松井宏樹
花がうつくしいと思うこと
それはこころの余裕のみではないだろう
その存在がこころ落ちつかせてくれる
それだけ
命は動物だけのものでなし
じぶんが弱いときには涙をながしながら
木々の強さを知る
木々の強さを
そしてその緑が
わたしの勇気になるとき
花も変わることなく
わたしを微笑ませる
誰かに育てられ慈しまれることは
彼等彼女等にきっと
力になるだろうか
儚い命だとは思わない
その続きにわたしが
また勇気をもらう
そして安堵する
今日のなじんだ花が
明日ははらり今季を逐えても
またいつか鮮やかにまた
そっと開くのだろう
わたしがいつまでもみていたくとも
わたしのかわりに誰かがまた力をもらう
そのことに安堵する
ループや無限はないかもしれぬ
わたしにはわからぬこと
人のちからを得ずともまた
どこかでそっとかがやきを秘めたいつかの
緑も
わたしはいつまでも覚えている
わたしのあとの誰かも
いつまでも
覚えている
昨年は、不世出のソプラノ歌手マリア・カラス(1923年12月2日 – 1977年9月16日)の没後40周年でしたので、私は彼女の記念アルバムを毎日のように聴いて過ごしました。
そのひとつは彼女が1949年から1969年までにスタジオでレコードした全69枚のCDセットです。1枚140円の廉価盤(MARIA CALLAS 「The Complete Studio Recordings」)でしたが、まず49年11月8日から10日にかけてイタリアのトリノで録音された最初のリサイタルを聴いて驚きました。
アルトゥーロ・バジーレ指揮、トリノ・イタリア放送交響楽団の伴奏に乗せておもむろに歌いはじめた「イゾルデの愛の死」は、録音こそ古いものの、まさしくカラスの胴間声そのもの。いささか青臭く、なんとなく自信なさげで、未熟といえば未熟な歌唱ではありますが、時折聴こえてくる、どすの効いた迫真のサビとうなりは、すでに彼女の自家薬籠中のものとなっています。
そうなのです。ハイCで切開される鋭い線のような高音はもちろんですが、このブルブル震えるような低音こそが、カラスなのです。
一度聴いたら二度と忘れられなくなる、懐かしくも恐ろしいその声。聞く者の内臓に食い入り、深々と肺腑をえぐっては泣かせる、この表情豊かで戦慄的なバスの音色こそが、カラスという人の専売特許なのでした。。
ベルリーニの「ノルマ」と「清教徒」からのアリアの抜粋も、じつに見事なもの。まさに「栴檀は双葉より芳し」を地でいく鮮烈なデビュー振りといえるでしょう。
今度は一転して、最晩年のカラスを聴いてみることにしましょう。1969年2月と3月にパリのサル・ワグラムで録音された、本当に最終期のカラスの歌唱です。
カラスは、ニコラ・レッシーニョの指揮するオルケストラ・ドゥ・ラ・コンセルバトワール管をバックに、ヴェルディの「シチリアの晩鐘」「アッティラ」そして「イ・ロンバルディ」からの3つのアリアを、かすれるような声で懸命に歌っています。
その音程は下がり、あの豊かだった胴間声は激しくきしみ、さながら魔女の断末魔の叫びのようにも聴こえます。
しかしその蹌踉たる絶叫のなかに、私は無残な老醜を、それと知りつつ超克しようとする女の誇りと意地のようなものを感じ取り、一掬の涙を銀盤に灌いだことでした。
この永久不滅の名盤に続いて、今度は彼女のライヴ公演のリマスター盤「マリアカラスライヴ録音1949-1964」(MARIA CALLAS LIVE「remastered live recordings1949-1964」)が登場しました。42枚と3枚のブルーレイ・ディスク、それに貴重な写真を収録した小冊子の付いた超廉価の豪華版です。
ライヴで一入燃えた彼女の真価は、前記のスタジオ版よりも、こちらのほうで発揮されているようです。
たとえば1952年4月26日、フィレンツェ五月音楽祭でトゥリオ・セラフィン指揮フィレンツェ市立劇場管弦楽団に伴われて歌ったロッシーニ「アルミーダ」第2幕のアリア「甘き愛の帝国では」においては、なんと驚いたことに、あの高い、高い、高いニ音が、3回!も、しかも音程をはずすことなく! トリルの連続する超絶技巧で歌われていて、聴く者を圧倒します。
満員の聴衆はもとより指揮をしていた彼女の恩師セラフィンも、この驚異的な7分間には、思わず息をのむほどびっくり仰天したのではないでしょうか。
老ゆるともカラスはカラス鶴の声宇宙の彼方にさえざえと響く 蝶人
君知るやカラスの後にカラスなくひばりの後にひばりなきこと
ここのところ
チェット・ベイカーを
聴いてる
どこがいいのかな
全部が
いいの?
