西暦2015年文月蝶人酔生夢死幾百夜
佐々木 眞
「ここにあの毒持ち大蛇がいるからちょっと見てきてくれないか」「エッ、毒持ちですか?それはちょっと勘弁してくださいな」「いや、どうしてもあんたに見てきてもらいたいんだ。あいつをやっつけないかぎり俺たちの国に仕合わせは戻ってこないんだ」7/1
こらワタナベ、こらマエ。そんなに偉そうに俺に物を言うな。お前らと俺とはもうとっくの昔に赤の他人なんだ。赤の他人にお願いするときには、まず帽子を取り、「どうぞよろしくお願いいたします」と丁寧に頭を下げるんだ。分かったか、このボケなす。7/2
「南無南無社会保障」なるテレビ番組をみていたら、元気よく喋っていた出演者が突然何者かに撃ち殺されてしまった。きっと誰かが「潰した」のだ。7/3
酔っぱらった村雲太郎選手がテレビ番組に出てきて、「あのお60年代は、やっぱりそのおいろいろあったね」とか呟いていると、スタジオにいた若い男がいきなり立ち小便したので、村雲選手は「あ、こりゃまた失礼いたしやしたあ」と言いながら、自分もしょんべんした。7/3
久しぶりに横須賀線に乗ってみたが、駅の名前が分からない。1つの駅に3つくらいの異なった表示が出ている。仕方がないのでとりあえず目の前のに乗り込んでみたら、電車だったはずがいつの間にか船になったり、突如飛行機になって空を飛んだりするので驚いた。7/4
「わが社の最大の特徴は複合マーケティング体制にありまして、ターゲットを1つに絞らず、男と女、ヤングとシニア、和と洋、都会と田舎、静と動、光と影、神と仏のような2つの相反する要素を同時並行的に追及するよう努めております」と、その男は語った。7/4
家の隣が映画館なので、毎晩こっそり忍び込んで一番後ろの座席に座っていると、嵯峨三智子とか井上正夫の顔を見たが、今夜は株式課の川口さんだった。総会屋にお中元を渡してきた帰りだろう。川口さんは「久しぶりだね。奥さん元気?」と人懐っこい笑顔を浮かべたが、その顔は蒼白だった。7/5
退屈すると、我われは女子大の寮にストームをかけた。人魚のような半裸の女子が横たわっているベッドの上を、「ドドシシドッド」と駈け抜けると、彼女たちはうれしそうに歓声を上げるのだった。7/6
私たちは2人でどんどん沖合に出て、波の上でゆったりと寝そべっていたので、そこがいつ沈んでしまってもおかしくない不安定な海の上であることを、すっかり忘れていた。7/6
あまりにも多くの観光客が押し寄せるようになったので、当局はすべての道路を立ち入り禁止にしていたが、私は平安時代からの獣道や江戸時代の秘密の抜け道を知っていたので、自由自在に出入りすることができた。7/8
死んだサカイ君やまだ生きているだろうセキノたちと野球をしていた。セキノが「僕はボールが怖くてたまらないんです」と言ったので、私は「そうなの。僕はちっとも怖かないけどね」と応じたら、セキノは妙な顔をして私を見た。7/9
敵と戦うその戦士の武器は、2つの火器であったが、戦時ではなく平時にその火種を消そうとしても、けっして消えることはなかった。7/10
私がその鳥小屋に入っていくと、尻尾のむやみに長い尾長鳥をはじめ無数の鳥たちが、私の頭や両肩に止まろうとして、激しく争うのであった。7/10
中国人のお金持ちの結婚式に招待された私が、上海の式場にたどりついたら、物凄い爆竹の音が鳴り響き、白衣の花嫁が朱に染まって倒れている。どうやら爆竹ではなく爆弾が炸裂したようなので、皆我先に逃げ出した。7/11
「綾部にもオペラハウスが出来たそうだから、一度見に行こう」と前田選手が勧めるので、急いで駆け付けたのだが、ここは映画館の三丸劇場で、観客は一人もいない。いったいどこでオペラを上演しているのだろう、と激しく焦っているわたし。7/12
「お前は絶対にそのライフル銃で人を撃ったに違いない、さあどうだ白状しろ」と警官がいい募ったので、私は自分はすでに最愛の人を撃ち殺してしまったことに気づいて、激しく動揺したのだった。7/14
学校へ行って講義を聞いても、ろくでもない教師の詰らない噺ばかりなので、失望落胆した私は、もう一切の授業には出ず、学校の近くの雀荘に通いつめて、朝から晩まで賭けマージャンに興じていた。7/15
部長の私は、妻のフォーマルウエアの買い物を手伝うようにと課長に命じたのだが、彼は自分が勝手に選んだ商品を妻に届けたので、頭に来た私は、そいつを彼奴に突き返し、改めて妻とデパートへ一緒に行って彼女にふさわしいドレスを買ってやった。7/16
