今井義行
アコーディオンカーテンの隙間から
隣りの低いビルの屋根を見ると
塵紙等の 細かいものが落ちていた
そのような 単なる、木曜日。
「午後のプログラムです」
作業療法士さんによる
作業療法 *が はじまる
*障がいのある人に対して、生活していくために必要な動作や社会に
適応するための能力の回復をめざし、治療を行う。その治療手段の1
つとして様々な作業や手工芸を用いる事が特徴。──ネットより引用
その部屋のばらも底をついて
4つのグループに分けられた机の上には
黒いペン 鉛筆 色鉛筆 消しゴムと 参加者分、
約20枚の 白い画用紙が置かれていた
精神障害者認定されてから もう何年になることだろうか
わたしは 55歳になって
「断酒」をテーマにした「ゆるキャラ」造りに取りかかろうと
いうのだ
隣りに座っているのは 42歳の
丸刈りのMアァっつぁんで 彼の声音は
「二階堂(麦焼酎)の瓶なら 描けるかもしんないけど
俺には なんにも降りてこないィィィ・・・・・・・」と
仔ヒツジのように身をよじらせるのだった
そのような、木曜日 の
夜明けには ジョニ・ミッチェルの〈 Both Sides Now 〉を ヘッドフォンで聴いてきた
〈 Both Sides Now 〉
* 青春の光と影 *
全米チャートに身をそむけて一旦
は引退したジョニ・ミッチェルは
2000年にポピュラー音楽界に復帰
したのだった──。
そのときには、シンガーソングラ
イターの姿ではなく、1ヴォーカリ
ストとして現れた。
〈 Both Sides Now 〉は、
多くの人たちの中の青春の一曲で
あったけれど、その時からセルフ
カヴァーを遙かに超えた、100年は
聴かれ続けられるだろうものへと
普遍化を遂げたのに違いない・・・・
売れることのなかった名演だった わたしはジョニの、自らの名前ではなく
表現を 死後へと力業で定着させていくというやり方に
それが最良のやり方かどうかはともかく
何処かで肯定し、憧憬も抱いた
わたしはまだ、これからも詩を書くが これまでの自らの表現も
お金を貯めていつか1冊のアンソロジーにまとめて残していきたいという
思いを 抱いたのだった……
参加者は男女混淆で 入退院を繰り返しているものも
数度目の休職中のものも見事に家庭崩壊してしまっているものも・・・・・・・
わたしのように希死念慮に憑かれてしまっているものもいるのだが
わたしたちに「〇〇〇依存症」「〇〇〇性障害」「〇〇〇症候群」などと
勝手に名前を付けてしまう行為は止めてくれないか?
制限時間一杯になって それぞれに描かれた「断酒のゆるキャラ」は
写真として取り込まれて 皆でスライドショーを見ることとなった
作業療法士さんは「わ、いろいろな ゆるキャラ!」と言った
例えば帽子を被った「無ッシュ」、とても長い鼻を持つ「呑まん象」、手の震えが止まらない「離脱クン」などなど、わたしはと言えばアゴだけが肝臓の形のゆるキャラ界の硬派
「高倉カン」という具合だった
賑やかなその中に細くて消えそうな鉛筆線だけで描かれた「七ちゃん」という
キャラクターが混じっていた 絵のわきにやはり鉛筆線で「二階堂のビン持って
深夜 ネグリジェ姿で徘徊を繰り返してまあす」と走り書きされていた
画用紙を 腕で隠すようにして描いていた
Mアァっつぁんから 出てきたものだった
ほかの誰もが 用意された道具を使って
「鉛筆で下書きを描く→黒のペンで下書きをなぞる→黒の枠組みの中を
色鉛筆で丹念に塗る」という工程をたどって絵を仕上げていたのだったが
Mアァっつぁんだけはそうでは無かった
「七って、何だい」
「そんなもん 俺が知るかよ」
机の上に道具は置かれていたものの 作業療法士さんは描く方法について
何の説明もしていなかったことにはじめて気づかされることになった
Mアァっつぁん以外の参加者は
誰もが 「ぬりえ」に専念していたということだ・・・・・・・
単なる、木曜日に。
その日の作業療法士さんの作業療法の意図が何処にあるのか判らなかった
けれども、わたしはとても驚いてしまって
隣りに座っている Mアァっつぁんの横顔に向かって
「Mアァっつぁんの絵・・・・・・・凄いな、凄いな、」と繰り返していたのだったが
Mアァっつぁんは 「皆、ウマイっつすよねえェェェ・・・・・・・」と
仔ヒツジのように 身をよじるばかりなのだった
「Mアァっつぁんの絵凄いな、凄いな、」
「今井サン・・・・・・・。どうせサァ、俺の絵を見くだしているんだろうようゥゥゥ
俺が人間の屑なの、スクリーン見れば、一目瞭然、じゃねえかようゥゥゥ!!」
Mアァっつぁんは 、 「ふざけんじゃねえようゥゥゥ!!」と呟いた
「あんな絵、今井サン・・・・・・・。
詩人のテメェに くれてやるようゥゥゥ!!
パソコンの隣りにでも貼っとけ バカヤロウゥゥゥゥゥゥ」