モコ
きみの
むねにふれると
あたたかい
モコ
むねが
じょうげしてる
いきを
はいて
すう
モコ
めを
瞑ってる
みみが
ちいさくふるえる
ゆめのなかで
はしる
モコ
モコ
草原がまっすぐはしる
草原
まっすぐはしる
モコ
ながいみみが
なびく
風が
風に
なびく
なびく
モコ みみが風になびいている
モコ
おやすみ な
おやすみ な
モコ
きみの
むねにふれると
あたたかい
モコ
むねが
じょうげしてる
いきを
はいて
すう
モコ
めを
瞑ってる
みみが
ちいさくふるえる
ゆめのなかで
はしる
モコ
モコ
草原がまっすぐはしる
草原
まっすぐはしる
モコ
ながいみみが
なびく
風が
風に
なびく
なびく
モコ みみが風になびいている
モコ
おやすみ な
おやすみ な
もっとも親しかったうちのひとりを9年前に失ったまゝ、いろいろな思いを脳内に彷徨わせたまゝ、……で、居続けている。かといって、ポーやリラダンやローデンバッハらの作品の人物たちのように死者の思い出だけに沈潜し続けているわけはもちろんなく、最新のCPUが軽々とこなすごとくに、マルチタスクで、意識は諸相的に多層的に忙しく機能し続けている。現代のセルジオ・レオーネとも言えるであろうアントワーン・フークアのアクション映画を次々と見ながら死者のある日の目の伏せ方を心の中に凝視し直したり、出勤前に慌しくシャワーを浴び、洗髪してから髭を剃る時に、また別の、死者が健康であった頃のある日の服選びに助言した瞬間のことをありありと蘇らせたりする。
髪にドライヤーをかけたり、鬚を剃ったりする洗面所の洗濯機の奥の小棚にはプラスチック製の黄緑色の小籠が置かれていて、そこには入浴剤や他の小物が乱雑に詰め込んであるが、この小籠は、死者が最期の日まで、病院での朝晩、歯ブラシや歯磨きチューブ、タオル、化粧水や乳液、口紅などを入れて、病室から洗面所まで通うのに用いていた。手頃な道具入れが必要になった際、病院の近くの100円ショップで慌てて購入して持って行き、与えたもので、100円商品にしてはプラスチックも厚手で、なかなか頼りがいのある悪くない品だった。
すっかり筋肉の削げた足で、よろよろ、ゆるゆると廊下を進み、洗面所に通う姿にたびたびつき合ったが、他にもいくらも適した容器や籠はあり得るというのに、急ぐ必要があったことや使い勝手のよさから、こんな廉価品を毎朝毎晩提げて歩ませることになってしまう…と思いながら見続けた。最期も近いかもしれない人に、100円商品を持たせるとは。かといって、高価でもっと重い、使い勝手の悪いものを持たせるわけにもいかず、成り行き上、それなりというより、必然というべき事情のもつれの果ての風景や光景が一瞬一瞬醸成される。二度と戻らない時間の一刻一刻であるというのに、ひとりの人間を取り巻く物品のありようは、しばしば侘しく、うすら寒く貧相で、偶然というものの悪戯心やそれとない悪意を感じさせられさえする。
そのプラスチックの100円商品の小籠は、持ち主よりももう9年も長く生きのびて、劣化の気配も見せない。鬚剃りの後で化粧水や乳液を顔につけながら横目で見たこの小籠のイメージと、そのイメージに無数に重なって甦る死者の生前の姿、さらにはそれらの姿のかたわらにいつも在った私なるものの在りようを意識の中に漂わせながら、今日も、靴を履いて、地面や、地面と呼びづらいような人工的な石板の数々を踏みに出る。
こんなにもたくさん笑ったのはいつぶりだろう。
保育園のころ、桃色のつばが広い帽子をみんなでかぶって、隣の子と手をつないで桜並木の下を歩いたときと同じ気持ちだったような気がする。
見るものが全て新鮮で、人が優しかった。
大事な人の大事な人が自分にとっても大切にしたいと思えた旅だった。
わたしの大切な友人と、友人の小さいころからの幼馴染に会いに名古屋から博多に行く予定を前々からたてていた。
ひょんなことから、その道中で友人の大学時代の神戸の友人と京都で落ち合うことになった。
この時点でわたしは2日間の旅行のうちに知らない人2人にあってご飯を食べなければいけなくなった。
それは新しい出会いで楽しみでもあったけど、少しだけ、ほんの少しだけ不安でもあった。
