立つ
ヒトがいた
冬の
夜の
街に
立つヒトがいた
立ち尽くすヒトたちがいた
食べる
牛丼を食べる
牛丼さえ
食べないヒトもいた
病院の高層の
窓から
見るヒトもいた
冬の夜の街に
汚れた靴で佇っていた
コトバを
脱いで
震えていた
立つ
ヒトがいた
冬の
夜の
街に
立つヒトがいた
立ち尽くすヒトたちがいた
食べる
牛丼を食べる
牛丼さえ
食べないヒトもいた
病院の高層の
窓から
見るヒトもいた
冬の夜の街に
汚れた靴で佇っていた
コトバを
脱いで
震えていた
夜明けまえの
凪いだ海に出ていったことは
あるかい
ひとり
ボートで
凪いだ海に
浮かんでいたことは
あるかい
わたしは消えた
景色は
あった
コトバのない世界だった
全てがコトバだった
かすかに風が渡っていった
風がコトバだった
こだまは
富士を過ぎた
半島は横たわる
けものだった
その上に
橙色の朝日が昇っていた
見えないが
風が渡っているのだろう
そのヒトは
お茶の水の病院で
おのれと
空と風を見ているだろうか
高層の窓から
神保町や富士が見えるのだと
言った
なにも生まれない
全員
牛丼を食べた
ほどほどに
私は
尻を追う
社内にいない
のぼせあがる
府中あたりに住む
けれど感染する
看板をどかし
輪から外れた
風景をデッサンする
頭の悪い逸脱は永遠に
ホルスタインに近づけない
選挙と煽動
今夜あたり飲みたい
野苺と毒苺
それより
平成と次の年号
携帯繋がらない
円弧を描く
もしもし
渡辺洋さんの新詩集「最後の恋 まなざしとして」(書肆山田 2014年10月)を鞄にいれて持ち歩いていた。
小さな本なのですぐに読んでしまえると思っていた。
そして、この詩集について、何かしら感想のようなものを書けるだろうと思っていた。
それが、随分と厳しい本なのだということに行きあたった。
「最後の恋」を「最後の恋 まなざしとして」としてしまうあたりが、渡辺洋さんは知識人だなあと思ってしまっていた。わたしだったら「最後の恋」とするだろうし、実際に「最後の恋」を体験し「最後の恋」に「まなざしとして」という装飾はしないだろうと思っていた。
だが、渡辺洋さんの「最後の恋」は、すでに失われた恋なのだ。
しかも徹底的に失われた恋なのだった。
美しいものが目をとじている街を
心の底が抜けそうになっても歩きまわって
この世界に生まれて生きる違和感を手ばなさずに
ラブレターのような詩を書こう
(美しさって
思い出せるかぎりの世界の向こうから不意にやって来る
心には思い出せない何かなんじゃない?
笑い声が聞こえた気がして
ふり返っても誰もいない四月
一人はにかんでいない人に向かって微笑む
「最後の恋 まなざしとして」の部分を引用してみました。
「美しさ」も「恋」も「世界の向こうから不意にやって来る」ものなのでしょう。
そのことにあらためて気付いて詩人はモノクロームの世界で微笑むでしょう。
そのように一人で淋しく微笑んでいる人を見たことがあります。
自分もそうだったかもしれない。
すでに失われた恋を語るのはとても苦しいし厳しいなあと思ってしまいます。
「何度でもはじまる歌」という詩を全文を引用してみます。
何度でもはじまる歌
僕を何物でもない物にしてしまう言葉で書かれた街で
(それとも僕を書き終わってしまった?
からからになった心の地面で
からだをふるわせながら響きはじめる
三十年、四十年前の歌に感謝しよう
小学生のときから何度も読むたびに涙してしまう
けなげな子どもたちとやわらかい心を失わなかった大人たちが
心をかわしあうケストナーさんの小説『飛ぶ教室』にも
愛することでここまで来れたのだから
何度でも僕を書きはじめるために
僕と世界を呼ぶように
誰もいなくなった世界に向かって微笑もう
からっぽの光くずになっても
ここに書かれる「僕」は渡辺洋さんなのでしょうか?
