もっとも高い塔の歌~聖カルロス・クライバーの音楽

音楽の慰め 第4回

 

佐々木 眞

 

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20世紀を代表する天才(天才的にあらず真の天才なりき)指揮者、カルロス・クライバー(1930年-2004年)が亡くなって、この7月で12年になります。

先日彼の数少ない独グラモフォン録音をあつめた12枚組のCDを改めて聞いてみたのですが、さしたる感興を覚えなかったのはどうしてでしょうか。ライヴにおけるあの光彩陸離たる輝きをもういちどこの手に取り戻すためには、CDより映像作品のほうがいいのかもしれません。

ということで、思い立って3本のビデオを鑑賞してみました。うち2本はドキュメンタリー、1本はライヴ収録の演奏です。

まずは「ロスト・トゥー・ザ・ワールド」。これは惜しまれつつ瞑目した史上最高の指揮者の一人の生涯の軌跡を、関係者の証言で辿った音楽ドキュメンタリーです。
証言者のなかには、バイエルンのオペラ劇場での凡庸な同僚、ウォルフガング・サバリッシュなども登場し、ちょっと辛口のコメントを吐いたりしていますが、それでも彼は余りにも神経質なクライバーを終始擁護し、激励した親切な人でした。

指揮者のリッカルド・ムーティやミヒャエル・ギーレン、演出家のオットー・シェンクなどの証言者の大半が、彼を「神が地上に遣わした音楽の天使」などと大仰に褒め称えていますが、それがあながち誇大な表現であるとも言い切れない奇跡的な演奏を、実際に彼は1986年の人見講堂におけるベートーヴェンの交響曲第7番の第4楽章などで繰り広げたのでした。

そしてその真価は、このドキュメンタリーの通奏低音のようにして流れている、80年代のバイロイト音楽祭におけるワグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」のリハーサル映像において、鮮烈に刻印されています。

とりわけ終曲の「愛の死」のクライマックスを、視聴してみてください。
誰もが頭が空っぽになり、肌に粟が生じてくるようなエクスタシーの現前は、いかにもこの不世出の指揮者の独壇場で、このような芸術の高みに登った音楽家は古来そう多くはなかっただろう、と思わせるような素晴らしさです。

このような演奏を可能にしたのは、彼の頭の中で鳴る音楽の独創性と、それを現実の音に置き換えていく彼の練習の際の「言葉の力」であることは明白で、リハーサルで彼が繰りだす卓抜な比喩の誘導によってオーケストラの音楽がどんどん変わっていくありさまを、私たちはこのドキュメンタリーにおいても再確認することができます。

しかしそれは、いつもうまくいくとは限らない。
ウィーン・フィルとベートーヴェンの交響曲第4番のリハーサルを行っているとき、「この箇所はテレーズ、テレーズと歌ってください」という彼の指示を、第2バイオリンの心ない奏者たちは、「いやマリー、マリーでいいのでは」などとあざ笑い、あえて無視しようとします。

すると激高したクライバーは、懸命に引き留めるコンサートマスターのゲルハルト・ヘッツェル(1992年の夏にザルツブルクで登山中に墜落死した私の大好きなヴァイオリニスト)の手を振り払って、そのまま空港に直行してミュンヘンに帰ってしまいます。(彼は、毎日帰りの飛行機の予約を入れていたそうです。)

といった按配で、これはクライバーのファンならずとも見どころ満載のドキュメンタリーといえましょう。

原題は「I am lost to the world」で、これはマーラーのリュッケルト歌曲集の中の「私はこの世に忘れられ」からの引用と思われますが、音楽にあまりにも高い完成度を求めたために、もはや普通の演奏に甘んじることができず、急速に指揮台から遠ざかっていった晩年の天才指揮者の孤独を象徴するようなタイトルではあります。

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次はもうひとつの原題は「Traces to Nowhere」、邦題では「目的地なきシュプール」という名のドキュメンタリーで、2010年にクライバー生誕80周年を記念してオーストリアで製作されました。エリック・シュルツという人が演出して、やはり不世出の天才指揮者の軌跡を辿っています。

出演はブリギッテ・ファスベンダー、ミヒャエル・ギーレン、オットー・シェンク、マンフレート・ホーニク、プラシド・ドミンゴ、アレクサンダー・ヴェルナーなどの指揮者や歌手や演出家、評伝作家のほかに、南ドイツ放響のフルートやピッコロ奏者、メイクの女性までがクライバーを懐かしく偲んでいます。

そうして、これまでいっさいマスコミに顔を出さなかった彼の実姉ヴェロニカ・クライバーが特別出演して「死ぬまで彼は寂しい男の子でした」と語るとき、天界と人界をサーカスの綱渡りのように渡りながら去っていった男の後ろ姿に、一筋の微光が差すようでした。

