佐々木 眞
これは著者が2010年に出したおそらく現時点では最新の詩集で、イントロ的な「蛇行」以下、全部で10篇のかなり長めの作品が収められています。
そして詩の進行具合は、「初めは処女のごとく、終りは脱兎の如し」、あるいは「一点突破全面展開」という疾風怒濤の展開となり、全編を通じて作者が自作自演する、なにか気宇壮大な物語、詩小説が眼前で物語られているような、横隔膜がうんと広がったような、なんだか愉快な気持ちになるのです。
私はこの一カ月を除いて、詩集なんかほとんど読んだことがなかったから、よく分からないけど、ふつう詩集では、「わたし」という主体が、世界の中心にデンとましましていて、その「わたし」の行動や思いの数々が、縷々るるると述べられていくわけです。
でもこの詩集では、「わたし」が作者本人を思わせる妙齢の女子であったり、うら若い乙女であったり、清潔な獣であったり、老いたる要介護の母親であったり、イケメンの男子であったり、まるで怪人20面相のように自由自在、神出鬼没に変容するのです。
「自分ファースト」ではないけれど、自分の内部に、他者が蛇のように自由に出たり入ったりする詩のメタモルフォセス自律運動に、詩の奔放さ、弾力とリベラルさというものを、つよく感じました。
シェークスピアに、All the world’s a stage,and all the men and women merely players.という有名な言葉があるそうですが、作者にとってはAll the word’s a stage,and all the men and women merely players.なのではないでしょうか。
この詩集全体が、まさにその格好の舞台になっていて、どことなく物哀しいヒロインは、自分と他人と全世界をば、なんとか光彩陸離たるものに塗り替えてやろうと、一世一代の独りカタリ芝居を見せてくれるようなおもむき。
私がいたく気に入ったのは「いったいii 」というタイトルの、マルキュウ(東急109)の洋服が大好きな貧乳ギャルの場外乱闘です。
そのめくるめくノンストップしゃべくり捲り大騒動&はちゃめちゃ行状記、この言葉と肉体の超高速ラップに、いったい誰が追従できるというのでしょうか。
私は思わず、
「や、やよ、ゆけゆけ2度目の処女!」
と、大向こうから声をかけたくなりました。
そしてその後から押し寄せる「カゲロウ」、「世界の果てでは雨が降っている」、「湖」における、大蛇がうねるような勁い構想力と、その細部を織りなす挿話の繊細さに感嘆しない読者はいないでしょう。