家族の肖像~「親子の対話」その4

 

佐々木 眞

 
 

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「お母さん、輸血ってなに?」
「怪我をしたときに他の人の血を入れることよ」
「宇宙戦艦ヤマトの島大介さん、輸血したお」
「そうなの?」

「マコトさんとファミリーナの田中さん、好きだお」
「マコトさんって、お父さんのこと?」
「そうですよ」
「ありがとう」

「お母さん、向こう岸てなに?」
「川の向こう側のことよ」

「キョウコさんが、気をつけてお茶飲むのよと言ったお」
「誰が?」
「キョウコさんが」
「ああ、亡くなったおばあちゃんがそういったのか」

「お父さん、トシヒコちゃん結婚したの?」
「結婚したよ」
「お父さん、トシヒコちゃん、子供できたの?」
「できたそうだよ」

「鎌倉郵便局は本局だお。しばらくお待ちください。ただいま修理をしております。
ぼく、鎌倉郵便局の真似をしたお」

「お父さん、こちらこその英語は?」
「ミー、トゥかな?」
「こちらこそ、こちらこそ、こちらこそ」

「さて耕君、今日の晩御飯はなんでしょう?」
「分かりませんよ。なにがつくもの?」
「ヒがつくものよ」
「ヒ、ヒ、ヒレカツ!」
「あたりー!」

「ぼくハッピーバースデイ歌いますお」
「今日は耕君のお誕生日だからね。お父さん、お母さんと一緒に歌いましょう。耕君は何歳になりましたか?」
「41歳だお」

 

 

 

年の暮に考える

 

みわ はるか

 

 

今年も早々と紅白歌合戦の司会が決まった。

外をものすごい勢いで通過する風が身に染みるほど冷たい。
去年の薄手のコートをクローゼットからだして着てみたら少しナフタリン臭い。
色も買った時より褪せてきた気がするし、デザインもどこか気に入らない。
新しいのが欲しいなと思うけれど、こんな寒い中外出するのは億劫だ。
できればもこもこの布団の中でずっーと過ごしたい。
1年でこの時期だけ熊になりたいと思う。
彼らのように冬を冬眠という形で過ごしてみたいと思う。
もこもこの布団の中で色々考える。
そういえば、「ナフタリン」に似た名前の果物をこないだ食べたな。
なんだったかな。
あっ、そう「ネクタリン」。
ものすごくこういう時間が好き。

ある映画監督の密着番組を見た。
その人の人生は山あり谷ありで、わたしの心にぐっとくる何かがあった。
「絶望から希望が生まれる。」
「毎日地道なことを続けていれば幸せな瞬間が来るんだよ、来ると信じてるんだよ。」
「映画というのは、明日はきっといいことがあるよと大声で言っているようなもんなんだよ。そうでないにもかかわらずね。」
録画したこの番組をもう何十回も見ている。
実は彼の作品は一度も見たことがないのだけれど。
朝がくることが怖いと思うときがある。
新しい一日が始まるのが恐怖としか捉えられない時がある。
いいこともあるんだろうけど、それ以上に辛いことがあって。
後者に比重をおきすぎて、前者が完全に隠れてしまった。
でもそうではないんだと、そのほんの一瞬の喜びのために生きるのも悪くない。
そう思えた。
朝が辛いことは変わりないけれど、どこかいつもより洗面所までの足取りが軽くなった。

最近初めて心の底からライブに行ってみたいと思えるミュージシャンと出逢った。
なんといっても彼の考え方、歌の詩がいい。
某テレビ番組のメインテーマ曲にもなっている。
かざる部分が なく、人間の心の奥深くでくすぶっている部分までもきれいに言葉になっている。
改めて言葉のパワーや威力の強さを知った。
人の心を両手で優しく救ってくれる言葉は本当に素敵だ。
そのミュージシャンの出演番組やライブの日程をポチポチと検索してみた。
瞬時に欲しかった情報が手に入る便利さに改めて感動しつつ、それを紙に書き留めた。
当分の間は、その人の出演番組はすべて見るつもりだ。

学校の教壇に立っている先生は昔からずっと先生だと思っていた。
自分が赤ちゃんから保育園、小学校、中学校、高校、大学へと間違いなく成長しているにも関わらず先生は生まれた時から学校にいると思っていた。
年 をとらないと思っていた。
悩みなんてこれっぽちもないスーパーマンだと思っていた。
いつも強く元気で、学校の催し物がおこなわれるときには先頭に立って活躍する。
何十人もの生徒から毎日提出される日記に怠ることなくきちんとコメントを書く。
給食は残さず生徒よりもやや多めの量を食べる。
動きやすい機能性のいい服を着て長い長い廊下を大股で歩く。
○と×をつけ続けるテストの採点にあんなに時間がかかるものだとあのときはこれっぽっちも思っていなかった。
職員室はそんなものすごい大人の集まりだと思っていた。
そんな職員室の扉を開けるときはものすごく緊張した。
扉のノブをおそるおそる回し、少 しだけ押して中の様子をうかがう。
ほとんどの先生は机の上の書類とにらめっこ。
そんないつもの様子に安堵しながらするっと中にお邪魔する。
あの空間にはきっと色んな悩みや、困りごとが渦巻いていたにちがいない。
そんなそぶりはみせないけれど。
先生もみんなと同じように生まれてきて、大人にかわいがられた時期があって、試験を受けてあの教壇に立っている。
そんな「先生」という魔法のトリックが解けたのは案外自分が社会人になってからなんじゃないかなと思う。
もっと前から知っていたはずなのにうまく完璧な解答までたどり着けていなかったきがする。

そんなことを貫々と考えるのは季節のせいなのだろうか。
2015年ももう11月に突入している。