嵐が過ぎていった
風なのよ
風が吹いて
霧が流れていった
林が
みえた
神田で
小雪さんと会った
バー鳥渡で
谷川さんの詩がいいとは思いませんて
言っちゃった
ローマ字で詩を書けよ
女を書けよ
『岩田宏詩集成』をようやく通読
面白かったなあ
労働者の悲哀を描いた「神田神保町」とか
ポーランドの歴史をテーマにした「ショパン」とか
印象に残る詩がいろいろあるんだけど
岩田宏さんと言ってすっと出てくるのは
やっぱり「いやな唄」
「いやな」というミもフタもないそっけない言い方が面白い
「あさ八時/ゆうべの夢が」とか
五七調のリズムが歯切れ良くて心地よい
でもって
「無理なむすめ むだな麦/こすい心と凍えた恋/四角なしきたり 海のウニ」
各連の末尾に置かれたフレーズが不思議感いっぱいで楽しい
さて
ここでちょっとひっかかる
「海のウニ」
どうしてここだけ手抜きなんだ?
「無理なむすめ むだな麦」 ちょっと思いつかない意外な組み合わせ
「こすい心と凍えた恋」 皮肉っぽい感じがマル
「四角なしきたり」 風習の堅苦しさが面白く表現されてる
しかるに
「海のウニ」
ウニが海辺に生息しているなんて当たり前でしょ?
他の言葉はひねりがあるってのにさ
更に更に
最終行を見よ
何とこの「海のウニ」だけが「!」つきでリフレイン
特別扱いされてるじゃないか
この詩はウニから見た人間の暮らしの戯画化なのか?
いいや、そんなことどこにも仄めかされてない
じゃなぜだろう
謎は深まるばかり
ページを見つめていると
鋭い針が刺さってくるようで
ブスッ
ブスッ
いやな気分になるな
おっと
「ご飯できたよー。」
ミヤミヤが呼んでる
本閉じて下におりなきゃ、だ
海のウニさん
海のウニさん
空のウニでも地のウニでもない
海のウニさん
この詩の中で君は
唯一、岩田さんから直に呼びかけられている存在なんだね
きっと岩田さんはここで君を救い出すことによって
いやな気分にいったんケリをつけたんだよ
「かずとーん、早く下りてきてーっ、ご飯できたって言ってるでしょーっ。」
はぁい
ぼくも呼びかけられてる
呼びかけられるって嬉しいね
特別扱いされるって嬉しいね
でもってこれ以上待たせたら
いやな気分が
ブスッブスッしちゃうね
海のウニさん
ぼくの頭の中に隠れておいで
一緒に一階に下りて夕食をとろうよ
*この作品は杉中昌樹氏主宰「詩の練習」の岩田宏特集号に掲載された詩を加筆修正したものです。
左の歯が痛い右の歯が痛い左の歯が痛い右の歯が痛い左の歯が痛い
右の歯が痛い左の歯が痛い右の歯が痛い左の歯が痛い右の歯が痛い
左の歯が痛い右の歯が痛い左の歯が痛い右の歯が痛い歯が歯が痛い
死ぬ死ぬ死ぬ キシモト先生助けて下され!
それはそれはお気の毒、
すぐにヨコスカまで飛んでらっしゃい
はい、飛んできましたよ キシモト先生!