「最後の恋 まなざしとして」にも書かれていましたが、
「心の底が抜けそうになっても歩きまわって」いる「僕」がいて、「からからになった心の地面」の「僕」がいる。その「僕」からみられた世界は「僕と世界を呼ぶように/誰もいなくなった世界に向かって微笑もう/からっぽの光くずになっても」と歌われている。「世界」は誰もいなくなった「僕」でしょう。そして微笑むでしょう。
とてもナイーブな「僕」がいて「世界」がある。
ナイーブさ
積み重ねてきた噓の重さで
世界の底が抜けそうになっても
僕は急がない
もっとこわれなければ
この世界をおおう透明で巨大な暴力を
批判できる言葉を
僕のなかに呼びおこすために
何かに強く引かれたりきれいだと思ったりする
心にはやさしさのはじまりがある
そのやさしさの間違いを
(たとえば誰かを傷つけたり排除したり
見つめながら心をきたえていく
何度ふみにじられても
種をまいて咲く花のような
まなざしに少しでも近づこうと
○
詩は古くて細い道
きみという一人に辿りつくための
何度も間違えては
身をよじるように曲がりくねって上っていく
「ナイーブさ」という詩の部分を引用してみました。
「何かに強く引かれたりきれいだと思ったりする/心にはやさしさのはじまりがある」「僕」がいて、「種をまいて咲く花のような/まなざしに少しでも近づこうと」するナイーブな「僕」がいます。
渡辺洋さんにとって「詩」は「古くて細い道」を「身をよじるように曲がりくねって上っていく」その先に、「きみ」として現れるものなのでしょう?
わたしもかつて渡辺洋さんのように「詩」を遠くにあるものと思っていました。
絶対的な到達できない場所にあるものと思っていました。
でも、本当にそうなのかなとも思えるようになってきました。
「詩」はそのように曲がりくねって上っていった先の遠くにあるものとは思えなくなってきました。
「詩」はもっと身近に既にあるのではないでしょうか?
「詩」は既にあり、わたしたちが「詩」を見るか、見ないかだけなのではないでしょうか?
詩をそのように「既にあるもの」と感じますと、
例えば、渡辺洋さんの「Sketches #8」に登場するマリーを詩は支えられるようにも思えるのです。
#8
マリーがこわれていくのを誰もとめられなかった
救いを求めていない相手を人は救えないのさ
何かができるんじゃないかと思っていた僕も
意表をつくネガティブでつよい反応に
心の病気がぶり返しそうになって近づけなかった
地震のあとマスクをかけてはずさなくなったマリー
当たりちらすようにキーボードをたたくマリー
他人のちょっとしたミスに声をあらげるマリー
歩道でかたまったように立ちつづけていたマリー
渡辺洋さんの新詩集「最後の恋 まなざしとして」を深夜に読みはじめて朝となりました。
朝には、遠く西の山が空に浮かび小鳥たちが鳴きはじめます。
今朝も、小鳥たちが鳴いていました。
最後に渡辺洋さんの「贈りうた ー 画家のNさんに」という小さな詩をひとつ引用して終わりたいとおもいます。
絵を描いていると静かさが
私のなかに浮かんでくる
何かが沈黙するのではなく
生まれてくる静かさが
私のなかにはりつめて
私を絵のなかに誘い込もうとする
描きおわりたくない
色と線のなかに溶け込んでしまいたい
気がつくと私は絵を通り抜けて
生まれた家の前に立っていた
※詩は全て渡辺洋さんの新詩集「最後の恋 まなざしとして」(書肆山田 2014年10月30日初版発行)から引用させていただきました。
このところ
山下徹さんの二人だけの時間と
渡辺洋さんの
最後の恋を持ち歩いている
小さな本だが
重たい
あの世を
どう受けとるのか
この世の女の
写真をfacebookに残す
今朝
海辺で空を見ていた
夕方に目覚めて散歩にいった
モコは
ふるえていた
夜も更けて
ちゃぽちゃぽ
風呂に浸かっていて思い出したのは
めずらしくも
祖母のこと
母方の祖母のこと
ひとに話す時には祖母って言いなさい
おばあちゃんなんて言ってはいけません
タカピーだった母にはきつく言われ通しだったが
祖母と呼ぶにはふさわしからぬ
いつまで経っても田舎まるだしの
子どもの目にはでっかくて
