光、長崎の

 

薦田 愛

 

 

ごめんねぇ本当は五島列島に行きたいのに
島といっても港からフェリーで二十分そこそこ
伊王島の高台から海に向かう馬込教会は
六月の日差しに眩しい白

久しぶりに
苦手な飛行機に乗る決心をしたのだもの
早起きして高速船で一時間半
渡ってみてもよかったよね
福江島の堂崎教会堂だとか
言葉にすれば決まって
母は打ち消す
そんなことないよ、初めて来たんだもの
そんなに遠くまで行かなくたって
見たいところ、見るところはたくさん

昨日は傘を広げたり畳んだり
初めての長崎
電気軌道を降り坂がちの町へ
まずどこへ? と問えばためらいもなく
大浦天主堂と母
だから だから
いっきに階段を駆けのぼりたいのに
つめかけた人の分厚い列
国宝なんだね
くぐもる声
いつか誰かの灰まじりの涙に濡れたまま
乾きききらない外壁の翳り
新調したゴアテックスの短靴で踏むことを強いられる
信仰はもたないけれど
高みから滴る彩りのちからに抗えない
平たく言えば
ステンドグラスに惹かれ
いのりと呼ぶには足りない思いをかかえて
えいっと踏み出し飛行機に乗り込んだ
母は
すっとデジカメをおろす
堂内へ
梅雨空の光染め分ける
とどかない窓へ
やっと

木の床から屋根裏へ
目を走らせるより早く
立つ身体を濡らす濁りのない色いろ
青赤そして緑と黄いろ
許し慰めすべてを受け容れる場所
いえ
そんなしつらえも持たず
禁じられた二百五十年をくぐりぬけた信者
明治初め
打ち明けられた側はそれを「発見」と呼び
信者がいることを「奇跡」と言ったのね
「発見」なんて受け身ではなくて
みずから「ここにいます」と
囁きとはいえ
声を挙げたというのに

そう
声が
母をここに連れてきた
カウンターテナー上杉清仁さん
その人となりと艶やかな声を知って
教会でうたわれる旧い歌の
豊かな声のちからにふれて
ふるえる母の心を染めた
ステンドグラス
木造のこんな天主堂で
歌が聴けたらね
上杉さんの
どんなふうにゆきわたるのだろう
ドイツやスイスや
あちこちの教会でも歌ってきたひとだもの

「ここにいます」
囁く信者に
驚いた司祭の住まいや羅典神学校が
緑にふちどられ傍らにある
天主堂のうちがわは胸におさめるしかないけれど
開け放された窓の外にも
ステンドグラスの色はこぼれているから
にじむ雨のあと鎧戸の窓の開け放されたありさまを写す
堂をこぼれる冷気と色とりどりが写る

坂から坂へ
グラバー園の紫陽花は雨気を含んでいたけれど
邸宅をめぐるうち
港を見おろす庭はすっかり乾いていて
喉が渇いた
お腹もすいたよと
昼どきを逃してお茶とカステラ
眼鏡橋も出島も気になるけれど
洋館好きの母と私としては
写していい窓も階段も
通りすぎるのが惜しくて
部屋から部屋へ幾度も
行きつ戻りつ

爆心地も平和公園にも行かなかった
代わりに伊王島
軍艦島の手前なんだね
ここも一時は炭鉱だったんだ

信者「発見」の明治ではなく
昭和初めに建てられたという馬込教会は
バス停の真上
上ってものぼってもまた階段で
母の足もとが気になる
大丈夫? ときいて
大丈夫ではなくても上ってしまう
母だから
きかない
少し離れて上る
陰のない海べりの高台すっくと白く
日曜のまひる
礼拝のあとだろうか
歌も祈りの声もない
ただ窓から
青や黄いろの光が降って

ふりかえってまた
デジカメを向け携帯を向ける
階段まで白い
汗をぬぐう
納屋だろうか
通りかかったその時
神父さん、と
神父さん
信者のひとのとりわけ多いという島で
教会の下の道
しんぷさん
女のひとの声に
応える気配
なんねとでもいうような
畑へゆくところでもあるような
日に焼けたひとの姿
波は目の下に寄せ
バスの時間はまだ先
潮のにおいまで照らすような
まぶしい
ああ
私たちはここまで光を観にきたのだ