「2人ともいい人だよ~。大丈夫。」って言われたけど日が近づくにつれてどきどきしてきた。
その時のことを忘れないうちに、記憶が鮮明なうちにここに記録しておこうと思う。
その日は風は冷たかったけれど青い空が広がっていて気持ちのいい日だった。
京都駅、神戸の人と会う時が来た。
いきなり現れたその人はわたしが想像していた人とは違った。
そんなに背は高くなくて、でもわりと顔は端正で、折り畳み式の自転車を持っていた。
適当に挨拶だけすませて、ご飯を食べに行くことにした。
でもその日は休日の京都駅。
どこも駅中のお店は人ばかりで困ってしまった。
でもその人はいつのまにか京都駅近くのお店をあっという間に予約してくれて連れて行ってくれた。
京都駅からすぐ近くのお店で、あっさりしたものが食べたかったわたしの希望通りのお店だった。
移動しているとき空が見えた。
「空がきれいですね~。飛行機雲もある!」
ちょっと気を遣ってわたしが言ったのにその人は
「本当に!?あの辺雲ばっかりだけど大丈夫?」
もう笑うしかなかった。
変な人~、関西の人はこんな感じなのかなと思い始めたのは多分この時からだったと記憶している。
お店でご飯を食べ終わるとさっとその人は立ち上がってあっという間にお会計を済ませてくれた。
スマートだった。
「まけてもらって50円だったから楽勝だった!」
そんな風にして帰ってきたその人はいい笑顔だった。
改札で別れるとき友人同士は普通に握手をしていた。
わたしも握手をしたかった。
手を差し出してみた。
目を合わせてくれなかった。
ちょっとしたら目を合わさずに、わたしが差し出した右手に対して左手を出してきた。
不満気にわたしがもう一度右手を出したら、今度は少し照れたように目をしっかり合わせて右手を出してくれた。
温かい手だった。
「その持ってきた折り畳み自転車で京都から神戸まで帰るんですよね 笑??」とわたしが言うと
その人は「うるさいわっ 笑」と言い残して去って行った。
3人で京都駅の前で撮った写真は大切な大切な思い出になった。
何度も何度も見返している。
その人は変な人だったけどわたしは結構好きになった。
博多に着いた。
夜ご飯は2人目の知らない人、友人の幼馴染と水炊きを食べることになっていた。
また少し緊張してきた。
ホテルのロビーに現れたその人はわたしよりも小柄でとても人懐っこい笑顔をしていた。
初めて現れたわたしにとても親切にしてくれてずーっとにこにこしていた。
神戸の人とは全然タイプが違う人だった。
連れて行ってくれたお店の水炊きは本当に本当においしかった。
転勤で全国を周っているその人は色んな土地の話をしてくれた。
小さいころの話もたくさんしてくれた。
たらこも、水炊きも、あご出汁も大好きになった。
最後にわたしがどうしても行きたかった中州や天神の屋台へ連れて行ってくれた。
そこまでは少し距離があって歩かなければならなかった。
その途中スマホでわたしたちを撮ってくれることになったのだけれどガラケーを普段使っているその人は操作に苦労していた。
「なんか、自分の顔が写っちゃったよー!」
慌ててスマホを渡されると、そこにはその人のにこにこしたドアップの写真が記録されていた。
3人で大きな声で笑った。夜空に響くくらい笑った。
もちろんその写真は3人各々の携帯に保存されている。
天神の屋台は想像通りいい雰囲気でご飯もおいしかった。
3人で身を寄せ合ってずるずるすすったうどん、3人で分けっこして食べたアツアツの餃子、3人でグラスを突き合わせて飲んだお酒。
いい夜だった。
星がきれいだった。
その人の笑顔はもっときれいだった。
大人になると遠足に行く前の園児の気持ちになるようなことはほとんどない。
何かしら不安がつきまとう。
これからのことを考えると怖い。
でもこんないい時もあるんだなとこの日は思えた。
また会いたいなと思った。
またみんなで空を見たいと思った。
旅に連れ出してくれた大切な友人には心から感謝しています。
ありがとう。
これはもう私でないと、多くの人が私を見て言った
私の前であけすけに言う
認知機能を失くした私に、その意味はどうせわからない
痛っ!
