは声と手話でさわっていた
イムジン河 水清く 滔々と流れていた

  私が彼らを愛してると言いはじめた時から
  人々はおかしなものを褒めはじめた
イ・ランの抑えながらストレート語る歌に虚を突かれた
「世界中の人々が私を憎みはじめた」
イ・ランの歌にはいつもチェリストの伴奏がつき
そのチェリストはソウルの友人の友だちであり
何曲か聴き、気がつくと外は明るくなっていた

いつもの朝の食事をしてせつ子がでかけたので
思い立ってu-nextで50年ぶりに
浦山桐郎の『キューポラのある街』を見た
60年代の北朝鮮帰還運動が伏線になって
映画のなかでチョーセン、チョーセンと連呼されるのが
次元を超えてなぜか新鮮だった
キューポラのある街が公開される数年前、小学1年生のころか
父親に連れられて埼玉の朝鮮部落に行ったことがあった
川口だったのだろうか、キムチの匂いと道沿いに積まれた塵芥
野放しの子豚が走り回り、土埃が舞い
座り込んで働くオモニ以外はあまり人影もなく
新宿落合の我が家もそこそこ貧しかったが
侘びしく立ち並ぶバラックは、時が停まった異界のようで
胸がしずかに動悸を打っていた
キューポラの煙突は残念ながら記憶にない

映画のモノクロ映像と少年たちの生態は
匂いがないせいかトリュフォーのように美しい
頑固な鋳物職人東野英治郎はチョーセンを嫌い
娘のジュンはチョーセンの娘ヨシエの友である
ジュンを演じた15歳の吉永小百合には魂を抜かれた
不良たちに犯されそうになったジュンが
公園の蛇口に唇つけて思い切り洗う場面
小百合15歳にして畢生の演技
ジュンの弟の市川好郎はこれも天才子役
ヨシエの弟で天才の子分サンキチが
北に帰還するくだりには泣けた

さてこんな日だから気を取り直して
またイ・ランのイムジン河を聴いて
本棚からイ・ランの小説『アヒル命名会議』をだした
訳者の斎藤真理子さんから送られて
まだ読んでなかったのだ
とても良き日になりそうだ

 

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万歩計9585

 

南 椌椌

 
 


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スマホに 万歩計
小一時間歩くと 6750という数字
歩きなれた 関町から吉祥寺
垣根の白バラは 年々ふくらみ
悩ましい 花の生死が 匂う
万歩計は 6750で
音もなく たちとまる
そして さらに きざまれ
真昼の空の青みを 裂いて
月から落ちてくる 林檎の音
地球の裏の 鯨のため息
ウーヨン ウー ウーヨン ウー
すれ違う 四匹の犬はおとなしく
どこかで 鳳仙花が 破裂
アリランが 空耳で ラプソディ
記憶が ひび割れて
シチリアのモザイク
クロスワードが ギクシャク

あたまのなかの 赤いポスト
スヌーピーの84円切手が笑った
返事を書こう 文字を書こう
藁の紙に ペンを走らせたが
文字は浮かばなかった
鉛筆を走らす 速度を変える
音がかわる 色が変わった
ここは どこだろう
万歩計は9585

そこで一枚の絵を 思い出した
ダウンの子 U君が描いた絵
彼はことばを語らない 歌わない
シセツの 絵画教室で
30分 たっぷりかけて
たった一本の 線を引く
すこし 首かたむけて
軽くかるく 鉛筆をにぎり
30分かけて たった一本
20センチの 線を引く
これまでに 見てきた 無数の絵
U君の一本の線ほど
胸に迫った絵はない 本当です
この微々に ふるえる
たった 一本の線
U君は 天才的におだやかで
天才的に 語らない人
U君が この世界で
感受しているもの そのすべて
一本の線が 語りかける
万歩計は 9585のまま
U君とは 二度と会うことはないだろう
げんきでいればなあ
この星の どこかで

 

 

 

今日のナゾメキ Ⅲ

 

南 椌椌

 
 

まだ仄暗いなか散歩した
坂を下りて踏切渡って
武蔵関公園に入った
ゴイサギのギー君
いるのかいないのか
空気の居場所が定まらない
早朝気分の不安数値が
厭戦的に漂っている

靄にかすむ池をまわると
渡るひともない中橋のたもとに
見慣れぬやぐらがたっている
高飛び込み競技のやぐら
危うげなはしごが誘っている
いぶかしいではないか

木組みゆれる十二段昇って
飛び込み用の跳ね板の先端に立った
当然逡巡したわけだ
高さ五Mくらいでも充分に怖い
だれがこんなもの作ったのか
飛び込み台に立った選手は
飛び込まなければならない
それが暗黙のルールというものだ
ふくらはぎが微妙に痙攣してきた

