小島芳子

 

加藤 閑

 

20130814_写真

 

 

小島芳子の弾くハイドンのピアノ・ソナタ(ロ短調、hob.XVI32)を聴く。
フォルテピアノの演奏ということもあって、当然音は軽く、余韻があるとは言えない。この曲は、ハイドンのソナタの中では取り上げられることの多い作品だけれど、現代ピアノの演奏に慣れていると、最初は薄っぺらで物足りない演奏と感じることがある。たとえば一時よく聴いていたリヒテルのライブ録音と比べると、それは歴然としている。しかし、すでに大家となっているリヒテルは、この曲はこう弾くんだと言わんばかりに演奏する。もちろんそれは聴く者に安心と心地よさを与えるのだが、ある意味では充足してしまっている。

小島芳子の演奏はちがう。演奏しながら常に音楽に問いかけ、考えながら、あるいは対話をしながらピアノを奏でている。そんな印象をつよく受ける。だから、決して流麗に音楽を聴かせるというものではない。しかしこの演奏からは奏者の音楽への献身が伝わってくる。その真摯さは、聞き手にも同じ真摯さで音楽に立ち向かうように促しているかのようだ。こういう演奏をするピアニストは多くはない。

今、わたしの手元には、この人の演奏したCDが6枚ある。ソロ演奏のベートーヴェン初期ピアノ・ソナタ集、ハイドンのピアノ・ソナタ集、鈴木秀美との共演で、ベートーヴェンのチェロ・ソナタ集3枚(1枚はシューベルトのアルペジオーネ・ソナタを含む)、そしてチェロとピアノの小品集「ロマンス」。これらの録音を聴くと、一度はコンサートで直接聴いてみたいという思いにとらわれる。しかしそれはかなわぬことだ。小島芳子は2004年5月に43歳の若さで亡くなっている。

 

インターネットで検索すると、『小島芳子のサイト』というのがある。小島の死後、家族の手で立ち上げられたサイトで、「はじめに」と題された挨拶文では、道半ばで世界から消滅した芳子の記録を人々の目に触れる形で残して置きたいとの思いが綴られている。この文章には、父親の小島順の署名があり、日付は5月23日、死のわずか2日後である。

さらにサイト内には、同じ小島順の名前で「闘病生活」というページが設けられており、2002年8月の骨折の治療で肺癌が発見されたときから、昭和大学藤が丘病院での手術、郡山トータル・ヘルス・クリニックへの転院を経て、2004年5月21日の死、22日の火葬に至るまで、実に克明な、かなりの量におよぶ文章が掲載されている。父親としてできるだけ冷静に、客観的にすべてを書き留めたいという意志と、娘である小島芳子を失った無念さが、ひしひしと伝わってくる文章だ。日付は5月24日。娘を看取って火葬に付すという人生の大事件のさなかの3日間にこれを書き記すのは大変なことだと思う。あるいは逆に、いわば普通の状態でない時間の中にあったから書けたのかもしれない。ここには、「はじめに」で「世界から消滅した芳子」という表現がとられていたように、この事件をまだ娘の「死」としては受け入れられない父の苦悶がある。そう思ったとき、結婚間近の娘を交通事故で亡くした別の父親の話を思い出した。

 

鹿嶋敬は、10日前に結納式をすませたばかりの娘をボリビアでの交通事故で失った。彼は死んだ娘を絵でよみがえらせようと、写実画家の諏訪敦に娘の肖像画を依頼する。NHKの「日曜美術館」は、この様子を「記憶に辿りつく絵画~亡き人を描く画家」というタイトルでとりあげた。(2011年6月26日放映。翌年2月にはアンコールの再放送もされたから視聴者の評判もよかったのだろう)

番組は、娘、鹿嶋恵理子(当時30)を亡くした両親が、写真ではできない娘の再生を諏訪に託すところから始まる。この番組にしては、作品や作家の紹介は少なく、それよりも娘をよみがえらせたいと願う両親と、その困難に立ち向かう画家の物語に重点が置かれている。

