ミカラ・ペトリ

加藤 閑

 

 

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ミカラ・ペトリは10代はじめからコンサート活動を行なっている。最初の頃は家族(ハンネ・ペトリのチェンバロ、ダビッド・ペトリのチェロ)でミカラ・ペトリトリオを編成し、コンサートやレコーディングを行なっていた。しかし、突出した才能をかかえた家族が演奏を続けていくのは難しい。やがて多くの演奏家やオーケストラと共演するようになる。
そうした中で、ギター、リュート奏者であるラース・ハンニバルと出会い、1992年からデュオのコンサートを開始する。共演のディスクも発売された。1994年に「Souvenir」(邦題「愛の贈りもの」)を発表し、その3年後には「AIR」(邦題「G線上のアリア」)が出ている。この頃、ペトリとハンニバルは結婚しており、「愛の贈りもの」というタイトルや「AIR」のジャケットデザインにはそれが色濃く反映している。

「AIR」はわたしが買ったミカラ・ペトリの最初のディスクである。それまでにも、彼女が参加しているCDを手にしていることがあったかもしれないが、ミカラ・ペトリがいるということを意識したことはなかった。だが、「AIR」にはリコーダーの演奏家として強い存在感を示す女性がいた。ディスクはサティの「ジムノペディ1番」からはじまる。このCDがどれくらいペトリ自身の意向が入っているのか、ハンニバルの意見が反映されているのか、またプロデューサーや製作スタッフの意図がはたらいているのかはわからない。ただ、最初にサティをもってきた選曲だけを見ても、これまでとは違うリコーダーのディスクをつくろうという意欲が伝わってくる。
「ジムノペディ」は1番、3番、2番の順で使われている。あたかもこのディスクに集めた曲を要所々々で束ねるように最初と真ん中と終わり近くに配されている。このサティの曲がどちらかというと暗い色調を帯びているせいもあって、そのほかの曲の演奏がことのほか明るい。グリーグの「25のノルウェイの民謡と踊り」からの5曲などは当然としても、「悪魔のトリル」として有名なタルティーニのソナタ、ト短調も超絶技巧を極めるデモーニッシュな印象などさらさらなく、ただひたすら軽快で明るい。天衣無縫とはこういうことをいうのだろうか。こうしたところは、もっと以前の録音を聴いても変わらない彼女の特性と言える。

もうひとつ、このディスクの特徴は、全体にみなぎっている幸福感にある。わたしは演奏家の私生活の状態で演奏をとやかく言うのは極力排除したいと思っているが、手をつないで駆け出した二人の写真の白いジャケットも、天稟にさらに磨きをかけた明るいリコーダーの音色も、結婚式のアルバムを開くような香気に満ちている。ペトリはハンニバルに出会って、それまで演奏のことばかり考えて閉ざされていた自分が開放されたというようなことを言っている。ここに収められた曲はことごとくその幸せがあふれているような演奏だ。こう書くと情感に流れそうだけれど、それを引き締めてとどめているのが、3つの「ジムノペディ」とミカラ・ペトリの技術だと思う。正確な音程、揺るぎない運指は誰にも真似できない。バロック演奏の知識のなさや使用楽器の歴史的な曖昧さを指摘する人もいるようだが、無意味なことだ。学問としてオーセンティックな演奏を追求するのが無価値とは言わないが、ミカラ・ペトリはそういうところで音楽をしていない。

リコーダー奏者ミカラ・ペトリについて書けば、当然フランス・ブリュッヘンに触れなければならない。ミカラ・ペトリが登場するまでは、リコーダーといえばブリュッヘンだった。しかし、ミカラ・ペトリがリコーダー演奏の天才だとすれば、ブリュッヘンの才能は音楽そのものを構築していく方向に向かっている。彼は、ニコラウス・アーノンクールやグスタフ・レオンハルトとともに、バロック音楽を中心としたレパートリーの演奏を続けた後、世界中の優秀な古楽演奏家を集めて18世紀オーケストラを結成する。彼らの演奏は、その前に41番までの交響曲を70曲以上として全集を仕上げて当時の音楽界をあっと言わせたクリストファー・ホグウッドのモーツァルトを演奏面で凌駕していく。ブリュッヘンは古楽器や楽譜の検証を重視しながらも、それよりもさらに音のひびきや音楽性の高さに重きを置いた。それは1985年以降、矢継ぎ早に繰り出された録音を聴けば明らかだ。シューベルトのハ長調の大交響曲(D944)など、フルトヴェングラーの次に来る名演だと信じている。

