夢は第2の人生である 第32回 

西暦2015年文月蝶人酔生夢死幾百夜

 

佐々木 眞

 

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「ここにあの毒持ち大蛇がいるからちょっと見てきてくれないか」「エッ、毒持ちですか?それはちょっと勘弁してくださいな」「いや、どうしてもあんたに見てきてもらいたいんだ。あいつをやっつけないかぎり俺たちの国に仕合わせは戻ってこないんだ」7/1

こらワタナベ、こらマエ。そんなに偉そうに俺に物を言うな。お前らと俺とはもうとっくの昔に赤の他人なんだ。赤の他人にお願いするときには、まず帽子を取り、「どうぞよろしくお願いいたします」と丁寧に頭を下げるんだ。分かったか、このボケなす。7/2

「南無南無社会保障」なるテレビ番組をみていたら、元気よく喋っていた出演者が突然何者かに撃ち殺されてしまった。きっと誰かが「潰した」のだ。7/3

酔っぱらった村雲太郎選手がテレビ番組に出てきて、「あのお60年代は、やっぱりそのおいろいろあったね」とか呟いていると、スタジオにいた若い男がいきなり立ち小便したので、村雲選手は「あ、こりゃまた失礼いたしやしたあ」と言いながら、自分もしょんべんした。7/3

久しぶりに横須賀線に乗ってみたが、駅の名前が分からない。1つの駅に3つくらいの異なった表示が出ている。仕方がないのでとりあえず目の前のに乗り込んでみたら、電車だったはずがいつの間にか船になったり、突如飛行機になって空を飛んだりするので驚いた。7/4

「わが社の最大の特徴は複合マーケティング体制にありまして、ターゲットを1つに絞らず、男と女、ヤングとシニア、和と洋、都会と田舎、静と動、光と影、神と仏のような2つの相反する要素を同時並行的に追及するよう努めております」と、その男は語った。7/4

家の隣が映画館なので、毎晩こっそり忍び込んで一番後ろの座席に座っていると、嵯峨三智子とか井上正夫の顔を見たが、今夜は株式課の川口さんだった。総会屋にお中元を渡してきた帰りだろう。川口さんは「久しぶりだね。奥さん元気?」と人懐っこい笑顔を浮かべたが、その顔は蒼白だった。7/5

退屈すると、我われは女子大の寮にストームをかけた。人魚のような半裸の女子が横たわっているベッドの上を、「ドドシシドッド」と駈け抜けると、彼女たちはうれしそうに歓声を上げるのだった。7/6

私たちは2人でどんどん沖合に出て、波の上でゆったりと寝そべっていたので、そこがいつ沈んでしまってもおかしくない不安定な海の上であることを、すっかり忘れていた。7/6

あまりにも多くの観光客が押し寄せるようになったので、当局はすべての道路を立ち入り禁止にしていたが、私は平安時代からの獣道や江戸時代の秘密の抜け道を知っていたので、自由自在に出入りすることができた。7/8

死んだサカイ君やまだ生きているだろうセキノたちと野球をしていた。セキノが「僕はボールが怖くてたまらないんです」と言ったので、私は「そうなの。僕はちっとも怖かないけどね」と応じたら、セキノは妙な顔をして私を見た。7/9

敵と戦うその戦士の武器は、2つの火器であったが、戦時ではなく平時にその火種を消そうとしても、けっして消えることはなかった。7/10

私がその鳥小屋に入っていくと、尻尾のむやみに長い尾長鳥をはじめ無数の鳥たちが、私の頭や両肩に止まろうとして、激しく争うのであった。7/10

中国人のお金持ちの結婚式に招待された私が、上海の式場にたどりついたら、物凄い爆竹の音が鳴り響き、白衣の花嫁が朱に染まって倒れている。どうやら爆竹ではなく爆弾が炸裂したようなので、皆我先に逃げ出した。7/11

「綾部にもオペラハウスが出来たそうだから、一度見に行こう」と前田選手が勧めるので、急いで駆け付けたのだが、ここは映画館の三丸劇場で、観客は一人もいない。いったいどこでオペラを上演しているのだろう、と激しく焦っているわたし。7/12

「お前は絶対にそのライフル銃で人を撃ったに違いない、さあどうだ白状しろ」と警官がいい募ったので、私は自分はすでに最愛の人を撃ち殺してしまったことに気づいて、激しく動揺したのだった。7/14

学校へ行って講義を聞いても、ろくでもない教師の詰らない噺ばかりなので、失望落胆した私は、もう一切の授業には出ず、学校の近くの雀荘に通いつめて、朝から晩まで賭けマージャンに興じていた。7/15

部長の私は、妻のフォーマルウエアの買い物を手伝うようにと課長に命じたのだが、彼は自分が勝手に選んだ商品を妻に届けたので、頭に来た私は、そいつを彼奴に突き返し、改めて妻とデパートへ一緒に行って彼女にふさわしいドレスを買ってやった。7/16

