かくある日日を楽しといふか

 

駿河昌樹

 
 

令和と呼ばれることになった
この列島だけの新時代もすでに六日目に入り
初夏というのに
うす曇りの朝はすでに秋めいている
枯れ果てた多くのものが
たんなる名称の変更では覆いきれずに
はやくも露呈してきてでもいるのか

斎藤茂吉の忠実にして有能な弟子
しかし慎ましやかで地味だった歌人柴生田稔が
戦中にこのように歌っていた

つきつめて新しき世も思はねばかくある日日を楽しといふか

 
時代と自己へのなんと見事な批評!
あまりに静かにさらりと一行に表わしてしまうので
細かく過去の詩歌を見直す目にしか
ともすれば
止まらなくなってしまうが

年老いて時におもねる文章は今日もひきつづきて夕刊に出づ

いたく静かに兵載せし汽車は過ぎ行けりこの思ひわが何と言はむかも

 
この列島に起こること
起こりうること
くり返されることは
すべて
柴生田稔がひそやかに歌って去っていってしまっているように見える
まるではじめて自分が発するかのように声高に
あるいは
新たな論や批判を提示するかのように矜持たかく
今さら言うまでもなしに
しかし
再三だれかが
くり返して言葉にしなければならないのも
たしかではあって

時すぎて人は説かむか昭和の代のインテリゲンチヤといふ問題も

 
 

 

 

そうそうに生前葬じみたことをしてみているのか

 

駿河昌樹

 
 

あまりになにもかもが過ぎていくので
あまりになにもかもが去って行くので
人間たちはお手製の時代の区切りなど作って
なにやかや身振りをしてみたいのだろうか
集まってしばし身もだえしてみたいのだろうか
果てのない宇宙の闇に浮いているほかないさびしさを
そうしてまぎらわしてみたいということか
そのさびしさを切々と感じるじぶんさえ
遠くないうちに過ぎていき去って行くことを
たまたま舞い落ちた星の上に今まだあり続けながら
そうそうに生前葬じみたことをしてみているのか

 

 

 

かわいそうで

 

駿河昌樹

 
 

だれを見てもかわいそうに見えてしまって
ときどき
見知らぬ人を見ながら
立ち尽くしてしまったりする

時間とよばれるものも
空間と呼ばれるものも
とりわけ人生とかじぶんとか呼ばれるものも
あんなに信じてしまって
あんなに真に受けてしまって

かわいそうで
だれを見ても
立ち尽くしてしまう

みんなみんな
あまりに
深く
だまされたままになっていて

かわいそうで

 

 

 

島影

 

島影という
葉書が

届いてた

今朝
気づいた

昨日の夕方

ポストに入れられて
夜中の雨で

濡れたのだった
ろう

たわんでいた

濡れて
たわんで

写真展の葉書は届いた

いつか
どこか

遠くの人に葉書は届くだろうか

雨のなか

傍らの人に
にぎりめしを渡す

水田に身をかがめて
母は

苗を植えていた

身をかがめて
渡す

・・・

そのアルゴリズムを通して
かなしみは抽象されるか

死後硬直の煎餅は
地中で平面となり

・・・

という手紙が

昨日
工藤冬里から届いた

そこにいる
もう長いこといる

ずいぶんといる

そうでなければ
木蓮は

白い花もつけなかった

木蓮の花は
あなたでもわたしでもない

ことばでもない

ただ
佇っていた

島影はいた

島影は
佇っていた

母は
水田に

いた

アルゴリズムから逸れていた