由良川狂詩曲~連載第13回

第5章 魚たちの饗宴~綾部大橋

 

佐々木 眞

 
 

 

―――そして、あれから3年。
いまふたたびケンちゃんは、寺山の山頂に立って、由良川を眺めています。
寺山に向かって、南をめざして真っすぐ流れてきた由良川は、寺山の麓で90度向きを変え、西に向かってゆるやかに曲がっていきます。

右折して1キロほど下流へ行ったところに綾部大橋がかかり、その橋げたのたもとには、いつも大きなコイやフナがゆったりと泳いでいます。
ケンちゃんがウナギを生け捕りにした井堰はその大橋から50メートル下流で、幅70メートルの大河がせき止められて苦悶する地響きのような唸り声は、もちろんここ寺山の頂上までは伝わってきません。
井堰からそう遠くない場所にあるてらこの屋根も、小さく左手に小さく見えています。
ほら、露台の上に登ったおばあちゃんが、鉢植えのサボテンに水をやっているのが見えるでしょう。

このいつも変らぬ懐かしい風景を眺めているうちに、、ウナギのQちゃんの訴えが錐のように鋭く突き刺さりました。

――そうだ、一刻も早く悪い奴らを退治しなくちゃ。

ケンちゃんはせっかく登ったばかりの寺山をいっきに駆け下り、てらこまでフルスピードで戻ってくると、お店の入り口のところに置いてある自転車に飛び乗って綾部大橋まで全速力でペダルを踏み続けたのでした。

由良川を眼下に一望する大橋に立ったケンちゃんは広い水面いっぱいに太陽を受け、ギラギラと輝く大河をじっとにらみつけました。

――この川のどこかに奴らがいるんだ。でもどうやって奴らを発見したらいいんだろう。
それより、いったい奴らって何者なんだ?ま、いいや。とりあえず水に入って敵情視察といこう。

ケンちゃんは、あっという間にパンツいっちょうになると、スニーカーをはいたまま、綾部大橋の欄干のてっぺんまでするすると猿のように登りつめ、エイヤっと気合もろとも10メートル下の清流めがけて飛び込みました。

ドッボーーン!

体のまわりに次々にラムネのようにおいしそうな泡が、一斉に舞い上がります。
冷たい水の底からゆっくりと浮上してきたケンちゃんは、抜き手を切ってすいすい泳いでゆきます。
川の中ほどまで進むと、ケンちゃんは大きく胸いっぱいに空気をすいこみ、ついでに由良川の水もがぶりと飲み込んでから、潜水に移りました。

緑色のキンゴモが茂っているところを、おお気色悪いなあ、とゴボゴボ言いながら通り過ぎ、さらに深く深く5メートルほど潜っていくと急に水温が下がり、どんどん光量が減っていきます。
深みから水面の方向を見上げれば、お日様が何かに腹を立てているのか、それとも何者かに怯えているのか、ぶるぶる震えながら大きくなり、小さくなったりしながら、点滅しているのが見えました。
ケンちゃんは、さらに深く潜ります。潜りながら上流へ上流へと泳いでゆきます。
川ははじめのうちは冷たかったけれど、だんだん暖かくなってきました。まわりの様子がくっきりと見えます。

川底の岩や小さな石の傍らにへばりついてエサをあさっている小心者のヨシノボリが、上眼づかいに未知の侵入者を心配そうに見守っています。
下くちびるをとがらせたムギックが、不機嫌そうにチエッと舌うちをしています。
赤紫色のギギが、その近所では20センチくらいの黒紫色のナマズがひげをピクピク動かしながら、お互いに寄り添うようにして泳いでいます。
ギギの背びれや胸びれに触るとひどいめにあいますから、注意しましょうね。

気がつくと、いつの間にかケンちゃんの右隣りをすました顔して泳いでいるのは、35センチくらいのコイでした。
ケンちゃんを感情のまるでない左目でちらと眺め、スイと先に行ってから、ちょっと後ろを振り返り、尾ひれをひらひら動かしたのは「ついて来い」という合図でしょうか。