就活戦線は依然として熾烈であるが、この大学の俳句研究会の自由律メムバーはいつもいいところに就職しているという神話があって、ある学生が最終面接で「オットー(夫)と/呼ばれし日本人」という句を即興で詠んだのだが、あえなく落とされてしまった。7/17

若き日に伊豆の温泉を出るとき、宿の娘から手渡しされた「しきみ」の実を取り出して眺めるたびに、あの娘はどうして私にこれを呉れたのだろう、と謎は深まるのだった。7/18

犬と猫の詩を書いていたらチャウチャウとチャシュー猫が取っ組み合いの大喧嘩をはじめたので。せっかくの名編が台無しになってしまった。7/19

うちの奥さんが、崖の穴ぼこに潜んでいた五位鷺をうまくつかまえたので、ハラハラしながら見守っていた隣の奥さんと飼い猫たちが、拍手喝采した。7/19

「その緑色のプラナリアに早く水を掛けないと、死んでしまうぞ。死んだら、お前のデザインを創造する力は、枯れてしまうんだぞ!」と叫んだが、イタリアの富裕ブランドのデザイナーの耳には届かない。7/20

その悪党が、組織をちょっといじっただけで、うちの会社はめちゃくちゃになってしまった。7/20

人殺しをし合う戦争が怖くて怖くて、一目算に前線から逃れてきた私は、軍服や武器弾薬を駅の近くに隠したのだが、他に行くところもなくて軍営に戻った。7/21

私が東京五輪に反対していることを知りながら、隣のオバハンが私のパソコンに侵入してのっとり、「どうぞ私の家を潰して新国立競技場にしてください」というメッセージを拡散したので、私は怒りに震えた。7/22

私が猛烈な速さで夢をみ続けていると、「お客さん、もうちょっとゆっくりにしてもらえんかね、メモができんのでね」と、誰かが文句を云うた。7/24

リーバイスをはいたその男は、挨拶もせず、私を完全に無視して、あたりの女にちょっかいを出しはじめたので、私は「このバルバロイめ、俺の女に手を出したら容赦しないからな」と警告した。7/24

どういう風の吹きまわしかノーマ・カマリというブランドが復活したというので、私はさっちゃんと一緒にオンボロ車に乗って、全国巡業クアンペーンに旅立つ羽目になったのだった。7/25

ラジオ番組の下打ち合わせがあるというので、某局に出かけたらプロヂューサーとかディレクターとか出演者などがわんさと並んでいて、結局これがどういう番組で私は何をすればいいのか分からないままで帰宅した。7/25

安倍蚤糞の御蔭でさっぱり仕事が無くなってしまったので、仕方なく大学の就職課へ無職の息子と相談に行ったら、「親子で就活とは、こりゃ珍しい」と職員から珍獣扱いされ、写真を撮られたり、取材を受けたりしたので、ほうほうの態で引き揚げた。7/25

久しぶりに回転寿司屋に行ったら、寿司の代わりに懐かしい故郷の写真が次々に流れてくるので、手に取ろうとするのだが、ついと流れ去ってしまうのだった。7/26

NHKの海外放送局のサウンドロゴを作ってほしいというリクエストがあったので、三波春夫のオマンタ囃子を薦めたのだが、「局内で検討させてください」という返事があったきり、連絡がない。7/27

巴里に到着した夜に、クライバーが「薔薇の騎士」を振るというので、ガルニエ宮に駆けつけたのだが、私の目の前で当日キャンセル券が売れてしまい、私は泣く泣くホテルに引き返したのだった。7/28

暑い、暑い。こう暑くては脱水症になってしまう。うちの奥さんは「喉が渇いたと思った時に飲んだのでは、もう遅すぎるのよ」と警告するのだが、ではいったいつ水を飲めばいいんだろう。7/28

社員旅行のお昼に入った和食屋さんには、寿司、天ぷらからラーメン、餃子、精進料理までありとあらゆるメニューが取り揃えられており、しかも安価で美味しかったので、こういう店が家の近くにあったらなあと、私は羨ましく思った。7/28

私は、鳥になって撃たれたふりをしていたが、人々はいつまでたっても、それを私だとは気がつかなかった。7/30

お兄さんたちのテントでは大いに盛り上がっているのに、我われ子供は、やたら焼き肉を食べさせてくれるだけで、仲間には入れてくれない。お兄さんの意地悪!7/30

世界一周旅行の途中神戸に寄港したので、ワールドの展示会場を訪ねたら、旧知のデザイナーやバイヤーがまじまじと私を見つめるので、その視線の先を辿ると、私の半ズボンの半開きの社会の窓があった。7/31

