スパイシー

 

辻 和人

 

 

はい、今、西国分寺の駅の改札前に立っています
ミヤコさんを待ってます
夏に入りかけのだるい風が吹いています
けど背中がキーンと冷えてる感じです
初めて
ミヤコさんのマンションに行きます
ミヤコさん、来ました
ぼくと同じく会社帰りのカッコです
軽く手を振ってます
行ってきます

「こんばんは。」
エレベーターに乗り込む時
すれ違った住民の方に曖昧な笑顔であいさつ
ミヤコさんは平然と、にこやかにあいさつしてるけど
ぼくたちってどう認識されてるのかな?
ぼくたちっていう単位が今、問われてる
それはファミやレドがまだノラの子猫だった頃
ぼくが、単なるエサやりさんの一人か
彼らの保護者かを問われてるのと
ちょっと近いかな?
そうそう
近さだよ、近さ
近さにもいろいろある
これからミヤコさんとどんな近さを得られるか
エレベーターに揺られながら待つ
ドキドキだ

カチャ
鍵を回す音をいやにはっきり聞こえる
「どうぞ、お入りください。」
「お邪魔します。」
恐る恐るスリッパに履き替えると
おーっ、きれい
ぼくのオンボロアパートとは大違い
清潔で居心地のいい1DK
「今からご飯作りますから。ちょっと待っててくださいね。」
グリーンのソファーベッドに腰掛ける
ミヤコさんの体温を吸い込んだ場所だ
この材質
ファミとレドを放したら
めちゃくちゃ喜んで引っ掻くだろう
おや、窓の側には、葉っぱを青々と茂らせた
人の背くらいある植物が置いてあるぞ
「この観葉植物、何ですか?」
「パキラっていうんですよ。
10年前、このマンションに住み始めた頃に買ったんですけど
どんどん大きくなって。
時々切ってあげないと茂っちゃって大変なんですよ。」
生命力旺盛なパキラ
10年間ミヤコさんを守っていてくれて
ありがとう
これからはぼくが……おっと、調子に乗るなよ

台所に立つミヤコさんの後姿
エプロンをかけ
懸命に肩を動かして
食べさせようとしているんだな
ぼくという生物に

食べさせる
食べさせる
ぼく、食べさせてもらうんだ
これはただ食事をするってことじゃない
もぐもぐした口の動きを通して
生身の相手の奥の奥につながっていくってことなんだ
ファミもレドも、そしていなくなってしまったソラもシシも
そうやってぼくとつながっていったんだよなあ
それが、いよいよ
いよいよだ

「できましたよ。簡単なものばかりですけど。」
ヤッホー
テーブルに並んでいるのは
かぶのコンソメスープ、トマトとアボカドのサラダ、だし巻き卵に肉じゃが
いただきまーすっ
スープは……いい塩加減
サラダの手作りドレッシングもさっぱりしていて良い感じだ
だし巻き卵はもともと好物だけど
程良い甘みがあって、うん、これはうまい
では肉じゃがを
おいしい、でも、あれ?

「ミヤコさん、ミヤコさんって肉じゃがに玉ねぎ入れないんですか?」
「えっ」

「わぁ、ごめんなさい。
どうしちゃったんだろ。いつも絶対入れるのに。
ちゃんと買ってきてたんですよ。」
「いえいえ、大丈夫ですよ。
じゃがいも、ほくほくして、とってもおいしいです。」

玉ねぎなしの肉じゃが
全然OKです
肉じゃがなんだからお肉とじゃがいもが入っていればよし
にんじんだって入ってるじゃないですか
うん、うん
玉ねぎが入ってなかったことで
ミヤコさんともっと近くなった気がするぞ
入ってない玉ねぎが
真っ赤な笑顔を呼んで
スパイシーな味を加えてくれた

今日は週の真ん中の日だし
長居は遠慮してこれで失礼しますが
いずれぼくが「食べさせる」方を担当しますよ
玉ねぎの代わりに
何が足りないか
何が余計かは
お楽しみ
食べるんじゃなくって
食べさせる
食べさせてもらう
その先に
どんなスパイシーな近さが現われるか
それが楽しみなんです