ケンちゃんは、コイのあとをつけて、ゆっくり平泳ぎでおよいでいきました。
すると不意に、いままでついそこを泳いでいたコイの姿が、見えなくなってしまいました。
ケンちゃんは、息をとめてデングリガエリをしたりながら、キョロキョロとコイの行方を探し求めました。

あ、いたいた。

コイは、本流をかなりはずれて川岸の方へ向っています。
いつの間にか川底にゴロゴロ横たわっていた巨岩が少なくなり、いろんな形をした小石に変わっているようです。
砂の色も濃茶から次第にうすい黄土色に近づいてきました。
もうちょっとで由良川の左岸にすれすれのところ、水深2メートルくらいのところまでやってきたときでした。
突然ケンちゃんは、コイが高飛び込みをやるような姿勢で深いほら穴の中へ消えてゆくのを目撃しました。

ためらわずケンちゃんも、あとに続いてその穴に潜り込みました。
およそ千畳間くらいの広さだったでしょうか。その大きなほら穴は……
不思議なことに天井のどこからまばゆいカクテル光線が縞模様になってふりそそぐその穴の底には、見渡す限り由良川の魚という魚たちが、熱海のハトヤの大宴会場のように長方形に整然と座りこみ、プランクトン醸造酒でグビグビと1杯やったり、「ポスト・ポスト構造主義以降の哲学上の諸問題」を青筋立てて論じ合ったり、飲みかつ食い、食いかつ論ずる思い思いの円卓の大饗宴をやっている最中でした。

フナ、コイ、ウナギ、ハヤ、アユ、ナマズ、ギギ、ドジョウ、ヨシノボリ、ドンコ、カワヤツメ……その数は何千か何万かめのこ算で勘定することすらできそうにありません。
だってみんな三々五々忙しく動き回っているんですもの。
こんなにたくさんの淡水魚を一堂に集めた水族館なんて世界中探してもどこにもないでしょう。
よく見るとQちゃんくらいの大きさのウナギもいましたが、Qちゃんの姿は見当たりません。いまごろは津軽海峡のあたりを通過しているのでしょうか?

千畳敷のアクロポリスのような大広間を、大声をあげて叫びながら、さしつさされつ、立ち座りつ、思い思いに遊泳していた魚たちの間から、黒い大きな影が浮かび上がりました。見るとサチュロスのように立派でちょっとユーモラスな風采をした一匹の巨大なタウナギが、ゆらゆら立ち泳ぎしながら全員に静粛を求めています。

「レディーズ アンド ジェントルメン。ビー・クワイエット、プリーズ!」

それでも知らん顔して大騒ぎしているみんなの方を振り向いて、

「シー、シー、静かにするんだあ、静かにせんかあ」

と、ナマズおやじが怒鳴りました。

 

 

 

午後に雨になる

 

朝には
モコのおなかが鳴るので

腹巻させて
ソファーで添寝した

モコのおなかには毛が無いからか

晴れた空の
燕たちを見上げた

モコを置いて浜辺にでかけた

波は繰り返し打ち寄せ
雨になる

夕方
変哲先生の句を読む

あかぎれの娘ブロマイド一枚買いにけり *

 
 

* 小沢昭一「変哲 半生記」岩波書店より引用しました

 

 

 

朝になる

 

朝になった
朝には

西の山の頂が

朝霧に
隠れてる

雀の声も
ハクセキレイの声も

まだ
聴こえない

朝には
モコと散歩する

朝には
燕たちの飛ぶのをみている

川面の上を飛んでた
曲線を曳いてた

佇ちどまって
見上げた

朝になる

ひとびとも朝になる

 

 

 

夢は第2の人生である 第51回

西暦2017年如月蝶人酔生夢死幾百夜

 

佐々木 眞

 
 

 

世にも恐ろしい化け物に襲われて命からがら逃げかえったのだが、地方局の報道を使ってそいつを退治する志願者を募ったら、Aさんが早速協力すると申し出てくれたので、来週一緒に出かけることにした。2/1

少数精鋭の突出主義によって権力を掌握したオグロ選手は、「このホテルにいる貴人を捕虜にすれば、なお80日間クーデターを延長できるはずだ」と力説したが、私だけは断固反対して戦列を離れた。2/2

