帰福

八十八歳の母に会いに*

 

道 ケージ

 
 

帰ってきとった方がよかろうと兄
やはり 帰るか
「なんかあるごたぁね」と電話越しの母

帰郷すると
またすっかり母は小さくなっていた
妖精のように

なにかへ 帰る
何処かに 帰る

「小鳥に餌をあげると」
残飯を庭に置く
自分の食事はほとんど残して
「猫が口尖らしてやって来ると」

買い物にはもう行かない
「生協が来るけんね」
しなびた大根を
僕はおろすのだ

ほら、肉も食わんと
料理はしたことはないが
母に焼肉を
上等の和牛はすぐに焼ける

それでも箸で引きちぎって
「これだけでよか やわらかかね」

苦労時代のことは鮮明
「ほんと好かんやった 呑んだくれて
もう一回結婚? 絶対せんね」

福岡というのはめでたい名だ
帰福と手帳に書く

孫、つまりは僕の娘の入社祝い
「あげとったかね?」
十回、さらにもう五回

メモしとくけん、これをまず見やい
今度はそのメモがない
「どこやったかいね こげなふうたい」

使われないミシン
古びた三面鏡はすっかり縮み
・・・ここに座って無限に見入った

中野重治に母の詩はないらしい
プロレタリアの戻る場所は
何処

「その引き出しの下やなかかね」
へそくり見つけて
大笑い

親孝行らしきことは何もしていない
そう言うと
「そうたい 情けなかね」

じゃあ、またね
「今度はいつ帰れるね?」

階段は無理なので
門前の壁に寄りかかり
手を振る母

道をひきずり
振りかえる

帰福
帰る場所**

 

 

* 「朝日新聞 二〇一九年四月二〇日」
一人暮らしをする六五歳以上の高齢者が二〇四〇年に896万3千人となり、十五年より43・4%増える。全世帯に対する割合は17・7%。全国最多の東京では116万7千人と、六五歳以上人口の約3割にのぼる。背景には未婚や離婚などの増加があるという。

** 山本哲也遺稿集の表題でもある。

 

 

 

温度の瀬戸

 

工藤冬里

 
 

食い尽くす温度を正確に測り
温かさとの距離に明確に絶望する
私達は誰であれ、ボロアパートに住んでいる
将来修復されるのか、日々修復されるのか
今の気候なら 永遠に続く見えない虫の頭部と胴の隙間を
バックネットから我を忘れて覗き込んでいることも出来るだろう
決してあきらめないのはカモミーユの花
温度の中に浮かぶと透明だ
旗を待つ裏日本から心を広げようとするが
嗄れ声の雨の中 ヴェールが直線を覆い
島々の閉じた線が 解(ホド)けていっただけだった
瀬戸内海はこの温度のまま、池のように干された
泳いで渡るための直線は 寸断された
海の温度に従っていたので、もう名前を思い出せなかった
2011年の5月に、じぶんの葬式の段取りだけはしておかなければならなかった
身辺整理とアーカイブ化が交わる一点を現在地とし
ナビは海底の道を具象しようと彷徨う
家がない
白い霊柩車の行き交う地上に昇るまで
この航行の温度が家だ
線は強迫症と闘い
スナメリを見ては引き返す
温度の瀬戸