NYのセントラルパークの中に「シェ・フィガロ」という安レストランがあって、ここを訪れると、フィガロよりもファルスタッフに似たビヤ樽ポルカに似た老僕が、私をぎゅぎゅっと抱きしめてから、安くて美味いフレンチを御馳走してくれるのだった。7/31

 

 

 

グリニッジビレッジ、煮込みうどん物語

 

長田典子

 

 

ディグ、ダグ、

駅の構内やホテルの前で
剝き出しの銃を構えた兵士に出くわすたびに
TVで見る
破壊、や、崩壊、や、悲嘆、や、凄惨な死、が、
すぐそこにあるようで
いつもかならず
恐怖を感じる

ディグ、ダグ、

冬のある日
ニール先生の宿題は
「あなたの家族の歴史を調べて書いてきなさい」だった
わたしたちはグループで調べたことを発表しあった
韓国出身の学生のふたりともが朝鮮戦争で家族が生き別れ
ノースコリアに消息不明の親戚がいると語った
二十歳そこそこのふたりには遥かに遠い昔話なのかもしれない
彼らの両親よりも年上かもしれないわたしは
破壊、や、崩壊、や、死、や、
肉体を引き裂くような、
悲嘆、が
からだにこみあげ
ふるえた
ニール先生の授業の意図を理解した

ディグ、ダグ、

わたしは自分の家に伝わる物語を披露した
破壊、も、崩壊、も、悲嘆、も、まだ、ない、
わたしの家の物語を……

「ずっとむかし、わたしの祖父の祖父の兄弟は神隠しというものに遭いました。その男は3年間、行方不明でしたが、ある日、とつぜん帰宅し、天狗様と山で修行をしていたと言ったそうです。隣家の婚礼の日、男は出された御馳走を天狗様に差し上げるのだと言って、村人たちの前で屋根の上にぴょーんと飛び上がったそうです。その男の死後、男が天狗様にもらったという短刀を山の神様として祀りました。」

授業の後
ひどく寒かったので
グリニッジビレッジのニホン街に行く
ニホン食レストランに駆け込み
好物の煮込みうどんを食べた
ふやけて千切れた
エビのてんぷらの衣をひとつひとつを箸で掬い上げ
頬張りながら
授業では言えなかったわたしの家族について
消化不良だった自分の物語について思い出していた
戦争とは関係のない我が家の
破壊、と、崩壊、と、悲嘆、の物語について……

ディグ、ダグ、

「わたしは安定した生活こそがいちばん大事だと思っていました」

ディグ、ダグ、(汁にふやけた天ぷらの衣が大好き)

「わたしは吟味に吟味を重ねて公立学校の教師になりました
ニホンではプライバシーでも先生でなければならないので
どこにいても規格品のようにふるまわなければなりませんでした息苦しかった
小学校の教師の仕事は大嫌いでした
職員は優等生ばかりで規格外のことは理解されませんでした
わたしも優等生を演じました何の曇りのない家庭で生まれ育った良家の子女のように
子どもたちは可愛いいと思うことも助けられたと思うことも多かったのですが
勝手にあちこち動き回るからだんだん椅子に縛り付けておきたいと思うようになりました
毎週1時間ある道徳の時間をひどく憎んでいました
週2時間から3時間ある体育の時間を憎んでいました
算数や国語や社会や理科や音楽や図工は楽しくて好きでした
ニホンではプライバシーでも先生でなければならないので
土曜日も日曜日も外出するときは人に後ろ指を指されないように気をつけながら
規格品のようにふるまわねばなりませんでした息苦しくて仕方なかった
外国に旅行で出かけたときだけわたしはほっとできました
仕事は辞められませんでした息苦しくても身体がきつくても嫌いでも
安定した生活を優先させていたからです安定した生活こそがいちばん大事でした
世界は人間社会は恐怖に満ちていると思っていました」

ディグ、ダグ、(巨大エビはNY特産なのかしら)

「わたしは蛇行する相模川に沿った28戸だけの小さな村に生まれました
先祖はどこからやってきたのかはわかりませんがほぼ村人全員が先祖代々700年にわたって河岸段丘の底の擦り鉢状の土地に暮らし続けていた家の末裔です
7歳のとき村はダム建設のため湖に沈みました
わたしたち家族は河岸段丘の上の嘗て村の入り口だった傾いた土地に引っ越しました
河岸段丘の上で生活は一気に50年は近代化しました
破壊、と、崩壊、と、悲嘆、が、ここにもありました我が家なりに
村では山の水を引いて台所の水甕にため柄杓で水を掬っていました
破壊、と、崩壊、と、悲嘆、が、ここにもありました我が家なりに
新しい家には水道が完備していました
庭にはベンチや石段を配した大きな築山の中心に池があって噴水が出ていました
応接間には堂々とした応接間セットがありビクターの大きなステレオがありました
三姉妹お揃いの毛皮の襟巻をして学校に行きましたまるで大金持ちになったみたいでした
しかしその生活は一年足らずで終わってしまいました
破壊、と、崩壊、と、悲嘆、が、ここにもありました我が家なりに
世界は恐怖に満ちていました」

ディグ、ダグ、(わわ、星の形のにんじん発見!)