こんにちは、ササキさん
死ぬ死ぬ死ぬ キシモト先生よしなにお願いいたします
大丈夫、人間、そう簡単に死にはしません
では、お口をおおきくひらきませう。
あーん、あーん、あーん
なーるほど、奥歯のシコンノウホウ(歯根嚢胞)ですね
今日は、歯茎をざっと洗いませう
ちょいと麻酔なぞいたしませうか
あーん、あーん、あーん
痛い痛い痛い 死ぬ死ぬ死ぬ
洗うなり 煮るなり 焼くなり センセにおまかせいたします
グオーン グオン ギュルグギュルギュル
グオーン グオン ギュルグギュルギュル
グオーン グオン ギュルグギュルギュル
ノオ、ノオ、ノオ
ああああ そこは神経が ま まだ生きておる
やめてけれ やめてけれ ズビズバア ズビズバア
チューン チューン チューーン ピクル ピクルブ ピピピビピピ
グギグギグギ ガリガリガリ グギグギグギ ガリガリガリ
ブウン ブウン ブウン ビカビカビカ ブウン ブウン ブウン ギタギタギタ
ササキさん
痛かったら 教えてくださいね
痛かったら 手を挙げてくださいね
グリグリグリーン ギャリギャリ グリグリ グリリン グエンカオキー
ギャリギャリゼッポ グルーチョハーポ マルクスエンゲルス チェゲバラ グルリンパ
バズーン バズーン ドスバソス バズーン バズーン ドスバソス
oooooooooo nnngaaabubububugibugibububu
aaaaaaa guggi—–njyubobobobguhahahahagashigasigasigasisisisgga
denndendendenn zunnzunnzunnzunn baribaribaribagigigigizubizubizubarin
ニュン ニュン ニュン ガガガガガガ ニュンニュンニュン ガリガリ ガガーリン
ブブーン チュルチュル チュルンシュ パシュパシュ
ググーン ガリガリ ガリーン ザザザザザア
我痛し故に我あり初鰹 the end is the end is the end is the end is the end is the end
苦悶煩悶拷問苦悶煩悶拷問 the end is the end is the end is the end is the end is the end
七転八倒七生報国 the end is the end is the end is the end is the end is the end
チューン チューン チューーン ピクル ピクルブ ピピピビピピ
グギグギグギ ガリガリガリ グギグギグギ ガリガリ ガガーリン
ブウン ブウン ブウン ビカビカビカ ブウン ブウン ブウン ギタギタギタ
イタイオー イタイオー
ズビズバア ズビズバア
お願いだから もうやめてけれ
ギグギグギグ グルンン ガガンガガア
オペオペオッペル グララアガア
アヒアヒアヒヒ アビキョウカン
やめてけれ やめてけれ
生まれてきて すみません
イタイオー イタイオー
ビンビビン ビビビビ ブウン ブウン ブウンン
チューン チューン チューーン
ピクルピクル ブピピピビピピ ヌガア ヌガヌガア
はいササキさん おつかれさま
今日は、これでおしまいです
痛くなったら いつでもどうぞ
汗と血と涙の苦闘45分
ようやっと奥歯の歯根嚢胞の治療が終ると、
ヨコスカは黄昏 真っ赤な黄昏
よたよたとキシモト歯科を転がり出る男の影ひとつ
ほれ、また一日を生き延びた
キシモト先生 ありがとう
キシモト先生 さようなら
その時 ヨコスカは 真っ赤な黄昏
第7艦隊は 真っ赤に燃えていた
この季節は時間の進行がよくわからなくなる。
もちろんその日1日の時間の流れははっきりしているのだけど、一昨日と昨日と今日の違いが、その境界線が、その記憶が、混濁してくるような気がするのだ。
特にこの春は暖かかったり急激に冷え込んだりとその落差が激しく、ある意味予測不能なのがその一因かも知れない。
予測可能な未来ならば方向性を見いだせるのだけど、予測不能の乱高下は記憶の時間のベクトルを混乱させるようだ。
いうまでもなく人生は「記憶」である。わたしの人生は「わたし自身の人生の記憶そのもの」であるといっていいと思う。だから記憶が混乱したり混濁するのはとても困る。
記憶を正すために自己に対して常に意識的であるために、自分の内側に向かって深く掘り進んでいくことは豊かな鉱脈へと通じるような気がする。