不倶戴天の敵将と対決しようと盛り上がっていたら、そこへ大勢の難民たちが逃げ込んできたので、戦闘どころではなくなってしまったのだが、そこへ現われたカトウテンメエ氏が「有難う、お蔭で助かったよ」と礼を言う。なんのことやらさっぱり分からない。2/4

試合の冒頭でいきなり私がゴールしたので、安心しすぎたのか、わがチームは終盤に同点、逆転打を決められて、もろくも初戦で敗退してしまった。2/5

地下球場で練習試合をして、疲れ果ててゴロゴロ雑魚寝していたら、「あらイチローがいるじゃない。サインしてもらおう」と人々が押しかけたのでジロウ、サブロウ、シロウたちが拗ねた。2/6

茶の間で飯を食っていると、突然長男が発作を起こしたので、飛んで行って抱き起していると、やはり彼を助けようと身を伸ばした妻も、パニック障害を起こして倒れてしまったので、私が右ひざで隣の父親をつつくと、私に向けたその顔は、私そっくりだった。2/7

「能登の猛将」と称された私だったが、このたびの戦を前にして、なぜかまったく意気消沈し、押し寄せる敵に立ち向かう気力が、どこからも湧きでてこないのだった。2/10

新型爆弾を抱えたドローンを、上空から猛スピードで次々に墜落させると、さしもの難攻不落の地下要塞も、一夜にして陥落してしまった。2/11

上司があるページのレイアウトについて、写真と文章の比率がどうじゃこうじゃ、と難癖をつけるので、それがどうしたこうした、と押し返しているうちに、戦争が始まって廃刊になってしまった。2/12

核戦争で廃墟と化した新宿の元高層ビル付近を、加藤嬢と歩いていると、3名のチンピラに襲われたので、私はベルトから3本のナイフを取り出して投げつけると、狙いは過たず、彼奴等の心臓にズンと突き刺さった。2/13

ある日、殿が敵に襲われそうになったので、私は殿の刀の刃の中に潜り込んで、敵が斬りつけるたびに、刃の中でハッシハッシと受け止めたので、殿は危うく一命を取り留め、私は殿より褒賞を賜った。2/13

真っ暗な野原を歩いていると、うしろから野良犬が猛烈なスピードで走って来て、私を追い抜いて、深い川に飛び込んで水を飲むと、今度は私に飛びかかって来た。2/14

どういう風の吹きまわしか、私はチンポコをおっ立てたまま、4枚のパネルを別宅まで運んだという「鉄の男」として、みんなから尊敬されるようになった。2/15

とうとう万人が万人の敵となるホッブスの夜がやって来たので、私たちは数十人づつに別れて、夜の闇の底を足音を立てずに歩いた。

ランチをとろうと、放送出版の若者と一緒に急な階段を下りていく途中で、私は足を踏み外して宙ブラリンになってしまったので、若者たちに助けられた。彼らの後を追ったが、行方が分からなので、どこかでランチを取って事務所に戻ると、彼らも戻っていた。2/16

放送出版の若者たちは、新譜の宣伝を担当しているのだが、試聴盤が少ないので、自分でCDやDVDに焼いて、それを局や識者や評論家たちのところに届けるのだ、といって、私にもオランピアのテスト盤を呉れた。2/16

歴代3代にわたるわが社の宣伝担当が、久しぶりに一堂に会し、激論を交わしながら、丸1日がかりで最新のCM企画案を作り上げたのだが、考えてみれば、そこには現在の担当者など誰もいないのだ。2/17

私は昔とった杵柄で、クリスマスの幻想的な空間を見事に演出してのけたので、周囲の絶賛を博して、いい気になってしまった。2/18

私は革命的フィルムの開発に没頭して、家庭をてんで顧みなかったのであるが、半年ぶりに帰宅したら、妻君が夢中でぺんてるでお絵描きをしていたので驚いた。2/19

私は、「今日のイベントの内容を、このビデオにすぐに取り込め」と、部下のムラタに指示したが、ふくれっ面のムラタは、返事しなかった。2/19

2017年2月某日午前1時、リンチョン氏は、開口一番こう喚いた。「べらぼうめ。てやんでえ!」2/21

村人たちは、思い思いに自分の大切な人を車に乗せて、いずこへか逃れ去って行きました。2/23

ヤフオクに出品したら、早速落札者が出たのだが、送料が分からないから発送できず、いらいら焦っているわたし。2/24

クォーターバックに新人の平岡を起用してからというもの、わがチームは連戦連勝で、あろうことか、とうとうリーグ優勝まで果たしてしまった。こういう男こそ、真のラッキイボーイというべきなのだろう。2/25