ちょうどこの頃、諏訪市美術館で諏訪敦展『どうせなにもみえない』(2011年7月28日~9月4日)が開かれ、それにもこの作品は展示された。日曜美術館で紹介された両親のデッサンや、手を描くために諏訪が京都の佐藤技研に製作を依頼した鹿嶋恵理子の義手、絵画制作時に両親から提供された衣服などもいっしょに展示された。これらはすべて、図録を兼ねて発行された同タイトルの画集(求龍堂)にも掲載されている。

正直言って、作品としてみた場合の「恵理子」は、会場のほかの作品と比べると見劣りがする。肖像画として見ると、成山画廊オーナーの成山明光や日本画家松井冬子を描いた作品の存在感に比ぶべくもないし、人物像として見ても、展覧会タイトルとなった「どうせなにも見えない」をはじめとする、画家の表現意識を具現化させた絵とならべると作品として弱い印象は否めない。

しかし、諏訪敦は肖像画「恵理子」とともに、クライアントの鹿嶋敬の思いも、実在しない人物を写実絵画で表現するための時間や努力も、その試行錯誤をふくめた一切をひとつの作品として展示した。もちろんそこには、展覧会に先立って放映された「日曜美術館」と、展覧会の後も書物として残る画集も、あたかも時間の流れを誘う架け橋のように存在している。こうして「恵理子」は、他の作品と伍して展覧会の一角を占めているのだ。

 

家族の死は、特に若い家族を失うということは、残された家族に特別の、嘆きや哀悼を超えるほどの気持ちを喚起させる。それはしばしば、その死をどうしても受け入れ難い気持ちにさせる。子を亡くした親が、いつまでも子ども部屋をそのままにしておくのも、そうした心の表れだろう。『小島芳子のサイト』にもそれを感じる。すでにリンク先には存在しないサイトもいくつかある。父親自身も、サイト開設後の発信は、一周忌にあたって「一年たって」という短い文章で芳子の墓を紹介したにとどまっている。

パソコンから離れて、わたしはもう一度CDを手にとった。「わたしの演奏を聴いてほしい」彼女自身もそれをいちばん望んでいるに違いない。小島芳子の残したディスクは、数は多くないけれどどれもみな質の高い演奏だ。特にソロのハイドンとベートーヴェンはフォルテピアノの特質が音楽を引き立てている。作曲家の生きた時代に、次々と新しい音楽の要求にこたえていった楽器の清新さを感じ取ることができる。

鈴木秀美と組んだベートーヴェンのチェロ・ソナタ全集にもそれはあるけれど、それ以上に、ここではもっと音楽の幅が広くなっている。鈴木秀美という才能と出会ったことで、小島芳子の演奏の奥行きも増しているようだ。とりわけ、最初に出た1番、2番を収めたCDは素晴らしい。若いベートーヴェンの音楽がいま生まれたばかりのように新鮮にあふれ出てくる。いっしょに収められた変奏曲も同様で、これらの曲がこんなに魅力的に聞こえたのは初めてだった。3番以降の演奏も悪くはないが、これらの曲は、曲想からいってロストロポーヴィッチやフルニエの重厚さに比べると一歩譲る感がある。むしろシューベルトのアルペジオーネ・ソナタが、ピッコロ・チェロとフォルテピアノの音がうまく調和しているようで美しい。

わたしたちは、音楽(の録音)を聴くときに、演奏家の生死を云々することはない。小島芳子の演奏はこれからも聴き継がれるだろう。しかし、それと遺族が故人を悼む気持ちはまったく別のことだ。音楽と違って、その気持ちは他者と共有できるものではない。あくまでも個人の胸のなかに、忘れられない部分と忘れていく部分が葛藤を繰り返しながら、ふかく沈んでいくように思える。