しかしそれは同時に大きな危険を招くことがある。自分の在り方を揺るがせるような大きな反動を受けることがある。
自分の存在の根源に向けて深く掘り進むことは精神を育むが、同時に精神を破壊することすらある危険な行為でもある。
これまでのわたしは思考によってそれを行ってきた。いまは思考だけではなく文章と写真によってそれを行おうとしている。
ブログを書くこと、写真を撮ること、このふたつはどちらも大切な日々の行(ぎょう)なのかも知れない。
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CANON EOS 6D, CANON EF70-300mm F4-5.6L IS USM
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Sony α7, Voigtlander NOKTON classic 40mm F1.4 MC VM
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SONY α7R, Leica Elmarit R35mm F2.8
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SONY α7R, Leica Elmarit R35mm F2.8
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SONY α7R, Leica Elmarit R35mm F2.8
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PANASONIC DMC-L10, Leica D Vario-Elmarit F2.8-3.5/14-50mm ASPH
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PANASONIC DMC-L10, Leica D Vario-Elmarit F2.8-3.5/14-50mm ASPH
並び立つ2本の樹木
これが私の世界観
ひとつは私の外にある世界
もうひとつは 私の内にある
広大な薄明の世界
互いに互いの存在を
喜んでいるのか
喜んではいないのか
あるいは
まったく興味がないのか
それは謎である
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CANON EOS 6D, CANON EF70-300mm F4-5.6L IS USM
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CANON EOS 6D, CANON EF70-300mm F4-5.6L IS USM
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FUJIFILM X-E3, FUJINON XF18-55mm F2.8-4 R LM OIS
これからは超高速ジーゼル車の時代に突入するので、私はいち早くその免許を取得し、国産1号機にまたがって県道21号線を激走した。12/1
久しぶりに麻雀をしていたら、天和(テンホウ)か、あと1牌で上がれるという最高の手がきているのに、いつまでたってもアガれない。よく見ると最初から牌が1枚欠けているのだ。12/1
今日は非番の日なので、赤、白、青、黒の4つの製造部門の生産状況の進捗を観察することにした。たまにはこーゆー、ゆとりのある時間もいいものだ。12/1
老いたるA教授は、ガンを患って、この世に残された時間がほとんどないことを知っていたので、後輩のBに、会得した秘法のすべてを伝授しようとしていた。12/2
彼は自分をボブ・ディランに擬しているようだが、似ているのは、ハモニカを銜えた外観だけ。早口で唱える歌詞は拙劣そのもので、むしろ無内容というても過言ではなかった。12/2
「先生、わたし、何かイケナイことでもしてしまったのでしょうか?」とおずおず尋ねると、オクムラ師はニコリともせずに、「晴天の霹靂なるぞゴロスケホーゴロスケホッホゴロスケホー」とお答えになった。12/3