逗子芸術文化会館の竣工式の日に、桜尾源兵衛の葬式があったが、彼の棺は、大勢の若者たちによって、まるで神輿のように担がれて、自宅から会館まで運ばれていった。2/26

ようやくバスがやって来たので、乗ろうとしたが、あまりにもぎゅうぎゅう詰めの超満員だったので、私だけが乗りきれず、バス停に取り残された。2/27

隣の家の男の子と女の子が、トルコのメヴレヴィ教団のセマーのように、ぐるぐる回りながら踊っているので、私も仲間に入ろうとしたのだが、輪の中に入れなかったので、はじめて歳を感じた。2/27

「そういえば、吉藤さんチのお庭の左奥には、池があって、鯉や金魚がたくさん泳いでいましたね」と尋ねたら、吉藤さんから「そうでしたっけねえ」という素気ない返事が返ってきたので、私は、自分の記憶に急に自信がなくなった。2/28

 

 

 

梅雨の晴れ間に

 

みわ はるか

 
 

四角い専用のフライパンで卵焼きを作る。
醤油、みりん、砂糖、塩、だし汁で作るオーソドックスなもの。
いつも茶色く焦げてしまうので今日は弱火にしてみる。
きれいな黄色でくるんと巻けたのを確認すると思わずにんまりと笑みがこぼれる。
フライパン返しで上手にまな板に移す。
研いだばかりの包丁で食べやすい大きさに切っていく。
以前はめんどくさいと箸で雑に切っていたけれどもうそれはやめた。
ストン、ストンと切り終わった卵焼きはとても美しかった。

去年の夏までベランダに吊るしてあった風鈴が悲鳴をあげていた。
雨風にさ らされてボロボロになっていた。
銅製でとでも重厚な音色を聴かせてくれていたけれどもう寿命をとうにこえてしまっていたようだ。
仕方なく処分した。
次は今までのと全然違うものにしようとネットで色々調べて購入した。
なんと、明るいピンク色のフラミンゴの下に細長いステンレスでできた円柱の棒がぶらさがっているタイプのものだ。
4つもぶらさがっているのでお互いがぶつかって「テロテロ~、テロテロ~」とかわった音色がする。
その上にどっしりと乗っているフラミンゴが重そうだけれど。
それだけでは少し物足りなかったので、普通のよく見るタイプの風鈴も買った。
陶器でできたもので、白く塗られた上に朝顔の絵が少し遠慮した ようにちょこんと描かれている。
こちらは少しの風で「チリン、チリン」と慌ただしく鳴り響いている。
2つとも前回同様ベランダに吊るした。
お互いが邪魔をせず、喧嘩することなく上手に共存しているかのようにみえる。
人間の世界もこんな風であればな~と思う。
夜中みんなが寝静まったころ、道行く車がなくなったころ、わたしは一人座椅子に座りながらそんなことを考える。
「テロテロ~、チリンチリン」という音を聴きながら。
うんざりするような日がある。
誰の顔も見たくないと感じる日がある。
一人丸くなって押し入れの隅でじっとしていたいと思う時がある。
だけれども、ものすごくあの人の笑顔が見たいとか、話を 共有したいとか、同じ景色を見たいとか望む自分もいる。
やっぱり社会とはつながっていたいと願う。
贅沢なのだろうか。
どうなのだろうか。
今のわたしには残念ながらよくわからない。

