萩原健次郎
失われている向日葵に手を合わす。
左右の手に、わたしの血がめぐってその人の消息を知りたいと思う。
目前の小道の真ん中に棒のように立っている花茎の静かさは、花畑を世話していた人の不在を語っている。
枯れた人が植えたであろう一茎は、その人が長く生きてきた敷地の空気と交信している。
生にはぐれている茎の立ち姿は、哀れに強く、諦観のその先で無言を貫いている。
言葉ではなく言葉などは枯れて、枯れてと記して
この近隣のすべての路傍の、切り取られた点景のいたるところに湿潤が途切れ、生血の抜き取られた角の線域に、無数のやぶ蚊がハミングしている。
景ごと蛇に呑まれ、わずかな湿潤も蚊に吸われ、
――この向日葵ももう、忘れられるわなあ
床のあるところで寝ていた時に、背が板にぴったり添って、わたしを直立させて、
ああ、向日葵の茎と直角になあ
ある時、その人に会釈した。こんばんわだったか、花の手入れもたいへんですねだったか。
交信が頼りで、背の離宮の山が、
わたしたちを拝んでいる。
――生きてやるわい
わたしとその人は、山の信仰になり、枯れた血が木像に流れる。他愛のない声が郷の主となり山を見下す。蹴る。息を吐き、唾をかける。蚊に吸われ、
どこからか、三味線、太鼓、囃子、笛、犬、猫、鳥、ちり紙交換のマイク音、サイレン、
それからヴィオラも、ハープも、啜る音も瀬音も、
滝に吸われる。
――ああ、もう不足している
生きていることの、だれかとの挨拶が。