広瀬 勉
東京・杉並堀ノ内。
タン、タン、タン
タン、タン
と
来ちゃいました
お引っ越しの日
淡々と
起きてセンベイ布団をそのまま粗大ゴミに出し部屋に戻ったら
冷たい朝日が
畳の目のささくれを浮かび上がらせてる
見慣れたこいつがもうすぐ永遠に見られなくなるなんて
まだ目の前にある
まだ触れられる
座って指の先っちょでちょいちょい突く
ささ、くれ、ささ、くれ
歌ってるよ
ふふっ、お茶目な奴
知ってる?
君が今、急速に
懐かしくなりつつあるんだってこと
懐かしいよ、懐かしいよ君、ちょん、ちょん
タン、タン
ヤマト運輸のにいちゃんたち、手際いいなあ
ぼくの「仲間たち」だったものは
運ばれていくしかないもんな
淡々と
遂にトラックが出発
ご近所さんに挨拶した後
タン、タン、タン
からっぽの部屋に最後のご挨拶だ
薄手の壁と裸電球とちっちゃなキッチン
のっぺりした四角い空間
20年前、初めて来た時の姿のまま
カーテンはずすとこんな陽射しが入ってくるのか
「お世話になりましたっ。」
ぺこり
タン、タン
そこへ、だっさいTシャツ&ジーンズ姿の20代のぼくが
陽に透けながらつーっと滑り込んでくる
腕組みして周りを眺め、ポンと手を打つと
「いいんじゃない? よし、ここに決めた。」と呟いた
ほう、これが始まりのシーンか
どうせ聞こえないだろう、と思って
「この部屋探してくれてありがとう。」と小声で礼を言うと
くるっと振り向き
どうしよう目が合っちゃった!
「どう致しましてっ。」
皺のない顔をにっこりさせ
だっさいシャツを翻して昼の光線の中に溶けていった
タン、タン、タン
ありがとう
ありがとう
20年前のぼく
タン、タン
も、いいでしょ
さ、息を整えて
鍵、閉めようぜ
最後の、最後、せーの!
タン、タン、タン
タン、タン
「お疲れーっ、待ってたよーっ。」
笑顔で迎えてくれるミヤコさん
2週間前に引っ越し終わってるミヤコさんは余裕の表情
武蔵小金井の2LDK、ダンボールが記入された数字の通りに
タン、タン、タン
運びこまれていきますぞ
タン、タン
これはキッチン、これは居間、これは書斎
淡々と
区別されて運ばれていきますぞ
床を傷つけないように丁寧にシートを敷きながら作業していくんじゃなー
ぼくは缶コーヒー飲みながら時折質問に答えるだけでいいんじゃなー
20年前の引っ越しの時とは大違いじゃなー
ありゃま、もう作業終了ですか
タン、タン、タン
新居のフローリングは清潔そのもの
2階の窓から見渡せる庭には桜がたくさん植わっていて春が楽しみ
衣類や生活用品の整理は3時間弱で終わった
お次は本とCD、これはすぐには無理かな
タン、タン
タン、タン、タン
む、見てよ、これ
ダンボールから取り出された彼らの表情を
何て穏やかなんだ
まるで仏様みたいだ
きらーっきらーっきらーっ
冷たい肌の妖気はどこにも、ない
本は紙に、CDは金属に
きらーっきらーっきらーっ
うん、安らかな顔
君たちにはいつも抱きしめられてたから
今度は、棚に納める前に抱きしめてやるか
タン、タン
むむ、ミヤコさんが呼ぶ声がするぞ
ご飯できたって
それじゃ、これからも
淡々と、じゃなく
大事にするからね
タン、タン、タン
タン、タン
ミヤコさんが作ってくれたシチューを食べた
この家でとる最初の食事はあったかかった
食後に飲んだお茶はあったかかった
それからお風呂に入った
掬ったお湯がきらきらして
あったかかった
湯気の中から
閉める寸前の祐天寺のがらーんとした部屋の光景が
ふゅるるるんって立ち昇ってきて
おいって腕伸ばして立ち上がりかけたら
ゆらっと笑ってまた湯気の中に
あったかく消えた
それからそれから
お風呂からあがって髪を乾かし始めたミヤコさんの肩が
右肩も左肩も
しっとりとあったかかった
何とまあ
ジャージに着替えたぼくの
首も胸も腕も
めっちゃあったかかったよ
タン、タン、タン
タン、タン
明日は市役所で入籍の手続き
つまり、ここで過ごす初日となる今夜は
違う姓の2人としての
あったかい
最後の夜ってことさ
タン、タン、タン
タン、タン
暖房ちょっと強めにして
タン、タン、タン
名前を呼ぶと
タン、タン
呼び返してくれる
タン、タン、タン
握ると
タン、タン
握り返してくれる
タン、タン、タン
丸みを帯びた息が
タン、タン
こんなに近くで波打ってる
タン、タン、タン
よしよし
タン、タン
よしよし
タン、タン、タン
思えばファミやレドや、いなくなってしまったソラは
かわいがって欲しい時
よくしっぽをぴーんと立てながらスリスリしてきたものだけど
タン、タン
ぼくたちも同じだね
タン、タン、タン
ファミちゃんもレドちゃんもソラちゃんもぼくたちも
タン、タン
あったかさが溢れて弾んで飛び跳ねるのは
タン、タン、タン
触れ合うってことがあってこそ
タン、タン
からし揚を口にする祖母の頬が赤らむ。満足そうに手をはね、昔も今も変わらない文章を投げかけてきた。愛くるしい元気かというようなこと、忘れつつあるボウリングのこと、天気のことなど、夕方がまたやってくる。暗くなるまで電気をつけないせいで苦い。夕方をドリップする度に怖くなる、祖母のミルクの時間が。
飲み込めない物を飲み込む時間。
すぐさま、水につけないと容れ物にこびりついてしまう。放置してると花を飾ってみたくもなる、こういう花瓶を捜してたんだと思う。