先日、ひょんなことから、生まれて初めて弟と2人で外食をした。
弟の好きなお寿司を食べることにした。
水槽の中で少し窮屈そうに魚が泳いでいた。
出されたお茶は舌がやけどするかと思うくらい熱かった。
慣れないカウンターで思わずキョロキョロしてしまった。
ファミレスで十分なのだけれど、せっかくなので、こんなことも次いつあるかわからなかったので。
弟はわりときれいに食事することを知った。
器用に箸を 使ってわさびの量を調節する。
ネタに醤油をつける。
布巾で口をふく。
赤だし、天婦羅、最後のごまプリンまできちんと丁寧に完食した。
世の男性というのはこんなにもよく食べる生き物なのかと感心した。
弟の話は面白かった。
男のくせによくしゃべる。
弟には夢があるようだ。
わたしはもちろん応援している。
縁あって姉弟になったのだからいつまでも仲良くしていきたいと思う。
仮に色んなことがうまくいかなかったとしてもまた話してほしいなと思う。
その時はまたお寿司を食べに行こうと心の中で姉のわたしは小さく誓った。

 

 

 

西暦2017年2月17日の午前中に、神奈川県の大和市で言うべくして、とうとう言えへんかったことども

 

佐々木 眞

 
 

 

まだ春には遠いある朝、神奈川県大和市保健福祉センターで開催された県央福祉会の第6回人権委員会に出席したら、理事長はんが、開口一番、『津久井やまゆり事件は「施設から地域」運動の千載一遇の大チャンスです』なぞと、のたまうやんか。

おいおい、ちょと待ってくれ。それは問題のすり替えとちゃうか。
あれは19人も人を殺したっちゅう、戦後最大の大量殺人事件やで。
そのうえ、その19人ちゅうのんは、みんな最重度の障がい者ばっかりや。
かてて加えて、その大犯罪を犯したんは、つい最近まであんたたちの同僚として働いていた福祉介護士やないか。

いちばん障がい者を理解し、障がい者の味方であるべきはずの介護者が、無抵抗の障がい者を次々に血祭りにあげる。いわば自分の身内から、とんでもない裏切り者が出たようなもんやないか。だからこそ、みんなあ大きな衝撃を受けてるんとちゃいますか。

それやのに『津久井やまゆり事件は「施設から地域」運動の千載一遇の大チャンスです』とはなに?
もちろん最重度の障がい者ちゅうても、施設に幽閉して世間の風に当てへんのは、本人のためにもならへんし、出来るだけ門の外に出したほうがええに決まっとる。

障がい者を施設内に固定せず、地域で暮らせるようにすんのは、大変結構なこっちゃ。
しゃあけんど、それにも限度がある。
一人では身動きできない重度の障がい者のための介護施設は、今までも必要やったし、これからも必要やろう。

事件後の親たちが、現在と同じ機能を持った施設の再建を求めてんのは当然。そのうえで神奈川県や国に対しては、障がい者福祉へのさらなる注力と施設やホームの増設を要求するべきとちゃいまっか。

それよりも理事長はんが、いますぐにやらんといかんこと。
おこがましいけど、それは身内の職員の動揺を速やかに押さえ、再び障がい者に対するサービスを自信を持って行う元気を回復し、返す刀で今回殺人犯が唱えて実行した「障がい者抹殺論」に対する反撃を行うこととちがいまっか。

昔から強者もおれば、弱者もいるのが、世の中というもんや。
弱者の中には、努力して強者の列に伍せる人もおるけど、様々な事情でそれが不可能な人も大勢おる。
しかし経済力や生産性が、人間的価値のすべてではないやんか。
今は地上最強を自負するひとも、様々な事情で、一夜にして最弱の存在に転じてしまうことも、よーあるわなあ。

要するに強者といい弱者というのんも、この世の仮の姿であって、「人間みな人類」、一皮めくれば同じ穴のムジナであるってことを知らんといかんのちゃいますやろか。
そやからこそ障がいを持つ人も、持たへん人も、共に仲良く幸せに暮らせる社会を作らんといかんのやないかなあ。

誰もが知っとるように、この世では、障がいを持つ人も、持たん人も、おんなじように大切な存在や。
人間は、経済的な有用性や生産性とは無関係に、1個の生物として平等やし、1人の人間として、平等の社会的文化的価値を有しとる。

そやさかい、この世では、強者が弱者を差別したり、抑圧したり、まして殺傷したらあかん。ぜったいにあかんねん。
前者の多くは肉体的・精神的・経済的・社会的な弱者やさかい、後者を庇護し、心身両面にわたって協力・支援する義務があるねんねん。

そうや。思い出した。かつて「この子らを世の光に」と喝破した人がおったなあ。
ふつうの社会運動家やったら、「この子らに世の光を!」というところやろうが、近江学園の創立者、糸賀一男はんにとっては、知的障がい児こそが、この世の宝石やったんや。

しゃあけんど、この子らには知的障がいがあり、わいらあ健常者の目から見たら、世のため、人のために、たいした貢献をしているとは思えへん。
いったいどこが世の光なんやろか?