就活戦線は依然として熾烈であるが、この大学の俳句研究会の自由律メムバーはいつもいいところに就職しているという神話があって、ある学生が最終面接で「オットー(夫)と/呼ばれし日本人」という句を即興で詠んだのだが、あえなく落とされてしまった。7/17
若き日に伊豆の温泉を出るとき、宿の娘から手渡しされた「しきみ」の実を取り出して眺めるたびに、あの娘はどうして私にこれを呉れたのだろう、と謎は深まるのだった。7/18
犬と猫の詩を書いていたらチャウチャウとチャシュー猫が取っ組み合いの大喧嘩をはじめたので。せっかくの名編が台無しになってしまった。7/19
うちの奥さんが、崖の穴ぼこに潜んでいた五位鷺をうまくつかまえたので、ハラハラしながら見守っていた隣の奥さんと飼い猫たちが、拍手喝采した。7/19
「その緑色のプラナリアに早く水を掛けないと、死んでしまうぞ。死んだら、お前のデザインを創造する力は、枯れてしまうんだぞ!」と叫んだが、イタリアの富裕ブランドのデザイナーの耳には届かない。7/20
その悪党が、組織をちょっといじっただけで、うちの会社はめちゃくちゃになってしまった。7/20
人殺しをし合う戦争が怖くて怖くて、一目算に前線から逃れてきた私は、軍服や武器弾薬を駅の近くに隠したのだが、他に行くところもなくて軍営に戻った。7/21
私が東京五輪に反対していることを知りながら、隣のオバハンが私のパソコンに侵入してのっとり、「どうぞ私の家を潰して新国立競技場にしてください」というメッセージを拡散したので、私は怒りに震えた。7/22
私が猛烈な速さで夢をみ続けていると、「お客さん、もうちょっとゆっくりにしてもらえんかね、メモができんのでね」と、誰かが文句を云うた。7/24
リーバイスをはいたその男は、挨拶もせず、私を完全に無視して、あたりの女にちょっかいを出しはじめたので、私は「このバルバロイめ、俺の女に手を出したら容赦しないからな」と警告した。7/24
どういう風の吹きまわしかノーマ・カマリというブランドが復活したというので、私はさっちゃんと一緒にオンボロ車に乗って、全国巡業クアンペーンに旅立つ羽目になったのだった。7/25
ラジオ番組の下打ち合わせがあるというので、某局に出かけたらプロヂューサーとかディレクターとか出演者などがわんさと並んでいて、結局これがどういう番組で私は何をすればいいのか分からないままで帰宅した。7/25
安倍蚤糞の御蔭でさっぱり仕事が無くなってしまったので、仕方なく大学の就職課へ無職の息子と相談に行ったら、「親子で就活とは、こりゃ珍しい」と職員から珍獣扱いされ、写真を撮られたり、取材を受けたりしたので、ほうほうの態で引き揚げた。7/25
久しぶりに回転寿司屋に行ったら、寿司の代わりに懐かしい故郷の写真が次々に流れてくるので、手に取ろうとするのだが、ついと流れ去ってしまうのだった。7/26
NHKの海外放送局のサウンドロゴを作ってほしいというリクエストがあったので、三波春夫のオマンタ囃子を薦めたのだが、「局内で検討させてください」という返事があったきり、連絡がない。7/27
巴里に到着した夜に、クライバーが「薔薇の騎士」を振るというので、ガルニエ宮に駆けつけたのだが、私の目の前で当日キャンセル券が売れてしまい、私は泣く泣くホテルに引き返したのだった。7/28
暑い、暑い。こう暑くては脱水症になってしまう。うちの奥さんは「喉が渇いたと思った時に飲んだのでは、もう遅すぎるのよ」と警告するのだが、ではいったいつ水を飲めばいいんだろう。7/28
社員旅行のお昼に入った和食屋さんには、寿司、天ぷらからラーメン、餃子、精進料理までありとあらゆるメニューが取り揃えられており、しかも安価で美味しかったので、こういう店が家の近くにあったらなあと、私は羨ましく思った。7/28
私は、鳥になって撃たれたふりをしていたが、人々はいつまでたっても、それを私だとは気がつかなかった。7/30
お兄さんたちのテントでは大いに盛り上がっているのに、我われ子供は、やたら焼き肉を食べさせてくれるだけで、仲間には入れてくれない。お兄さんの意地悪!7/30
世界一周旅行の途中神戸に寄港したので、ワールドの展示会場を訪ねたら、旧知のデザイナーやバイヤーがまじまじと私を見つめるので、その視線の先を辿ると、私の半ズボンの半開きの社会の窓があった。7/31
NYのセントラルパークの中に「シェ・フィガロ」という安レストランがあって、ここを訪れると、フィガロよりもファルスタッフに似たビヤ樽ポルカに似た老僕が、私をぎゅぎゅっと抱きしめてから、安くて美味いフレンチを御馳走してくれるのだった。7/31