女は小さく叫び、指を引っ込めた
かつて江橋医師が根気よく治療して、生かしてくれた私の歯が
私の口腔を清拭する女の、指をつぶす
歯が残っていることが私の口内を不潔にし、ケアを複雑で危険にしていた
女は私の歯が抜け消滅すればよいのにと
心の中で願っている
車イスを押し、女は私を外に連れ出す
私たちは公園の池の前に止まり、噴水を見る
止まっている噴水は、10分もすれば水が噴き出すことを女は知っている
日射しもなく、北風の冷たい2月の午後、池のまわりには他に誰もいない
数羽のハトだけが、食べ物を探してオロオロと歩き、ときどき何か汚いものをつついていた
かすかな予兆のあと、池の中央に建ったモニュメントの天辺から水が勢いよく噴き出した
ずっと、無表情で何にも関心を示さなかった私がそのとき
「アア」
と小さい声を出す 私の目は噴き出す水を見ている
喜んでいるのか、おびえているのか、横にいる女にはわからないが
女は私がこれを見て「アア」と言うのを知っているので、
私を連れてここに来る
認知機能を失くしていない女にとって、
認知機能を失くしていなかった私にとっても、
この平凡な水の噴出は認知すべき対象になり得なかったが
私たちはしばらくの間ここにいた
噴水は私たちのためにだけ、ときどき水を止め、また水を出した
「ゆっくりですが、治ってきてますからね」
ゴム手袋の指をさすりながら、江橋氏が言った
治りかけた私の歯が、思わず彼の指を噛んだのだ
歯は治り、歯は果実を、芋を、魚を、獣肉を、
噛み砕き、こわし、私は生きた
私は武器だ
突然水が虹を映し出し、女が「あ」
と声を出した
陽が差したのだ
(2月27日 本郷7丁目の噴水前で)
20年ぶりに行ったんだ
ホアンキエム湖はまるで
井の頭公園の池みたいだと
思ったものだが
今はまるで
上野公園の池みたいに見えた
自動車が増えた分
バイクが減ったようにも見えるが
相変わらず道は乗り物と排気ガスで満杯で
あの時はなかった信号が今はあるというのに
あのあぶなっかしい横断の仕方は変わらない
横断中の年寄りが若者のバイクにつく悪態
道端で営む数々の屋台は健在
ままごとのように小さかった
プラスチックのイスの高さが
前より少しだけ高くなっている
ビアホイの薄いビールにむらがる仕事終わりの人々が
ふんだんに使えるようになったプラスチック
あちこちにあったネットカフェはなりをひそめ
歩き疲れた旅人のためのマッサージ屋が台頭
店先にぶらさがっていたカセットテープやCDが
スマホカバーやSIMカード売りになり代わる
街の新陳代謝 私の肌の新陳代謝
増えたシワ 寄る年波には勝てませぬ
バックパックは重すぎて
もう背負うこともありませぬ
いや全部ネット予約だから
安ホテル探して歩き回る必要もありませぬ
グーグルマップが世界中どこまでも追跡する
旅は道連れ世は情け 人工衛星引き連れて
昔はよかった今の若者はなんて言わない
かつてのハノイの静けさは
夕立を眺めながらのマッドプロフェッサー
今でも私のこころのなかに
そして20年後の喧騒も
同じく私のこころのなかに