ブリュッヘンとペトリと、録音している曲に重複はたくさんあるが、耳にしたときの心地よさはミカラ・ペトリが圧倒的に勝っている。かつて「リコーダーの妖精」として華々しくデビューし、いまもリコーダーの第一人者として広範なポピュラリティーを獲得しているのも頷ける。しかし、もう一度聴こうということになると、ブリュッヘン盤を選ぶことが少なくない。彼にとって古楽の研究は、そのまま自身の音楽を深めていくことにつながっていたように思える。18世紀オーケストラは毎年世界各国をまわるツアーに出る。最後にオランダに戻ってきて最後の公演を行ない、その録音をディスクにするという活動を繰り返していた。そんな彼らの傑作のひとつにモーツァルトの「レクイエム」の録音がある。
これはオランダではなく、日本各地でコンサートを行なった後、東京の最終公演が録音されたディスクだ。当日のコンサートのままに、「フリーメーソンのための葬送音楽」、「クラリネットとバセット・ホルンのためのアダージョ」そして「レクイエム」の順で納められている。全体に抑制された表現をとっているが、内に秘めた力が伝わってくる演奏になっている。「レクイエム」の間に歌われるグレゴリオ聖歌も典礼の雰囲気を高めていて、ブリュッヘンが常に音楽表現として最高のものを求めながら、古楽演奏を続けているのがわかる気がする。一度聴いたら胸の底の方にいつまでも沈んでいるような音楽になっていて、何度も繰り返し聴けるものではない。

 

 

 

 

evening 夕方 晩

 

金木犀の
枝を刈ってからすこし歩いた

岸辺の向こうに
テトラポットと水平線があった

公園の生垣の向こうに突堤があり
水平線があった

西の山が霞んで空に浮かんでいた

そこには境界はあるのに
触れることがない

ことばでないものをことばで語っていた

 

 

 

policeman 警官

荒井くんが
64抗議のパフォーマンスをした


陳光 李文 朋友

友の名前を胸に刻んだTシャツを着て
荒井くんは警官のいる場所で中指を起てた

中国大使館
自由民主党本部 国会議事堂 皇居 靖国神社

警官が守るべきものは国家だ
国家は見えない

 

 

 

@140610  音の羽

 

萩原健次郎

 

 

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は、ね、
ねっ
それは、虫の
それとも鳥の
人の根に響く、蒼空の
雲の根、骨、ね、

迂回して、濃緑の木の根の道を歩いていくと陽は
斜めからさして、匕首になり、陽の匕首は、時刻
によっては、鋭利に光り、錆びて病んだ鈍い面を
見せたり、陰が、その尖りを消したり、それはも
うまたたく刹那で、明滅している。
はようみいひんかったら
光の三角も、滅んでしまう。

数をかぞえる、猫の声
魚の声
草の声
ぴちゃぴちゃにゃあにゃあ、ふうふうと
ね、
恋去り
小唄かよと
ひるがえっている
きれいな舞いすがたに
ね、
からむ脚が、
きゅっきゅっ言う。

白昼を服す飲料に混ぜた羽の音の粉々にあたりの
松もその下の薊も被せられて息できなくなってう
ろつく犬ころも猫撫声もふわふわしている種子も
骨肉のすべてが粉末になって枠どりされるそれも
真実の世と記されているから一旦はああ本当だと
驚いてみるがただ匕首で切り刻まれたただの世の
切れ端にすぎず生きた証と言ったら犠牲になった
犬にも薊にも笑われる

わたしにも
根が焼けると
思うことがあって
すこし冷やしてから
きょうは帰ろうと
思う頭が
は、ね、
根は焼けずに
夕照と音羽の真水に溶かされて
麦の筒で吸われる。

世、根、
吸われて、
どこかの胃にいるのは。

 

 

 

imagine 想像する

レノンは
邪魔する

レノンは想像を邪魔する

あまり意味のないことを
想像していた

ほとんど意味のないことを考えていた

レノンは
邪魔だ

ジョン・ライドンと
ロバート・スミスとモリッシーを聴いていた

あまり意味が無いな
ほとんど意味が無い