塗り壁みたいで逸ノ城みたいなおばあちゃんだった
風呂に浸かっていて思い出したのは
どうしてだろう
おばあちゃんの家に行った時には
いつもいっしょにお風呂に入れられて
ちゃんと何十か数えて温まってから出ることになっていたからか
落ち着かない幼児には
けっこううんざりな
めんどくさい
がまんがまんのあったまりの時間
あれがよみがえったからか
何十か数えるといっても
東京の言い方ではない口調でおばあちゃんが数えるので
「いーちーに
「さーんし
「ごーろく
「しーちーはち
「きゅーじゅ…
とのんびりしたおばあちゃん節
ぼくはよくノボせてしまって
上がるとたいてい気持ち悪くなって
「まあ大変だ
「はやくお醤油を飲みなさい
「ちょっと舐めれば治るから
と母やおばさんたちから
ノボセの特効薬の醤油をちょこっと飲まされて
畳の上にぶっ倒れたり
椅子にだらっとなったり
後からおばあちゃんが出てくると
「まったく弱いンだからねえ
「おばあちゃんなんか
「天皇陛下の名前をぜんぶ言いながら温まったもんだ
「じんむすいぜいあんねいいーとくこうしょうこうあんこうれいこうげんかいかすーじんすいにんけいこうせいむちゅうあいおうじんにんとく…
とかなんとか
ぼくには記号とか暗号でしかない音をしばらく発しながら
「よっこらしょーのしょ
とかけ声かけて
重い鍋を食卓に移したりしはじめる
なにかと弱っちかったぼくは
食べるのも遅いし
すぐ疲れるし
ちょっと外出するとすぐに「タクシー乗ろう」となまいきに言い出すので
ニッポンじゅうが二十四時間働ける大人ばっかりだった時代
男の子の風上にも置けない情けない感じだったらしく
おばあちゃんにも言われっぱなしだったのは
「そんなんじゃ
「兵隊さんに取られたらすぐに死んじまうよ
「さっと食べてパーッと走っていけなきゃだめなんだよ
「乃木さんみたいにコップ一杯で歯磨き洗顔もできなきゃね
などなど
「そんなこと言ったってセンソーはもう昔のことだし
と反論すると
「センソーなんてまたいつ起こるかわからないんだよ
「赤紙が来て兵隊さんに取られっちまったら
「ぐずぐず食べてちゃだめなんだよ
「食べ終わらないうちに鉄砲担いで行かなきゃいけなくなるんだよ
と
またまた言われっぱなし
こんな幼時のことがあるから
おばあちゃんはやっぱり昔のひとで
センソー時代の考えのひとだと思い続け
学生時代が終わっても
おばあちゃんとはソノヘンのことは
話してもしょうがないだろうと思って
あらためて話をむけようともしないできたものの
ショーワテンノーの死んだ後
話がテンノーのことになったら
「まったくひどいセンソーを起こして
「あたしたちはさんざんな目に遭ったのに
「テンノーさんはのうのうと安泰だ
「食べ物もなかったし
「なんにもなかったし
「子どもたちは疎開にやって
「お父さんとあたしとおばあちゃんは
「空襲の火の中を右往左往してなんとか逃げて
「田端の家もぜんぶ燃えちゃって
「セメントのお風呂だけが燃え残って
「そこにお湯を入れて焼け跡の中で浸かったりした
「なにもかも燃えちゃったから
「田端から海の方までぜーんぶ見渡せた
「お父さんなんか馴染みの下町や隅田川のほうまで
「ずーっと歩いて見に行ってきて
「死んだ人が山になってるのをさんざん見てきて
「ひどいひどいひどいと言い続けてたけれど
「テンノーさんはのうのうと安泰だ
「あんなセンソー起こして
「平気で立派なところに居続けて安泰なんだ
と言い続けた
嘆くようにでもなく
吐き捨てるようにでもなく
つぶやくようにでもなく
まるで教科書に書いてある事実のように
ためらいもなく
つよく
はっきり言った
おばあちゃんは昔のひとでセンソー時代のひとだが
そういう昔とセンソー時代の鋭さを
ぼくは見直さないといけなかった
新鮮だった
晩年になるとおばあちゃん
だいぶボケが出てきたが
アタマのはっきりしている時もけっこうあって
ボケVSはっきり
ボケVSはっきり
が交互に点滅
そのせいでか発言も
ボケVSはっきり
ボケVSはっきり
かと思いきや
けっこう
はっきりはっきりはっきり
なりまさり
ちょっと家族が集まって話していて
なにか