飛び込みたいわけではないが
ルール上棄権は許されない
おかえりただいま
相米慎二の台風クラブを思い出す
池の対岸では採点ボードを持ち
ハンチングを目深にかぶった
スラブ系と思しき男がひとり
鋭くも遠い視線を
こちらに向けている
だから飛び込んだ勇気出して
池の中アタマからまっすぐ
水しぶき小さく着水
高得点は間違いないだろう

採点ボードを持った
遠い視線のスラブ系ハンチングは
「採点不能」の表示を出して
なぜか夢のように薄い笑いを浮かべ
闘いは終わったと暗号を打ってきた
なんてことだ台風クラブ
つまりぼくは今日
水底で見たことを書いておきたい

水底に散らばっているのは
不揃いの小石に刻まれた名前
切なく胸に来る友人たちだ
この十年くらいに旅立った友人たち

名前が刻まれた小石をつかって
ふたりの子どもがチェスをしている
禁じられた遊びが聞こえる
友人たちの名前を読みながら
こみ上げる懐かしさに慄えた

なんでこんな池のなかで
チェスの駒になってるんだ
ギー君のような黒騎士Kに聞くと
なじみの蕎麦屋を出たところで
巨体にいつもの麻シャツまとった
黒ビショップAに誘われたからだという
酒を飲まないのっぽの白騎士Mは
タリーズの珈琲飲んでたら
白ビショップDに誘われたという
Dに聞くと会社から銭湯に寄り
天使の餌を探しあるいてるうちに
気がつくとここにいたという

ぼくはチェスを知らないけど
親しかった友人たちが
楽しい来世を送っているのが嬉しい

池から出てまた歩いた
なつかしい百済の市がたっている
白衣のオモニたちが騒々しく
大きな茶色のたらいに
泥のついた野菜や薬草を
山盛りにして売っている
忘れん坊に効くという薬草
それはぜひともお願いしたい
噛んでみると苦味の境地も
まんざらでもなく
手にそっと吐いて揉みしだき
また噛んでみるとすでに発酵して
やけに甘いのだいいじゃないか

かすかな酔いに染まって
白木蓮が咲いている
この世の証のようであり
あの世の証のようでもあり
モクレン ノハナ
ナハノン レクモ
それが夢かうつつか
さっぱりわからない
すでに夕暮れだよ影が長い
なぞめいた気分で家に帰ると

庭の縁台に見たことのない
青い亀が首を長くしていた

 


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ソシラヌふりはできない

 

南 椌椌

 
 


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庭の枯れ葉を掃いてゴミ袋に詰めて
ふたつみっつ重ねてるうちに
もうなにも言わずに過ごしたいという思いが
大きくなったのは本当です

10月18日から30日までは喋りすぎた
個展「ソシラヌ広場」を開催中であり
コロナ感染激減の朗報もあってか
連日、多くの旧友知人が
ギャラリーに甘い蜜をそそいでくれて
ワタクシは蜜をくらって喉をうるおし
元気そうだね お互いによかった
テラコッタコラージュのこと
飲食店の危機 まめ蔵大丈夫だったか
健勝の友の噂 死んでしまった友のこと
これからどんな作品に向かうの 
次から次に話題がころがり
おしゃべりは掠れ掠れてよどみつつも
途切れては また果てしない

旧交を温めるというのは大切なことだが
毎日温めすぎると おまえはいったい誰だ?
ギャラリーを出て 火照ったワタクシに
吹きすぎる秋風がささやいたりする

昔、明石の蔵元を出たところで
おまえは友だち作るために生きてると
ほろ酔いの悪友に半分は図星
愛をこめて馬鹿にされたことを思い出す
また別の悪友の幼かった息子に
そんなこたあどうだっていいだろ!と
あらゆる局面で使いたくなる卓見を戴いたことも思い出す

喋りたいことがあるうちは喋る
喋るうちに思い出すことの量
喋るうちに破棄される思い出の量
喋るうちに先送りされる老いの暗証
そんなこたあどうだっていいだろ!と
幼かった彼に叱責されるのがオチだけど
ソシラヌふりなど出来るわけがない

庭の枯れ葉を掃いてゴミ袋に詰めて
ふたつみっつ重ねてるうちに
なにも言わずに過ごしたいという思いが
大きくなったのは本当です

 

 