「父が家にあまり帰らなくなりました父は多額の保証金をもとに
新しい事業を始めては失敗するということを繰り返していたようでした
そのうち父は全く家に帰らなくなりました
毎朝毎晩借金取りが家のドアを叩くのでした
役人が家に来て家の物に札をつけていきました
勉強机だけには札はつけられませんでしたランドセルも無事でした
札は外されそしてまたつけられることが繰り返されました
世界は恐怖に満ちていました」

ディグ、ダグ、(長ネギは嫌いなのになぜかうどんの汁となら食べられるの)

「築山の噴水がなくなりそのあたりは売られて新しい家が何件も建ちました
敷地の土地が少しずつ減って新しい家が次々に建ちました
破壊、と、崩壊、と、悲嘆、は、ここにもあったのでした我が家なりに
母は村に住んでいた頃からの組み紐工場を父に代わって続けてきました
そうやって祖父や祖母や子どもたち家族は生きのびてきました
応接間セットは古びてぼろぼろになりましたがそのまま置いてありました
ふすまも障子もぼろぼろになりましたがそのままにしてありました
カーテンもぼろぼろでしたがそのままにしてありました
破壊、と、崩壊、と、悲嘆、は、ここにもあったのでした我が家なりに
すでに町中の噂になっていたはずですが
わたしはわたしたち姉妹はなにごとも起きていないかのようにふるまっていました
世界は恐怖に満ちていました」

ディグ、ダグ、(ぷりぷりした鶏肉が大好き)

「わたしが大学に入学する頃になって父は家に戻ってきました
わたしは父をわたしの家族だとは思えませんでした
父だけでなく家族を家族だと思えなくなりました
わたしはもう父だけでなく人間というものを実に信じられない生き物だと思うようになりましたひとりぼっちだと思いました
わたしはひとりぼっちで生きていかなければならないんだと思いました
世界は人間社会は恐怖に満ちていました」

ディグ、ダグ、(星の形のにんじん、またまた発見!)

「安定した生活こそがいちばん大事でした」

ディグ、ダグ、(渦巻きナルトはうどんの定番です)

「中学校で英語を習い始めてからずっと留学してみたいと思っていました
ビクターのステレオでサイモン&ガーファンクルを何回も聴きました
安定した生活をいちばんに望んでいました
仕事を始めてから貯金がたまるたびに海外旅行に出かけました
いつもひとり旅でした」

ディグ、ダグ、(しんみりしんみり煮込まれた椎茸を食べます大好きです)

「いろいろありましたいろいろなことがありました
結婚しました代々続く家を脱出するためでした必死でした離婚しました病気になりました
仕事を続けました結婚しました幸せになりました人間を信じられる生き物だと思えるようになりました仕事を続けました病気になりました自分の家を建てました仕事を続けました30年勤めてやっと仕事を辞められると思いました退職金で住宅ローンをすべて返せるとわかったのです安定しましたやっと安定できました必死でした必死でした必死でした
いつのまにか嘗て祖父母や両親のいた場所はすべてが無くなっていました
いろいろありましたいろいろなことがありました
退職金の残りを留学資金に充てました必死でした必死でした必死でした
ずっと留学したいと思っていました
ずっと留学したいと思っていました
ずっと留学したいと思っていました」

ディグ、ダグ、(汁に浮かぶ半熟卵が大好物なのです)

湖に沈んだ村の
冬の夕食は毎晩あったかい煮込みうどんで
野菜の具がいっぱい入っていたっけ……
NY風煮込みうどんの汁を最後の一滴まで飲み込む
芯からあったまって
わたしが構築されていく
わたしが再構築されていく
横なぐりの雪が舞い上がる通りに出る
駅の構内で
剝き出しの銃を構えた兵士を見かける
破壊、や、崩壊、や、悲嘆、や、死、のあふれる世界を
アメリカ! を、
歩く
安定って、
けっきょく、わたしの場合、
外側だけのことだったのかもしれないな……
構築されたわたしは煮込みうどんであったまったからだは
外側よりも
内側を満たしていきたい
たとえ
破壊、や、崩壊、や、悲嘆、や、悲惨な死、にあふれる世界にいたとしても
世界が恐怖に満ちていたとしても
わたしはわたしを満たしていけば
だいじょうぶ
対峙していける
雪の舞い上がる
マンハッタンで
乾燥した冬の風が吹く
ニホン