世間の話題になっていた性的不祥事の話になった時
「だってしょうがないよ
「ニンゲン
「セックスはしなきゃいけないからねえ
「それは止めようがないからねえ
「抑えられないからねえ
と
はっきりはっきりはっきり
発言
これにはみんな一瞬黙り
このひと一体いつの世代のおひとか?と
一気に追い抜かれていく感覚
ひょっとして
タダモノではなかったかと
おばちゃんの顔をまじまじ見つめ
ぼくも思い直した
そんなこんなで
とうの昔に死んだおばあちゃんを
いまの時代に強引に結びつける気なんかさらさらないが
おばあちゃんは福島のひと
福島は四倉のひと
そこから見合い結婚で東京にひょこっと出てきて
姑相手の苦労も
つき合いのひろい遊び人の夫相手の苦労も
東京大空襲までのセンソーの苦労も
さんざん味わってきたひと
福島がまだフクシマでなかった頃の豊かさとゆとりを肥やしに
昭和の妻として
母として
大きな体で十全に生き切ったひと
「とにかく人間は勉強しないといけない
と言っていて
「大正生まれだのに
「おばあちゃんなんか
「女学校に行くのに毎日片道二時間歩いて通った
「毎日毎日往復四時間歩いて通った
「おばあちゃんなんかの勉強は大したことはないけれど
「それでも人間は勉強しなきゃいけない
「毎日毎日往復四時間歩いてでも
「勉強
「勉強
「女だって勉強しなきゃいけない
「これからの時代は女だって
「と思って
「毎日毎日往復四時間
「雨でも晴れでも暑い日でも
「毎日毎日往復四時間
「毎日毎日往復四時間
おばあちゃんのこんな言葉の記憶から
浮かび上がってくる
若い福島の女の子
女子高生の
歩く歩く歩く姿
「これからの時代は女だって
「これからの時代は女だって
と学校に通う姿
「毎日毎日往復八キロ
「毎日毎日往復八キロ
ぼくの目では
ほんとうは見たこともないこんな姿が
今になって
もっとも鮮烈に見え続ける
おばあちゃんの姿
夜も更けて
ちゃぽちゃぽ
風呂に浸かりながら
見たこともない
そんなおばあちゃんの
娘時代の姿に
ぼくは呼びかけてみる
毎日毎日往復八キロ
あなたが
おばあちゃんでなかった頃
歩いて通った
福島
おばあちゃん
いまのあなたには見えてますか?
おばあちゃん
どう見えてますか?
おばあちゃん
まだ歩きますか?
あなたなら
おばあちゃんでなかった頃なら
まだまだ歩き続けますか?
八キロでも
何キロでも
毎日毎日
毎日毎日
おばあちゃん…
JR参宮線、鳥羽の手前で降りる
回収する人のない切符をポケットにしまい直す
ちいさな駅舎から家並みをぬって
マイクロバスは
二見の傾く日のなか
海辺の道へ
女ふたりで夫婦岩なんてね、と
鼻をかむ
だって
縁結びを祈る女子旅ではなくて
恋のアルバム作成中のふたりでもなくて
父つまり夫を送って三十年の母との旅だ
結婚中退から十年
めおとって響きに
ちょっとひるんだのは私
行ったことがないから行ってもいい
と母のひと声
そうだね、
行ってみればいいよね
日の沈む前にご覧になれますよ
促されて宿を出る
夫婦岩まで四分
いちばん近い宿、だって
お伊勢さんに行くのなら
どこに泊まろう
伊勢市内、それとも二見?
なんて言っていたけれど
二見も伊勢市内なんだね
この波打ついちめんは伊勢湾、なんだ
鳥居をくぐるひとたちに続く
ざっざっと靴うらをうがつおと
大岩の角を曲がると拝殿、そして
注連を張ったひと組の岩、
囲むように小さないくつか
ざっざっと靴おと重ねて波ぎわへ進むひとまたひと
その先のほう
カメラを構えた細身の母だ
いつのまに
仄白くにごった光が絵筆のいっぽんとして
雲を走らせる
夕闇を押しとどめて伊勢湾の空は
つがいの岩をみおろしている
波に洗われ続ける岩の冷たさ
注連を張るだけの隔たり
おもいもしなかった感覚がたちのぼる
深夜、
あの岩、あの海、あの空の写真をみている
(仄白くにごった光の)
そう
旅の翌日
これをみて
母の手に一枚のモノクロ写真
え
父だ、父が写っている
その後ろ
あ
めおといわ
夫婦岩だ
おれも行ったんだぞと言ってるみたい、と母
旅行前にしていた整理の
続きをとアルバムを開いたら
いったいいつの社員旅行だったのか
まっすぐな目を向け
モノクロの父は