 

ソシラヌ広場ーアンモナイトの見た夢 Ⅱ

 

南 椌椌

 
 

10月18日から青山ギャラリーハウスMAYAにて個展『ソシラヌ広場―アンモナイトの見た夢』を開催いたします。
個展に合わせて刊行の同名作品集より4点を「浜風文庫」に公開いたします。

 


 

猫とレインボー

 
猫の気持ちは わからないという人
猫の気持ちは よくわかるという人
ボクは猫だけど ボクの気持ちは
わかるようで わからない
それはどうでもいいでしょ
ボクは生まれてこのかた 猫だから

ボクのルームメイトはレインボー
なにが楽しいのか 虹の絵と歌ばかり
恋人もいないのに 恋の歌ばかり
レインボーの気持ちは よくわからない
それはどうでもいいでしょ
ボクは生まれてこのかた 猫だから

 
 


 

トンピナチョのはなし

 
農夫トンピナチョが 豊作のもろこしをロバに積み
千年伝えの 聖アルバンの森で  
ヤブに隠れて シッコロしてると
いにしえ絶滅したとされる マヤの聖獣トビハネマヤネズミが
怒り狂って トンピナチョめがけて 跳びかかってきたのだ
「聖獣のオレさまに シッコロかけるなんて このウンチョロたれが!」
「なにいうだ!シッコロかけても ウンチョロはたれてねえだ!」

  語るに落ちるとはこのこと
  てんやわんや アホらしい その後の委細は省きます

  (知りたい方には耳打ちします)

トビハネマヤネズミの正体は ウソかマコトか
組んずほぐれつ ほぐれつ組んず
聖アルバンの神々さえも 笑って見守るばかり
太陽なんか 膝をかかえて おねむの時間
もろこし積んだロバさえ トボトボ帰路につき
いつまでやるんだ トンピナチョ
「やってられねえ!」
トビハネマヤネズミは 我にかえって
聖アルバンの闇の彼方へ 消え去ったということだ

 
 


 

プラテーロの思い出

 
ヒメネスの「プラテーロとわたし」の舞台
アンダルシアのモゲールを訪ねたことがある
ポルトガルに近い ウェルバ駅からヒッチハイク
丘の上に白い宝石と 謳われた町並みがみえ
さっそく ひげたっぷりの爺さんと ロバがお出迎え

ヒメネスは快癒の日々を ここモゲールで
ロバのプラテーロとともに過ごし
詩人のことばで「プラテーロとわたし」を書いた

夢よりも 昔になってしまった
眩く光る広場から 花咲く小路を幾つも抜けて
日がな一日シエスタのような村
古い葡萄酒の酒蔵で一杯やってると
寡黙なプラテーロがウインクする

村はずれのモンテ・マヨールの丘に行った
ヒメネスとプラテーロがよく歩いた道だ
ふくろうのホーホーと啼く声を聞いた
丘をめぐって ホーホー探したが 姿は見えなかった

村の広場にもどって来ると
三角屋根の ソシラヌ移動遊園地が立っていた
塗りの剥げた さびしい回転木馬
オモチャのような観覧車が 空回りしていた

遠くから ほらホーホーという声が 聞こえてきた
そうだな もう酔うしかなかった
ホーホー ホーホー
        
 ✶ ファン・ラモン・ヒメネス作『プラテーロとわたし』理論社・初版1965年
  伊藤武好、伊藤百合子訳 理論社版の長新太の挿絵がたまらなかった。
  作品背景の写真はアンダルシアのフリヒリアナという町。

 
 


 

ハゴロモ

 
半島の舞姫がつま先あげて 肩で長短(チャンダン)
思い出したように ときめきの心躍りを
踊りましたね ありがとう
哀しみは 腰をおとして たひらかに
水の上から音もなく 舞いたつ
羽衣は 白いチョゴリのことだった
鹿の角生やした姉さんが
涙こらえて 頬染めている
どこから来たのか オアシスの仔象
長い鼻 ふりふり ダイジョブ ダイジョブ

✶ 長短(チャンダン) 韓国舞踊特有の調子のとり方。原マスミは「ハゴロモ」という曲で 「チョゴリよ チョゴリ わたしのハゴロモ」と歌っている。イ・チャンドンの映画「オアシス」には、壁のポスターの仔象が、ソウルの安アパートの部屋に出現する美しいシーンがある。

 
 

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2021年10/18(月)〜10/30(土)

南 椌椌 個展「ソシラヌ広場―アンモナイトの見た夢」

開廊時間:11:30am〜7:00pm(日曜日休廊 土曜日5:00pm迄)

