顔、顔、顔が嫌い

音楽の慰め 第28回

 

佐々木 眞

 
 

夜8時。
私がくたくたになって横浜桜木町の神奈川新聞社の厚生文化事業団から、明星ビル4階のオフィスに戻って来ると、もう誰もいなかった。

その頃の私は、昼間は自閉症を啓蒙する連続講演会の開催と準備と広報に血道をあげていたので、リーマンのお仕事なんかは、夕方から夜中にやるしかなかったのである。

今夜は神宮外苑花火大会なので、駅前は浴衣の男女が入り乱れ、何千発の花火が、そのたびにズシン、ズシンと地響き立てて打ち上げられている。

事務所の入口の掲示板には、「車はガソリンで動くのです」という、まるで奥村晃作氏18番の「ただごと歌」の短歌のような広告文案を書いた、電通のコピーライターの訃報が、画鋲で張り付けられていた。

そのとき、ギ、ギ、ギーという機械音がした。
まだ残業しているやつがいるのだ。
ダーバンというメンズブランドを担当している、ヨシダに違いない。

ドアを開けて室内に入ると、部屋の真ん中に置いてあるゼロックスが、グギグギと音を立てて作動しており、なにやら薄汚い風体の大男が、コピー機のガラスに頭全体を突っ込んでいる。

瞬時も置かず、二尺玉、三尺玉、そして巨大な四尺玉が轟音と共に打ち上げられ、真夏の夜に開け放たれた窓からは、赤青白黄紫群青に輝く爛れた光線が、部屋の隅々にまで深々と差し込んでいた。

ゼロックスは、箱の中の竿を2、3回左右に走らせながら、マシンの左横口からズ、ズ、ズ、ズーと音を立てて印画紙を吐き出し、そのたんびに箱の底から、青白い逆光が男の頭、そして頭越しに部屋全体に迸り出た。

男はそのままロダンの「考える人」の姿勢を崩さず、その間にゼッロクスは数限りなくゼロックスを繰り返すので、見れば部屋の中にはゼッロクスがゼロックスした大きな印画紙が、渦高く堆積し、ひくひくと痙攣していた。

ヨシダと思われる大男は、身動きひとつしない。
仕方なく私がコピー紙を手に取ると、そこには主イエス・キリストの憂愁に満ち満ちた顔が、黒の濃淡も美しく、くっきりと刻印されていた。

そのときおらっちは、

顔、顔、顔が好き。
顔、顔、顔が好き。
主イエス・キリストの、顔が好き。
生に倦み悩み、死にあこがれる顔が好き。

と、歌った。

と思いねえ、皆の衆。

そういえば、おらっちは、むかしイタリアのパゾリーニ監督の「奇跡の丘」という映画をみたことがある。

イエスの顔、マリアの顔、ヨセフの顔、
ヨハネの顔、ユダの顔、祭司長の顔、
サロメの顔、ヘロデの顔、ヘロディアの顔、
次から次に、素人役者の、モノクロの強烈な顔が出てくるのだ。

黒白の鋭い陰影を突き抜けて迫って来る、顔、顔、顔。
それは「奇跡」の物語ではなく、「顔」の物語であったあ。
聖書に描かれたとおりの、イエスの誕生から刑死、そして奇跡の復活までを忠実になぞる映画のようにみえて、実は人間の「顔」をじっくりと見せつけられる、奇妙な体験映画なのであったあ。

そのときおらっちは、

顔、顔、顔が好き。
顔、顔、顔が好き。
イエスを産んでもいないのに
母となった、マリアの顔が好き。

顔、顔、顔が好き。
顔、顔、顔が好き。
マリアと番ってもいないのに
父となった、ヨセフの顔が好き。

顔、顔、顔が好き。
顔、顔、顔が好き。
誰も望んでいないのに
ヨハネの首を所望する、サロメの顔が好き。

と、歌った。

と思いねえ、皆の衆。

なんでまた突如この「顔、顔、顔が好き」というフレーズが、
飛び出してきたのかと考えてみると、
どうやら戸川純ちゃんの「好き好き好き大好き」のせいらしい。*

「好き」の反対は、「嫌い」だが、「嫌い」で思い出すのは、ヤマハのポプコンが生んだ最高の名曲「顔」である。

顔がキライ 顔がキライ
アンタの顔が きらいなだけ
ごめんね 君はとてもいいひと
だけど 顔がきらいなの**

という、一度聞いたら死ぬまで忘れられない、このリフレイン!
そしてそれは、今ではおらっちの脳内で、朝から晩まで、
こんな風に鳴り響いているのさ。

顔、顔、顔が嫌い。
トランプはんの、顔が嫌い。
右手ピクピク不気味だけれど、
恐らくほんとは、とってもいい人。
自分勝手のバカだけど
ほんとは、とってもいい人なのよね。

顔、顔、顔が嫌い。
プーチンはんの、顔が嫌い。
007に似ているけれど
恐らくほんとは、とってもいい人。
政敵なんかをこっそり始末するけど
ほんとは、とってもいい人なのよね。

顔、顔、顔が嫌い。
安倍蚤糞はんの、顔が嫌い。
猪八戒に似ているけれど
恐らくほんとは、とってもいい人。
一強、一凶、一狂といわれているけど
ほんとは、とってもいい人なのよね。

顔、顔、顔が嫌い。
フランシスコ麻生はんの、顔が嫌い。
マフィアに憧れているようだけど
恐らくほんとは、とってもいい人。
祖父も驚くゴーマン野郎だけど
ほんとは、とってもいい人なのよね。

顔、顔、顔が嫌い。
顔、顔、顔が嫌い。
その顔だけが、嫌いなの。
あなたの顔が、嫌いなの。
なにがなんでも、嫌いなの。

と思いねえ、皆の衆。

 

 

注*戸川純「好き好き大好き」

注**コンセント・ピックスの「顔」の歌詞より引用

「コンセント・ピックス」は、ガールズバンドの草分け。彼らの応募曲「顔」は、1984年度の第27回ヤマハ・ポピュラー・コンテストでグランプリに輝いた。