彼らは、社会的にはまるで“でくのぼう”のように無知で無能や。
彼らは、経済的には生産力が皆無に等しいねん。
彼らは、例えば現在のわが国の某首相やアメリカの暴大統領のように、金力と人材と公権力を駆使して油断なく狡知を働かしたり、世のため人のためにならへん悪事や謀略を行うすべを、生まれながらにして持っとらへんのや。

万人が万人の敵となるホッブスの夜。
ひたすら他者の善意を信じ、弱さを丸出しにして無邪気に生きる最弱者の彼らの瞳の中に、聖なる愚者の光を認めるひとも、さだめしおるに違いない。

そんな障がい児者の介護にあたる人々の中にも、劣悪で恵まれない労働環境の中で疲弊して、あの植松聖選手と同様の思考回路をたどって、障がい者無用論やヒトラーの優生思想にひかれ、またしても障がい者抹殺の愚行に走ろうとする人がおるかもしれんなあ。
いや、おるに決まっとる。

しゃあけんど、そんな人たちにもう一度思い出してほしいこと。
それはなあ、あんたが亡きものにしたいと思うとる大多数の障がい児者の人たちとは、
「人を殺そうと夢見ることはおろか、それを実行することも出来へん。まことに人類の宝物のような人々や」
いうこっちゃ。

そんなあれやこれやの、せめて100分の1でも、あの日あのとき、あの会場で、理事長はんに食らいつきたかったんやけど、わいらあ、なあんも言えへんかったなあ。
手をあげて立ち上がることさえ、せえへんかった。できへんかったなあ。

あれから何日も何カ月も経ってしもうて、こんなとこでグチャグチャ言うとるなんて、あかんなあ。あかん、あかん、ほんま、わいらあ、あかんやっちゃなあ。

 

 

 

幽霊たち

 

サトミ セキ

 
 

六月の東北の朝、湯治場の浴槽の中でわたしの腕に皺が寄り光が溜まっているのを見る。痩せた腕も濡れて光が溜まれば鈍く輝く。

殺風景な食堂で、ひとりきりで五穀粥を掬う。湯気のたつ粥をスプーンで口に入れたとき、二十三年前にお見合いをして三回だけ会った男を思い出した。
「コーヒーは飲まないけれど、ブレンド豆の比率は一口飲めばわかるんだ」
と三回目に会った彼は、そのときトヨタレンタカーを運転していた。真白い前歯に午後の日差しがきらりと反射した。わたしもが機嫌が良くなって鼻歌が思わず出てくる、運転がとても上手で雲ひとつない快晴だったから。
「ときどき、幽霊を見るんです、布団に寝転んでいるときとか天井に。将校の軍服を来て革手袋を嵌めている幽霊なんかを」

そういう彼自身が、まっさらな革手袋を嵌めてトヨタレンタカーを運転しているのであった。海の見える低い丘の上、小洒落たフレンチレストランの前に滑らかに車を停め、扉をあけて慣れない口調で予約を告げた。
「来年も『ライオンキング』をやっているそうです。あなたと見られたらいいな」
視線を泳がせ、ワイングラスを持ったまま、彼は横を向いて早口で言った。劇団四季は嫌いなんです、という言葉をフランスワインと一緒に飲み込んで、にっこりとわたしは微笑んだ。ああこのひとはいいひと、わたしと違う種類の。

