buried alive in blues

 

工藤冬里

 
 

線は流れて水母の足はひだりに曲がり
名付けなかった死は野良に過ぎ去り
芯の別れに「今すぐ会いたい」と
それには勝てるかどうか確かめないと
アサド屋ゆんたの文字は光りに
誰のものだろうひとは胎児は
投げ出されたスクーターが
音符のようにみぎうえに向かっている
無限の肋トンネルがつづき
青と白の大理石があった
gentilesのモリブデンが氷解し
部外者の埋葬の唐鍬はひかった
そしてスタカートを打つ

自分を自分のものと思い込んでいる時点で話はそこまでだ
自分の体や思考やレンタルした子供を自分のものと思い込み
シェアした車を汚している

 

 

 

#poetry #rock musician

good teacher, and gold

 

工藤冬里

 
 

褒美が屈折する
褒美としての屈折はいらない
屈折としての褒美はいらない
血圧が上がる
屈折が走り寄ってきて跪いた
褒められる前に屈折していた

Διδάσκαλε Teacher
ἀγαθέ good,

銀行は金を貸し与えて自分の喜びを大きくした
返してくれなくていいとさえ銀行は思った
貸し与えた人が不貞腐れていても銀行の喜びは失われなかった
鳥にさえ金を遣った
鳥にユニクロに行くよう勧めた
ニンジンは好きかと訊いた
災害のときは特に気前よく出前した
喜びは不気味に爆発した
石の家の金岡さんの綽名はカネゴンだったが
アスリートの記録会でthreads風に再会した
メインストリートを保存するために木と漆喰を与え続けた
無限の力で専業主婦の家事を手伝ったのだ
欠損補填に対してわたしたちは出し惜しみしたりしない
インド訛りでボンクと言った
渋谷で訓練
された犬
ウシジマ号が樹海に向かい
見て学べという考えは古いていうか
そのような仕方で与えると
周りの人もそうしようという気になるから
タコで満ちるようになる
カタツムリも減ってる
金の渦巻
鳴門のワッパー屋の工事は進まず
絵本の海に金のにおい
a cheerful giverは金の表情をイメージする
返せない人に貸し与えるガチャ
金融の復活の時報われる
川に流すパンのキックバック
自分でも延べ棒で大きくすることができるように作られた金のdough

 

 

 

#poetry #rock musician

マーサ

 

道 ケージ

 

まあさまあまあだ
マーサまだだ
まっいいかまだいいか
待つよ待てよ
舞う前、魔王まさか
摩訶不思議
ママン膜巻く枕
魔剣曲げ巻け
誠、真菰、真琴、馬子マゴまことちゃん
まさかまさしまたか
魔性魔女真白
まずまずマッスルマスター
麻酔マスクまずいマスコット
ませガキ混ぜ
末席まそっとマゾ
またねまたかまたぐまた
待たせたなマタイ
マタギマタンキ又郎
マッチマチマチ待ちかねて町田
マッチョ街場の祭り間違い待って
末端真っ白抹消末梢
待てってマテウス待てない
まとめ纏まどかまとも
待とうまとめて窓からマンタ
学んだ真名序
真夏まなこ眼差し
マイナス間に合うマニ教
マニアマニキュアマニアック
間抜け免れ
マノン目の当たり
マッハマッハマルハ丸々
真昼麻痺マフラー
真冬マフィンマブダチ
眩しいまふまふ
目深真帆魔法
まほろば幻
ママンママ友ままごと
見えるまみれた真向かい
マキシム魔夢まむし
豆つぶ豆まき豆状
まもなく守る摩耗
摩耶馬屋マヤまやかし
眉繭黛眉毛まゆみ
マヨネーズ迷って真夜中真横
魔羅マラソンマラカスマニラ
鞠まりこ摩利支天
マリンマリアマリーマリーナマリコ
丸いマルコスマルサマルクス
丸天うどん丸美屋 
マルタまんまる漫画
まれにマレーまるまろまろん
周り回るまわしマンション
卍漫才万年饅じゅう
まんずまんずマンゴー 
マンタンマント満月
まんまでまんま満州
マンスリーマンキー曼陀羅万力満願
マンセーマンコー!

 

 

 

村岡由梨第2詩集「一本足の少女」を読んで歌える

 

佐々木 眞

 
 

血を流しながら書き綴られた村岡由梨の第2詩集は、読めば血が出る22篇だ。
私は、この真率で、真情溢れる、痛切な詩行を読みながら、改めて詩とは何かと考えていた。

最初に浮かんだ考えは、詩とは「見守りボッド」のようなものではないか、というまことに幼稚なものである。

病ゆえに絶えざる自殺願望に取り付かれ、陸橋を渡りながら、何もかもを、愛する家族さえも見捨てて、硬い車道に身を投げようと思う作者を、詩は、「跳べ」とも言わず、「止めよ」とも言いわず、黙ってじっと見つめている。

その時、詩はまるで天体をぐるぐる経めぐりながら、地上に蠢く微細な存在、生きとし生ける森羅万象を、ことごとく把握しながら、じっと見つめている。
見守っている。

詩はもとより、人間と同じく無力で、そもそも無用の存在であるが、人間がそこにあって、心身に刻み付けられる体験する喜怒哀楽をしかと見届け、激しく流動する事態を、一時的に棚上げして、半永久的に保存することもできるのである。

なぜ詩を書くのか?と問われた谷川俊太郎は、「書いてくれという注文があるからです」とユーモラスに答えたが、村岡由梨は、「私が詩を書くのは、まっとうな人間になりたいからです」(「No.46」より)と、まっすぐに答えている。

詩を書くことによって、まっとうな人間になることはできないかもしれないが、 まっとうな人間になりたいという願いを、詩は、そして天は、嘉して受け止めてくれるだろう。

まっとうな人間になりたいと祈り続ける人を、
詩は、そして天は、
ずうっと優しく見守り続けてくれるだろう。