〒107-0061 東京都港区北青山2-10-26
(地下鉄外苑前駅徒歩5分)
tel : 03-3402-9849
fax : 03-3423-8622


e-mail : galleryhousemaya@gmail.com


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南 椌椌 個展
「ソシラヌ広場―アンモナイトの見た夢」

 

南 椌椌

 
 

10月18日から青山ギャラリーハウスMayaにて久しぶりの個展「ソシラヌ広場―アンモナイトの見た夢―」を予定しています。半立体のテラコッタを平面作品にコラージュした作品が中心となります。作品画像に短詩を添えた作品集を発行するため、現在、編集作業中です。今回の「浜風文庫」にはその中から、4点をプレミアム公開?させていただきます。さとう三千魚さん、いつもながら、ご好意ありがとうございます。作品写真撮影は上山知代子さんにお願いしました。

 

ソシラヌ広場―アンモナイトの見た夢―より

 


 

林檎のブランデー

 
人生最良の日々と言っておきます
エレファンとウーサ
日の暮れるまでひたすら遊ぶ
夏のなごり やかましいな 蟬のレクイエム
コドモでも飲める 林檎のブランデー
祝杯いただきます 二杯まで

歌は空の深みに いつしか消えて
たそがれの合図は カササギの声 
コドモだもの 酔えば裸になるだけさ
いっとう 飛び切りの時間
胸にひそめて さてどこに帰ろうか

✶ イヴ・ロベールの映画「わんぱく戦争」で、
小さな子供が林檎のブランデーを2杯飲んで酔っ払っていた。

 


 

ミハテヌ遊園地

 
赤と黄いろはお好みの色
コドモそっくり 3人さらって
ソシラヌ広場にやって来た

そこは ミハテヌ移動遊園地
赤と黄いろのガラクタ遊具
客もまばらな 閑散閑古

トロい木馬はガタピシ揺れて
気ままに停まる午後3時
遊び疲れて コドモはどこへ?
どこかで 大人になるのでしょう

ソシラヌ広場で ソラシド ウタフ
アンモナイトの見た夢は
赤と黄いろの ミハテヌ遊園地

 


 

ソシラヌ村の三兄弟

 
ユカタン半島 マヤ遺跡
ウシュマル近郊 ソシラヌ村の三兄弟

ひとりは トラクァチェロ
気はやさしくて 忘れん坊のお人好し
隣の村のクロサギさんから カモにされ

ひとりは リベロテス
奔放な性格で 落ち着きないが
時に村長 時に芸人 酔っ払って時々失踪

ひとりは マルクェラス
コドモの頃から モノシリ博士 本の虫
樹上の人で 人付き合いは苦手のご様子

ユカタン半島 マヤ遺跡
ウシュマル近郊 ソシラヌ村の三兄弟
喜びも哀しみも みんな化石になっちまった

 


 

こそばゆいとき

 
キミの手のひらに アンモナイトが棲んで
キミの足元に 仔象のエレファンがいて
キミの口もとには 可能性のエクボがあって
ここはアノソノ ソシラヌ広場

正午過ぎたら 蛇口ひねって水を飲む
異国の人に こんにちはと言えるかな
その人がやさしい顔したネパール人で
”ナマステ” って返してきたら
ネパールでは “こそばゆい” ってどう言いますかって
その人の目をみて しっかり言えるかな

✶ ネパール語で、こそばゆい=くすぐったいはGudagudī グダグジだそうです。

 
 
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南 椌椌 個展

「ソシラヌ広場―アンモナイトの見た夢」

2021年10/18(月)〜10/30(土) 日曜休廊
11:30〜19:00 (土曜は17:00まで)
ギャラリーハウスMAYA
東京都港区北青山2-10-26 (地下鉄外苑前駅徒歩5分)
tel 03-3402-9849

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アンモナイトの見た夢

 

南 椌椌

 
 


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ワレヲワスレテミルト
こんなコトバが帰ってきた
ソシテ ソノヒトカヘラズ
ソシテマタ ソノヒトカヘラズ
ソシテマタ1000日が過ぎて
「アンモナイトの見た夢」
どこかで誰かがつぶやいたようだ
大仰だな 数億年の古層に
降りそそいだ夢のことなんか

土と火と藁と炭そして灰
炎上の窯はもうひとつのオーロラ
帰って来なかったその人の
偏愛の一挙手一投足が躍っている

 ワタシノミミハ カイノカラ
 ウミノヒビキヲ ナツカシム   ✶1
思い出さないわけにはいかない
アンモナイトの反時計回りの螺旋
海の響きと母なるイメージが交接する
洟垂れのころ最初に覚えた詩の王道

