ねじりとひねりってことで人生をひねるってこともある

 

鈴木志郎康

 

 

四月の曇り空の下に風が吹く。
風は狭いわたしの家の庭にも吹き込み、
咲き始めた山吹の黄色い花を揺らす。

ところで、捩れるってことなんだけど、
二〇一五年三月三十日に、
新しく出来たシャワールームで
わたしゃ、初めて三十四歳の息子の野々歩に、
シャワーで身体全体を洗って貰ったのさ。
身障者用の椅子に座って、
頭からつま先まで洗って貰った。
ペニスもくりくりっと洗ってくれた。
萎んだペニスをくりくりっと、
くりくりっと、
身体が捩れるって感じ。
半回転のねじり、
うふふ、うふふ。

今日は窓辺に置いた鉢植えのハイビスカスが
二つ花を咲かせた。
赤い花、
真っ赤な花だ。
沖縄のねじれが始まってるよ。
辺野古埋め立てを止めさせようとする翁長知事さん。
そうだ、ねじ込め、と思っても見るが、
日本列島のねじれだ。
ひどい捻れだ。
わたしゃ、どうにもならない傍観的態度。
ここで一つ自分をひねってみるってことができない。

amazonで
「きなこねじり菓子」を買った。
きなことさつまいもでんぷん粉のしんねりした
幅2センチ長さ12センチ厚さ7ミリの生地のを
ふたひねりしてあった。
ほんのり甘くて美味しい。
近くのセブンイレブンで麻理が
「ひねり揚チーズ」と
「カリカリトリプルチーズ」っていう
ねじり菓子を買ってきた。
こちらは、
両方とも幅1センチ長さ3ないし4センチ厚さ数ミリの生地を五,六回ねじってあって、
まるでネジの形態だった。
塩辛いので
後を引く旨味だった。

ひねり、

ねじり。

二三回なら単にひねりでいいが、
十回もひねると、
螺旋になって、
ネジになるね。
凸のねじり、
それを
凹のねじりに嵌めれば、
オスネジとメスネジで、
合わさって、
二つのものを締め付けて留めてしまう。

ところで、
人間の頭を
比喩でひねると、
いい考えが浮かぶが
実際に両手で押さえてひねると、
殺人になっちゃう。

人生にも、
ひねりってことはあるんだ。
うちの麻理が難病になって、
非常勤講師を辞めて、
家のガレージを改造して、
友人や地域の人たちに来てもらえる
「うえはらんど3丁目15番地」を開いたのも、
彼女の人生をひとひねりしたってことだ。

そういえば、
わたしなんぞは、
ひねりの人生を送ってきたと言えるね。
(歳を取ると直ぐに自分の人生を語りたがるんだ。
まあ、いいや、聞いてね。)
戦時中の集団疎開から始まって、
戦災で焼け出されていくつもの小学校を転々。
そして大学浪人、
フランス文学を目指した学生から、
ひねって、
NHKの映画カメラマンに転身、
それから、文筆業に転身、
更に大学教授に転身、
そして定年で年金生活者に転身、
この次の、
人生のひねりは
最後のひねりで、
わたし自身が写真に転身するってことだ。
これだけひねりゃあ、
わたしの人生って、
一本のネジですね。

先日、
平竹君が久しぶりに遊びきて、
帰り際に、
この次に会うのは、
わたしが写真になってだね。
と言ったら、
ブラックジョークですね、
悪い冗談はやめてください。
と言って帰って行った。