その晩、夢の中に女が出現した。紫のつるっとしたドレスを着て水晶のブレスレッドを幾重にも巻いた女。三白眼の意地悪そうな瞳をさらに細め、覗き込むようにしてわたしに言った。
「あんたには合わないね、とってもいい人なんだけど、あんた、そのひとを必ず不幸にするよ、あんたは一生ひとりがいい」
(そうですよね 一緒に寝ながら 毎晩幽霊見てもいやですし)
わたしにはもったいないひとですのでご辞退申し上げます。仲人に断りの電話を入れたのは翌日だった。郷里の両親が会いに来る準備をしていたさなかになぜ、と嘆いたと人づてに聞いた。わたしより二センチほど背の低い、前歯の白いひとだった。わたしはあれきりお見合いはやめた。

二十年後のわたしが病を宣告された晩、あのひとは「大丈夫だよ」と目に涙をたたえて手を握ったりしただろうか、抗がん剤を打って、枕元の洗面器に吐き続けるわたしの背中をさすりながら、((見合い運が悪かったな))とひそかに思い、((いやいや、そんなことを思ってはいけない、いけないぞ俺は))と浮かぶそばから打ち消したりしただろうか。

(あのひとはいま、一戸建てのマイホームでコーヒーを一口すすっている。小太り妻が入れるコーヒーは今朝もうまい。ああ、肌がぴかぴかした健康妻のコーヒーを、わたしも飲みたい。
((今日はブラジル三、キリマン七だね)) 前歯の白かったひとは、たちのぼる香りを嗅ぎ、一口飲んで言っているのが聞こえる。あ、ほんのすこし歯も黄ばんできたかな。コーヒーも飲めるようになったのね。浪人中の息子は、今日も一言もしゃべらずかばんを抱えて出て行く、あのひとが三十年ローンを組んだ新興住宅地の家から。)

東北の湯治場で、コーヒーメーカーから出る蒸気の粒と、たちこめる硫黄の粒子に撹乱されて、わたしと小太り妻の粒子もまじりあう。わたしが薄い一杯のコーヒーを飲み終わるまで。
胃のなかで、コーヒーが五穀粥とうまくまじりあったら、あのひとと小太り妻の姿が消えてゆく。わたしも硫黄の蒸気のなかでゆらゆらしている脳細胞の消去ボタンを押す、これっきりのはずだった。

でもね、やっぱり幽霊を見るんです。湯治場から東京に戻ってきてもね、一人暮らしの小さな部屋の中で。軍服の将校じゃなく、三十年ローンの新興住宅地で、毎日静かに朝日をあびてごはんを食べる白い前歯の幽霊を。小太りでおいしいコーヒーを入れているもうひとりのわたしの幽霊を。

 

 

 

眠たい縄文

 

萩原健次郎

 
 

 

空白空白空白空白0ぽんぽこ。

どこかへ抜けていけるのかもしれない。
禅院の水鏡は、あらゆる雑な事物や景物を吸いこんでいる。

空白空白空白空白0君が代に。

バキュームの青空、蟻の手の、先の触指の受信装置など。
ワガワガと、翻る破声など。

濃緑は、零度の位置で誘っている天空のまっくろくろけの欲動を
つまんでは食べ、食べては吐いて、池水の嵩を増している。

猿たち、その毛は光に撫でられて
ゴールデンに輝いてらあ。

――あなたより知能が低い、あたしらわあ、

空白空白空白空白0巌(いわお)となって

――くどくよりも、それならば九毒でまいろう

と三味にあわせて、池水の舞台を歩いて行った。

抜けていった此の世は、ちょっとしたジンカンの地獄で
善意と悪意の貸借が、とんとんになって
参る人たちは、もうへとへとに鬱になって

――飛び込んでやる
――やく漬けになる
と可愛く叫んでやる。

空白空白空白空白0千代に八千代に

そのような国があったなどと、誰が信ずるものか。
日が出るとか。
狐が憑くとか。

遷宮するとか。

――喜劇のように死んでやる

空白空白空白空白0苔の生(む)すまで。

役者になる前に僧侶となり神主になり、宮大工になり、
ヒノキの板に乗り

飛び込む。

その前に、一度猿になりたい。
赤い尻。

白蛇に。
赤い舌。

空白空白空白空白0細(さざれ)石の。

逆しまに、池が空から降ってくる。

――ゴジラの国へ。

 

 

 

梅雨の晴れ間に

 

