広瀬 勉
長野・長野市街。
なんというても、芸術の秋じゃ。
半蔵門で午前11時から午後4時15分まで「忠臣蔵」を見物したあとで、おらっちの大嫌いなロッポンギくんだりまで痩骨に鞭うってひいひいやってきた。
空白空0ダリだ、ダリだ、ダリだ。歌舞伎の後のダリじゃった。
ダリの作品は横浜美術館にあるので、ときどき覗いてみることはあったが、こんなにたくさんまとめて見物したのは、生まれてはじめてのことじゃった。
1920年ごろの初期の作品はまことにおそまつなもんで、世の大半の専門絵描きよりデッサンも、構成も、色彩もすべての面で劣っている。
誰かさんは、それらに対するコンプレックスから、たまたま23年当時流行し始めていたモダニズムの第一波に乗っかって、やれキュビズムだの、やれシュルレアリスムだのに、「あたらし恋しやホーヤレホ」なぞと喚きながら、ついつい夢中になっていったんではなかろうか。
空白空0ダリだ、ダリだ、ダリだ。軽佻浮薄、誇大妄想の男じゃった。
されどよーく眺めてみれば、そのキュビズムはピカソやブラック、そのシュルレアリスムはマグリット、タンギー、デルヴォー、まして元祖キリコに比べたら全然大したものではない。
空白空0じゃった、じゃった、言うちゃった。じゃった、じゃった、言い過ぎちゃった。
時代の流行の表層を巧みに掬いあげて、鬼面人を驚かせる絵巻物を次から次に展開してみせたが、そこに衝動的・商業的価値こそあっても、藝術価値など微塵もないことは、例えば米国へ亡命してディズニーと一緒に作ったアニメ映画「ディスティーノ」をみれば哀しくも一目瞭然だろう。
空白空0ダリだ、ダリだ、ダリだ。ディズニーランドの運命じゃった。
空白空0ダリ、ダリ、ダリ、お前は誰だ。ダリ、ダリ、ダリ、お前は無。 蝶人
え わたしそんなとしなの
母はいつも大口をあけて笑った
何度言っても
自分が九十五歳だということがわからないようでした
ケラケラと母は 笑って
えいえんに十五歳
でもわたしが息子だということは忘れませんでした
髪が無くなってシミが出ているわたしなのにね
ある夜のこと
母が居間の仏壇の前に正座していた
闇の中 時計の蛍光色の針が午前二時半を指していました
どうしたんですかおかあさん
あのいえにかえりたい どまのそば ごえもんぶろのあるあのいえ
部屋の灯りをつけた
でも母は繰り返しました
おふろをわかさなきゃ
おふろを
母の手を握りました 小さくからから乾いていた
和紙みたいに四隅を折り畳めそうな
九十五年生きている皮膚
空白この下にはあたたかい血が流れて 細胞がいきいき働いている
大丈夫 ここは良いところ
世の中のどこよりも いちばん安心できるところですよ
あのいえにかえりたい 大丈夫 かえりたい ここは良いところですよ
しばらくそんな夜がつづいたけれども
とうとう母は とうとう
十五歳の家に帰りたいとは言わなくなりました
徘徊も何もなかった
ただごはんを食べたことをすぐ忘れました
おなかがすいた
小さな声で母はひっそり独り言を繰り返しました
その日は
なんだか母が亡くなるような気がしました
家族が全員そろったのです
妹も息子も
どうして偶然がかさなったのかな
お酒でも買いにいこうかと思ったら 妻が
今日はどこにも行かないほうがいいわ
妻は母の食べものをじょうずに作ってくれました
わたしの仕事はおしめ替え
いつも下着と言っていました
おしめと聞いて嬉しいひとはいないからね
下着を替えてもいいですか
うん、
と言う母の声はその日聞かなかった
朝から目を閉じ でもかすかにうなずいた気配
いつもと同じようにおしめを替えました
歯のない口を薄くあけている
うとうと うとうとして
母のそばに座っている
ふっ
とつぜん空気を吐いて介護士さんが言った
空白息をしていないのではないですか
頸動脈に触れました
目の前にある時計の秒針よりも
ゆっくり
かすかに
きえた
もう一度鎖骨に近い別の場所で探しました
手首の脈を探しました
からだはずっとあたたかいままなのに
とうとう手首の脈もわからなくなりました とうとう
九十五年の間 流れていた血が止まった
結局いったいいつ亡くなったのか
見ていた誰にもわからなかった
たぶん
母にも
みなさんおっしゃいました
大往生ですね天寿を全うされておめでたいですね息子さん夫婦に自宅で看取られてお幸せでしたね何一つ悔いはないですね
でも
知っています
「もっと生きたい」
死ぬ瞬間までどんなからだも願っている
生きているからだ 生きている細胞はみな
母のからだも
もっと長く生きられたのではないかしら
もっと何かできたのではないかしら
あれからわたしはずっと悔いています
青空のなか
へんぽんと大きな船が浮かんでいる
ゆったりと
舳先をたてて 遥か遠くをめざして進んでいく
僕もこの船に乗って旅してみたい
そう思ったら
矢も楯もたまらない
空を行く船を追いかけて
ずっと追いかけて
生きてきた
視界のなかに船がなくとも
手の届かない空を
ゆったりと航行している船がいる
と思うだけで胸がいっぱいになった
空を見上げるたびに
今日はいるだろうかと
心をときめかせ
青空の海のなか
白い雲の波をけたてて
大きな帆をふくらませた船は
どこもかしこも優美な曲線で包まれていて
そのふくらみは僕の心をざわざわさせた
あそこだ
何度指をさしても
父も母も船をみつけることはなかった
願望がつくりあげた蜃気楼だとか
飛蚊症の一種だとか
両親に連れて行かれた医者には言われ
毎朝目薬をたらされた
あんなものはいない
一人また一人と
見えるはずの船の存在を打ち消すたびに
船は心なしかふらふらして見える
哀しいというのはこのことだと思ってから
長い間 船を見つけられず
空を見上げることも少なくなった
やっぱりそんなものはいなかったのだ
きっぱりと心に決めた日
西の空を見上げたら
船がいて
燃えている
炎が噴き出て空を焦がしている
船体の上になびく帆が赤々と燃え上がっている
船は怒っているようにも
哀しみを噴き出しているようにも見えた
そのまま船は夕焼けの空に消えていった
船は今も燃えているのだろうか
風を受けて炎をなびかせ
この世界のどこかで
どんな窓からも空を見上げては
船を探している