葡萄色の阪急電車に乗って、谷崎夫妻ご一行と一緒に海水浴にいくことになったが、なにせなうての我儘な人たちなので、「須磨明石がええわ」とか「いっそ和歌山に飛びたい」とかの声が入り乱れ、なかなか意見がまとまらない。12/3
金球が、痒くて痒くて仕方がない。朝から晩まで1日中掻きまくっていると、真っ赤に腫れあがってきたので、これはまるでマントヒヒの金球みたいだなと思って、風呂場の鏡を見ると、私は全身マントヒヒに変身していた。12/4
一張羅のスーツがよれよれになったので、スーパーに行ったら、一着2万円以上もする。「北朝鮮で縫製した超格安1万円の奴があるはずだ」というと、「北朝鮮なんて大声を出さないでください。非国民扱いされますから」といいながら、内緒で倉庫に案内してくれた。12/4
なまくらな歌を詠んでは、益子焼の小皿に乗せて、海に流していた。「三角形の上にもうひとつの歌を乗せてみよ」、と誰かが言うので、困りはてていたら、そいつは「こうすればいいのじゃ」と、殺してぐにゃぐにゃになった歌を、三角の上に乗せた。12/5
Ⅹmasツリーの飾り付けをしていたら、脊の高い革マルのフランケンシュタインが、私の背中の方で悪戯するので、「こらあ、なにをするんじゃあ!」と叱るつけると、たちまちシュンとなってしまった。12/6
人には所有権があり、厳然たる人格所有権もあることが理解されてきたので、それらを無視して、傍若無人に振る舞ってきた独裁者は、人々の反乱を抑え込もうと躍起になった。12/7
いくら急流が次々に押し寄せてきても、人里離れたこの渓流に、誰かが落とした瑠璃も玻璃も、いささかも微動だにしなかった。12/8
開戦前夜になったせいか、ハセガワプロパン屋がやってきて、「おたくのプロパンを、回収させて頂きます」というのだが、その代用品はあるのだろうか。12/9
祖父と祖母が、2階の高窓から首を揃えて、「早くここから出しておくれ」と道行く人々に呼びかけるので、わたしら家族はとても困っている。12/9
あの男、10.8闘争の英雄とかいわれているが、それってなんだろう? 俺の誕生日は10.16だし、もしかして10.28の間違いでは? ともかく、10月は戦いの季節だった。12/10
サントリーが製作した鳥の映画の試写会に行ったら、隣の席の学生が、うす暗闇の中で私が三文雑誌の要請ででっち上げたあほばかエッセイを熱心に読んでいるので、それが気になって映画に集中できなかった。12/10
今年採用した男女2人の新人が、港に浮かんだ船の上で、これからの航海について、あれやこれや熱心に論じ合っている姿をかいま見て、私は、これなら未来もまんざら暗くはないな、と安堵した。12/11
将棋盤を飛び出した桂馬は、樹上で猿になり、森に入ってオランウータンになり、草原のただなかで、ホモサピエンスになったが、やがて猛烈な殺し合いをはじめて、すぐに絶滅してしまった。12/12
妻君がいち早く起きだしたのか、台所で物音がする。「もう朝なのか。全然寝ていないのに」、と思って時計を見ると、すでに12時半になっていたので、急いで飛び起きたのだが、実際はまだ6時前だった。12/13
彼女は、J.CREWのヤマモトとかいう男に酷い目に遭わされたというて、縷々あれやこれやの話をするので、私はじっと辛抱しながら聞いてやった。12/14
無人島の周囲には、たくさんの貝殻が捨ててあったが、それらの一つひとつに数字が記されていて、その数字は、貝を捨てた男の旅情の重さを現わしているのだった。12/14
横須賀にある「確かめ教室」では、どんな複雑怪奇な数式も細かいパーツに分解して、何回も確かめながら学習させるので、周辺の子弟から、圧倒的な人気と好評を博していた。12/15
我々は、帆船フランクフルト号の奪還に成功したのだが、「奥入り河」に乗り入れたところで、船縁から転落したケンちゃんが、岩に足を挟まれて溺れそうになったので、みんなで河に飛び込んで、やっと救出することができました。12/16
主筆の私が夢遊病になってしまい、連日訳の分からない社説の原稿を書き殴っているのに、肝心の校正係は、ろくろく読みもしないで、合格印のスタンプをペタペタ押しまくるのだった。12/17
電車に乗っていた黒い狼が飛び出したので、私もその後を追って白い球を投げると、狼は球を追って駆けだす。また投げると、後を追う。しばらくそんな遊びをしてから、狼も私も、また電車に飛び乗った。12/18