鼻の形が美しい反ダダの詩人と
鼻のつぶれた老ボクサーが
地中海の夏のジュラの幻影のなか
浮遊する玉虫色の巨大巻貝に嚥みこまれ
永遠をありがとう 黄昏をありがとう
絡み合う白い絹の言葉を吐き続けた

ワレヲワスレテミルト
さていつか来るさようなら
さて僕は小さなアンモナイトだとしよう
さてどこをどう旅してきたのか
ワレヲワスレテミルト 
ソノヒトカヘラズが幾重にも
さらにはるかな永遠日和を旅して
エーゲ海デロスの獅子吹く夕べ   ✶2

日帰り小舟が停まる船着場の
粗末な小屋に泊めてもらった翌朝
黒光りする石窯でパンを焼く
腰の曲がった老夫婦の呟きは無限悲歌
アポロンが生まれたという島で   
僕は25歳喉の渇きこそが存在理由

八月の獅子たちは身じろぎもしない
ピレウスから帰還した次男は
腰巻きひとつ半裸の含羞の男
コツコツと岩を削り 太陽が傾いて沈むまで
残酷に美しいアポロン像をひとつ
ささやかなドラクマに替える   
   
アンモナイトが見た夢のこと

 

✶1 ジャン・コクトーの詩「耳」を堀口大學が訳した余りにも有名な一行詩、ここではカタカナにて表記。
✶2 デロス島はエーゲ海に浮かぶ小さな島。アポロンとアルテミス双子兄妹生誕の地とされ、古代ギリシャ文化中心の聖地だが、筆者が訪れた1976年当時は無人島で観光客もまばら、船着場に住む老夫婦が管理していた。アポロン神殿を護るように立つ五頭のライオン・獅子像はレプリカだったが、印象は揺るぎなかった。

 

 

 

ジョルジュ・エネスク

 

南 椌椌

 
 


© kuukuu

 

J.S.バッハが野を踏んで後ずさりする
後ずさりしながら、差し出される手
その手で柔らかく放たれる音楽
ルーマニアのヴァイオリニスト
ジョルジュ・エネスクの弾くバッハ
その音はルーマニアの土や水をこねて
小さな器や土偶をつくり続けた陶工の手
サクサクとザラついていて大きい
陶器の瓷で白インゲンを煮る老婆
古い木の門や墓に添えられた土偶
ユーラシアの歴史を往還する風が
アンモナイトの渦巻きを独楽のように回す

J.S.バッハ作曲ヴァイオリンのための
無伴奏ソナタとパルティータ
その曲が鳴り出したとたん
胸襟が謎めいて内側に泡立ち、ひらく
J.S.バッハが野を踏んで後ずさりする
後ずさりしながら差し出される手
どこにもいなかったバッハがいる
白いカールのカツラをとったバッハ
恰幅のいいどこかのラマ僧だっていい
時空を超えたバッハが闊歩している
聖トーマス教会から怒りのメールが来る

クラシックに限らず音楽は手放せないが
いまはエネスクのヴァイオリンに拍手する
そこには他郷の老いた人々のしわぶきと
気管を通る掠れてちょっと淋しい呼吸がある

ジョルジュ・エネスクは1881年8月19日
ルーマニアの北東部リヴィニ村に生まれた
モルドヴァ、ウクライナに接するボドシャニ県
シトレ川とプルト川に挟まれた高原
わずかにロマも住んでいるという
辺境の小さな村に生まれエネスク少年
7歳でウイーンの音楽院に学んだほどだから
土器つくりのザラついた手とは無縁だろう

音楽というのは不思議なものだ 
演奏によって見える風景というものが確かにある
ひろがる麦畑、舞う柳絮、群れを追う孤鳥
ざわざわと森が広がり音楽が湧き立ち
ロマが煙を立てる、素足で子供らが舞う
憧れもしたトランシルヴァニアの風景だ

今日届いたアムネスティのニューズレター
ルーマニアでもコロナの流行で
ロマの人々へのヘイトクライムが増えている
このザラついた空気は忍び足のように
胸の奥の厄介な悪意をあぶり出す
この世紀をまたぐ悪意を反転させるには
いつものように歌うしかない
目を深層水で洗い、喉を火の酒ツィカで洗い
脳にこびりつく灰汁(アク)を風の手で洗い
ジョルジュ・エネスクをエンドレスにして