薦田 愛
乗り込むと間もなく
チョコレート色のバスは動きはじめる
ふりかえって母と顔を見あわせる
博物館明治村というんだね
前に一度来ているのに憶えてなかったよ
岐阜だと思い込んでいたけれど
ここは愛知
犬山城へ寄らずにまっすぐ来る人は珍しいのかな
うねうねと坂はのび
白壁にバルコニーや瓦葺き木造の民家
煉瓦や石でできた洋館のあいまを縫って
あれは三重県庁舎、そして金沢監獄
その隣のこれは、なに?
車内アナウンスが追いつかない
ああ
ここで降りよう
十一月薄曇りの空のもと
午後の空気はひんやり
池の奥には帝国ホテル、
写真で見たことがあると母
一部といってもおおきい
日比谷からここまで運んできたんだね
細工の施されたタイルや煉瓦や石が組みあわされ
込み入った造り
声がするほうを見あげると
中二階でパーティーの様子
現在進行形で使ってるんだね
話しかけたらいない母を探すと
団体さんの向こうでデジカメ態勢
撮りたいものばかりなのは私も同じだけど
あまり長居はできないよ
今日のメインはここじゃない
何しろ教会が三つ
誰もカメラを咎めない
挙式の希望にも応えてくれるらしいけど
それはいつか必要が生じたら思い出すことにしよう
ステンドグラスもある
そして一年少し前
長崎の伊王島で
海に臨む馬込教会に行ったあと
島にもうひとつ教会があるとわかったものの
離れすぎていて辿り着けなかった
大明寺教会
正確には大明寺聖パウロ教会堂が
明治の初めに建てられた姿で
保存されているというのだから
急がなくては
銀行に写真館、芝居小屋に銭湯
ガラス工場に変電所、派出所に兵舎
幸田露伴や森鴎外、夏目漱石の住まいまで
近代史に文学史が混じる
そりゃあ博物館だもの
小学校に旧制高校そして師範学校
鼻の奥があつい
だってだってさ
明治村のことを知ったのは
高校のころ
明治の終わりにできた
女学校時代の建物もまだ使っていた
通称ベルサイユの旧校舎は火気厳禁
冬は手袋のまま学校新聞の記事を書いたり
ギロチン窓と呼ぶ上げ下げ窓が軋んだり
不自由極まりない旧校舎を
壊すというのだった私たちの目の前で
どうにか止められないのかと心は逸るのに
何ひとつしないままその日を迎えた
むざんむざんな
そのころ
明治村にでも保存できればねと
言ったのは教師のひとりだったか
明治村、というものが日本のどこかにあって
旧い建物を保存しているらしいと
たとえば旧校舎がそこに運ばれていくことを想像する
だったらだったらさ
上げ下げ窓の火気厳禁のそれが
目の前から失われてもいいと思えた
想像でしかなかった
運んでいくほどのものではないと
それでも当時、建築史だろうか専門家が来て
ひととおり調べたのだとあとから聞いた
それだけのものではあっても
それだけのものだったのか
だからだからさ
知りたくてならなかった
明治村にはどんな建物があるのか
保存するほどの建物って
どんなものなのか
そして三つの教会
京都にあった二つ
聖ザビエル天主堂と聖ヨハネ教会堂
そして長崎の大明寺聖パウロ教会堂
駆け足でまわってもまわりきれない村内の
北に二つ、南端の高台にひとつ
母はどれも見たいと言う
駆け足でまわろう
行けるところまで
紅葉の見ごろをやや過ぎ
赤はへりからちりちりと縮んで
ライトアップは今日明日まで
日没のあとも見ていられるけれど
きれいに撮るのは難しくなるかな
電池を換えなきゃと母はいそがしい
空へ伸びる聖ザビエル天主堂の内がわ
ほの暗いなかへ注ぎこまれる
すきとおった赤、青、黄、縦長のつづれ
そしておおきな円い
薔薇窓をこぼれる光の帯びる音
信仰のない母も私も
分け隔てなく染めてゆく誰かれの声
ほおっと溜め息で溶かしながら
母じしんと私じしんに返る
さあ大明寺教会堂へ
見えているのに近づかない道を選び直し
案内板を二度見直すふしぎ
どう眺めても教会ではないのだった
なにと言うなら学校の講堂や大きな田舎家
どうかするとお寺の本堂のような
ありきたりののどかさへ踏み入る、と
こうもり天井に祭壇
紛うことのない祈りの場
咎める人はいないのでシャッターをきる
余分なもののない清潔
表に出ると日脚は短い
急ごう
聖ヨハネ教会堂に通じる坂は幾度も折り返す
道の端には灯し
ライトアップに照らし出された外壁は
本当の色がわからない
階上にしつらえられてある
祈りの場はモノトーンに暮れて
壁いちめんは窓それが
ステンドグラスかどうか
判別できない暗さ
礼拝の時刻の様子を思い浮かべることはできないけれど
おごそかさを胸の底まで吸い込む
よそ行きではない習わしを
私としての誰かれが行なう
気配をたぐり寄せ
見あげる
ありはしない旧校舎の
上げ下げ窓
見あげる