萩原健次郎
なにかの果実が熟れていく。熟れていくとそれが腐っていく過程や枯れていく過程と同じになる。芽吹く、枝葉が伸びる、花が咲く。これも滅の道筋のひとつとなる。そんなことを思ってもしょうがない。
池の鯉に餌を与える。獣たちの侵入を防ぐために針金を池面に張り巡らす。ああこういうささいな仕事も、滅のための行いなのだと、バケツを持って細道を戻りながら、ぶつぶつと呟いて帰ってきた。
あっ、それは、モミの実ですよ。
―なんだかかわいいですね。鈴をいっぱいつけてるみたいで。
参道を行くお参りの客が、庭師の私に語りかけてくる。
あれは、どう考えても、かわいいなんてものじゃない。ぽとぽとと地上に見境なしに降るように落ちてくるのを、せっせと掃除をしてまわっているのは、わたしなのですから。
やっかいなんですよ。カラスがいたずらで落とすんです。
―遊びごころみたいなものですか。
よくわからないけど、カラスにとっては愉快なんでしょかねえ。
部屋に戻って、寝床に入っていると、この部屋中に充満している、果実酒や薬草酒の熟れた匂いに、寝床ごと浸される。この匂いには慣れているのに、なぜか寝入る直前の瞬間に、匂いの混濁が解けて、植物それぞれの発する固有のなにかが鮮明に見えてくる。
清い蒸留酒に溶かされた、生の、滅の澱み。
「そういう、直情の」と、
わけのわからない独り言をつぶやいて枕元の、モミの実をまさぐった。ぽろぽろと、鈴みたいな実が畳のあちこちに散らばっていく。
「なるほど、カラスの愉快は、こんな情景までも想像していたか」と思いながら、なぜだか心得た。
蒲団も、カラスの笑い声も、池の鯉も、それを狙う獣たちも、
寺域の草木も、それらがみな眠りながら、静かに静かに熟れていく。
果実酒は、あと数日で美味くなる。