ふたつの世界を股にかけて母は

 

薦田 愛

 
 

ある朝、ウサギの目をして母は

結膜下出血だよそれは、と白目の充血を指さし
ともかくも眼科へ行っておいたほうがいいから、と
付き添うわけでもないのにきっぱり言い放つ私だ
八十になる母にしてみたら
いくら気丈に日常茶飯を切り回している現役主婦とはいえ
もうちょっと親身になってくれないものかと
恨めしいかもしれないけれど
そこはそれ、長女じゃなくて長男みたいと言われるほどの
父の亡きあと三十数年を何とか乗り切った子としては
会社員の顔を楯に残りの算段すべては母にゆだねてきたのだから
いまさら優しい顔もしづらいのである

白内障の手術をしなくてはなりません。
できれば早く
一刻を争うというわけではないけれど
私の親なら手を引っ張って、すぐに、と促します、
と近所の眼科、女医さんは決然としているらしい
片目ずつ、二度にわたって、
その前に血液検査
気がつけばカレンダーに書き込まれている予定
採血の針がなかなか刺さらないと突つかれてと
母は顔をしかめる
そのうえ
動脈硬化まで発覚したのよとしょげるのを
フェイスブックで知り合った方から教わった、
漢方の処方もしてくれるという内科婦人科の女医さんに
この際だから並行してかかってみたらどう? とすすめる
口だけは達者なんだ私、口から生まれてきたって言われるたび、
人間はたいがい頭から生まれてくるんだから口からよね、なんてうそぶいた

ためらう時間があまりないのは幸いなこともある
重い腰をあげて出向いた内科婦人科のほうの女医さんのもとでは
採血に何の問題もなく
加えて血圧問題も動脈硬化問題もさほどの重要事とみなされず
けれど八十の母の疑問や鬱屈はそれなりに聞き届けて答えを示してくれて
直面する白内障手術への心の揺れを少なくしてくれた
(たぶん)(どうやら)

九月になったらまもなく手術だからと八月末に髪をカット
月改まって目薬を差す
これすなわち手術の助走路
手術自体は短く簡単なもの、といっても
準備はずいぶん前から始まるんだね
つまびらかなところは何もわからぬ私を残して
母はするするとその日へ邁進
いや、どんなお気持ちですか、だなんて
訊くにきけないだけで
母のほうも改めてちょっときいてよだなんて
話す気性ではないだけで

そうこうするうち手術その一、左目からでしたか。
帰宅するとは母は眼鏡の下に眼帯、遠近両用眼鏡を外して暮らすのは不自由だから
眼帯の上にかけると浮くのよね、といいながらも眼鏡
遠近感がくるってこわい
そうだよね、わからないけどわかる。
痛みはないの?
頓服出されたけど、電話もかかってきて訊かれたけど、だいじょうぶ。
ならよかった。
採血うまくいかなかったお医者さんではなくて
手術専門の人が別に来ていたよ。
歯医者さんの椅子みたいな診察台に座って顔じゅう水浸し、そしてまぶしい。
あっという間だけれど、
傷んだほうを砕いて溶かして吸い取って
あとへ人工のレンズを入れてって、
やってることは凄いよね
聞いているだけでくらくらするけど
本人はけっこうけろっとした顔
ああでも、ちょっとテンションあがってるのかな

消毒とか、してくれるの?
うん、朝九時に行くから、いそがしい
近所のお医者で、ほんとよかったね

行ってらっしゃいと送り出してすぐ出かけたのだろうか
様子を想像するまもなく溺れる書類のかげで携帯がふるえ
着信。ほう、そうなんだ

――眼帯をはずしたらせいせいしたけれど、徐々に慣れてきたら、何とも落ち着かない(顔文字)
異様に明るくて。その明るさが、紫がかった蛍光色っぽい というか、これがよく聞く
「世界が変わったみたい!」というの? そうだとしたら、慣れるしかないというわけね。
手術した方をつむると、今まで当たり前だった日常がセピア色に見えるのよ。
これ どうしたらいいんだろう? もう片方も手術したら、確かに世界が変わっちゃうのかも。
それはそうとして、手術は普通と比べて、かなり大変だった由。目の状態が大分悪くなっていて、
手術があれ以上遅れると もっと大変になるところだったらしい。
考えてみると、あの 目が赤くなったのは、無視できない赤信号だったのね――

セピアカラーの世界とLED白色灯めいた世界
片目をつむっては開けつむってはあけ
ふたつの時間ふたつの世界に股をかけて踏みしめる足もと
手術その二を終えれば長崎・五島への旅が待っている
西の海に満ちる光はなにいろだろう
八十歳のまあたらしいまなざしは使い慣れたデジカメをとおして
どんな空どんな雲を撮るだろう

あっ、母上、断りなくメールを詩に織り込ませてもらっちゃったけど
手術も成功したことだし、ここはお目こぼしを――