人人戯画

 

長尾高弘

 

 

鳥獣戯画展を見に東博へ。
門のところに看板を持っている人。
数字がふたつ見える。
四〇? 一五〇?
なぜふたつある?
四〇の方は平成館に入るまでの時間らしい。
げ。
一五〇はなんだ?
いやあな予感がするぞ。
よくわからないままに四〇の行列に並ぶ。
ちょっと太ったお兄さんが説明をしている。
なかに入ってからも行列がある?
それが一五〇ってこと?
行列する前に見所があるからそっちへ行け?
ははあん、
なかの行列が長くなりすぎないように誘導してるな。
行列していない方を見ているうちにきっと行列が長くなるぞ。
入ったらすぐ行列だ。
というわけで、
入ってエスカレーターを上ると、
反対側の
いつもはお土産売場になっているところが
行列スペースになっている。
最後尾の看板を持った人を目ざす。
一五〇分と書いてある。
ただでもらえるパンフレットに
クロスワードパズルが載っているのはそのためか。
そこでパズルをやって時間をつぶす。
こんな言葉聞いたことがない、
というものがいくつも出てくる。
これであっているのかね?
しばらくやっていると飽きてくる。
最後尾の看板を見ると、一六〇分になっている。
並んだときと比べて明らかに行列のしっぽが延びている。
やった、作戦成功。
クロスワードパズルに戻る。
縦は聞いたことがない単語だけど、
横は間違いないからこれでいいはずだ。
そうこうするうちに展示室に入ろうとしている。
最後尾の看板は一七〇分。
しめしめ、二〇分も得したぞ。
それはいいんだけど、
どう考えても一五〇分待ったような気はしない。
どういうことなんだろう?
という疑問の答えはすぐにわかった。
展示室のなかでもまだ行列していたのだ。
この行列が何の行列かということも、
だんだん理解してきた。
来る前から、
この展覧会で展示されるのが鳥獣戯画だけじゃないってことは、
まあ知っていた。
鳥獣戯画だけじゃ、
ちょっと入場料が高いぞ、
ってことになるだろう。
だから、館内で行列をしてまで見るのが鳥獣戯画で、
行列しなくても見られるのがその他ってことなんだろう。
とまあ漠然と思っていた。
でも、行列の案内の人がちょっとよくわからないことを言っていた。
「はい、こちらは鳥獣戯画、コーカンのみです」
このコーカンてのは何なんだろう?
クロスワードといっしょにもらってきた出品目録のパンフを見ると、
鳥獣戯画ってのは甲乙丙丁の四巻になっているらしい。
コーカンてのは甲の巻ってことで、
みんなが知っているウサギとカエルの相撲なんかの絵は、
全部甲巻に載っているようだ。
へー、そうだったのか、知らなかったなあ。
それくらいの理解で展示室のなかに入った。
さっきも言ったようにまだ行列だ。
いくつか分かれているうちの
中央右側の部屋に入っていく。
暗いのでもうクロスワードはできない。
と言うか、もうやる気がしない。
行列はディズニーランドのような行列で、
こっちの壁からあっちの壁に行くと、
そこで折り返して、
あっちの壁からこっちの壁に戻ってくる。
これを何度も繰り返す。
退屈しないように、
壁に説明が書いてあったり、
これから見る絵の複製が壁紙になっていたり、
ディスプレイがあってそこで込み入った説明をしてくれたり
するようになっている。
展示が途中で入れ替わることは来る前から知っていたけど、
具体的に今何が見られて何が見られないかは
この壁の説明でわかるようになっている。
甲乙丙丁の特徴もわかった。
甲はさっきも言ったようにみんなのお楽しみ。
乙にはキリンビールのラベルのような麒麟の絵がある。
丙や丁には人間が描かれている部分がある。
ええっ、それじゃあ鳥獣戯画じゃないじゃん。
それとも人間も獣のうちってこと?
でも、昔はそんな考え方しなかっただろう。
それに、例のウサギとカエルとサルの甲巻でも、
鳥なんてほとんどいないじゃん。
本当は獣獣戯画だよ。
でも、カエルは虫へんだから獣じゃないか。
虫獣戯画だな。
などと考えているだけではとても行列は終わらないのだけど、
しばらくすると部屋の出口が見えてきた。
ここを出て隣の部屋に行ったら、
いよいよ鳥獣戯画甲巻だ。
でも、もう一五〇分も待ったっけ?
まだそんなにたたないような気がするけど。
案の定まだ一五〇分もたっておらず、
部屋を出た行列は
隣の甲巻の部屋の壁に沿って続いている。
ああ、あっちの端まで行って、
戻ってこなければならないのか。