ここでも素晴らしいのは、南ドイツ放響との喜歌劇「こうもり」のリハーサル風景で、楽員に対して音楽のために全身全霊を捧げることを求め、バトンを天に向け、「まだ見ぬ音を勝ち取るために戦ってください」、「8分音符にニコチンを浸してください」などと訴える、若き日のクライバーの姿が胸を打ちます。

やがて守旧派の奏者を心服させたマエストロは、歌いに歌い、いまや音楽と音楽家は完全にひとつに溶けあって、この世ならぬ至上の時、法悦の時へと参入していくのですが、さてこれまでいったい他のどの指揮者が、このような音楽の奇跡を成し遂げたというのでしょうか。

無数のオペラと交響曲、管弦楽曲とオペレッタを自家薬籠中に収めていたにもかかわらず、父を尊敬するあまり、エーリッヒが録音したか、あるいは楽譜を残していた曲以外は演奏しようとしなかった息子クライバー。その父エーリッヒを超える技術と感性を持っていたにもかかわらず、常に父に引け目を感じていたクライバー。

父と並ぶ完璧さを求めようとするあまり、とうとう演奏が無限の苦行と化してしまったこの悲劇の天才は、愛する妻スタンカが眠るスロベニアへと、死への逃避を敢行したのでした。

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最後は1991年のウイーン・フィル演奏会のライヴ映像です。

これはモーツァルトのハ長調K.425(通称リンツ)とブラームスのニ長調Op.73の2つの交響曲が楽友協会ホールで演奏されたもので、1993年にレーザーディスクで発売されましたが、現在はDⅤDになっています。

リンツの第1楽章ではクライバーの動きが緩慢であまりやる気がなく、見ているほうが心配になりますが、第2、第3楽章になると徐々にエンジンがかかります。

この曲は弦と管が同じ旋律を交互に繰り返す箇所が多いのですが、マエストロはその都度当事者にこのメロディをよく聴くように指示しているのが印象的で、両翼にヴァイオリンを配置した楽器編成が、その楽想と演奏の効果を高め、第三楽章ハ長調四分の三拍子のメヌエットを聴いていると、さながら天国にあるような心地です。

クライバーのモーツァルト録音は、この曲のほかに変ロ長調K.319の録音がありますが、おそらく生前に完璧にレパートリーに入れていたはずの主要交響曲とオペラを聴けなかったことは、残念無念の一語に尽きます。

さてプログラム後半のブラームスになると、我らが主人公の顔つきも一変し、彼の全盛時代を彷彿とさせるそのダイナミックな指揮振りに圧倒されます。

しかし第一楽章アレグロ・ノン・トロッポ、第二楽章アダージョ・ノン・トロッポ、第三楽章アレグレット・グラチオーソまでは、金管楽器の咆哮などはいっさい聴かれず、例えば第三楽章でチェロのピッチカートに乗ってオーボエが独奏する箇所など、さきほどのハ長調K.425(リンツ)と同様の管と弦の協奏、掛け合いがオケの腕の見せ所となりますが、クライバーの指揮は、この両者に対する強弱のコントラストのつけかたがとてもデリケイトなのです。

他の凡庸な指揮者、例えば小澤征爾が同じウィーン・フィルを指揮した同じ2番シンフォニーの同じ箇所では、楽譜の四分の四拍子を四分の二拍子くらいの前のめりで慌ただしく振っているために、ブラームスの音楽の緊密な内部構造、その極度に内省的なハーモニーの美しさなどは、急行列車に黙殺された礫岩のように置いてけぼりにされてしまいます。

「そんなに急いでどこ行くの?」という外面的な勢いだけの内容空疎なブラームスに堕すのですが、緩徐楽章のピアニッシモの超絶的な美しさをここまで深掘りしてみせたマエストロは、クライバー以外にはチェリビダッケあるのみ。フルトベングラーも、クレンペラーも、カラヤンも、バーンスタインも、これほど恐るべきニ長調は演奏できませんでした。

しかしさしものウィーン・フィルも、最終楽章のアレグロ・コン・スピリートに突入すると、すでに疲労困憊の極に達しており、獅子奮迅のクライバーが鬼神も啼けとばかりにコーダの絶叫を命じても、笛吹けど踊らずのポンポコリンの狸たち!

ああついに世界一、二を争うトップオーケストラも、天才指揮者の脳裏で鳴り響いている前人未踏のブラームスの大歓喜を音化できず、無情にも終局を迎えるのでした。

ですからこのブラームスの演奏は、彼らが「実際に音にできた音楽」によってではなく、むしろ「演奏しようとして果たせなかった未聞の音、不可能の音楽の暗示」によって偉大とされるべき演奏と評すべきなのでしょう。

 

地上では行き場失いしクライバー眠れよわれらの記憶の底に 蝶人