バリストは半年以上続いていたが、私にはもう1年前の権力闘争への情熱も、そんな新たな自己を発見した喜びも、全世界を敵にまわしての反抗の気概も、すっかり失せてしまい、まるでセミの抜け殻のような状態になってしまった。12/18
私は理由なく再三暴漢に襲われたので、覚悟をきめて、護身用に紫色の鞘に収めた正宗の短刀を買い求め、肌身離さず持ち歩くことにした。12/19
ボタンプッシュ・キャンペーンが終了したので、私は「いいね」ボタンを押してくれた人たちに、いちいちお礼を言って回ることにしたが、その間も人世の無常を感じていた。12/20
基地内には、10か所の特定地点が指定されており、その地点に立つと、眼下に奥深い冬眠用の竪穴が掘られていることが分かった。12/21
訪問したイタリアの小さな町が地震に遭って、北側から崩落していくので、私らは、南へ南へと逃げに逃げまくったのだが、南からは、亡霊の群れが逃げてくるので、先頭のポチが狂ったように吠えたてた。12/22
千トンの象と千トンの犀が、まるで力士のように真正面からぶつかって、押しくら饅頭をして長い間死んだように動かなかったのだが、突然全力を振り絞った象が、犀を押し倒した。12/23
珍しく車で出勤した日の午後に、第2次関東大震災が来襲した。幸い私の会社がある高層ビルは倒壊しなかったので、最高層にある駐車場の最高部にひっかかっていた私のアクアを、なんとか地面に下ろそうと焦るのだが、その間にもどんどん時間が経つ。果たして我が家の家族は無事なのだろうか。12/24
私が子供だった頃、家の隣を流れている河の石を取ってきては裏庭に捨てていたら、巨大な石の山になった。その話を聞きつけて石屋がやってきて、「全部買い取りたい」というので、一山いくらで売ったのだが、かなりの儲けになった。12/25
大阪支店に出張して、明日の打ち合わせの場所と時間を尋ねたが、答えが妙な発音で最後まで意味不明だった。不安なまま大食堂で定食を頼んだが、最初にコーヒーが来ただけで、後がなにも来ないので、ねえちゃんに文句を言うと、間違えてほかの客が食べてしまったという。12/26
最近睡眠不足で悩む患者が、「先生、麻酔してください」というて、大勢やって来る。なかには「わたし部分麻酔では効かないから、全身麻酔をお願いします」という人もいたので、「そうかい、そうかい」と言いながら、親切に要望に応えてやった。12/26
五味家は、京の北白川仕伏町に3軒も別荘を持っていたので、私たちは、「右から左にどんぐりころころ、どんぶりごろごろ」、と唄いながら、朝から晩まで転がりながら眠った。12/26
17歳の僕は、京の都で六条の御息所に抱かれ、はじめて番って童貞を失ったが、それっきり二度と彼女に会うことはなかった。12/27
私は超高層ビルの最上階から、外壁の周囲に螺旋状に張り巡らした階段をつたって地表まで命懸けで降りてから、「このビルにはどうしてエレベーターがないのだろう?」と訝った。12/28
私たちは、強権的な独裁者にちょん切られた首を、おのおの両手で持ちながら、黄泉の国に向ってトボトボ歩いていた。12/29
彼は、東京磁器センターの一介の皿職人だったが、ふと思いついて自由に作った皿の出来栄えが素晴らしかったので、人間国宝に指定されたが、それだけでは食べていけないので、相変わらず規格通りの皿を製造している。12/30
「あんたったら、日曜日には家事を手伝ってほしいのに、なんでまたCMの撮影だといって丸の内まで飛び出して、夜になっても帰ってこないの」と、うちの妻君はぷんぷん、かんかんだった。12/31
しんじている
あなたを
いっしんに
あさ いっしょに
めざめる
ふいに だきあう
そおっと ひとつになる
あなたの ほそい
ゆびさき、の
せいあい が すきです
ふれあう かさなる ひとつになる
あなたの はりつめた ふともも
だんりょくが
すきです
しんじている あなたを 心から
じんじている わたしを 心から
ドアをでたら
じゃあね、って
べつの方向にあるいていく
ことばがなくても
わかる わかっている
もう戻らない
会わない
それでも
いつくしみあう
しんじあう
えいきゅうに
とてもシンプルな
かんけい
そういうの
あい、って
よぶのではないかしら
そういう
せいあい、って
あるのではないかしら