みわ はるか

 
 

四角い専用のフライパンで卵焼きを作る。
醤油、みりん、砂糖、塩、だし汁で作るオーソドックスなもの。
いつも茶色く焦げてしまうので今日は弱火にしてみる。
きれいな黄色でくるんと巻けたのを確認すると思わずにんまりと笑みがこぼれる。
フライパン返しで上手にまな板に移す。
研いだばかりの包丁で食べやすい大きさに切っていく。
以前はめんどくさいと箸で雑に切っていたけれどもうそれはやめた。
ストン、ストンと切り終わった卵焼きはとても美しかった。

去年の夏までベランダに吊るしてあった風鈴が悲鳴をあげていた。
雨風にさらされてボロボロになっていた。
銅製でとでも重厚な音色を聴かせてくれていたけれどもう寿命をとうにこえてしまっていたようだ。
仕方なく処分した。
次は今までのと全然違うものにしようとネットで色々調べて購入した。
なんと、明るいピンク色のフラミンゴの下に細長いステンレスでできた円柱の棒がぶらさがっているタイプのものだ。
4つもぶらさがっているのでお互いがぶつかって「テロテロ~、テロテロ~」とかわった音色がする。
その上にどっしりと乗っているフラミンゴが重そうだけれど。
それだけでは少し物足りなかったので、普通のよく見るタイプの風鈴も買った。
陶器でできたもので、白く塗られた上に朝顔の絵が少し遠慮したようにちょこんと描かれている。
こちらは少しの風で「チリン、チリン」と慌ただしく鳴り響いている。
2つとも前回同様ベランダに吊るした。
お互いが邪魔をせず、喧嘩することなく上手に共存しているかのようにみえる。
人間の世界もこんな風であればな~と思う。
夜中みんなが寝静まったころ、道行く車がなくなったころ、わたしは一人座椅子に座りながらそんなことを考える。
「テロテロ~、チリンチリン」という音を聴きながら。
うんざりするような日がある。
誰の顔も見たくないと感じる日がある。
一人丸くなって押し入れの隅でじっとしていたいと思う時がある。
だけれども、ものすごくあの人の笑顔が見たいとか、話を共有したいとか、同じ景色を見たいとか望む自分もいる。
やっぱり社会とはつながっていたいと願う。
贅沢なのだろうか。
どうなのだろうか。
今のわたしには残念ながらよくわからない。

先日、ひょんなことから、生まれて初めて弟と2人で外食をした。
弟の好きなお寿司を食べることにした。
水槽の中で少し窮屈そうに魚が泳いでいた。
出されたお茶は舌がやけどするかと思うくらい熱かった。
慣れないカウンターで思わずキョロキョロしてしまった。
ファミレスで十分なのだけれど、せっかくなので、こんなことも次いつあるかわからなかったので。
弟はわりときれいに食事することを知った。
器用に箸を使ってわさびの量を調節する。
ネタに醤油をつける。
布巾で口をふく。
赤だし、天婦羅、最後のごまプリンまできちんと丁寧に完食した。
世の男性というのはこんなにもよく食べる生き物なのかと感心した。
弟の話は面白かった。
男のくせによくしゃべる。
弟には夢があるようだ。
わたしはもちろん応援している。
縁あって姉弟になったのだからいつまでも仲良くしていきたいと思う。
仮に色んなことがうまくいかなかったとしてもまた話してほしいなと思う。
その時はまたお寿司を食べに行こうと心の中で姉のわたしは小さく誓った。

 

 

 

あれれっちゃ

 

鈴木志郎康

 
 

シロウヤスさんが、
パジャマを後ろ前に着て、
こりゃ、いいわい、
って、
ひょろひょろっと、
にわかに
立ち上がって、
部屋の中を、
杖も持たずに、
両手を翼みたく
バタバタさせて、
歩き回ってるっちゃ。
アッ、危ない、
すっ転んじまったっちゃ。
テーブルの角に、
頭をぶつけて、
床に仰向けに
すっ転んじまったっちゃ。
あら、動かないっちゃ。
動かない。
あれれっちゃ。
へへへ。
そんな、
俺っちの空想っちゃ。
歳取るって、
ねええ。