壁の反対側には展示物が並んでいて、
見物も並んでいる。
ガラガラというわけではないけど、
こちらよりは明らかに人口密度が低くて息がしやすそうだ。
おや、丁巻と書いてあるぞ。
本物の展示は人の陰になって見えないけど、
本物の上に見どころの拡大写真があって、
そっちはよく見える。
丁巻は甲巻とはずいぶんタッチが違うなあ。
そうこうするうちに壁の端までやってきた。
行列は戻ってこず、左に曲がる。
今の壁よりもずっと長い壁のあっちの端まで行って
戻ってくるようだ。
壁の反対側には、丁に続いて丙、乙の展示が続いている。
なるほど、いっぺんにがっかりしてやる気をなくさないように、
ちょっとずつポキン、ポキンと
気持ちを折るようにできてるんだ。
現に向こうまで行ってこっちに戻ってきている行列を見てみなよ。
みーんな俯いて死刑台に引っ立てられていく囚人みたいだぜ。
スマホを見て下向いているだけって人も多いけどさ。
などと考えているだけではとても行列は終わらないのだけど、
しばらくすると長い壁の往復も短い壁の往復も終わって、
甲巻が展示されている部屋にやっと入れた。
もう一五〇分待ったよな。
しかし、ここに最後のポキンが仕込まれていた。
甲巻の長さだけ往復してこないと
甲巻を見る列の後ろにつけないのだ。
待たされるのにはもう慣らされたので、
そんなのはへでもなかったけどね。
それに、この行列の復路では、
見ている人の後ろから絵巻自体を覗き込むことができた。
何しろ最後は横一列になって、
「後ろの方たちのためにも立ち止まらない観覧にご協力願います」
などと係の人に急かされて落ち着かなく見るんだけど、
それでもぴたっと止まるおばさんはかならずいるわけで、
特に後半では見物と見物の間に隙間が空きがちだったのだ。
だいたい、いつもなら一番前で見るために行列なんか作らず、
後ろからひょいと首を突っ込んだり、
隙間が空いていたらぐいぐいと入り込んだりして見物するわけだから、
最後の行列復路篇では、
絵の順番としては逆だけど、
いつものやり方で結構のぞき込んじゃった。
前半部分は混んでいたから見えなかったけどね。
で、いよいよ見物スタートのときがやってきた。
二十五メートルプール片道分くらい。
でも、忘れちゃいけないのが半分ずつ展示のこと。
今日は後半しか展示されていない。
展示の前半は、
ここにない前半部分の等寸大写真。
なんとここが一番混んでいたわけだ。
そして急かされちゃうので、
あまり落ち着いて見られないうちに、
後半はささっと目の前を通り過ぎていく。
鳥獣戯画甲巻との対面は二分、十メートルほどでおしまい。
どうせ図録を買って帰るからまあいいや。
だいたいマンガ見るのに原画を見なきゃなんて思うかよ。
ダイジェストでしか見たことのないものを
全体で見たかっただけなんだ。
ところが絵巻じゃなくて人ばっかり見ちゃって、
これじゃまったくニンニン戯画だぜ。
先に甲巻の大行列に並んじゃったから、
ほかの部分を見る気はだいぶ失せてたんだけど、
せっかく来たのだからと気持ちを奮い立たせて
ひと通り見てみた。
例によって前で見るために並んでいる人たちには付き合わず、
後ろからひょいひょいと覗き込んでいった。
まあそれで満足できるよ。
じっくり見たからって何かわかるわけでもないしさ。
三〇分くらいで全部まわれた。
甲巻の何倍分のものを見たのかな。
乙丙丁で甲の三倍で、ほかにも色々あったから
八倍とか十倍とか?
そういえば、
フェルメールの「真珠の耳飾の少女」が来たときには、
行列して前で見る人と
後ろから覗き込むので満足する人とで
二股に分かれるように誘導されたんだよな。
ここじゃなくて向かいの東京都美術館だったけど。
今度もああいうようにしてくれればよかったのに。
終わったときの館内行列は一五〇分。
あれ、元に戻っちゃったよ。
おまけに館外の行列はなくなってた。
がんばって午前中に行ったのに、
午後の方がましだったのかなあ。
いやいや、開館前から並ぶのが正解だよ。
来る前にはわかっていなかったことがわかったけどね、
もう来ないからこの知識は役に立たない。
ちなみに、おみやげコーナーのレジの行列もとんでもなかったので、
別枠だった図録以外は何も買わずに帰ってきちゃった。
独立採算制の独立行政法人とやらになって、
予算が絞り込まれちゃっているのに、
こんな客ばかりじゃ困るんじゃないかなあ。
余計な心配までしちゃったよ。