こかずとんは見ている

 

辻 和人

 
 

見ている
ただ見ている
すぐ横で
コミヤミヤがくるっ軽々回転
うつ伏せの姿勢から
もっこもっこ
背中が盛り上がっていくよ
上体起きて
頭がくるっ回転
窓の外の庭のゆずの木が風に騒いで
やってみろ
ほそっこいコミヤミヤの腕が
ふんにゃふんにゃ上下したよ
マットが撓み
進んだ?
ちょっぴり?
いいや、ただ体が微かに上下に揺れただけ
疲れちゃったか?
いいや、またふんにゃふんにゃ
おっと目が合っちゃったよ
でもかずとんパパに関心なし
また頭くるっと回転
ゆずの木騒ぐ
またふんにゃふんにゃ
すぐ横で
仰向け姿のこかずとんが
見ている
ただ見ている
目に特別な色はない
見ている
ただ
ふんにゃふんにゃするコミヤミヤを
見ている見ている見ているんだ

 

 

 

theʹle·ma

 

工藤冬里

 
 

包まれて
落ちて割れても包まれて
種子法に逆らい
栽培する揺るぎない
炭素追い出す鍛冶
リニューアルされ
限界がない
あらゆる局面に当て嵌まる完全さがギラリ
友よ羽織の妊婦よ
知らなくても良いことがあるのは良いことだ
包まれた餡は大成功
車輪の音
売春の街で
湧く水を上から見る
theʹle·ma
さまざまな頭蓋に響く言葉もしくは音波
昔の道に降り立つ
保険も入らずに
土を破り庇を圧し潰す
消失ですから
変わらぬ山影
四〇日間で何人に遭えるか
誰を探しているのですか
頭蓋に3D Rabboni!
仕事を任せまくるため
だけではなく
朝のひかりのなか
なんの服を着ようか
長時間は持たない
ふたたびやる気を起こさせる
余命なんとかのなんとかみたいに

 

 

 

#poetry #rock musician

武陽金沢八勝夜景

 

廿楽順治

 
 

途中
つまがころんだ

行き先がちがう
ということに気づいた矢さき

(つまづくものはさいわいである)

ようやく
その版画のある旅館についたが

三枚につながってはいるものの
暗くて
細部がよくみえない

それはむかし
ごく近くにひろがっていたはずなのに

ふるい旅館の外へでると

そこも暗く
夢の三枚つづきになっている

生きて
剥けたまま

それはつまの膝小僧のようでもある

 

 

 

「そだつのをやめる」青柳菜摘

 

工藤冬里

 
 

冒頭、無題の十行で単語たちの連結の、休日特快の詩法を語る。
そして「ユキちゃんユキちゃん」で「常に流れる水」が雑魚駅を潤すことが保障される。
「土のなか吐いて潜る」でword設定で大人になった身体を右寄せにしたことが知らされる。
「製紙工場の白い紙」は早くも書く身体が書くことにぶつかった情景が描かれてしまう。
「体温のない吐息」で子供の身体を取り戻そうとするが西武線に特快はない。
「ソテツはぼくの名前」でありがちな窓を探し
「メロンソーダの巣」で諦めを発泡させ
休止に入る。
「夜の箱」でとうとうキョリを変えてみる
「製紙工場の白い紙」をその方法で書き直す
「放射線ドッヂボール」でねんれいを明かし
「夕暮れの黒い土手」「風呂モニュメンタル」で戻ろうとする
「メロンソーダの巣」「夜の箱」はそのことをせつめいする
休止
「鍵あなのドジョウ」はにじゅっせいきぶんがくの旗手たらんと欲し
「セミ」はドジョウと違ってアイスと一緒に食べられている
「はしごの先」は月に掛かり
「待ちあわせ」は鬼火
「飲んでるふり」で「常に流れる水」を忘れ橋の幻想に詩法が横滑りしていく
「蚊にさされ」で存在はただ痒さとなる
「グラウンド•タイムスケープ」で「常に流れる水」を思い出そうとするが
「夕日を見ない」「手のなかのチョウ」では「常に流れる水」ではなく成立させようとしているものと「常に流れる水」とのキョリであることが告白される
休止があって
「三本のチョコバナナ」では墓場まで持っていく罪が、
「外側の動物園」では自分のものではなくなった詩法が語られ
「夜の箱」をまたカクニンしてみる
絶望的な休止
「中学二年生」は散文であって
「死んでない」は断念であった
「ジェットエンジン」は別の水だ。時間の三日月湖。
「さがしもの」の行空けがくるしい
「遠くから見る現在地のピン」で空に気付き
「授業予知」でソテツに逃げ
「土のなかのチョウ」はメタモルフォーゼのために蛹のなかでいったんドロドロになり
「小さな虫大きな虫」で「常に流れる水」なしの希望が語られ
「空気のかたち」で一安心させられるが
「雨がみえなくなる未来」「ただ光るだけのLED光が照らさない」でひかりのない滅ぼされる側に。
最後のインターミッション
「鍵、てのひらのチョウ」「常に流れる水」なき鱗粉の彼方の日常へ。

 

 

 

#poetry #rock musician